ダライ・ラマ14世は、非暴力である。
そして、それを、チベット人に訴えている。
中国政府は、三千人体制で、電子メールなどを監視し、チベット側に、偽情報を流している。
更に、中国政府の出す、チベット情報は、皆、操作されたもの。
チベット僧侶、若者などが、暴力的であることを、示す映像のみ、公開する。
最初に、デモの僧侶に、攻撃を仕掛けたのは、軍である。
自分たちの、都合の良いことには、手段を選ばないのである。
共産主義とは、そういうものである。
理想の、共産主義実現までは、それも、許されると、考える、アホが、共産主義者である。
大いに、笑う。
チベット自治区の、ジャーナリストたちには、報道の自由などない。
ところが、これほど、インターネットが普及している。
情報は、漏れる。
チベットの、若者を、中心にして、これが最後の戦い。
これが、最後のチャンスだと、感じている。
東ドイツ崩壊、ソ連崩壊と、共産国の崩壊は、実に、鮮やかに行われた。
現在というものも、歴史の中にある。
現在は、歴史の外にあるのではない。
良質な情報は、将来を占う情報になる。
今は、世界の情報を、手に入れられる。
反日原理主義でなければ、真実を、見極めるのである。
チベット問題も、情報戦になる。
五輪と共に、経済崩壊、そして、国内分断。
共産党政権の嘘八百を、人民は、見ている。
単なる、支配者層の、生活のために、利用される人民である。
共産党幹部が、行っている、様々な、利権の有り様を、見ている。
国内騒乱は、すでに、始まった。
巨大ダムの、決壊は、一瞬のうちにして、起こる。
共産党政権の、取るべき方法は、一つ。暴力である。
軍を、全土に配備しての、徹底支配の様を、見せ付ける。
国際社会は、改めて、中国共産党の、有様を、認識する。
チベットを、きっかけに、北から、南から、そして東から、中央が、追い詰められる。
まさかが、まさかではなくなる。
歴史を見れば、一目瞭然である。
歴史を、上下左右から見る、訓練をするべきである。
すべての、人間の問題は、歴史に書かれてある。
そして、その答えも、歴史に書かれてある。
その、答えは、しかし、無常である。
日本の歴史は、もののあわれ、である。
歴史を、作るものは、血の流れた人間であることを、日本人は、知っている。
主義や、主張ではない。
理屈ではないということ。
だが、アホは、思想、言葉が先だという。
違う。
歴史は、人間の祈りにあるという。
祝詞である。
日本人は、御祭りをして、祖先を崇敬し、祈りつつ、国造りを成してきた。稀にみる国である。
改めて、天皇の存在の、重大さを、知る。
祈りの存在の象徴である。
島国である、日本は、チベットの悲劇を、理解するには、相当な、歴史認識が必要である。
道端に座る、若者に、日本の歴史を、語りたくなる、私の気持ちを、理解して、もらえるだろうか。
私という、我を、認識するのは、歴史なのである。
歴史とは、私の心の内にあるのである。