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2008年09月 アーカイブ

2008年09月01日

神仏は妄想である。146

荘子に関しては、史実として、確たる証拠があり、前四世紀の初期から末期にかけての、人である。が、老子に関しては、不明である。その前後なのか、複数の人なのかである。

老子は、道家学派の間で、蓄積された、格言なのではという、こともいえる。

また、荘子も、内篇は、荘子の手により、外篇は、荘子学派の人によるものではないかと、いわれる。

自然、無為自然という言葉は、老荘思想から、初めて言われた言葉である。

その自然の、第一義は、自然とは、他者の力を借りず、それ自身の内に在る力、働きにより、そうなること、という。

万物の自然を輔けて、敢えて為さず。
ばんぶつのしぜんをたすけて あえてなさず

老子の言葉である。

学を為すは日に増し、道を為すは日に損す。これを損して又損し、以って無為に至る。無為にして為さざるは無し
老子

人為は、退廃と無秩序をもたらす原因である、という。
老子は、ひとえに、太古の自然のあり方こそ、最も理想の生き方であるという。

自然が失われた時、仁義という作為的な道徳が生まれるというのは、孔子の反対である。

大道廃れて仁義あり。知恵出でて大偽あり。六親和せずして孝子あり。国家昆乱して忠臣あり。
老子

世の乱れを救うために、道徳や法律を厳しくすることは、更に混乱を招くという。
現代の、日本を見れば、解る。

多くの説明を、要するが、そうすると、老荘思想に、多くを費やすことになるので、大まかに、書く。

赤子のようになり、無為自然に生きることが、善いと、老子は、言う。
それを、現実の生き方として、考えてみるに、非常に、生き難い感じが、しないでもない。

無知、無欲、無名、無極、無物など、老子の言葉には、無、という言葉が多い。これも、仏教の空の思想に通じることになる。

老子の、無の思想は、無は、姿こそないが、そこから、無限の妙用があらわれる、根元であるとする。
有が有としての、働きがあるのは、背景に、無の働きがあるからであると、言う。

無用の用、とは、ここから、生まれた。
しかし、老子の思想は、荘子によって、完成される。

人為が、生み出した有を否定し、形ある有を否定し、虚無そのものを、善しとした、無為自然に至る道を、説くが、それを、荘子は、より深く突き詰めた。

老子が、人為として、道徳や、政治に置いたのに対し、荘子は、より根源的なもの、哲学的認識論の立場から、人為を考察する。

荘子は、有無の対立を根本から否定し、無差別自然という、境地に達する。

あらゆる価値観の対立も無く、自然の世界には、善も悪も無く、相対差別から離れて、是非、善悪、美醜などを、超えた、自然の世界を捧げるのである。

人力ではどうすることもできないと悟ったとき、運命のままに従うことこそ、至上の徳であるといえよう。
荘子

すべてを物事のなりゆきのままになかせ、心をゆうゆうと自由の境地に遊ばせて、やむにやまれぬ必然のままに身をゆだね、心の中におのずからな中生の状態を養うがよい。しいて、よい結果を求めようとするな。ただ天命のままに従え。
荘子

これは、結果、禅の悟りの境地にもなる。

更に
聖人は一切を失うことのない境地、一切をそのままに受け入れる境地に遊び、一切をそのままに肯定する。青春をよしとし、老年をよしとし、人生のはじめをよしとし、人生の終わりをよしとする。
荘子

荘子は、死を賛美した思想家でもある。
禅を学ぶのならば、まず、老荘を学べばよい。

荘子の、正さは、運命の絶対者を置かないことである。
仏という、化け物を、置かないということである。
そのような、妄想を抱かないのである。

簡単に言えば、風そのものには、音が無い。しかし、風は、様々な物によって、音を出す。ただ、人は、その風に吹かれるだけである。
その風に、笑うことも、泣くこともある。しかし、風の、本質は、変わらない。

自然の思想は、人為を廃するだけではない。神というモノも、廃する。
仏陀と、同じく、無神論である。

人間が生まれたのは、自然、必然の運命にあり、神なる絶対者によるものではない。もし、そうならば、人間は、自然ではなくなる。他然になる。

仏陀は、すべては、因縁に依ると言う。
荘子は、自然、必然の運命であるという。

中国にも、絶対者としての、神という観念があったが、思想家たちによって、それは、否定された。

ただし、中国思想家たちの、最大の、認識不足は、霊というものを、真っ当に、見つめなかったことである。
孔子をはじめ、死後の世界を知らないと、言う。

荘子に関しては、生死に関しての、思索が多く、納得するが、極めて、合理的であり、心霊などの、考え方を見出さない。

霊界の、存在を知らない、平面思想であるとだけ、言う。

ただし、実に、私は、理想的な、思索を為したと、思う。

天の思想、道の思想として、この三次元の世界を、実によく把握したといえる。

ただ、その後の、道教に至っては、興味がない。
確かに、道教の要素は、多分に、日本に影響を与えたが、それを、今、論ずることはしない。

私は、老荘思想が、禅に与えた影響の大きさを言うものである。
禅は、中国思想により、禅として、成り立った。そして、それが、日本禅にも、当然、大きな影響を与えたという。
それより、老荘思想は、禅を超えていると、私は思う。
仏を、置かないからである。

さて、少しオマケで書く。
荘子、外篇にある、欲望肯定の言葉である。

人間の寿命は最高でも百歳、中ほどで八十歳、短いもので六十歳に過ぎない。しかもそのうち、病気や肉親の死など、さまざまな憂いの期間をさしひけば、口をひらいて笑って暮らせるのは、一月のうち、せいぜい四、五日にすぎない。
天地は無窮であるのに、人間には死ななければならない時がある。限りある身を天地の無窮にくらべれば、まことに千里の馬が戸の隙間を走りすぎるのにも似て、一瞬のことでしかない。このつかのまの人生において、その心の欲望をみたすことができず、その寿命を養うことができないものは、道に通じた人間だといえるであろうか。


更に
歌舞や女色、口にうまい食物、さては権勢といったものは、別な学ばなくても自然に人間の心の楽しさを覚えさせるものであり、教えられなくても自然に人間の身体に快適さをもたらすものだ。快適なものに喜んで近づき、いやなものを憎んで避けるのは、別に師から教えられなくても自然にできることであり、これこそ人間の本性なのだ。

実に、すっきりとする、言葉である。
付録として、ここに書いた。

2008年09月04日

性について

性について、書くと、決めてから、一週間を経て、書き始めることにした。

戸惑いがあめのは、終わりのないものになるのではないか、という、不安である。
これで、お終いという、お話ではない。
延々と続くのが、性であろう。

古来から、性については、多くの人々が、書いてきた。今も、そうである。
私の、少ない書籍の中にも、性について、扱ったものが、多々ある。
生物学、心理学は、ともかく、様々なタイプの、性についてが、ある。

どれを、取り上げて、性を、書き始めても、いいと、思われる。
私は、素人だから、ランダムに、気の向くままに、書くことにする。

何故、性を書くのかと、言われれば、性は、死と共に、人間の、最大のテーマである。

ただし、性を書くのであり、性行為についてを、書くのではないということである。
性行為に、関して書いても、それは、性を、語るためのものである。

性とは、何か。
終りの無い旅を始める。

性の歴史は、人間の歴史である。

最初に、旧約聖書の、レビ記から、引用する。
「女と寝るように男と寝る者は・・・
必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰するであろう」
故に、今でも、同性愛者を、死刑にする国がある。

特に、アラビア・イスラム圏である。
西洋も、キリスト教により、死刑を、行っていた時期もある。

新約聖書、パウロの、ローマ人への手紙には
「女との自然な関係を捨てて、互いに情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなす」
と、書かれている。

つまり、それは、こういう行為、同性愛行為が、実に、多かったことを言うのである。

ユダヤ、キリスト、イスラム教では、何故、それほどまでに、執拗に、同性愛というものを、排除しようとしたのか。

矢張り、それが、多かったためである。
そして、もう一つは、教義である。

それらの、宗教以前に、何が行われていたのか。
同性愛というものを、その、恐るべき、生殖能力を、神に捧げるという、古代信仰によるものである。
つまり、神のみ使いいである、神官に、それを、捧げたことから、始まると、思われる。

それは、聖書の教義、同族の結束を砕くものになった。
その、結束の元とは、偶像崇拝という、言葉に置き換えられる。

それほど、聖書の中に、禁止項目として、載ることは、それが、広く行われて、さらに、流行していたと、いうことである。

人類が、宗教の芽生えを、感じはじめた頃である。
神々は、自分たちと、近い存在であり、しかし、自分たちより、力の強いものであるという、単純な意識である。
そして、その神たちは、男女両性であった。
男も女も、両性の神を崇めていた。
しかし、そのうちに、両性の神が、それぞれに、分かれて、それぞれの、性の偶像となり、男は、男神を、女は、女神を、拝むのである。

神の住まいと、される、神殿にて、同性の神が、礼拝され、巫女と、神官が、神を引き寄せる役目を、帯びる。
更に、巫女も、神官も、神と、近いものという意識が、芽生え、彼らに、捧げるもの、それが、性となった。

世界の至るところに、見られる、男性器、女性器の、崇拝が、行われる。
それは、しかし、偶像なのであり、聖書の神は、偶像を嫌った。
純粋な、一神教の信仰とは、相容れないものとなった。

聖書は、子を、もうけるためだけの、性を、正当化する。
他の目的の、性は、乱用であり、罪悪であるとの、意識を、持つことになる。

非宗教である、政治の法律でも、聖書の解釈に、則り、同性愛を、禁止するということで、それは、確定した、罪になった経緯がある。

さて、何故、私が、これを、最初に取り上げるのかは、性、というものの、本来の姿を、見るためである。

性は、性行為にのみ、あらず、ということを、言うために、これを、最初に取り上げた。

最初、人は、性と、生殖を、結び付けては、考えなかった。
全く、別物であった。

そこから、性について、が、はじまる。

更に、突飛だが、単細胞動物の、ゾウリムシを、言う。
一番下等な、動物といわれる。
分裂による、生殖を、行うものである。

しかし、時に、有性動物のように、二匹が、結びつくことがあるという。
その時、ゾウリムシは、水の中に、ホルモンのような液体を出し、互いに相手を、引き寄せる。
それが、生殖行為である。

ウニ、ヒトデのような、無脊椎動物は、どうか。
性の区別は、ある。
その生殖は、植物のようである。
雄と、雌が、接触しない。
成熟すると、それぞれが、生殖液を、放ち、それが偶然に、結びつくのみである。

魚は、どうか。
雌の、卵の上に、雄が、精液を、振り掛ける。
接触は、しない。

雄と、雌が、接触して、生殖行為を、行うのは、ミミズのような、環形動物から、はじまる。
ミミズは、雄雌の同体であり、二匹が、互いに逆方向に、接触して、それぞれが、精子を交換するというものである。


2008年09月05日

性について2

水棲動物には、挿入器官としての、ペニスは、無い。
故に、接触することはない、のである。

陸上の高等動物になって、昆虫でも、ペニスがある。
そして、雄と雌の、複雑な、接触が行われる。

空気中では、生殖液が、乾燥してしまうため、雌の体内に、精子を送り込むという、作業が必要になる。
これが、人間に続く、基本的な、性行為に、至るのである。

それでは、雄と雌を、強烈に曳き付けるものは、何か。
そのままでは、接触は、行われない。
人間以外の、動物は、性行為を、快適なものと、認識しているのか、どうか、解らないし、また、快適な、状態を維持しない、動物もいる。

人間だけが、明確に、性行為に、快楽が、付くのである。

これが、性の、正体なのであるが、話を続ける。

雄と、雌を、強力に、曳き付けるものは、匂いである。
すべての、動物の、性的欲求を、刺激するのは、匂いであるということ。

蛾や、蝶などの仲間は、何十キロ離れた場所からでも、雌の匂いを、知る。
雌犬の、膣にある、分泌腺からも、何マイルという遠くの犬に、それを、知らせるものがある。
この、匂いを、雄犬が、嗅ぐと、狂うように、興奮する。
だが、人間は違う。

ここである。
他の動物との、大きな違いである。
それを、進化というのか、私には、解らない。

人間は、臭覚でも、触覚でも、聴覚でもないのである。
人間の、最大の、性的興奮は、視覚である。

つまり、人間の性の、刺激は、視覚によるといえる。

ということは、性というものは、視覚によると、言えるのである。
性の前に、視覚という、働きがある。

しかし、それを、語る前に、再度、原始のヒトに、戻らなければならない。

性というものを、認識する以前の、ヒトの、歴史である。

それの、手掛かりは、未開部族にある。

これから、暫く、人類学者、性科学者の、論文を、見ることにする。

ポリネシアのトロブリアンド諸島の、原住民たちは、性交と、妊娠の間に、因果関係があることを、全く知らなかった。
性の欲望が、種族保存の本能であるという、説は崩れる。

原住民は立派な婚姻制度をもってはいるが、子供の出生に男があずかることを全くしらない。彼らにとって父という言葉は明瞭な定義があるけれど、その定義は全く社会的なものにすぎない。父は母と結婚し、母と同じ家に住み家族の一員となる男を意味する。
未開人の性生活 マリノウスキー

更に、驚くのは、
父はトマカバすなわち「見知らぬ者」より正確には「よそ者」の意味で呼ばれたりしている。この表現は、相続の問題を論じたり、あの種の行為に筋をとおそうとする時や、あるいは争いごとで父の地位が下がってしまった場合などにさいしての会話に、しばしば用いられる。

私は、暫し考え込んでしまった。

生殖が、妊娠と関係ないと、考えた場合は、関係あると、考える人たちとは、その、性に関する考えたから、あらゆる秩序が、全く違う、常識で、考えられ、行為されることになる。

これは、性というものを、考える上で、実に、参考になる、考え方である。

性と、生殖を別にすると、性行為の、乱れが起こるなどという、考えは、起こらないのである。
もし、今、文明社会という中に、性は、生殖と、別ものだとすると、どのようなことになるであろうか。
性の乱れ、甚だしく、収拾がつかなくなるであろう。
性が、生殖、妊娠と、結びつくから、抑制が、働くのである。

ここで、考え方を、実に、柔軟にしなければ、いけないことが、解る。

父が、こちらの、観念では、測れないとして、彼らの生活を見ると、今までにない、新しい、社会が、見えてくる。

これは、私には、開眼というようなものである。

性というものの、捉え方で、父や、母に対する観念が違うということ、当たり前であるが、驚きになる。

私がここで用いる「父」という言葉は、われわれの場合と異なって、法的、道徳的、生物的などの各種の意味内容をもっているのではなく、トロブリアンド社会での特殊な意味にとらなければならない。混乱を避けるために、父という単語のかわりに原住民の「タマ」を使い、また「父関係」のかわりに「タマ関係」といった方がよいと思われるが、実際にはあまりに不便である。そこで以後「父」という単語にぶつかった場合には、英語の字引にあるものとしてではなくて、原住民の生活の諸事情に照らして解釈すべきであるということを忘れてはならない。
マリノウスキー

ここで、私は、思考の柔軟性というものを、事実知った。
違うモノを、理解する時、その言葉自体の観念も、柔軟にして、切り替えることであると。

これは、異質なモノ、例えば、イスラム社会などを、理解する時にも、必要である。

私の常識は、私のモノであり、他者のモノではない、という、当たり前のことに、気付くのである。

故に、実に、学ぶべきなのである。
知らないことは、無いことであるから、出来る限り、学ぶことにより、異質なモノ、違うモノを、理解し、柔軟な姿勢に、立って、理解というものを、必要とするということ。
これは、国際化といわれる、世界に対処するためには、必要不可欠である、心構えとなる。

性について3

トロブリアンド島の、父という観念が、全く違うということを、書いた。

性と、生殖が、結びつかないというだけで、このように、異質なものになるという、例である。

島の、結婚は、嫁入り婚である。
女は、夫の村に入り、夫の家に住む。
そこで、父は、子供たちにとって、親しい仲間であり、男は、進んで子供たちの面倒を見る。子供たちの、教育にも、携る。
同一家庭内での、子供たちと、円熟した慈悲深い男との情操関係を持ち、他方社会的には、母と、密接な関係をもち、家庭の主人たる、男である。

上記、性と、生殖が結びつくという、社会の父も、そのようである、が、子供が、成長すると、それが、生殖と結びつくという、社会とは、大幅に違ってくる。

父は、自分と同じ氏族に属する者ではなく、トーテム名称も異なる。
自分と、同じなのは、母であると、明確になる。
あらゆる、義務も、拘束も、プライドまでが、母との間に、結ばれて、父とは、分離していることを、知る。

更に、子供は、父とは、別な男、それは、母の兄弟に向けられる。
その、母の兄弟が住む村が、自分の村であり、そこの、財産や、権利が将来待っていることを、知る。

子供は、生まれた村で、よそ者扱いされることがあるが、母の兄弟のいる村では、自分の村であり、父が、そこでは、よそ者、扱いされる。

更に、進むと、父は、その権威と、助言などが、無視されるようになる。
父は、単なる男として、認識される、というのだ。

この、部族については、何度も、これから、このエッセイに登場することになる。

さて、性というものが、人間には、快感を伴うものであると、当たり前に信じているし、また、そのために、性を楽しむのが、当たり前である。
妊娠を、求める人より、性の快楽を、求める人の方が、圧倒的、多数である。

しかし、動物は、どうか。
皆、性の快感を、感じているのか。

全然、逆である。

命懸けの行為の場合もあり、とんでもない、苦痛を伴う種類もいる。

身近な例でいうと、犬の場合は、交尾の際は、肛門筋の痙攣による、生理現象が起こり、15から30分程に、わたり、雄雌が、つながっていなければならない。
人間は、その程度、楽しまなければ、早漏などといって、悩みになるが、犬は、苦痛である。

それでは、猫はどうか。
ペニスに、剛毛がはえているので、交尾後に、雄が、ペニスを引き抜こうとすると、雌は、苦痛を感じないわけにはいかない。

生殖本能で、快適気分を、味わう人間には、信じられない、動物の世界があるのである。

モグラは、膣に、厚い膜があり、塞がれている。
鋭いペニスでなければ、その膜を、破れない。
雄は、逃げ回る、雌を追い、雌の、膣の膜を、破って、ようやく、目的が達せられる。

ある種の、クモや、カマキリなどは、交尾の後で、雄が、雌に頭から、食べられるという、壮絶な性交渉である。

人間が、性交渉を、長引かせて、より、性を楽しむなどということは、他の動物には、見られないことである。

もし、動物たちに、知性が、あれば、人間の性交渉の、あり方を、笑うだろう。
何故、それほど、性行為に、拘るのかと。

結果、言えることは、人間の愛の行為、つまり、セックスをするという行為は、生殖本能とは、別なのである。
快楽の、欲求に、動かされているのである。

この、性行為を、愛の行為という、言葉に、私は、欺瞞を感じている。
誰の、策略か。
雄が、性を楽しむために、雌に、性の快楽とは、別に、心的満足感を、与えるように見せる、愛という言葉である。
嘘、でしょう。
ただ、セックスして、射精したい、だけでしょうとは、雌は、言えない。
雌も、それを、望むからである。

更に、複雑なのは、自分を、道具として扱っていると、思えても、相手に、好意、これが、曲者であるが、抱いていれば、雌は、体を、差し出すという、蒙昧。

私は、大人のオモチャの、製造元から、カタログを、取り寄せて、それらを、見渡すと、素晴らしい、マスターベーションの世界が、広がっているのである。
しかし、それでも、生身の相手を、求めるという、人間の性、この場合は、サガと、読む。
人間の、サガというものを、感じる。

人間は、性なるものである。
それほど、性は、脳に、何か特別な、分野を、作ったとしか、言いようが無い。

だから、優れたマスターベーションの、道具があっても、それで足りないと、欲求する、そのモノを、見ることで、性を、より深く理解できると、思っている。

例えば、金で、手に入る、雌というモノがいる。
売春である。
しかし、中々手に入りにくい、雌を、手に入れようとする、その雄の行動は、何から、発するものなのかを、追求すれば、一つの手掛かりになる。

そして、もう一つは、同性愛の、性行為である。
それを、解明すれば、性というものの、姿が、現れると、思うのだ。

どうしても、人間という、相手を、必要とする、人間の性である。

更に、性衝動を、別のモノ、特殊性行為と、私は呼ぶ。
覗きや、露出、更に、大便小便、アナルへの、興味等々の、欲望を、解明すれば、性というものの、姿が、見えるだろう。

そして、それは、最期に、脳の働きに、行き着くのである。
性は、脳なのである。

2008年09月06日

もののあわれについて268

からうじて鳥の声はるかに聞ゆるに、「命をかけて、何の契りにかかる目を見るらむ。わが心ながら、かかるすぢにおほけなくあるまじき心の報いに、かく来しかた行く先のためしとなりぬべき事はあるなめり。しのぶとも、世にあること隠れなくて、内に聞し召さむをはじめて、人の思ひ言はむこと、よからぬわらはべの口すさびになるべきなめり。ありありて、をこがましき名をとるべきかな」と、おぼしめぐらす。

ようやく、鶏の声が、遠くに聞こえた。
君は、心の内で、命まで、賭けて、なんの因果で、このようなことになったのか。我が心の内からとはいえ、この道の、不謹慎な欲望の、応酬で、過去や、未来に例となるような、事件が起こったのだ。
隠しても、実際に、起こったことは、隠せない。
いつかは、主のお耳に入ることだろう。そして、世間の思惑、噂になり、更に、賎しい童たちの、噂の種になる。
挙句の果て、愚か者と、言われることだろう。と、考え続けるのである。


かく来しかた行く先の ためしとなりぬべき事は あるなめり
過去や、未来の、例になるだろう。

しのぶとも 世にあること隠れなくて
隠しても、隠くすことは、出来ない。


かろうじて惟光の朝臣まいれり。よなかあかつきと言わず、御心に従へる者の、こよひしもさぶらはで、召しにさへおこたりつるを、憎しとおぼすものから、召し入れて、宣ひ出でむことのあへなきに、ふとものも言はれ給はず。

やっと、惟光の朝臣が、来た。
夜中でも、朝でも、御意に背かない者が、今夜という今夜に限り、お傍に、いず、その上、お召しに、遅れたことを、けしからんと、思いつつも、呼び寄せて、お言葉に、されようとするが、情けない話になので、急に、口が、利けないのである。


右近、太夫のむはひ聞くに、初めよりの事うち思ひ出でられて、泣くを、君もえ堪へ給はで、我ひとりさかしがり、いだき持給へりけるに、この人にいきをのべ給ひてぞ、悲しき事もおぼされける。とばかりいといたく、えもとどめず泣き給ふ。


右近は、太夫が来たことを知り、初めからのことが、思い出されて、泣く。
君も、我慢出来ずに、一人、気丈に、抱かかえていたが、惟光に、ほっとされて、悲しい思いが湧きあがる。
しばらくの間、止めようもなく、お泣き続けになるのである。


