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2008年06月 アーカイブ

2008年06月01日

バリ島旅日記4

ガムランとの共演は、ウブドゥ、クトゥ村の、アナンガサリ楽団である。

六時に、クトゥ村の寺院集会所にて、リハーサルの予定。
私たちが、到着した頃には、すでに、楽団の主な人々が、練習をしていた。というより、私の舞踊の、音楽を作っていた。

初めて、ガムランの曲を作る場面に、出会った。
一人の指導者が、太鼓で、調子を作り、それに、合わせて、曲調を積み上げてゆく。

特に、熟練者たちが、最初にそれをすることを、知った。
後で来る者は、彼らの作ったものに、合わせて、演奏するのだ。

通常は、ラーマヤナ物語の、場面などを踊るので、おおよその曲は、出来上がっているのだが、私の場合は、日本舞踊である。
イメージを作るのが、難しいであろうと、思った。

音作りを、聞いていると、一度、舞台に立ってくれと、言われた。
そして、彼らの音に合わせて、少し踊ってみた。
私が、静かに動くと、音も静かになり、激しく動くと、激しく演奏する。それが、基本だった。

私は、作曲の方に、好きなように、作って下さいと、言った。
後は、イメージで、踊ると、告げた。

約10分程度の曲である。
作り上げる曲を、舞台の前で、聴く。
ところが、作曲は、数名でするが、本番は、大勢が加わるのである。
全然別物に、聴こえることもあると、後で知る。

おおよそ、出来上がると、指導していた方が、私のところに来て、簡単な英語と、身振り手振りで、曲が静かな時は、静かに、激しい時は、激しく踊ってくれという。
その表現は、バリ舞踊の姿で、思わず、微笑んだ。
日本舞踊の形も何も、解らないのだから、本当に気の毒に思えた。

結局、やってみなければ、解らないのである。

私の出番は、丁度、真ん中あたりである。
最初の舞台を、見学していた。

バリ舞踊は、兎に角、一瞬も、止まることがない。止まっていても、手の指が、動いている。その、指の動きに、意味があるのだろう。

そして、目である。
首振りと、目の動きに、特徴がある。
インドの舞踊にも、影響を受けていると、共に、沖縄などの、踊りの要素もある。

それを、見ていて、私も、一瞬も止まらずに、舞うことを、考えた。
日本舞踊は、止まる、留まるという姿が、見せ場である。しかし、今回は、バリ舞踊に、準じてみようと、思った。
そして、バリ舞踊の手の動きに、私も、日本舞踊の手の動きを、特に強調してみようと、考えた。
それは、正解だった。

まだ、出演に間があると、思って舞台を見ていたが、突然、出演が早まったようで、迎えが来た。

団長の意見で、順番が変わった。

一人で踊るバリ舞踊の次に、私が、踊ることになった。

それは、また、正解だった。
バリ舞踊と、日本舞踊の違いが、よく解るような、順番である。

実は、日本人は、私だけではなかった。
一人の日本の女性が、出演していた。バリ舞踊である。彼女は、前回も、出演していた。バリ島に、留学して、バリ舞踊を学んでいる女性だ。
彼女は、翌日の、テラハウスのコンサートにも、来てくれた。

さて、私の出番である。

男振りの良い、指揮者の、男性の合図で、出ることになっていた。
私は、彼の、指示を待って、舞台の、奥に立った。
しかし、彼は、私の方を見ない。
おかしい。

合図が無い。

演奏が始まっている。
しかし、私に合図がないのだ。

彼を見つめたが、彼は、私を見ない。
はて、どうしたのかと、思いつつ、私は、そろそろ出た方が良いと判断して、舞台に出た。

舞台は、真ん中から、出るようになっている。
静々と、私は、能舞のように、ゆっくりと、出た。
そして、舞台の中央に、進んだ。

すると、演奏が、次第に激しくなる。
いよいよかと、私は、扇子を掲げて、右に進んだ。
音が、激しくなったので、大きく動き出した。

私の舞に、ガムランが、呼応するように、鳴り響く。
もう、思うように舞うことだと、必死に、男舞を舞う。

後半は、女舞にする予定だった。

ガムランの音が、少し、落ち着いた時、私は、扇子を後ろに、投げて、女型になった。
そして、手の舞を、存分に表現した。
ガムランが、それに、呼応する。

十分に、女踊りを舞った。

最後に、もう一つの扇子を出して、極めた。
そして、先ほど、後ろに捨てた扇子を拾い、両手で、扇子を持って、いよいよ、最後の舞に移った。
そのまま、登場した、舞台の真ん中に、向かって入った。
その時の、気持ちを、書くのは、難しい。

残心。

名残惜しく、舞台から、遠のくという、後姿の舞を見せて、舞台から去った。

汗だくに、なっていた。

ガムランの音、更に響いて聴こえた。

拍手が聞こえた。
団長が、私に、握手をする。
言葉は、解らないが、何かを言う。

ホッとして、私は、外に出た。

まさか、こんな展開になるとは、思ってもみないことだった。

今回は、千葉真康のギター伴奏で、辻知子も、歌うことになっている。
私は、そのまま、客席に戻った。

辻知子の歌が終わるまで、舞台は終わらない。

さくら さくら やよいのそらは

それが、聴こえた時、私は安堵して、ぐったりとした。

さくら
なんと良い歌であろうか。
日本古謡である。

みわたすかぎり かすみか くもか いおいぞ いずる

大和言葉の、骨頂である。

いざや いざや みにーゆうかーん

私は、脱力した。

バリ島旅日記5

観光地化されたバリ島であるが、現地の人は、実に貧しい。
誰が利益を得ているのだろうか。
経営者である。
経営者は、バリ島の人ではなく、よそ者である。

現地の人は、豚小屋のような家に住む。
だが、土地を貸している人は、かろうじて、普通の平屋建てに、住める。
しかし、収入は、限られる。

私が、十二年ほど前に、バリ島に出掛けた時期は、一ヶ月の給料が、約一万円だった。今は、二万円だという。
知り合った人に聞くと、一万五千円から、二万円の、給料である。
しかし、物価は十倍以上になった。

それで、最低の衣食住が、保たれる。
貯金などは出来ない。
ただ、バリ島の人は、税金が無い。それが、唯一の救いである。
また、医療費も、安い。しかし、それでも、病院に行ける人は少ない。
病気は、未だに、祈祷師のところに出掛けたりする。勿論、それで、治ることもある。そこが、バリ島の不思議である。

土地を貸して、大金を手にした人の中には、狂ってしまった人もいる。人生が、金で狂うのだ。
大金を持ったことの無い人が、大金を手にすると、おかしくなるのは、どこの国の人も同じである。

今は、観光の主である、クタやレギャン地区に、土地を持つ人が、金持ちになっているが、そのうちに、ウブドゥになる。
それも、繁華街である。
そこから外れれば、外れるほど、貧しくなる。

ウブドゥは、芸術の村と、呼ばれる。
木彫り、バティック、イカットという衣、彫金、絵画などなど。
しかし、売れなければ、金にならない。

今回、お金がなくて、絵を描けないという、人もいた。
子供の教育に、奥さんの働きが、すべて消える。
主人は、田圃と、豚、鶏などを飼う。そして、絵描きである。
絵具が、買えないのだ。それは、つまり、絵が売れない。また、売れても、大半が、手数料として、取られる。

奥さんの稼ぎは、およそ、五千円である。
二人の子供の、教育費に当てられる。
それも無い子供は、学校に行けない。

時に、学校に行けない子供が、自殺することもある。

私が、子供服を支援した、学校の児童は、バリ島の人々によって、支援されている子供が多かった。
それは、実に良いことだ。
バリ島でも、人のために、支援出来る人がいる。

だが、それでも、貧しい人が多い。

手っ取り早く金を、稼ぐには、売春があるが、バリニーズで、売春をする者は、実に少ない。その、宗教的な生活に、売春は無いのである。出来ないのである。
売春を、持ち込んだのは、ジャワ人である。

最初に、書いた、レディボーイたちも、売春を主にして、お金を得る。
働く場所が無いからだ。
ただし、身体は、男のままである。
手術する金が無い。

中には、幸運にも、美容院などで、働くことが出来る者もいる。ただし、経営者が、ゲイの場合である。

バリヒンドゥーは、同性愛を基本的に禁止する。
勿論、すべの宗教が、そうである。
レディボーイたちは、宗教を超えての、付き合いがあることが、救いだ。

バリヒンドゥー、キリスト教、イスラム教が、仲良く生きている。相互扶助の精神に溢れる。
ここに、私は、新しい時代の徴候を見るものである。

イギリスの経済成長の、ゲイパワーだけではなく、新しい、物の見方、考え方が、生まれつつある。
後半に、また、それに触れることにする。

さて、戦争犠牲者の、追悼慰霊である。

今回は、テラハウスにて、行った。
その際に、テラハウスの土地を、提供してくれた、ウイディアさんのお祖父さんが、日本軍の奴隷として、働いていたという、事実がある。

テラハウスの出来上がった、二階で、それを行うと言うと、ウイディアさんが、お祖父さんを、招いてくれた。
だが、二階に上がることが、出来ず、こちらを眺められる小屋に座っていた。


丁度、オランダがバリ島に侵略開始したのが、100年前の、1998年の四月である。
すべての、王朝を破戒し、最後の、クルンクンの王朝を滅ぼし、バリ島全域を、支配下に治めた。

そして、第二次世界大戦の時、一時日本の支配下になった。
終戦後、インドネシア独立により、バリ島も、インドネシアの中に組み入れられた。

だが、インドネシア独立に至る道では、再び、オランダとの交戦があった。オランダが、再度、バリ島を支配、侵略しようとしたためである。
その時に、日本軍から、脱走して、バリ島の独立戦争に参加した日本人がいた。

