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2009年06月 アーカイブ

2009年06月01日

何故、バリ島か。8

ホテル並びに、いつも、行っていた、美容院と、マッサージの店がある。
ママさんと、従業員が数名いた。

今回も、三人一緒に出かけた。
ママさんは、覚えていた。
二度目の、辻友子のことも、そして、その娘のことも、覚えていた。

さずが、この地で、13年の、キャリアである。
クタで、商売を続けることは、至難の業である。

今回は、そこで、実に有意義な話を聞いた。

辻友子は、ママさんに、ネールなんとかを、して貰い、私と、コータは、フットマッサージである。

コータには、娘が、私には、年配のおばさんが、ついた。

三人並んで、ママさんと、話をしながら、である。

何と、ママさんは、ティモール出身だった。
30年以上も前に、バリ島に来ていた。

コータの足を揉む、娘は、姪であり、その母親が、私の足を揉んでいた。
親子で、妹さん、つまり、ママの所で、世話になっていた。

それは、娘の看護学校費用を貯めるためだった。

そこで、なぜ、店に、前ローマ法王の、写真が掛けられてあるのか、理解した。
カトリックなのである。

少し説明すると、ティモールは、大変宗教対立の激しい土地である。
イスラムと、キリスト教である。
イスラムの村に入った、キリスト教徒が、簡単に殺されることも、多々ある。

インドネシアの、他の地域の紛争は、まず、宗教対立である。
更に、イスラム勢力が、圧倒的に強いのである。

更に、ティモールの場合は、まだある。
同じキリスト教でも、新興キリスト教と、カトリックの対立である。
例えば、エホバの証人が、乗り込んで、更に、複雑な対立を生むというようにことである。

こういうのは、手が付けられない。

東ティモールは、独立したが、経済混乱は、まだまだ拡大し、混乱している。
更に、公用語を、ポルトガル語にしたから、更に激しくなった。

そこに、学校を作ると、ある日本の女性歌手がいるが、彼女は、カンボジアにも、学校を作り、広く寄付を集めている。それはそれで、良しとして、建物を、作るということに、意欲を持つという、ボランティアの心には、なぜか、不審を感じる。

建物は、目に見えるものであるから、支援をしやすいということもある。
だが、学校とは、教育する現場であり、そのためには、先生が必要である。
それまで、維持するとなると、大変な事業である。

建物を、作ることは、簡単である。しかし、先生を雇い、維持することは、大変なことであるということ。
更に、あくどい者がいて、学校を建てて、日本から、寄付を募り、現地で、優雅に暮らすという者も、いる。

ベトナムでは、そういう、日本人の男が、現地の人の反感を買い、行方不明になった。
また、タイ、チェンマイでは、日本のNPO団体の代表の男が、世話をしていた、施設の女の子に性的行為を繰り返し、懲役刑である。

寄付をしても、それが、どんなことに、使われているのか、解らない。
もっと悪いのは、善意の寄付が、途中搾取されることである。
その団体も、気づかないのである。
ミャンマーに、その事務所を、作り、政治家を介して、活動を行う団体が、寄付金を、その政治家に、搾取されていたことを知り、撤退した。

私の衣服支援だって、丸投げしての、支援ならば、どうされるか、解らない。だから、手渡しするのである。

さて、ティモールには、日本人の血をひいた人々が多い。
それは、真珠取りに出た日本人たちが、ジャワから、美しい女を連れて、ティモールに来たからだと、ママさんは、言う。
そして、ママさんの、お母さんも、少しの日本語ができるという。

戦争前から、ティモールに渡った日本人たちが、いるのである。

ティモールは、とても、貧しい。
しかし、出稼ぎに出る人は、幸運である。
こうして、ママさんの、お姉さんと、その娘は、ママさんを、頼って、働きに来ているのである。

バリ島から、ティモールのクパンまで、国内線が出ている。
今度、私は、ティモールに行くと言うと、行く前に、寄ってくれと、ママさんが言う。
色々、情報を教えるというのである。

彼女たちは、カトリックかと、尋ねると、そうだと言ったのみで、後は、何も言わなかった。宗教の話は、一切したくないという雰囲気である。
それは、彼女たちの、環境を物語る。

宗教対立で、人を殺すことほど、哀れなことはない。

彼女たちの、母親は、フローレンス島にいて、今、その母親を、ティモールに転居させる準備をしていると、言った。高齢であり、暖かい、ティモールの方がいいと、言う。

同じ緯度にありながら、寒い土地もあるのだと、知った。
勿論、寒いといっても、日本の冬のようなものではない。

辻友子は、その娘に、後で、支援物資から、何枚か、衣服を抜き取り、渡していた。
日本円にすれば、大した額ではない、入学金や、授業料は、彼女には、大変な額なのである。
この場所で、働くことが出来なければ、体を売るしか方法がないのである。

バリ島には、擬似恋愛をして、外国の男に、貢がせるという、凄腕の、娘たちも、多い。
それで、大学を出て、資格を取り、一番給料の高い、公立学校の教師などになる者もいる。

ホント、頭と、体は、使いようである。

足を、よく揉まれると、随分と楽になる。
だが、タイと違い、単なるマッサージの店に入り、後悔することも多い。
技術の未熟な、若い女にやられて、何度も、具合が悪くなった。

しかし、タイと、違うのは、マッサージ店では、ノーセックスである。
決して、エロ行為に及ぶことはない。
それは、バリ島の文化ゆえである。

その手の、マッサージは、サヌールに多い。
その店は、ナンバーがつけられて、分るようになっているという。
ゲイ専用のマッサージ店もある。

さて、ママさんは、よくぞ、このクタの、競争激しい中で、生き残っていると思う。
それは、ママさんの、英語能力も、大きい。
自然に、覚えたものである。
必要に迫られると、人は、覚えるものである。

何故、バリ島か。9

ホテルの朝食は、楽しかった。
バイキングである。
好きなだけ食べられる。

レストランのテラスに出て、食事をする。
一番乗りは、私であり、そして、辻友子がやってくる。

一番遅いのが、コータである。

何度も、立ち上がり、料理や、飲み物を取りに行く。

食事のときに、他のお客と、顔を合わせた。
中国の人が多かった。
日本人の、カップルにも、何組か会った。が、話はしない。

帰国日の、朝である。
ホテルの部屋一つを、夜九時まで、利用することにした。
迎えの車は、夜十時である。

ホテルのレストランで、夜の食事をして、そのまま、空港に向かう予定である。

支援物資が無くなり、荷物が、無い。
行きは大変だが、帰りは、楽々である。

本日は、クタ地区のマタハリデパートに出て、買い物をする。といっても、その一階にある、スーパーでの、買い物である。

スーパーの中に、おみやげ物も、売っている。そして、安い。
クタの街中で、売っている物は、高いのである。

私は、蝋燭と、お香を買う。
いつも、そうだ。タイに、出かけた時も、買うのは、それだけである。

それまで、部屋で休むことにした。

一泊だけ、サヌールであるから、五泊したことになる。
ボーイさん達とも、顔馴染みになる。
私は、廊下で、歌ったり、朝日に、拍手を打つので、特に、注目された。
辻友子も、朝の太陽を、拝していた。その拍手が、また、響く。

一度、朝早く、ホテルの前で、大きな声で、長崎の鐘を、歌った。
すると、隣近所の人が、感激してくれた。
更に、ホテルの厨房からも、大きな歌う声が聞こえた。

コックさんが、私に、負けじと歌っていたのだ。
レストランに入ると、コックさんが、私に、手を振る。

ホテル前の、商店のおじさんは、それから、毎朝、私に挨拶した。
そして、毎朝歌ってくれと、言う。
顔見知りが増えてゆく。

着物や、浴衣を着るので、一度で、覚えられるということもある。
誤魔化し両替屋は、私に声を掛けなくなった。

更に、一度、あることで、徹底的に、抗議した通りのホテルは、改装中なのか、営業しているのか、分からない。
どことなく、森閑としていた。
バリニーズも、日本の旅行会社も、巻き込んで、徹底的に、抗議したのである。

その後、ホテルから、営業改善の、親書が、送られてきた。

適当な、ボーイの対応から、部屋の設備の不備、そして、ホテルの付属のマッサージの、ボーイの、エロ作戦対応などなど、である。
マッサージルームで、セックスにまで、持ち込もうとした、ボーイは、日本人の女なら、喜ぶと、思っていたのである。
それに、引っかかった、日本の女も、多くいたと、思われる。

私には、冗談ではなかった。

日本人は、無理やりすれば、抵抗しないという、舐めた態度と、気持ちが、許せなかったのだ。

ということで、今回の、旅日記は、終わる。

出国も、入国も、何事も無く、スムーズ。
インフルエンザの、騒動も、どこ吹く風。
成田では、何事かあるのかと、思いきや。何もなし。

あれは、マスコミの、報道の仕方に問題がある。
あたかも、24時間、厳戒態勢のような、報道である。
健康状態の申告書に、記入して、オッケーである。

実は、私たちは、期待していた。
もしかしたら、無料で、色々な検査を受けられるかもしれないと。
辻友子などは、乳がん検査や、レントゲンまで撮ってもらおうと、思っていた。更に、血液検査で、どこか、悪いところが無いかと。

更に、疑いがあると、ホテルに、国のお金で、泊まれるという、期待。
ホテルに、留まって、しばらく、ゆっくり過ごす。
朝昼晩の、食事も、出るし・・・である。

だが、全く、そんな気配もなかった。
残念。

税関でも、何も聞かれず、はい、どうぞ、である。
私は、国際ボランティアですと、答えを用意していたのに・・・

すぐに、バスに乗り、横浜に向かう。
もう、寝るしかない。

旅は、楽しい。
そして、決して、観光旅行では、味わうことの出来ない、人との付き合いである。
今度は、いつ来るの。
そういわれると、嬉しい。

いつ来るの
えーと、三ヶ月後で
適当に言ってしまう。
次のバリ島行きは、年が明けてからである。

そして、私は、また、年を取っているのである。

あはれとも
気の毒なりと
思はざり
それ定めなり
生き抜くことを

2009年06月02日

何故、バリ島か。10

サヌールから、戻った翌日の、昼前に、テロ慰霊碑の前で、追悼慰霊の儀を執り行った。

それも、はじめから、決めていたことである。

その場所は、クタ地区の、レギャン通りの、角である。
道が二股に分かれている場所にあった、ディスコだった。

その前に、車が止められ、爆発し、ディスコ客が、被害に遭った。
二百名以上が亡くなった。日本人は、新婚旅行に来ていた、二人である。

モニュメントには、名前が刻まれている。

そこで、私たち三人は、日拝し、清め祓いの祝詞を、上げて、追悼した。
御幣と、日の丸を、掲げた。

その途中で、続々と人が集ってきた。
イスラム教徒や、欧米人である。
オーストラリア人もいた。

あまり、長くその場を占領していられないと、思いつつ、祈った。
キリエレイソン、主よ哀れみたまえ。
アッラーと、三度、唱えた。

不思議だった。
どうして、私の口から、アッラーが、出たのかである。
キリエレイソンは、今までも、出たが、アッラーとは、思わなかった。

しかし、祈りの心は、何も変わらない。

辻友子が、日の丸を掲げていた。
日本人三人が、浴衣を着て、慰霊をしている。ただ、それだけである。

終わると、その場を、すぐに、立ち退いた。
それを見ていた、おじさんが、ありがとう、と言うのである。
道を、歩いていると、ありがとうと、日本語で、声を掛けられるが、おじさんの、ありがとうは、それとは、違った。
私たちの行為に、ありがとうと、言ったのだ。

昼近くの時間を、選んだのは、太陽である。
太陽が、昇る時に、慰霊をする。
つまり、浮遊する霊に、対処したのである。

もし、深夜行えば、万が一、霊的障害を受けることもあり得る。
霊的障害とは、説明するのに、難しい。
感受性である。
そのような、感受性を持つ人がいる。

霊の障りといわれるが、単に、霊的想念に、一時的に、影響される。それは、精神的動揺、不安定さなどである。
しかし、それが、強く出ると、活動できないことになることもある。

太陽が、出ていれば、それを、防ぐことが出来る。
太陽は、目に見える神であると、私は、認識している。

この宇宙に、超人的、人格的神というものは、存在しない。
存在するものは、霊である。

霊的存在のみが、正しい。
その、霊が、神や仏と、名乗るというならば、理解する。

もっと、詳しく言えば、この三次元の太陽は、次元を超えても、存在する。
つまり、多次元の太陽である。
三次元を超える太陽の存在を、霊的太陽と、仮定する。

その、霊的太陽により、霊的存在も、存在する。

太陽信仰を持った、古代人たちは、正しいと、私は、信じる。
太陽こそ、宇宙と、地球を生かすものである。

太陽系というのは、太陽を中心にした、惑星の系列である。
宇宙には、多くの太陽系があると、言われる。

だが、今、私が、生きている太陽系の、太陽は、今、目に見えている太陽である。
ゆえに、私は、太陽を神として、拝する。

日本の伝統は、天照、アマテラスとして、太陽を拝してきたのである。

それを、実在の人物と、混合させたものである。
つまり、太陽信仰を、説いた人物と、重ね合わせて、そのように、お呼びした。

日拝するとは、昔の日本人ならば、誰もが、行っていた。
実に自然な、礼拝の仕方である。

更に、これは、伝統であり、宗教的行為ではないということである。
実に、宗教的に、認識されるが、伝えられた、行為である。

さて、私たちは、レギャン通りの、レストランで、ジュースを飲んだ。
ぼったくりと、言えるほど高い、値段だった。
だが、それが普通の、観光客を相手にする、店である。

従業員が、私たちに、親しげに、声を掛けてくる。
日本人は、上客である。

浴衣姿の私たちと、写真を撮るのである。

それは、それでいいが、二度と、その店に行くことはなかった。
ジュースの値段が、通常の五倍だとしたら、他の料理も、同じである。
少し、小道に入れば、そんな値段の店は無い。

ちなみに、ジュースは、その店では、25000ルピアである。
地元の、店なら、5000ルピア、50円である。
250円の、ジュースは、高い。それなら、日本と変わらない。
だが、観光客には、安いのである。

観光は、お金を使うための、旅である。

今回は、大方、辻友子が、払った。その訳は、書いたとおり。
一時的に、金持ちになった、気分になるのである。
更に、海外の旅をしていると、日本語が、変になる。

聞きなれない、言葉を聞いていると、日本語に影響してくるのである。

辻友子は、テロの慰霊碑の追悼を、明日の朝の早朝にも、したいと言った。
早朝は、朝である。
更に、夜の食事の時は、コータに、自分の皿の、ライスを、コータ君よかったら、この、ライスの白いご飯、食べないと尋ねた。

ライスは、ご飯である。
その他、色々ある。

危険が危ないという、言い方である。

英語と、インドネシア語を、使用すると、更に、こんがらかる。
モーニング、シラマッパギ、おはよう、と、朝の挨拶である。
えーと、何だったっけ・・・
うーんと、
ハーイとなる。

面倒になると、ハーイで、済ます。
ハイではない、ハーイである。

おしまい

性について64

これまで、ペニスの勃起のことにほとんど触れなかったのには、それなりの理由があります。性的に興奮することとペニスの勃起は同じ現象としてみなされますが、それは間違いです。性的興奮は感覚です。ふつうは性器で最も強く感じますが、肉体を通じて経験する主観的な感覚です。一方、勃起は、血液が性器に流れ込んでペニスが硬くなる、という現象です。
バーバラ

ペニスが、勃起するとか、しないとかは、感覚とは、別問題であるという、新しい見解である。

ちなみに、日本での、性研究家で、有名な、高橋てつ氏は、性的興奮は、勃起だと、決定している。

勃起の如何によって、性的興奮を測るのである。
この方のことは、後で、また、十分に書くことにする。

さて、バーバラは、エクササイズを行うに対して、勃起という、現象よりも、興奮の感覚を、掴めというのである。

レベル4で完全な勃起状態になる人もいれば、レベル6でも勃起しない人もいるでしょう。日によって違うのも、ごく当たり前のことです。・・・
今、わたしたちが問題にしているのは興奮度のレベルなのですから。・・・
今はただ、レベルの数字に気持ちを集中させましょう。
バーバラ