ややためらいて、源氏「ここにいとあやしき事のあるを、あさましと言ふにも余りてなむある。「かかるとみの事には、読経などこそはすなれ」とて、その事どももせさせむ、願などもたてさせむとて、アジャリものせよと言ひやりつるは」と宣ふに、惟光「昨日山へまかりのぼりにけり。まづいとめづらかなる事にも侍るかな。かねて例ならず御ここちのものせさせ給ふ事や侍りつらむ」源氏「さる事もなかりつ」とて泣き給ふさま、いとをかしげにらうたく、見奉る人もいと悲しくて、おのれもよよと泣きぬ。

しばし、気を静めてから、源氏は、ここに実に、意外な事が起こり、大変なこと、いや、それ以上のこと。
こんな急なことは、読経などするのが、よいとのこと。
そんなことも色々しようと、願も立て、アジャリも、来るようにと、言っておいたのだ、と仰る。
惟光は、昨日、山に参りました。
何にせよ、不思議な事件でこざいました。
前々から、ご気分の悪いことでも、ありましたか。
源氏は、そんなことは、なかったと言う。
そして、泣いた。
実に、美しく、可愛らしい。
それを、見ている惟光まで、悲しくなり、自分も、声を上げて泣いた。

泣き給ふさま いとをかしげにらうたく
泣き姿が、大変に、をかしげに、見えるという。
作者が、それを、強調する。

しかし、不思議なことに、源氏の姿形が、どこにも、書かれてないのである。
ただ、美しいの、一点張りである。
何故か。
美しいという、物指しを、読む者に、丸投げしているのである。

兎に角、美しい、というのみ、である。
ここに、源氏物語の、テーマがある。
美とは、何か。
美によって、許されるもの。
すべては、美を超えないのである。

源氏は、その象徴である。

この大変な状況にあっても、源氏の美しさを、書くという、紫式部の根性である。
女の死など、物の数ではないというのよな。

源氏の、姿、有り様に、読者を、曳き付ける。

あさましと言ふにも 余りありてなむある
源氏の言葉で、事の重大さを、言う。
あさましいと言うにも、程がある、いや、それ以上に云々である。
あさまし
驚くべきこと、にも、余り有ること、である。

惟光は、あらかじめ、事の有様を、聞いていたと、思われる。
まづいとめづらかなる事にも侍るかな
大変、珍しい、不思議なことがあったのですね。
今までにない、事件である。

それにして、源氏の泣く姿に、貰い泣きするという、惟光である。
作者は、それを、源氏の美しさゆえだという。

物語は、源氏の顔が、見えずに進んでゆくのである。
それの方が、私は、不思議である。

2008年09月07日

もののあわれについて269

さ言へど、年うちねび、世の中のとある事としほじみぬる人こそ、もののをりふしは頼もしかりけれ、いづれもいづれも若きどちにて、言はむかたもなけれど、惟光「この院守りなどに聞かせむ事は、いと便なかるべし。この人ひとりこそ、むつまじくもあらめ、おのづから、もの言ひ漏らしつべき眷属も、立ち交りたらむ。まづ、この院を出でおはしましね」と言ふ。


なんといっても、年も取り、世間のことに経験を積んだ者なら、まさかの時に、頼みになるが、君も惟光も、若者である。
言う言葉がなかった。
惟光は、この屋敷の、留守番などには、話しては、いけない。あの者一人ならばいいが、何かの時に、つい身内の者に、喋ることもあろう。
なににより、この院を出ましょうと、言う。

源氏「さて、これより人少ななる所は、いかでかあらむ」と、宣ふ。惟光「げに、さぞ侍らむ。かのふるさとは、女房などの悲しびに堪へず、泣きまどひ侍らむに、隣しげく咎むる里人おほく侍らむに、おのづから聞え侍らむを、山寺こそ、なほかやうのこと、おのづから行きまじり、もの紛るる事はべらめ」と、思ひまはして、惟光「むかし見給へし女房の、尼にて侍る、ひんがしの山の辺に、移りし奉らむ。惟光が父の朝臣のめのとに侍りし者の、みづはぐみて住み侍るなり。あたりは人しげきやうに侍れど、いとかごかに侍り」と、聞えて、明けはなるる程の紛れに、御車寄す。

源氏は、でも、ここより、人気の無いところはないだろうと、言う。
惟光は、いかにも、そうですが、あの元の家は、女房などがかなしに堪えきれず、泣き騒ぐでしょう。隣近所も、下々の者たちが、聞き耳を立て、評判になります。
山寺なら、このようなことは、自然にありましょうから、目立だないだろうと、思案し、
以前、懇意にしていた、女房が、尼になって住んでおります、東山の辺りに、移しましょう。惟光の、父の乳母だった者です。
老い崩れて住んでいます。
あの辺は、人目が、多いようですが、至って、静かな場所です。
と、申し上げて、夜明けの頃の、ざわめきに紛れて、御車を寄せるのである。

みづはぐみて
はなはだしく年を取る。
老いに崩れて。

いとかごかに
閑散としている。
静寂がある。


この人をえいだき給ふまじければ、うはむしろにおしくくみて、惟光乗せ奉る。いとささやかにて、うとましげもなくらうたげなり。したたかにしもえせねば、髪はこぼれいでたるも、目くれまどひて、あさましう悲しとおぼせば、なりはてむさまを見む、と、おぼせど、惟光「はや御馬にて二条の院へおはしまさむ。人さわがしくなり侍らむ程」とて、右近を添へて乗すれば、かちより、君に馬は奉りて、くくり引上げなどして、かつはいとあやしく、おぼえぬ送りなれど、御気色のいみじきを見奉れば、身を捨てて行くに、君はものもおぼえ給はず、われかのさまにておはし着きたり。

この女を、君は、抱けそうにもないので、上敷きにくるみ、惟光が、乗せた。
とても、小柄で、厭な感じもなく、かわいらしい。
髪が、こぼれ出しているのが、目に入ると、君は、涙が溢れ出し、何も見えず、たまらなく悲しく思い、その果てを、見届けようとするが、惟光が、早くお馬で、往来が、騒がしくならないうちに、二条の院に、お帰りくださいと、言う。
車には、右近を付き添わせて、乗せる。
惟光は、徒歩にて、君には、馬を差し上げ、指貫の裾をくくり上げて、行く。
実に、妙な葬送である。
源氏の、悲嘆する様を見て、我が身のことは、考えないのである。
源氏は、何も判断できず、我を失う有様で、二条の院に到着した。


かつは いとあやしく
実に奇妙で、ある。

われ かれの さまにて
我なのか、彼なのか、つまり、我を忘れる様。

あっけなく、物の怪により、命を落とした、夕顔の巻である。

これは、後の物語の、伏線にもなるのである。
当時の、死霊、生霊に対する考え方が、伺える。
それらは、物の怪なのである。

目に見えない世界と、関わって生きているということ、実感として、感じていた時代である。
医学というものが、なかった時代は、その死因なども、解らない。
急死の場合は、物の怪に、憑かれたと、考える。
そうして、原因として、納得していたのである。

現代でも、原因不明の、死というものがある。
どんなに、医学が発達しても、原因不明というものは、ある。

また、この時代は、そういう、目に見えない世界を相手にする、陰陽師という存在があった。それは、宮廷が認めた存在である。
陰陽博士とも言われた。

有名な、安陪清明なども、その一人である。
陰陽とは、中国の、陰陽五行からのもの。ただ、道教などの影響もあり、更に、元からあった、霊的所作を加味して、独特の修法を行ったものである。

更に、当時は、密教の影響により、加持祈祷というものが、当たり前であり、病快癒のための、加持祈祷は、貴族を中心に、多く行われていた。
これについては、このエッセイの主旨ではないので、省略する。

出来心での、行為で、女を死なせたという、源氏の、悲しみと、悩みが、はじまる。
我が身を責める日々である。
それが、どのような形で、新たに展開するのか。

物語は、どんどんと、進む。

もののあわれについて270

人々、「いづこよりおはしますにか、悩ましげに見えさせ給ふ」など言へど、御帳のうちに入り給ひて、胸を押さへて思ふに、いといみじければ、「などて乗り添ひて行かざりつらむ。いかなるここちせむ。「見捨てて行きあかれにけり」と、つらく思はむ」と、心まどひのうちにも思ほすに、御胸せきあぐるここちし給ふ。御ぐしも痛く、身も熱きここちして、いと苦しくまどはれ給へば、「かくはかなくて、我もいたづらになりぬるなめり」と、おぼす。

女房たちは、どこからお帰りやら。ご気分が悪いようです。などと、言う。
黙って、御帳台の中に、お入りになる。
胸に手を当てて思うと、どうにも、たまらなくなり、どうして一緒に乗ってあげなかったのかと、生き返ったとしたら、どんな気がしよう。見捨てていかれた、薄情者だと、思うだろう。心騒ぐ中にも、そう思われる。
胸がつまり、頭も痛くなり、熱もあるようである。
とても、苦しく、このように元気がないとは、自分も、死んでしまうのではないか、と思うのである。


かくはかなくて 我もいたづらになりぬるなめり
このように辛くては、我も、死ぬのかもしれない。

女の死に、自分の死を、考える。

心まどひのうちにも
心の、惑い、動顚である。


日たかくなれど、起き上がり給はねば、人々あやしがりて、御かゆなどそそのかし聞ゆれど、苦しくて、いと心ぼそくおぼさるるに、内より御使ひあり。きのふえ尋ね出で奉らざりしより、おぼつかながらせ給ふ。おほい殿の君だち参り給へど、頭の中将ばかりを、源氏「立ちながら、こなたに入り給へ」と宣ひて、みすのうちながら宣ふ。


日は、高くなったが、起き上がりされないので、女房たちは、変だと思いつつ、食事をお勧めするが、君は、苦しく、心細くいらっしゃる。
そこに、宮中から、お使いが、ある。
昨日、お捜し出せなかったので、主は、ご心配あそばす。
大臣の家の若君方が、お出でになったが、頭の中将だけを呼び、立ったまま、こちらに、お入りくださいと、言う。
御簾を隔てたままに、おっしゃる。


源氏は、正式な衣装に着替えることも、できなかったのだ。
それ程、衝撃的事件だった。

源氏「めのとにて侍る者の、この五月のころほひより重くわづらひしが、かしらそり忌む事うけなどして、そのしるしにや、よみがへりたりしを、このごろまたおこりて、弱くなむなりたる、今ひとたびとぶらひ見よと申したりしかば、いときなきよりなづさひし者の、いまはのきざみに、つらしとや思はむ、と思う給へてまかれりしに、その家なりける下人の病しけるが、俄に出であへでなくなりけるを、おぢ憚りて、日を暮らしてなむ取り出で侍りけるを、聞きつけ侍りしかば、神わざなるころいと不便なる事と、思う給へかしこまりて、え参らぬなり。この暁より、しはぶきやみにや侍らむ、かしらいと痛くて、苦しく侍れば、いと無礼にて聞ゆること」など宣ふ。

乳母である者が、この五月から、重病でありましたが、髪を下ろし、戒を受けて、その効験で、生き返りました。
しかし、近頃、再発して、弱ってしまい、もう一度、見舞ってくれと申すので、幼い時からの、関係であり、臨終の時に、薄情者と、思われると、考えて、参りました。
すると、その家にいた、下人で、病にあった者が、外へ出す間もなく、急死してしまいました。
それを、恐れつつしんで、日が暮れるのを待ち、担ぎ出したことを、耳にして、神事の多いこの頃の事、不都合千万と、恐れ多く感じて、参内せずにいたのです。
今朝、明け方から、風邪でしょうか、頭が痛く、苦しいものですから、はなはだ失礼でしたが、申し上げる次第です。と、仰る。


いと きなきより なづさひし者の
幼き頃からの、親しんでいた者
神わざなるころいと 不便なる事と
神わざ、とは、神事である。九月は、神事が多い。
死の、けがれは、三十日間である。

無礼、ぶらい
ぶれい、ではない。礼無き様をいう。

中将、「さらば、さるよしをこそ奏し侍らめ。よべも御遊びに、かしこく求め奉らせ給ひて、御気色あしく侍りき」と、聞え給ひて、立ち返り、中将「いかなる行き触れにかからせ給ふぞや。のべやらせ給ふ事こそ、まことと思う給へられね」と言ふに、胸つぶれ給ひて、源氏「かくこまかにはあらで、ただおぼえぬけがらひに触れたるよしを奏し給へ。いとこそたいだいしく侍れ」と、つれなく宣へど、心のうちには言ふかひなく悲しき事をおぼすに、御ここちも悩ましければ、人に目も合はせ給はず。蔵人の弁を召し寄せて、まめやかにかかるよしを奏せさせ給ふ。おほい殿などにも、かかる事ありてえ参らぬ御せうそこなど聞え給ふ。

中将は、それでは、その旨を、奏上いたしましょう。
昨夜も、音楽の際に、しきりに、お捜しあそばして、ご機嫌、ななめに拝しました。
と、申し上げて、一度立ったが、また、引き返して、どうした、けがれに、出会いましたのやら。お話の内容は、事実とは、思えません。と言う。
源氏は、ドキッとして、詳しい内容ではなく、ただ、思いがけない、穢れに、出合ったとだけ、奏上してください。
まことに、申し訳ないことです。
何気なく、仰るが、ご心中は、言葉にもならない、悲しみが、込み上げてくる。
ご気分も、勝れず、相手の視線を、受け止めることもできないでいる。
中将と、同行して来た、蔵人の弁を、呼び寄せて、この事情を、奏上するように、しっかりと、仰せになる。
大臣宅にも、こういう事情で、参内できないと、お手紙など、差し上げるのである。

行き触れに かからせ 給ふぞや
穢れたところに、行きあったということ。

いとこそ たいだいしく
怠怠、である。
不心得、持っての他である。

ここで、源氏の、状況が、よく見えるのである。
その立場と、地位である。

蔵人 くらんど の弁
役職の、位である。
太政官の弁局の、中弁とか、少弁とかを、いう。
更に、蔵人を、兼ねる者である。

2008年09月08日

神仏は妄想である。147

禅というものを、見るために、老荘思想を見ている。

さて、老荘思想では、無為自然というものを、掲げていると言った。
それでは、その方法は、どんなものだろうか。

実は、人為や努力を捨てれば、すぐに自然の姿になるという、考え方なのである。
驚く。
自然の境地に達するために、坐禅のような、行為などは、言われていない。

ただし、荘子の中に、それに近いものとして、心斎と、坐忘というものがあると、以前書いた。

心斎とは、心を清浄にするというものである。
耳、目の感覚を退け、心の働きを止める。心身を、空虚にすること。
それは、相対差別を無くすということ。知の働きを止めて、心を無にすることにより、すべてを、ありのままに、受け入れるという、境地である。

坐忘とは、座ったまま、一切を忘れる。
心斎の、方法と同じである。

ところが、その方法について、荘子は、実に淡白で、それ以上の言葉が無いのである。

坐禅を言う禅宗とは、全く、その意識を、別にする。
要するに、それは、方法を云々するより、その後の、心境を言うものである。
すでに、坐禅というものを、超えている。
ただし、研究家たちに言わせると、不案内だと、言う。

坐禅という、練達自然を明確にし、自然の境地に達するために、修練や、工夫をするということは、六朝時代の、仏僧からである。

老荘思想は、逍遥遊という、行為を実に大切にする。
それを、仏僧は、遊びの替わりに、精進して、努力し、無為自然ではなく、有為自然を強調した。つまり、それが、老荘思想と、仏教家たちとの、違いである。

自由な、遊びの境地に達するには、身命も、惜しまない、精進が必要であるとは、仏教家が、考えそうなことである。
つまり、簡単なことで、辛く苦しい、努力というものを、好む人であるということ。
要するに、仏教の人は、マゾなのである。我が身を痛めるものを、好むのである。

さて、老荘思想と、仏教の、基本的共通点がある。
それは、老荘の、無の思想と、仏教の空の思想である。

無と、空とは、その内容、意味については、違いはあるものの、基本的方向に関しては、一致する。
六朝時代は、老荘の、無の思想から、仏教の、空の思想を、理解するものだった。
仏典も、多く、老荘思想の言葉から、翻訳されたと、考えてよい。

また、そのような、仏教を、格義仏教と呼ぶ。

しかし、老荘と、仏教の相違点があった。
それは、無や、空に達するために、精進、努力が必要であるかということだ。

そこでは、こんなことが、言われた。
高い精神を備えた人は、なにものにも、束縛されない、自由な心境を持つのである。しかし、仏僧たちは、世俗の営みから、離れているとはいえ、戒律などの、教えに、束縛されている。それは、真の意味の、高士、こうし、つまり、精神の自由な人ではないという。

老荘が、理想とする、虚無の自然に達するには、ただ、人為を捨て去ればよい。
無為が、そのまま、自然である。
しかし、仏教は、無為の自然に達するために、血のにじむような精進が必要とされた。

中国で、残りえた、仏教の、禅宗と、浄土宗は、共に、老荘思想に負うところが、多い。

最も、老荘に近い考え方をしたのは、親鸞である。
人為を捨てれば、自然になる。
易行としての、念仏を、勧めた親鸞である。
それ以外の、方法は無いという、親鸞である。

浄土宗も、老荘思想の、全盛期の時に、起こったものであるから、大いに、老荘に、助けられ、影響を受けた。

浄土三部経の一つ、大無量寿経が、漢訳されたのは、三世紀のはじめから、四世紀にわたる。その時代は、老荘思想の、時代でもあり、その経典の中に、老荘思想の言葉が、多く用いられたということが、考えられる。
その中でも、大無量寿経は、自然という言葉が多い。

これは、老荘の影響であろう。
親鸞が、後に、自然法爾という言葉を、使うようになる。
それは、その経典からの影響であり、また、老荘思想の影響でもある。

大無量寿経の中の、三毒五悪段と呼ばれる部分であるが、実は、そのサンスクリット語の、原文が存在していないのである。
それは、極めて、純粋な漢文調である。
外国文を翻訳したとは、思われないような、調子なのである。

この部分は、中国人が、解説として書いたものを、誤って原文、本文に、紛れ込んだと、研究家たちは、見ている。

さらに、他の箇所の、自然というものと、その箇所の、自然というものとは、意味合いが、違っているというのだ。

浄土宗の、大成者といわれる、道綽の「安楽集」には、善力自然、正念自然、解脱自然という言葉が、多く、その弟子の善導なども、「西方寂静、無為の楽は、畢竟逍遥して、有無を離れたり」などいう言葉があり、まさに、老荘思想からの、ものであろと思われる言葉である。

逍遥とは、荘子の、逍遥遊篇からのもので、人為から、解放された、自由な境地を、表すものであり、荘子特有の、重い意味を持つ言葉である。

しまいに、自然は是弥陀国なり、というのである。
弥陀の浄土とは、実は、自然の境地そのものというのである。

親鸞の、教行信証には、「みだ仏は自然のやうを知らせむれうなり」という言葉かあり、全く、老荘思想である。

親鸞の、最後に、行き着いた境地というものも、老荘思想の、自然であり、それを、自然法爾というのである。
親鸞については、先に多く述べたので、今は、語らないが、このように、老荘思想は、実は、多くの仏教家に、影響を与えたということである。

別に、仏を、持ち出さずとも、老荘思想で、いいであろうと、思うが、仏教の中にある者、兎に角、修行が好きなようである。
勿論、一人で、勝手に、修行に酔うのは、一向に構わない。
好きにいたせ、である。
しかし、人に、強要するな、ということだ。

仏典というもの、いかに、適当で、あるかということ、よく、解ったのである。

まあ、死ぬまでの、暇を潰すというのには、もってこいである。
しようもない、言葉遊びを続けて、説教するという、仏教の、輩、ホント、うんざりする。

2008年09月09日

神仏は妄想である。148

さて、道元に戻る。

「無」の思想の、森三樹三郎氏は、
道元が、無為自然から、有為自然への転換をとげているということは、確かである、という。
直接的、自然の立場から、只管打坐によって、再び、自然に帰ってきている。

自己をはこびて万法を修証するを迷とする。万法すすみて自己を修証するはさとりなり。
道元

人為の主体である、自己の力によって、法を明らかにするのは、迷いであり、法のほうから、自己が、照らし出されるのが、悟りである、という。

作為の主体である、自己というものを、忘れて、法の光に照らされるという、受身の境地になったときに、悟りというものが、現れるのである。

完全な主体性の、放棄であり、無為自然の境地である。
つまり、老荘思想に戻るということである。


ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏の家になげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころもついやさずして、生死をはなれ、仏となる
道元

美しい、大和言葉である。

無為自然の境地である。
それは、自力を捨てることであった。
つまり、浄土門と同じく、他力である。
自力の極みまで行き着き、他力の本性に至る。
ただ、春の畑の蛙のように、念仏しては、それを、得られない。
血の滲むような、精進にあって、得られた境地である。

さて、面白い話がある。

若き日の道元を、悩ませた、問題がある。
それは、一切の衆生は、皆法性、つまり、仏性を持つ。
天然自性身、てんねんじしょうしん、というが、それなのに、何故、三世の諸仏は、菩提を求める必要があったのかという。

すべての人間には、生まれつき、自然の仏性をもつといわれる。それならば、人間は、何もしなくても、そのまま、仏であるはずだ、というものである。
何故、過去の仏となった人は、精進努力をする必要があったのか。

これは、老荘思想の無為自然という立場から、仏というものを、理解したと思われる。

しかし、道元は、有為自然から、無為自然へと、変更してゆくのである。

上記の、疑問は、道元の真面目な性格を、実に、よく表す。

つまり、仏教というものは、屁理屈の極みを行く。
誰が言ったのか、悉皆仏性である。
そんな、頭で捏ね繰り回した、理屈に、真面目に取り組むという、道元である。

結局、中国仏教が、大きな影響を受けた、老荘思想というものによって、悟りへの、道筋を得たと、言える。
または、老荘思想に、食われたのである。

それは、老荘思想の、器が大きい故である。

では、道元は、何故、老荘思想に、転向しなかったのか。
それは、仏教というものしか、目に入らなかったからである。
要するに、それしか、見えない、見ないのである。
心にあるものしか、人間は、見ない、見えない。

完全に、仏の教えというものに、目くらましにあったのである。

ところが、開けて見ると、何と、老荘思想の無為自然の境地に、至っているという、結末。

道元の、名文は、老荘思想の、核となる、思想の只中に身を置いたといえる。
仏、云々は、余計であった。
折角、無為自然の境地に至り、それを、仏というもの、実は、方便なのであるが、それに、表現を託した。

だから、今まで、見てきた、道元の言葉が、見事に理解できることになった。
老荘思想である。

仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり
道元

これを、道元は、精進して、気付くのである。
ご苦労様である。

先の、仏の家に投げ入れて、と、同じ心境であろう。

しかし、道元が、それを、知るために、あれほどの、規則作法を作り上げて、更に、十分真面目に対処したのは、性格であり、日本人であったからである。
日本人の禅というものを、創作した。

ここで、再度、老荘思想を持ち出すことはしないが、一つ、実に、不思議である。

自然を、仏のそのままの姿であるだの、やまは是山などという言葉、端的に、境地を、語るようであるが、詞である。
文章として、最大限削除して、そのもの、すばり、を、書くが、単なる青年の主張の、詞である。

永平寺が、無ければ、ただの、若者の、戯言になる。

宗教行為が、芸術行為になっている。そして、その方が、聞きやすい。

宗教は、芸術の母という宗教家もいるが、戯言である。
宗教は、芸術に、適わない。

更に、言えば、主体を捨てて、更に、自己を捨てて、悟るというが、そんなことは、有り得ない。
自己という、主体を捨てるという意識は、迷いである。
あくまでも、自己という主体があってのものだね。

