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慰霊旅日記7最終回

バンコクに、着いたのは、昼である。
日本行きの便は、翌朝の、六時出発であるから、実に、中途半端な時間である。

朝、三時から、受け付けであるから、ホテルを取っるべくもない。
私たちは、スクンビット通りに出た。
そこで、夜まで過ごすつもりである。

まず、昼の食事に、イタリア料理を選んだ。
その通りには、高級ホテルが多く、レストランも、高級である。勿論、地元の人の行く、食堂も多々ある。

突然、野中が、イタリア料理を食べたいと言うので、少しばかり、高級にレストランに入った。
だが、少しばかりではなく、相当な、値段だった。

今までに無い、料金の料理を食べた。
クリームパスタと、ピザである。
800バーツ以上を、支払った。サービス料と、税金もかかっていた。
約、2600円ほどの料金である。
タイでは、高い食事代だった。

味は、満足した。
しばらく、その涼しい店内にいた。

さて、どうするか。
私は、二時間300バーツの、マッサージを受けることにしていた。
野中は、町の中で、色々と、調べることがあるという。
私たちは、レストランの前で、別れた。

まず、バスに乗ってみたく、私は、バス停の前に立った。
地図を見て、そのマッサージ店に行くべく、その方向のバスに乗ろうと思った。

一人の大学生が立っていた。
私は、地図を示して、彼に尋ねた。
すると、片言の日本語を、喋るのである。

兄と、姉が、日本に留学しているということだった。
彼は、アメリカに留学するという。
家柄の良い男の子だったのだ。

そして、何と、彼は、私のために、一緒にバスに乗った。
私を、降ろすために、乗ったのである。

私は、次の停留所で、降りて、それから、高速鉄道に乗るべきだと言う。
地下鉄ではなく、地上鉄である。
バスに乗り、高速鉄道に乗るというのは、初めての体験である。

車内で、お別れを言い、私は、高速鉄道の駅に向かった。
さて、切符の買い方が、解らない。
受付に行き、行き先を告げると、簡単に教えてくれた。
切符を買って、次は、どちらの階段を上がるのかと、通る人に尋ねると、わざわざ、日本人の若者が、声を掛けてくれた。
「日本人ですね」「はい」変な問答である。
行くべき、電車の階段を教えてくれる。

難なく、電車に乗り、私は、目指すマッサージ店に向かった。

そのマッサージ店は、目の不自由な人の、社会参加を支援するというもので、ある雑誌に載っていたのである。
ところが、辿りついて見ると、店名が、違う。しかし、地図に有る場所である。
表の、看板の内容を見ると、料金などは、お知らせの通りであるから、私は、安心して入った。

受付で、タイマッサージ二時間と言い、300バーツを支払う。
案内された部屋に、ガウンがおかれて、案内の女性から、シャワーを浴びるように言われた。
そのまま、シャワーを浴びて、ガウンを着る。

ベッドに、体を横たえていると、マッサージ嬢が入ってきた。
まず、足裏からはじまった。
が、いつもと、違う。
下手糞なのかと、思った。
しかし、女性は、適当に英語で会話しながら、続ける。

何となく変だと、思い始めたのは、30分程度を経てからだ。
ガウンの裾を、持ち上げる。
下半身が、晒される。

どうも、マッサージのようであり、そうでないような気分である。
そして、彼女の口から、とんでもない言葉が、飛び出した。
ここには、それを、書けない。

失敗したと、思った。
目の不自由な人の、云々ではなかったのだ。
明らかに、性処理を目的とする人のための、マッサージ店だった。

その情報は、名立たる、有名旅行案内本に、書かれてある。
取材した時は、そうであったのかもしれないが、今は、全く違っている。

私は、マッサージオンリーと、言い、二時間を、心地悪く過ごした。
そして、女性に、チップを、いつものマッサージの何倍も払った。
彼女は、マッサージ嬢ではなく、別の目的のための、女性なのだ。
それで、利益を上げているのである。

