女
高瀬舟 はやこぎ出でよ さはること さしかへりにし 蘆間わけたり
と聞こえたるを、おぼし忘れたるにや、
宮
山べにも 車に乗りて 行くべきに 高瀬の舟は いかがよすべき
とあれば、
女
もみぢ葉の 見にくるまでも 散らざらば 高瀬の舟に なにかこがれむ
とて、その日も暮れぬればおはしまして、こなたのふたがれば、忍びていておはします。
女
たかせぶね はやこぎいでよ さはること さしかへりにし あしまわけたり
高瀬舟を、早く漕いで、お越しください。差し支えがありました、蘆の間は、取り片付けています。
と、申し上げ、宮様は、お忘れになったのでしょうか。
宮
やまべにも くるまにのりて ゆくべきに たかせのふねに なにかこがれむ
山の紅葉を見に行きますのも、車で行きますのに、高瀬舟と、言われても、山に近づけるには、どうすれば、いいのでしょう。
と、詠んでこられたので、
女
もみぢばの みにくるまでも ちらさらば たかせのふねに なにかこがれむ
山の紅葉が、散らずに待っているならば、ともかく、どうして、紅葉を恋焦がれましょうか。高瀬舟で、行くなど、できません。
焦がれている、私の元に、お出でください。
と、お返事しますと、その日の、夕暮れに、お出でになり、女の家が、方、塞がりなので、女を、外に連れ出しました。
方塞、かたふたがり、とは、方位が、悪いという意味。
女の家が、その日は、悪い方位に当たる。
当時は、方違、かたたがい、という、悪い方位を、吉に変えるために、別な方角に、一度行き、そこから、相手先に、向かうという、方法もあった。
このごろは四十五日の忌みたがへせさせたまふとて、御いとこの三位の家におはします。例ならぬ所にさへあれば、女「見苦し」と聞こゆれど、しひていておはしまして、御車ながら人も見ぬ車宿に引き立てて、人らせたまひぬれば、おそろしく思ふ、人しづまりてぞおはしまして、御車にたてまつりて、よろづのことをのたまはせ契る。
このごろは、宮様が、四十五日の、方違をなさるということで、御いとこの、三位の家に、おいでになりました。
いつもの所と、違う場所であり、女は「見苦しゅうございます」と、言った。
宮様は、無理に、女を、人目のつかない、車宿に、連れました。
宮様は、一人で、御宅に入り、女は、恐ろしく思いました。
人が、寝静まってから、宮様は、お出でになり、御車に乗って、色々なことを、話、契りました。
心得ぬ宿直のをのこどもそけめぐり歩く、例の右近の尉、この童とぞ近くさぶらふ。あはれにもののおぼさるるままに、おろかに過ぎし方さへくやしうおぼさるるも、あながちなり、明けぬれば、やがていておはしまして、人の起きぬさきにといそぎ帰らせたまひて、つとめて、
宮
寝ぬる夜の 寝覚の夢に ならひてぞ ふしみの里を 今朝は起きける
御返し
女
その夜より わが身の上は 知られねば すずろにあらぬ 旅寝をぞする
と聞こゆ。
様子のわからない、宿直の、男たちが、歩いています。
例のように、右近の尉と、童が、車の近くで、お仕えしていました。
宮様は、あはれにもののおぼさるるままに、
しみじみとした、思いに誘われる女に対して、いい加減に、接してきたことを、悔やまれました。また、そう思うことすら、勝手なものだと、思われます。
夜が明けますと、宮様は、女の家まで送ります。
お邸の方が、起きないうちにと、急いで帰られました。
朝のうちに
宮
ねぬるよの ねざめのゆめに ならひてぞ ふしみのさとを けさはおきける
共寝をした夜以来、寝覚めがちな、夢に慣れてしまいました。伏見の里ですが、今朝は、臥すことなく、起きてしまいました。
お返し
女
そのよより わがみのうえは しられねば すずろにあらぬ たびねをぞする
お逢いしました、その夜から、私の身の上は、どうなることか、解らなくなりました。
まさか、とんでもない、外泊をするなどとは、思いませんでした。
と、申し上げました。
あはれにもののおぼさるるままに
あはれ、に、ものの、おぼさるる、ままに
憐れに、物を、覚えるが、如く、となる。
心に深く、思うこと、感じる、ことなのである。