捨てるという、自己の主体性があるからこそ、客体という、主体を、意識出来るのであり、仏法から、照らされると、感じる主体的な自己が、無ければ、何故、それを、感じ取れるのか。
つまり、言葉遊びに、堕落しているのである。

荘子は、不立文字を言った。
そして、それ以外は、多くを語らない。
語れば、嘘になる。
何故、道元は、あれほど、多くを語ったのか。
何度も言うが、妄執である。

語った事実は、道元が、悟りを得ていない証拠である。

悟りを得ていない、私は、こうして、書くのである。
書くという行為は、そういうものである。

道元は、自分のために、書き続けた。
一瞬も、我を忘れぬように、書き続ける必要があった。

絶えず、自分を縛り付けていなければ、ならなかった。
それだけ、自己に厳しい人だった。
しかし、それが、囚われなのである。

文才があることが、禍した。
あの、親鸞もである。
堕落したのである。

和歌も、風情のあるものだが、結局、仏という、囚われから、奪することが、出来なかった。
仏は、無為自然ではない。
無為自然を、仏の家と、確信したこと、実に、誤りであった。
自然の内に、隠れるという、感性を、日本人は、持っていたはずである。
そこに、辿り着く前に、仏の家に辿り着いて、安堵した。

お疲れ様です。ということになる。

2008年09月10日

神仏は妄想である。149

生死の中に仏あれば生死なし。又曰く、生死の中に仏なければ生死にまどわず
道元

道元の生きた中世では、戦や疫病で、貴族も武士も農民も、みな死に直面していました。冒頭の言葉から、中世の宗教家がぎりぎりまで死について考え抜いた、その重みが、ずっしりと感じられます。
栗太勇


人間の最大の問題は、死ぬことだと、私は、考える。
一日も、死というものから、逃れられない。
それを、踏まえて、道元の問題意識は、当然である。ましてや、宗教であるから、普通の人以上に、死に対して、敏感であろう。

結論から言う。
いかにせよ、人は死ぬということである。
これから、道元の多くの、死に対しての思索の言葉を、読むが、どうしても、こうしても、人は、死から逃れられないということである。
例え、悟りや、解脱というものを、得た人でも、そうではない人でも、アホも、馬鹿も、チョンも、すべての人は死ぬ。

私も、あなたも、死ぬ。


生死は、生と死という二つのことを論じているのではありません。仏教では生死は、生き死にのあるこの煩悩の現世をいうのです。生死の中にもともと仏がある、すなわち絶対的な真実をつかんでいれば、すでに現世を超えているというわけだから、今さら生きる死ぬということを迷うことはない。また逆に、生も死も、ただそれだけの事実で、ことさら悟りや救いがあるわけでのものではないと観念していれば、生だ死だと迷い疑うこともない。
ずいぶん突っ放した言い方ですが、ずばり俗説に水をかけています。
栗田勇


しかし、それを言う限り、道元も、生き死にを、迷っていたのである。

人は絶対に死ぬ。
それで、いい。
生死の中に仏あれば生死なし。などとは、詭弁である。
そんなことは、言うほどのことではない。

何度も言う。
誰もが死ぬ。
一体。何故、それを、何程か、重大に説くのか。


もし人、生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかい、おもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし。
道元

栗田氏は、このエッセイの副題に、現世のほかに夢の国は存在しない、とつける。

この現実のほかに、たとえば夢のような極楽浄土や、なにか永遠の生命というものを求めて死を直視することから逃れようとすれば、それは車を引っ張る轅、長柄でほある、を北の方に向けて、越、今のベトナムのこと、すなわち南へ向かおうとするのと同じでし、同様に、顔を南に向けて北の北斗星を眺めるようなもので、とうてい救いの途とは正反対だ。
栗太勇

つまり、道元は、念仏門のような、お遊びのような、極楽へ生まれるという妄想や、救いというものは、そんなものではないと、言うのである。
しかし、道元自身が、迷いに在る。
つまり、救いという、迷いである。

われわれは、死のことを忘れようしすればするほど、ますますそのことにとらわれてしまって、離れようと思えば思うほど、とらわれて気が狂いそうになる。まして、解脱、それから抜け出す道を、かえって失ってしまう。
栗太勇

解脱から、抜け出す道というが、それが、迷いである。

何度も言うが、気が狂いそうになっても、何でも、死ぬのである。
悟りに至った人も、悟らない人も、死ぬのである。
その死に、何ほどの違いがあるのか。

泣いても、笑っても、死ぬというのが、現実であり、事実である。


ただ生死すなわち涅槃とこころえて、生死としていとうべきもなく、涅槃としてねがうべきもなし。このときはじめて生死をはなるる分あり
道元

何を言うのだろうか。

生死すなわち、涅槃と、心得ずとも、死ぬのである。
涅槃として、願うべきもなし、と言いつつ、結果は、死ぬのである。
道元は、自分に、言い聞かせているのである。


栗田氏も、
生や死から離れようとすればするほど、その離れようと思うことにとらわれる。もう現実を受け入れて、徹底的にそのことを認めてしまう。すると、逆に、もう生か死かと考える余地はなくなる。このときはじめて、生死をはなれることの可能性が生まれる。
と、言う。

嘘である。
特攻隊の若者は、まだ、十代、二十代で、今、特攻攻撃で、死ぬという、逃れられない運命に身を任せて、死んだ。
迷うも何も、死ぬしかないのである。
死とは、そういうものである。
そこで、救いやら、仏やら、解脱、悟りなどという、妄想に、浸っている暇は無い。

つまり、暇なのである。
暇潰しの、ご苦労な、思索である。

問答無用に、人は、死ぬ。

生死を、離れる可能性も、何も無い、あるわけが無い。
確実に、死ぬ。

さらに言う。
一時間後に、死ぬ可能性がある。

道元は、生きたから、言えた。
死んだら、言えない。
ただ、それだけである。

ちなみに、このような、道元の言葉を読んで、実に、悟ったような気分になった者、多数。私は、それらを、否定しない。
何ほどかの、妄想は、精神衛生に良いのである。
ただ、それだけである。

人は、黙っていても、何事か言っても、死ぬ。
確実に、死ぬ者であることに、理屈を言うものではない。

2008年09月11日

性について4

性欲の、脳の働きというものを、見る前に、心の動きについて、言う。

性欲と、恋愛を、一緒に出来ないのが、人間である。
単純に、あの人と、セックスをしたいという、恋愛というものがある。勿論、本人は、そんなことを、考えていないと、信じている。しかし、セックスをした、途端に、熱が醒めるということ、多々あり。

ある青年は、初めての体験の時に、相手の、膣に、ペニスを入れて、愕然としたと言う。その、あまりの、味気なさにである。
マスターベーションの、味わいに比べたら、何ほどのものはないと。
しかし、その後、彼は、女にモテた。
要するに、膣では、中々射精をしないのである。故に、長い時間を、要するのである。女には、それが、気に入られたという、変な話。

また、その逆も、ある。
ほとんど、受験勉強に終われ、性欲なども、失せる程の、お勉強をして、大学を卒業し、そうして就職し、落ち着いたところで、先輩に連れられ、ソープに初めて行き、こんな、快感があったのかと、のめり込んで、遂には、仕事を、辞めて、女の部屋で、セックス三昧に、陥った者である。

ただし、男の場合は、女と、違い、時間の差はあるが、一度、冷静に、立ち戻ることが、出来るので、暫くの無駄な、時間を、セックスに明け暮れたが、結局は、ごく普通の、欲望に戻った。

余計な、話が、続いたが、私の書きたいことは、人間の精神は、性欲と、比例するものではないということを、言いたいのだ。

人間だけは、他の動物と、違い、恋に恋するという、芸当が出来るのである。

性を、考える時、この、精神状態というものが、実に、良い、手掛かりになる。

つまり、人間の性は、単に性欲のみで、測れないものなのだということだ。

手に入れられないモノを、手に入れた時の、性の快楽は、言いようも無いものである。
性欲が、主たる意味ではないが、そのモノを、手にいれたことによる、優越意識に、似たような、意識が、性欲よりも、別な欲望を、満たすのである。

例えば、浮気や、不倫であり、兄の嫁を、寝取る、弟の行状などに、それを、見る。

それは、性欲ではない。

このようにして、色々と、性欲にまつわる行動を、見ることによって、性というものを、純粋に見つめることができるのである。

エロスの運動は、ふしぎな道程をたどるもので、出発点では幸福を望んでいながら、終点では幸福を拒否するという結果になることがある。快楽を拒否し、苦悩を求めるという結果になることがある。
澁澤龍彦 エロスの運動

このような、複雑な、心境を持てるのは、人間のみである。
他の、動物には無い。

更に、複雑化するのは、
肉の愛が精神的な愛に高まって行くのが、プラトン的な意味におけるエロスの運動だとすれば、逆に精神的な愛が肉の愛に下降するというような場合も、当然、考えられるだろう。これを哲学上の言葉で「逆プラトニズム」と称することがある。
澁澤龍彦

と、いうのである。
しかし、何故、精神的な愛が肉の愛に、下降、するというのだろうか。
それは、上昇かもしれない、のに。

無意識的に、精神が、肉よりも、何かしら、価値のあるものだとの、意識があるようである。
そういうことを、考えられるのも、人間だからである。
私は、前頭葉の、働きだと、思う。

ただし、澁澤龍彦は、逆プラトニズムも、情熱恋愛という、精神的なものと、同じ方向ではないとか、言う。
澁澤龍彦は、いつも、冷静である。

その、澁澤が、存在の不安という、エッセイで、存在の孤独というものを、考えるのに、以下のような、考え方をしている。

アメーバーは、分裂によって、増殖する。
分裂後は、個体として、また、分裂を繰り返し、増殖してゆく。
彼らには、死というものがない。

進化して、有性動物になると、つまり、雄と雌になると、たちまち自己保存の本能、個体維持の本能が、表れる。
個体維持というのも、本能と、私は、思わなかった。
自己を、保存しようとする、本能があるというのが、不思議である。
確かに、種族保存は、本能であると、言われる。

本能については、また、いずれ、書く。

さて、雄と雌が、生殖のために、一時的に結合して、離れて別々に死ぬという、現実がある。
澁澤は、存在の孤独とは、たぶん、ここから由来するという。

欠けているものを満たすために、分離によって生じた不安を逃れるために、男女は互いに結合するわけであるが、束の間のオルガスムが過ぎれば、ふたたび独立した別の個体として、互いに離れなければならない。そうして、自分の意志に反して死ななければならない。もちろん動物も死ぬが、死ぬことを知っている動物は人間だけである。
澁澤龍彦

少し、訂正すると、動物でも、死ぬことを、知っているのである。
ただ、人間のように、恐怖が無い。

人間が、誕生して、成長するというのは、色々なモノから、分離してゆく過程であると、澁澤は、言う。
その通りである。
分離することによって、他者を認識し、世界を認識し、実存の意識に、目覚めるという、悲しい存在の、宿命であるとも、言う。

さて、この、事実に、目を背けて、妄想に生きるのが、宗教という、化け物である。が、それについては、神仏は妄想である、を、読んで下さい。

2008年09月12日

性について5

実は、当たり前のことであるが、本能といわれる、性は、本能というより、生命と言った方が、正しい。
これは、欲望というより、生命、そのものである。
当然、食欲も、生命、そのものである。

欲望は、生命欲なのである。

それがなければ、人類は、無い。
この当然のことを、有耶無耶にしては、ならないのである。

つまり、欲望は、恵みであると、考えることが、真っ当な考え方である。

原始時代、兎に角、人が、自然という厳しい世界で、生き延びるには、考えられないほどの、アドレナリンを必要とした。
つまり、いつも、興奮しているのである。
それは、身を守るためである。
いつも、緊張を強いられる生活環境に、置かれていたのである。

人は、頭脳以外に、強いものは、持たないのである。
強い動物に、襲われれば、ひとたまりもない。
夜は、夜で、いつも不安に、眠らなければならない。
現代人が、眠るという行為と、彼が、眠るという行為は、基本的に違う。

戦時にある、兵士は、寝ているが、眠っては、いない。
いつ、敵が攻めてきても、対応出来るように、心は、緊張している。

寝ても、眠らないという、訓練をすると、それが、当たり前になり、眠るこというを、忘れる人もいる。

さて、古代人は、一つだけ、その不安と、恐怖から、逃れる事があった。
セックスである。
ほんの少しの、セックスの時、すべての、不安から解放され、ほんの少しの、その時間で、今までの、不安と、恐怖を、克服した。
だから、人類の歴史がある。

セックスは、すべての、魅惑の最初である。
ちなみに、魅惑のラテン語は、男性器という語源である。
いかに、ペニスが、魅惑的だったか。
それは、男も女も、である。
ペニスは、外に出て、見えるからである。
それは、実に、魅惑的だった。
更に、それを、信仰の対象ともした。

性行為と、生殖が、曖昧だった時、それは、古代人の救いとなる、行為だったといえる。
そして、今でも、である。

自然破壊された今、自然を求めるとは、人の中にある、性という自然を求めるのが、真っ当な感覚である。

性とは、人の不安と、恐怖を、鎮める、方法だった。
さらに、精神という働きを、作る原動力になるのである。

人間は、発情するから、セックスをするのではない。
必要な時に、いつもで、セックスが出来る。

人類に、農耕という意識が、起こった時、セックスは、即座に、豊穣の行為と、考えられた。当然である。
豊穣の喜びは、まさに、性行為の喜びと、同じだった。

満ち足りる思いは、両方とも、同じだった。

種まきの時期に、畑で、交合するという、風習は、至るところにある。

アフリカの、民族では、土に穴を掘り、その中にペニスを入れて、射精するという、儀式まである。

性というものの、認識が、飛躍的に、広がる人類の歴史がある。

それは、聖書以前であるから、おおよそ、五千年以前のことである。

更に、雄、雌の意識曖昧な、時期も、考える必要がある。
異性愛という言葉が、出来た過程には、同性愛という言葉があった。
同性愛があり、異性愛を、認識したという、経緯がある。
それを、確認すれば、性というものの、姿が、また、別に見えてくる。

生活に、直接必要の無い行為、後に、芸といわれる行為は、多く、同性愛の皆々が、起こしたことである。
星の観測や、土器製作、織物、描くことなどなど、今でいう、同性愛の、貢献である。

文字の、想像、創作も、同性愛の皆々の、故かもしれない。

少し、別な感覚を、必要とするものは、少し別な、性的感覚を持つ者によって、為された。
故に、彼らは、特別な、地位を得るのである。

フロイトの説は、未熟であるが、根本的な、人間の様を、捉まえた。
口腔期、肛門期、男根期である。

唇の、喜びの時期、肛門の快感を感じる時期、そして、成長して、男根の快感を、感じる時期。
その成長過程を、掲げて、精神分析というもの、立ち上げた。
ユングになり、更に、それが、進み、精神意識というものを、掲げた。

しかし、肉体としての、人間の、成長過程を、フロイトは、おおよその、枠で、完成させた。
非常に理解しやすいのである。

性行為の、前に行う、前行為は、まさに、口腔期の、名残である。
触れる。
唇に、触れる。
匂いを嗅ぐ。
そして、交合に至るのである。

最初は、精神活動など、考えてはいけない。
それは、不安と、恐怖を鎮める、儀式のようなものであったと、理解することである。

乱交期という、時期が、人類の歴史には、ある。
今でも、その名残で、行きずりの関係というものがある。
それは、実に、原始的な感覚である。
特別な意味は、無い。
それに、意味を見出そうとするのは、嘘の得意な、文学の分野である。

今でも、女を口説くのに、女が理解出来ない、小難しい小理屈で、セックスまで、持ち込もうとする、男がいる。
それが、文学の手である。
勿論、嘘八百である。

2008年09月13日

もののあわれについて271

日暮れて惟光参れり。「かかるけがらひあり」と宣ひて、参る人々も皆立ちながらまかづれば、人しげからず。召し寄せて、源氏「いかにぞ、今はと見はてつや」と宣ふままに、袖を御顔に押しあてて泣き給ふ。

日が暮れて、惟光が、やって来た。
こういう穢れがあると、仰ったので、参上する人も、皆、退出し、お宅は、閑散としていた。
惟光を、呼びよせて、源氏は、どんな、最後を見定めたのか、と言う。
そのまま、袖にお顔をおしあてて、お泣きになるのである。

惟光も泣く泣く、「今は限りにこそは物し給ふめれ。ながながと籠り侍らむも便なきを、あすなむ日よろしく侍れば、とかくの事、いと尊き老僧のあひ知りて侍るに、言ひ語らひつけ侍りぬる」と聞ゆ。源氏「添ひたりつる女はいかに」と宣へば、惟光「それなむ又え生くまじく侍るめる。右近「われも遅れじ」とまどひ侍りて、けさは谷に落ち入りぬとなむ見給へつる。右近「かのふるさと人に告げやらむ」と申せど、「しばし思ひ静めよ。事のさま思ひめぐらして」となむ、こしらへおき侍りつる。と語り聞ゆるままに、いといみじとおぼして、源氏「我もいとここち悩ましく、いかなるべきにかとなむおぼゆる」と宣ふ。


惟光も、泣く泣く、もう最後で、ございました。
長いこと、籠もりますのも、不都合ゆえに、明日の日が、よろしゅうございますから、それのことを、尊き老僧で、懇意にしている者に、頼んでおります。と、申し上げる。
源氏は、付き添っていた女は、どうした、と尋ねる。
惟光は、あれは、また、生きられそうにも、ございませんようで。
自分も、一緒にと、正体もなく、今朝など、谷に、飛び込みかけました。
あの、五条の家に、知らせようと言いましたが、しばらく気を落ち着けて、事情を十分考えてからと、慰めました。
そう、報告するのを、源氏は、ただ、悲しくて、たまらず、私も、とても、気分が勝れず、どうなることか、という、気がすると、仰る。

こしらへおき
慰める。
心の有様を、こしらへる、のである。

惟光「何かさらに思ほしものせさせ給ふ。さるべきにこそよろづの事侍らめ。人にも漏らさじと思ふ給ふれば、惟光おりたちて、よろづは物し侍り」など申す。源氏「さかし。さ皆思ひなせど、浮かびたる心のすさびに、人をいたになしつるかごとおひぬべきが、いとからきなり。少将の命婦などにも聞かすな。あま君、ましてかやうの事などいさめらるるを、心はづかしくなむおぼゆべき」と、口がため給ふ。惟光「さらぬ法師ばらなどにも、みな、言ひなすさま異に侍り」と聞ゆるにぞ、かかり給へる。

惟光は、何を、今更、ご心配あそばすのですか。因縁によりてのことです。誰にも、知らせないようにと、惟光が、すべていたしました。と、言う。
源氏は、そうか、そう思ってみるが、浮気心の、遊びから、人を死なせてしまった非難は、避けられないのが、実に、たまらない。少将の命婦などにも、知らせるな。尼君なら、いっそうに、喧しい。知られたら、会わす顔もない。と、口止めする。
惟光は、その他の、僧などにも、いずれも、皆、違ったように話しています、と言う。
源氏は、それを聞いて、力強く思う。

命婦とは、惟光の、姉妹のことである。
尼君とは、惟光の、母親のこと。

ましてかやうの事など いさめらるるを
まして、こんなことは、諌められる、喧しく言われる。

源氏は、女が、死んだことを、
いとからきなり、と言う。
からき、とは、堪らない気持ちである。

ほの聞く女房など、「あやしく、何事ならむ。けがらひのよし宣ひて、内にも参り給はず。又かくささめき嘆き給ふ」と、ほのぼのあやしがる。源氏「さらにことなくしなせ」と、そのほどの作法宣へど、惟光「なにか。ことごとしくすべきにも侍らず」とて立つが、いと悲しくおぼさるれば、源氏「便なしと思ふべけれど、いま一たびかのなきがらを見ざらむが、いといぶせかるべきを、馬にて物せむ」と宣ふを、いとたいだいしき事と思へど、惟光「さおぼされむはいかがせむ。はやおはしまして、夜ふけぬさきに帰らせおはしませ」と申せば、このごろの御やつれにまうけ給へる狩りの御さうぞく着かへなどして出で給ふ。

小耳にする、女房などは、変ですね、何事でしょう。穢れに触れたと、おっしゃって、参内もあそばさず、それに、ひそひそ話で、お嘆きになっている、と、不審がる。
源氏は、この上は、手抜かり無く、はからえ、と、葬式のやり方をおっしゃる。
惟光は、仰々しくいたすべきでは、ごささいません。と言い、席を立つのが、とても、悲しく思われる。
源氏は、不都合と、そちは、思うだろが、もう一度、あれの、亡骸を見ないでは、いつまでも、気がかりになるので、馬で行く、と、仰る。
それは、とんでもないと、思うが、惟光は、そう思われるならば、いたしかたありません。早く、お出まして、夜の更けぬうちに、お帰り遊ばしませと、言う。
このほど、作られた、御狩衣に、御召しかえなどなさり、お出かけになるのである。


ことごとしくすべきにも侍らず
身分の高い女ではないから、それほど、仰々しくしなくても、いい。

いといぶせかるべきを
いぶせ、気分が、晴れないのである。

いとたいだいしき事
そんな、ことは、源氏の身分では、してはいけないのである。

さおぼされむは いかがせむ
そのように、思われるならば、しかたがない。

このごろの御やつれにまうけ給へる 狩りの御さうぞく
微行、びこう、である。
人に知られず、行為すること。
そのために、作った、狩衣である。
御さうぞく、は、装束である。

もののあわれについて272

御ここちかきくらし、いみじく堪へがたければ、かくあやしき道に出で立ちても、危かりし物懲りに、「いかにせむ」と、おぼしわづらへど、なほ悲しさのやる方なく、「ただ今のからを見では、またいつの世にかありしかたちをも見む」と、おぼし念じて、例の大夫隋身を具して出で給ふ、みち遠くおぼゆ。

その、お心は、暗く、酷くたまらないもので、更に、このような、如何わしい場所に出掛けることは、危険であり、昨夜のようになるかもと思い、引き返そうかと、思案にくれる。
しかし、悲しみの、晴らしようがなく、女の亡骸を見ないでは、二度と、いつの世に、女の姿を見られようと、我慢して、いつものように、惟光、隋身を連れて、お出かけになる。
道が、遠い気がするのである。


おぼし わづらへど
考える、思案する、煩うのである。

わづらえ おぼし、と、つまり、敬語になるのだ。

十七日の月さし出でて、かはらのほど、御さきの火もほのかなるに、鳥辺野のたかなど見やりたるほどなど、物むつかしきも、何ともおぼえ給はず、かき乱るるここちし給ひて、おはし着きぬ。あたりさへすごきに、板屋のかたはらに堂たてて、行へる尼の住まひ、いとあはれなり。

十七日の月が出て、加茂の河原の辺に、先駆の松明も、微かに、鳥辺野の方を、見ると、気味が悪いのである。
君は、胸が、一杯で、何とも感じなく、やっと、辿り着いた。
そこら辺り一帯の様子は、凄い様である。
板屋根の小屋の傍に、堂を建てて、尼が住んでいる様は、実に、あはれ、である。