多くの犠牲を出した。
そして、最終的に、国際社会と、国連が介入し、オランダの統治を、認めなかった。

タバナンにある、マルガ英雄墓地には、その際に、亡くなった、イ・グスティ・グラライ将軍以下92名の墓がある。
更に、日本人の墓もある。

私は、次の機会に、その地で、追悼慰霊を行う予定である。

毎年、11月20日には、盛大な慰霊祭りが行われる。

兎に角、戦争により、多くのバリニーズ、日本人、オランダ人が亡くなっている。

日本軍を、脱走して、独立派に加わった日本兵は、義侠心に駆られ、当初の日本の目的であった、インドネシア独立のためという、大義を遂行するためだった。
つまり、日本軍は、その大義名分を掲げたが、実際の行為は、違ったということだ。
単なる、侵略行為になった。

いずれにせよ、多く戦争の犠牲になったのは、現地の人である。

日本軍の、奴隷として働いた人も、多くは、亡くなった。
先の、お祖父さんは、遠い記憶であり、怨みも忘れたと言う。

中には、日本軍に反抗した者もいて、背中を斬られ、その傷を持ったまま、生きていた人もいるという。
彼らは、特に、日本軍に、米などの食料を、海岸まで運んだという。
ウブドゥから、東、西に歩いても、相当な距離である。
それは、重労働だった。

敗戦後、日本は、戦後保障として、多くの金額を、インドネシアに支援した。
現在も、毎年、約990億円の無償支援をしている。

しかし、両国の国民の、多くは、知らない。
その支援金が、果たして、インドネシアの国民のために、使用されているのかといえば、違う。
政治家の汚職は、凄まじいものがある。

英雄とされる、人物も、日本の支援金を、思うように使った。
これ以上書くと、命の危険があるので、省略する。

インドネシアも、軍事政権であることを、忘れてはならない。

兎も角、私は、追悼慰霊を、行う。
しなければ、治まらないのである。

追悼とは、思い起こすことである。慰霊とは、霊を慰めるということである。
思い起こし、霊を、御霊を尊称して、御祭りするということである。
日本の伝統は、霊を命、みとこ、として、尊称する、礼法がある。

人類の歴史は、戦争の歴史である。
そして、戦争は無くならない。何故か。
慰霊を正しく行わないからである。

現在の宗教では、それを成す威力が無い。
簡単に言う。
清め祓いが、出来る宗教が無いのである。

そうそうたる宗教家が、何人いても、詮無いことである。
彼らは、清め祓いが、出来ないのである。

バリ島では、土に、供物を置く。
下にあるモノに、霊を見ている。
つまり、それらの霊を、鎮める行為が、バリ島の、供物の意味である。

天には神、地には人の霊と、魔物がいるのである。
それらを、ただ、鎮めるのみの行為であり、昇華させ得ない。それは、すべての宗教にいえる。

溜まりに溜まる。

幽霊を、別の場所に、移動することを、供養するという、仏教家が、精々で、成仏などある訳が無い。更に、往生など、出来るはずもない。
霊は、成仏も、往生もしない。
更に、天国などに、行かない。
極楽、天国という、空間など無い。そして、地獄という空間も無い。

すべて、観念であり、現実ではない。

観念により、現実であると確信していた、時代は終わったのである。

まして、何も無いという、空間は、無い。
あるとすれば、宇宙の外である。

宇宙の中にいるモノ、すべてが、有の中にある。

無とか、空とかいう言葉は、言葉遊びである。

あるとすれば、はかなき、あわれ、たゆたい、である。
大和言葉のみにしか、真実は、あり得ない。
霊というもの、人間の属性ではない。
人間はモノである。物と、書いても良い。

人間に、霊性などあるわけがない。

言霊、音霊、数霊、
ことたま、おとたま、かずたま、に、霊性があるのである。
人間が、それを用いて、はじめて霊性を得る。
今までの、宗教が言うこと、すべて嘘であることが、解る。
人は、神の子であるだの、仏性があるだの、すべて、妄想である。
そんなものが、あれば、生まれる必要は無い。

人間が死ねば、土に成るのである。
ゆめゆめ、勘違いしないように。

私が、追悼慰霊をするのは、人間の、ことたま、おとたま、かずたま、に、対しての、所作である。

それを、尊称して、命、みこと、御言、みこと、さらに、神と書いて、みこと、と、するのである。

宇宙にあるもの、それは、音である。その、音を尊称して、御言、みこと、という。

きっと、解らないであろうと、思いつつ、
以下省略。

バリ島旅日記6

タイの、レディボーイで、現在ドイツに留学し、政治学を学んでいる、スーパーレディボーイとも、タイ一番のレディボーイと、言われている、若者がいる。

彼は、いや、彼女は、タイの国会議員を目指している。
この分でいくと、きっと当選し、さらに、一つの政党を作る勢いがある。

イギリス経済が、ゲイのマネー、ピンクポンドによって、復活したということを、二回目に書いたが、今、世界では、とてつもない、新しい時代に突入している。

実は、日本の企業も、ゲイを対象にした、企業家の勉強会を開いたが、結局、日本のゲイは、ケチだという、結論を得て、解散した。
実に、愚かな連中で、ゲイカルチャー、ゲイ文化の何物も、知ることが出来なかったのである。

単に、ゲイセックスのみに、捕らわれた故である。
つまり、企業家の、トップのゲイに対する意識が、セックスのみに向けられて、肝心要の、ゲイの精神に、向けられなかったということである。

アナルセックスをのみ、ゲイセックスと、理解する、頭の程度であるから、終わっている。
日本の、文化意識は、その程度である。
しかし、事は、簡単である。
企業とは、利益追求であるから、こっちの水は、甘いと知れば、すぐに、手のひらを返すのである。
時間の問題である。

さて、バリ島の、経済効果も、ゲイによって、活性化されようとしている。

勿論、見た目には、解らないが、新しい商売の形を、整えつつあるのが、ゲイたちなのである。

着々と、自分たちの、権利と、生きる場を広げている。
抑圧されただけ、その勢いは、強い。

インドネシアのゲイが、集う島になる。
いやいや、世界のゲイが集う島になるのである。

そしてそれは、平和裏に行われるという、実に、見事な変身を遂げる。

バリニーズと、イギリス人の男性が結婚し、スミニャックに、ショーハブを開いたことから、始まった。

一本の道に、ゲイのパブが、並んである。
勿論、ノーマルといわれる人々も、集う。

クタに、一件だけある、ショーパブもまた、家族連れでも、女性同士でも、入ることが出来て、皆が、楽しめる。
私も二度、そこに出掛けた。
ツアーの皆とである。

今回は、疲れたため、行かなかった。

スミニャック地区の、ショーパブが、これから、多くの人に注目されて、多くの客が、集う地区になるのは、目に見えている。
日本人は、まだ、知らない人が多いので、日本人の姿は無い。

ショーであるから、企画がある。
それが、毎日、変わる。
どんどんと、そのレベルが上がっている。

そして、周辺に、ゲイ専門のバーも、出来てきた。

バリニーズは、堅実で、はにかみ屋、少し生真面目だが、許容範囲は、大きい。いずれにせよ、ゲイを受け入れる器がある。
そうすると、ゲイたちがもたらす、経済効果は、莫大になり、バリ島に、大いに貢献するだろうと、私は、見ている。

実は、バリヒンドゥーという、宗教の懐も実に深いのである。
それを、地元の人も知らない。

インドネシアは、イスラムが、九割であるが、バリ島だけは、独自の宗教観を、捨てなかった。
そして、今でも、まだ、成長途中なのである。
アグン山にある、バリヒンドゥー総本山ともいえる、ブザキ寺院では、有志たちによる、教義の選定が、なされている。
今も、バリヒンドゥーは、成長しているのである。

バリ島の人々も、その変化に、動じないで、淡々と、祭りを行っている。
今までの形を、そのままに、新しいものが、加われば、それを、取り入れて、淡々と、信仰生活を送るのである。

それは、宗教というより、伝統と、私は解する。

そんな中で、ゲイたちの、場所が、定まれば、理想的である。

10年ほど前に、バリ島出身の、新聞記者の書いたバリ島を、憂う本を読んだ。
その中には、クタが、ゲイたちに、占領されるという、危惧がされたが、それより、ジャワ人や、その他諸々によって、バリ島の観光が、台無しになっている。

今では、彼も、考えを変えるであろうと、思う。
ゲイたちが、風紀を乱すのではなく、同じインドネシア人が、風紀と、観光事業を、台無しにしているのである。

その前は、ヒッピーだった。
麻薬と、セックスとの、退廃的な行動である。
しかし、今、そのピッピーの影は無い。

最初の、バリ島への、目覚めは、サーファーからだったが、それは、今も変わらない。
そして、質の高い、芸術活動への、理解である。
ウブドゥに代表される。

さて、私は、次に、子供服支援の地域を、広げる。
まず、ウブドゥの村々の奥に入る。
クトゥ地区の人も、貧しいと、言う村々である。

そして、東側から、北へ行く。

その、海岸線の村は、まだ知られてない村もある。
私は、その村の、街造りも、考えている。

日々の生活で、精一杯の人々に、少しでも、何がしかを協力して、街を造るのである。
外から、金が入らなければ、内からは、金を生めない。
内から金を生むためにも、外からの金が必要である。
勿論、金を得るためだけではない。
再発見である。