興奮度の、レベルを、自在に操るために、ある一定のレベルを、ピークさせる方法を、バーバラは、説く。

ピークさせるというのは、興奮状態をある一つのレベルまで高め、すぐに引き下げることを言います。
バーバラ

その方法は、興奮段階を、レベル6まで高めて、すぐに下げた場合、レベル6に、ピークさせたという。
興奮状態をレベル9まで高めて、すぐに引き下げれば、レベル9に、ピークしたという。

ピークさせるのは、興奮状態であり、ペニスの勃起ではない。

これから、エクササイズは、15分から、20分かけて行う。

シングルピーク
仰向けに横たわるか、座り心地の良い椅子に腰掛けて、ゆったりと、くつろぐ。
そして、手と、ペニスに、潤滑クリームを塗る。
ラブオイルではなく、ベビーオイルとか、バージンオリーブオイルなどがいい。
セックス時に使用する、ラブオイルは、刺激が強すぎる。

それから、ゆっくりと、ペニスを触る。
触りながら、徐々に興奮を高めて、自分なりの、レベル4にまで、もってゆく。
マスターべーションをするのではないということ。
弱いながらも、明らかに、興奮状態にもってゆく。

レベル4に達したら、性器から、手を離し、深く、ゆっくりと、深呼吸をする。

そして、PC筋や、尻、腿の筋肉に力が入っていないことを、確認する。

ぐったりと、弛緩させるのである。

そして、興奮状態を、レベル2まで、下げる。
これで、レベル4に、ピークさせたことになる。

レベル2まで下がったら、再び、性器を触り、今度は、レベル6まで、高める。
レベル6まで、達したら、再び、刺激を中断する。
大きく深呼吸をして、レベル4まで、下げる。

全身の筋肉が、リラックスしたことを、感じること。

同じ要領で、さらに、15分から、20分かけて、レベル7,8,9と、ピークさせる。

この、訓練は、自分の興奮のレベルを、数字にして、測るという、感覚を測る試みとして、実に、素晴らしい、エクササイズである。
要するに、自分の興奮を認識することなのである。

それは、ある種の、修行に似る。
自分というものを、知る、修行である。

変な、座禅をするより、効果的である。
瞑想という、方法ほど、曖昧なものはないし、妄想に、没頭するので、危険である。

これは、ペニスという対象物があり、更に、興奮という、感覚が、媒体となるので、妄想ではない。

レベル9は、もう引き返せないという、ぎりぎりのレベル9,9の、ほんの少し手前です。
バーバラ

それぞれの、ピークに達したら、刺激を中断して、全身の筋肉をリラックスさせる。
大きく深呼吸をして、レベル1とか、2に、興奮を引き下げる。

注意することは、興奮状態を、レベル3から、いきなり、レベル8などに、高めないこと。急激に高めると、マスターベーションに、陥ってしまう。

レベルの変化は、ゆっくりと、落ち着いて行うこと。
上げる時も、下げる時も、4,5分かける。焦らない。

ただし、時間になって、射精をしたくなったら、マスターベーションに移行して、射精しても、よい。

要するに、自分の興奮状態に、敏感になるという、訓練なのである。

更に、これは、私の、考えであるが、そうして、自分と、向き合う時間を、作るということは、日々の生活の雑事から離れて、ある種の、気分転換と、リラックス、更には、ストレスの、解消にもなる。

特別なことは、なにもしていない。
道具は、自分のペニスである。

慣れてくると、曖昧だった、レベルという、感じ方も、自分のレベルとして、明確になってくるのである。

何度か、練習を重ねて、レベル10に、ピークさせてみる。
勿論、それは、もう引き戻せない、状態で、射精しても、構わないのである。

ここで、ある人が、それなら、俺は、射精を、何度も我慢して、長い時間、セックスや、マスターベーションを、続けることが出来ると言う人がいた。

それとは、基本的に、別である。
その、射精を、我慢する時、オーガズムを、感じてはいないのである。
マルチプル・オーガズムとは、射精しないで、得る方法であり、我慢して、射精を、引き伸ばすという、芸当ではない。
さらに、それは、年齢によって、低下するものである。
この、方法は、年齢に関係なく、いつまでも、セックスに、現役でいられる、方法である。

ちなみに、正しく、PC筋を、操れる人は、幾つになっても、朝立ちする。
PC筋が、老化しないからである。

ちみなみに、私は、朝立ちも、昼寝をしても、ペニスは、勃起する。
それは、長年のPC筋に対する意識の、賜物である。

勃起するからといって、即セックスではない。
それは、体力や、肉体の、衰えを、緩やかにする。
更に、ボケないのである。

男の、精力は、勃起に、左右される。

老化して、目、足、マラの、順で弱くなるというが、マラ、ペニスから、弱くなるのである。

次に、パートナーとの、エクササイズを、紹介する。

2009年06月03日

性について65

パートナーと一緒に、興奮状態のレベルを、ピークさせたい人のための、エクササイズ。

まず、仰向けになり、目を閉じて、ゆったりと、リラックスする。
パートナーには、性器を触ってもらう。
楽しみつつ、気持ちを集中させながら、手だけではなく、口を使ってもよい。

してもらう方は、ただ、性器にのみ、気持ちを手中させる。

パートナーは、あなたの性器に触れながらこう言います。「興奮状態がレベル4まで高まったら教えてちょうだい」好きな時間をかけて、あなたは興奮状態をレベル4まで高めます。彼女が性器に触れる感触をじっくり味わいましょう。
バーバラ

レベル4に達したら、相手に、4と伝える。
パートナーは、それで、刺激を止める。
全身の筋肉が、リラックスしているかどうか、確認する。
そして、深呼吸をして、レベルを下げる。

1, 2と、レベル下がったら、性器への、刺激を再開する。

パートナーはあなたの性器の感触を楽しみながら、ゆっくりと刺激を再開します。そして言います。「興奮状態がレベル6まで高まったら教えてちょうだい」彼女の刺激を味わいながら、ゆっくりと興奮状態を高め、レベル6に達したら、「6」と言って彼女に知らせます。彼女はすぐに刺激をやめなければなりません。あなたは大きく深呼吸をして、全身の筋肉がリラックスしているのを確認したら、1つか2つ、レベルを下げていきます。目指すレベルまで下がったら、再び彼女に合図を送り、刺激を再開してもらいます。
バーバラ

この、エクササイズで、目指しているのは、自分の体の言葉に、耳を傾けるということ。

注意は、一遍に、何度も、高いレベルに上げないこと。
いかに、自分の体と、性器の声を、聞くかということ。

つまり、一種の楽しい、修行。

興奮状態の、微妙な、ニュアンスを自覚することが、大切なことであり、無理をする必要はない。

興奮状態のレベルの違いに自信がもてるようになるまで、好きなだけエクササイズを続けてください。オーガズムを迎えることが目的ではありません。このことは絶対に忘れないでください。エクササイズをするたびにクライマックスに達する必要はありません。あくまでも自分流を通しましょう。オーガズムに達したくなったら、そうすればいいし、そんな気にならなかったら無理をすることはありません。
バーバラ

これは、エクササイズの、基本、基礎であるということ。

興奮状態の、物差しに慣れたら、次の段階に進む。

これだけでも、十分に、自分の興奮状態というものを、理解する上で、参考になるものである。

セックスを楽しむことから、セックスというものを、理解する。更に、性器の、感覚というものを、理解し、縦横無尽に、性器を、楽しませるという、方法である。

それは、勿論、脳刺激である。
体の、刺激とは、脳刺激なのである。

脳に、微妙繊細な、シナップスを多く作るものと、私は、理解する。

大脳化により、複雑化した、人間の、快感、快楽というものを、わが手に、しっかりと、取り戻す行為である。

体に、敏感になるということは、単に、セックスだけの問題ではない。
体に、異常を感じる力を、高めることにもなり、未病発見の、感受性を高めることにもなると、私は、考える。

知らずに、病気になるということが、なくなるというのである。
それほど、自分の体に、敏感になるということだ。

ちなみに、人間の、オーラというもの、パワーというものは、舌先と、指先と、性器から、特に出る。
手のひらの、パワーにより、痛みを緩和させるというのは、そういうパワーである。

バーバラの、性革命を通して、私は、そういうことも、理解したのである。

性は、癒しである。
性は、人間性の回復である。

人は、性によって、人になる。
性行動は、人間を、人間たらしめる。

性器セックスから、全人的セックスへと、移行できるのは、人間だけである。
動物は、その本能により、性行動があるのみ。

大脳化は、進化である。
性が、生殖という本能といわれるものから、離れたのも、大脳化ゆえである。
それが、人間の情緒を生むものであることも、それである。

そして、更に、相手との関わり、セックスを通して、築く関係を、愛情として、認識するという、心。

肉体を、軽んじる者は、肉体から、軽んじられる。
肉体より、精神をという、主張は、誤りである。
肉体あっての、人間であり、大脳あっての、人間である。

精神を重んじるというならば、まず、肉体の大切さ、重要性を、知るべきである。その、最たる方法が、性である。

性器から、性へ。
性から、情緒へ。
そして、人間性というものへ。

私は、性というものを、全人的に、語った人を知らない。
皆、部分的である。
ここに、引用した人たちも、それぞれの、分野においての、性である。
しかし、私は、全人的に、性というものを、見つめてみたいと、思っている。

2009年06月04日

もののあわれについて364

御息所は、物をおぼし乱るること、年頃よりも多く添ひにけり。つらき方に思ひ果て給へど、今はとてふり離れ下り給ひなむは、いと心細かりぬべく、世の人聞きも人笑へにならむ事とおぼす。さりとて、立ち止まるべくおぼしなるには、かくこよなきさまに、皆思ひくたすべかめるも安からず。「釣するあまのうけなれや」と、起き臥しおぼしわづらふけにや、御ここちも浮きたるやうにおぼされて、悩ましうし給ふ。


御息所は、あれこれと、物思いすることが、いつもより、多くなった。
つらき方に思ひ果て給へど、君の、仕打ちは、実につれないものだったと、今は、諦めて、もうこれっきりと、伊勢へ下るというのは、心細いことだし、世間の物笑いの種になると、思う。
しかし、都に、居残るという気持ちになるとしては、こんな酷いほど、誰もが、馬鹿にしているような気もするのである。
私は、漁師が釣りをする時の、ウキのように、心が揺れ動くと、寝ても醒めても、思案に暮れる。そして、気持ちが、どこかに浮いているような、気分で、具合が悪いのである。

釣するあまのうけなれや
古今集
伊勢の海に つりするあまの うけなれや 心一つを 定めかねつる
うけ、は、ウキのことである。
揺れ動く、ウキである。

大将には、下り給はむ事を、「もて離れて、あるまじき事」など防げ聞え給はず。源氏「数ならぬ身を、見まうくおぼし捨てむもことわりなれど、今はなほ言ふかひなきにても、御覧じ果てむや、浅からぬにはあらむ」と、聞えかかづらひ給へば、「定めかね給へる御心もや慰む」と、立ち出で給へりし御禊河の荒かりし瀬に、いとど、よろづいと憂くおぼしいれたり。


大将、つまり、源氏は、伊勢に下るということを、構いもせずに、それを止めることもしないで、人並みではない私を、見るのも嫌だと、見棄てるのも、もっともなこと。
今になっては、つまらぬ私でも、見限らないでいてくださるのが、浅からぬ愛情でしょうと、言いにくいような、言い様である。
決断のつかなかった、心も、紛れるかもしれないと、お出でになった、御みそぎの日の、荒々しい事件のため、いっそう、何事も、恨めしく思うのであった。

大殿には、御物の怪めきていたう患ひ給へば、誰も誰もおぼし嘆くに、御ありきなどびんなき頃なれば、二条の院にも時々ぞ渡り給ふ。さはいへど、やむごとなき方は異に思ひ聞え給へる人の、珍しき事さへ添ひ給へる御悩みなれば、心苦しう思し嘆きて、御修法や何やなど、我が御方にて多く行はせ給ふ。


大臣家では、物の怪らしく、酷い苦しみの様子である。
どなたも、どなたも、心痛している折り、君も、忍び歩きなど悪いことであると、二条の院にも、たまに、お越しになるだけである。
何と言っても、大切にするということでは、格別に思っている方が、おめでたまで、加わっているのに、尋常ではない様子。
君は、どうなるのかと、心配になり、ご祈祷や、何やかにと、ご自分の部屋で、色々と行わせる。

物の怪、生霊などいふもの多く出で来て、さまざまの名のりする中に、人にさらに移らず、ただ自らの御身につと添ひたるさまにて、ことにおどろおどろしうわづらはし聞ゆる事もなけれど、又片時離るる折もなきもの一つあり。いみじき験者どもに従はず、しうねき気色、「おぼろげの物にあらず」と見えたり。大将の君の御通ひ所、「ここかしこ」とおぼしあつるに、「この御息所、二条の君などばかりこそは、おしなべてのさまにはおぼしたらざめれば、恨みの心も深からめ」と、ささめきて、物など問はせ給へど、さして聞えあつることもなし。

物の怪、生霊、いきりょう、などというものが、沢山出てきて、色々と名乗り出る中に、霊媒の口から、どうして、名乗らずに、ただ、体に、じっと憑いたモノがある。
特別に、酷く苦しめることはないが、それではと、思うと、少しの間も、離れる時、とてつもないものが、一つある。
優れた、験者、げんざ、たちの、祈祷も、効かず、しつこい様子は、一通りのモノではないと、思われた。
大将の君の、恋人達を、一人一人考えて、周囲の人は、御息所と、二条の君は、並々の気持ちではないので、姫君への、恨みも、強いでしょうと、囁き合うので、占い師に、尋ねさせるが、これぞと、申し当てることもない。

二条の君とは、若紫、若草の君である。

名のりする
よりまし、と言い、童女などに、霊を懸らせて、霊に問うのである。


物の怪とても、わざと深き御敵と聞ゆるもなし。すぎにける御乳母だつ人、もしは親の御方につけつつ伝はりたるものの、弱目に出で来たるなど、むねむねしからずぞ乱れ現はるる。ただつくづくと音をのみ泣き給ひて、折々は胸をせきあげつつ、いみじう堪へがたげに惑ふわざをし給へば、「いかにおはすべきにか」と、ゆゆしう、悲しく思しあわてたり。


物の怪といっても、格別に深い敵と、名乗り出ることはない。
亡くなった、乳母のような人とか、姫君の、親の家系の方の、代々の死霊が、弱みに付け込んで、来たのなど、主に、祟るのは、ばらばらに、出て来る。
姫君は、ただ、さめざめと、声を上げて、泣くばかりである。
時々、胸を詰まらせ、とても辛そうに、苦しみ、どうなるのか、と、不安でもあり、悲しくもあり、源氏は、狼狽した。

院よりも御とぶらひ暇なく、御祈りのことまで思し寄らせ給ふさまのかたじけなきにつけても、いとど惜しげなる人の御身なり。

桐壺院からも、お見舞いが、しきりにあり、ご祈祷のことなど、お心に掛けてくださるのも、もったいなく、このまま、亡くなるのではと、いっそう、惜しく思われる、姫君の、御身である。

桐壺院は、上皇であり、源氏の父。


世の中あまねく惜しみ聞ゆるを聞き給ふにも、御息所はただならず思さる。年頃は、いとかくしもあらざりし御いどみ心を、はかなかりし所の車争ひに、人の御心の動きにけるを、かの殿には、さまでも思し寄らざりけり。

世の中が、あまねく、命を惜しむのを、聞かれるにつけても、御息所は、妬ましくてならない。
これまでは、これほどまででなかったのだが、競争心が、あの、車争いのために、恨みの念に変わったのを、左大臣の邸では、それほどまでとは、考えなかったのである。


いと かくしも あらざりし 御いどみ 心を
これほどまでとは、思わなかった、対抗心である。

はかなかりし 所の 車争ひに
ふっとしたはずみの、所での、車争い、である。

それが、御息所の、心を苦しめ、更には、生霊として、姫君に、憑依するという、状態になるのである。
だが、御息所も、自分が、そうしていることを、知らない。

霊学から、見れば、十分に有り得ることである。
死霊よりも、生霊の方が、激しい力を持つ。

両者共に、まだ、御息所の、生霊だとは、知らないのである。

もののあわれについて365

かかる御物思ひの乱れに、御心地なほ、例ならずのみおぼさるれば、ほかに渡り給ひて、御修法などさせ給ふ。大将殿聞き給ひて、「いかなる御ここちにか」と、いとほしう、おぼし起して渡り給へり。