この場合の、あはれ、は、物寂しいのであろう。

東山の、麓の、寂しい場所に、出掛ける源氏の、心境である。
普通ならば、夜に、そんな場所に、出向くことなどない。

何故、女が、あっさとり、死んだのかということが、まだ、語られていないのである。
六条御息所の、生霊として、明確に意識されるのは、いつか、である。
源氏は、狐の類と、思っている。

御燈明の影ほのかにすきて見ゆ。その屋には女ひとり泣く声のみして、外のかたに、法師ばら二三人、物語しつつ、わざとの声たてぬ念仏ぞする。寺寺の初夜も皆おこなひはてて、いとしめやかなり。清水のかたぞ、光り多く見え、人のけはひもしげかりける。この尼ぎみの子なる大徳の、こえ尊くて、経うちよみたるに、涙の残りなくおぼさる。

お燈明の火影がかすかに透いて外から見える。
その家には、女が一人泣く声のみ、聞こえて、法師たちが、二三人、話をしながら、小声の念仏をしている。
寺寺の初夜の、勤行も皆、済んで、ひっそりとしている。
清水の方には、光が多く見える。
大勢いる様子である。
庵主の尼君の子である、お上人が、尊い声で、読経している。
それを聞いて、源氏は、涙を、とめどもなく流される。


涙の残りなくおぼさる
涙を、流すのであるが、残りなく、とは、止め処もなくということ。


当時の様が、目に見えるようである。

初夜とは、午後十時頃。
東山の、寺とは、現在の清水寺である。
十七日は、清水寺の、観音の縁日である。

入り給へれば、火とりそむけて、右近は屏風へだてて臥したり。いかにわびしからむ、と、見給ふ。


お入りになると、燈は、遺体に背けて、右近は、屏風の向こうに、横になっている。
どんなに、たまらないだろうと、御覧になる。

いかにわびしからむ
いかに、わびしい、という気持ちは、現在の心境にすると、やり切れない思いという、ことになるのか。
切ない気持ち。

恐ろしきもおぼえず、いとらうたげなるさまして、まだいささか変りたる所なし。手をとらへて、源氏「我に今ひとたび声をだに聞かせ給へ。いかなる昔の契りにかありけむ、しばしのほどに心を尽くしてあはれに思ほえしを、うち捨ててまどはし給ふが、いみじきこと」と、声も惜しまず泣き給ふこと、かぎりなし。大徳たちも、誰とは知らぬに、あやしと思ひて、みな涙をおとしけり。

恐ろしい気持ちはしない。
実に、可愛らしい姿で、変わったところはない。
手を取り、私に、もう一度、せめて声を聞かせてくれ。どんな前世の縁であったのやら、わずかの間、愛情を注いで、愛しいと思った。
後に、残して、途方に暮れさせるとは、酷い、と、声も惜しまずに、限りなく泣く。
法師たちも、誰とは知らず、何か訳があるのだと、皆、涙を流すのである。

いとらうたげなるさまして
よく出てる表現である。
可愛らしい。愛らしい。

しばしのほどに 心を尽くして あはれに 思ほえしなる 昔の契りにかありけむ
美しい表現である。
昔の縁による、契りを、あはれ、に思う。
この、あはれ、は、愛したことを、言う。
あはれ、という言葉は、前後の表現により、広い意味合いを持つ言葉であることが、物語を、読むことで、解った。

定義できない、あはれ、という言葉である。
私が、ここに書いている、もののあわれについて、は、また、同じく、定義が出来ない。
自由自在に変化する、言葉なのである。
もののあわれ、とは、こういうものですと、書くことが出来ない、広がりを持つ言葉であり、それは、日本の精神、日本人の心の、在り方を察する、手がかりにも、なるのである。

この、あはれ、という言葉を、見つめ続けて、日本の伝統が、成り立つ。
すべての、伝統の文化的行為にあるもの、それが、この、あはれ、という言葉に、集約されるのである。

2008年09月14日

もののあわれについて273

右近を、源氏「いざ二条の院へ」と宣へど、右近「年ごろ、をさなく侍りしより、かた時たち離れ奉らず、慣れ聞えつる人に、にはかに別れ奉りて、いづこにか帰り侍らむ。いかになり給ひにきとか、人にも言ひ侍らむ。悲しき事をばさるものにて、人に言ひさわがれ侍らむが、いみじきこと」と言ひて、泣きまどひて、右近「けぶりにたぐひて慕ひ参りなむ」といふ。源氏「ことわりなれど、さなむ世の中はある。別れといふもの悲しからぬはなし。とあるも、かかるも、同じ命の限りあるものになむある。思ひなぐさめて、我を頼め」と宣ひこしらへても、源氏「かくいふ我が身こそは、生きとまるまじきここちすれ」と宣ふも、頼もしげなしや。

右近に向かって、源氏が、さあ、二条の院へ行きましょうと言う。
すると、右近は、長年、小さな時分から、少しも離れることなく、親しくしていましたお方に、急にお別れして、どこに、帰れましょう。どうなったと、皆に申せましょう。悲しいことは、ともかく、皆に、色々と言われることが、辛いです、と言う。
おろおろと泣き、あの方の、煙と一緒に、私も、後を追いたい。
源氏は、誠に、もっともなことだが、世の中は、こうしたもの。
別れが悲しくないということは、ない。
先に死ぬのも、後に残るのも、みな寿命として、決められたこと。
悲しみは、静めて、私に頼りなさいと、言う。
源氏は、そういう自分の方が、生き永らえることが、出来ないという気持ちがすると、仰るのも、頼りないことである。


けぶりにたぐひて慕い参りなむ
煙と、一緒に、私も慕い、参りたい。

かくいふ我が身こそは、生きとまるまじきここちすれ と宣ふも 頼もしげなしや
これは、作者の思いである。

とあるも かかるも
ああなのも、こうなのも
様々な姿である。

惟光、「よは明けがたになり侍りぬらむ。はや帰らせ給ひなむ」と聞ゆれば、かへり見のみせられて、胸もつとふたがりて、出で給ふ。道いと露けきに、いとどしき朝霧に、いづこともなくまどふここちし給ふ。

惟光が、夜は明け方になります。早々に、お帰りあそばしましょうと、言う。
源氏は、後を振り返り、振り返りして、胸いっぱいになり、お立ち出でになる。
君の、お目には、涙の露、そして、道は朝露で濡れ、さらに、朝霧で立ちこめた道である。
いっそう、見えにくく、何処とも知らず、さ迷うような気がするのである。


美しい、情景である。
道いと 露けきに いとどしき朝霧に いづこともなく まどふここちし
道は、朝露に濡れ、更に、朝霧が立ち込めて、何処のなのか解らぬ茫漠とした、風景の中を、惑う心持で、進むのである。

源氏の、心模様を、その風景で、表すのである。
目の前の、風景が、心の姿なのである。
紫の、筆は、いつも、人の心模様と、風景を対にして、描く。
これを、一言で、言うとき、あはれ、という言葉になる。

ありしながらうち臥したりつるさま、うちかはし給へりしが、我が御くれないの御ぞの、着られたりつるなど、いかなりけむ契りにかと、道すがら思さる。


あの夜の、姿のままに横なっていた様。
着せた、自分の紅の、御衣が、そのままかかっていた。
どうした、前世の縁で、このようなことになったのかと、道々、お心に、浮かぶ。


当時の、浄土思想によるもので、前世の因縁と、考える。
これは、その後も、日本人の、基本的感情になった。
何ゆえの、前世の因縁かという、考え方である。
それを、理由として、考える方が、易いのである。


御馬にもはかばかしく乗り給ふまじき御さまなれば、また惟光そひ助けておはしまさするに、堤の程にて御馬よりすべり降りて、いみじく御ここちまどひければ、源氏「かかる道の空にて、はふれぬべきにやあらむ。さらにえ行き着くまじきここちなむする」と宣ふに、惟光ここちまどひて、「わがはかばかしくは、さ宣ふとも、かかる道にいて出で奉るべきかは」と思ふに、いと心あわただしければ、川の水にて手を洗ひて、清水の観音を念じて奉りても、すべなく思ひまどふ。君もしひて御心をおこして、心のうちに仏を念じ給ひて、又とかく助けられ給ひてなむ、二条の院へ帰り給ひける。

お馬にも、うまく乗れない様子である。
惟光は、助けつつお連れするが、途中、加茂川の堤の辺りで、滑り落ちてしまった。
源氏は、酷く、気分が悪くなり、こんな道端で死んでしまうのか、とても、帰り着けそうにないと、仰る。
惟光は、惑い、そう仰るが、それは、自分が、こんな所に、お連れしたからだと、思い、川水で、手を洗い、清水観音に、祈願する。しかし、途方に暮れる。
惟光の、様子に、君は、力を絞り、気力を出して、心に、仏を念じる。
それゆえか、何とか、二条の院に、辿り着いた。


いみじく 御ここちまどひければ
酷く、気持ちが、動揺するのである。気分が悪くなる。

はふれぬべきにや あらむ
ここで、死んでしまうのか。

いと心あわただしければ
大変、気持ちが、落ち着かない。慌ててしうのである。

互いに、観音や、仏を、念じるという。
人知を超えたところのもの、それは、観音や仏であった。
平安の頃より、そうして、観音信仰、仏信仰に、頼るのである。

日本人の原風景は、万葉であるが、平安期になって、仏の法、ほとけののり、としての、仏教に、大きく影響されている。
当時の、仏教は、天子、貴族の、仏教であり、ハイカラな、ものだった。
信仰という、観念は無い。
拝むべき、もの、という意識である。
人間を超えた存在という、意識である。

庶民には、手の届かない、仏の教えだった。
ただし、平安貴族の、退廃振りは、この仏教の、無常観というものが、大きく影響した。
一種、インドのバラモン、ヒンドゥーに近い感覚である。
すべては、因縁により、起こる。
人間は、それに手出しは出来ないという、諦観である。

その、良し悪しは、別枠の、エッセイ、神仏は妄想である、で、お読み下さい

2008年09月15日

もののあわれについて274

あやしう夜ふかき御ありきを、人々、「見苦しきわざかな。このごろ、例よりも静心なき御しのびありきの、しきるなかにも、きのふの御気色のいと悩ましうおぼしたりしに、いかでかくたどりありき給ふらむ」と、嘆きあへり。

あやしう深夜の、お出歩きを、女房たちは、みっともないことです。この頃、いつもより、そわそわして、お忍び歩きが続いていますが、昨日は、特に、ご気分がすぐれない様子でしたのに、どうして、ふらふらと、お出かけ遊ばすのでしょう、互いに嘆きあう。

あやしう
怪しい、出歩き。
不可解な、である。

まことに、臥し給ひぬるままに、いといたく苦しがり給ひて、ふつかみかになりぬるに、むげに弱るやうにし給ふ。内にも聞こしめし嘆くこと限りなし。御祈り、かたがたにひまなくののしる。祭り、祓へ、修法など、言ひ尽くすべくもあらず。「世にたぐひまなく、ゆゆしき御ありさまなれば、世に長くおはしますまじきにや」と、あめの下の人のさわぎなり。

お休みなさったまま、酷く苦しがり、二三日のうちに、大変な衰弱の様子である。
帝も、それを、聞いて、大変、限りなく、嘆いていた。
ご祈祷は、方々で、ひっきりなしの、大騒ぎである。
祭り、祓え、修法など、言い切れない有様である。
またとない、ご立派な方であるゆえに、長生きしないのではないかと、天の下、つまり、民が、騒ぐのである。


ゆゆしき御ありさまなれば
特別の立派なお方である。
通常ではない、御人である。

苦しき御ここちにも、かの右近を召し寄せて、局など近く賜ひて、さぶらはせ給ふ。惟光、ここちもさわぎまどへど、思ひのどめて、この人のたつきなしと思ひたるを、もてなし助けつつ、さぶらはす。君は、いささかひまありておぼさるる時は、召し出でて使ひなどすれば、ほどなく交らひつきたり。ぶくいと黒くして、かたちなどよからねど、かたはに見苦しからぬ若人なり。

苦しい中でも、あの女の、右近を、召しだし、部屋などを近くに与えて、お召し使えとされる。
惟光は、動顚し、狼狽するが、心を落ち着けて、右近には、拠り所もないと思い、色々と世話をして、お仕えさせる。
君は、少しでも、気分がよい時は、呼び出して、使ったりするので、次第に、御殿にも、馴染んだである。
喪服を、濃い黒で、固めて、器量などは、それほどではないが、見られないほどの姿ではない、若い女房である。


ぶくいと黒くして
喪服のこと。
特に、黒々とした喪服である。

かたはに見苦しからぬ若人なり
見られないという程の、器量でもない。若い人である。
その前に、かたちなどよからねど、とある。これは、器量は、それほどてもないという。

源氏「あやしう短かかりける御契りにひかされて、我も世にえあるまじきなめり。年頃の頼み失ひて、心ぼそく思ふらむなぐさめにも、もしながらへば、よろづにはぐくまむとこそ思ひしか、ほどもなく又たちそひぬべきが、口をしくもあるべきかな」と、忍びやかに、宣ひて、弱げに泣き給へば、いふかひなき事をばおきて、いみじく惜し、と思ひ聞ゆ。


源氏は、不思議に、短い縁にひかれて、私も、とても、生きていけないような気持ちだ。
長年の頼みの綱を、失い、心細く思うだろうが、それを、慰めるためにも、もし生き永らえたら、一切、面倒を見て上げようと思った。
しかし、自分も、間も無く、後を追いそうな、気がする。
残念なことだと、小声で仰り、傍目にも、弱々しく泣くのである。
言っても、甲斐のないことだが、たまらなく、悔しいと、思い直すのである。


よろづにはぐくむこそ
後の、すべての、面倒をみる。
通常は、育てるのである。

しかし、ほどなく又たちそひぬべきが
ほどなくして、我も、たちそひぬべき、か、である。
立ち添いぬべきか、とは、誰にか。それは、死んだ女にである。つまり、自分も、死ぬのではないかと、思うのだ。

それ程、源氏は、弱い男である。
女の死が、源氏には、耐えられない程の、恐怖になった。
死を知らない者である。


このような、源氏の、後に残された者に対する、思いをもって、本居宣長などは、もののあはれ、というものを、観たようである。
人と人の、慈愛の関係にある、もののあはれ、である。

人と人の、機微から観る、もののあはれ、というものも、ある。
心の、細やかさである。
それは、心を砕くこと、相手に、共感し、そして、その心を共生しようとする。

しかし、私は、それ以上に、紫式部の筆の、風景と、情景に、もののあわれ、というものを、観るものである。

確かに、我も世にえあるまじきなめり、と、痛烈な思いに駆られる。
それは、源氏の若さゆえであろうし、作者である、紫の思いでもあろう。
夫を、亡くした後の思いを、ここに、込めるのである。
人の死は、実に辛いものである。
その後に、残された者は、どのように生きればいいのか。
実際、我が身も、死にたいと思うのである。
しかし、生かされるまで、生きなければならない。

人の死を実感として、感じた作者の思いが、込められている。

人の死ほど、もののあわれ、を、感じるものはない。
どうしようもないもの、それは、人の死である。
その、死を、どのように、受け止めるのか。
それが、もののあわれ、という心象風景の、行くべき先であろう。

神仏は妄想である。150

生より死にうつると心うるは、これあやまり也。生はひとときのくらいにて、すでにさきあり、のちあり。
道元


生と死を分けて考えてはいけない。その事実を事実として徹底的に受け入れてしまえ、と道元は繰り返し言います。それは何故か。人間は生きている状態から、死んでいくという別の状態へ移っていくのだと考えるから誤りが生ずる。これは、いつも道元が好んで用いる考え方です。
栗田勇

春は春であって、春以外のものは何もない。秋は秋というもので、これが移っていく、つまり時間的な経過によって変化するということはない。春は春のうちに春以上のものがある。つまり空がある。花が咲き、鳥が歌うという現象の奥に、目に見えないある宇宙、絶対的な実相がある。
栗田勇

空という、実相というものがあるということを、言うのであろう。
それは、理解する。

その、空という、実相が、目の前の花になり、鳥が歌うということである。
それも、理解する。


それでは、もののあわれについてで、紹介した、古今集の仮名序を、再度見る。

和歌、やまとうたは、人の心を種として、万、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、事・業しげきものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひだせるなり。花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして、天地、あめつちを動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士、もののふの心をもなぐさむるは、歌なり。

とうであろか、私は、こちらの、心象風景を取るものである。

空とか、実相などという言葉はない。
この世の生きるものに、限りない慈愛の風景を抱くのである。
歌の道。
日本の歌道は、すでに、それらの、理屈を、超えていたのである。


そこで生は、「ひとときのくらい」だと言う。くらいというのは現象、位相のこと。ひとときというのは、しばらくの間という意味ではなく、全体、まるまるさそれで全部の時、つまり永遠のいまの意。生は生というものでまとまった様相であり、永遠の変わらぬ姿である。
だから、生きているということは、死と比べて生きているということではない。生きているということの中には、絶対的な今しかない。あるいは生以上のものしかない。空しかない。
栗田勇


歌道では、空などとは、言わない。
今、目の前にあるものを、慈しみ、歌い上げる。
それだけで、いい。
この世の、すべてを、受容する。

あえて、そのものを、超えたところの、空とか、実相などは、必要ないのである。

更に、言えば、絶対的な今、生以上のものしかないと、いうが、人は、確実に死ぬのである。

容赦なく、死ぬ。
必ず、死ぬ。
生が、今しかないというのと、同じく、死も又、今しかないという、その、死を、人は、確実に迎える。

理屈を言うのではない。
だから、それが、何だって言うのだということになる。
つまり、それは、迷いなのである。

生きとし、生ける、いづれか歌をよまざりけり、という方が、やさしいのである。
優しいのである。

人命とは、呼吸の間である、などと、アホにことに、感心しているより、歌の一つでも、詠むことである、と、私は言う。

吸う息、吐く息の間に、命というものがあるなどという、浅はかな、言葉の世界に酔っているうちは、悟りなど、開ける訳が無い。

明日とか、やがてそのうちということはない。今日の今、せっかくの今この今を、仏道に、つまり真理の道に身を投げ入れて、いつのときがあるだろうか。この覚悟が生死を超えます。
栗田勇

栗田氏は、道元を、理解しやすいように、紹介する。
私は、栗田氏の、文章に対して、敬意を表する。

さて、真理の道に、身を投げ入れてというが、人には真理というものが、人の数だけあるということを、知らないらしい。
仏道を、真理とは、笑わせる。

たかが、仏の道である。
たった、一つの道である。
それ以外に、真理というものが無いというならば、それは、浅はか、愚かというものである。

道元が、芸術家であれば、許せる。

松尾芭蕉は、今日の発句は、今日の辞世という心持で、俳句を、詠む。
それならば、おおいに、納得する。

歌は、すべて、挽歌である。
皆々、歌詠みは、その心持で、歌を詠む。
そこに、この人の世の、儚いという、明確な、意識がある。
儚いとは、はかないのであり、あはれ、なのである。

必ず朽ちる肉体を、持つ人間の、そのままの、姿をこそ、見つめ続ける行為こそ、真っ当な、生きる道であろう。
この世は、無常でよし。
儚くて、よし。
あはれ、で、よし。
生死に、七転八倒するも、よし。

息切れれば、死ぬ。
死人に口なしである。それで、よし。

問答無用に、人は死ぬ。
それで、よし。
言うことも無い。

2008年09月16日

神仏は妄想である。151

ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいえになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもついやさずして、生死をはなれ、仏となる。
道元

これは、実に美しい大和言葉である。

ただ、我が身も、心を離れ、忘れて、仏の家に、投げ入れて、仏の方から、来てくれる。これに、従うのである。力も入れず、心の働きもない。そうすれば、生死というものを、離れ、つまり、その観念を離れて、仏となる。
ということである。

いかがだろうか。
これには、騙される。
勘違いする。
読んだだけで、何か救われたような気持ちになる。

言葉の、恐ろしさを知らない人が、これに、やられる。

その気になるのである。

仏の方から、来てくれる。
どこかで、聞いたような、話である。
そうそう、念仏、浄土門の時に、話した、書いた。
阿弥陀仏が、救うというものである。
ただ、念仏することによって、弥陀の本願に、救われるという、ものである。

魔界の教えである。

すると、もっと、凄いのは、念仏しなくても、救われるという、考えである。
ちなわち、弥陀の本願は、一人が救われなければ、我が身の救いは、無いというのであるから、念仏しない者でも、救うということである。

このように、突き詰めてゆくと、とんでも、ハップンという、恐ろしい、境地に至る。
マジである。
マジで、そのように、考える。

三蔵法師玄奘の時までは、よかった。
辛うじて、救われない者もいる。
仏に成れない者も、いると、教えた。

要するに、馬鹿は、死んでも馬鹿ですという、教えである。
それが、どこで、どう間違ったのか、あるいは、変節したのか、アホになったのか、狂ったのか、皆救われる。皆、仏になるという、耳障りの良い言葉を、並べ立て始めたのである。

天台である。
中国の僧、天台チギという者。
つまり、解釈である。
解釈は、事実ではない。


栗田勇氏の、引用も、面倒になったが、面白い話が載っている。
カトリックの、徳の高い、修行僧や、神父は、医者にかからないというものである。
何故なら、病は、神が与えたもうたものである。
故に、それは、人為をもって、手を入れてはならないと、考えるというのである。

エホバの証人、ものみの搭という、カルト系キリスト教は、輸血を禁止する。
我が子が、手術をするのに、輸血を拒否するという、アホ、馬鹿、間抜けの、親がいる。
今は、法律で、未成年者の場合は、輸血が、出来るようになった。

さて、解釈を、持っての、教えとは、全く、筋違いになるのである。

おわかりか、皆様、宗教とは、如何様にも、解釈出来るということ。
気が狂えば、狂うほど、とんでも、解釈になるのである。
そして、それを、人に押し付ける。
信じさせる。

これは、暴力である。

神父は、神の意志ゆえに、病と、闘わないのである。
よろしい。
その本人がそれで、いい気分ならば、言うことはない。
何ゆえの、医学であろうか。
それを、考える。

あたかも、信仰深い、立派な態度に見えるようだが、単なる勘違いである。

助かるものなら、助かった方がいい。
二度とない、人生である。

前世というものがあろうが、この時、この私という、存在は、唯一の存在である。
二度と、この私という意識は、現れない。

道元は、生死を、離れたところに、仏というものを、置いている。いや、生死が、仏の命であるという。

一体、何を言いたいのか。
仏の境地とは、そういうものなのか。
あるいは、仏という存在が、生死を、超えたものなのか。

それでは、仏として、尊敬された、仏陀は、どうか。
死んだ。

今は、仏陀は、死んでいないのである。この世に、存在しない。
仏が、生死を、超えたものということは、証明出来ない。

思い余った末の言葉である。

信仰に、つきものな、我を、何かに、任せるという、境地を言うのだろう。
仏という、訳のわからないものに、我を任せて、どうする。

生死を離れ、仏となる。
それでは、道元は、仏になったのか。
何故、我、仏になれり、と、書かないのか。

ここに、道元の、不案内がある。
つまり、迷いである。

どうせ行くなら、我、仏となれり、でいい。


ただ、その道元も、矢張り、大和心に、戻っている。
次の、文である。

仏となるに、いとやすきみちあり。もろもろの悪をつくらず、生死に著するところなく、一切衆生のために、あわれみふかくして、上をうやまい下をあわれみ、よろずをいとうこころなく、ねがう心なくて、心におもうことなく、うれうることなき、これを仏となづく。又ほかにたずぬることなかれ。

