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もののあわれについて165

晦日の日、女

ほととぎす 世にかくれたる 忍び音を いつかは聞かむ 今日も過ぎなば

と聞こえさせたれど、人々あまたさぶらひけるはどにて、え御覧ぜさせず。つとめて、もて参りたれば見たまひて


忍び音は 苦しきものを ほととぎす こだかき声を 今日よりは聞け

とて、二三日ありて、忍びてわたらせたまへり。女は、ものへ参いらむとて精進(さうじ)したるうちに、いと間遠なるもこころなきなめりと思へば、ことにものなど聞こえで、仏にことづけたてまつりて明かしつ。つとめて、宮「めづらかにて明かしつる」などのたまはせて、


いさやまだ かかる道をば 知らぬかな あひてもあはで 明かすものとは

あさましく」とあり。さぞあさましさやうにおぼしつらむといとほしくて、


よとともに もの思ふ人は 夜とても うちとけて目の あふ時もなし

めづらかに思うたまへず」と聞こえつ。

四月三十日、女は、宮に一首をおくりました。
ほととぎす よにかくれたる しのびねを いつかはきかむ きょうもすぎなば

ほととぎすの、ひそかな忍び音を、いつ聞くことが、できるのでしょう。
四月の果ての日も、過ぎてしまいます。
と、申し上げましたけれど、宮の元には、人々が参上して、それを、御覧になれませんでした。

翌朝、参上して、お歌を見せますと、御覧になり、
しのびねは くるしきものを ほととぎす こだかきこえを きょうよりはきけ

忍び音を出さなければならない、ほととずきは、苦しいのです。
高々と呼ぶ声を、今日からは、お聞きください。
人目を、忍ばすに、訪ねましょう。

と、お返しになりました。
二三日たってからも、忍んで来られました。
女は、寺詣でをしようと精進しているうちに、宮のお出でが、遠のいていますのは、愛情が薄くなったしるしであると、思いました。
とくに、お話もせずに、仏道のことにかこつけて、一夜を、明かしました。

翌朝、お帰りになられた宮から、「随分と、変わった夜を過ごしました」と、書かれて、届きました。

いさやまだ かかるみちをば しらぬかな あひてもあはで あかすものとは

いやはや、このような、恋の道が、あるとは、知りませんでした。
お会いしても、共寝もせずに、夜を明かしてしまうとは。

あきれました」と仰せでした。

さぞ、あきられておいでと、気の毒に思い

よしとともに ものおもふひとは よるとても うちとけてめの あふときもなし

夜がくると、物思いする私は、くつろぐ気持ちで、目を合わせて、眠ることなど、決してございません。

私にとっては、珍しくありません」と、申し上げました。

現代とは、時間の感覚が、違うということが、よく、解る。
時間というものに、対する、感覚が違うということは、物に感じる心得も、違うということである。

現在のように、時間というものが、区切られていないということである。
流れる時間感覚である。

現在、時間が流れていると、感じる感覚とも、違う。

よとともに もの思ふ人は
夜と、共に、つまり、夜に物思う者を言う。
夜は、物思う時なのだ。
夜の闇の中で、人は、じっと、人生の秘密を、見つめるのである。
闇を忘れた、現代人に、それを、理解してもらうのは、大変なことである。

夜とても うちとけて目の あふ時もなし

よとともに、を、更に、夜とても、と、夜を、繰り返している。
物思いする者は、くつろいで、目を合わせて、眠ることなど、できない。

ただ、単に、和泉式部は、色情狂いではない、ということだ。
この時代にあって、時代精神を生きているといえる。

時代精神とは、その時代に、求められる生き方である。
和泉式部は、平安期の、理想的女性を、演じたといえる。
男狂いと言われて、善しとする。

色好みから、儚さを、感得し、さらに、その底に流れる、もののあわれ、というものを、見つめるのである。
源氏物語は、まさに、それである。

何度も言うが、色好みは、セックス好みではない。
性というものを、全人的に理解することである。
性にまつわる、諸々を、含めた意味での、色好みである。

その、やり取りにある、所作に、もののあわれ、を、源氏物語は、語るのである。
本居宣長は、それを観た。
私は、源氏物語における、自然、季節描写から、それを、観る。

日本の、風土、季節感覚を抜きに、もののあわれ、というものを、理解出来ないからだ。

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2008年02月16日 00:16に投稿されたエントリーのページです。

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