北朝鮮による、拉致被害者の、救出に、何故、もっと真剣に取り組まないのか。
政治家が、命懸けで、やらないからである。
人類史上、最悪の国家である、北朝鮮は、非人道的というよりも、悪魔の国である。
すでに、数百万の、人が、政治的殺害の犠牲になっているのである。
金日成時代だけで、170万人近くの、人民が、殺された。
牢獄のような、国に、閉じ込められて、貧困と、政治的圧力に、瀕しているのは、2000万人である。
共産主義というものの、実体が、解るというものであるが、アホな、日本の共産主義者は、解らないようである。
何故、国際社会が、圧力をかけないのか。
金にならないからである。
北朝鮮は、核開発を、止めることを、条件に、あろうことか、体制の保障を、求めているのである。
仰天する。
非人道極まりない、国家の体制を、保障しろというのである。
拉致被害者の、解決は、北朝鮮の崩壊であり、何より、最悪の支配体制から、2000万人の人民を、救うことができるのである。
平和とは、何か。
それを、問うことが、拉致被害者、救出の問題である。
日本の政治家に、それを、期待するのは、無理だと知っている。
しかし、言わずには、いられない。
ミサイルが、飛んでこなければ、平和であるのか。
更に、問題は、北朝鮮の体制維持をして、平和であるということは、北朝鮮の人民を、犠牲にするという、問題である。
つまり、間接的に、北の人民の命を、脅かしているということにもなる。
拉致被害者、救出に、全力を挙げて取り組めば、独裁体制の、崩壊を、招き、2000万人の人民を、解放することになるのである。
勿論、人のことなど、どうでもいいと、思う日本人になっているので、期待はしない。
北朝鮮の人民は、現在の体制に、縛られているより、日本の統治を、望むだろう。
それほど、酷いのである。
共産主義は、支配層主義であるから、徹底した、支配者層の、保護である。
それ以外は、物である。人間ではない。
この、絶対主義は、宗教と、同じである。
いかに、主義というものの、悲劇性が、解るというものである。
平和とは、何か。
平和を、確保するために、至る所で、戦争、紛争が、起こっている。
日本は、島国であるから、それを、理解するのは、至難の業である。しかし、今、目覚めなければ、後が無い。
敗戦後、日本が、分断されなかったことは、奇跡的である。
それほど、日本は、運がいい。
あえて言えば、祖先の守り、神の守りがあったというしかない。
拉致被害者の家族の会が、国家的な、運動になることを、希望する。
それが、アジアの平和に、大きく貢献することは、絶大である。
隣の人民が、塗炭の苦しみにあること、こんな、憐れなことはない。
戦争が無いことが、平和なのではない。
平和とは、後ろ向きのことではない。前向きの、行動をこそ、平和という。
日本には、平和という、思想が、育たないのである。
武器を、捨てることが、平和だと、真剣に信じているアホが、大勢いるのである。
馬鹿と、アホは、使いようだと、昔の人は言った。
凶悪犯を、威嚇する、犯罪を、止めさせる、使いようで、如何様にも出来るものである。
核廃絶を、願うことが、平和運動だと、まだ、信じているアホがいる。
武器も、核兵器、いくらあっても、いい。
それを、どのように、使うかである。
在る物を、消滅させることほど、愚かなことは無い。
在る物を、有効利用することである。
新しい、平和の思想が、必要である。
秀吉の、刀狩の時代を、まだ、生きている人々。憐れである。