その夜の月のいみじう明かくすみで、ここにもかしこにもながめ明かして、つとめて、例の御文つかわさむとて、宮「童参りたりや」と問はせたまふほどに、女も霜のいと白きにおどろかされてや、
女
手枕の 袖にも霜は おきてけり 今朝うち見れば 白妙にして
と聞こえたり、ねたう先ぜらぬるとおぼして、宮「つま恋とおき明かしつる霜なれば」とのたまはせつる、今ぞ人参りたれば、御気色あしうて問はせたれば、「とく参らで、いみじういなむめり」とて、取らせたればもて行きて、童「まだこれより聞こえさせたまはざりけるさきに召しけるを、今まで参らずとてさいなむ」とて、御文取り出でたり。宮「よべの月はいみじかりしものかな」とて、
宮
寝ぬる夜の 月は見るやと 今朝はしも おきいて待てど 問ふ人もなし
げに、かれよりまづのたまひけるなめりと見るもをかし。
その夜の月は、大変、澄んでいて、女も、宮様も、眺め明かして夜を過ごしました。
その翌朝、宮様は、御文を使わそうと、「童は来ているか」と、おたずねになりました。その時、女も、霜が降りているのを、目覚めてみました。
女
たまくらの そでにもしもは おきてけり けさうちみれば しろたえにして
私の、手枕の袖にも、夜を起きていましたので、涙が、霜になっておりました。
今朝見ますと、真っ白です。
と、申し上げました。宮様は、女に先を越されて、悔しいと思われ
妻と思います、あなたが、起き明かした夜の霜ですから、真っ白になったのでしょう。
と、仰せになります。
そこへ、やっと、童が、参りました。宮様は、機嫌悪く、詰問しました。
すると、童は「早く、参上しなかったので、責められるらしい」と思い、御文をわたすと、女の家に持って行き、
「まだこちらから、お歌を差し上げません前に、宮様からお召しがありましたのに、今まで、参上しなかったのは、どうしたのだと、私をお責めになります」と、御文を、取り出しました。
「ゆうべの月は、見事でした」
と、書かれて、
宮
ねぬるよの つきはみるやと けさはしも おきいてまてど とふひともなし
共に、寝た夜の月を、あなたは先夜寝て見ませんでしたか。見ていられるのかと、思い、今朝は、置き通して、待ちましたが、お便りも、ありません。
なるほど、宮様の方から、先に、お歌を、下されたらしいと思うと、嬉しく思いました。
女
まどろまで 一夜ながめし 月見ると おきながらしも 明かし顔なる
と聞こえて、この童の「いみじうさいなみづる」と言ふがをかしうて、端に
女
霜の上に 朝日さすめり 今ははや うちとけにたる 気色見せなむ
いみじうわびはべるなり」とあり、宮「今朝したり顔におぼしたりつるも、いとねたし。この童殺してばやとまでなむ。
宮
朝日影 さして消ゆべき 霜なれど うちとけがたき 空の気色ぞ
とあれば、女「殺させたまふべかなるこそ」とて
女
君は来ず たまたま見ゆる 童をば いけとも今は 言はじと思ふか
と聞こえさせたれば、笑はせたまひて、
宮
ことはりや 今は殺さじ この童 忍びのつまの 言ふことにより
手枕の袖は忘れたまひにけるなめりかし」とあれば
女
人知れず 心にかけて しのぶるを 忘るとや思ふ 手枕の袖
と聞こえたれば、
宮
もの言はで やみなましかば かけてだに 思ひ出でましや 手枕の袖
女
まどろまで いとよながめし つきみると おきながらしも あかしかおなる
少しの間も、私は、まどろまずに、月を眺めていました。
その月を、起き明かして、御覧になったような、お顔をしておいでです。
本当でしょうか。
と、申し上げて、使いの童が、「いたく、責められました」というのが、おもしろく、紙の端に
女
しものうえに あさひさすめり いまははや うちとけにたる けしきみせなむ
霜の上に、朝日が射しているようです。
霜の解けるように、ご機嫌も、よくなられて、打ち解けた、ご様子を、お見せしてやってください。
童は、いたく、しおれています、と、書きました。
宮様からは、「今朝は、あなたが、いかにも、得意になっているのが、口惜しいく、この童を、殺してやりたいと、思っていたのですが。
宮
あさひかげ さしてきゆべき しもなれど うちとけがたき そらのけしきぞ
朝の、日差しがあって、消える霜ですが、中々消えそうにない、空の気色です。
私の怒りは、消えません。
と、書かれてありました。
女は、「殺しになる、おつもりとは」と、思い、
女
きみはこず たまたまみゆる らわべをば いけともいまは いはじとおもふか
時々に、文の使いをする、童を、生かしておいて、文の使いをせよとも、もはや、仰せでありませんか。
と、申しますと、宮様は、笑って
宮
ことはりや いまはころさじ このわらべ しのびのつまの いふことにより
そうです。この童は、もう、殺しません。
忍びの妻の、言うように。
手枕のことは、お忘れになりましたか。
と、書かれてありましたので、
女
ひとしれず こころにかけて しのぶるを わするとやおもふ たまくらのそで
人知れず、心にとめて、忍ぶことを、あの、忘れがたい、手枕の袖を、忘れたと、思われるのでしょうか。
と、申し上げますと、
宮
ものいはで やみなましかば かけてだに おもひいでましや たまくらのそで
私が、言わずに過ごしていましたら、あなたは、手枕の袖のことなど、思い出しも、しないでしょう。
当時の、文のやり取りの様を、見るものである。
宮は、女を、妻と、呼ぶ。
妻は、愛する人。愛人。
契った相手。
妻も、夫も、ツマという。
忍ぶ妻、ともいう。
隠し妻。隠し恋人である。
当時、二人の関係は、大変な噂になっていた。
それと、共に、二人の関係は、次第に、燃え上がる恋に、身を任せるのである。