九月九日、菊の錦を、「これ、殿の上、「いとよう老のごひ捨てたまへ」とのたまはせつる」とあれば
菊の露 わかばかりに 袖ふれて 花のあるじに 千代はゆづらむ
九月八日から九日にかけて、菊の花を真綿で覆い、露と香りを移して、その真綿で、体を拭くという老いが、除けると考えられた儀式がある。
殿の上とは、殿様の北の方、道長の妻の倫子のことである。
老いを捨てたまえと、言われたことに。
菊の露で、体を拭けば、千年も寿命が延びると言われますが、私は、若返るほどに、少し袖を触れるだけで、千年の寿命は、花の持ち主である、あなたに、お譲りします。
水鳥どもの思ふことなげに遊びあへるを
水鳥を 水の上とや よそに見む われも浮きたる 世を過ぐしつつ
水鳥が、何も物思わず、遊ぶのを見て
水鳥の、楽しき様を、私に関係ないと、見ていられようか。
傍目には、私も、華やかな宮廷で、過ごしているように、見えるのです。
われも浮きたる
浮ついている。宮仕えに、浮ついて、日を過ごしているように、見えるという。
小少将の君の文おこせたまへる返り事書くに、時雨のさとかきくらせば、使も急ぐ。「空の気色も心地さわぎてなむ」とて、腰折れたることや書きまぜたりけむ。立ち返りいたうかすめたる濃染紙に
雲間なく ながむる空も かきくらし いかにしのぶる 時雨なるらむ
土御門殿への、一条天皇の行幸が、近づいた頃、里に出ていた、小少将の君からの、手紙への返事である。
時雨が、降り、空を暗くした。使いの者、返事を急ぐのである。
空模様が、怪しくなるのつけて、気持ちが落ち着かない。
返事の中に、腰折れ歌を書いてしまった。
腰折れ歌とは、第三句と、第四句の、続きの悪い歌である。
また、自分の歌を、卑下する場合もある。
折り返して、小少将の君から、紙の上と下の部分に、雲のたなびく形を、濃い紫に、染めてぼかしたものに。
物思いに沈んで、眺めている、空も、雲の切れ間なく、降り続く時雨は、あなたが恋しくて、耐えられない、涙のようです。
いかにしのぶる
如何に偲ぶる、である。また、しのぶる、とは、こらえるという意味でもある。
空模様と、心模様を、合わせている。
返し
ことわりの 時雨の空は 雲間あれど ながむる袖ぞ かわくよもなき
当たり前に降る、時雨の空には、雲の絶える間がありません。
あなたを思い、物思いする、私の袖は、乾く暇もありません。
少し、大袈裟なくらいが、丁度よいのである。
親しみの関係である。
恋歌ではないが、恋歌のような、気分にさせる。
大納言の君の、夜々御前にいと近う臥したまひつつ、物語りしたまひしけはひの恋しきも、なほ世にしたがひぬる心か
うきねせし 水の上のみ 恋しくて 鴨の上毛に さえぞおとらぬ
中宮の上臈女房、道長の妻、倫子の姪。
夜、中宮の御前で、宮仕えの、辛さを語るが、今の境遇に、順応してしまったことである。
中宮様の、御前で、あなたと一緒に過ごした時が、しきりに恋しく、一人いる、里の霜夜の冷たさに、鴨の上毛の、それにも、劣りません。
里に下がった時の歌である。
返し
うち払ふ 友なきころの ねざめには つがひし鴛鴦ぞ よはに恋しき
うちはらふ ともなきころの ねざめには つがひしをしぞ よはにこいしき
上毛の霜を、互いに払う、語り合う友もなく、独り寂しい夜中に、目覚めると、鴛鴦のように、過ごしたあなたが、恋しいことです。
鴛鴦、おしどり、である。
番の鳥のこと。
贈歌の鴨を、つがいの、おしどりにして、恋しさを歌うのである。
よはに恋しき
夜半である。夜の中、つまり、夜中である。
恋歌として、生かしてもよい歌である。
万葉の歌も、相聞歌が多い。相聞とは、恋歌である。
恋歌が、歌の基本にある。
日本の伝統には、恋というものが、厳然としてある。恋心を知らなければ、歌は詠めない。歌を詠むということは、恋を歌うということである。
恋とは、人生全般に渡る、心得であった。
恋とは、人生、そのものであった。
恋も、友情も、人の情けにある。
つまり、情けの歌なのである。
勿論、それは、もののあわれ、というものに、支えられてある。
情けの心象風景は、もののあわれ、なのである。
情を交わす、情をかける、情に流れる等々、皆、もののあわれ、というものによる。