御息所は、物思いに、沈み、気分がすぐれずにいる。
住まいを変えて、祈祷などさせている。
大将、つまり、源氏は、それを聞いて、どういう容態かと、愛しく思い、進まぬ気持ちであるが、お出かけになった。

おぼし起こして渡り
何とか、力を出して、出掛けた、のである。

御息所の、悩みは、源氏の正妻への、嫉妬心である。
それに、煩悶しているのである。

例ならぬ旅所なれば、いたう忍び給ふ。心よりほかなる怠りなど、罪許されぬべく聞え続け給ふ。源氏「自らはさしも思ひ入れ侍らねど、親達のいとことごとしう思ひ惑はるるが心苦しさに、かかる程を見過ぐさむとてなむ。よろづを思しのどめたる御心ならば、いと嬉しうなむ」など、語らひ聞え給ふ。常よりも心苦しげなる御気色を、ことわりに、あはれに見奉り給ふ。


いつもと、違う仮の住まいなので、君は、忍びで、行かれる。
心ならぬ、ご無沙汰であるから、その、罪も許されるようにと、うまくお詫びの言葉を言うのである。
正妻の病状などにも、困っている旨を言う。
私は、それほどに、深く案じていませんが、親たちが、大変ご心配しているのが、気の毒です。こういう時は、傍についていようと思い、つい、ご無沙汰してしまいました。と、源氏が言う。
御息所も、いつもより、痛々しい様子を、気の毒と思い、お見舞いを申し上げる。

旅所
いつもと、違う場所に出掛ける時に、使う、言い方。

うちとけぬ朝ぼらけに出で給ふ御さまのをかしきにも、なほふり離れなむ事は、おぼしかへさる。やむごとなき方に、いとど志添ひ給ふべき事も出で来にたれば、一つ方におぼししづまり給ひなむを、かやうに待ち聞えつつあらむも、心のみ尽きぬべきこと、なかなか物思ひの驚かさるるここちし給ふに、御文ばかりぞ暮れつ方ある。
源氏文
日頃少しおこたるさまなりつるここちの、にはかにいといたう苦しげに侍るを、え引きよがでなむ
とあるを、例のことつけと見給ふものから、

御息所
袖ぬるる 恋路とかつは 知りながら おりたつ田子の みづからぞ憂き

山の井の水もことわりに」とぞある。御手は「なほここらの人の中にはすぐれたりかし」と見給ひつつ、「いかにぞやある世かな。心もかたちも、とりどりに捨つベくもなく、又思ひ定むべきもなきを」苦しうおぼさる。御返り、いと暗うなりにたれど、
源氏
袖のみ濡るるやいかに。深からぬ御ことになむ。
あさみにや 人はおりたつ 我が方は 身もそぼつまで 深き恋路を

おぼろげにてや、この御返りを自ら聞えさせぬ」などあり。


互いに、打ち解けぬままに、夜を明かした。
朝早く、帰る、その姿の美しさを見て、やはり、振り捨てて、遠くに行くことは、出来ないと、思い直す。
身分の高い方、つまり、源氏の正妻に、いっそう愛情が勝る、出産を控えて、本来なら、そちらに、心を落ち着けるべきだろうに、このように、お出でを待つというのは、気がもめることだと、御息所は、新たに、物思いにふけるのである。
そんな夕方、お手紙が届いた。

源氏
この頃、少しよかった病人の気分が、急に酷くなり、苦しそうです。手を施しかねています。

と、あるのを、いつものことと、思いつつも、お返しは、

御息所
物思いに、袖の濡れる、恋の道とは、知りながら、その泥沼に、自ら入るという、我が身が、辛く思います。

山の井の水のように、浅い愛情の方には、涙で袖が濡れるばかりとのことは、本当でした、と、書いてある。
筆跡は、矢張り、多くの人の中でも、優れていると、思いつつ見るのである。
一生の相手は、見つからないものだ。心も、姿も、それぞれであり、問題にならないものはなく、さればとて、この人こそと、思い定めるものもないと、苦しく、源氏は、思う。
お返しは、日も暗くなってから、

源氏
袖だけが、濡れるというのは、どういうことでしょう。お心が、深くないからです。

浅いところに、あなたは、下りているのでしょうか。私の方は、全身濡れるほど、深い恋路の泥沼の中にいます。

この返事を、そちらに出向いて、申し上げないのを、よほどのことと、思ってください、などと、書いてある。


山の井の水
悔しくぞ 汲みそめてける 浅ければ 袖のみぬるる 山の井の水
山の井の水は、浅いので、汲んでも、袖を濡らすばかり。
その、山の井の水のように、底の浅い相手の心の、あり様も確かめずに、たまたまに、出会ってしまったことが、悔やまれて、涙で、袖が濡れるばかりだ。

源氏の思いと、御息所の、思いが、噛み合わない。
嫉妬に、迷える女の心に、源氏は、一種の諦めを、御息所は、源氏の帰る、後姿に、執着を、感じるのである。

いつの世も、男と女は、こうして、演じてきたのである。
一夫一婦制という、結婚生活でも、女と男の、やり取りは、変わりなくある。

この、揺れ動く、心の綾もまた、もののあはれ、なのである。

そして、更に、その、もののあはれ、に、身を任せるという男と女の姿に、作者は、共感する。
つまり、男と女は、そういうものであるという、諦観である。

これを、迷いであるとして、そこから、逃れる道を、捜し求めているのではない。その、風景の中に、身を入れるしか、生きる方法が無いというのである。
更に、紫式部は、それで、良いとしている。

だから、こそ、紫式部は、延々と、物語を書き続けた。
それは、終わらない物語なのである。
人の一生が、書かれるが、また、次の人も、同じようにして、生きるのであり、この物語は、延々として、未来永劫続く物語なのである。

それを、もののあはれ、として、描くのである。
そして、人は、この、もののあはれ、から、逃れることはない。
もののあはれ、を、生きることで、生きているのである。

そこに、生きることのすべが、内包されてあるのだから、何も、それから、逃れるとか、捨てるとか、考えなくてもよいのである。
人間とは、そういう者である。
人生とは、生きてきた人の、生き方の、繰り返しなのである。

2009年06月05日

もののあわれについて366

大殿には、御物の怪いたう起りて、いみじう患らひ給ふ。「この御生霊、故父大臣の御霊などいふものあり」と、聞き給ふにつけて、思し続くれば、物思ひにあくがるなる魂は、さもやあらむ」とおぼし知らるる事もあり。年頃、よろづに思ひ残す事なく過ぐしつれど、かうしも砕けぬを、はかなき事の折に、人の思ひ消ち、なきものにもてなすさまなりしみそぎの後、ひとふしに思し浮かれにし心、しづまり難うおぼさるるけにや、少しうちまどろみ給ふ夢には、かの姫君とおぼしき人の、いち清らにてある所にいきて、とかく引きまさぐり、うつつにも似ず、たけくいかきひたぶる心出できて、うちかなぐるなど見え給ふこと、度重なりにけり。


おほい殿には、御物の怪が、沢山現れて、病状が酷く悪いのである。
つまり、葵の上のことである。
御息所は、この人の生霊だの、つまり、御息所の生霊だの、故父大臣の御霊だという者がいると、聞いて、色々と考えてみるに、物思いに、あくがるなる魂は、と、我が身の不運を嘆く以外に、人を不幸にすると、思う気持ちは無いが、物思いのゆえに、体から、さ迷い出るという魂は、そういうこともあるものだと、思い当たる節がある。
年頃、御息所は、この何年間の間、あらゆる物思いを、過してきた。
しかし、これほどまでに、気持ちが、揺れることはなかった。
それなのに、あの、些細な、車争いのことで、あの人、葵の上が、自分を物とも思わず、無視する態度であったこと、その、みぞきの日以来、不安定な気持ちが、更に、激しくなり、なかなか落ち着くことなく、少し、うとうとするときの、夢などに、あの姫君、葵の上と、思われる人が、たいそう清潔にしている所へ自分が、出向いて、あれこれと、引っ張りまわし、普段とは、全く違い、恐ろしく、荒々しい気持ちで、乱暴に、揺さぶったりするのを、幾度も、見ている心地がするのである。

「あな心憂や。げに身を捨ててやいにけむ」と、うつし故頃ならず覚え給ふ折々もあれば、さならぬことだに、人の御ためには、よさまのことをしも言ひ出でぬ世なれば、「ましてこれはいとよう言ひなしつべきたよりなり」とおぼすに、いと名だたしう、「ひたすら世になくなりて後に恨み残すは、世の常の事なり。それだに人の上にては、罪深うゆゆしきを、うつつの我が身ながら、さるうとましき事を言ひつけらるる、すくせの憂きこと。すべてつれなき人にいかで心もかけ聞えじ」とおぼしかへせど、思ふも物をなり。


ああ、嫌なことである。
なるほどに、やはり、魂が、抜けて、葵の上の、所に出ていったのだろうか。
自分の心を、生気でないと、思うことが、幾度もあったので、それほどのことでなくても、身分ある人に関しては、世間というものは、良いことを言わないものである。
まして、このことが、私の、仕業だと、噂を立てられるのは、格好のことである。
そう思うと、今にも、それが、広まるような気持ちになる。
御息所は、ひたすら、一途に、この世を去った後に、怨みを残すことは、よくあること。
それでさえ、人事としても、そのような、いとわしいことを、噂されるのは、我が身の、前世の、定められた、運命の辛いこと。
もう一切、つれない、あの方、源氏の君に、どうかして、思いをかけないように、なりたいものだと、決心するのであるが、思うまいと、思うことも、思っている証拠なのである。

最後の、箇所は、作者の考えである。
思ふもものを、なり
と、付け加える。
思はじと 思ふも物を 思ふなり
思うことを、やめようと思うことも、思っていることだ、と、当時の、流行の歌詠みの、一節である。


斎宮は、こぞうちに入り給ふべかりしを、さまざまさはることありて、この秋入り給ふ。九月には、やがて野の宮にうつろひ給ふべければ、再び御祓へのいそぎ、取り重ねてあるべきに、ただあやしうほけほけしうて、つくづくとふし悩み給ふを、宮人いみじき大事にて、御祈りなどさまざまつかうまつる。おどろおどろしきさまにはあらず、そこはかとなくて、月日を過ぐし給ふ。大将殿も、常にとぶらひ聞え給へど、まさる方のいたう患ひ給へば、御心のいとまなげなり。

斎宮は、昨年、御所にお入りになる予定だったが、色々な、差しさわりがあり、この秋に、入られる。
九月には、すぐに、野の宮に、移られるはずであるから、二度目の、みそぎの、準備が、重ねてあるべきだったが、御息所は、ぼんやりとして、寝込んで、苦しんでいるために、斎宮の、仕え人は、重大事として、祈祷などを、執り行うのである。
重態というわけではないが、どことなく、不調のままに、月日を過す。
大将殿、つまり、源氏も、お見舞い申し上げるが、それより、いっそう大事な方が、重く患っているのであるから、心の、休まる暇も無いのである。


少し、霊学から、説明する。
文学として、理解する場合は、御息所の、異常心理ということで、済ませているが、それ以外の、解釈の仕様が無いのである。

死霊、生霊というものが、有る、存在するものとして、個々で扱う。

生霊とは、肉体から、霊体が、抜け出て、相手に、関わることである。
それは、良い場合のこともあり、悪い場合のこともある。

良いというのは、恋愛などで、相手を思うあまりに、生霊が、憑くということである。その場合も、両者に、不調が、起こる。
ただし、恋愛成就すると、それは、収まる。

しかし、怨み、辛みの場合は、困難が伴う。両者共に、不調に陥る。
人を、呪はば穴二つという、諺は、そういう意味である。

怨み、呪いの思いが、霊と、なって相手方に、憑依するのである。
すると、憑依された者は、原因不明の、不調を起こし、具合が悪く、吐いたり、下痢をしたの、果ては、精神不安定に陥る。
一方、憑依した方も、同じように、不調に陥るのである。

例えば、憑依され方が、霊的に、強い体質、つまり、跳ね返す力が、強い場合は、相手方、憑依した者が、更に、苦しむということもある。

そして、憑依した者が、自分が、憑依していると、気づかないことが、多い。
嫉妬の感情の場合などが、そうである。

清め祓いという、日本の伝統行為には、そのようなことに、対処する方法も、ある。
言霊による、祓い清めである。

それは、職業神主にお願いすることはない。
自分で、出来ることである。

古神道の、方法は、それぞれの、地域に伝統行事として、残り、村の主などが、それを、行った。また、今でも、行っている地域もある。

平安期は、主に、加持祈祷によるものが多かった。
それは、宮中においてなされた。

また、このことに、触れることになると、思う。

もののあわれについて367

まださるべき程にもあらずと、皆人もたゆみ給へるに、にはかに御気色ありて、悩み給へば、いとどしき御祈り数を尽くしてせさせ給へれど、例のしうねき御物の怪ひとつさらに動かず。やむごとなき験者ども、「珍らかなり」ともて悩む。さすがにいみじう調ぜられて、心苦しげに泣きわびて、姫「少しゆるべ給へや。大将に聞ゆべき事あり」と宣ふ。人々「さればよ。あるやうあらむ」とて、近き御凡帳のもとに入れ奉りたり。むげに限りさまにものし給ふを、「聞え置かまほしき事もおはするにや」とて、おとども宮も少し退き給へり。加持の僧ども声しづめて、法華経を読みたる、いみじう尊し。


まだ、お産には時間があると、誰もが、心緩んでいる時、急に、お産の兆候があり、苦しまれる。
いっそうの、力を込めた、祈祷を大臣家では、させるのである。
しかし、例の、しつこい物の怪は、全然、動かない。
優れた修験者たちも、珍しいことだと、もてあます。
だが、物の怪の方も、さすがに調伏されて、痛々しいほどに、酷く泣き苦しみ、姫の口から、少し、緩めてください。大将に申し上げたいことがありますと、言う。
やはり、何か、訳があるのだ、と、女房達が、思う。
近くの、凡帳の中に、源氏を入れる。
葵の上は、臨終のような様である。
源氏に、申し上げておきたいことがあるのだろうと、左大臣も、母宮も、少し下がっている。
加持の僧たちが、声を低くして、法華経を読むのは、たいそう、貴い感じがする。


生霊が、葵の口を借りて、喋るのである。

御凡帳の帷子引き上げて見奉り給へば、いとをかしげにて、御腹はいみじう高うて臥し給へるさま、よそ人だに見奉らむに心乱れぬべし。まして惜しう悲しうおぼす、ことわりなり。白き御衣に、色あひいとはなやかにて、御髪のいと長うこちたきを、引き結ひてうち添へたるも、「飼うてこそ、らうたげになまめきたる方添ひてをかしかりけれ」と見ゆ。

源氏は、凡帳の帷子を、引き上げて、葵の上を、見る。
大変美しく、御腹が、高く出て、横になっている様は、他人でさえ、見れば、痛ましくて、心乱れるだろう。
まして、夫である、源氏は、この人を失うのかと、惜しく、悲しいことと、思うのは、もっともな事である。
葵の上は、白いお召し物に、色合いが、華やかな様子で、御髪の、たいそう長いのを、たっぷりと、結んである様に、源氏は、このようであってこそ、可憐で、たおやかな美しさがあって、素晴らしいと、思う。

御手をとらへて、源氏「あないみじ。心憂き目を見せ給ふかな」とて、物もえ聞え給はず泣き給へば、例はいとわづらはしくはづかしげなる御まみを、いとたゆげに見上げて、うちまもり聞え給ふに、涙のこぼるるさまを見給ふは、いかがあはれの浅からむ。

源氏は、葵の上の、手を取り、ああ、なんと悲しいことだろう。私に、辛い思いをさせるのですね、と、仰り、あとは、何も言わずに、ただ、泣くのである。
葵の上は、いつも、気まずく、こちらが、恥ずかしくなるほどの、美しい眼差しを、今は、たいそう、だるそうに、見上げる。
源氏を、じっと、見詰めて、涙を流す。
その様子を、見る、源氏は、いかがあはれの浅からむ、とは、作者の言葉である。どうして、あはれの、心が、浅いことがあろうか、である。