これを、仏というと、明確にした。

それは、悪を行わない。
生死に、執着しない。
みんなのために、哀れみ深く。
上を敬い、下を憐れみ。
すべてのことを、厭わない。
願う心もなく、心に思うこともない。
憂いに沈まずにいる。
それを、仏だというのである。

願うことなく、心に思うこととは、妄想である。
それでは、仏という妄想を捨てるべきである。

何も、仏になる必要はない。
大和心を、生きればいいのだ。

おほいなる やわらぎの こころ である。
大和心を、仏であると、最後に、締めくくる。

それでは、次に、道元の、大和心に至る道を見て、道元を終わることにする。

結局、仏教の究極が、大和心であるということ、実に、明確である。
道元、辞世の句である。
また見んと おもいし時の 秋だにも 今夜の月に ねられやはする

2008年09月17日

神仏は妄想である。152

道元は、深草安養院に、31歳から、34歳の、三年間にわたり過ごした。
その時に、道元の跡を継ぐ、三歳年上の、懐奘 えじょう、が、日本達磨宗の門人を引き連れて、入門する。正法眼蔵隋聞記を、著した。

1233年に、同じ地の、興聖寺に、僧堂を設けて、約十年、指導しつつ、正法眼蔵を書く。

しかし、比叡山の迫害が、激しくなり、越前、志比の庄の、寺に移る。

寛元元年、1243年、道元、44歳の年、吉峰寺で、執筆に励むのである。

そして、現在の、永平寺の土地に、新しく、伽藍を建てる。
寛元二年、七月、吉祥山大仏寺が開堂する。

ここで、厳格な、禅林の規則を定めて、寛元四年、六月、大仏寺を、改め、永平寺とする。

永平寺知事清規という、生活規則を、作る。

しかし、道元は、仏陀を知らないゆえに、厳しい修行を、続ける。
仏陀は、中道の心を説いた。
それは、出家者にもである。
偏った、修行は、するな。
疲れさせたり、行過ぎるなと、教えた、仏陀を知らない故に、健康を、害する。

建長四年、1252年から、具合が悪くなり、養生のために、京に上がる。

高辻西洞院の、俗弟子、覚念という者の、邸宅で、建長五年、八月二十八日、五十四歳にて、没する。
正式には、入寂である。

入滅ともいう。
滅とは、仏教では、安心の境地である。

最後の漢詩の、それを、ゲというが、その一節
活陥黄泉 である。
生きながら、黄泉に陥つ、というのである。

活陥成仏、ではない。
黄泉とは、我が国の、死後の世界である。

そして、辞世の句

また見んと おもいし時の 秋だにも 今夜の月に ねられやはする

またみんと おもいしときの あきだにも こよいのつきに ねられやはする

もう一度、見たいと思うであろう、秋の月である。
今宵の月に、ねられやはする、とは、何か。

ねられや は する
眠られる、のか、眠られないのか。
きっと、眠られるのであろう。
いや、文法では、ねられやの、や、とは、係助詞である。反語であり、疑問である。
すると、ねられようか、いや、ねられない、という意味になる。だから、月を眺めて、眠られないだろうと、言うのである。
眠られるだろうか、いや、眠られない。

この月を、眺めて、静かに、眠りに入りたいものである。そう思いたいが、どうも、迷いがある。ねられやはせず、だったのではないか。何故、やはする、と、なったのか
勿論、や、と、せず、となると、意味合いは、変になる反語の反語、疑問の疑問である。
しかし、詮索するのは、止める。

大和心に、抱かれて、道元は、我が人生、その戦いの人生を、見つめた。

母の胸に、抱かれたかっただろう。
早くから、親に死に別れて、どれほど、辛い思いをしたのか。

求めるところは、母の胸であり、あの、尊敬すべき、父である。

親の懐に、抱かれる、安心の境地は、事実である。

妄想の、存在は、そこにはない。

誰か知る
かの道元の
胸の内
作為を超えて
親の元へと

私は、道元の生き方を、尊敬する。
敬意を表する。

一筋という道を、見つめて、ひたすらに、生きた。
そして、我がために、書き続けた。
我が、読むべきものを、書き続けた。

一番の、読者は、私なのである。

私が、私に読ませたいが、故に、渾身の力をもって、書き続ける。

それを、大和心という、親心が、抱き寄せてくれる。
そこには、父あり、母がいる。

父と母の存在は、事実である。
これに、適うものなどない。

たとえ、アホでも、馬鹿でも、間抜けでも、親がいる。

道元を、死の世界へ、導いたのは、仏でも、勿論、神でもない。
父と母である。

仏への道を、一筋に、歩むべくして、歩み続け、最期の時は、父母の胸に抱かれて、逝くのである。
それは、信じるというものではない。
事実である。

今夜の月に ねられやはする
私見である。
道元の、月は、最後に、父母となった。
父と母の、傍で、眠りたい。
それで、いいではないか。

心理学という、未熟な学問があるが、それでも、相当な、人間の心の世界を、観るものである。
道元の、仏は、父母に、至ったのである。
あれほど、身を清く生きたのは、父母への、思慕である。
誰も、それに、気付かないほど、仏教、禅というものに、迷うのである。

道元の、著作に、一言も、父母のことが、無い。
何故か。
触れられない程、恋しい人であった。

孤児の、心境の解る者は、それを、知る。

実は、鎌倉仏教の開祖で、父母のことに触れたのは、親鸞のみである。
父母のために、念仏しないという、歎異抄の言葉である。
自分が、成仏したなら、真っ先に、父母を、救うでろあうという。
そこが、愚かである。
自業自得なのである。
誰も、救うことは、できない。また、仏にする事も、できないのである。
仏陀は、そう、言った。

法然も、道元も、日蓮も、父母のことは、言わない。
以下、他の、開祖も、言わない。

彼らの、仏の実在は、父母であった。
私は、それを、知る者である。

皆々、若い、青臭いのである。
それで、いい。

父母無くして、我の存在があったか。
木の股から、誰が生まれる。
人は、母の股から、生まれるのである。

仏陀も、女の股から、生まれた。

道元を、終わる。

2008年09月18日

性について6

原始時代、未開種族は、セックスと、妊娠を別に考えていた。
それでは、どうして、子供が出来るのかといえば、おおまかなところ、太陽によるものだと、信じられた。

太陽光線が、子種を作るという。
それは、太陽の熱によって、自然界のすべのものが、養育される姿を見るからである。
また、月の光である。
古代は、月が人格化されていたという、報告もある。
月が、女を妊娠させる。

また、面白いのは、霊や、精霊、あるいは、神、悪魔の干渉も信じられた。
そして、母親の食べ物も、である。

トロブリアンド島の、妊娠に関する考え方は、実に興味深い。

妊娠についての考えにみられる神話的形相と生理学的形相との相互関係―――すなわち子供がトウマで生まれてトロブリアンドに旅行してくるということと、それに続く母体での過程として、血液が腹から頭に噴き上って再び腹にもどってくるということとの関係は、必ずしも首尾一貫してはいないが、人間の生命の起源に関する完結した一理論を示している。それはまた母系制にたいする立派な理論的基礎づけでもある。なぜなら村に新しい生命をもたらす過程は、すべて霊的世界との女性器官との関係であって、そこに生理学上の父子関係が入り込む余地はない。
マリノウスキー

であるから、処女膜の開いていない、女は、妊娠しないのである。
妊娠するには、処女膜を、破る必要がある。
つまり、処女膜を破りさえすれば、いいのである。
そこから、霊が、子宮に入り、妊娠するのである。

現代人と、古代、原始の人とでは、性に関する、考え方、知性というものは、全く違っている。しかし、それを、見ることで、性というものの、姿が見えるのである。

上記の説は、聖書の、マリア処女降誕に、取り入れられたようである。
男が、いなくても、妊娠するのである。
それは、霊による。
これで、完璧に、処女降誕の謎が解ける。

いずれ、性交により、妊娠と結びつくと、知ることになるが、それはまた、素晴らしい未来を、人類に与えた。
つまり、性交は、喜びだけではなく、未来へと続く意味ある行為になったのだ。

性交は、誕生を伴うという、認識である。

夫婦、家族という意識の、曖昧だった頃、明確だったのは、母と子である。
つまり、母系という考え方は、自然発生である。
それだけは、揺ぎ無い、確かなものだった。

トロブリアンド島では、女がいれば、子供は、生まれるのである。
処女膜さえ、何らかのことにより、開けられれば、である。
女が先なのである。

母なるもの、という時、それは、原始の頃の、母のイメージである。

性は、まず女から、はじまるとでも、言う。

受精卵は、まず、女である。
そこから、男への道がはじまる。
女の母体があって、男に変じてゆくのである。
たった一つの、染色体で、男に変容する。
変化するのではない。
女が、変容して、男となる。

つまり、男の性には、女の性的なるものが、宿るのである。
これが、後に、心理学で言われる、女性性、男性性という、知性の深みに至る。
精神活動が複雑になると、それが、益々複雑化するのである。

性、というものが、単なる、生物学的な性に、終わらない理由が、ここにある。
フロイトもそうだが、人間の精神に与える影響は、絶大である。
性とは、精神であるともいえることになる。

敬虔なクリスチャンで、マスターベーションを罪と教えられていた青年が、ノイローゼになった。
その解決策は、マスターベーション解禁だった。

宗教の蒙昧は、限りないが、人間の欲望を、罪に定めるという、とてつもない、大罪を犯すのが、宗教である。

溢れるほどの、性的欲求を、抑え付ければ、人は、狂うしかなくなる。
性は、生命だと、言った。
性の欲求は、セックスでなくとも、マスターベーションでも、十分に満たされるならば、マスターベーションを大いに楽しむこと、なのである。
それは、生命力の、強化になる。

性の満たしが、精神の満たしになる時、性というものが、輝く。

体と、心と、相対して、分ける考えがあるが、体を離れて、心が、単独にある訳が無い。
体は、心の現われである。
体が、病めば、心も病むのである。

体の癒しは、心の癒しにもなる。
優れた治療家は、それを知っている。故に、まず、体を、整えることから、はじめる。

悩み多き人の体は、凝りが多い。その凝りを、取り除くだけで、悩みが、半減するのである。

女の場合の、体調の不調は、性的満足の、有無に左右される。
体が、そのように、作られている。
いずれ、それについても書くことにする。

知性が、複雑になるにつれて、性に対する、精神性も、複雑になってゆく。
精神の複雑化は、通常の性交では、満足出来ないという、新しい、性行為を求めることになもなる。

マスターベーションで、死ぬことがあるのも、それである。
刺激を求めると、更に刺激を求め、ペニスに電極をつないで、次第に、電圧を高くして、射精と、共に、死亡するなどの、行為に至るという、性の秘密である。

精神の深い闇が、実は、性にあるということ。
実に、興味深い問題である。

2008年09月19日

性について7

ここで、突然であるが、ある方から、こういう情報を得た。

僕が診断を受けたのは、無性欲者(英:asexual)で、かつ性嫌悪(英:Sexual
Aversion)と言われる症状です。
性に目覚めると、脳の前頭葉の発達が停止する(つまり、記憶力や知能等々の発達が停止する)と疫学的に云われているようです。
ですので、asexualの人は、そういうことが無く、精神的にも肉体的にも衰えることが相対的に小さいのではないかという研究者もいるようです。

上記である。

今まで、多くの著作の、性に関しては、上記のような、状態にある者を、取り上げなかった。
上記の、状態を、深めることで、性というものの、姿が、また、深まる。

無性欲者、あるいは、性嫌悪を、起こす者とは。
それを、どのように、理解出来るのか。
それ自身にならなければ、理解し得ないという、前提で、考える。

つまり、脳である。
脳の前頭葉が、停止することを、脳自体が、拒むというのである。
故に、性を、また性欲を、嫌悪するということ。

性に、潔癖な時期というものは、誰にもあると、いわれる。
特に、女性の場合は、甚だしい。
思春期前後から、二十歳を過ぎるまで、女性は、性欲というものを、感じない場合が、多々ある。

それの、確信は、ジェンダーで、悩む、18歳の男の子に、逢った時である。
彼の、急務は、美しくなりたいのであり、女になりたいのではない。更に、男に愛されたいのではなく、女になりたいのである。
つまり、性欲としての、ジェンダーではない、ということである。

上記、矛盾していると、思われるが、以下、説明する。

女になりたいのではない。しかし、女になりたいのである。
つまり、美しさを、特に、体に美しさを、求める意識は、女性のものであるという、観念が、強くあり、女になりたくないのではあるが、美しくなるのであれば、女にでも、なりたいのである。

実に、複雑な、心境である。
これは、社会の観念に、左右される、悩みである。

それは、国柄や、風土の問題でもある。
タイなどでは、幼い頃から、男の子に、女らしさを感じた場合の親は、男の子でも、女の子のようにして、育てる。
そして、成長して、本人が、レディボーイを目指すなら、それを応援するという。
比較的、自由な空気の中で、ゲイにも、レディボーイにも、なれる。
ただし、差別がないかと言われれば、差別は、ある。

日本の場合は、今も、偏見と差別がある。
ただし、マスコミ等で、彼らの存在を認知するゆえに、やや緩和されている感はあるが、それでも、一般社会では、根強い、差別があり、差別的発言がある。

余計なことだが、ゲイを差別する人に、潜在性のゲイ志向があるから、面白い。
ノーマルといわれ男には、本当のノーマルの場合であるが、彼らは、ゲイを、容認する。つまり、理解できないからだ。妄想逞しく、ゲイセックスを想像しないからである。

潜在性ゲイ志向のある者は、ゲイセックスを想像するゆえに、嫌悪するという、不思議な心のカラクリである。

さて、横道に逸れたついでに、女の子の場合、性欲を感じない時期に、なんらかの要素で、性欲と、快感を感じた場合は、そこから、抜けることが、出来なくなる。
男の場合は、一時的に、性行為にのめり込んでも、そこから、這い出すことは、出来る。しかし、女の場合は、無理である。

何故か。
女の業が深いと言われる、所以である。

性欲を満たされない場合は、狂う。
知らなければ、問題なかったのであるが、知ってしまい、それが、絶たれると、狂うのである。

中年男性と、性行為を持ち、性の快楽を覚えた、女子高校生が、男の方から、別れを言い出して、自殺するケースが多い。
勿論、世間の人は、それを、知らない故に、自殺の原因が解らないこと、多々あり。

性欲に、執着するのは、圧倒的に、女に多い。
世に、聖人と言われる者、多くは、男である。
この、聖人の生涯を、調べると、一時期、必ず、性行為に、のめり込んでいる。
例えば、ガンジーといえば、知らない人はいない程、世界的に有名聖人である。
彼は、父親の死に際しても、女の子との、セックスを続けていたという。

宗教的、聖人も、然りである。

良寛なども、遊郭で、遊び続けて、飽きて、出家した。
キリスト教の聖人も、多くは、実に、淫乱、退廃の生活を送り、突然にして、神の信仰に、目覚めて、聖人の道、まっしぐらであるから、面白い。

単純に言っておけば、男は、飽きるが、女は、飽きないのである。
何故か。
きっと、脳が、解決してくれると、思う。

さて、性嫌悪者の場合、特に苦痛なのが、射精感覚である。
本来は、その射精の快感を求めて、とてつもなく、努力して、セックスを求めるのだが、彼らは、それが、身震いする程、苦痛なのである。

それにより、前立腺肥大になりやすい。
医者が、マスターベーションを、促しても、それを拒むため、止む無く、薬を処方されるという、お話である。

そういう、男も、いるのである。
そして、女もである。
一生、性欲の満たしを求めず、一切の、性的欲求ももたない、女である。
勿論、独身を通すが、昔は、無理やりに、結婚させられて、地獄の日々を、送った。私は、何人も、そういう、女性を知っている。

それでは、レズなのかと思えば、違う。
要するに、性欲を覚えないのである。

人間の、性とは、本当に、面白い。

2008年09月20日

性について8

性を、考える上で、どうしても、脳を考えて、それを、前提にしなければ、ならない。

少し、脳の性に関する分野と、働きをみることにする。

一番、理解しやすいところから、見ると、まず、食欲と、性欲についてである。
女性の場合、性欲が、満たされない場合は、ひたすら食欲に走る女がいる。
愛の喪失、欲求不満で、肥満体になる女は、多い。

また、逆に、性欲が亢進し、ストレスが高じて、食欲の失せる女。それは、恋のとりこになったという。
神経性食欲不振症である。つまり、拒食症である。

女性の食欲の中枢が、簡単に崩壊するのは、脳のせいである。
食欲、性欲の中枢が、脳の中にあり、数ミリの間隔で、隣接しているためである。

空腹を起こす部位は、視床下部の外側にある。
そこを、摂食中枢と呼ぶ。
これと、隣接して、内側に満腹中枢がある。ここが、壊れると、満腹感が起こらないために、いくら食べても、満足しない。故に、肥満になる。

血液中の、ブドウ糖の濃度の変化と、性ホルモンのバランスが、刺激になり、機能的に、壊れた状態になると、思えばよい。

この、満腹中枢が、女の場合、性欲中枢の役目もはたしているので、女は、食欲と、性欲と、混合するのである。

ただ、これは、実に、女は、男と違い、原始に近いということが、解る。原始に近いということは、新しい命を生むものだということ、である。

さて、もう一つ、孤束核という、延髄にある食欲中枢がある。
空腹、満腹中枢の、出先機関のようなものである。
食べたという情報を、得ると、処理された信号が、すい臓に行き、インスリンやグルカゴンを出させる。

また、大脳辺縁系の扁桃体の核にも、摂食を促す食欲中枢の出先機関がある。
ここでは、ブドウ糖や、性ホルモンを感受する、ニューロンがあり、雌の場合、エストロゲンが働いて、食欲に抑制をかける。

雄の場合は、テストステロンだが、雌のエストロゲンの方が、効果が大きい。
雌は、月のめぐりで、血中エストロゲンのレベルが、変動する。
それは、つまり、食欲にも、変動を与えるということだ。

食欲中枢が、刺激されて、空腹感や、満腹感が生じるのは、情報が、更に、大脳辺縁系の皮膚部分である、辺縁皮質に送られるからである。
この、指令皮質は、更に高次の、大脳新皮質から、興奮と、抑制の支配を受けるという、複雑さである。

心因性ストレスを受けると、空腹中枢が刺激を受けて、腹が空いても、辺縁皮質が抑制を受けていると、空腹感がうまく醸成されずに、空腹を感じないという、状態になる。

恋に、やられた時などは、同じように、なるのである。

面白いのは、女は、腹内側核、つまり満腹中枢が、性交中に興奮する。
男と、比べて、女の方が、ホルモンと、食欲、性欲中枢の共有が、男と比べると、実に多いのである。

さて、性的感心の、センターが、前頭葉辺りにあることが、解ってきた。
食欲と、性欲の接点の、最初の受け皿は、視床下部である。

さて、もう少し、脳をみる。

視覚、聴覚というのは、高等感覚である。更に、原始感覚の、味覚、皮膚感覚というものは、大脳新皮質下核である、視床下部を通り、それぞれの、感覚野に送られる。
例えば、視覚は、感覚野の第一視覚野であり、皮膚感覚ならば、脳の中央の、中心溝の手前、体性感覚野である。

抹消の感覚受信により送られた情報は、新皮質の感覚野に、それから、脳の各部に送られる。
分析したり、記憶の整理をする。
そういう仕組みの一つに、大脳辺縁系の扁桃核があり、海馬や、視床下部がある。

大脳辺縁系は、脳室の周りを取り囲み、新皮質の、辺縁部を形成しているゆえに、その名がある。
扁桃核は、情動を主体とする個体維持に、海馬は、記憶、学習を主体とする、種族維持に関わる。
視床下部は、これらと共に、情報交換を行い、食欲と、性欲を生み出す源流である。

そして、人間たる所以は、それらが、前頭葉に存在する、前頭連合野の、干渉を受けることである。

つまり、性的欲望を感じるということは、正常な脳の働きがあるということである。
その、性欲を、人間の欲望として、裁く、何物も無い。
それに、罪意識を持たせる、宗教というもの、実に、大罪であること、明々白日である。

前頭連合野は、全大脳新皮質の三分の一を占める。
人間としての、高等な精神を司る部分である。
あるいは、心の働きと、いってもよい。

動物は、持って生まれた、遺伝子のプランによって、人間の場合は、体験と、学習によって、記憶された、行動で、判断する。

性欲の場合は、あの快感を再びと、求めるのである。

視覚、聴覚、臭覚、触覚、そこからの、総称した感覚という、五感の刺激が、性欲中枢を刺激して、興奮させ、性欲中枢の、そばにある、快感神経維を含む、内側前脳束が、そこを貫き、快感を作り出すものである。

情動と、性欲中枢が揺すぶられ、神経の興奮は、下降して、仙髄の性中枢を刺激し、女の陰部神経に、興奮を伝え、膣の血流を促して、濡らす。

その点、雄、男の場合は、単純ともいえる。

性的感覚刺激で、視覚、聴覚が反応し、興奮が、視床下部に伝わり、体性感覚野、前頭葉、運動領に、及ぶ。

勃起は、血管の拡張する、副交感神経反応により、大脳辺縁系の活性で起こる。

睡眠時、90分ごとに訪れる、夢睡眠時、レム睡眠と呼ばれる時間帯に、勃起するのは、これである。

ちなみに、夢を見る時間でもあり、この夢見る時間は、ストレスを解消するものでもある。
ここで見る夢によって、嫌な記憶を消したりする。

人間の下半身には、女は、三個、男は、二個の穴を、持つ。
生殖と、排泄のための、ものである。
そして、その部分は、他の部位よりも、多くの、感覚容器が、配されている。
人呼んで、性感帯という。

それでは、性感とは、何か。
脳科学では、温、冷、痛、触感覚の、受容器があり、性感とは、それの、複合したものであると、判断する。

東京新宿歌舞伎町の、次の快楽街と言えば、札幌のすすきの、である。
その、すすきの、に、とんでもない、ピンク系の店が、現れたことがある。
その名も、尻舐めである。
なんでも、尻を舐めたら、天下一品という、尻舐め嬢がいて、男は、それで、イクという。
要するに、全ての穴は、使いようで、快感を得られるのである。

排泄の穴が、性器にもなるという、人間の前頭葉の、発達は、何を意味するのか。
じっくりと、見つめてゆく。

もののあわれについて275

殿のうちの人、足を空にて思ひまどふ。うちより御使ひ、雨の脚よりもけに繁し。おぼし嘆きおはしますを聞き給ふに、いとかたじけなくて、せめて強くおぼしなる。大殿もけいめいし給ひて、おとど日々に渡り給ひつつ、さまざまの事をせさせ給ふしるしにや、廿日あまりいと重くわづらい給ひつれど、ことなるなごり残らず、おこたるさまに見え給ふ。