二時間、彼女は、私の体を、撫でるようにして、歌を歌い続けた。
彼女の出身地の、民謡から、タイ演歌から、日本の演歌等々を、低いが、美しい声で、歌った。
私は、マッサージより、その歌声に、癒されたようである。

以前、バンコクで、男性の性処理マッサージの雑誌広告を見ていたから、料金が、4000バーツと、知っていた。
私は、1000バーツという、チップを払い、早々に、店を後にした。

疲れた。
変な気分の疲れである。

売春を私は、否定しないし、それで、生活する人のことも、理解する。
児童買春以外は、れっきとした、仕事である。
堂々として、営業していいのである。
ただ、それを求める人には、である。

バンコクは、人種の坩堝である。
性病、エイズなどの、病に十分注意して、行為すると、いい。

その、旅行案内書の、新装版を買い、まだ、そのような情報の場合は、投稿して、お知らせしたほうがいいと、思った。

野中との、待ち合わせの、ホテルに向かった。
帰りは、地上鉄道一本で、戻ることが出来た。
次の来たときは、使い方が、解ったので、安いし、利用しようと思った。それが、唯一の、成果である。

あの、親切な大学生と、住所交換でも、しておけばよかった。

野中と、お茶を飲み、少しエアコンの効いた店で、涼んだ。
その付近は、黒人が多いということで、面白そうだという。
私も、興味があったので、その付近を、回ることにした。

何と、アフリカ町のようであり、更に、イスラム圏の町もあった。
驚いた。
一軒の飲み屋に入った。
黒人ばかりである。
皆、テレビで映画を見ていた。

少し、疲れたので、近くのゲストハウスで、休みたいと思い、野中と一緒に、探した。
一時間、300バーツであるが、それ以上は駄目。一泊だと、500バーツという。
それならば、マッサージを一時間しても、同じ料金である。と、私は、フットマッサージをすることにした。

何と、199バーツというマッサージ店があった。
早速、そこに決めて入った。
野中は、また、ぶらぶらすると言う。

その、足マッサージが、最高だった。
若い女性は、イサーン出身である。何と、ノーン・カーイだと言う。
二月に、行ったというと、話が弾んだ。

終わる頃、野中がやって来た。
イスラム圏の町を歩き、一軒のレストランに入った。
イスラムの人々である。
バンコクの、懐の広さ、深さを感じた。

以下、バンコクで、詠んだ、歌を書いて、終わる。

カオサンの 喧騒はそれ 世界なり バンコクはまた 万国の集い

にわとりが 鳴く 都市に 響くとは タイの心の 響きと聴く

バンコクは 悪い人多し イサーンの女 騙され続け 十五年という

バンコクで 男の 子を産み 故郷へ あずけて働く イサーンの女

兄弟で 金を目指して バンコクへ 働けど なお 貧しくありて

小金持つ アホ日本人の クズ男 金にあかせて 女を替える

売春は よしも 児童は 罪なりて 断固としてと 我は言い切る

朝夕も 熱風の中 バンコクの 川の流れも 温泉に見ゆ


以下は、追悼慰霊にて詠む

清めたる 御幣を川に 捧げては 慰霊の思い ここに極まる

眺めては 幾歳月の 悲劇をば いかに納める 我が心かな

神も無く 仏も無くて 人の世は この世の地獄 確と知りたる

地獄とは この世以外に あることなし ミソも糞もの この世のこと

何ゆえに 今 追悼かと 問われては それ我のみが 知ることとなり

今せねば 後が続かぬ 国ゆえに 祈りて鎮め 平らけくかな

連合の 墓地静かにて 平らけく 彼の地の人へ 追悼の祈り

何事も 死者は口無し ただ黙す そこにあること 真実のみにて

何事も 生者は揺らぐ 死者はもう 揺らぐことなし 確くて定まる


名残にて 異国の朝に 歌を詠む 掃除する女 サワディーと笑う

しょうもなき 歌詠みて しょうもなき 人生 生きる 我しょうもなき

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2008年05月04日 18:26に投稿されたエントリーのページです。

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