あまりいたう泣き給へば、「心苦しき親達をおぼし、またかく見給ふにつけて、口惜しう覚え給ふにや」とおぼして源氏「何事もいとかうなおぼし入れそ。さりともけしうはおはせじ。いかなりとも必ず逢ふせあなれば、対面はありなむ。大臣宮なども、深き契りある中は、めぐりても絶えざなれば、あひ見る程ありなむとおえぼせ」となぐさめ給ふに、姫「いであらずや。身の上のいと苦しきを、しばし休め給へと聞えむとてなむ。かく参り来むともさらに思はぬわ、物思ふ人の魂は、下にあくがるるものになむありける」と、なつかしげに言ひて、


嘆きわび 空に乱るる 我がたまを 結びとどめよ したがひのつま

と宣ふ声、気配、その人にもあらず変り給へり。「いとあやし」とおぼしめぐらすに、ただかの御息所なりけり。


葵の上が、あまり、激しく泣くので、源氏は、葵の上が、気の毒な、両親のことを、思い、また、このような、源氏と我が身の関係を、見るにつけても、残念に思っているのではと、何事も、そんなに酷く思いつめることは、ありません。たとえ、どうなろうと、必ず逢うべき縁のある者、きっと、対面するはずですと、大臣、母宮なども、深い縁で、結ばれているのだから、生まれ変っても、縁は、切れない、また、逢えると、おもって下さいと、慰めると、いえ、そうではありません、私が苦しいので、少し祈祷を、休ませて下さいと、申し上げるためですと、言う。
更に、続けて、葵の上の口から、ここに、こうして、参上しようと思ってはいませんが、物思いする人の魂は、なるほど、体から、さ迷い出るものです、と、懐かしく言うのである。


嘆きのあまりに、空にさ迷い出て、迷う私の魂を、したがいのつま、下前の、褄、着物の裾である、その裾を、結んで、元に戻してください。

と言う。
その気配、雰囲気は、葵の上ではなく、変わっている。
いとあやし、と、源氏は、色々と、考える。
その声や、様子は、まさに、御息所である。


あさましう、人のとかく言ふを、「よからぬ者どもの言ひ出づる事と、聞きにくくおぼして宣ひけつを、目に見す見す、世にはかかる事こそありけれ」と、うとましうなりぬ。「あな心憂」とおぼされて、源氏「かく宣へど誰とこそ知らね。確かに宣へ」と、宣へば、ただそれなる御有様に、あさましとは世の常なり。人々近う参るも、かたはらいたうおぼさる。


驚くべき、ことである。
人が、御息所の、生霊などと、あれこれ言うのを、つまらぬことを、と、思っていた。
源氏は、それを、不快に思い、否定していた。
しかし、目の前に、それを、見て、世の中には、こんなことがあるのかと、不気味に思うのである。
あな心憂、と、思う。
源氏は、そう仰るが、誰なのかが、解りません。はっきりと、名を仰ってくださいと、言うと、全く、御息所の様子であり、あさましとは世の常なり、驚愕するのである。
女房達が、近くに来るのも、きわりが悪いと、思われるのである。


葵の上の、口から、出た言葉は、御息所が話す言葉であった。
文学では、これを、解決出来ない。
葵の上の、潜在意識のゆえである。それは、御息所に対する気持ちが、そうさせる。という、解説が、限界である。

紫式部は、当時、このような、状態を、多々見たはずである。
生霊が、懸って、その人の口から、話し出すという状態である。

これは、死霊の場合もある。

人には、まだ解決出来ない、不思議な世界が、あるのである。

当時の人は、より、自然に近い暮らしをしている。
顕在意識も、潜在意識も、導通することが、多くあったはずである。

潜在意識は、草木にまでも、通じる意識であり、勿論、人の心にも、通じるのである。
生霊とは、人の潜在意識のあり様である。

2009年06月06日

もののあわれについて368

少し御声もしづまり給へれば、「ひまおはするにや」とて、宮の御湯もて寄せ給へるに、かきおこされ給ひて、程なく生まれ給ひぬ。「嬉し」とおぼすこと限りなきに、人にかり移し給へる御物の怪ども、ねたがり惑ふ気配いと物騒しうて、後の事又いと心もとなし。


少し、お声も収まり、葵の上は、よいときも、ありますと言う。
母宮が、薬湯を傍に持ってきて、女房に抱き起こされ、間も無く、お生まれになった。
どなたも、嬉しいと、思うことは、この上もないが、霊媒、よりまし、に、乗り移った、物の怪どもが、口惜しいと、うろたえて騒ぐ様子は、大変に騒がしく、後産のことが、また、気がかりである。

人にかり移し給へる御物の怪
霊媒に、移させた、物の怪である。


言ふ限りなき願ども立てさせ給ふけにや、たひらかに事成り果てぬれば、山の座主、何くれやむごとなき僧ども、したり顔に汗おしのごひつつ急ぎまかでぬ。多くの人の心を尽くしたる日頃の名残少しうちやすみて、「今はさりとも」とおぼす。御修法などは、またまた始め添へさせ給へど、先づは、興あり珍しき御かしづきに、皆人ゆるべり。

言い尽くせないほど、色々な願を立てたせいか、無事に後産も終わり、比叡山の座主や、名のある尊い僧たちは、得意げに、汗をふきつつ、急ぎ退出した。
多くの人が、心を砕いて、看病した、幾日のも心労の後、気持ちも少し治まり、両親も、今はさりとも、もうたいしたことは、あるまい、と、思う。
御修法などは、またまた、御始めになるが、さしあたっては、面白く、珍しい、赤ん坊の、お世話をして、皆、心が、緩むのである。


院をはじめ奉りて、親王達上達部残るなき産養どもの、めづらかにいかめしきを、夜ごとに見ののしる。男にてさへおはすれば、その程の作法、にぎははしくめでたし。


上皇をはじめとして、親王方や、上達部が、残らずお贈りになった、産養、うぶやしない、の、ご祝儀の、珍しく、立派な様を、お祝いの夜ごとに、見て騒ぐ。
御子は、男でいらっしゃるので、産養の作法は、賑やかで、立派である。


かの御息所は、かかる御有様を聞き給ひても、ただならず。かねては、いとあやふく聞えしを、「田平かにもはた」とうちおぼしけり。あやしう、我にもあらぬ御心地をおぼし続くるに、御衣などもただ芥子の香にしみかへりたり。あやしさに、御ゆするまいり、御衣着かへなどし給ひて、試み給へど、なほ同じやうにのみあれば、我が身ながらだにうとましうおぼさるるに、まして人の言ひ思はむ事など、人に宣ふべき事ならねば、心ひとつに思し嘆くに、いとど御心がはりもまさり行く。


かの、御息所は、そのような様子を、聞いて、心が安らかではない。
前は、大そう危ういとの、噂だったが、安産とは、と、思う。
不思議だったこと、自分が解らなくなったことを、月々と思い出す。
お召し物なども、すっかり、芥子の香に、沁みている。
それが、不思議で、髪を洗い、お召し物を、着替えてみるが、変わらず、芥子の匂いがする。
自分の体でさえ、厭わしく思われるのに、世間の人が思ったりすることは、どんなことだろうと、人に話すことが出来なく、一人で、嘆いているので、更に、心が、乱れてゆくのである。

芥子の香は、修法の時に、護摩に焚くものである。その匂いが、着物についているというのである。
当時は、このようなことが、頻繁にあったということだ。
平安時代は、陰陽師の活躍した時代でもある。
生霊、死霊、物の怪、魔物など、不可思議な物の存在があったといえる。

人の心が、純粋であれば、こそ、それらの働きが、明確に、見えたのである。

目に見えない世界である。

大将殿は、ここち少しのどめ給ひて、あさましかりし程の問はず語りも、心憂くおぼし出でられつつ、いと程へにけるも心苦しう、又けぢかう見奉らむには、いかにぞや、人の御為いとほしう、よろづにおぼして、御文ばかりぞありける。


大将殿は、気分も、やや落ち着いて、呆れた、あの時の生霊の、語りも、嫌なことと、思い出した。
御息所にも、ご無沙汰したままであるのが、気の毒だったが、親しくお会いすると、さぞ、嫌気を感じるだろうから、それでは、あの方に、悪い気がすると、お手紙だけを、お出しになった。


いたう患らひ給ひし人の、御名残ゆゆしう、心ゆるびなげに誰もおぼしたれば、ことわりにて、御ありきもなし。なほいと悩ましげにのみし給へば、例のさまにてもまだ対面し給はず。若君の、いとゆゆしきまで見え給ふ御有様を、今からいとさまことにもてかしづき聞え給ふさまおろかならず。ことあひたる心地して、大臣も嬉しういみじと思ひ聞え給へるに、ただこの御心地おこたりはて給はぬを、心もとなく思せど「さばかりいみじかりし名残にこそは」と思して、いかでかはさのみは心をも惑はし給はむ。

大変に、患った方の、病後は、大切であり、油断は出来ないと、誰もが、思っているので、源氏も、もっともだと、忍び歩きも、しないのである。
葵の上は、やはり、大そう苦しそうにしているので、源氏は、平素の対面はされないでいる。
若君の、恐ろしいほどに、美しく見える様子は、今から、大事に育てるという思いが強く、並通りではなく、万事に、思い通りになった心地して、左大臣も、嬉しく、ありがたいと、思う。
ただ、姫君の、気分が全快せず、気がかりである。
あれほど、酷かった病後ゆえにと、思い、いかでかはさのみは心をも惑はしむ、とは、作者の言葉である。
どうして、そんなに、深く心配することがあろう、と言うのである。

というのは、作者が、これから起こることを、知っているからである。
そんなに、心配することはないであろう。が、しかし、何か、あるのである。


例のさまにてもまだ対面し給はず
顔と顔を、じかに合わすこと。

2009年06月07日

神仏は妄想である。225

正統バラモン系統哲学体系を、六つの教え、六派哲学と呼ぶことがあり、それは、サーンキヤ学派、ヨーガ学派、ヴァイェーシカ学派、ニヤーヤ学派、ミーマーンサー学派、ヴェーダーンタ学派と、それぞれ、連動している。

その他には、ことばの形而上学が文法学者によって、唱えられた。

これらの、諸派は、何らかの意味で、ヴェーダー聖典の権威を認め、またバラモンの階級的優越性を認めるゆえに、正統と、考えられている。

ただ、ヴェーダー聖典の教えと、矛盾したことを、説く者もいる。

これに対し、仏教、ジャイナ教、唯物論は、ヴェーダー聖典の権威を認めず、バラモンの社会的優位性も、認めない。
勿論、バラモンからは、そちらの方が、異端として、みなされた。

この、正統バラモン系統の、成立年代は、同一時期ではないが、グプタ王朝前後には、興隆したと、考えられる。

それぞれの、哲学的考察を、見ると、少なからず、仏教の教えにも、影響を、与えているのである。

更に、より、仏教に取り入れられた、学派もあると、いえる。

仏教を、理解するには、バラモンの哲学を、学ぶことも必要である。
何故なら、それらは、互いに影響し合いながら、その教えの、完成度を、高めたからである。

更に言えば、仏教の教えも、それらによって、大きく影響されて、複雑奇怪になっていったとも、言えるのである。

大乗の教えの中に、それらが、交じり込んでいると、考えても、間違いではない。

大乗の成立過程を、理解する上でも、それらの、教養が必要である。

そこで、簡単に、各派の、教えを、俯瞰することにする。

サーンキヤ学派は、ウパニシャドの哲人ウッダーラカの思想を、批評的に改革して、唯一なる、有の代わりに、二つの実体的原理を想定した。

ひとつは、精神原理としての、純粋精神、プルシャとか、アートマンと、呼ばれる。
もうひとつは、他の物質的原理は、根本原理であるが、現象世界の原理であり、未開展者といわれる。

純粋精神は、実体としての、個我であり、原子大で多数存在し、本質は、知、または、思、であるとする。

それは、活動することなく、根本原質を観照するだけである。非活動者といわれる。
それ自体は、常住不変で、純粋清浄であり、生も死も、輪廻も、解脱も、すべて、純粋精神そのもので、本質的関係は無い。

これに対し、根本原理は、本来、物質的で活動性を、有し、純質、激質、いん質という、三つの構成要素を持つ。

この、三つの、要素が、相互に安定しているときは、静止的状態にあるが、純粋精神の観照によって、激質の活動が起こると、開展が、開始される。

その際に、根本原質から、最初に生ずるものを、根源的思惟機能、または、大なるものと、呼ぶ。

それは、確認の作用を本質とする。
精神的な作用の元となるのである。純物質的なもので、身体の一機官である。

次に、根源的思惟機能が、激質によって、開展を起こして、自我意識を生ずる。

これも、純物質的な、一機官であり、三つの、構成要素よりなるが、自己への執着を特質とする。

これが、われが為す、このものは我に属する、これが、我であると、自己本位の見解を持つのである。
この、自我意識は、元来物質的な、根源的思惟機能を、自我と、誤認して、根源的思惟機能と、純粋精神とを、同一視する。
この、自己中心的な自我意識の、誤認が、輪廻を成立させるというのである。
その、自我意識から、更に、十一の機官と、五元素が、生じる。

この、開展から、人間の、感覚、知覚、思考、意欲などの作用は、物質に属するという。
純粋精神は、それらを、照らして、意識させるだけである。
精神には、道徳的、責任は無い。
微細なる、身体が、道徳的、責任を負う。

純粋精神は、本来、純粋清浄なものだが、物質によって、制されているため、この生存が、苦しみとなる。
それは、純粋精神が、根本原質を観照して、物質と、結合している間は、輪廻が、存在するから。

この、輪廻から、離脱するためには、特別の修行をもって、純粋精神を、汚れから、清め、純粋清浄な本性が、現れるようにしなければならない。

解脱の、直接の原因は、智である。

その、智のために、外的な智、ヴェーダ聖典の知識と、内的智、すなわち、純粋精神の、智とを、区別しているが、解脱をもたらすものは、内的智を、得ることである。

解脱の智を得るために、補助的に、ヨーガの修行を勧めている。

だが、その解脱も、根本質料因に起こり、純粋精神には、何の変化もないという。

解脱しても、生存しているのを、生前解脱。
死後、二元が完全に分離して、離身解脱と呼ぶ。

これにより、純粋精神は、独存となり、本来固有の、純粋精神性を発揮する。

実存するものは、二元のみで、創造神とか、主宰神というものを、想定しない。

以上、簡単に、俯瞰した。

この一つを、取り上げても、仏教思想に、大きな影響を、与えていることが、解る。

仏教が、どこまで、仏教のオリジナルかと、言われれば、解らない。
多く、バラモンの教義に、依るものと、思われる。
特に、大乗は、そうである。

2009年06月08日

神仏は妄想である。226

ヨーガ学派は、ヨーガの修行によって、解脱するということを、唱える。

その、根本経典は、ヨーガ・スートラである。
それは、西暦400から450年頃に、編纂された。

ヨーガの起源は古く、インド文明成立とともに、存在していたと、考える。そして、理論体系化されたのが、そのあたりである。

この学派は、仏教の影響も、ある。
しかし、形而上学説は、サーンキヤ学派と、ほぼ同じである。
ただ、最高神を認める点が違う。

最高神は、一個の霊魂である。
それは、永遠の昔から存在する、個我である。多数の霊魂の中で、ただ一つ威力に満ちる。そして、完全性を備えている。一切のものを、支配するが、世界創造は、行わない。

インダス文明初期から、森林樹木の下で、静座瞑想に耽る行為があった。
それは、境地の安楽を楽しむものだった。それが、次第に、宗教的な意味合いが加わり、意思を、制御する方法として、尊重された。

日常の、相対的な、動揺を超えた彼方の境地に、絶対静の神秘境地が、啓ける。その境地において、絶対者と、合一が実現する。
この、修行を、ヨーガと呼び、修行者を、ヨーガ行者と呼び、その完成者を、牟尼と、呼ぶ。

釈迦牟尼とは、釈迦仏陀のことであるが、彼が、静座して、悟った者という意味である。

更に、各学派は、ヨーガの修行を、実践法として、取り入れている。

ヨーガの語義は、心の作用の止滅である。

外部の束縛を離れ、内部の心の動揺を、静める。
五感を制して、誘惑を退け、進んで、心の集中に陥ることである。

そこでは、不殺生、真実、不盗、不淫、無所有という、五戒を定める、制戒があり、内外の清浄と満足、学修と最高神に専念する、内制、座法によって、身体を安定不動にし、呼吸によって、調息する。感覚機能を対象から離して、心をくつろがせる、制感、心を一箇所に、結合させる、総持、そして、静慮によって、念ずる対象に、観念が一致すること、最後に、三昧によって、対象のみが、輝いて心自体は、空になる。
以上を、ヨーガの、八実践法という。