文明化を目指すのではなく、文化の維持と、推進である。

地元の、伝統を破壊するのではなく、それを、守りつつ、行う。
バリヒンドゥーの、許容範囲の広さに期待する。

そのためにも、クトゥ村のテラハウスの活動を、しっかりとしたものにしたい。
ゲストハウスとして、機能し始めると、更に、活動は、広がる。
二階の、多目的ホールは、二つの大きな部屋に、分けられるので、一方を、レストランとしても、活用したいと、考えている。

その際の、食材の調達を、東海岸線の村からのものをと、考えている。
特に、魚介類である。
普段は、ウブドゥの人は、魚介類を食べることがない。
高価で、手が出せないのだ。

セミナー開催は、不定期であるから、多目的ホールは、如何様にも、利用出来るのである。

バリ島の、相互扶助の精神と、自然との、共生の思想とを持って、ことに当たりたいと、考えるのである。

ちなみに、テラハウスの奥には、ゲストハウスは無い。
そこから、奥へは、まだ観光客が入らないのである。
唯一、クトゥ村の、一番の寺院の集会所での、バリ島一のバリ舞踊団と、ガムラン演奏を、聴くために、入る程度である。

オーストラリア人が、少し街側に、小さなレストランを開店した。
ガムラン演奏を聴くために通る、外国人向けのレストランである。

私のツアーも、一度は、このレストランで食事をする。
この辺りには、ここの、一件しか、レストランは無いからだ。

関われば、関われるほど、難しくなってゆくと、思われる。
それは、バリ島の人たちが、貧しいからである。
持てる者から、貰うという、心がある。
それは、正しいが、しかし、いつも、支援するという簡単なことではなくなる。

与えることの、難しさである。
また、受けることの、難しさである。

共に、遠慮しつつ、遠慮しつつ、行わなければならない。

微妙曖昧とは、日本人の精神である。
それを、十二分に生かして、バリ島にて、活動することにする。

ちなみに、私が、太陽を、アマテラスとして、礼拝すると、一緒にいるバリニーズも、礼拝する。
私たちと、同じ太陽の神を、と言うのである。

祝詞を、唱えると、後ろにいた、バリニーズたちが、皆、手を合わせて、終わるのを待っているのには、驚いた。

太陽信仰には、何の抵抗も無い。
昔の、バリニーズは、太陽信仰だったからだ。

2008年06月02日

バリ島旅日記7

バリ島の、民家にて、食事をするということ、大変な喜びである。

そして、その食事は、民家の人も、普段は、決して食べられないものであり、私たちに、ご馳走してから、その家の人々や、親類も食べることになるという、二重の喜び。

いつも、私は、ウイディアさんの、叔父さんに当たる、マディさんという方の家で、食事を頂いた。
今回も、テラハウスでコンサートを終えて、マディさんの家で、食事をした。

皆、大感激である。

マディさんの家のオープンな居間で、奥さんや、そのお姉さんの手作りの食事を頂く。
奥さんも、そのお姉さんも、ホテルの厨房で、働くので、料理は、大変巧い。
私たち、日本人の、好みの味付けも、知っている。

その食事の前に、奥さんのお姉さんの、娘さんと、携帯のテレビ電話で、話をした。
彼女は、ジャカルタの、医大に行っている。
医者を目指しているのだ。
その彼女のために、母親は、毎日、働き尽くめである。
しかし、いずれ、その苦労が実るのだ。
娘が、医者として、バリ島に戻る。
夫を、亡くして、女手一つで、娘を育てたのである。

ウイディアさんの、お父さんも、やってきて、皆で、輪になり、食事がはじまった。

最初に、皿に手をつけるのは、私である。
バリニーズは、決して、先に手をつけないことを、知っている。
また、女性も、客と一緒に、食事をしない。するのは、男だけである。

一つ一つの料理の味は、満点である。
サラダ、カレー、ミーゴレンという焼きソバ、そして、鶏肉の炒め物、ご飯、野菜炒めである。

一つの皿に、取って、食べる。
これならば、レストランを開店しても、十分にやってゆけると、思う料理である。

バリ語、インドネシア語、英語、日本語での、会話が、弾む。
ウイディアさんが、皆に、今日から、皆さんが、家族ですという。
最高の、言葉である。
バリ島は、皆、大家族である。

時に、知らない顔が、見えても、誰も不思議に思わない。
皆、親類なのである。
前回も、知らない子が来ていて、皆と、一緒にいた。
写真にも、収まっている。
後で、尋ねると、親戚の子だという。

また、知らない、お祖父さんがいることもある。
兎に角、大家族である。親戚の人も、家族という。

それは、チューク島に、行った時も、そうだった。
従兄弟も、ブラザーと呼ぶので、本当の兄弟かと、思いきや、よく聞くと、従兄弟であったりする。

私たちも、その家族の一人に数えられたのだ。
一緒に行った者も、感激である。

今回は、初のバリ島だった、辻あやかも、家族として受け入れられた。
コンサートで、四人が、浴衣を着た。
それが、また、皆を喜ばせた。

浴衣姿の少女は、美しい。
皆に受け入れられて、本当に嬉しかっただろう。

観光旅行では、決して味わえない、旅である。
それもこれも、人の縁である。

テラハウスの、立案者である、麻生クミと、その夫ウイディアさん。
クミは、私と、19歳の時からの付き合いである。
私の、舞踊と、煎茶と、いけばなの、お弟子さんだった。

25年以上の付き合いである。
そして、テラハウスのオーナーとして、私を迎えてくれた。
ウイディアさんは、社長である。

更に、辻知子は、今回から、テラハウスの理事としての、参加である。

テラハウス・バリ・ハーモニーと、テラの会は、別組織であるが、連携して、活動する。
テラの会では、これから、バリ島での、事業も展開する。
その担当は、私の補佐をする、野中耕多である。

野中は、別に、バリ島での、事業展開のために、準備をしている。
いずれ、形になれば、お知らせする。

私は、マディさんの、絵画を、日本にて紹介し、それを、販売することにした。
また、ウイディアさんの、お父さんの絵画も、そのようにしたいと、考えている。
バリ島、クトゥ村の、絵画は、一目で解る特徴がある。

草木の中に、鳥が描かれる。
その、緑の色合いが、独特の雰囲気を持つ。
藤岡宣男も、大好きになった、絵だ。

これから、バリ島に行くたびに、一枚、一枚と、運ぶことになる。

実は、前回、マディさんの、最初の絵を、私は、貰っている。
大変、貴重なものだが、何のためらいもなく、私にくれた。
今、その絵は、私の机の横に、掛けてある。

男は、皆、絵描きである。
どんな仕事をしていても、家に戻ると、筆を取る。
勿論、その絵具を買うことも、大変なことなのだが。

バリ島から、多くの有名画家が、誕生した。
しかし、バリ島の絵描きが有名になることは、なかった。
これから、私が、バリ島の絵描きを有名にするべく、活動する。

バリ島は、世界への入り口になっていった、経緯がある。
これからも、それは、変わらない。
世界中の人が訪れるのである。観光客は、年間200万人を超えている。
その人々が、口コミで、広げる。

一番早いのが、オーストラリアである。そこから、また、飛び火する。
そして、アメリカや、ヨーロッパに行く。

ガムランと、日本舞踊の組合せが、新しい芸術を生むこともあり得る。
そして、コンサート活動も、広がる可能性がある。

どのように、展開しても、おかしくないのだ。

実は、今、私は、バリ島、タイのみだけではなく、日本の歌を、ラオスに紹介することを、考えている。
今、ラオスでは、ようやく音楽活動が広がりを見せ始めた。
若者たちが、音楽活動を開始した。
ラオスのテレビ局が、それを、後押しする。
勿論、非常に、未熟なものである。
しかし、どこも、始めは、そうだった。

タイ演歌は、日本が発祥である。
それは、タイ風に変化し、今も、タイ人の心の音楽となっている。
また一つの、波紋を投じたいと思うのである。

夢のまた夢でもいい。
兎に角、始めることが、楽しい。

食事が終わり、ホテルに戻る時間である。
名残惜しく、それぞれが、片言の、覚えたてのインドネシア語を使う。
トリマカシ ありがとう
マクトゥール スクスム ありがとう

ありがとう
さよなら
おやすみ
彼らも、覚えたての、日本語を使う。

ホテルに到着したのは、十時に近くなっていた。
皆、そのまま、それぞれの部屋に戻る。

そのホテルのオーナーは、日本人女性である。
25年間、バリ島に住む。
バリ人と、結婚し、二人の息子がいる。

その方が、なんと、今回の私のバリ島滞在を、待っていたと知る。
その理由が、オランダ人が、バリ島に、障害児の、施設を作ったので、私に知らせるためだった。
特に、ダウン症、難病を持つ子供たちの施設である。
そこは、オランダ人のボランティアによって、運営される。

彼女は、ホテルのプールを、提供した。
私に、音楽コンサートをお願いしたいとのことだった。

私の噂は、前回のコンサートの時に知っていたという。
だが、時間がなく、逢うことが出来なかった。
従業員からも、私の話を聞いていたと言う。

今回の公演チラシを見て、待っていたのだ。

そのビレッジには、二泊した。
旦那さんが、辻知子の歌に、感激して、「逢いたくて」のCDを、掛けっ放しにしているとのこと。
二日目の、最後の見送りは、ご夫婦揃ってだった。

次回も、お世話になることになった。
彼女は、自宅の電話番号を教えてくれ、直接予約が出来るようになった。

新しい出会いであり、新しい活動の種が、蒔かれた。
次の機会に、私は、オランダ人が作った施設に行くことになる。
そこで、また、出会いがある。

オランダ、日本侵略の恩讐を超えて、今、バリ島にて、多くの人の縁が生まれる。
戦った民族同士が、今、バリ島で、和解し、新しい関係を、築くために、努力するという、実に、気分の良い、話である。

