サムイ島に、三泊して、スラー・ターニーに戻った。
そういえば、船である。
最初に乗った船は、伊勢丸だった。
伊勢湾を走っていた船である。
所々に、日本語が書かれてあり、最初は、自然に感じたが、野中が、これは、日本の船だと言うのを聞いて、唖然とした。
何と、伊勢神宮の地図まで載っているのである。
そして、帰りの船も、日本のものだった。
名前は忘れたが、救命胴衣、便所などの日本語が、残っていた。
タイに、払い下げられたものであろう。
ドン・サクという、港から、バスに乗り、スラー・ターニーの町に出る。
ホテルは、おおよその目安をつけておいた。
バスは、時々停車して、お客を降ろした。
私たちは、いつ降りていいのか解らない。
何度目かの時に、車掌に尋ねられたので、ホテルの名を言うと、降りろと言う。
そこから、トゥクトゥクに乗って、行けと言って、トゥクトゥクを、つかまえてくれた。
ホテルは、一泊、400バーツである。
安い。広い部屋で、エアコンが効き、快適である。
ここに、二泊して、バンコクに戻ることにした。
タイは、日本の、1,5倍の広さがある。
タイといっても、広いのだ。
南部タイの料理は、醤油ベースで、実に、口に合う。
普通、屋台の食事の定番は、麺類だが、スラー・ターニーの、屋台の定番は、雑炊である。
お湯の中に、ご飯をいれて、好みの具を選んで入れる。
魚、エビ、イカ、鳥、豚、牛肉などある。
値段は、50バーツからである。約、170円程度。
それで、腹が一杯になる。
薄味で、スープの出汁は、入れた具で決まる。
あとは、好きな調味料を入れて、好みで、食べる。
麺には、米の麺もあり、冷麺に似た感触である。
きし麺のような形で、それを焼き蕎麦のようにして、食べる。
中国寺院や、福建省会館などあるので、中国系が多いのだろう。
料理も、それに、影響されている。
町の西側には、タピー川が流れていて、その川沿いに、屋台が多く、物売りの店も多い。
ホテルも、タピーホテルだった。
ホテル前の道から、一直線で、川に出る。
私たちは、川沿いに出た。
そこで、バナナや、パイナップル、そして、野中は、ドリアムという、名物果物を買った。
ドリアムという果物は、実に臭くて、しかし、美味であるとのこと。
の、ことと、いうのは、私は、食べなかったからだ。
臭すぎた。
川沿いの、地元の喫茶店に入った。
そこで、アイスクリームを注文する。
家族総出で、切り盛りしていた。
食べ終わり、そろそろ、帰ろうと、立ち上がると、そこの、女将さんが出て来た。
こんにちはー
日本語である。
英語も、ペラペラ。
どういう訳か、兎に角、話をしたがる。
そして、登場したのが、南無妙法蓮華経である。
驚いた。
聞けば、こういうことだった。
彼女の、母親が親しくしていた、日本女性がいた。タイ人と、結婚して、この地に来た。
その女性が、創価学会だった。
母親は、その女性に、勧誘、つまり、折伏されて、会員になった。
そして、お題目の書かれた、ご本尊を、お祭りした。
今、それを彼女が継いで、店の上二階に、ご本尊があると言う。
神仏は妄想であるで、詳しく書くので、簡単に言うが、タイという、仏教国に、日本語の、南無妙法蓮華経という、題目を伝える、教えるという、愚劣極まりないことをしているのである。日本の恥である。
彼女は、更に、方便品第二を、日本語で、唱えた。
にじせそんじゅうさんまい
私は、絶句した。
漢訳されたものを、漢語のままに読経して、平然としていてられる、神経である。
彼女に罪は無い。
教える者に、罪が有る。
更に、池田先生と言うのである。
きっと、日本人の私たちに、得意になって言ったのだろう。
笑顔で、聞くしかなかった。
本当は、タイの国の仏教が、ブッダに近いものですよ、と、教えたかったが、気分を害しては、悪いと、黙っていた。
ただ今、タイでは、日本の新興宗教の中でも、創価学会と、真如苑が、気勢を上げている。