ただし、三昧にも、有想三昧と、無想三昧がある。
有想は、対象の意識を、伴う三昧であり、対象に縛られ、心の作用の、潜在力を持つ。
無想三昧は、対象の意識を伴わない。対象に縛られることなく、そこには、心の作用も無く、無種子三昧とも言われる。

そして、この無想三昧が、真のヨーガであるとする。

プルシャは、観想者として、その自体のうちに安住し、ただ、精神が物質から、完全に、分離するのである。

さて、もう一つの、学派を紹介する。
それは、仏教にも大きな影響を与えたものである。

ニヤーヤ学派である。

ニヤーヤとは、理論、正理という意味である。
後に、論理学的研究一般の、呼称さなり、その本質は、理論をもって、真理を探究することと、考えられた。

仏教では、論理学のことを、因明と、呼ぶ。
方便心論というものが、著された。

ニヤーヤ・スートラは、西暦250年から、350年頃に、編纂された。

ニヤーヤ学派の、形而上学に関する部分は、ヴァイシェーシカ学派と、類似する。

認識の対象は、アートマン、つまり、霊魂と、身体、感官、感官の対象、思考作用、内官、活動、過失、死後の生存、行いの報い、苦しみ、解脱であると、定める。

ヴァイシェーシカ学派と、同じく、無数に多くの原子が、永遠の昔から存在し、不変不滅である。
それを、作り出した第一原因は、存在しない。
それらが、合して、自然世界を成立させている。

元素としては、地、水、火、風、そして、虚空を含めて、五つとする。

アートマンは、身体、感覚作用とは、異なったものであり、別に存在するものである。
アートマンの存在を、積極的に、論証している。
だが、世界主宰神については、若干の異説がある。

この、学派は、仏陀の、教えに近いものがある。

人生は、苦に悩まされる。
それは、人間が生存しているからである。

その人間の生存は、人間が、活動を起こすことから、起こる。それらの、欠点は、誤れる知である。

故に、人間に起こる苦しみの根源を突き詰めてゆくと、結局、誤れる知が、苦しみの起こる、究極の根源である。

この、根本的な誤った認識を、除去し、万有の真実相を認識して、苦しみから、離脱する。これが、解脱である。
解脱に達した人は、輪廻の輪を脱して、何物にも束縛されない。

かかる境地に到達するために、戒律を、守り、ヨーガの実践をする。

この学派が、もっとも力を入れたのは、認識方法と、論争の仕方である。

正しい知識を得るための、認識方法は、四つある。

直接知覚、推論、類比、信用されるべき人の言葉であり、それは、ヴェーダ聖典なども、含まれる。

論証がなされるにあたり、最初に、疑惑がある。
疑惑を解決しようとする、動機が働く。
動機とは、ある目的を目指して、人が働くところの、目的である。

そのためには、世人でも、専門家でも、万人が承認する、実例に基づいて、考察するものである。

そうして、出される見解は、定説として、示される。
それには、一切の学説の承認する定説と、特殊な学説の承認する定説と、他の事項を含む定説と、仮定的な定説がある。

論争に当たっては、五分作法と称する、論式の型で示される。

主張、理由、実例、適用、結論である。

最後に、叙事詩の完成を言う。
バラモンの社会的優位性が認められると、叙事詩も、おのずと、その線に則って、改変された。

西暦400年頃の、マハーバーラタが、ほぼ現形の如くに、まとめられた。

このような、環境にあって、仏教も、影響を受け、また、それらに、影響も与えた。

つまり、仏教を、理解することは、当時の、また、インド社会の、更に、そこから生まれた、様々な思想体系を理解して、はじめて、仏教、更に、大乗仏教というものを、理解できる。

単に、単独に、仏教を理解すると、誤る。

多くの仏教経典を、漢訳した、三蔵法師玄奘は、その、インドの、思想界の中で、様々な、学派を、論破し、ナーランダ一の存在になり、天竺から、当時の、中国、唐に帰国した。

それでは、もう一度、仏教の、変転に戻る。

神仏は妄想である。227

法華経から、遠回りをして、ここまで書いてきた。
ここで、解ることは、空、の思想というものも、解釈によって、多々意味が違うということである。

空、というものの、観念を作り上げるのは、大変なことである。
そして、何故、空、というものを、必要としたかである。

空、というものは、何も無いという状態ではないということが、朧に解ったと、思うが、それは、また、行為によってでなれば、体得できないのかもしれない。
更に、本当は、そんなものは、無いが、有るかの如くに、対応しているともいえる。

無というものが、有と、対立するもので、無という状態は、心の、置き方の問題であることも、解った。

空とは、違い、無とは、単独に存在するものではない。
また、無とは、存在しないということでもない、ということが、解った。

更に、インドの空、無、というもの、中国思想、その言葉によって、一度、解釈されているものを、日本が、取り入れているということである。

漢語に、拘ると、本来の、無、空、という言葉の、意味が、変容する。

老荘思想の、無の境地というものに、近い感覚が、禅でいうところの、無に、近いということも、解ったのである。

だから、日本の仏教という場合は、中国仏教というものが、前提にあるということ。

であるから、仏典が、その、解釈ものが、バラモンの、サンスクリット語によって、書かれることによって、その言葉の観念は、バラモンよりのものとなり、それが、果たして、釈迦仏陀の、教えにあるものなのかという、疑問が起こる。

実に、釈迦仏陀の言葉とは、遠い仏法なるものが、誕生した。

法華経による、久遠実成の仏陀とか、秘密仏教、密教による、大日如来とかは、全く、妄想の産物であり、更に、神格化するなどとは、初期仏教には、無いことである。

真言密教などは、全く、仏教とは言えないものである。
バラモンの呪術の部分を取り出して、大日如来を創作し、更に、仏典を勝手に、解釈して、仏になるなどというのは、大嘘である。

空海によって、日本に伝えられたが、彼は、野心が強すぎる。
しかし、鎌倉仏教の開祖たちは、空海に、束になってかかっても、適わないだろう。

魔の力の強いことと、いったらない。
大魔であり、鎌倉時代の開祖たちは、小魔である。

それらの、流れを汲む仏教愛好者たちである。
程度が、知れる。

時代の風雪に耐えてきたのは、建物であり、その精神は、今は、堕落の一途である。

誰一人、開祖たちの中で、仏になったというものは、いなかった。
今でも、迷い続けている。

どこを、どう探しても、極楽などはないし、更に、阿弥陀如来というのは、地獄から、天国までの、間があり、ただただ、広い宇宙空間が広がるだけ。

仏典に入れ込んだだけ、迷うのである。

久遠の仏という存在も無いので、相変わらず、南無妙法蓮華経と、唱えて、迷い続ける様は、哀れである。

結局、建物の上空に集い、何やら、そこでも、生前のように、侃々諤々である。

中には、指導者もろとも、とんでもない、空間にいて、茫然自失の者もいる。

理屈、言葉遊びに始終した者ども、死んでからも、それを、続けているという様。

我が心の中にある、仏というものを、信じていたが、一切、仏など無かった者は、一体、どうすれば、いいのか。
すべての人の心に、仏性が宿ると、詭弁の最澄は、今頃後悔しているだろうが、後の祭りである。

人の心の中に、仏性など、あるわけが無い。
それは、キリスト教徒が、人は皆、神の子であるというのと、同じ。
人が、神の子であるなどというのは、真っ赤なうそである。

何より、仏や、神など、無いのである。
無いものが、どうして、宿るのか。

信じきれば、救われるという、大ばか者の言葉に、騙されて、ここまで、やってきたが、もう、お終いである。

三蔵法師玄奘は、頭脳明晰で、志高く、天竺に出掛けて、一度覚えたことは、二度と、忘れなかったが、膨大な経典を、持参して、それを、漢訳した。
それが、日本に伝わり、混乱の極みである。

玄奘の、描き出した、仏典の解釈によって、更に、日本仏教は、歪になり、どんでもない、宗教というものに、成り果てた。

仏典解釈が、漢字の解釈となる、という、驚きである。

それは、玄奘の、解釈を探るということで、釈迦仏陀を、探ることではないと、気づかない、アホどもである。

作られた、教え。
人間が作り上げたもの、それは、完全ではない。
しかし、それが、完全であるかの如くに、説くとは、笑止千万である。

中には、それを、取り上げて、仏教は、作られてゆくものであり、今、私の教えが、もっとも、正しいと、新興宗教並みのことを、行う者多数。

いずれにしても、仏教に迷うという、姿は、哀れである。
いや、宗教に迷うということは、哀れである。

宗教というもの、人間の、ファンタジー性が、いかに、高いものであるかということの、現れである。
それは、人間の、大脳化ゆえである。

2009年06月09日

最後の沈黙を破る。7

藤岡の、母親と、私の関係は、実に淡々としたものだった。

時に、私の体調が悪いときなどは、私に、頼っている人なんで、困ると、端的に言っていた。

藤岡曰く、母は、木村さんが、あまり好きではないと。
母は、面食いだから、とも。
要するに、私が、男前ではないということ。

一年間、母が、鎌倉に暮らし、横浜に迎えた日に、食事に出掛けた。
めったに、外に食事に出ない人である。
その一度だけだった。

何度か、誘ったが、もったいないと言い、外食は、しなかった。

その一度だけの、中華料理の店で、母は、とても喜び、はしゃいだ。
支払いの時に、私に、高かったじゃろうと、心配していた。

買い物に出た時も、一度だけである。
冷蔵庫が、壊れて、私と藤岡と、母と、三人で、冷蔵庫を、買いに出た。

その時も、大変、喜んだ。
大型のものを、買って、大喜びだった。

私が、カードで買うと、そんなんで、買えるの、と、心配した。

藤岡が亡くなる一年ほど前から、母の様子に変化が、出ていた。
痴呆である。
しかし、藤岡も、気づかなかった。
ただ、時々、私に、母親は、大丈夫だろうかと、私に、尋ねるようになった。
私は、その度に、大丈夫と言っていた。

年金を貰うと、一週間で、使ってしまうと、言った時は、私も、心配した。
藤岡が、毎週、五千円ずつ、渡すことにしたという。
そして、毎朝、算数のドリルを、させることにすると、言った。
ボケ防止である。

だが、行きつけの、内科医は、見抜いていた。
後で、知るのだが、カルテに、認知症と、書いていた。
それが、ホームに入る時に、助けになった。

藤岡は、その医者に、告げられていなかったのだが、ある日、母を、藤岡が、連れてゆくと、入院しますかと、言われたと、私に告げた。
そんなこと、何言ってんのーと、思ったと、藤岡は、言ったが、先生は、認知症に関しての、アドバイスだったと思う。

私は、それに、一切、触れなかった。
藤岡は、母が、認知症になっても、僕が世話をすると、言っていた。

勿論、現実的には、それは、無理である。
世話をするとなると、歌など、やっていられない。

藤岡が、生きている間は、まだ、それでも、緩やかに、推移した。
しかし、事故である。

あの日から、母は、急激に、認知症が悪化した。
それは、哀しみからの、脱出である。

あの日から、ホームに入るまでの、時間は、私の、悪夢である。

毎朝、食事を持って、部屋に言った。
ほんの目の先の、マンションであるから、安心していた。

雨の降る夜に、警察から、連絡が入った。
母が、荷物を抱えて、歩いていると。

徘徊である。

深夜、零時を過ぎていた。

部屋に連れて、戻り、何事もなかったかのように、風呂に入った。
私は、それを、見届けて、戻った。

翌日、伺うと、夜のことを、忘れていた。
更に、今、宣男ちゃんは、出掛けていると、言った。

もう、完全に、過去を、忘れた。

遺骨も、あれは、誰なのかと、問うようになる。

それから、私は、迅速に行動した。
実に、三日で、ホームに入ることが、出来たという、僥倖だった。

順番待ちだった、ホーム長と、面接した時、私は、部屋にあった、お金を、すべて、握り締めて、即座に、入居金を、払いますと言った。
ホーム長は、兎に角、明日の朝、連絡するということで、母を、病院に連れた。

しばらく、入院という考えだったが、二日入院して、そのまま、ホームに入居である。
私は、一人で、母の引越しをした。

最初、ホームの部屋で、どうして、私は、ここにいるのかと、問うが、私は、国が、お世話をしてくれるとだけ、話した。

こんな良い所、高いじゃろうと、言うので、大丈夫、すべて、無料なんだよと、安心させた。

兎に角、良いホームに入居して、本当に、安心し、感謝した。

その間、一週間である。
ハイスピードでの、決着。

区役所の、担当の方に、こんなことは、初めてだと、言われた。皆さん、順番を、待つ間に、病院で、亡くなりますと言われた。

藤岡が、関与していると、思うしかなかった。

最初の頃は、週に一度、逢いに行った。
そして、一緒に、散歩した。

記憶が、前後して、昔の話を、聞いた。

藤岡は、生きていることになっていたが、それも、一年を過ぎると、忘れた。

死ぬほど、辛い記憶を、忘れるという、機能が、脳にあることを、感謝した。

私の、親は、弟家族と、暮らす、二世帯家族であり、近くには、妹家族もいて、実に、親密に、付き合いをしていた。
弟と、妹に、実の親を、見てもらい、私は、藤岡の母を、我が母と思い、世話をする。
それで、良い。

父の死も、妹、弟が、しっかりと、サポートして、家族全員で、看取った。

私は、タイ、チェンマイで、父の死を知り、通夜も葬儀にも、出なかった。
そして、妹の死の時も、マニラに出掛けていた。
通夜も、葬儀も、出なかった。

この家族に、私は、育てられて、今、藤岡の母を、大切にしている。
元は、他人である。
しかし、藤岡宣男を、通して、その母を、我が母と思うことが出来る。
これは、人間の特性である。

赤の他人というのは、実は、いないのであるということ。
関わりにより、他人が、他人ではなくなる。

勿論、世の中には、親を捨てる人も、多々ある。
だが、それはまた、因果応報なのである。

昔の人の、言い方をすれば、お天道様が、見ている。
これを、霊学で言うと、先祖、祖先が見ているということになる。

太陽は、祖先の象徴だった。
太陽崇拝は、祖先崇拝である。

勿論、私は、藤岡の母を、看取り、更に、その遺骨も、藤岡と共に、奉る。

そして、それは、二人にとって、良いことである。
何故なら、私は、日本の伝統に、則り、太陽崇拝をし、御親、総称して、天照大神に、祝詞を、献上するからである。

太陽は、どこに出掛けても、照る。
天照る存在である。

私は、藤岡と、亡き人たちに、日に、三度、燈を灯す。
あちらの、世界に、私の燈が、灯る。

藤岡の母を、伺うと、すでに、魂の大半が、あちらに、出掛けている。
それで、いい。

藤岡と、語り合っているかもしれない。

脳を、機能させているのは、気である。
気とは、魂の、一つの、働きである。

心も、魂の働きである。

内臓も、魂の一つの働きである。

肉体も、魂の一つの働きである。

魂を、タマと、呼んで、尊んだのが、日本の伝統である。

タマ乞い、タマ振り、タマ鎮め、そして、タマ懸りである。

気尽きれば、死す。
肉体は、死す。

タマは、上昇する。

タマ上げである。

タマは、カムであり、死は、カム上がりである。
漢字で、書くと、崩、となる。

カムアガリと、読む。

実に、豊かな、日本のタマの、伝統である。

私は、それを、知っている。

2009年06月10日

最後の沈黙を破る。8

馬鹿は、死んでも治らないとは、昔の人の言葉である。

だが、それは、今も昔も、変わらない。

死後の世界、つまり、魂の世界のことを、無いと判断する者が、死ぬと、突然、焦る。

死んだ肉体を見て、俺は、どうしたのだと、焦る。
そして、身内に、語りかけるが、通じない。
口無しであるから、誰も、気づかない。

そして、通夜、葬儀である。
それを、呆然として、見ている。

俺は、ここにいる。私は、ここにいると、大声で、叫んでも、誰にも、聞えない。

死後の世界は無いと、信じているから、自分の状態が、解らない。

それで、通夜や、葬儀に来た人に、強制的に、知らせるために、事故などを起こさせて、教えるが、下手をすると、その事故で、死ぬ親族もいる。

そうなると、連鎖的に、続くことになる。

量子力学、物理学では、霊界の存在について、相当なところまで、解っている、はずである。だが、すべてを、公開出来ない。
衝撃が、大きすぎるからだ。
更に、宗教の否定につながり、そういう学者は、狂信の信仰者に、殺される。