まだまだ、書くことはあるが、次の機会にする。

この国の問題 11

天皇について言う。

日本は、御祭りの国である。

祭りとは、何か。
御霊祭りである。

御霊とは、何か。
それは、自然に隠れて在る、祖先の御霊であり、自然の、すべての働き、そとて、山川草木すべての、御霊の、お祭りである。

日本の正式、国名は、豊葦原の瑞穂の国である。
よって、最高の、最も、重要な、御祭りは、新嘗祭である。
豊穣の喜びと、感謝の、御祭りである。

さて、天皇の存在は、その、お祭りの祭祀であり、祭司であるということである。

天皇制、云々の話ではない。

天皇の存在は、御祭りにあるのだ。
国民総意の、祭司である。

ここで、私の立場を、明確にしておく。
私は、天皇擁護でも、天皇否定でもない。
どちらでも、ない。
どうでも、いいと思っている。
ただし、私が、日本国民として、その伝統を、守るという意味では、天皇を、否定出来ないのである。
私の、祖父母から、それ以前の、祖先の伝統は、天皇の、お祭りにあるからである。

天皇は、唯一、国民に対して、下、というお言葉を、使用する。
つまり、天皇の上に、権威は、無いのである。

世界で、武力を持たない、天皇家という、存在は日本にしか無い。

一時期、一時的に、天皇家も、武力を、持つことがあったが、それは、天皇家を、守る意味での、市民の心意気としての、武力だった。

天皇家は、武力を持たない家柄である。
唯一、日本は、武力を、持たない家柄に、権威というものを、与えた民族である。
それは、実に、誇りだ。

為政者、宗教指導者、すべて、武力を持った。権威を、武力で、成したのである。
歴史を、見よ。

御祭りの、祭司を、国の祖先の代表とする、天皇という存在である。
皇祖皇宗である、天照大神という、祖先の祖を、戴く国である。
絶対超越者ではない。祖先に続くものである。
これも、世界に無い。

日本には、超越的な、神という観念が無いのである。
それを、具現化しているのが、天皇の存在である。

天皇という存在を、戦争責任者とか、あるいは、共産主義のように、搾取する為政者という、考え方は、出来ないのである。
何となれば、天皇は、戦争責任者でもなく、搾取する為政者でもないからである。

勿論、昭和天皇は、戦争責任を、自ら果たし、国民のために、その命も、投げ出すつもりだった。しかし、何故、生きたのか。
国民のためである。天皇という存在が、無くなれば、日本という国が無くなると、感じた心が、昭和天皇の、すべてだった。

何度も言うが、私には、どうでもいいことである。
つまり、私が、私の先祖との、縁を切り、日本とも、縁を切るのであれば、どうでもいいことである。

しかし、日本の歴史と、伝統に生きる日本人としては、天皇の存在は、無くてはならない存在なのである。

戦後、戦争の犠牲に対して、天皇を、憎むこと、天皇の存在を、卑下すること、さらに、否定することで、その、鬱憤を晴らし、更に、天皇制を、廃止することまで、考える者がいて、実に、愚かな様を、現した。

天皇を、亡き者にすることは、日本の歴史と、伝統を、無き物にすることである。
そして、それを、社会主義、共産主義の者は、望んだ。
すべての、歴史的解釈も、そのように、した。

そして、今に至る。

偏狭な、教育の、お蔭で、日本は、実に、骨抜きになったのである。
日本人であるという、誇りも持てず、知りたいという、子供たちに、国歌も、教えないという、驚きの、教育をするという、アホ振りである。

国際社会に出ても、自国に、誇りの持てない者が、どうなったか。

薬害問題一つを、取っても、国のために、仕事をしなかった、厚生省の、役人、更に、国外に赴任する者、何も、仕事をしなかったゆえである。
すべて、上記の、ゆえである。

御祭りをする、天皇の存在する、国であるという、志を、忘れたのである。
一から、万事、天皇に、相応しい国民に成るという、気概を、失ったゆえである。

私は、晩年、日本人であることを、止める覚悟であるから、言う。

世界に冠たる天皇を、戴く国にありながら、その存在の、尊さを、知らない不幸は、余りある。

タイに、行けば、未だに、仏陀暦である。
日本は、皇紀がある。
今年は、2668年である。
これほど、続いた天皇の、歴史は、世界に無い。

バリ島には、バリ島暦がある。

皆々、それを、誇りにする。

皇紀を、誇りにしないのは、日本人くらいである。
その価値を、知らない不幸は、余りある。

私は、この国の、皆々と、席を同じく出来ないと、考え、晩年は、日本人であることを、止める。

日本の伝統は、他国でも、伝えられると、確信したからでもある。

以下省略。

2008年06月03日

この国の問題 12

今、日本で、食料自給率200パーセントに出来るのは、北海道である。
日本の、食糧倉庫と、いえる。

しかし、とんでもないことが、起こっている。

久しぶりに、札幌から、親友が、用事で、突然来るというので、品川まで、逢いに出た。
雑談の中で、実は、酪農の土地が、買い漁られているのだと言う。

誰が、買っているのか。
日本の不動産のなのか。

違う。
ドバイである。
低迷する、酪農家は、現金が欲しいので、次々と、売り渡しているという。

更に、恐ろしいことは、ドバイの、大金持ち、王様というのだろうか。
北海道を、すべて、買いたと言う。
何せ、安いのだとのこと。

観光地として、食料倉庫として、である。

石油成金の、ドバイである。
信じられない。
金で、何でも買えると、思う根性が、気に入らないが、このまま、ドバイに、売り渡すことを、見ている、政府、政治家等々、信じられないのだ。
もしや、政治家が、中に入って、何やら、やっていることも、考えられる。とすれば、国を売る行為である。

ただし、私は、それを聞いて、さもありなんと、思った。
もし、私の家族、友人、知人がいない、土地だったら、ああ、と、聞き流していたのかもしれない。

だが、まだ、縁する人々が、大勢いる。

アホ、馬鹿、間抜けの、糞ったれが、多い、北海道だが、これは、ゆゆしきことである。

この分で、いくと、本当に北海道の大半が、買われてしまうこともある。
今、北海道は、夕張に、象徴されるように、破産する、市町村が多い。

だが、それを知りつつ、何の手も打たない。
地方公務員の、給与を下げるなど、聞かない。
実に、信じられないことが、行われているにも、関わらず、平然としている。

ぼやりしている、内に、乗っ取られるということも、ある。

バリ島の土地は、外国人は、買えない。
使用料を払って、家を建てる。店舗を作る。
それは、当然である。そのままにしていれば、バリ島が、外国人のものになってしまう。
勿論、実質的に、経営利益は、外国人が得ることの方が多いが、土地は、バリ人のものである。それが、救いだ。
例外は、あると、思う。
あの国も、汚職にまみれた国であるから、政治家が、何をしているのか、解らない。

ドバイの、金によって、北海道が乗っ取られた場合、日本は、大損失である。
食料も何もかにもが、買われて、北海道のものが、手に入らなくなるということも、考えられる。

実際、タラバガニなどは、以前のように、食べられないのだ。
ロシアが、操業を認めないからだ。
結局、ロシアから、買って、それを、小売している。

それを、敏感に感じ取るのは、貧乏な私のような、人間である。
金を持つ者は、少々高くなろうが、知ったことではない。
だが、そういう問題ではなく、状況が、そのように、変化しているということである。

販売される、タラバガニの大半は、ロシア産と、名されている。

たらこ、に、関しても、そうである。
スーパーで、売られている、たらこの、原産地は、アメリカとか、ノルウェーになっているものが、多い。

勿論、食料自給率39パーセントの国である。当然と、言えば、当然である。

実は、私の田舎の、日本海側沿岸の町は、もう、介護保険などの、資金が無く、合併が不可欠と、言われている。
札幌のみに、人口集中して、田舎は、どんどんと人が、出ている。

過疎化の、一途を辿るのである。
これは、時代の流れなのか。

国を愛する教育を、しない者に、郷土を愛する教育が、出来るはずがない。

東京一極集中である。何を、どう言おうが、それである。

都というものが、あってもいいが、地方の文化というものも、無ければならない。
更に、都も、地方によって、その存在価値が、認められる。

札幌、すすきのから、夜逃げする人は、まず、千葉や、その付近を、目指して来る。そのまま、東京には、入れない。恐ろしいからだ。

千葉の市川などで、落ち着けばいいが、結局、職を、探して、東京に出る。
勿論、頭が悪いから、何の取り得もないのだから、流れ流れてしまうのも、当然である。

創意工夫など、どこにもない。
飲み屋などやっていた者は、水を金に替えていただけであるから、頭も、水ぽい。

バブル期を、過ぎて、仕事を、続けている人の少ないこと。
結局、時代に流されていただけである。

そう、大衆は、時代に流されるしかないのである。
では、誰が目覚めているのかといえば、政治家である。しかし、今の、政治家は、政治家になった、途端に、変質する。変節する。変貌する。
勘違いである。

何も、実際的な、業績がなくても、政治家というだけで、偉くなるものである。そして、国を平気で売る。

知らない内に、北海道の大半が、ドバイに買われてしまったとしたら、後悔先に立たずである。

北海道の物を、ドバイを経由して、買うという、仰天する様になることもある。

私は、これ以上、論じることは、出来ない。素人だからだ。
何の、打つ手も無い。

酪農家の堕落は、一時期、社会党系の、知事が、ばら撒きで、保護した、ツケである。
兎に角、人気取りのように、前知事が、築き上げた、道の貯金を、使い、更に、赤字に転落させて、早々に、国会議員に、戻ったのである。
しゃーしゃー、として、今でも、能無しの、議員生活を、しているという様、反吐が出る。