御宅の人々は、足も地につかない様で、おろおろとする。
宮中から、お使いが雨の脚よりも、更に、しきりに来る。
主が、お嘆きになっているとのことで、まことに、恐れ多く、しいて、元気を奮い起こす。
大臣たちも、世話をし、大臣自身が、おこしになって、色々なことを指示されるかいもあり、二十日ほど、重く、おわずらいになっていたが、余病も出ずに、快方にお向かいした様子である。


けいめいし給ひて
これは、経営である。
意味は、精出して励むという。

ことなるなごり残らず
別の病気などは、無かった。

おこたるさまに
善い方向に向かった。
病が、怠るのであるから、病が無くなるのである。

けがらひ忌み給ひしも、ひとつに満ちぬ夜なれば、おぼつかながらせ給ふ御心わりなくて、内の御とのい所に参り給ひなどす。大殿、わが御車にて、迎へ奉り給ひて、御物忌み、何やと、むつかしうつつしませ奉り給ふ。我にもあらず、あらぬ世によみがへりたるやうに、しばしはおぼえ給ふ。

穢れを、忌み、ちょうど一緒に済まされた夜が、お所上げである。
ご心配あそばす、主のお心も、恐れ多く、宮中の私室に、お上がりなさる。
大臣は、自分の車で、お迎えなさって、御物忌みや、何やかにやと、厳重に、慎みを、おさせになる。
まったく、夢のようで、別の世界に、生き返るような、気分であった。

あらぬ世によみがへりたるやうに
別の世界に、生まれ変ったような、気持ちである。


穢れとは、死の穢れである。
三十日目に、病気も、治ったのである。
それは、死の穢れも、終わる日であった。


当時の人は、実に、素直であったと、思う。
そのようなものと、言われれば、そのような、気持ちになるのである。
情報量の少ない時代である。
それを、察する記述である。

九月廿日の程にぞ、おこたりはて給ひて、いといたくおもやせ給へれど、なかなかいみじくなまめかしくて、ながめがちに、ねをのみ泣き給ふ。見奉りとがむる人もありて、「御もののけなめり」など言ふもあり。


九月二十日の頃に、御全快なさり、とても、酷くおやつれになったが、かえって、素晴らしく美しく、とかく、外をぼんやりと、眺めては、声を上げて泣いている。
それを、見かけて、怪しむ女房もあり、御物の怪ゆえだろう、などと言うのである。

右近を召し出でて、のどやかなる夕暮に物語りなどし給ひて、源氏「なほ、いとなむあやしき。などて、その人と知られじとは、隠い給へりしぞ。まことにあまの子なりとも、さばかりに思ふを知らで、隔て給ひしかばなむ、つらかりし」と宣へば、右近「などてか深く隠し聞え給はむ。はじめより、あやしうおぼえぬさまなりし御ことなれば、「うつつともおぼえずなむある」と宣ひて、御名隠しも「さばかりにこそは」と聞え給うながら、「なほざりにこそ紛らはし給ふらめ」となむ、うき事おぼしたりし」と聞ゆれば、源氏「あいなかりける心くらべどもかな。我は、しか隔つる心もなかりき。ただかやうに人に許されぬふるまひをなむ、まだ慣らはぬ事なる。うちに諌め宣はするをはじめ、つつむこと多かる身にて、はかなく人にたはぶれごとを言ふも、所せう取りなし、うるさきこと多かる身の有様になむあるを、はかなかりし夕べより、あやしう心にかかりて、あながちに見奉りしも、「かかるべき契りにこそはものし給ひけめ」と思ふも、あはれになむ、又うちかへし辛うおぼゆる。


右近を呼び寄せて、お暇な夕暮れ時、世間話などをする。
源氏は、やはり、どうしても、変だと思う。
何故、誰なのかと、解かられまいと、隠していたのか。
本当に海女の子であるにしても、あれほど、私が恋しく思っていることを、察しないで、水臭くしているのは、辛かった。と、仰る。
右近は、どうして、そんなに隠し申しなさることが、ありましょう。
おなじみも浅く、いつの折にも、大したものではない、お名前を、お耳に入れましょう。
最初から、腑に落ちず、思いもかけない方ですので、夢でも、見ている気持ちがすると、仰って、あなた様が、お名前を隠していられるのも、たぶん、いい加減に、あしらっているのでしょうと、辛く思っていたようです。と、申し上げる。
源氏は、つまらない、意地の張り合いだった。
私は、そんなに、隔てを置くつもりはなかった。
ただ、こんなふうに、皆に、止められている、忍び歩きは、初めてのことだった。
主が、お叱りあそばすのを、はじめに、遠慮の多い、この身では、少し、誰かに、冗談を言いかけても、大袈裟に、受け取られて、取り上げられる、うるさいほどの、身分なので、あの、ふっとしたことのあった、夕べから、不思議に気になって、無理やりお会いしたことも、このような、宿縁だったのだろう。
懐かしくも、辛くも、思われる。


あはれになむ
この場合は、懐かしくと、訳してみる。
切なくでも、いい。

かう長かるまじきにては、などさしも心にしみて哀れとおぼえ給ひけむ。なほ詳しく語れ。今はなにごとも隠すべきぞ。七日七日に仏かかせても、誰がためとか心のうちにも思はむ」と宣へば、右近「何か隔て聞えさせ侍らむ。みづから忍び過ぐし給ひし事を、なき御うしろに、口さがなくやは、と思ひ給ふるばかりになむ。親たちははやうせ給ひにき。三位の中将となむ聞えし。いとらうたきものに思ひ聞え給へりしかど、我が身のほどの心もとなさをおぼすめりしに、命さへ堪へ給はずなりにしのち、はかなきもののたよりにて、頭の中将なむ、まだ少将にものし給ひし時、見そめ奉らせ給ひて、みとせばかりは心ざしあるさまに通い給ひしを、こぞの秋ごろ、かの右の大殿より、いと恐ろしき事の聞え、まうで来しに、ものおぢわりなくし給ひし御心に、せむかたなくおぼしおぢて、西の京に御めのとの住み侍る所になむ、はひ隠れ給へりし。

こんなに、短い縁だったのに、何故、あんなに、しみじみと、愛しく思われたのか。
もっと、詳しく、お話したかった。
今は、何も、隠すことはない。
名前を知らなければ、七日七日に、仏像を描かせても、誰の冥福を祈るのかと、心の中でも、思うと、仰る。
右近は、何のお隠し申しましょう。
ご本人が、仰らなかった事を、お亡くなりになった後で、口軽くしてはと、思っただけです。
ご両親は、もう、お亡くなりになりました。
三位中将と、申されました。
とても、可愛がりましたが、運の思うように、いかないことを嘆いていました。
ご寿命までも、思うに任せず、早く、お亡くなりになりました。
その後、ふっとした、ご縁で、頭の中将様が、まだ少将でいらした時に、お通いはじめて、三年ほどは、お情け深く、お通いなさいましたが、去年の秋ころ、あの、本妻の、右大臣様の方から、とても、恐ろしいことを申しておいでで、怖がりの性分ですので、わけもなく、怯えて、西の京に、御乳母が住んでいます所に、こっそり、忍ばれました。

それもいと見苦しきに、住みわび給ひて、山里にうつろひなむとおぼしたりしを、今年よりはふたがりけるかたに侍りければ、たがふとて、あやしき所に物し給ひしを、見あらはされ奉りぬる事と、おぼしく嘆くめりし。世の人に似ず、ものづつみもてなして御覧ぜられ奉り給ふめりしか」と語り出づるに、「さればよ」と、おぼしあはせて、いよいよ哀れまさりぬ。


そこも、あまりの、むさ苦しさに、住みづらくなりまして、山里に、引越しをなさろうとしましたが、今年からは、方角が悪いということで、方違えとして、妙な所にお出でになり、見つけたことを、嘆いていました。
普通の方とは、違い、ご遠慮あそばして、お慕い申していると知られたら、お会わせする顔もなくなると思いで、お顔には、出さないようにして、お迎えして、いらしたようです。と、話すのである。
それじゃあ、矢張りと、思い合わせて、益々、愛情が増すのであった。


この段では、哀れという言葉が、何度か、出てくる。
あはれ、ではなく、哀れと、漢字である。
あはれ、と、哀れは、違いがあるのかと、思えば、そうではない。

あはれ、も、哀れも、同じ意味である。
使い分けをしている訳ではない。
しかし、哀れの場合は、憐れに、近い感覚である。

ふたがりけるかた
方角が悪い場所である。
そして、それは、当時、たがふ、という、方違えという、方法を取る。
つまり、悪い方角に行く前に、その方角を、善い方角に変える意味で、悪い場所かせ、善い方角になる、場所へ、一端移り、そこから、悪いという、方角に向かう行為である。

陰陽道による。

源氏は、右京から、女の素性を、聞くことになる。
それを、聞いて、益々と、女を愛しいと思うのである。

頭の中将とは、源氏の妻の兄である。
また、面白くなってきた。

2008年09月21日

もののあわれについて276

源氏「幼き人まどはしたりと、中将の憂へしは、さる人や」と問ひ給ふ。右近「しか。をととしの春ぞ物し給へりし。女にて、いとらうたげになむ」と語る。源氏「さていづこにぞ。人にさとは知らせで、我にえさせよ。あとはかなくいみじと思ふ御かたみに、いと嬉しかるべくなむ」と宣ふ。


源氏は、小さな子を見失ったと、頭の中将が惜しく思っていたが、その子は、と、お尋ねになる。
右近は、はい、昨年の春に、お生まれになりました。
女の子です。
それは、たいそう、可愛いお子です。と、言う。
源氏は、どこにいるのだ。皆に、知らせず、我に預からせてくれ。
あっけない、しみじみとする女君の、お形見に、なんて嬉しいことだろう。と、仰る。

あとはかなく いみじと思ふ
後はかなく、その後は、儚いのである。あっけないと、訳すか。どうも、違う。
矢張り、後は儚くなのである。
いみじと思う。しみじみと、思う。いや、それも、感じが違う。矢張り、いみじと、思うのである。

いと らうたげ
よく出てくる、表現である。可愛らしい。
これは、らう たげ、であろう。
文法解釈ではない。


源氏「かの中将にも伝ふべけれど、いふかひなきかごと負ひなむ。とざまかうざまにつけて、はぐくまむ咎あるまじきを、そのあらむ乳母などにも、ことざまに言ひなして、ものせよかし」など語らひ給ふ。右近「さらばいと嬉しくなむ侍るべき。かの西の京にて生ひ出で給はむは、心苦しくなむ。はかばかしく扱ふ人なしとて、かしこになむ」と聞ゆ。

源氏は、あの中将にも、知らせても、いいが、かえって、怨みをかうこともあろう。
あれこれにつけて、私が、育てるのに、不都合はないだろう。
その、乳母などにも、言い繕い、連れておいで。と、言う。
右近は、そうなりましたら、どんなに、嬉しいことでしょう。
あの、西の京で、成人するには、お気の毒です。
きちんと、お付申す者がいない、あちらに、いますと、と、答える。


いふかいなき かごと負ひなむ
あえて、益のない、無用な、怨みを買う。
つまり、何故、女を死に至らしめたのか、と。

とざまかうざま
あの女の子でもあり、更に、中将の子であれば、源氏の姪に当たることになる。
妻の兄の子である。
それを、あれこれにつけて、と訳す。

夕暮れの静かなるに、空の気色いとあはれに、おまえの前栽かれがれに、虫のねも鳴きかれて、紅葉のやうやう色づくほど、絵にかきたるようにおもしろきを、見わたして、「心よりほかにをかしきまじらひかな」と、かの夕顔のやどりを思ひ出づるも恥ずかし。

この、風景の様、そのままに、二人の心の、風景なのである。
それが、物語の、核心に迫る。
風景描写が、単なるそれではなく、心の模様なのである。


静かな夕暮れの時、空の景色は、あはれに、この、あはれは、趣き深くとか、心に染み入る空ということになる。
庭の、植え込みも、枯れ枯れして、虫の音も、嗄れ果てたという。
紅葉が、次第に色づく風情、絵に描いたように、美しい。
右近は、それを、じっと見て、思いがけず、良いお勤めだと、夕顔の宿を思い出すにつけても、顔の赤らむ思いがする。

絵に描いたように、美しい。とは、おかしな表現である。
絵に描いたものより、目の前にある、風景の方が、実である。
つまり、美しいという、実感を、絵に描いたようにと、例えでいる。

更に、この風景の中に居る、二人の風情である。
しみじみとした、情感が流れる。

心より ほかに をかしき まじらひかな
まじらひ、お勤めすることが、をかしき、ことなのだ。
結構な、勤めである。


そして、
かの夕顔の やどりを 思ひ出づるも 恥ずかし
何故か。何故、恥ずかしいのか。

住まいが、貧しいからか。
女が、一人で、いたからか。
女が、情婦のようだからか。
親が、出世しなかった故に、女の立場も、良くなかったからか。
身分の低いままで、死ぬまで、そのままである、女というものの、定めにか。

さて、私にも、解らない。

すると、先ほどの、風景が、見える。
夕暮れの静かなるに
空の気色 いと あはれに
虫のねも 鳴きかれて
紅葉の色づくほど
絵にかきたるやうに おもしろきを

源氏の、身分と、右近の、身分とが、風景の中で、平等なのである。
もののあわれ、というものは、平等に与えられているのである。

万葉の歌のように、民も、主も、平等なのである。
歌道が、もののあわれ、というものに、支えられているのである。

風情の前に、人は、平等である。
例えば、仏陀の説く、平等などと、比べると、実に自然な、平等感覚である。
自然の前には、皆、平等なのである。
大和心というもの、自然の前に、平等であると、言うのである。
しかし、それを、あえて、言わない、言葉にしない。
しかし、言葉にしないから、無いというのではない。
観念というものを、置かない中に、日本の伝統というものがある。

観念としてしまうらば、嘘になる。
その、嘘になるということを、知っていたのである。

欧米の思想などは、足元にも、及ばない、実に、無いというべき、思想が、流れていいる。

もののあわれ、というもの、言葉で、語りきれない。
だからこそ、それは、事実であり、それ以外の何物も無いのである。

それは、感じるものである。
つまり、感性である。
感性の、ありようを、言葉にすれば、堕落する。

すべて、風景を、語ることで、それを、完結するのである。

以下省略。

2008年09月22日

もののあわれについて277

竹のなかに家鳩といふ鳥の、ふつつかに鳴くを聞き給ひて、かのありし院に此の鳥の鳴きしを、いとおそろしと思ひたりしさまの、おもかげにらうたく思ほしいでらるれば、源氏「年はいくつか物し給ひし。あやしく、世の人に似ずあえかに見え給ひしも、かく長かるまじくてなりけり」と宣ふ。


竹の中で、家鳩が、変に鳴く声を、君が聞かれて、あの泊まった院で、この鳥が鳴くのを、ひどく怖がった女を、思い出し、それも、可愛く思うのである。
源氏は、年は、幾つだったのか。珍しく、普通と違い、ひ弱に見えた。
このように、長く生きられなかったからか、と、仰る。

おもかげに らうたく
可愛い、面影である。

この話は、物語には、無かった話である。

当時、鳩を家で、飼っていたのだろう。
野生の鳩は、河原鳩という。

右近「十九にやなり給ひけむ。右近は、なくなりにける御めのとの、捨ておきて侍りければ、三位の君のらうたがり給ひて、かの御あたり去らず、おほしたて給ひしを、思ひ給へ出づれば、いかでか世に侍らむとすらむ。いとしも人にと、くやしくなむ。物はかなげに物し給ひし人の御心を、頼もしき人にて、年ごろ、慣らひ侍りけること」と聞ゆ。


右近は、女が、十九におなりでしたと、言う。
右近は、産みの親の、御乳母が、後に残して、死にましたので、三位の君様が、可愛がりくださりまして、お姫様の、傍に離れず、お育て下さいました。
それを、思うと、どうして、生きていられるでしょう。
いとしも人に
親しく、仲良くしていた人である。
いとしも人にと、悔しくて、なりません。
頼りなさそうなお方でしたから、頼む人として、長年、お傍に仕えました、と、申し上げる。

源氏「はかなびたるこそは、らうたけれ。かしこく、人になびかぬ、いと心づきなきわざなり。みづからはかばかしくすくよかならぬ心慣らひに、女は只やはらかに、とりはづして人にあざむかれぬべきが、さすがにものづつみし、見む人の心には従はむなむ、哀れにて、わが心のままにとりなほして見むに、なつかしくおぼゆべき」など宣へば、右近「このかたの御好みには、もて離れ給はざりけりと思ひ給ふるにも、くちをしく侍るわざかな」とて泣く。

源氏は、頼りなさそうなのが、愛らしいものだ。
利口で、人の話を聞かないのは、決して、好ましいものではない。
私自身、はきはきせずに、きつくない生まれゆえ、女は、ただ、優しくて、うっかりすると、男に騙されてしまうような、それでいて、慎ましく、男の言うことを、聞くことが、可愛いものだ。
自分の思う通りに、性格を、直して、暮らしたら、仲良くしてゆけるだろうと、思うと、仰る。
右近は、そうした、お好みでしたら、ぴったりと合ったお方でした、と、思います。それにつけても、残り惜しいことでした。と、言って泣くのである。


源氏が、好む女の風情を語る。
興味深いものだ。
されは、作者の求める、女の姿なのであろう。
自分も、そのような、女になりたいと、思ったのか。

女は、ただ、優しくて、男に騙されてしまいそうな、風情であり、それでいて、慎ましく、男の言うことを、聞いてくれる。
冗談じゃないと、今の、女は、言うだろうか。
男の、思い通りになど、なるものかと。それも、いいだろう。男を、思い通りにしてやる、という、女がいても、いい。
皆々、勝手にすると、いい。

空のうち曇りて、風ひややかなるに、いといたくながめ給ひて、

源氏
見し人の けぶりを雲と ながむれば 夕べの空も むつまじきかな

と、ひとりごち給へど、えさしらへも聞えず。「かやうにておはせましかば」と思ふにも、胸ふたがりておぼゆ。耳かしがましかりし砧の音をおぼし出づるさへ、恋しくて、源氏「まさに長き夜」と、うちずんじて、臥し給へり。


空が、曇ってくる。
風も、冷たくなり、非常に辛く、しんみりとする、物思いに沈む。

あの人の、亡骸を焼いた煙が、あの雲かと思い、眺めている。この夕空も、実に、親しいものである。
けぶり、とは、亡骸を焼く、煙である。
雲を、亡き人の形見と、見る行為は、万葉からの伝統である。

独り言を言う。
右近は、それに、答えることもできない。
そして、こうして、お二人で、並んでいたら、どんなにか、幸せかと思うと、胸が、一杯になる。
君は、喧しかった、砧の音を、思い出し、恋しくてたまらず、まさに長き夜、と、口ずさむ。
そして、お休みになった。


まさに、長き夜とは、白楽天の詞にある、言葉である。
八月九月正に長き夜
千声万声やむ時なし

漢詩の教養は、当たり前である。
当時の正式文書は、漢語で書かれた。
平仮名は、女、子供の文字とされていたのである。
物語も、女、子供のものとされていた。

神仏は妄想である。153

日蓮にゆく。

日蓮は、仏陀を知らない。
それは、実在の仏陀を知らないというのではない。
仏陀の教えを知らない。
彼が、知った、仏教は、天台である。
ここに、彼の悲劇がある。

下々の、身分である、単なる僧の一人が、国の政治に、物申すという、暴挙をなした。
何故か。
国を案じたか。
違う。
自己顕示欲と、名利の何物でもない。

千葉の貧しい漁民の子に生まれて、天下を目指すとしたなら、身分の意識曖昧な、仏教という、場から、はじめなければ、彼の野心を、満たすことはない。
高僧になれば、身分を超えて、ゆける。

法華経を称えること、天台を真似て、祈祷をなすこと、真言に真似て、題目を唱えること、念仏に真似て、末法思想は、厭離穢土の浄土門を、真似た。
さらに、安国を述べること、仏教の護国を、真似た。
そこに、オリジナルは、無い。

更に、鎌倉では、神道をも、学んだ。
故に、神棚の前でも、法華経を唱えるという、行為が、日蓮から、はじまった。

後の人、法然は、理で悟り、親鸞は、情で悟り、日蓮は、意で、悟るというが、そんなことはない。
皆、それは、迷いである。

彼が、他宗のすべてを、罵り、攻撃したのは、それらに、最も関心を抱いたからである。
彼の、不屈の精神は、偉くなり、人に尊敬されること、それに、尽きる。

彼の、行動は、すべて、裏目に出た。

仏僧は、多く、偏屈であり、天邪鬼が多い。
私自身がそうであるから、それを、理解する。

人の意表を突き、飄々として、いられる。
あえて、物議を醸し出す。
日蓮は、それの、典型である。
彼の、教義の屁理屈は、何のことは無い。

日蓮の目的は、解った。
それでは、日蓮を見る。

「立正安国論」にみられる日蓮の抱いた疑惑そのものは必ずしも新しいとは言えない。源平合戦から承久の変まで、なぜ多くの天皇が悲運のうちに倒れて行ったか。安徳帝や、承久の変で配流となった三上皇を悼んでいるが、そこに古代風の「鎮護国家」にむすびついた一種の「神国思想」がみられる。また内乱を通しての犠牲者と、そこに生ずる無常観は当時の誰しも抱いたところである。或いはなぜ天災地異がくりかえされるのか。鎌倉の大地震や、疫病飢餓の発生を深く憂えているが、これも当然のことだ。内乱と天災と疫病と、歴史は恐怖の歴史だという実感に立っていることは、いずれの出家者にも共通している。
亀井勝一郎 日本人の精神史


何も、新しいものではない。
そして、注目すべきは、彼は、日本という国に、その精神的支柱として、君臨すべくの、活動であるということ。
それは、野心である。


では日蓮の独自性はどうにあるか。いまのような疑惑に直面して、法華経を根本とするととともに、それ以外の一切の経典と宗派に対して、強烈な折伏力を発揮し、その結果として生ずる受難において、信仰の証をたてようとした点である。

と、亀井は言う。さらに

法華経専修による宗教改革力を爆発させたようなものである。法華経そのものは聖徳太子の時代以来、ひろく読まれてきた。様々な性格の菩薩が登場し、劇的に構成された多彩な大乗経典であり、芸術の上にも多くの影響を与えてきた。しかし、日蓮のように読んだものはひとりもいなかった。

そうである。
日蓮のように、あの、御伽噺を、あのように、読んで、解釈したものはいない。
それに、注目すべきであろう。

日蓮の、末法思想は、膨大な仏典の、どこにも、出てこない。というより、そんな、考え方は無い。
それは、中国の一人の、誇大妄想の僧の、アイディアから、生まれた、思想というより、戯言である。

末法という、考え方に、強迫された。
要するに、末法思想の、強迫神経症である。

更に、日蓮は、その、末法というものに、撹乱され、今こそ、我が、我が、我がと、自我意識を、拡大させた。
とてつもない、妄想の中に、身を埋没させたのである。

それに、拍車をかけたのが、名利である。


日蓮の考えた末法の世とは、折伏の時機であった。接受ではもはやまにあわぬとみたところに、彼の危機感があったということである。法華経を護るため、様々な経文から、折伏の必要と必然性をあきらかにしようとしている点に、きわだって特徴がみられる。
亀井勝一郎