植物でさえ、切り取った後には、そこに花が、あったという、残像が残る。
勿論、それは、自然消滅する。

人間も、同じである。
残像が残る。
しかし、自然消滅するほど、進化していない。

残像は、霊である。
私は、それを、霊位と呼ぶ。

そして、残像は、この世に残れば、幽霊である。

最も、大切なものは、想念である。
この、想念が、霊位であり、霊界入りするのである。
つまり、死は、霊界に生まれる、戻るのである。

ところが、霊界に、スムーズに行くのではない。
その前に、現世の清算をするため、要するに、人生の、まとめと、反省をするために、幽界に、出向く。
出向く霊位は、よいが、霊というものは無いという、馬鹿が、幽界にも、行けない。

それで、浮遊する。

肉体が骨になると、その骨の周囲で、うろうろしたり、墓の周囲で、おろおろする。
それならば、まだ、いい。
しかし、馬鹿は、騒ぐ。

俺は、ここにいると、叫んで歩く。しかし、誰も、気づかない。
仏壇で、拝まれているのを、見ても、死を自覚しない、馬鹿である。

馬鹿は、死んでも、治らないのである。

その点、宗教を信じていた人は、大半が、本部の建物や、その、宗教の建物の、上空にて、そこを、天国や、極楽だと、思いこんでいるから、まだ、害はない。

しかし、幽界にも、行かない。行けない。

彼らに、最初に言うことは、あなたは、死んでいることが、解るかということである。
解らないという霊は、それを、理解させるまで、説く必要がある。

すると、生前、死ぬことを、学んでいなかったので、死の学びが必要である。
到底、やっていられないのである。

巷の、霊能者は、彼らを、幽界にも、送れないでいる。
では、何をしているのかといえば、居場所を、変更しているだけである。

部屋の整理に、あちらのものを、こちらに、というようなことをして、はい、除霊しました、浄霊しましたと、言う。
そして、大枚な、料金を取る。

まして、お経を読んで、霊が、幽界に行けるものではない。
お経の意味も、知らないのである。

昔は、その音の力により、幽界まで、押し上げた、僧侶もいたが、今は、大半が、寝惚けた、読経であるから、詮無いこと。

読経は、教えを、暗記するための、方法であり、霊の供養など、するものではない。
更に、供養という意味も、全く意味合いが、違う。
供養とは、生きている人にするものであり、死者にするものではない。

かろうじて、回向という行為は、あるにはある。

回向とは、死者を思い出し、黙祷することである。

自業自得の世界が、宇宙であるから、死者のために、何事かをしても、死者自身が、行わなければ、どうしようもないのである。

私が、戦争犠牲者の追悼慰霊を、行うのは、供養でも、回向でもない。
言えば、黙祷である。

そして、語り掛けである。
日本に、お戻り下さい。
靖国に行きたい方は、靖国に、故郷に戻られたい方は、故郷に、である。

そこで、霊位の意識を、ワープして貰うのみ。
私は、幽界にも、上げられないことを、知っている。

故郷に戻る霊位は、自ら、死を悟り、死後の世界へ、目指すのである。
それを、促す行為が、私の追悼慰霊である。

救うなどいう、僭越行為は、無い。

その地に、留まり、未だに、戦争をしている霊位もいる。
死んだ意識無く、未だに、戦っているのである。

実に、哀れである。

勿論、死んだら、何も無い、無になると、言う人に、私は、何事かを説くことはしない。

この世が、有で、あの世が無という、相対的な、考え方に気づいていないのである。
アホである。

無という、世界があるということを、言うのであるが、アホだから、無、とは、何も無いと、信じている。

霊界には、無、という、空間もある。
別名、地獄と、言う人もいる。

本当に、何も無い空間。
想像出来ない。
想像すると、狂う。

だから、そこに行く人は、狂っている。

人間は、すぐに、死ぬ。
だから、別に説明する必要は無い。

説明しているのは、商売の宗教団体である。
旅行会社の、死後のツアーのような業務を、行っている。

しかし、それを行う人も、知らないから、行って見て、仰天する。

下を見ると、自分とおなじような人が集う、宗教施設の上空なのである、から。

終わっている。

2009年06月11日

性について66

バーバラの目的は、以下の通り。

オーガズムと、射精は同時に起こるとは、限らない。二つは、まったく、別の現象であり、別々に、楽しむことができる。

無射精のオーガズムには、射精をともなうオーガズムに、劣らない、快感がある。場合によっては、型どおりのオーガズムより、快感が強い。

無射精のオーガズムは、勃起状態を損なわないので、そのまま、セックスを続けることができる。

最初の、オーガズムのあとも、すぐに二度目のオーガズムに達することができる。その気になれば、三度目、四度目も可能である。

まさに、セックス革命である。

型どおりの、オーガズムしか、知らない男から、マルチプル・オーガズムを知る男に、変身するというのである。

そして、それの、ポイントは、強い、PC筋を的確に使うことである。
つまり、PC筋の強さに、自信の無い人は、最初の、エクササイズに戻り、PC筋を鍛えることである。

さて、引き続き、エクササイズを、続ける。

目的が、解ったのであるから、それを、得たいと思う人は、最後まで、続けるべし。

さまざまな興奮状態のレベルにピークさせる要領がわかったら、今度はPC筋を使ってピークさせることを学びましょう。強いPC筋は、ききのいいブレーキのような働きをします。つまり、車のスピードをブレーキで制御するように、PC筋で興奮状態を制御するわけです。
バーバラ

しかし、それだけではない。
強いPC筋は、興奮状態を、制御するたけではなく、オーガズムに伴う、射精にブレーキをかけることができるのである。

次の、エクササイズは、ピークで、PC筋を収縮させて、レベルを下げる方法を身に付けるものである。

この、エクササイズの、難しさは、興奮レベルを下げるときの、PC筋の収縮のさせ方に、三通りあるということである。

それは、
一度だけ、強く、収縮させる。
中ぐらいの強さで、二度、収縮させる。
立て続けに、すばやく、軽く、収縮させる。
以上である。

この、三つの、効果に違いは無い。
人により、最も、効果的な方法がある。
それを、身に着けるために、三種類の方法を、試してみる必要がある。

ペニスの、勃起状態を、損なうことなく、興奮レベルを下げるというもの。

まず、一人用の、エクササイズ。
要領は、前回のエクササイズと、同じ。
横たわるか、椅子に腰掛ける。ゆったりとして、気持ちを落ち着け、潤滑クリームで、性器を触る。
ペニスをゆっくりと、擦り、興奮レベルを、上げる。

まず、レベル4に、ピークさせる。
今回は、ピークさせてからも、手の動きを続ける。
刺激を中断させないのである。

その代わりに、PC筋のブレーキを使う。

三通りの、どれかを、試してみる。
そして、大きく、ゆっくりと、一呼吸かけて、深呼吸する。
さらに、手の動きを止めて、全身の筋肉を、リラックスさせる。

興奮状態を、レベル2まで、下げる。
手で、ペニスを刺激していても、PC筋の収縮により、興奮状態に歯止めをかけるのである。

更に、続けて、レベル6にピークさせる。
ペニスに触れながら、興奮状態の様々な、感覚に気持ちを、集中させる。
レベル6に達しても、刺激は、続ける。
そして、PC筋を、収縮させて、刺激を中断して、興奮レベルを、4まで、落とす。

さらに、15分から、20分かけて、同じように、いくつかの、レベルにピークさせる。

ここで、マスターすることは、
レベルが、高くなるほど、大きく、長い、深呼吸が必要であること。
レベルが高くなるほど、より強い、PC筋の収縮が必要になること。

レベル9にピークさせたときは、かなり長く、思い切り、PC筋の収縮が必要になる。
そして、大きく深呼吸し、興奮レベルを、9のまま、維持すること。

性的興奮を、自分で、コントロールするという、画期的な方法である。

単に、流れるままに、性的興奮に、身を委ねて、自己満足の、セックスに陥らないということである。
勿論、マスターベーションのみの、性的快感を、求めるならば、必要ないことである。

パートナーと、より深く、性的快感と、快楽を楽しみ、さらに、愛情を深めるために、である。

そして、大切なことは、我慢することではない。
さらに、感覚を、麻痺させて、セックスを長引かせるというものでもない。

その間、十分に、快感を楽しみ、セックスを、楽しむのである。

飽くなき性の追求が、外ではなく、うちに向かうのである。
これは、ベティ・ドットソンの、セルフラブの精神にも、似るものである。
更に、これは、古代から、一種の、精神的瞑想法の、一つに、取り入れられたものでもある。
それの、現代版である。

性について67

パートナーと共に、PC筋を使って、興奮レベルをピークさせる、エクササイズ。

仰向けに横たわり、ゆったりとした気持ちで、潤滑クリームを使い、パートナーに性器を刺激してもらう。
口を使っても、よい。

パートナーは、あくまでも、自分の喜びのために、触れているということ、である。
相手のことを、喜ばせるためではないということを、パートナーは、意識すること。

レベル4に達したら、PC筋を収縮させ、深呼吸をする。
パートナーが、刺激を続けていても、興奮状態は、制御されるはず。

深呼吸を終えた頃合を、見計らって、パートナーは、性器への刺激を中断させる。

パートナーが、刺激をやめたら、興奮レベルを、二つ落とす。
完全に、レベル2まで、下がったら、パートナーに伝えて、刺激を再開する。

次に、興奮状態を、レベル6にピークさせる。
達したら、PC筋を収縮させ、深呼吸をして、刺激を中断させ、興奮レベル4まで、落とす。

このようにして、レベルを、7,8にピークさせて、PC筋の、有りようを知る。
レベルが高くなれば、PC筋を、強く収縮させる必要がある。

さて、もう少し、刺激的な、エクササイズは、実際のセックスを取り入れて、行うもの。

パートナーの刺激で、ペニスが勃起したら、ペニスの挿入を取り入れてみる。
つまり、ヴァギナに挿入しつつ、エクササイズを、行うもの。

その際に、理想的な、体位がある。

女性は、仰向けになる。腰や背中に、枕を置いてもよい。
次に、両脚を無理の無い程度に開き、天井に向けて、高く上げ、膝を曲げる。
男性は、女性の、脚の間に、両膝をつく。
腕ではなく、両膝と、お尻で体重を支える。
男性の、重心が、腰にあることが、重要。

この姿勢は、男性の筋肉の緊張を、最小限にとどめる。
エクササイズを、リラックスして、行えるのだ。

この姿勢で、ペニスを、ヴァギナに挿入する。

そうして、ペニスを挿入して、腰を回転させたり、前後に動かす。
体は、あくまでも、リラックスしたままである。
特定の筋肉を、緊張させないこと。

感覚を集中させる、エクササイズだということを、忘れないこと。

パートナーのヴァギナの内側をペニスでなでるようなつもりで動きながら、その感触を味わいます。今このときに、気持ちを集中させます。相手を悦ばせよう、とは思わず、自分の快感のことだけ考えてください。何か他のことを考えそうになったら、ゆっくりと気持ちを切り替え、ペニスの感覚に改めて気持ちを集中させます。
バーバラ

パートナーも、自分の感覚だけに、気持ちを集中させる。

腰を動かしつつ、レベル7にピークさせる。
レベル7に達したら、PC筋を収縮させて、ブレーキをかける。
三種類の、ブレーキの収縮法の、いずれかで、一番合う方法を、見つけること。

パートナーに、レベル7を伝え、ペニスを挿入したまま、興奮状態を、2レベル下げる。

レベルが落ちたら、再び腰を動かし、レベル8を目指す。
そして、8にピークしたら、PC筋を収縮させて、動きを止め、ペニスは、挿入したまま、興奮状態を、2レベル落とす。
つまり、レベル6になる。

そして、エクササイズを、終わりにすることも、そのまま、オーガズムを体験してもいい。

ただし、興奮状態をピークさせるには、挿入よりも、性器を手で刺激される方が好きな人は、その方法で、やるとよい。

ペニスをヴァギナに挿入するに当たって、相手を、喜ばせるために、しているのではないということ。
これは、エクササイズであるということ。

さて、いよいよ、マルチプル・オーガズムに、近づいてきた。

最後の、材料がある。
されを、プラトーと呼ぶ。
ピークを、持続させた状態である。

今までは、ピークを、一秒とか、二秒の短いピークだったが、それを、五秒とか、十秒、更に、二十秒と、持続させることを、プラトーと、呼ぶ。

あっという間の、ピークではなく、持続したピークを、楽しむというのも、セックスの楽しみ方である。
勿論、それは、マルチフル・オーガズムの前段階である。

それは、マスターベーションにも、生かされる。
ピークした快感を、持続させて、楽しむ方法である。

射精を遅らせて、楽しむという、方法は、無意識的に、行っている場合が多々ある。
また、年齢が高くなると、それを、繰り返して楽しみ、射精は、何度かに一度という、楽しみ方もある。

ちなみに、セックスも、マスターベーションも、脳の老化を防ぐために、とても、良い方法である。
脳刺激を、ペニスで、行うのである。
細胞を活性化させるためにも、セックスは、実に良い方法である。

性欲に、興味がなくなることを、何か、人間を超越したかのような気分にさせるが、生きている証拠が、欲望であり、更に、それを、利用して、生き生きと生きることは、当然の、ことである。

欲望は、恵みであり、それを、克服して、超人になっても、詮無いこと。
欲望を罪という意識で、捉える、宗教という、観念は、誤りである。
それは、単に、宗教の支配欲に、他ならない。
性欲は、罪ではないが、支配欲は、罪と定めてもいいものである。
支配欲は、悪である。
罪や、悪は、宗教にこそ、言えるものである。

2009年06月12日

もののあわれについて369

若君の御まみの美しさなどの、東宮にいみじう似奉り給へるを、見奉り給ひても、先づ恋しう思ひ出でられさせ給ふに、忍び難くて、「参り給はむ」とて、源氏「うちなどにも余り久しう参り侍らねば、いぶせさに、今日なむうひだちし侍るを、少し気近き程にて聞えさせばや。余りおぼつかなき御心の隔てかな」と、恨み聞え給へれば、人々「げにただひとへにえんにのみあるべき御中にもあらぬを、いたう衰へ給ヘリと言ひながら、物越しにてなどあるべきかは」とて、臥し給へる所に、おまし近う参りたれば、入りて物など聞え給ふ。御いらへ時々聞え給ふも、なほいと弱げなり。

若君の、目元の愛らしさなどが、東宮様によく、似ている。
それを、ご覧になるにつけても、自然、誰よりも、東宮を恋しく思い、じっとしていられなく、参上しょうと、思う。
源氏は、御所にも、あまり、長く参らず、気がかりで、今日は、初めて外出しようと思い、それでは少し、そば近くで、妻と話がしたいと、思います。このままでは、他人行儀なので、気になります。と、妻との会話を申し出る。
人々は、本当に、そうです。ひたすら、思わせぶりをしている、間柄では、ありません。
お元気でないとはいえ、お会いになるのが、よろしいと、言う。
源氏は、妻が、臥せている、部屋に入り、妻の傍近くの座について、お話をする。
それに対して、答えられるが、いっそう、弱々しげである。

今日はなむうひだちし侍るを
はじめて、立ち出る、という意味。

げにただひとへにえんにのみあるべき
げに ただ ひとへに えんにのみ あるべき
えんにのみ、とは、恋人同士の、澄ました雰囲気のこと。

物越しにて などあるべきかは
屏風や、凡帳を、隔てること。それを、しないのである。
おまし近参りたれば
傍近くにて、である。


されど、むげに亡き人と思ひ聞えし御有様をおぼし出づれば、夢のここちして、ゆゆしかりし程の事どもなど聞え給ふついでにも、かのむげに息も絶えたるやうにおはせしが、引きかへし、つぶつぶと宣ひし事ども、おぼし出づるに心憂ければ、源氏「いさや、聞えまほしき事いと多かれど、まだいとたゆげにおぼしためればこそ」とて、源氏「御湯参れ」などさへあつかひ聞え給ふを、いつ慣らひ給ひけむと、人々あはれがり聞ゆ。

