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もののあわれについて186

雨うち降りていとつれづれなる日ごろ、女は雲間なきながめに、世の中をいかになりぬるならぬとつきせずながめて、「すきごとする人々はあまたあれど、ただいまはともかくもおもはぬを、世の人はさまざまにいふめれど、身のあればこそ」と思ひて過ごす。宮より「雨のつれづれはいかに」とて、


おほかたに さみだるるとや 思ふらむ 君恋ひわたる 今日のながめを

とあれば、折を過ぐしたまはぬををかしと思ふ。あはれなる折しもと思ひて、


しのぶらむ ものとも知らで おのがただ 身を知る雨と 思びけるかな

と書きて、紙のひとへをひき返して、


ふれば世の いとど憂きのみ 知らるるに 今日のながめに 水まさらなむ

待ちとる岸や」と聞こえたるを御覧じて、たちかへり、


なにせむに 身をさへ捨てむと 思ふらむ あめの下には 君のみやふる

たれも憂き世をや」とあり。

五月雨が降り、たいそう、徒然なる日を過ごしています。
徒然とは、所在無く過ごす。何となく、無為に過ごす。物思いに過ごすと、色々な意味あり。

女は、晴れ間の無い空を見上げて、うっとおしい中で、わが身は、どうなるのであろうかと、思うのです。
果てしない、物思いにふけります。
言い寄る男たちは、大勢います。
しかし、今の私には、何の気持ちも、湧き上がることは、ありません。
世の中の人は、様々に噂しますが、それも、私が生きていればこその、こと。

どこかへ、隠れてしまいたいものです。
と、思い過ごしていました。
そのとき、宮様から、「この雨の中を、どうしているのですか」とお尋ねになります。


おほかたに さみだるるとや おもふらむ きみこいわたる きょうのながめを

ありふれた、五月雨がふっていると思いでしょうが、この雨は、あなたを恋しく思う、私の涙が、長雨になっているのです。

とあります。時をはずされぬ御文を、嬉しく思いました。
心とんみりとしていましたので、


しのぶらむ ものともしらで おのがただ みをしるあめと おもひけるかな

私を、お慕いくださった雨とも、知らず。私は、私の悲しさから、降った雨だとばかり、思っていました。

と、書き、その紙の一枚を引き返して、裏に


ふればよの いとどうきのみ しらるるに きょうのながめに みずまさらなむ

この世に生きながらえていますと、切ないことばかりです。
今日の長雨で、水が増し、私を、押し流して欲しいものです。

私を、救ってくれる、彼岸は、ありましょうか。
と、申し上げたのを、御覧になり、すぐに


なにせむに みをさへすてむと おもふらむ あめのしたには きみのみやふる

どうして、わが身を捨てようと、思うのですか。この世の中には、あなただけが生きているのではありません。

と、女の訴えを、それは、出家の気配を感じ取って、「誰もが、辛い世の中なのです」と書かれるのです。

雨を、私の恋しさのものだと、言う。
そして、それに、女は、それは知りませんでした。雨は、私の悲しさの雨だという。

雲立てば、亡き人の思いだと、観た、万葉人を、思い出す。
雨は、私の心の悲しみの雨であり、人を恋しく思うがゆえの、雨としてみる。
このような、感性は、いつから、どこから、発したものか。

自然と、対峙するのではない、この、心象風景は、日本人独特のものである。

雨が、私の内にも、降るのである。

自然と、共感する、共生する、思いである。
言葉の世界の、精神の前に、心や、魂、霊というものに、感応する、自然の様である。

単なる、恋のやり取りではない。
日本伝統の、心の有り様を、見事に、現している。

今時、今日の雨は、私の悲しみの涙が、雨になりましたと、言えば、何を、気障な、とか、または、頭がおかしいと、思われるだろう。
それほど、余裕が無い時代になったのである。
というより、雨など、ゆったりと、眺めている時間などない。
ましてや、空を、である。

子供の頃、雨が降る日は、じっと、雨の音を聞いていた。雨の匂いを、嗅いでいた。そして、その時間は、黄金の時間であった。
いつから、雨の音を聞かなくなったのか。雨の匂いを嗅ぐことがなくなったのか。

どうでも、いいことに、かまけて、実に、大切な時間を失う。

バリ島に行き、日本から、日常から離れて、私は、闇の月明かりを見て、親に、感謝したことがある。今まで、感じたことのない、気持ちだった。
生んで育ててくれて、本当に、ありがとうと、親に感謝した。
そんな、時間を持てなかったのである。
また、雨の音を半日、聞いていても、飽きなかった。

そういう時、日本の心、歌詠みの心が、蘇るのか、目覚めるのか。
歌を詠みたくなるのである。

あめの下には 君のみやふる
世の中には、あなただけがいるのではない。
あなただけに、雨が降るのではない。

人は皆、それぞれの、人生の切なさを負って、生きている。
それを、君のみやふる、という、七文字に託すのである。

言葉が、多ければ、いいというものではない。

語ることより、歌うことを、善しとする。
日本の伝統である。

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2008年02月26日 18:56に投稿されたエントリーのページです。

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