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もののあわれについて 202

北の方の御姉、春宮の女御にてさぶらひたまふ。出にものしたまふほどにて、御文あり。女御「いかにぞ。このごろの人の言ふことはまことか。われさへ人げなくなむおぼゆる。夜の間にもわたらせたまへかし」とあるを、かからぬことだに人は言ふとおぼすに、いと心憂くて、御返、北の方「うけたまはりぬ。いつも思ふさまにもあらぬ世の中の、このごろは見苦しきことさへはべりてなむ。あからさまにも参りて、宮たちをも見たてまつり、心もなぐさめはべらむと思ひたまふる。迎へにたまはせよ。こりよりも耳にも聞き入れはべらじと思ひたまへて」など聞こえさせたまひて、さるべきものなどとりしたためさせたまふ。


北の方の、姉君は、春宮の女御として、お仕えになっていました。
里帰りをされたとき、北の方へ、お手紙を書かれました。
「どうして、お過ごしですか。この頃、人が噂をしていることは、事実ですか。
私までが、人並み以下に、見られているようえな気持ちです。夜にでも、こちらに、お越しください」とありました。
このようなことでなくても、噂をしますのに、更に、どのようなことを言っているのかと、大変、辛い思いがします。
お返事に「お手紙拝見しました。いつも通りに、私たちの仲は、この頃、特に、見苦しいものです。少しでも、お逢いして、若宮様たちの、お顔も、拝見して、心を慰めたく思います。迎えをよこしてください。私の方からも、宮様が、何かおおせになっても、耳に入れず、出掛けようと思っています」などと、申し上げて、里帰りに必要なものを、調えさせました。


むつかしき所などかきはらはせなどさせたまひて、北の方「しばしかしこにあらむ。かくていたればあぢきたなく、こなたへもさし出でたまはぬも苦しうおぼえたまふらむ」とのたまふに、女房「いとぞあさましきや。世の中の人のあさみきこゆることよ」「参りけるにも、おはしまいてこそ迎へさせたまひけれ。すべて日もあやにこそ」「かの御つぼねにはべるぞかし。昼も三たび四たびおはしますなり」「いとよくしばしこらしきこえさせたまへ、あまりもの聞こえさせたまはねば」などにくみあへるに、御心いとつらうおぼえたまふ。さもあらばあれ、近うだに見聞こえじ」とて「御迎へに」と聞こえさせたまへれば、御せうとの君たち、「女御殿の御迎へに」と聞こえたまへば、さおぼしたり。


見苦しく、汚いところを掃除させて北の方は「しばらく、里へ参ります。このままでいては、何とも味気なく、宮様も、私の部屋へ、お出でになりませんことを、心苦しく思っているでしょう」と、仰せになります。
女房は「ひどく呆れました。世間の人が、宮様を、悪し様に申し上げています」「女が、邸に参りましたときも、宮様は、お出かけになられて、女を、迎えられました。何もかも、すべてが、まぶしくて、見られませんでした」「あの、お部屋に住んでいるのです。宮様は、昼間でも、三度も、四度も、通われます」「しばらく、宮様を、懲らしめることです。あまりに、ご無沙汰が、過ぎています」なとど、各々、言いたいことを言います。
北の方は、心辛く思われました。
「もはや、どうなっても、かまいません。お逢いして、お話をする気にもなりません」と、思われました。
「迎えに来てください」と、申し上げてありましたので、ご兄弟の方が、「女御さまからのお迎えです」と、言ってこられましたので、先に、頼んでいた車が来たと、思われました。


御乳母、曹子なるむつかしきものどもはらはらするを聞きて、宣旨「かうかうしてわたらせたまふなり。春宮の聞こしめさむこともはべり。おはしましてとどめきこえさせたまへ」と聞こえさわぐを見るにも、いとほしう苦しけれど、とかく言ふべきならねば、ただ聞きいたり。聞きにくきころ、しばしまかり出でなばやと思へど、それもうたてあるべければ、ただにさぶらふも、なほもの思ひたゆまじき身かなと思ふ。


御乳母が、部屋にあるものを、掃除しているのを聞いて、宣旨が「これこれの理由で、北の方は、お移りになるようです。春宮さまの、お耳に、入ることも、心配です。お出でになって、留まるように、仰せ下さい」と、騒がしく、宮様に、申し上げているのを、見るにつけ、女は、気の毒で、心苦しく思いましたが、自分から、何か言うべきではないと、黙って聞いていました。
聞きづらい話は、退出したいと思いますが、それも、気まずく、そのままに、お仕えしていました。
それにしても、私は、何と、物思いの、絶えない者なのかと、思いました。


宮入らせたまへば、さりげなくておはす。宮「まことにや、女御殿へわたらせたまふと聞くは、など車のことものたまはぬ」と聞こえたまへば、北の方「なにか、あれよりとてありつれば」とて、ものものたまはず。
宮の上御文書き、女御殿の御ことば、さしもあらじ、書きなしなめり、と本に。


宮様が、北の方の部屋に行きました。
「本当ですか。女御さまの所へ、お出でになると、聞きましたが。何故、車のことなど、言わなかったのですか」と、仰せになりました。
北の方は、「いいえ、あちらからと、言って、お迎えがありましたので」と、仰せられて、あとは、何も、ものを言いませんでした。

宮の北の方の、お手紙や、女御さまのお言葉は、実際には、このようなものではなかったと、思われます。
作り書きのようでも、あります。
もとの、本には、記されてあります。


日記は、ここで、終わる。

和泉式部の生涯は、まだ、続くのであるが、この日記は、ここまでである。

一つの恋の、はじまりと、そして、終わり。
この後、和泉式部は、この宮とも、死別するのである。

平安期の、王朝文学の、只中にいて、和泉式部は、生きた。
彼女に、相応しい時代だった。
それが、救いでもある。
自由恋愛の空気が強く、人の口に上っても、それは、それで、物ともしない和泉式部である。

恋と、知性に、生きる女の姿を、見るものである。
恋は、感性であると思うが、彼女は、知性が、勝っていた。

平安期の、日記文学は、後に、日本の文学に、随筆文学の元になり、私小説という、分野に至る基にもなる。
また、和歌文学も、最も栄えた時代である。
当時の、貴族社会では、必須の、たしなみであった。

あらゆること、和歌に託すことが、できなければ、ならなかった。
口に出る言葉が、和歌になったといって、よい。

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2008年05月06日 08:33に投稿されたエントリーのページです。

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