されど、つまり、全く、亡き人と、思えた時の、様子を思い出してみると、夢のような、気持ちがする。
酷かった時のことを、お話することでも、全く、息が、絶えたようであったことが、打って変わり、細々と、お話されたことなどを、思い出すと、嫌な気持ちがする。
源氏は、いや、お話したいことは、沢山ありますが、まだ、大変そうですから、今度にしましょう。と言い、お薬を、召し上がれと、お世話をするのを、侍女たちは、いつ覚えられたのかと、感心するのである。

ゆゆしかりし程の事ども
死んでしまうかと、思えた。

まだいとたゆげにおぼしためればこそ
まだ いと たゆげに おぼし ためれば こそ
まだ、大変、辛そうだ。大変そうだ。だるそうだ。と、見えるのである。

いとをかしげなる人の、いたう弱り、損はれて、あるかなきかの気色にて臥し給へるさま、いとらうたげに心苦しげなり。御髪の、乱れたる筋もなく、はらはらとかかれる枕の程、ありがたきまで見ゆれば、「年頃何事を飽かぬ事ありて思ひつらむ」と、あやしきまでうちまもられ給ふ。源氏「院などに参りて、いととうまかでなむ。かやうにて、おぼつかなからず見奉らば嬉しかるべきを、宮のつとおはするに、心なくやと、つつみて過ぐしつるも苦しきを、なほやうやう心強くおぼしなして、例のおましどころにこそ。あまり若くもてなし給えば、かたへは、かくもものし給ふぞ」など、聞えおき給ひて、いと清げにうちさうぞきて出で給ふを、常よりは目とどめて見出だして臥し給へり。

大変、美しい人が、酷く弱り、憔悴する様は、生きているのかどうか、解らない状態で、寝ているのは、大変に可憐である。
痛々しい。
御髪は、乱れ毛、毛一筋とても、無く、はらはらと枕にかかる様の風情は、類ない程である。
源氏は、長年の間、この人の、どこに、不足を、感じたのかと、不思議なくらいに、じっと、妻を、見つめた。
源氏は、院などへ、参上して、早々に退出してきます。このようにして、お会い申し上げていましたら、何も気になることもなく、嬉しいのですが、母宮様が、お傍においでなので、不躾と思い、遠慮していました。
やはり、だんだんと、元気を出して、いつもの、お部屋に、移ってください。
母宮が、あまり、子供のように、扱われるので、このようになってしまうのかも、しれません。
などと、いいおきて、大変、美しい、装束をつけて、お出ましになる。
それを、妻は、いつもより、目を留めて、見送りつつ、臥している。

ありがたきまで見ゆれば
髪の乱れのさま、はらはらとして、枕にかかるという、風情を、たぐいなき、に、見るという。
もののあはれ、の、風情である。

あやしきまでうちまもられ給ふ
不思議に思うほどに、見つめている。
どうして、この人に、不足を感じていたのか。
そう、源氏は、自問自答するのである。
二人の不仲の原因は、何だったのか。
それは、作者、紫式部も、よく解らないのである。
そのような、縁であったというしか、言いようがないのである。

説明できないことは、説明しないで、いい。


秋の司召あるべき定めにて、大殿も参り給へば、君達もいたはり望み給ふ事どもありて、殿の御あたり離れ給はねば、皆ひきつづき出で給ひぬ。

秋は、定期異動がある。
秋は、中央官の移動で、司召という。つかさめし、である。
春は、地方官の移動で、県召、あがためし、という。

秋の、定期異動の決定される日であり、左大臣も、参内される。
ご子息たちも、懸命に、望まれることあり、父の大臣の傍を、離れない。
みな、引き続いて、お出ましになった。

源氏と、葵上は、ここで、ようやく、夫婦らしい会話をする。
ここ、ここに至ってである。
そして、葵上は、子を生んで、亡くなる。

葵上が、亡くなることで、作者が、表現したいものは、何か。
ここに、日本人の、死生観の、あはれ、というものを、観ることになる。

もののあはれ、は、死生の、あはれ、でもある。

2009年06月13日

もののあわれについて370

殿のうち人ずくなにしめやかなる程に、にはかに例の御胸をせきあげて、いといたう惑ひ給ふ。うちに御消息聞え給ふ程もなく、絶え入り給ひぬ。足を空にて、誰も誰もまかで給ひぬれば、除目の夜なりけれど、かくわりなき御さはりなれば、皆事破れたるやうなり。


邸内は、人が少なく、物静かである。
その折に、葵上は、急に、いつものように、胸がこみ上げて、たいそう、酷く苦しまれる。
宮中に知らせる間もなく、息が絶えてしまった。
足も、地につかない、有様で、どなたも、どなたも、宮中から、退出された。
除目の夜だったが、このように、どうしようもない様であり、行事は、すべて、台無しである。

葵上が、亡くなったのである。
たえ入りたまひぬ
この、一行で、死を言う。

わりなき御さはりなれば
わりなき
やむをえぬ、どうしようもない、ことである。
御さはり
障り、障害である。

事破れたるようなり
予定の行事が、出来なくなったのである。

ののしり騒ぐ程、よなかばかりなれば、山の座主、何くれの僧都達も、え請じあへ給はず。「今はさりとも」と思ひたゆみたりつるに、あさましければ、殿の内の人、ものにぞあたる。所々の御とぶらひの使ひなと、立ち込みたれど、え聞えつがず。ゆすりみちて、いみじき御心惑ひども、いと恐ろしきまで見え給ふ。


大騒ぎの、時刻は、夜半過ぎである。
山の座主や、誰彼という、僧都たちも、呼ぶことが、出来なかった。
今は、もう、大丈夫と、安心していたところ、意外なことになり、御殿の内の人は、度を失って、物にぶつかっている。
方々から、ご弔問の、使いなどが、続々と入り込んで、取次ぎもせずに、上を下への、大騒ぎである。
身寄りの人の、悲しみなどは、怖いと言うほかない状態である。

御物の怪の度々取り入れ奉りしをおぼして、御枕などもさながら、二三日見奉り給へど、やうやう変はり給ふ事どものあれば、限りとおぼし果つる程、誰も誰もいといみじ。


今まで、物の怪が、度々入り込んで、気絶したことを、思い出して、枕などを、そのままにして、二三日、様子をご覧になるが、だんだと、変わり行く事なので、今は、これまでと、諦める頃、誰も彼も、全く、言いようも無い思いである。


大将殿は、悲しき事に事そへて、世の中をいと憂きものに思ししみぬれば、ただならぬ御あたりの御とぶらひどもも、「心憂し」とのみぞなべて思さるる。院におぼし嘆き、とぶらひ聞えさせ給ふさま、かへりておもだたしげなるを、嬉しきせもまじりて、大臣は御涙のいとまなし。人の申すに従ひて、いかめしきことどもを、「生きやかへり給ふ」と、さまざまに残ることなく、かつ損はれ給ふ事どものあるを見る見るも、尽きせず思し惑へど、かひなくて日頃になれば、「いかがせむ」とて、鳥辺野にいて奉る程、いみじげなる事多かり。

大将殿、つまり、源氏は、悲しいことの他に、嫌なことまであったゆえに、男女の情を、嫌なものと、身にしみて、思いになった。
並々ならず、思う方々からの、ご弔問も、嫌な思いをするばかりである。
院に、おかせられても、お嘆き遊ばして、ご弔問される様子は、かえって、面目を施すことなので、うれしいことも、相まって、大臣は、涙の乾く間もない。
人が申し上げるのに従い、厳粛な、祈祷などを、生き返ることもあろうかと、思い、様々と、試みる。
また、一方では、遺体が傷んでゆくこともあり、どこまでも、迷うが、その甲斐もないまま、幾日にもなるので、この上は、仕方がないと、鳥野辺に、お送りされることになる。
道々、見ていられないことが、多いのである。


これから、源氏の、嘆きが、始まる。
源氏物語の、ひとつの、テーマである。
死生観である。

もののあはれ、というもの、人の死をもって、極まる。

もの
それは、人である。
それは、
あはれ、である。

死によって、あはれ、という心象風景が、決定する。

これ以上でも、以下でもない、日本人の、心象風景である。

紫式部は、それを、源氏の心境として、細々と、書き付ける。
実に、読み応えのある、場面である。

2009年06月14日

もののあわれについて371

こなたかなたの御送りの人ども、寺寺の念仏僧など、そこら広き野に所もなし。院をばさらに申さず。后の宮、東宮などの御使ひ、さらぬ所々のも参りちがひて、あかずいみじき御とぶらひを聞え給ふ。大臣はえ立ち上がり給はず。左大臣「かかるよはひの末に、若く盛りの子に後れ奉りて、もこよふこと」と、恥ぢ泣き給ふを、ここらの人悲しう身奉る。

あちこちから、弔いの人々が、やってきて、寺の念仏の僧などで、あれほど広い野原に、隙間が無いのである。
院からは、申すまでもなく、皇后や、東宮などかも、お使いがあり、その他の、諸方からの使いも、代わる代わる参上して、残り多い人生であったとの、悲しみに満ちた、弔いの言葉である。
大臣は、立ち上がることも出来ず、このような、高齢になって、若い盛りの子に、死なれて、遅れて、這いずり回ることと、恥じて泣かれる。
大勢の人が、それを、痛ましく、拝見する。

もこようこと
うごめくこと。蠢く。
古語である。

よもすがらいみじうののしりつる儀式なれど、いとはかなき御屍ばかりを御名残にて、暁深く帰り給ふ。常の事なれど、人一人か、あまたしも見給はぬ事なればにや、たぐひなくおぼしこがれたり。八月廿日よ日の有明なれば、空の気色もあはれ少なからぬに、大臣のやみにくれ惑ひ給へるまさを見給ふも、ことわりにいみじければ、空のみながめられ給ひて、

源氏
のぼりぬる 煙はそれと わかねども なべて雲居の あはれなるかな

殿におはし着きても、つゆまどもまれ給はず。年頃の御有様をおぼし出でつつ、「などて、つひにはおのづから見なほし給ひてむと、のどかに思ひて、なほざりのすさびにつけても、つらしと覚えられ奉りけむ。世を経て、うとく恥づかしきものに思ひて過ぎ果て給ひぬる」など、くやしきこと多くおぼし続けらるれど、かひなし。にばめる御衣奉れるも、夢のここちして、「われ先立たましかば、深くぞ染め給はまし」と、おぼすさへ、

限りあれば うすずみ衣 あさけれど 涙ぞそでを ふちとなしける

とて、念誦給へるさま、いとどなまめかしさまさりて、経しのびやかに読み給ひつつ、「法界三昧普賢大士」とうち宣へる、行ひなれたる法師よりは、けなり。若君を見奉り給ふにも、「何にしのぶの」と、いとど露けけれど、かかる形見さへなからましかばと、おぼしなぐさむ。


一晩中、大変な騒ぎの中で、君、源氏は、まことに儚い、ご遺骸だけを残して、暁深くに、帰られる。
世の常のことであるが、君は、今までに、一人か、そこらあたりと、沢山の体験は無い。
この上もなく、亡き人を、恋しく思うのである。
八月二十日あまりの、有明の頃である。
空の様子、心打つ風情が少なくない中、大臣が、子を思う心の闇に、途方に暮れている様子を、ご覧になるにつけ、それはもっともなこと、痛ましいと、空ばかりを、眺めるのである。

源氏
空へ立ち上った、火葬の煙は、雲と一緒になり、どの雲か、それは分からないが、空が、しみじみと、胸に迫るものだ。

大臣邸に、着いても、少しも、眠られない。
年来の、有様を、思い出し、どうして、自然と、考え直されるのだろうかと、暢気に構えていたのか、少しの、浮気心で、辛いと、思わせてしまった。
生涯を通して、親しみのない、気のおけるものと私を思い、亡くなってしまった、などと、後悔されること、次々と、浮かぶのであるが、それも、何にもならないこと。
鈍い色、にぶいろ、の、お召し物を、着たということにつけても、夢のような、心地である。
もし、私が先に死んだら、もっと、濃い色に、染めるだろうと、思うことも、耐えられず、

源氏
喪服には、規定がある。妻の喪に着る、薄墨の喪服は、色は浅いが、涙が溜り、深い淵となってしまった。

と、念誦される。
その様子は、ひとしお優雅であり、経を低くお読みになり、法界三昧普賢太士と、唱えている様は、勤行に慣れた法師より、優れている。
若君を、ご覧になるにつけ、何に偲ぶと、ひとしお涙を、流し、もし、この形見がなければ、と、思い、心を慰める。


源氏の、後悔は、甚だしい。
亡き後に、こそ、今まで考えなかったことを、考える。

妻の喪は、喪服が薄い色。夫の喪は、色の濃い喪服である。

たぐひなくおぼしこがれたり
たぐひなく おぼし こがれたり
大変に、深く辛く、亡き人を、焦がれるのである。
人が人に、焦がれる思いを、また、もののあはれ、という、心象風景に観るのである。

宮はしづみ入りて、そのままに起き上り給はず。危ふげに見え給ふを、又おぼし騒ぎて、御祈りなどせさせ給ふ。はかなう過ぎ行けば、御わざのいそぎなどせさせ給ふも、おぼしかけざりしことなれば、つきせずいみじうなむ。なのめにかたほるをだに、人の親はいかが思ふめる。ましてことわりなり。またたぐひおはせぬをだに、さうざうしくおぼしつるに、袖の上の玉の砕けたりけむよりも、あさましげなり。

母宮は、沈みきって、そのまま、起き上がらない。
命も、危なげに見える。
それを、心配し、騒いで、ご祈祷などを、させる。
日にちが儚く、過ぎて行く。
法要の準備なども、することを、考えていなかった。思いもかけないことで、いつまでも、悲しくおもうのである。
平凡な、つまらない子でさえ、人の親ならば、どのように、思うか。
まして、姫を、深く思うのは、無理もないこと。
その上、他に、姫君がいらっしゃらないことが、寂しいと、思っていたのである。
袖の上の、玉が、砕けたということよりも、思いがけない思いである。


まただくひおはせぬをだに、さうざうしくおぼしつるに、袖の上の玉の砕けたりけむよりも、あさましげなり

これも、また、もののあはれ、である。

袖の上の玉の砕けたりけむより
袖の上の、玉とは、心の有り様である。
心の有様が、砕けたのである。
それよりも、辛い思いを、人は、生きている。

夫を、亡くした、紫式部は、心底、それを、思うことが出来る。
まさに、彼女自身の、経験である。
それを、投影する。

そして、源氏の、日々が綴られる。

2009年06月15日

もののあわれについて372

大将の君は、二条の院にだに、あからさまにも渡り給はず。あはれに心ふかう思ひ嘆きて、行ひをまめにし給ひつつ、明かし暮らし給ふ。所々には、御文ばかりぞ奉り給ふ。かの御息所は、斎宮の左衛門の司に入り給ひにければ、いとどいつくしき御清まはりにことづけて、聞えも通ひ給はず。憂しと思ひしみにし世も、なべていとはしうなり給ひて、「かかるほだしだに添はざらましかば、願は式さまにもなりなまし」とおぼすには、先づ対の姫君の、さうざうしくてものし給ふらむ有様ぞ、ふとおぼしやらるる。夜は、御帳の内に一人臥し給ふに、宿直の人々は、近うめぐりて侍へど、かたはらさびしくて、「時しもあれ」と、寝覚めがちなるに、声すぐれたる限り、えり侍はせ給ふ、念仏の暁方など忍び難し。


大将の君、源氏は、二条の院にも、少しの間も、お越しにならない。
しみじみと、心のそこから、亡き人を偲び、嘆いて、仏前の勤めを心を込めて、なさりつつ、日々を送る。
あちらこちらからの方々には、お手紙だけを、差し上げる。
御息所は、斎宮が左衛門の司に、入られたので、いっそう、厳重な御潔斎にかこつけて、文通もしない。
嫌なことだと、思い込んでしまった、世の中も、今は、一切が厭わしく、こういう足手まといでも、新たにできなければ、念願の出家の姿にも、なろうと、思う。
ただ、西の対の、姫君、紫の上が、寂しくしているだろうと、自然、姿が、浮かぶ。
夜は、御帳台の上に、一人で、お休みになると、宿直の女房たちが、傍近くに、取り巻いて、控えているが、身の回りが、物足りなく、時もあろうに、この秋に別れとは、と、寝覚めがちである。
声のすぐれた、僧を選んで、傍に置くが、その念仏する暁方などは、耐え難い思いである。

