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神仏は妄想である。31

世の中には、特定の宗教の強い影響のもとで育てられたが、居心地の悪さを感じていたり、その宗教を信じることができなかったり、あるいはその宗教の名によっておこなわれる悪徳に心を悩ませたりしている人間がたくさんいるのではないかと私は疑っているーーいやむしろ、確信している。

リチャード・ドーキンス 神は妄想である。はじめに、より。

そういう人のために、この本を書いたという。

アメリカ。世界で、これほど、戦争の好きな国は無い。また、世界で、一番、戦争を起こしている国である。
それが、どうであろう。

今日のアメリカにおける無神論者の社会的地位は、50年前の同性愛者の立場とほとんど同じである。ゲイ・プライド運動のあと、いまでは、同性愛者が選挙で公職に選ばれることは、けっして簡単というほどではないが、可能である。1999年におこなわれたギャラップ調査では、アメリカ人に対して、その他の点では十分な資格をもつ次のような人物に投票するかどうかが質問された。女性99パーセントは投票する、ローマカトリック教徒94パーセント、ユダヤ人92パーセント、黒人92パーセント、モルモン教徒79パーセント、同性愛者79パーセント、無神論者49パーセントという結果だった。明らかに、道ははるかに遠い。しかし無神論者の数は、多くの人が気づいているよりも、もっとはるかに多く、とくに高い教育を受けたエリートのあいだに多い。この点については、すでに19世紀からそうだったのであり、だからこそジョン・スチュワート・ミルが実際、こう述べているのだ。「世界にもっとも輝かしい光彩を添えている人々のうちの、英知と徳という通俗的な評価においてさえももっとも傑出した人々のうちの、どれほど大きな比率が、宗教への完璧な懐疑論者であるかを知れば、世間は驚愕するだろう」

欧米諸国、アラブ諸国は、宗教の国々である。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教である。
しかし、どれ程、多くの人が、それに対して、懐疑的であるかは、語られない。

甚だしい、苦痛を感じている、真っ当な人々が、無神論であると、カミングアウトすることは、不可能に近い。
イスラム圏では、死刑に相当する場合もある。

これを、無明と、言わず、何というのか。
更に、イスラム圏では、他の宗教に改宗すると、死刑に相当するという、驚きである。

妄想の神に対する、不敬が、最も重い罪とされる。
信じられないのである。

そして、もっと、驚くべきことは、それらが、簡単に戦争をするという、事実である。
それも、神の名において、である。

宗教と、共産主義が、殺した人の数は、星の数にもなる。

ホント、糞でも、食らえ、である。

対立するように、見えるものが、実際は、同じ、土俵にいるという、驚き。

私は、人類のために、宗教と、共産主義を、大罪と、定める。

これ程、愚かしく、哀れであるものは、見ることもない。
そして、これらは、すべて、無知からくるのである。
無知蒙昧という。

どんなに、議論をしても、無い物を、在ると言うのであるから、議論にならない。

人類は、宗教的であったゆえに、こうして、続けてきたのであり、宗教によってではない。宗教的というのは、自然との、共生、共感の考え方である。
宗教から、発した思想も哲学も、何も解決していないのである。
言えば、迷いを与えるものである。

無知の、ゆらぎに、付け込んでの、神だの仏だのという、妄想は、人間を救うことなく、人間を、無明の、只中に貶めた。

無明とは、仏教用語である。仏の知恵を言うが、それこそ、無知なのである。仏の知恵などない。ある訳が無い。
在ると信じて、お勉強して、多くの言葉を覚えて、迷うのが、関の山である。

仏教の教義など、支離滅裂である。
一つの言葉を取り出しても、何の根拠も無いという、仰天である。

それなのに、無知な人々は、真実の科学の知識や知恵を、宗教だと言う、アホらしさである。つまり、知能レベルが、低すぎるのである。

科学は、全体の、ほんの、少しを知った程度である。しかし、宗教の妄想とは、違う。実際に在るものを、見ている。しかし、宗教は、妄想なのである。

あれかし、と、願う心に、神や仏が、宿るのである。

マイクロソフト・ワードについている辞書は、delusion を「矛盾する強力な証拠があるにもかかわらず誤った信念をずっともちつづけること。とくに精神障害の一症候群として」と定義している。

禅とオートバイ修理技術の、著者であるロバート・M・バーングが、「ある一人の人物が妄想にとりつかれているときは、精神異常と呼ばれる。多くの人間が妄想にとりつかれているとき、それは宗教と呼ばれる」と述べているが、私はこちらを採りたい気持ちがする。

以上、そのようである。
私も、そう思う。

このエッセイでは、日本の伝統、古神道に行き着くべくの、エッセイである。
それは、宗教ではなく、実に、宗教的である。
日本には、宗教という、概念が無い。それは、つまり、日本には、宗教が無いということである。

欧米の宗教学を持って、宗教を論じるのは、かまわないが、日本の伝統を、その枠で、語ることは、出来ないということを、言うための、エッセイを書いている。

お解りか。

日本人には、宗教は、必要無いのである。
しかし、何故、こう多くの宗教が成り立っているのか。
日本の、宗教団体は、商売だからである。
故に、十分、成り立つ意味がある。

お解りか。
商売である。
宗教法人とは、株式会社と、同じように、経営の形態なのである。

お解りか。
アホ、ども。

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コメント (1)

佐橋:

マリリン・マンソンという、アメリカのヒットチャートを賑わせているロックミュージシャンがいます。
彼はカソリック系の高校に通わされ、神の正義やハルマゲドンについて嫌という程講義されました。
彼にとってそれはブログのこの項の冒頭で言われる様に、まさしく居心地の悪いものでしかなく、睡眠時の悪夢の元にしかなりませんでした。
そして彼は大人になって「アンチクライスト・スーパースター」と自らを定義付ける様になりました。
ビジネス・名声の上では成功しましたが、その心の傷・痛みはどれ程のものだったのでしょうか。
結局、宗教が人に居心地の悪い思いをさせることはいくらでもあるのですね。

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2008年02月18日 00:17に投稿されたエントリーのページです。

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