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慰霊旅日記。4

バンコクへの、帰りのバスは、エアコン高速バスである。
98バーツ。ミニバスより、ずっと安い。

ソンテウが、バスターミナルに到着して、チケットを求めると、15分でバスが出るという。
とっても、効率のよい時間配分であった。
それもこれも、あの、バイクのおじいさんの、お蔭である。

タイ人というのは、実に、優しい。特に、田舎に行くと、そうだ。
都会のタイ人は、バンコクのことであるが、残念ながら、狡すからい。
兎に角、観光客には、ボルのである。タクシーは、もとより、ソンテウ、トゥクトゥクという、乗り物に至るまで。

バンコクには、多くの田舎から、出稼ぎ、また仕事を求めて、出てくる。
何人かの、イサーンの出身の人に聞いた。
騙され続けたという。
騙されて、子供まで産み、その子を、田舎に置いて、働いている者もいる。

一人の女は、言った。
バンコクの男は、セックスだけは、上手だが、後は、何も無い。
信じることは、できない、と。

矢張り、イサーン出身の、ボーイに尋ねた。
何が目的かと。
お金だと、言う。
金さえあれば・・・である。

この旅は、南部タイに行く予定だが、そこで聞いた話は、タクシン元首相が、遊説に来たら、殺すという人の多いことだった。

それは、後で書く。

エアコン高速バスは、乗り心地が良かった。
あっという間に、バンコクに着いた。
そこから、タクシーに乗り、宿のある、カオサン通りの外れに行く。
最初のタクシーからは、断られた。
場所が、解らないということだった。しかし、私たちが、地図を広げると、解ったようで、200バーツで行くと言う。
私は、即座に、断り、前にいた、トゥクトゥクに、交渉した。
100バーツで行くと言う。
本当は、それでも、高い。地元の人なら、半額である。

カオサン近くのゲストハウスに、戻った。
最初のゲストハウスは、一泊、300バーツであった。約、千円である。二人での料金である。
ところが、一泊しか、予約しなかった。そのまま、そこにと思ったが、部屋が空いていないということで、探したゲストハウスが、一泊、600バーツだった。約二千円である。

エアコン、温シャワーで、ダブルベッドである。
部屋は新しい。
おばさんの、呼び込みで、決めた。
心地よい部屋だった。二倍の料金だけはある。

こうして、私は、この年で、安宿に泊まるという、楽しみを覚えた。
普通のホテルでも、大層な部屋である。特に、観光客は、高級ホテルに泊まる。
泊まるために、大金を使う趣味はない。

そして、何より楽しみなのは、タイマッサージである。
一時間、200バーツが相場だ。約、700円。
いつものことだが、下半身、足のマッサージが、巧い。
ゲストハウスの前の、マッサージ店に入った。

一時間のマッサージを受けて、終わる頃、マッサージ嬢から、オイルマッサージを勧められる。
それが、実に、上手に勧める。
次は、オイルマッサージね。
えっ、と、思うが、巧いので、頷いてしまう。

二階に、連れられて、一つの部屋に入る。
個室で、全裸になる。
これが、気持ちよい。

うつ伏せになり、足裏から、オイルマッサージが、はじまる。
うっとりとして、快感である。
本当は、オイルマッサージが、嫌いであるが、指圧のように、押しつつ、進むので、納得する。

仰向けになり、股間を、タオルで、覆って、全身である。
これは、若い男なら、生殺しである。
どうしても、股間が、反応するだろう。

ただし、通常のマッサージ店では、それは無い。
しかし、である。客によっては、マッサージ嬢が、勧める。
反応していたら、確実であると、思う。
千バーツで、抜くというものだ。

その手の、マッサージでは、四千バーツ程度が、相場であるから、千バーツは、安い。
ただし、五分と、言われる。
五分以上になると、追加料金が掛かるのだろうか。
私は、経験していないので、解らない。