真如苑では、バンコクの、有名寺院から、仏舎利を頂いたというが、金である。
何も、縁もゆかりも無いところに、仏舎利など、渡るはずがない。
信者から、集めた金を、ふんだんに使い、宗団の価値を高めようとする。
世界、192カ国に、広がる学会というものも、皆々、金である。
金をばら撒き散らして、人心を買い、布教の足がかりにする。
そして、投資した分を、今度は、新会員から、取るのである。
信者が、増えれば、金が集まる。
勿論、金を出す信者は、喜んで、騙されるから、終わっている。
ご供養という名の、搾取である。
徳を積むと、教えて、金を取ることを、憚らないのである。
私と、野中は、ホテルへの帰り道、沈黙していた。
漢訳された、仏典を漢語で、唱えさせているという、恥に、恥じ入った。
霊界に、仏魔界という、世界がある。
仏法に迷った者が行く、霊的空間である。
名僧、高僧、そして、それらの信者が、着いてゆく。一々名を上げないが、一度は、そこへ行き、迷いに目覚めた者、気付いた者は、次元移動する。しかし、中々、そこを、抜け出せないのである。
強情に信じているからである。
仏法といわれるものは、信じて確信して、妄信するから、成り立つ。
本来の意味は、仏法とは、迷いの、境地を言う。
涅槃の境地を得た者ならば、生まれて、更に生きる意味が無い。
ブッダは、涅槃の境地を得たのではない。涅槃の境地というものがあるということに、気付いたのである。
ちなみに、日本の魂振り、魂鎮めとは、ブッダの気付いた、涅槃の境地にあるものである。
更に、鎮魂の所作というものは、涅槃の境地に至る道なのである。
そしてそれは、布教されたり、教化されたり、指導されたりするのではなく、求めて得られるものである。
日本人であれば、求めれば、手引きがされるのである。
その方法は、百人百様である。
吉田松陰が、家族に宛てた書に、仏法に迷わずと書いたのは、実に、正しい。
神明を尊びである。
ホテルに着いて、ベッドに体を、横たえて、ため息をついた。
野中が、嫌なものを、聞いてしまったと、言う。
私も、同じであった。
夜の食事まで、私は、うとうとしていた。
野中は、知らないうちに、出掛けていた。
私は、一人で、ホテル近くの、食堂に出掛けた。
道に面して、開け放した店が、続く。
客の少ない店に入り、魚入りの、雑炊を注文した。
100バーツと言われたが、取り出したお金が、70バーツだった。すると、おばさんが、それでいいと、言う。
勿論、言葉は、解らない。
私は、スラー・ターニーが、気に入った。
ここには、書かないが、多くの人に、親切にされた。
人情というものに、多く触れた。
ただで、車に乗せてくれた人もいる。
買い物をしても、決して、ボラない。
マッサージも、一時間300バーツであったが、タイマッサージと頼むと、それ以上の、誘い、性的処理の誘いも無い。
実は、野中に、ここのマッサージは、夜になると、怪しい光をつけて、やたらに、店内が暗いから、行かない方がいいと言われていた。
しかし、こちらの要求通りに、してくれる。
確かに、隣の部屋では、セックスをしていたようである。そういう、要求にも、答えるのだろう。
私についた、マッサージ嬢は、小太りで、大変力があり、実に満足する、マッサージをしてくれた。
足を、徹底的に、揉み解してくれた。
タイの場合の、マッサージ店は、売春を目的にした店もあるということだ。
野中が、ホテルのおじさんに頼み、部屋にマッサージ嬢を呼んで貰った。
二時間で、300バーツという。
随分と安いのである。
来た嬢は、18歳である。観光地の、パタヤの近くの村から来たと言う。
私は横で寝ていた。
時々、それを、見たが、実に下手糞である。
これは、二時間という時間を、買い、その間の内容は、マッサージ嬢との交渉で、如何様にもなると、思えた。
ここで、書くのは、憚られるので、省略するが、病気になる危険を冒しても、そのような行為を求める、旅人がいるということである。