法華経については、後で、じっくりと、検証する

日蓮の、迷いは、正法というものと、釈迦の説いた教えの、根本であるという、ものである。
要するに、信じた。
何をか。
自分の妄想を、信じ込んだのである。

これこそ、正法、釈迦が、説いたもの。
信じるしかない。
釈迦に会っていないのだから。

2008年09月23日

神仏は妄想である。154

緒の善男子よ、我が滅しぬる後に於て、誰か能く、この経を受持ちて読みそらんぜん。今仏の前に於て、自ら誓の言を説け。この経は持ち難し。もし暫くも持つ者あらば、我則ち歓喜せん。諸仏もまた然り。
法華経

諸々の、善男子よ、私の滅した後で、この経典を、受持ち、読むことである。
今こそ、仏の前において、その誓いの言葉を説け。この経典は、中々持つことが出来ない程、大切なものである。
これを、掲げるものあれば、私は、歓喜する。
そして、諸々の仏たちも、である。

釈迦の、究極の、遺言のように、日蓮は、それを、聞いた。
更に、正法として、掲げるのである。
日蓮にとって、正法こそ、重大なものである。
これこそ、正法である、と、信じ込んだ時、日蓮の覚悟が、決まった。

ところが、日蓮は、この、法華経というもの、大乗仏典の中でも、創作中の創作の、御伽噺であるとは、知らない。
とにかく、仏陀最期の教えであると、聞いた。

鎌倉仏教の、最初を、走り出した法然から、親鸞、そして、道元、この日蓮も、含めて、すべて、主観の何物でもない。
その、主観を、信仰というものに、置き換えただけである。

選択仏教と、言われるが、それは、多く中から、一つを、取り出して、それを、掲げて、意気揚々と、救いの道を説くということである。
その根拠は、主観のみである。

日蓮を、俯瞰する。

12歳の時に、安房の国長狭郡片海の漁師の子に、生まれた日蓮は、同じ郡内にある、清澄寺に、入る。
天台宗山門派に属する寺である。
最初は、稚児として、雑事をするために、入った。
成人すると、里に戻るか、出家して、本格的な、修行に進むかを、決める。

結果、日蓮は、出家を選んだ。
出家した、日蓮は、鎌倉、京、畿内へと、遊学の旅に出る。
ある人、荘園経営の実務を学ばせるために、寺の代表として、派遣したという。
それも、ありなんである。
しかし、それを、詮索している暇は、ない。

日蓮の、遊学は、30過ぎまで、続いた。
勿論、その間、仏教教学に、のめり込んでいる。
比叡山は、もとより、京、畿内の、寺を回り、熱心に、学んだ。

30の時に、新義真言宗の祖とされる、覚鑁 かくばんの、五輪九字明秘密釈を、書写したという。
それは、真言密教をはじめ、諸宗派の教学にまで、及ぶ。

ちなみに、この覚鑁は、撹乱している。その考え方が、である。私見である。

そして、その青年期、日蓮は、数々の神秘体験をしていると、いわれる。
これが、曲者である。

ある本によると、日蓮が、出家した時、虚空蔵菩薩に知恵を、授けてくれるように、願い、生身の菩薩から、知恵の大宝珠を、右の袖に受け取る、とある。
また、32歳の時、不動明王、愛染明王を、目の当たりにして、それを、図に描いて、弟子に授けている。

中世は、実に、このような、神秘体験というものが、多い。
勿論、それは、妄想であり、あるいは、邪霊の類の、遊びである。

それを、神仏との、交感という、アホがいるから、世話がない。

さて、問題は、寺社会の中で、知識を得ていた日蓮は、次第に、その世界から、逸脱してゆく。
それは、現実世界の有様である。

ここに、野心の芽生えがある。

当時の、寺社会とは、世間と、全く、隔絶されていた。
比叡山などは、すでに、地上の楽園の様である。
荘園経営の豊潤さに、学僧たちは、厚く保護され、特権階級並の、生活である。
あの、中世である。

信長が、比叡山、焼き討ちをしたのは、まさに、正しい。あれでも、手緩い。
皆殺しにしたが、逃れた者もいる。
討伐に、当たった秀吉は、逃げた者を、追わなかった。
それが、誤った。
キリシタンを、徹底して、正当防衛で、殺したように、徹底して、よかったのである。

ちなみに、キリシタンを、許していたら、今頃、日本は、ローマ法王が、指揮する国になっていた。
アメリカの言いなりになる日本などというものではない。
伝統を破壊され、とんでもない、国になっていた。

勿論、今も、伝統を破壊され、アメリカ左翼、アメリカ左派のような、へんてこりんな、識者が、嘘八百を、泡を吹いて言う国になったのであるが。


そのような、環境で、仏教を、お勉強して、どうなるのかは、見ての通りである。
糞の役にも立たない、仏の道が、一丁出来上がりで、現実の世界とは、何の関わりもない、坊主の、やりたい放題である。

里には、女を幾人も、囲い、セックス三昧。修行三昧では、ない。セックス三昧である。
さらに、稚児遊びの、甚だしさといったら、無い。
僧兵などは、里の貧しい子を、稚児にして、その、性欲のために、窒息死するのも、平然としていた。
書くのも、嫌になる、体たらくである。

すでに、あの頃から、仏教は、堕落し、今に至っては、堕落を通り越し、アホ、馬鹿、間抜け、糞ったれ、もう一つおまけに、自害して果てろ、である。

当時、現れた、本覚思想というものを、見れば、唖然呆然である。

地獄界は地獄界ながら、餓鬼界は餓鬼界ながら、ないし仏界は仏界ながら、なにひとつ改めることなく、そのままの姿で悟りの相を示している、と説かれるのである。決して万象が一つの根本真理に帰すのではない。本門の教えでは、迷妄の衆生がそのままとりもなおさず実相であり、邪見を抱いた衆生がそのまま仏の当体なのである。
源信 作 三十四箇事書

この世は、本質的に、悟りの世界である。
それを、地獄としか、見ることができないのは、その人間の悟りの境涯が、低いからであると、平然という。
呆れる。

要するに、何とでも、言える、解釈する世界が、宗教というもの。

日蓮も、その影響を、受けて、最初の著作、戒体即身成仏義には、

法華の悟りをえるとき、我らの色心生滅の身がそのまま不生不滅の存在となる。国土も同様である。この国土をはじめ、馬牛や六畜までみな仏である。草木月日もみな聖衆なのである。
と、ある。

21歳の、日蓮の悟りは、道元の、それと同じく、目の前のもの、すべて、仏である。
何から、何まで、仏であると、妄想した。

こういうのを、仏病、という。
今も、仏病に罹っている、仏教の、僧、信徒である。

この世の、存在は、あるがままの、形で、仏の悟りを表しているのだと、釈迦仏陀が、聞いたら、泡を吹き、気絶する。

神仏は妄想である。155

日蓮の矛盾と、回心は、西嘉年間に、起こった、大飢饉と、地震である。

日蓮が布教を、はじめたのは、鎌倉である。
大飢饉が起こった時、地獄絵が、現れる。

鎌倉の、町全体が、死体で、埋まる。

中世の、死者は、海岸に捨て置かれた。
酷い時は、道端に捨てられた。幕府が、見かねて、道端に死体を捨てるなと、禁止したほどである。
火葬されるのは、一部の特権階級である。

さて、大飢饉と、地震の様を見て、その被害の甚大さに、日蓮は、驚く。

天変地異や飢饉、疫病があまねく天下に満ち、広く地上を覆っている。馬牛は路上に倒れ伏し、死者の屍と骨は道にあふれている。・・・
食を求めてさすらう人々は目に溢れ、死人は視野に満ちている。しかばねを積み上げれば望楼となるほど高く、横に並べれば橋となるありさまである。
立正安国論

ここには、仏の教えなど、何ほどのものでないことを、悟る、ものがあったと、思える。
それこそ、悟りである。
仏の教えなど、役に立たないのである。
しかし、それならば、仏の教えを捨てるか。
捨てられないのである。

何故か。
人は、生きられるようにしか、生きられないからである。
もし、日蓮が、仏の道を止めて、庶民のために、尽くす生き方を選んでも良かったが、いかんせん、彼は、無力である。
飢餓に苦しむ人を、助けられない。
自分が、食べるのも、やっとである。

ここが、考えどころである。
宗教家というものは、宗教家にしか、なれないのである。

後に、日蓮を、迫害する、良観という、極楽寺の僧侶がいるが、彼は、鎌倉の福祉事業を、一手に、引き受けた。
しかし、日蓮は、それを、罵倒するのである。
その理由が、奮っている。

偽善であるというのだ。
偽善でも何でも、である。助けの必要な人を助けるということ、急務である。

川を見れば、橋を架け、病人を見れば、治すのである。
良観が、手がけた病人で、助かった者は、四万六千人、治らなかった者、一万四百五十人などと書かれる。
これは、社会的に、大変な福祉事業である。

日蓮は、それでは、何をしたのか。
何もしない。
ただ、内にあるものに、目を向けて云々という。

あの、イエスキリストでさえ、人はパンのみに生きるのではなく、神の言葉によると、言う。つまり、パンも必要なのである。そして、神の言葉も、必要なのだ、と。

日蓮が、律国賊と、罵倒したのは、この、律宗の良観のことであろう。
しかし、律宗は、人間の行いを正すのは、世の中を正すという、教えがあり、良観としては、宗派の教え通りを、行ったのである。

ところが、日蓮の言い分は、国賊であるというから、救いようがない。
更に、彼によって、日蓮の、法難が起こったという。
勿論、良観から、すれば、平穏な鎌倉に、とんでもない嵐を、起こす日蓮の存在は、とんでもない者との、意識があっただろう。

日蓮は、何もせずに、批判をする。
以後、日蓮が、行ったことは、何一つ、社会の役に立たないのである。

人の行為を、偽善であるというほどの、何物も、日蓮は、持たない。つまり、説得力に欠ける。これは、日蓮の、ある種の病である。
つまり、人格障害である。

生まれ持っての、傲慢不遜である。
意思の強さと、人が言うが、それは、違う。
傲慢不遜が、意思の強さに、見えただけである。

何せ、日蓮宗である。
唯一、自分の名を冠して、宗派が、起こるという、自己顕示欲は、ただ事ではない。

ある、仏教家が、日蓮を、擁護して、きっと、仏教は、内外不二と言うので、良観のやり方が、外向過ぎると、言いたかったという。
自分の内で、修行を深めることと、外へ出て、人を救うことと、どちらかに、ウエートが、かかるのは、良くないと。

こんな程度が、常識的な、仏教家として、著書を著しているのである。

日蓮は、自分の無力に、嫌気が差して、良観の、行為を嫉妬したと、みてよい。
日蓮の、一生を、見れば、何一つとして、社会活動は、していない。
ただ、正法をのみ、云々という、妄想に生きたのである。

念仏無間とは、念仏宗は、無間地獄に落ちる。
禅天魔は、禅宗は、天魔である。天の魔物がすることであるという。

私に言わせれば、題目盲目である。

立正安国論を、見れば、一言で、誤っている神仏を、拝んでいるから、国に、難が起こるという、子供のような、議論である。

それから、日蓮教学なるものが、出来あがるが、偽書まみれである。
本当と、嘘の区別が、つかなくなり、議論の議論に陥り、果ては、疲れて、日蓮宗の僧侶たちは、在家よりも悪い生活態度である。
何一つ、社会の役に立たないという、役立たずであるから、終わっている。

ちなみに、日蓮宗を、大きく分けると、身延山の、日蓮宗と、富士の日蓮正宗がある。
別段、区分けするほどのものではいない。
同じ穴の狢である。

さて、題目、一筋に至った、日蓮の、絶対主観を、ゆっくりと、見つめてゆくことにする。

2008年09月24日

性について9

大脳辺縁系は、かつて哺乳類時代は、臭脳と呼ばれていた。
原始感覚の脳であり、女は、ここが、実にしたたかに出来ているという。
それは、命を生むからである。

視覚、聴覚、味覚、触覚の、四感は、視床下部という中継点を通るが、臭覚だけは、別行動をする。
直接、大脳辺縁系の梨状葉に達する。ここは、扁桃核の皮質にあたる。
臭覚情報の最終地点は、前頭葉なのである。
そして、不思議なことに、臭覚は、他の感覚が休んでいても、ずっと活動している。さらに、臭覚記憶は、何年にわたっても、保存される。

ある女性が、相談に来た。
時々、眩暈がして、突然、動けなくなるというのである。
勿論、精神科にも、通っていた。
原因が解らないという。

何か言葉を交わしているうちに、私は、過去の記憶に、何か問題があるのでしょうということを、話した。
複雑な家庭環境である。
彼女は、養子である。

突然ではなく、何かそれには、訳がある。
昔の嫌な思い出を、突然、何かで、思い出すのでしょう。
すると、人に、初めて言いますと、家庭内、性的暴力のことを、話し出した。
聞くことに、耐えられないような、話だった。

養父に犯され、兄に犯され、更に、弟にも、犯されていたという、話である。

高校を卒業して、すぐに、家を出た。

彼女の最初の、相談内容は、彼氏が部屋から出て行くと、不安で堪らなくなるというものだったが、根本に、そのような問題があった。

思春期を、とんでもない環境の中で、過ごしたのである。

そして、最後に、匂いに至った。
思い出の匂いを、嗅ぐと、突然の眩暈がはじまる。
匂いを、思い出すと、という言い方もできる。

女性は、原始感覚が、生まれつき、強靭であるが、別なことで、狂うと、それは、精神的苦痛になるというものである。

臭覚は、性欲の、キーポイントである。
男の場合、前回も書いたが、視覚である。

性的関心を司るのは、前頭葉であると、言える。

コンピューターが登場して、その技術者が、テクノストレスというものに、晒されるようになり、それは、前頭葉のストレスであるが、ここが、ボロボロに疲労することで、とんでもない状態になる。

食欲も、性欲も、狂うのである。
前頭葉が、スピードと、正確さ、そのコントロールに振り回されるのである。

食欲、性欲が、あることは、実にありがたいことなのである。

さて、男である。
視覚により、性的感覚を、呼び覚ます脳の働きとは、何か。

見るという行為は、目である。
目には、網膜がある。
網膜には、光を感じる細胞が、一億以上もあるといわれる。
細胞が処理した情報は、100万個もある、神経節細胞によって、視床下部の中の、外側膝状体を介して、新皮質の視覚領に伝達される。

しかし、そこが、終点ではない。
視覚領からの情報は、性欲中枢のある、大脳辺縁系に送られて、性的情動となり、興奮させ、脳裏に、留め置く。

大脳辺縁系とは、脳の中心にある髄液で満たされた、脳室をとりかこみ、新皮質との境界を形成している、海馬、扁桃体などの組織である。

この、大脳辺縁系は、視覚のみならず、感覚情報を、すべて、処理する中心的機構である。

また、そこは、体と、心のつなぎ目である。

ストレス、マイナスイメージの、情報が、送られると、つなぎ目が、混乱し、ストレス症候群とか、心身症、神経症に陥る。
つまり、性欲も、食欲も、おかしくなる。

さて、男は、見て刺激を受ける。
女は臭覚、男は視覚である。

人間が、他の動物と、違うところは、性欲が、甚だしく拡大し、歪曲してゆくということである。
生まれ、育ち、習慣、教育などにより、性欲の表情が違う。
本能としての、性欲は、同じだが、文化を抜きにして、性欲の表現、行為は、語れないのである。

ヌード写真を見て行うという、実に基本的な、マスターベーションの行為がある。
視覚に訴えて、興奮する。
ところが、それに、飽き足らなくなり、色々と、考案する。
涙ぐましい、マスターベーションの歴史が、一人一人の男にはある。

ところが、ある頃から、マスターベーションを知らないという、世代も出た。

十年程前、私の知り合いが、ある大学の、講師として、講義をしていた頃である。
性についてを、語り始めて、一人の男子学生が、部屋に尋ねて来て言うには、マスターベーションの仕方を教えてくれというものだったと、言う。
彼は、知らなかったのである。
受験、受験に明け暮れて生活しているうちに、自然発露の、性欲を、忘れた。

以前に書いた、性欲嫌悪のことではない。

講師は、丁寧に、マスターベーションの仕方を伝授したという。

男の子の、マスターベーションは、想像力を鍛えるものである。
いかに、楽しむか。楽しめるか。
いずれ、文化的、マスターベーションというものを、見ることにする。
要するに、マスターベーションも、その背景には、文化がある。

2008年09月25日

性について10

女は、臭覚、男は、視覚だと、書いた。
それでは、女の臭覚について、もう少しみてみる。

臭覚は、視覚、聴覚、触覚、味覚とは、別に、匂い分子が、鼻の嗅上皮細胞に入ると、電気信号に変化して、臭神経を通り、臭球核という臭覚の、第一次中枢へゆく。
そこから、大脳辺縁系の扁桃核に対する、皮質である、梨状葉という、第二次中枢へゆく。
そして、前頭葉の外側の、後へ行き、そこではじめて匂いを、識別する。

匂い情報は、人間の、最も高度な働きをする、前頭葉に達するのである。
つまり、原始的感覚である匂いと、大脳辺縁系という、最高級の脳の、働きに至るのである。

そして、以前書いたが、性的関心は、前頭葉にあるということも、書いた。

非常に、興味深いところである。

女は、臭覚で、性的興奮を得るということは、原始感覚と、最新の脳の働きによるということである。

ただし、男にも、臭覚はあり、時に、視覚より、甚だしく、性的刺激を受ける場合がある。

極端な例であるが、結婚して、性生活がない男が、いた。
原因は、妻の腋臭であった。
強烈に匂う腋臭が、彼の性欲を、奪った。
結婚する前は、それほどでもないと、思えた腋臭が、強烈なものだと、ベッドで、知ったのだ。

勃起することが、出来なくなった。

その逆も、ある。
強烈な、腋臭で、性的興奮を得る男もいる。
その、好みの、問題は、胎児期から、幼児期にかけて、作られるものである。

つまり、人間の、最も人間といわれる、大脳の前頭葉の基本的神経回路が、出来上がるのは、九歳なのである。
生まれてから、九歳までの、心の風景を、私は、原風景と呼ぶ。
この、原風景が、以後の人生を、すべて、左右するのである。

性欲、性的刺激、性なるものも、すべて、である。

とすると、男、女というもの、その、感覚も、それまでに、出来上がるということである。

つまり、男と、女とは、何かという、問題になる。

子供が大好きだという、男の大人の中には、潜在的、幼児性愛がある。
誤解されないように言う。
子供は、中性である。

およそ、九歳までの、子供は、中性と、認識するべきである。
まだ、男、女の地図が、脳の中で、定まっていないのである。

ジョンズ・ホプキン大学精神ホルモン研究所長、ジョン・マネーという人の、性倒錯に悩む人々の研究成果が、九歳までに、作られた脳の性地図によるものとの、報告がある。

世の中には、様々な性の姿がある。
男と、女だけではない。
男と女しかいないという、認識は、おそらく、能天気なアホであろう。
人間は、そんな単純なものではないことは、脳の働きを、見ても解る。

つまり、100パーセントの、男や、女は、いないのである。

脳だけではない。体も、稀に、性器が男と女という、場合も有る。

百人百様の、性があると、認識することから、性というものの、姿を知るのである。

もう一度、セックスという、語源を尋ねると、ラテン語の、分割された部分という意味から、転じて、分断するという意味の言葉から、生まれた。
性という、言葉の意味である。

それでは、日本の場合は、性という言葉は、男は、ギ、であり、女は、ミ、である。共に、母音が、イである。
イ音は、受け入れるという、音霊の意味がある。
共に、相手を受け入れるという意味である。
そこには、男、女の区別はない。
受け入れる相手がいれば、男でも、女でも、受け入れる。

同性、異性に、関わらず、である。
同性を受け入れるから、同性愛というわけではない。
武士道に見られる、男同士の関係は、精神的同性愛、プラトニックとしての、同性愛という、認識である。
勿論、肉体関係が、伴っても、構わないのである。
それが、重大なことではない。

要するに、相手のために、命を投げ出す覚悟の、問題である。

ここから、同性愛、ホモ、そして、バイセクシャル、更に、ジェンダーというものを、考える。
しかし、ジェンダーという言葉は、日本語にないものであり、まだ、誰も訳語を提唱していない。一応、性差ということになっている、が。

動物の世界では、雄と雌という、セックス、性が、一致している。
ジェンダーが、セックス、性と、分離するのは、脳が発達した、人間のみである。

動物の世界でも、同性愛行為は、あるが、人間の場合とは、意味合いが違う。

ジェンダーとは、男の体でありながら、女として、生きたいという者である。
その逆も、また、同じく。
そして、男の体で、愛する相手が、男であるという、同性愛。その、逆も、あり。

そして、問題は、ジェンダー、ホモセクシャル共に、自分で、選択できるものではないということ。

昔は、倒錯といったが、現代では、通常にあるものと、認識される。
それは、胎児期から、九歳までの、間に作られる性向である。

人間であるが、故に、性という、セックスを、超えた、ジェンダー、及び、ホモセクシュアルがあると、言っても、よい。

そして、それこそ、人間存在の、根源的な、カテゴリーとなるものである。

人間的なもの、それが、ジェンダーであり、ホモセクシュアルである。故に、それを、理解し、包括しなければ、性というものの、姿は、見えないのである。

ちなみに、ジェンダーの語源は、ラテン語の、ゲヌス、フランス語にある、ジャンルに当たる。
一つの、分類された、グループという意味である。
実に、彼らを差別する、何物も無いのである。
彼らも、一つのグループである。

もう一つ、オマケに、フランス語では、男性、中性、女性名詞と、分けている。

ちなみに、もう一つ、オマケに言う。
バイセクシャルである。両刀使いと、言われる。
これも、一つのグループである。
アメリカでは、バイセクシャルを承知で、結婚する、カップルが、実に多い。

日本では、江戸時代まで、結婚と、恋の遊びは、別物だった。
恋は、玄人の遊郭の、遊女と、遊び、結婚は、別である。
そして、更に、男色という関係も、また、結婚とは、別である。

妻がいても、男の相手がいて当たり前である。
井原西鶴、好色一代男に、すべて、描かれている。

火付けで、磔にされた、八百屋のお七の相手も、あれほど、お七が、慕った男には、男色の相手がいたのである。
それが、当然のことだったという、時代もあるのである。

2008年09月26日

もののあわれについて278

かの伊予の家の小君参る折りあれど、ことにありしやうなる言伝てもし給はねば、うしとおぼしはてにけるを、いとほしと思ふに、かくわづらひ給ふを聞きて、さすがにうち嘆きけり。遠く下りなむとするを、さすがに心細ければ、おぼし忘れぬるかと、こころみに、空蝉「うけたまはり悩むを、言にいでてはえこそ、

とはぬをも などかととはで 程ふるに いかばかりかは 思ひ乱るる

ますだは、まことになむ」と、聞えたり。珍しきに、これもあはれ忘れ給はず。

伊予の介の家の、小君が、居候するときもあるが、格別に、以前のように、言伝もなさらない。
嫌な女と、思ってしまわれたのか、お気の毒なことだと、思っていたところ、ご病気であるとのこと。女は、矢張り、思い嘆くのだった。
遠い国に、下るとするが、心細くなり、お忘れになったのかと、試しに、空蝉は、ご病気と、伺っており、案じていますが、口に出しては、とても、言えないのです。