食の祭典、という、大型のイベントで、大失敗をしても、何の責任も取らず、政治家を、続けているという、浅ましさ。
それを、道民が、許しているという、愚かさ。

矢張り、北海道は、ドバイの手に落ちるのか。

横浜市長の中田さんは、多選禁止なので、市長を辞めたら、札幌市民は、是非、札幌市長に、三顧の礼を、尽くして、来て頂けばいいと思うが、そんなことも、考えられないほど、アホ、馬鹿、間抜けの、糞ったれ、である。
知事としてでも、いいが・・・

もののあわれについて214

降り積みて、いとむつかしき雪を掻き捨てて、山のやうにしなたるに、人々登りて「なほ、これ出でて見えたまへ」といへば

ふるさとに かへるの山の それならば 心やゆくと ゆきも見てまし

降り積もった、うっとおしいほどの雪を、掻き分けて、山のように積もった雪の上を、登り、「さあ、こちらに来て、御覧なさい」といわれれば

故郷に、帰られるという、あの、かへる山の雪ならば、見ましょうが・・・

雪に閉ざされた世界の中で、都が恋しく、雪山など、見たくないのである。
不機嫌である。

心やゆくと
進んで、行く。

年かへりて、「唐人見に行かむ」といひたりける人の、「春は解くものといかで知らせたてまつらむ」といひたるに

春なれど 白嶺のみゆき いやつもり 解くべきほどの いつとなきかな

越後へ、下った前年に、宋の人が、七十名ほど、若狭に漂流した。それを「見によこう」と誘う人が、「春には、雪が解けるように、私の心に、打ち解けてください」というのである。後に、紫式部の夫になる、人物である。

春になりましたが、こちらの山の雪は、いつ解けるものか、わかりません。
暗に、自分の心の、打ち解けない様子を言う。


近江の守の女懸想すと聞く人の、「ふた心なし」と、つねにいひわたりければ、うるさがりて

みづうみに 友よぶ千鳥 ことならば 八十の湊に 声絶えなせそ

近江守の娘に、言い寄るという噂のある男、「ふた心はない」と、常に言うのを、うるさく思う。

近江の海に、友を求める千鳥よ。いっそのこと、あちこちの、湊に声を掛けなさい。あちこちの人に、声を掛けなさい。

なかなか、面白い。
年頃の、娘の心境である。

この男との、関係が、もっと、面白くなってゆく。

歌絵に、海女の塩焼くかたをかきて、樵り積みたる投木のものに書きて、返しやる

よもの海に 塩焼く海女の 心から やくとはかかる なげきをやつる

書きのせようとする、歌の趣を表した絵に、海女の塩焼く姿がある。
切って積み上げた、薪で、藻塩を焼く、その薪に書いて、返事する。

あちこちの、海辺で、藻塩を焼く海女が、薪を積むように、色々な人に、言い寄る、あなたは、自分から、好きこのみ、歎きを重ねるのでしょう。

恋の歎きを訴えた歌に、返歌したものである。
しかし、このような、歌が詠める、言い方が出来るということは、ある程度、近い関係になっているようである。

女が、つれない歌を詠むのには、訳がある。
それが、次の歌である。

文の上に、朱といふ物をつぶつふとそそきて、「涙の色を」と書きたる人の返り事

くれないの 涙ぞいとど うとまるる うつる心の 色に見ゆれば
  もとより人の女を得たる人なりけり

文の上に、赤い物を、ぽとぽと落とし、「涙の色を見てください」と書く人への、返事。

あなたの、紅の涙だと聞くと、一層うとましく、思えます。
移ろいやすい、あなたの心が、この色で、はっきりと、解ってしまいます。

そして、相手は、しっかりとした、親の元から、妻を得ている男なのである。

これは、結婚前の歌である。

紫式部は、三十近くになって、三人の妻のある、藤原宣孝と、結婚している。宣孝は、四十五歳くらいである。

仲睦まじい頃もあり、一女賢子を産む。
他に、妻のある、宣孝であるから、紫式部は、夜離れ、よがれ、の寂しさを味わうことも、多々あった。

夜離れ、とは、夫婦生活である。
よがれ、という語感が、なんとも、不思議である。

今では、ヨガルという言葉は、セックスの際の、快感を得る時の、喘ぐことを言う。
または、方言としてあるのか。

当時、セックスすること、契りて、と、言うのみ。
セックスから、遠ざかることを、夜離れ、と言う。

現代小説などが、描く、セックス描写がない。つまり、セックスの技巧というものが、未成熟な時代である。
契ることで、それは、解消した。
しかし、その、契る、ということのために、その前後の、心の様が、実に、綾のように、動くのである。

セックスというものも、進化したのであろう。
生殖という意味に、おかなかった、日本人のセックスは、芸術文化として、表現された。
単純に、生殖であるとする、アラブ、西洋の、一神教的、性の文化でない。
ギリシア神話も、セックスに関しては、日本の古代の、セックスに、まつわる、華やかしさは無い。

現代の、セックスの、生殖器を、テーマとするものではなく、セックスにまつわる、心模様に、風情という綾が、掛けられた。
色好みとは、それを、言う。
生殖器好みではない。

ポルノ小説と、純文学の、性小説とは、なんら変わらない。
江戸時代まで、恋と、通常の生活の、夫婦関係というものを、区分けして、考えていたのが、日本人である。
遊郭文化というものが、花開くのも、江戸元禄ではなく、長い年月をかけた、下地があったれば、こそだ。

平安期、妻を、多く持つ男は、沢山いた。
一夫多妻である。
それは、昭和初期まで、妾の、性文化として、残っていた。
それを、容認していた、時代が長い。
そして、女性の、地位向上である。

今は、女性の地位が、向上し、よい時代になったが、今度は、男が、セックスに興味が持てないという、逆転現象が起きている。
また、性に弱くなった、男たちである。

女性器の前で、佇む男たちである。
晒され過ぎたのである。

あれは、明るいところで、見るものではない。薄暗い、光の中で、微かに見えるのが、いい。
だからこそ、セックスが充実した。
不思議は、不思議として、残しておけば、良かったのである。
しかし、手遅れ。

この、病から、抜けるには、百年は、かかる。その間、女性の、受難、セックスに、まつわる受難は続く。
更に、セクシャルマイノリティーという、同性愛が、年毎に、生成発展している。

欧米の、アラブの思想は、これに、対処出来ないのである。ただし、制度は、日本より、進んでいる。しかし、思想としては、対処できない。だが、日本は、思想的には、十二分に、対処できる。
もののあわれ、というものがあるからだ。

愛に、何も捕らわれることは、無い。
制度たけが、遅れているのみ。
それも、時間の問題である。

もののあわれについて215

文散らしけりと聞きて、「ありし文ども取り集めておこせずは、返り事書かし」と、言葉にてのみいひやりたれば、みなおこすとて、いみじく怨じたりければ、正月十日ばかりのことなりけり

閉ぢたりし 上の薄氷 解けながら さは絶えねとや 山の下水

私の文を、人に見せたというので、「すべての、文を返してください」といった。使いの者に、口上で述べさせると、皆返すとは、絶交なのだと、怨む言葉を言う、正月十日あたりの頃

氷で、閉ざされていた、谷川の薄氷が、解けるように、打ち解けましたのに、山川の流れが、絶えるように、これで、仲が切れればいいと、言うのですね。

解けながら、とは、結婚した仲であろうと、想像する。
そんな中で、手紙を人に見せたことに、返してとは、言うが、絶交するということではないと、夫の怒りを、なだめるという、少し、複雑な心境である。

彼女の、文が、名文なのだろう。きっと、自慢したかったのかもしれないと、憶測するが。

夫婦で、文を交換するという、関係である。
当時の、結婚観を見る。

すかされて、いと暗うなりたるに、おこせたる

東風に 解くるばかりを 底見せる 石間の水は 絶えば絶えなむ
こちかぜに とくるばかりを そこみせる いしまのみずは たえばたえなむ

すかされて
私の歌になだめられて、大変暗くなってから、歌を贈られた

春の東風に、解けた仲なのに、底の見える浅い石間の流れのように、浅い心のお前との仲が、切れるなら切れるがいい。

東風に解ける
礼記による。正月になると、東風によって、氷が解けるとされた。

石間の水
石と石の間を、流れる水。

男の方が、強い口調である。


「今は物も聞こえじ」と、腹立ちければ、笑ひて、返し

言ひ絶えば さこそは絶えめ なにかその みはらの池を つつみしもせむ

お前には、もう、何も言うまい、と、腹を立てているのを、笑い、返す

もう、文も出さないと、おっしゃるなら、そのように。
どうして、あなたの、腹立ちに、遠慮などするものですか。

今度は、こちらも、強気である。
笑ひて、とは、余裕がある。

みはらの池
腹と、はらを、掛けた。

つつみ、とは、池の堤を、掛けたのである。
遠慮することを言う。

夜中ばかりに、また

たけからぬ 人かずなみは わきかへり みはらの池に 立てどかひなし

夜中に、また、返事かきた。

立派でもなく、人かずの身分でもないが、腹の中では、波が沸き返るように、腹がたつ。
しかし、立てどかひなし、お前には、勝てない。


しかし、喧嘩ばかりしているのではない。
次の歌は、仲睦まじいものである。
桜を瓶に立てて見るに、とりもあへず散りければ、桃の花を見やりて

折りて見れば 近まさりせよ 桃の花 思ひぐまなさ 桜惜しまじ

桜を、瓶に挿して、見るが、散ってしまい、次に、桃の花を挿して見る

折って近くで見ていれば、見優りしておくれ、桃の花。散った、桜に未練はありません。


返し

ももといふ 名もあるものを 時の間に 散る桜には 思ひおとさじ

返しには

桃は、百、百年という名をもっている。いくら桜でも、すぐに散るような花。
桜に思いをかけないほうが、いい。

結婚、間もない頃の、やり取りである。

最初の歌は、作者が、桃に、桜を、夫の関係した、女性を言うのであろう。
妻なら、一層良く見える妻でありたい。
人の気持ちを、考えない女など、未練を持たないでしょう、という。
なんとも、微笑ましい。