内緒で、五分で、云々と、言われて、私は、友達が、待っているから、明日来ると、言った。すると、明日の何時頃かと、聞かれる。明日は、南部タイに行く予定であるが、夕方と言った。すると、夕方の何時かと、問われる。
営業熱心である。
六時半と、言うと、納得した。
勿論、その時間は、船の中だった。

野中も、同じように、足マッサージをして、終わると、タイマッサージに、誘われて、丁度、マッサージの途中である。

野中は、私との関係を、根掘り葉掘り、聞かれたらしい。
それは、マッサージ嬢が、野中を狙っていたからである。
若い日本人の男は、カモになる。

日本では、社長だが、タイに来た時は、友達らなるというと、二人は、ゲイかと、聞いたらしい。
どちらが、どっち役をするのだと、詳しく詮索する。

タイでは、ゲイというのは、当たり前の感覚である。
カトゥアイという、女装男性が、市民権を持つ国である。

野中は、何と、本当は、カトゥアイだと、言ったというから、笑った。
それで、嬢と、仲良くなり、夜には、地元の人が買出しに行く、市場にまで、連れて行ってもらい、お土産まで、貰った。

南部に行くと言うと、南部は、物価が高いからと、色々と、お菓子や、何やら持たせてくれた。
とてつもなく、甘いお菓子で、一度口にして、そのままになり、ついに、バンコクに戻る時には、捨ててしまった。

鼻のもげるような、辛さという感覚があるが、舌が痺れるほどの甘さである。
何せ、緑茶に、砂糖を入れる国である。

苦味の中にある、緑茶の甘さというものを、理解出来ないのである。
つまり、大雑把な、味覚なのである。

勿論、野中は、私が寝た後で、出掛けていた。

ついでに、タイの新年の御祭り、ソンクランについて書く。
夜中にバンコクに着いて、翌朝、私は、コーヒーを飲むために、ミニホテルに出た。
そして、朝の屋台の準備の中を、水を買いに歩いた。
すると、鉄砲水を掛けられた。
見ると、じいさんである。

水鉄砲を持って、ヒューヒューと、私に掛けてくる。
最初は、頭のおかしな人かと、思ったが、それが、次第に、誰もが、水を掛けるようになる。
そして、昼である。
歩いていると、突然のように、水を掛けられる。
しまいに、バケツで、水を掛ける者もいる。
更には、背中に、タンクを負い、機関銃のような水鉄砲で、誰彼かまわずに、水を掛ける。

歩ける状態ではない。
何と、欧米人たちも、それを楽しんで、やるのだ。
驚いたのは、泥を、擦りつけられた。

要するに、水を掛けるという意味で、祝うという、行事なのである。
それは、チェンマイから、始まったと言われる。

毎年、タイ全土で、死者五百名を、越えると言われる。
泥酔して、車に乗り、事故死するから、はじまり、水水水で、川に、泥酔して、飛び込み、そのまま、あの世に行く者もいるという。

私が、カンチャナブリーに行く日は、バンコクだけでも、百名の死者が、出たと、旅行代理店の女が言った。

死ぬまで、やらなくてもと、思うが、誰も、止められない。

カンチャナブリーでも、子供たちに、バケツで、水を掛けられそうになった。
その時、「私は、王である」と、言って、止めさせた。

突然、浮かんだ言葉である。
タイは、王様崇拝の国であるから、突然出た。

汗だくの上に、水では、たまらない。

タイ市民の、無礼講の日なのであろう。
一年の、憂さ晴らしをするのである。

仏様に、水を掛けて、祈願するという作法が、この水掛祭りに、発展したと思える。
四月は、仏陀誕生の月である。
潅仏会というように、日本でも、仏様に、甘茶を掛ける、注ぐのである。

それにしても、私は、Tシャツ二枚も、水を掛けられた。

その、ソンクランが、夏の始まりである。
タイは、凄く暑いのと、暑いのと、少し暑い、という季節感である。

東北部や、北部では、寒い季節もあるが、矢張り、タイは、熱帯地域である。

次からは、ソンクランは、避けたいと思う。

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2008年05月02日 06:59に投稿されたエントリーのページです。

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