お尋ねすること、何故と、問うこともなく、月日を経ました。
どんなに、寂しく、また、辛い思いで、いられるでしょう。

ますだ、と申しますのは、本当のことで、ございます、
と、お便りを差し上げました。
珍しくあり、この人にも、愛情はなくなっていないのである。

ますだ、とは、ますだの池の、生ける甲斐なし、という意味。
拾遺集、
ねぬなはの 苦しかるらむ 人よりも 我ぞ益田の いけるかひなき
ねぬはな、とは、じゅんさいのこと。
苦しいと、口にする人より、私の方が、苦しさが、増す。生きている甲斐もない。
この歌が、基底にある。


要するに、小君が、源氏のところに来ても、以前のように、何も、言伝がないのである。そこで、女は、もう、嫌な女だと、思ってしまわれたのか、と、思うのである。

そこで、病にあると、聞き、文を差し上げた。


これもあはれ忘れ給はず
この、あはれ、とは、源氏が、この女を、忘れていないということ。
あはれ、を、女にかけている、というのである。
あはれ、の、心象風景が、さらに広がる。

源氏「生けるかひなきや、誰が言はましごとにか。

空蝉の 世はうきものと 知りにしを また言の葉に かかる命よ

はかなしや」と、御手もうちわななかるるに、乱れ書き給へる、いとどうつくしげなり。なほ、かのもぬけを忘れ給はぬを、いとほしうもをかしうも思ひけり。かやうに憎からずは聞えかはせど、け近くとは思ひよらず。さすがに言ふかひなからずは見え奉りてやみなむ、と思ふなりけり。


源氏は、生きるかいがないという言葉は、誰が言う言葉でしょう、と

空蝉の、この世は憂きものと知ったはず。
しかし、また、その言葉に、私は、死にたくなります。

たよりないことです、と、筆も、振るえるのである。
乱れ書きなさったが、それがまた、見事なものである。
矢張り、あの、もぬけの殻を、忘れていない。
ほしうもをかしうも思ひけり、である。気の毒のような、照れるような、気分である。
このように、如才なく、お手紙するが、関係が深く、近いとは、思わない。
といって、むげに、情け知らずとも、思われてしまわぬようにと、思うのである。

源氏の心境であるが、このような、部分が源氏物語の、難しさであり、よく解らないと、思われることである。
作者の思いも、どこかに入っている。
どこが、源氏の思いで、どこが、作者の思いなのか。
それを、考えつつ、読む。

かの片つ方は蔵人の少将をなむ通はす、と聞き給ふ。「あやしや、いかに思ふらむ」と、少将の心のうちもいとほしく、また、かの人の気色もゆかしければ、小君して、源氏「死にかへり思ふ心は知り給へりや」と言ひつかはす。

源氏
ほのかにも 軒ばの萩を むすばずは 露のかごとを 何にかけまし

高やかなる萩につけて、我なりけりと思ひ合せば、さりとも罪許してむ」と思ふ御心おごりぞ、あいなかりける。


あの、もう一方は、蔵人の少将を婿にした、と、お耳に入る。
これは、誤って関係した、女のことである。
変な話である。どう思うのだろうかと、少将の心中も、同情するのである。
それに、あの、女の心も知りたくて、小君を使いに出して、源氏は、死にそうなほど、焦がれている、私の気持ちは、ご存知ですか、と、言わせる。

わずかばかりも、軒端の萩を結ばなかったら、わずかばかりの、怨みも、言うことはできない。

背の高い萩に、結び付けて、人目を避けて、と、仰るが、ふっとそれが、少将の目に入り、源氏のものと、解ったら、いくらなんでも、許してくれようと、自惚れる。
あいなかりける。
作者の感想である。
つまり、自惚れることには、手がつけられない、というのだ。

かの片つ方、とは、伊予の娘である。
病気を、あなたのせいです、と、小君に言わせる。
夕顔の死に、心苦しく病になったことを、転化している、という、源氏の、浅ましさである。

この娘を、後に、軒端の萩、と、呼ぶようになる。
その娘が、少将と、結婚したと、聞くと、源氏は、それでも、文を渡すという、無節操ぶり。

もし、それが、少将に、見つかった時、源氏だと、解ってしまう。しかし、源氏ならばと、許されると、思う、源氏の自惚れを、作者も、呆れる。

創作している、作者が呆れるという、物語の手法である。
やることが、細かい。

物語を、本当だと、思わせる、手か。

もののあわれについて279

少将のなき折りに見すれば、「心うし」と思へど、かくおぼし出でたるもさすがにて、御返し、くちときばかりをかごとにて、取らす。


ほのめかす 風につけても したをぎの なかばは霜に むすぼほれつつ

手はあしげなるを、まぎらはし、ざればみて書いたるさま、しななし。ほかげに見し顔おぼし出でらる。「うちとけで向ひ居たる人は、え疎みはつまじきさまもしたりしかな。何の心ばせありげもなく、さうどき誇りたりしよ」とおぼし出づるに、憎からず。なほこりずまに、又もあだ名たちぬべき、御心のすさびなめり。

少将のいない時に、見せると、困ったことと、思いつつ、思い出してくれたことを、嬉しく思い、お返事だけは、素早いという取り得である。
小君に、歌を渡す。


風のお便りにも、萩の下の葉は、霜のせいで、思い萎れております。

筆は、下手なのに、上手めかして、洒落て書いたつもりが、品がない。
女に対する、作者の、容赦ない、感想である。
源氏は、燈の光で見た顔を、思い出す。
取り繕っていた人は、とても忘れられないが、若い方は、何の嗜みも感じなくて、はしゃいで、得意になっていた。と、思うのである。
そう思えば、まんざらでもなく、やはり、懲りもせず、またも、事件をおこしそうな、浮気心のある、様子であると、最後に、作者は、付け加える。

源氏という男、どうしようもない男である。
作者が、そのように、思っている。

しかし、作者の、女に対する、言い分は、容赦がないというのが、面白い。

かの人の四十九日、しのびて、比叡の法華堂にて、事そがず、装束よりはじめて、さるべき物どもこまかに、誦 などさせ給ふ。経仏の飾りまで、おろかならず、惟光が兄のあざり、いと尊き人にて、になうしけり。御ふみの師にて、むつまじくおぼす文章博士召して、願文つくらせ給ふ。その人となくて、あはれと思ひし人の、はかなきさまになりにたるを、阿弥陀仏に譲り聞ゆるよし、あはれげに書き出で給へれば、博士「ただかくながら、加ふべき事侍らざりめり」と申す。しのび給へど、御涙もこぼれて、いみじくおぼしたれば、博士「何人ならむ、その人と聞えもなくて、かうおぼし嘆かすばかりなりけむ、宿世の高さ」と言ひけり。しのびて調ぜさせ給へりける、装束の袴を、取り寄せさせ給ひて、

源氏
泣く泣くも けふは我がゆふ 下紐を いづれの世にか とけて見るべき

この程まではただよふなるを、いづれの道に定まりて赴くらむ、と、思ほしやりつつ、念誦をいと哀れにし給ふ。頭の中将を見給ふにも、あいなく胸さわぎて、かの撫子のおひつたつ有様、聞かせまほしけれど、かごとにおぢて、うち出で給はず。


かの人とは、あの女、夕顔である。
四十九日を、人目を忍んで、比叡山の法華堂にて、諸事を略さずに、僧たちへの、布施の衣装をはじめ、必要なものを準備して、読経なども、頼むのである。
経巻や、仏前の装飾まで、丁寧にされる。
惟光の兄の、あざりが、実に高徳の僧であって、またとないほどに、勤めた。
文学の先生で、親しくしていた、文章博士を呼び、願文を作らせる。
誰とは、言わず、情をかけていた女だということで、阿弥陀仏に引き渡す旨を、哀れを催すほどに、書き綴られていた。
博士は、全くこのままで、一字も、加える所は、ございませんと、言う。
我慢していも、涙がこぼれる。
たまらない様子の源氏に、博士は、誰なのだろう。だれそれと噂にのぼらず、しかもこんなに、悲嘆にくれるとは。果報の高い人ですと、言う。
内々で作らせた、布施の袴を、手元に取り寄せて

泣きの涙で、今結ぶ、この紐を、いつの世にか、また相逢って解き、また、打ち解けよう。

とけて見るべき
これは、セックスをしようということである。
打ち解けようとは、そのまま、性行為のことである。
大胆な歌を、詠ませるものである。

この時分までは、中有に、迷うとのこと。
六道の、いずれに、行くのであろうか。
それを、思い、念仏を熱心にするのである。
頭の中将と、お会いされても、わけもなく、胸が、どきどきして、あの、撫子の育つ様子を、聞かせたいと思うが、怨み言を、言われるのが、嫌で、口に出さないのである。

あはれと思ひし人の はかなきさまになりたる
愛しいと、思う人が、亡くなってしまった、それを、言う。

ここで、面白いのは、比叡山の法華堂にて、念仏である。
平安期は、浄土思想が、花盛りである。
中国浄土宗である。
まだ、鎌倉仏教には、遠い時世。

当時の人、皆、阿弥陀仏という、仏の世界を憧れた。
それを、極楽という。
死後の世界というものを、明確にしていた時代である。
しかし、それは、それ以前の伝統があることを、忘れては成らない。
全く意識にないものは、受け入れないのである。
しかし、浄土思想を、受け入れたということは、受け入れる余地、器があったということである。

矢張り、紫式部も、出家することを、考えることがあった。
しかし、結局は、在家に留まる。

死の救いというもの、阿弥陀仏の世界へという、安心を、得ることで、逃れたようである。
それも、一つの、死の様である。

後に、仏教の説話集などに、紫式部の迷い霊などの、話が、出て来る。都合の良いように、人間の欲望の様を、描いたことを、悔いているというのである。

仏教が、次第に、庶民にまで、定着すると、欲望は、煩悩とされて、嫌われるが、そこから、人間は逃れられないし、逃れては、生きて行けない。
その、どうしようもないものを、取り上げて、仏教家たちは、大手を振るのである。

人間の、欲望を手玉に取り、あることないことを、吹聴して、脅し、布施を要求し、自分たちは、欲望のままに、行動するという、堕落の、日本仏教が、出来上がってゆく。
勿論、今も、その続きである。

自分たちは、欲望三昧の生活をし、信者には、欲望は、煩悩である、それから、救われるには、云々と、愚にもつかない、説教を演じてみせるという、もの。
大いに、笑う。

2008年09月27日

もののあわれについて280

かの夕顔の宿りには、いづかたに、と思ひまどへど、そのままにえ尋ね聞えず。右近だにおとづれねば、あやしと思ひ嘆きあへり。たしかならねど、けはひを、さばかりにや、と、ささめきしかば、惟光をかこちけれど、いとかけ離れ、気色なく言ひなして、なほ同じごと、好き歩きければ、いとど夢のここちして、「もし受領の子どもの好き好きしきが、頭の君におぢ聞えて、やがていて下りけるにや」と思ひよりける。

あの夕顔の宿では、女君は、どちらに行ったのかと、心配するが、探すことが出来ないでいる。
右近までも、便りもしないので、変なことであると、皆、悲しんでいた。
はっきりとはしないが、ご様子から、この方ではないかと、ひそひそとして話し合っていたが、惟光にも、ほのめかしてみるが、丸っきり、知らない様子であり、関係がないように、話す。
やはり、今まで通りに、惟光は、からかって回るので、変な夢のような気持ちがして、もしや、受領の子で、女好きな者が、頭の中将を怖がり、女君を、連れて国に、下向したのかと、考えたりするのである。

この家のあるじぞ、西の京のめのとの娘なりける。三人その子はありて、右近はこと人なれりけば、「思ひ隔てて、御ありさまを聞かせぬなりけり」と泣き恋ひけり。右近はまた、かしがましく言ひさわがれむを思ひて、君も、いまさらに漏らさじ、と忍び給へば、若君のうへをだにえ聞かず。あさましく、ゆくへなくて、過ぎ行く。


この家の、主人が、西の京の乳母の娘であった。
三人、乳母の子があり、右近は、他人だったゆえに、分け隔てして、女君の様子を知らせないのだと、涙を流して、忍ぶのである。
右近の方も、やかましく、騒ぎ立てられると、君も、今になって、我が名を出したくないと、お隠しになるので、若様の事さえ、聞けないでいる。
呆れたことに、行くへも、知らぬままに、時は、経てゆく。

君は「夢をだに見ばや」と、おぼしわたるに、この法事し給ひて又の夜、ほのかに、かのありし院ながら、添ひたりし女のさまも同じようにて見えければ、「荒れたりし所に住みけむものの、我に見入れけむたよりに、かくなりぬる事」とおぼしいづるにも、ゆゆしくなむ。

君は、せめて、夢にでも、見たいものと、思い続けているが、四十九日の法事をされた、その翌日の夜、かすかながら、あの事件の起こった、院そのままに、枕元に立った、女の姿もそっくりな、夢に見えた。
荒れ果てたところに、住んでいた魔物が、自分に見入ったついでに、こんなことになったのだと、思い出すと、寒気がするのである。

ゆゆしくなりむ
寒気がする。気分が悪くなるのである。

伊予の介、神無月のついたちごろに下る。女房の下らむにとて、たむけ、心ことにせさせ給ふ。またうちうちにもわざとし給ひて、こまやかにをかしきさまなる、櫛、あふぎ、多くして、ぬさなど、わざとがましくて、かの小うちぎもつかはす。

源氏
逢ふまでの 形見ばかりと 見しほどに ひたすら袖の くちにけるかな

こまやかなる事どもあれど、うるさければ書かず。御使ひ帰りにけれど、小君して、小うちぎの御返りばかりは、聞えさせたり。

空蝉
蝉のはも たちかへてける 夏衣 かへすを見ても ねは泣かれけり

「思へど、あやしう人に似ぬ心強さにても、ふり離れぬるかな」と思ひ続け給ふ。けふぞ立つ日なりけるもしるく、うち時雨て、空の気色いとあはれなり。ながめ暮らし給ひて、

源氏
過ぎにしも けふ別るるも ふた道に 行くかた知らぬ 秋の暮れかな

なほ、かく人知れぬ事は苦しかりけりと、おぼし知りぬらむかし。

伊予の介は、十月の上旬に、任国に下る。
女房が、一緒に下るはずとて、別れの品を、贈る。
別に、女たちにも、特別に贈りになった。
細工の良い、美しい櫛や扇、幣などは、特別に仕立てたと、見えるもの。
そして、あの、空蝉の、小うちぎ、も、返した。

源氏
また逢う日までの、形見と、見ているうちに、落ちる涙に、袖がすっかり、朽ち果ててしまったことだ。

色々とあったが、うるさいから、書かない。
お使いは、帰ったが、小君を、使いに、小うちぎの、返歌だけは、差し上げた。

空蝉
衣替えも、終わり、今、お返しくださった、夏衣を見ると、声を上げて、泣きたい気持ちです。
いや、泣いたのである。

考えても、不思議なほどの、強情さで、拒み通して、離れていったものだと、源氏は、感慨深い。
今日は、立冬である。
いかにも、冬らしく、はらはらと、時雨が降る。
空が、実に寂しい。
一日、物思いに、浸り、

源氏
死んだ女、離れる女、共に、遠くに行く。今日が、最後の秋の日と、同じように。

こんなような、人に隠しての、事は、やはり、苦しいものだと、思い当たりなさったことであろう。
と、最後は、作者の言葉、感想である。

そして、最後の段。


かやうのくだくだしき事は、あながちに隠ろへ忍び給ひしも、いとほしくて、皆もらしとどめたるを、「など御門の御子ならむからに、見む人さへかたほならず、ものほめがちなる」と、作り事めきてとりなす人、ものし給ひければなむ。あまり物言ひさがなき罪、さりどころなく。

こんな、ゴタゴタした、お話。
努めて、忍び隠していたのも、お気の毒なことなので、すべて、控えていたのに、なぜ、御門の御子だからと、知っている者までが、短所はないと、何かにつけて、誉めてばかりなのか、と、作り話のように、思う人がいるようなので、あえて、申しました。
無遠慮な、お喋りの、非難は、免れないことでしょう。
と、作者である、古女房は、言う。


夕顔の巻が、終わった。
これ以上の、詮索は、しない。


けふぞ冬立つ日なりけるもしるく うち時雨て 空の気色いとあはれなり

しるく
その日である。
うち時雨て
密かに時雨れる。
空の気色いとあはれ
空の気配は、大変に、あはれ、である。
この、あはれ、を、何と訳すか。

前後の、文章から、この、あはれ、の意味を、探る。
あはれ、の表情が、無限に広がる。

ここには、この、物語には、観念というものはない。
あるのは、大和心である。
人の世の、ただそのままに、生きることにある、心の様を、大和心として、受け入れている。
仏教の救いという、観念があっても、行くかた知らぬ 秋の暮かな となる。
もう二度とない、人の世を生きているのである。

もののあわれ、とは、行くかた知らぬ 秋の暮れ なのである。

もののあわれについて281

若紫

新しい段である。
源氏18歳の三月から十月までの、話である。


わらはやみにわづらひ給ひて、よろづにまじなひ加持などまいらせ給へど、しるしなくて、あまたたびおこり給ひければ、ある人、「北山になむ、なにがし寺といふ所に、かしこき行ひ人侍る。こぞの夏も世におこりて、人々まじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひあまた侍りき。
ししこかしつる時は、うたて侍るを、とくこそこころみさせ給はめ」など聞ゆれば、召しにつかわしたるに、行者「老いかがまりて、むろのとにもまかでず」と申したれば、君「いかがはせむ。いとしのびて物せむ」と宣ひて、御ともにむつまじき四五人ばかりして、まだあかつきにおはす。

わらはやみ、とは、マラリアではないかと言われる。
おこり、とも言われた。
病にかかられて、まじない、加持祈祷など、何から何まで、やったが、効き目なく、何度も発熱する。
ある人が、北山に、何々寺という所に、すぐれた行者がいます。昨年の夏も、流行し、みな祈祷の効果なく困りましたが、この行者が、すぐに治すということで、こじらせては、やっかいですから、早く、試してみましょうと、言う。
行者を、呼びにやらせたところ、老衰のため、外に出ることが、できませんとの、返事である。
君は、しかたがない、それでは、こっそりと、出掛けると、親しいお召使の、四五人を連れて、まだ、暗い中に、出発する。

やや深う入る所なり。やよひのつごもりなれば、京の花ざかりは皆すぎにけり。山の桜はまだ盛りにて、入りもておはするままに、霞のたたずまひもをかしう見ゆれば、かかるありさまも慣らひ給はず、所せき御身にて、めづらしうおぼされけり。寺のさまもいとあはれなり。峰たかく、深きいはの中にぞ、ひじり入り居たりける。


庵は、少し山深く入るところにあった。
三月下旬である。
京の花盛りは、終わっていたが、山の桜は、まだ盛りである。
山深く入ると、霞のかかるように、おもしろく見える。
源氏は、見慣れぬ山深い風景を、見る。外出も、思うように、出来ない身分であるゆえ、珍しい風景に、感動する。
寺のさまも いとあはれなり。
この場合の、あはれ、とは、寺の様子も、実に、ありがたく思うと、訳してよい。
峰が高く、深い岩穴の中に、僧は、住んでいた。

その前後の、言葉により、あはれ、という言葉の心象風景が、変化する。
限定して、言い表せない思い、また、その有様を、あはれ、という言葉で、表すのである。

あはれ、という、言葉の世界の広がりを、観る。

のぼり給ひて、たれとも知らせ給はず、いといたうやつれ給へれど、しるき御さまなれば、ひじり「あなかしこや。ひと日、召し侍りしにやおはしますらむ。今は此の世の事を思ひ給へねば、験がたのおこなひも、捨て忘れて侍るを、いかでかうおはしましつらむ」と驚きさわぎ、うちえみつつ見奉る、いとたふとき大徳なりけり。さるべき物つくりてすかせ奉り、加持などまいるほど、日たかくさしあがりぬ。

登りて、誰とも、知らせずに、粗末なお召し物であったが、それとすぐに解る、風采ゆえに、行者は、やれ、恐れ多いこと。先日、お召しあそばされた、お方が、おいでくださったのでしょうか。もはや、現世のことは、思いませんゆえに、病気の加持祈祷など、忘れてしまいました。どうして、このように、お越しくださったのでしょうかと、言う。
驚き、うろたえて、顔を、ほころばせ、お姿を、拝する。
実に、徳の高い、僧であった。
あらたかなるお守りを作り、それを、飲ませて、加持などして、差し上げるうちに、日が、高く上ってきた。


僧は、謙遜して、源氏に対する。
源氏の身分を、見抜いたのである。

当時の、天皇は、天子様である。
その、貴さは、並々ならぬもの。
その、お子様である、源氏である。


現在、言われる、天皇制といわれるもの、実に、愚かしい議論である。

私に言わせれば、知らない者の、戯言である。
実に、天皇の歴史は、大和朝廷から、遠く以前に、遡る。
9000年以上の歴史がある。
知らないことは、ないことであるから、無いと、信じているだけで、単に知らないのである。

大和朝廷の前は、富士王朝である。
それは、一度、列島に住んでいた民が、旅をして、ペルシャ辺りで、王朝を建てた時から、はじまる、長い歴史である。

天皇の前は、神皇であった。
簡単に説明すると、富士山麓に、戻り来て、富士王朝を建てて、そこで、国造りをする。
途中から、九州に、軍事と、政治を、任せることになり、王朝の神皇であった一人が、九州王朝の、主に就任する。

富士王朝と、九州王朝は、血脈がある。

一足飛びに、神武天皇に至るが、その即位の際に、富士王朝から、使者が来て、神器をもって、所作に則り、即位の儀を執り行う。

富士王朝は、祭祀の、所作のみを、受け持ったのである。
しかし、それが、本家である。

九州は、神都であり、富士は、天都である。

いずれ、この日本史は、紹介する。

要するに、天皇制を言う者は、それの歴史を知らない。

確かに、神武天皇の即位前後に、少しの、波乱があるが、それは、歴史の必然性である。

天皇の歴史は、神武以前、富士王朝からのものであることを、言っておく。

さらに、世界広しといえど、その大半の期間を、武器、武力無しに、王権を維持したというのは、天皇家、さらに、神皇家の、大変重要な、ポイントである。
何故、武器、武力なしに、王権の府、高天原を、維持できたかである。

それは、民の、支持を得て、その民の心の、芯となったからである。

神武天皇の、歴史から見ても、天皇家が、武力を持つ時期は、はなはだ少なく、また、基本的に、武力を持たないという、王権である。

こんなことは、世界に類がないのである。

すべての、王は、武力を持ち、軍隊を持つ。
しかし、日本の天皇家は、一切それらを、持つことが無かった。
あの、織田信長さえ、無防備な、天皇家を、焼き討ちすることがなかった。
何故か。
民の信頼、甚だしく、天皇を、敵にすることは、すべての、国民を敵にすることと、同じだったからである。

以下省略。

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