思ひまぐなき 桜惜しまじ
私の気持ちも、思わず、散ってしまう桜に、未練はない。
つまり、夫に、他の女のことを、未練に思うなと、問い掛けている。

女心である。

夫は、
散る桜には 思ひおとさじ
と、言わせた。
いくら、桜といえど、散ってしまう花より、見落とすことはないよ、桃の花に、ということになり、桃の花は、彼女のことである。

2008年06月04日

もののあわれについて216

花の散るころ、梨の花といふも桜も、夕暮れの風の騒ぎに、いづれと見えぬ色なるを

花といはば いづれかにほひ なしと見む 散りかふ色の ことならなくに

花の散る頃、梨の花か、桜の花か、解らぬような花が、夕暮れの風によって、さらに、どちらかと、区別がつかない。

桜も、梨の花も、花である。美しくない梨の花と、見るものだろうか。風に散り乱れる花の色は、違わない。

いづれかにほひ
にほひ、とは、美しさを言う。
匂いという言葉は、香りとされるが、それ以前は、姿の美しさを言う。
紅匂う、くれないにおう、などというのは、紅のように、美しいということになる。

なし
無しに、梨をかけた。

遠き所へ行きし人の亡くなりにけるを、親はらからなど帰り来て、悲しきこと言ひたるに

いづかたの 雲路と聞かば 尋ねまし つらはなれたる 雁がゆくへを

人の死を悲しむ、歌である。
親兄弟と共に、遠い所へ行った人。つまり、姉妹の約束をした友人のことである。
親、同胞、はらから、が、帰りて、哀しみを言う。

どちらの、雲路だったと、聞いたら、探しに行くのですが。
親子の列から、離れた、あの雁の行くへを。

雲路
雲の中にある、道である。
そんな道は無いが、あると、想定する。
死者の行くへを、雲路にあると思う心が、懐かしい。

群れして、飛ぶ雁の姿に、亡くなった人を、列から、離れた雁と、なぞらえている。

亡き人は、いづかたへ、行くのだろうか。
死別の哀しみは、また、悲しいものである。

去年の夏より薄鈍着たる人に、女院かくれたまへるまたの春、いたう霞みたる夕暮れに、人のさしおかせたる

雲の上の もの思ふ春は 墨染に 霞む空さえ あはれなるかな

昨年の夏から、薄墨色の喪服を着ていた人、つまり、作者である。
夫、宣孝を亡くし、喪に服していたのだ。
その年の、春、東三条院詔子が亡くなった。
その日は、大変、霞のかかった夕暮れだった。
ある人が、使者に、持たせて来た、歌である。

帝が、喪に服して、哀しみにくれるこの春の、夕暮れは、喪服の色に、霞んで、空まで哀しみに、感じられる。

お悔やみの歌である。

あはれなるかな
どうしょうもない、言い表しえない気持ちを言う。
あはれ、は、心境の極地である。

喜怒哀楽の、すべての、極地を、あはれ、という。

結婚、三年を過ぎて、夫を、亡くしたのである。まだ、作者は、三十五前後であろう。幼い子、一人を残している。
源氏物語が、いよいよ、書き始められる時期である。
夫を、亡くした哀しみ、憂き世の思想である。
この世は、住みづらい、憂き世なのであるという確信。

なんとも、救い難い心境の中で、物語への、着想が、進んだと思える。
998年に結婚し、1001年に、夫と死別、そして、1005年、中宮彰子の所へ、出仕することになる。
これは、物語の作者として、認められたからだと、言われる。

物語は、女の慰みものとされた時代である。しかし、源氏物語は、男にも、読まれた。
それは、画期的なことであった。

上記の歌の
返しに

なにかこの ほどなき袖を ぬらすらむ 霞の衣 なべて着る世に

取るに足らない、私のような者が、夫の死に、哀しみ暮れているでしょうか。
国中の人が、喪服を着ている時です。

ほどなき袖
狭い袖の意味だが、この場合は、自分の哀しみを、謙遜して言う。
霞の衣
喪服のこと。

源氏物語の中でも、霞の衣を、喪服の意味に用いている。

帝の喪に、事寄せた、お見舞いの歌であるから、非常に、身を低くして、答えた歌になっている。

当時、帝は、仰ぐお方である。
その、お方の喪と、自分の喪とは、別物である。

なにかこの ほどなき袖を
このような、身分の者の、袖の涙など、帝の涙に比べたら、ということになる。

それは、当時の礼儀作法である。

自分の哀しみを、それによって、突き放すことが出来た。
しかし、悲嘆に暮れる心は、彼女に、物語への、情熱を生む。
この世は、住みにくい所という意識は、憂き世の意識である。以後、彼女は、この、憂き世の思いと共に、生きることになる。
書くことで、救いを得ようとするのか。

歌ではなく、散文という形に、彼女が、目覚めたところのものを、見つめてみたい。
それが、いつしか、もののあわれ、というものに、向かっていた。
歌道にあるところの、もののあわれ、というものを、物語という形で、見つめ直すのである。

散文作家ならば、一度は、源氏物語というものの、有様を、考えるという、物語を書くのである。
そして、それは、更に、世界の小説の最初であった。

更に、驚くべきことは、未完なのである。
結末が無い物語である。
それ、文学の原点ではないか。

つまり、書き切れなかったのである。
何をか。
もののあわれ、というものを、である。

いつまでも、その姿を、求め続けてゆくものであることを、源氏物語は、伝える。

つまり、もののあわれ、というものは、完成したものではなく、いつも、いつも、書き続けられる、心象風景なのである。

書き加えられ、書き加えられて、終わることのないもの、それが、もののあわれ、というものの、正体である。

日本人は、いつまでも、もののあわれ、について、思索を、迫られる。
そして、その姿勢こそ、日本人なのである。
民族の、テーマが、もののあわれ、というものなのである。

如何に、神仏の、救いがあろうと、その心底には、この世の姿と、格闘する、もののあわれ、というものを、見つめ続けてゆかなければ、ならない。
大袈裟に、言えば、それが、民族の根本原理である。

たゆたう、曖昧で、微妙な、心象風景。
不安定で、今にも、消滅するかのように、思える心象風景である、もののあわれ、こそ、民族を、支える、心根なのである。
私は、そう思う。

神仏は妄想である。92

前回まで、ドーキンス氏の「神は妄想である」という、著書から、多く引用して、書いた。

次に、仏教、そして、また、新約聖書について、書くつもりだが、再度、私の立場を、書く。

私は、主イエスと、書かれる聖書と、キリスト教、すべてのである、それと、何の関係も無いものだと、考えている。

ナザレのイエスは、キリスト教の主イエスキリストであるというのは、後世の人の勝手な、思い込みであるし、勝手な解釈である。
仏陀も、そうすると、そういうことになる。

ナザレのイエスが、私の神と、呼んだ方は、自分の守護神であり、いつも、傍について、指導をしていたのである。

単純に言えば、イエスは、ユダヤ人であり、ユダヤ教の中での、革命を、起こしたのである。世界宗教など、何ほどの意識もなかった。

新約聖書に書かれている、イエスの言葉は、それぞれのセクトの、考え方から成った、イエスの言葉である。

私の中では、私のイエスがいる。

イエスの墓が、見つかったという、「キリストの棺」という本が、少しばかり、キリスト教国で、話題になったが、それ以上にはならない。何故か。
最早、真実など、どうでもいいのである。

妄想を、信じ込んでいれば、それでいいのである。

学問と、宗教の違いである。

事実より、妄想を、信じるのであるという、この世の、真実が、よく解るというものである。

いずれ、新約聖書の、セクトの人々が書いた、言葉を、検証するが、そのように、作られたものほど、有り難がるのである。
誰も、イエスが、糞して、小便をしていたと、思いたくないというのと、一緒である。
イエスも、人間であった。
人間である、イエスを、神の子として、認定したのは、後世の人々である。

更に、宗教として、レベルが低いのは、思い違い、心得違いを、起こしているということである。
何より、聖書を、神との契約と、考えるのであるから、終わっている。

取引というのが、一神教の特徴である。
こうしたから、神は、こうしてくれるというのである。

私は、カトリック信徒でもあるから、特に、その、教会の嘘は、解る。
クリスチャンは、自己本位の人が多い。
それは、教会の教えが、そうだからである。
しかし、自己本位などというと、とんでもないと、言うだろう。その逆だと、信じ込んでいる。

