さて、心理学では、明確に、男である、女であるという、判定は、出来ないでいる。
そして、また、心理学は、その前に、人間の孤独感というものを、性にあると、判定している。
つまり、分離不安というものである。
生命の基本は、アメーバであった。それは、分裂によって、数を増やす。種の保存のために、どんどんと、分裂する。
分裂によって、元の個体は、無くなるが、個体としての、死というものはない。
ところが、雄、雌と、個体が分かれてから、つまり、有性動物になると、生殖のために、一時的に結合するが、結局、別々に死というものを、迎える存在になる。
雄と、雌という、悲劇は、あまりある。
更に、人間だけが、死ぬことを知っているという、悲劇である。
上記の、分離不安と、死ぬことを知った人間が、性というものを、通して、格闘してきた、歴史的事実は、実に、涙ぐましいものがある。
それゆえに、性は、宗教とも、密接な関わりを持った。
それは、人間の根源的な、存在の孤独となる、性を有する人間の、苦悩である。
マスターベーションの歴史について、詳しく紹介するが、マスターベーションでは、決して得られない、存在の孤独感の満たしである性というもの。
青年は、一日の何度も、マスターべーションを繰り返す。
悲しい程、ペニスをしごくのである。
しかし、孤独という、心的状態からは、逃れられないのである。
そして、それは、相手に向かう。
この場合は、異性というものである。
ただし、異性愛という言葉は、同性愛という言葉の後に、出来上がったということを、付け加えておく。
同質異性を求める、人間の性である。
更に、異質同性を、求める、同性愛という、限りなく、不毛であり、限りなく、人間らしい性の状態もある。
同性愛に関しても、別に、論じる。
個体として、そして、性としての、孤独を与えられた人間の取るべき道は、結合である。
不足を感じたものに対する、憧れが、男は、ペニスの挿入可能な、膣を、そして、膣を持つ女は、そこに、入れてくれるペニスを、求める。
束の間、男と女は、一体になる。
ほんの、束の間である。
人間は、その誕生から、次々と、切り離されていく我という意識を、持つ。
それが、人間の孤独感という意識を作り出し、その実存の意識は、不安に、象徴される。
キリスト教的実存主義の、キルケゴールは、死に至る病であると、不安を捉えた。彼の、軽薄さは、性というものに、深く触れずに、信仰という、妄想に頼ったことである。
さて、他者を、意識し、世界を意識する人間を、成長するという。
その、実存の意識に目覚めるということは、存在の哀しみである。
いみじくも、釈迦仏陀が、生老病死を、苦であると、観たことは、正しい。
苦であるというより、実は、悲、なのである。
生老病死は、悲であると、言い直すことにする。
生まれた子供が、最初に、気づくことは、フロイトがいうように、口唇愛期と呼んだ、時期である。
しゃぶることの、快感は、実は、分離不安を静めるものである。
セックスの際に、しゃぶるのが、大好きという人は、これである。
ある青年が、相手の女が、自分のペニスを、夢見心地で、しゃぶるのを見て、俺も、ペニスをしゃぶってみたくなったと言う。
そこで、友人に、その話を持ちかけたところ、友人は、俺は、その趣味じゃないと、断られたと言う。
同性愛行為ではない。
彼は、単純に、女が、何故、あのような、表情で、自分のペニスをしゃぶるのかを、突き止めたくなったのである。
母親の母乳を吸うことは、性生活全体の出発点となり、後年のあらゆる性的満足の類のない手本となる。
フロイト
しかし、幼児も、成長する。
母乳から、引き離される時期がくる。
それが、スムーズに進まない時、幼児が受けたショックは、後々に、重大な、神経症の原因ともなる。
子供返りという状態がある。
子供の時期に、受けられなかった、不足を補う行為である。
必ず、この、口唇期のやり直しが、必要になる。
大人になっても、この時期の、コンプレックスが、飲酒や、タバコ、そして、麻薬などの行為に走らせること、多々あり。
生物学の後では、心理学に、多くよる、人間の性である。
幼児期に、男は、ペニスの去勢不安を持ち、女は、ペニス羨望を持つ。
最初、人は、皆、自分と同じだと、信じる。
勿論、大人になっても、自分と人は、同じだと、憶測、推測で、人を判断するが、それが、実は、自分の姿だとは、気づかない。
嫌な人が、全く自分と同じ傾向を持つ人だったということは、多々ある。
幼児は、皆、自分と同じように、ペニスがある、ペニスが無いと、信じる。しかし、自分と別のものを持つ、異性を見て、仰天する。
そこから、観念が、植え付けられる。
男の子、女の子である。
それが、その社会の歴史、伝統、習慣、教育によって、為される。
服装から、何から何まで、男の子と、女の子として、区分けされる。
それに、違和感を抱く子供がいるのだが、親は知らない。また、知らない振りをする。
ある、同性愛の、若者が、母親に告白した。
すると、母親は、今のうちよ、いずれ治ると言ったというから、驚く。
通念というものが、一人歩きして、平然として、人を裁くようになる。
通念とは、常識ではない。
男は、女を好きになるものだという観念である。
男は、女を求めるものだという、観念である。
これが、また、宗教的に、決定されると、歴史的悲劇が、起こるのである。