神本位であると、全く信じ込めるというのも、終わっているが、レベルが低い証拠である。

私の、霊学の立場は、イエスと、主イエスとの、差が甚だしいということである。

ただし、信者になるというのは、個人の極めて個人的情緒であるから、私は、決して、それを、犯すことはしない。
尊重する。

それは、私と、同じように、自分のイエスというものを、抱いている人も多いと、思うからだ。

仏に至る道も、八千の法門というが、それぞれ、人間には、無限の道がある。

仏に成るという言葉は、方便である。

私の霊学からは、人間は、人間であるということで、善しとする。
何も、仏というものに、限定する必要は無い。
きっと、理想的人間、それを、仏というのであろう。

肉体を、持っている人間が、仏になる必要は、さらさら無い。
何故、肉体があるのかということに、気付くべきである。

更に、多く、人は死ぬまでの、暇を潰さなければならない。ゆえに、まあ、仏の道でも、目指しましょうかということであり、それを、人に強制したり、ましてや、教えを説く必要は無い。
説くというのは、布教である。

宗教団体は、信者を、兵士に仕立てて、新会員獲得を、目指す。人を引き入れれば、徳が得られると、教える、宗教は多い。
商売である。
人が多くなれば、金が集まるからである。

最初から、組織を作ろうとして、努力したという、仰天する、告白をする、宗教指導者もいるほどである。

教えを、広めるという、堕落に陥る様を、感得できないほど、宗教的感覚というのは、何かに、麻痺させるのである。

自分一人で、行っていれは、事足りる。

仏陀も、そのまま、死ぬことを、考えたが、梵天という、魔界のモノが、現れて、その、悟ったものを、人々に、教え広めよと言う。
そして、語り始めたのであるが、それで、収まらず、仏教という宗教に、発展した。

今、仏教の混乱は、甚だしい。
また、仏教誕生の地は、仏教が、廃れて、久しい。

アホな、偽の仏教である、日本の仏教が、逆布教するという、驚きである。

イエスと、同じように、私の仏陀は、生き方指導の方である。
霊的に、高いレベルにあろが、なかろうが、生き方指導者として、素晴らしいと、考える。

ちなみに、仏陀は、仏教で言うところの、仏にはなっていない。仏典に、仏陀自身が、明確にしている。
それを、知らない仏教者たちの、親の顔が、見たいものである。

2008年06月05日

神仏は妄想である93

宗門の人、特に学識ある僧侶の書くものを見ると、述べてある真理が、深く教学に立ち入るにつれ、余りにも専門化されて門外の者には疎遠な感じを起こさせやすい。それに枝葉な問題に精細になると、とかく本質的なことが置き去りにされる。むしろ学問のための宗論で、活きた信仰とはかけ離れてしまう。宗学はそれ自身、立派な存在理由を持つとしても、それが知識の羅列に陥る危険は極めて多い。しばしば特殊な専門家の特殊な問題に終わりやすく、その煩瑣な宗論が、どんなに若い人々と仏教との間に、深い溝を作っているか分からぬ。
柳宗悦 南無阿弥陀仏 より

さて、仏教について、書くことにする。
最初は、浄土教から、始める。

しかし、その前に、結論から、書くべきだと、思っている。

上記、南無阿弥陀仏は、昭和26年から、27,28年にかけ、大法輪という雑誌に、連載されたものである。
広く、多くの読者を、曳きつけたようである。
現在も、上記のことが言える。

暇な坊主の、暇な、宗論研究は、実に、いい気なモノである。
時代は、切迫している。

仏教の専門書は、何を言うのか、よく解らないもの、多い。
さらに、教学なるもの、支離滅裂であることに、気付かない。
単なる、妄想である。

私は言う。

仏教の、悟りや、救いという、観念が、何故、必要なのであるかと。
何故、人間は、悟りが、必要なのか。
何故、人間は、救われなければならないのか。

そして、本当に、悟りとか、救いというものが、あるのか。

更に、万が一、悟って、救われても、私は言う。
人間は、孤独な存在である。
いや、絶対孤独が、人間の存在理由である。

宗教は、その、真理を、誤魔化し、更には、死後の世界までも、誤魔化しで、満たす。

これ程、罪深いものが、あろうか。

死ぬまでの、暇つぶしとは言え、何程の、価値があるというのか。


ただし、仏教の開祖、仏陀を、はじめ、それぞれの宗派の開祖たちの、活動に関しては、私は、敬意を、表するものである。
また、日本仏教の開祖たちにも、敬意を、表する。
それは、時代性と、時代精神が、求めたものだからだ。

また、文学としての価値は、思う存分にあると言う。

浄土教を、先に取り上げるのは、実に、日本人に、浄土宗系の信徒が多いということ。
そして、日本仏教の巨峰といえば、空海と、法然であると、思うからだ。

空海は、いずれ書く。
法然は、仏教に縁の無かった人々に、仏教というものを、提供した功績である。
更に、貴賎別なく、教えを説いたという、行為は、注目に値する。
法然によって、仏教が、一般化したと、言ってよい。

法然は、浄土宗を開いた。
そこからである。

南無阿弥陀仏を、唱えるだけで、救われると、説いたのだ。
救われる。
一体、何からの救いなのか。

これを、見つめつつ、進める。

さて、
柳の文を、続ける。

第二の仏教に関する書物の難点は、漢語による熟字や熟語が、余りにも多いことである。使用された経文のほとんどが一切が漢訳であるから、漢語の表現を用いずして仏教を語ることは容易ではない。のみならず、長い歴史の間には数多くの特殊な術語が培養された。それ故教学に詳しくなると、術語を豊富に知るから、それを誇示するような弊さえ見える。無学な者はそれに近づくことが出来ぬ。今の学生たちは漢字の素養が乏しく、近頃は進んで漢字の使用に制限を施すほどであるから、ますます仏書を読みづらいものにさせる。

ところが、ハウツー物の、仏教入門書などにより、読みやすくなったが、内容も、薄くなる。
薄くなるというのは、解った気にさせる、ということである。
般若心経などの、入門書なのか、エッセイなのか、論文なのか、知らないが、膨大な著書があるが、いい気なものである。
般若波密多 パンニャパラミーターという、知恵という言葉を、語っているのだろうが、知恵など知らない者が、知恵を語るという、仰天である。

語れないものは、語らない方が、いいのである。

仏教を平易に説くということは、それを民衆に近づけるためである。もとより平易は卑俗の意味であってはならない。いつだとて易しさは深さに支えられていなければならない。
柳宗悦

心の、より処を、求めて、般若心経などの、経文に、興味を示すのだろうが、あれを、マジに、読むということは、マジに、おかしくなるということである。

三蔵法師玄奘訳の、般若経の、心臓部であるが、あの、空観というものは、虚無の世界に引きずり込む。
つまり、深さを感じさせて、迷うのである。
その、迷いを、安心立命と、勘違いするのである。

仏教の、教学というものは、実は、それに、尽きる。
迷わせて、それを、安心と、思い込ませるのである。

仏法とは、別名、迷いである。

膨大な仏典というものがあるのは、迷いに迷うからである。
いくら、書き綴っても、終わらないことを、真理を語るのに、終わりが無いというのは、誤魔化しである。

真理とは、単純明快なものである。

太陽は、東から上り、西に、沈むのである。

日蓮は、たとい、日が西から出ても、法華経の揺らぐことは無いなどと、アホなことを言うが、太陽が西から出たら、どうなるのか。

強い信念は、強迫を生み、更に、誇大妄想に突進する。
宗教とは、実に、それである。

神仏は妄想である。94

私はここで、大体私の立場を述べておく方がよいであろう。今までの著者と違う点が幾つか見いだせると思うからである。私はこれから南無阿弥陀仏の意味を述べるのであるから、必然この六字の念仏に立つもろもろの宗派について記さねばならない。これらのものを総称して念仏宗とか、あるいは浄土門とか呼びならわしている。
それ故私はこの一篇で、仏教の多くの流れのうちから浄土門、即ち念仏による浄土往生を説く宗門について語るのである。・・・・・そこでどうしても法然、親鸞、一遍の三祖師のことが重要な題材となってくる。それに浄土門の最も徹底した思索がこれらの人々によって成されたのであるから、どうあってもこの三大上人のことを差し置くわけにはゆかぬ。そうしてこのことは必然的に、法然によって建てられた浄土宗、親鸞によって築かれた真宗、一遍によって始められた時宗のことを述べることになる。この三宗こそは、日本における念仏門を最もよく代表する。
柳宗悦

しかし、柳は、それいずれもに、属する者ではない。
それらの、宗派を引き離して考えたくない立場であると、言う。
解説、手引きとしては、常に客観的と、いってよい。

信者というのは、愚かであるから、浄土宗の信者は、真宗より、こちらが上とか、真宗信者は、浄土宗を超えたものであるとか、色々と、アホなことを言うのである。

宗教の、アホさは、同じ経典を、戴いても、派閥が違うと、実に、反目する。
それでいて、宗教者会議とか、世界宗教者云々といって、会議を、開き、嘘八百の、平和的云々の声明を出すという、茶番である。

それは、すべての宗教に言える。
実に、救われない者こそ、宗教であると、私は言う。

三人の、始祖の中で、一番、真っ当な感覚は、「我が化導は一期ばかりぞ」と言った、一遍である。

この時のみの、化導であると、言い切る心意気は、正に、見事である。
現在の時宗は、ほとんど、無いに等しい。
柳も、一遍により、日本浄土門の結末があるという。

一遍は、捨て聖、すてひじり、である。
実に、真っ当な、求道者であった。
たった一人の教えこそ、宗教という、極めて個人的な情緒の産物であり、それを、そのままに、行為するのが、宗教家の、面目である。
また、信者もそうである。
そこには、絶対孤独の境地がある。
私が、唯一、納得するのは、そこである。

法然という礎の上に、親鸞の柱、一遍の棟が建てられているので、法然なくして親鸞も一遍もなく、また親鸞、一遍なくして法然もその存在の意味が弱まる。一人格が法然より進み、親鸞より一遍へと移るのは、時代的展開であり、内的推移である。それ故法然は彼自らを親鸞に熟さしめ、更に一遍に高めしめたといってよい。三者はこれを異なる三者に分かつことが出来ぬ。
柳宗悦

さて、浄土門の、別名は、他力信仰である。
他力があれば、自力がある。

日本の仏教は、この、二つの道で、実に反目し、議論を尽くしたが、私に言わせれば、同じものである。
行き着くところは、同じ場所である。
その場所は、誇大妄想という、場所である。

無いものを、在ると、信じるのである。
妄想以外の何物でもない。
だが、それを、否定しない。
時代性と、時代精神による。

法然の、選択本願念仏集を、読むと、彼が、実に、お勉強したことが、解る。
三十年間を、学びに尽くした。
法然は、鎌倉時代の人と、いわれるが、鎌倉幕府が成立した時、法然は、六十歳である。
平安末期の人であった。
平安期とは、言わずと知れた、阿弥陀信仰の盛んな時期である。

だが、平安期の、阿弥陀信仰は、貴族や、その女房たちの、アクセサリーのようなものであった。
更に、抑鬱気味の時代である。
その、不安感を、鎮めるものとしての、阿弥陀信仰である。

法然は、その、偏狭だった、阿弥陀信仰を、一般に開放したと言ってよい。
更に、我が身のことである。

ここで、法然、親鸞共に、自虐的性格であることを言う。
つまり、末法という時代にある我と、戒定恵という、僧侶としての、器ではないという、自覚。
簡単に言う。
私は、駄目人間だという自覚。
親鸞にいたっては、どうしても、セックスがしたいと、その欲望を、抑えられないのだという、自虐が、こんな者でも、救われるという、念仏の教え、浄土門の教え、法然の教えに、ただ、任せるのだという、徹底した諦め。それを、後で人は、他力の甚深なる教えと、称えるのである。

一人で、やっているうちは、良かったが、それを、人に説くなと、言う。
ところが、親鸞は、それを、人に説いた。そして、信者まで、現れた。
そして、言うことが、親鸞は、弟子一人も持たない。皆、同行者だと言う。
それも、思索の深さとして、理解されている。

どうして、女を、二三人引き連れて、山に籠もり、セックス三昧の、日々を過ごさなかったのか。どうして、浄土宗から、さらに、浄土真宗という、教団にまで、いったのか。
ちなみに、最初は、浄土新宗であった。
お解りか、新である。つまり、新しいと、つけて、呼んだのである。
後に、真と、直した。

ここに、親鸞の迷いがある。
自虐趣味の、告白本、歎異抄は、文学的価値の、実に、高いものであるが、それは、弟子の唯円の筆である。

その子孫の、蓮如も、セックス好きで、多くの女に多くの子を産ませた。そして、浄土真宗という、教団を、強固なものとしたのである。
時の、為政者と、渡り合うような行動も取るという、宗教家というか、政治家でもあった。
彼の著作も、文学的価値の高いものであるが、果たして、宗教という、情緒にあるものか、疑問である。
真宗王国を、作らんとした、野心は、どこからのものか。

島崎藤村も、自らの罪深いことに、嘆き、破壊という、小説を書いた。
しかし、彼らは、自らの罪深いことに、嘆き、宗教を、作ったのである。
この、様を、迷いと、言わず、何と言うのか。

そして、その迷いを、多くの人に、共用させた。

知らないことを知るということは、知識である。
宗教の教えは、知識を、出ることはない。それを、知恵、更に、仏の知恵、涅槃の境地などと、アホなことを言うのである。

要するに、人間を、何故か、超えたところにあるような、物言いをするのである。
それが、彼らの手なのである。
いつまでも、信徒を、縛り付けて、搾取するという、手である。

勿論、彼らも、涅槃の境地、仏の知恵などという、境地など、知らない。知るはずがない。知るというならば、妄想である。
何故なら、そんなものは、無いからである。
空の思想ではない。
無いものなのである。

それを、追々書いてゆく。

2008年06月06日

神仏は妄想である95

自力、他力の二道は、互いに異なることに意味はあるが、異なったままに一つに即することに、更にその威儀がありはしまいか。もし一つに即することがなくば、二つの道は中途に止まっているものとして、厳しく批判されてよい。私は何も自他二道が始めから同一だと主張するのではなく、異なることによってかえって一つに即する所以に、驚嘆を覚えるのである。
柳宗悦

自力、他力という観念は、どこからきたのか。
中国思想である。インド大乗思想では、まだ、未分化であり、まして、仏陀の教えに、自力も他力も無い。言えば、そんな観念は無い。
仏陀は、人は行為によって、成るものに成るという。仏になりたければ、仏として生きればよい。ただ、それだけである。

例えば、禅宗は、座禅によって、悟りを求める。
自力である。

他力は、弥陀の本願を信じて、ただ、信心による。
後で、弥陀の本願というものを、見る。

両者は、結果的に、同じところに行き着くものだという。

むしろ一つに即するための分化だと見るべきであろう。男女が分かれるのは、分かれたそのままがよいということではない。一つたるがための差異なのである。分化することに目的はない。まして対立し反抗するということに、意味があるのではない。分化することで結合があり、結合し得るのは分化があるからだといえるのであろう。一方を肯定することで他方を否定すべきではなく、お互いが相即されるために差異が要請されているのである。
浄土門に絶大な意義があるのは、その要請のためだといわねばならぬ。
柳宗悦

押しても駄目なら、引いてみな、である。
要するに、同じ穴の狢である。

柳氏の、文を、茶化すのではない。
その通りである。
仏教においては。

客観的に、見れば、自力も他力も、同じものである。
要するに、仏になるとか、悟るとか、往生するとか、救われるとか、と、いうことのためにである。
同じであろう。

いずれにしても、目的は、同じである。
どちらにせよ、性格であろうし、方法であろう。

問題は、それ以前のことである。

柳宗悦氏は、実に、有意義な活動をしている。
民芸品の、価値の再確認である。
それを、浄土門の、教えから、説いているのである。
それも、一つの価値付けといえる。

だが、
平凡な常識ではあるが、ひとわたり事実を語ってゆこう。日本の文化史の中で何が最も高い位を占めるか。何としても偉く深いのは、幾人かの仏徒たちの行跡である。仏教が培った高僧たちの言葉や行為である。あるいはまた妙好人の如き篤い信者たちの一生である。「妙好」とは白蓮華の意で浄い心を意味する。見渡しても彼ら以上の日本の姿は見えぬ。それらの人々のことを想うと、仏教がどんなに深いものであるか、または人間がどれだけの高さまで行き着けるものなのかが分かる。実にそれらの僧侶や信徒たちが現れたばかりに、日本の文化には千鈞の重みが加わる。もしそれらの人々がいなかったら、日本は何を中外に誇り得るであろう。
柳宗悦

上記、実に、認識不足である。
彼ら以上の日本は見えぬ。
日本は何を中外に誇り得るであろう。
何という、誤りか。

それでは、あの、シルクロードに、伝わった仏教が、何故、イスラムに取って代わられたのか。
仏教ではなく、日本人だから、仏教を生かせた、また、応用して、更に、精神的に高いものに、仕立てたのである。

仏教によると、思い込むのは、柳氏の自由であるが、全く違う。

更に、彼ら以上の日本は見えぬというのは、本人が見えないだけで、見ていないのである。

私には、万葉の時代の、素晴らしい日本人が見える。
更に、舒明天皇から、庶民に至る面々に、脱帽するのである。

さらに、
日本に仏教が伝わらなかったら、日本は精神的にどれだけの深みを持ち得たであろう。

仏教の前にはまだ薄い淡い影に過ぎまい。

と言う。

精神的深みを、どのように定義しているのか、解らない。
また、薄い淡い影とは、何か。

私の言葉で、言えば、万葉の精神の深みを、知ってのことかと、言う。
そして、薄い淡い影とは、たゆたう心、曖昧微妙な心である。これは、日本人の最大の特徴であり、精神の格調の高さである。

微妙繊細な、心が、もののあわれ、という、心象風景を、描いたのである。

柳氏は、仏教に関わる僧たちの、文学的著述に、没頭しているに過ぎないのである。

勿論、柳氏が、それを、精神的高さと、評価するのは、否定しないが、日本を、知らないと言える。

最も、勘違いしているのは、仏教によるのではなく、それが、日本人によった、からである。

仏教文学を、これだけ、高みに押し上げたのは、日本人だけである。

極めつけは、
わが民族に無限の自信を贈るのは、吾吾の歴史にそれらの人々の足跡を持つからである。
と言う。

私は言う。
我々の民族に無限の自信を贈るのは、万葉集や、源氏物語における、更に、和歌の歌道における、人間の道であると。

決して、人間を、超越したような、化け物を、置かなかったことである。

仏教、更に、それ以前の、インドバラモン等々のように、人間を超えたモノ、化け物を、主に、拝まず、崇めず、呪術を行わず、自然に、共生し、共存し、更に、自然を、カミの依り代、よりしろ、として、自然を、畏敬した心情である。

そこには、何も、超越したモノは無かった。
決して、自然を、超えるという、傲慢な思想はなかったのである。

文字に迷うのが、宗教である。
更に、言葉に迷うのが、宗教である。

南無阿弥陀仏という、六文字というが、なむあみだぶつ、とは、音では、七つである。

日本には、一音に意味があり、ウーと、唱えれば、呼び出しの音霊であり、オーと、唱えれば、送り出しの、音霊となった。

文字の観念に、陥らなかった、民族である。

文字の羅列を、尊ぶのは、構