時しもあれ
古今集 紀友則がみまかりける時よめる
忠岑
時しもあれ 秋やは人の 別るべき あるを見るだに 恋しきものを


深き秋の、あはれまさりゆく風の音、「身にしみけるかな」と、ならはぬ御独寝に、明かしかね給へる朝ぼらけの霧りわたれるに、菊のけしきばめる枝に、濃き青鈍の紙なる文つけて、さし置き往にけり。今めかしうもとて見給へば、御息所の御手なり。御息所「聞えぬ程はおぼし知るらむや。

人の世を あはれときくも 露けきに おくるる袖を 思ひこそやれ

ただ今の空に思ひ給へあまりてなむ」とあり。「常よりも優にも書い給へるかな」と、さすがに置き難う身給ふものから、「つれないの御とぶらひや」と、心憂し。さりとて、かき絶え音なう聞えざらむもいとほしく、人の御名の朽ちぬべき事をおぼし乱る。「過ぎにし人は、とてもかくてもさるべきにこそはものし給ひけめ。何にさる事をさださだとけざやかに見聞きけむ」と悔しきは、我が御心ながらなほえ思し直すまじきなめりかし。斎宮の御清まはりもややややや煩はしくなど、久しう思ひ煩ひ給へど、わざとある御返りなくは、「なさけなくや」とて、紫のにばめる紙に、源氏文「こよなう程経はべりにけるを、思ひ給へおこたらずながら、つつましき程は、さらばおぼし知るらむやとてなむ。

とまる身も 消えしもおなじ 露の世に 心おくらむ ほどぞはかなき

かつはおぼしけちてよかし。御覧ぜずもやとてこれにも」と聞え給へり。

深い秋の、あはれの増さる風の音が、身にしみることである。
慣れない、独り寝に、明かす朝ぼらけ。
一面に、霧の立ち込める折、菊の咲きかけた枝に、濃い青にび色の紙の手紙を、見つけた。置いていったものだろう。
気がきいていると、ご覧になると、御息所の筆跡である。

御息所
お便り申し上げない間のことは、お分かりになりますか。

あの方の、生涯をしみじみ、気の毒だと、聞くにつけても、涙が流れます。
死に遅れた方の、涙の袖は、いかばかりかと、お察しします。

ただいまの空の様子に、抑えきれず、お便りしました。とある。

いつもより、更に素晴らしい書きぶりだと、さすがに下に置きかねて、ご覧になる。
しかし、しらじらしい、ご弔問であると、嫌な気持ちがする。
だが、ぷっつりと、途絶えて、便りしないというのも、気の毒で、それでは、あの方の名が廃れるであろうと、思案する。
亡くなった人は、どの道そうなるはずの運命だったという気がする。ところが、何故、あんなことを、明確に見聞きしたのだろうかと、悔しい気がするのは、我が心である。
やはり、御息所への、気持ちを、改めることが、出来ないようである。
斎宮の御潔斎に対して、憚るべきではないかなどと、長い間、ためらっていたが、わざわざの手紙に、返事をしなくては、愛想がないことになりはしないかと、にび色がかった、紫の紙に、この上なく、ご無沙汰してしまいましたが、いつも、気にかけていますが、喪中につき、遠慮している間のことは、お分かりくださるでしょうと、存じます。

生き残る身にも、死んだ者にも、同じく、露のように儚い世です。
執着の心を持つことは、儚いことです。
私は、未練も執着も、持っていませんので、あなたも、執着の心を、お忘れになってください。喪中の手紙は、ごらんにならないこともあろうかと、思い、この手紙も、申し上げたいことをやめました。と、申し上げた。

御息所は、書の名手である。
源氏の故意のはじめは、御息所の、かな書を見てからのことである。


里におはする程なりければ、偲びて見給ひて、ほのめかし給へる気色を、心の鬼にしるく見給ひて、「さればよ」とおぼすも、いといみじ。


御息所は、お里に出掛けるときだったので、それを、こっそりと見て、書かれていることが、良心の呵責で、はっはきりと解る。
やはりそうだったのかと、思うのも、大変、辛い。

心の鬼
良心の呵責である。

「なほいと限りなき身の憂さなりけり。かやうなる聞えありて、院にもいかにおぼさむ。故前坊の、同じき御はらからといふ中にも、いみじう思ひ交しきこえさせ給ひて、この斎宮の御事をも、ねんごろに聞えつけさせ給ひしかば「その御かはりにも、やがて身奉りあつかはむ」など、常に宣はせて、「やがてうち住みし給へ」と、たびたび聞えさせ給ひしをだに、いとあるまじき事と思ひ離れにしを、かく心よりほかに若々しき物思ひをして、つひに浮き名をさへ流し果てつべき事」と、おぼし乱るるに、なほ例のさまにもおはせず。


わが身の、不運の酷さのせいだ。
このような噂が立ち、院におかせられても、どのように思われるだろう。
故前坊は、同じ腹の兄弟の中でも、お二人は、大変睦まじく、思いあっている。
この斎宮の、事も、懇切に、ご依頼したので、故前坊の、御代わりとしても、お世話しようと、いつも仰り、このまま宮中に、御住みなさいと、たびたび、仰せられていたのさえ、そんなことは、してはならないと、思っていた。だが、このように、思いのほかに、若々しい気苦労をして、はては、浮名を流してしまいそうだと、煩悶する。
やはり、気分は、普通ではない。

御息所の、心境である。

若々しき物思い
源氏との、恋愛関係である。

浮き名をさへ流し果てつべき事
源氏に捨てられることである。


さるは、大方の世につけて、心にくく由ある聞えありて、昔より名高くものし給へば、野の宮の御うつろひの程にも、をかしう今めきたる事多くしなして、「殿上人どもの好ましきなどは、朝夕の露分けありくをその頃の役になむする」など、聞き給ひても、大将の君は、「ことわりぞかし。ゆえは飽くまでつき給へるものを。もし世の中に飽きはてて下り給ひなば、さうざうしくもあるべきかな」と、さすがにおぼされけり。


しかし、社交などでは、奥ゆかしく、教養があるとの、評判である。
昔から、有名でいらっしゃる。
野の宮に、移られる折にも、趣深く、気のきいている事を、色々いとなさり、殿上人たちの、風流好みの者など、朝夕の露を、踏み分けて、野の宮に、通うのを、その頃の、仕事としているなどを、聞くにつけても、大将の君は、もっともなこと。趣味は、嫌になるほど、持っている。もし、私との事が、嫌になり、伊勢に下ったら、きっと、寂しくなることだろうと、さすがに、思われる。

源氏の、思いである。

大方の世につけて
恋愛関係を離れて、という意味。

朝夕の露分けありくを
紫野を、朝夕に訪問する。

2009年06月24日

神仏は妄想である。228

グプタ王朝の、集権的国家体制が、バラモン教思想を主軸として、思想の固定化、体系化を目指していた情勢に応じて、伝統的、保守的仏教諸派も、体系化を目指した。

更に、当時の、公用語である、サンスクリット語を採用したのである。

幾多の書が作成されたが、後世、もっとも、重要視されたのは、ヴァスバンドゥ、つまり世親の、書だった。

更に、大乗仏教も、哲学思想は、あったが、理論体系をもたなかった。
グプタ王朝に入り、体系化するに至ったのである。

サンスクリット語にての、著作であり、学派が確立する。

中でも、特出したのは、唯識説である。
中観哲学は、諸々の事物、つまり、諸法の空であることを、種々の論法によって、論証したが、体系的哲学説を持たなかった。
そこで、現実存在が、何故、かくのごとき、秩序に従い、成立しているのかと、その所以を、一定の体系的原理に基づき、組織的に、説明したのが、唯識派である。

唯識派を、ヨーガ行派ともいう。
ヨーガの行によって、唯識の理を観ずるからである。

唯識派の開祖は、マイトレーヤーである。
後世の、伝説により、弥勒菩薩と、同一視された。

マイトレーヤーの教えを受けて、唯識説を組織的に、論述したのは、アサンガ、つまり、無著である。

先の、ヴァスバンドゥは、アサンガの、弟であり、小乗を研究して、倶舎論を著したが、後に、アサンガの指導により、大乗に帰依し、多数の著書を著した。

唯識説は、人間の現実存在を構成している諸々の法は、実有ではなく、実相は、空である。
しかし、無差別一様な空という、一つの原理に従い、一定の秩序ある現実の差別相が、現れることはない。
諸々の法が、現にあるごとく、成立するためには、それぞれ空に裏付けられた、原因がなければならない。
それを、種子、しゅうじ、と呼ぶ。
種子とは、法を生ずる可能性である。
可能性は、それ自体、有でも、無でもなく、空である。
客体的なものではなく、純粋の精神作用、すなわち、識である。
それは、分別して、知る働きである。

万有は、識によって、顕現したものにほかならないとして、唯識を主張する。

外界の対象は、夢の如きであり、実在しないものである。
識の分別により、仮に映し出されたものである。
この動きを、識体の転変という。

識体が転変して、三種の識を成立させる。
第一に、アーラヤ識であり、根本識と呼ぶ。
一切の諸法の種子による。

第二に、思量の働きを成す、マナ織である。
アーラヤ識を、よりどころとして、それに依存して起こる。
アーラヤ識を対象として、我執を起こす。
我見、我疑、我慢、我愛を伴い、これによって、汚され、染汚意と、称する。

第三に、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識の六識であり、それぞれ、色、声、香、味、触、法を認識するというもの。

人が、自己の対象を、空と悟り、実在するものを、認めない場合は、心は、唯識性に住する。

その、究極の、境地において、無心であり、無得である。
その境地は、生死と、ニルヴァーナとが、異なったものではない。
そのいずれにも、住しない。
それは、真如の智慧、般若を有するゆえに、生死に、住しないのである。

そして、慈悲を有するがゆえに、衆生を救うことに努め、ニルヴァーナに住することもない。

このような、理屈を延々として、考え続けたのであるから、驚く。

如来蔵思想というものがある。
唯識説と似る。

凡夫の心のうちに、宿る、如来たる可能性を持って、如来蔵という。

その、観念に基づき、衆生の迷いと悟りを、成立させるという、説を唱える思想である。

これが、日本の仏教に、大きな影響を与えたと、思われる。

大乗とは、衆生心である。
心に、如来の本姓が宿るという、思想で、日本仏教の説教が、ここから、出る。

心の本来の面は、あらゆるものの、総体である。
不生不滅という、絶対の世界と、生滅するという、相対世界とが、一体をなしていて、同一でも、異なるものでもない。それを、アーラヤ識という。

いずれにせよ、当時の、バラモンの、思想的体系に、対抗して、出来上がったものである。
互いに影響を与えたことは、歴然である。

それを、進歩発展というのか、屁理屈というのか。

ただ、仏教は、バラモンの階級的差別に関しては、徹底抗戦したようである。

つまり、平等主義である。
これだけは、評価できる。

グプタ王朝以降の、動きについては、いずれまた、進めることにする。

再度、法華経に戻り、書き続けることにする。

唯識についても、また、登場させて、議論したいと、思う。
空の思想から、何故、慈悲の思想が出るのか、それが、疑問である。

随分と、それは、飛躍していると思うが、空が、何故、慈悲を生ずるのか、である。

2009年06月25日

神仏は妄想である。229

さて、法華経、如来寿量品第十六という、経典には、インド人の、驚くべき、数の世界が、書かれている。

結論から言うと、勿論、こけおどしである。

これまでおっしゃった無量無辺の世界というのは、「無限の空間」のことでした。それは、じつは「無限の時間」のことをおっしゃるための前提だったのです。
庭野日敬

この人は、本当に、無限という言葉の、意味を知っているのだろうか。
単なる観念として、使用しているのである。
悟ったつもりになれば、いくらでも、そう思うことが出来る。

信じる者は、騙される。

この世界を粉にして、それを一粒ずつ置いていった世界というのさえ、もはや考えることもできない広大無辺のものだったのに、こんどは、その微塵を置いた星も、一粒置くために通過した五百千万億那由他阿僧祇という星を全部合わせてすりつぶし、微塵とした数というのですから、こうなるともう数というものではなく、絶対というほかはありません。
庭野日敬

絶対、無限ということを、言いたいがために、そういう解き方をしたというのである。
釈迦が、である。
違う。釈迦ではなく、インド人の、妄想である。

ごひゃくせんまん おく あそうぎこう
という、長い年月という、アホ振りである。

無限の過去と、表現する、庭野さんである。

無限の過去から、無限の未来に存在する、仏という、化け物を、説明しているのである。

こんな、化け物に、救われると、言われて、はいそうですかと、答えられるものだろうか。
それは、すべて、人間の想像した、妄想した、世界のことである。

見ることも、聞いたこともない、架空の話を、信じて、お任せして、救われるのは、どこの、話だろうか。

彼ら、宗教団体の、救いというのは、その仲間を増やせということである。
一人から、二人、そして、三人と、増やしていきなさい。
そうすれば、お金になります。
金が集まれば、大きな建物も、建てられます。
教祖一家の生活も安泰です。
楽に暮らしてゆけます。
と、どうして、言えないのか。
それを、救われるという、詭弁にして、信者に言わせる。

人間は、人間を救うことは、出来ないのである。
それを、釈迦仏陀は、はっきりと、言明している。

すべては、自業自得である。

驚くべきことは、多々あるが、庭野さんは、こうも書く。

当時インドでいちばん勢力のあったバラモン教の神々、自国天、増長天、広目天、毘沙門天といったような諸天も、やはり仏の教えをきいて救われる衆生のうちであり、また人間より神通力のすぐたれ存在であっても、その神通力をもって仏法を守る善神として認めておられるのです。
庭野日敬

これは、認識不足も、いいところである。

それが、今では、バラモンから、移行した、ヒンドゥー教によって、釈迦も、一人の神にされているのである。

更に、インド魔界の神々を、取り入れて、善神、仏を、守る神々として、拝み奉るのは、日本だけである。

神も、仏を守るという、考え方は、日本でも起こった。
だが、それは、正式の日本の、カムではない。
あくまでも、インドの神々である。
そして、それらは、日本で、呼ぶところの、神、カムではない。

甚だしいのは、本地垂迹という、考え方まで、現れた。
つまり、仏は、日本の神の姿を取るというものである。

神の本当の姿は、仏なのであるといもの。
空海は、大日如来を、天照大神と、重ねた、非道振りである。

物事を、分析することに、長けたインド人であることは、認めるが、しかし、それは、ひとつの思想であり、それを、信じるというのは、全く、別の問題である。

インド思想史を、見回してみれば、思想というものも、どんどんと、進化発展してゆくのである。

この、仏教、更に、法華経の言葉の世界に、人が迷うと、そこから、抜けられなくなる。
あたかも、知ったと、勘違いする。

何も、事は、変化していないのに、である。

面白いのは、信心というものの、種類まで、考えていることである。
信根、精進根、念根、定根、慧根の、五個があるという。

そうして、分析をして、どんどんと、その迷いの世界に、脅して入れるのである。

結果は、完全、心が、それらに、侵略される。
洗脳以上の力である。

もう、そこからしか、ものが考えられないのである。

一度、信じさせてしまえば、楽なもので、次から次と、新しい言葉を与えて、迷わすのである。
こういう、教えというものを、学び、覚えても、糞の役にも立たないのであるが、何かの役に立っていると、思い込み、更には、救われると、信じる様は、実に、哀れである。

そして、結果は、どうだ。
皆々、死ぬ。
死ねば、口無しである。
口無しであれば、その後のことは、聞くことが出来ない。
つまり、宗教、ぼろ儲けである。

悲惨すぎる。

ちなみに、庭野さんは、仏に成ったと、表明したのか。
悟りを得て、菩提に入ったと、宣言したのであろうか。

一人の開祖も、誰一人として、我、仏になれり、と、宣言した者は、いないのである。
こういうのを、説き逃げという。

釈迦仏陀、死んだ。
開祖も、死んだ。
すべての、理屈を築いた者も、死んだ。
さて、どうして、本当の事が、解るのか。

更に、彼らは、霊界の何処にいるのか。
誰も、知らない。
その、信者も知らない。

見たところ、宗教家の大半は、あくどいだけであり、世のためには、何も、利益が無いのである。
それは、すべての宗教に、言えることである。

最後の沈黙を破る。9

前回、霊的なこと、霊界について、書いた。
それで、もう少し、書くことにする。

というのは、神仏は妄想である、という、エッセイでは、書き足りなく、実は、まだまだ、書きたいことがある。

そこで、このエッセイで、少し、そこでは、書けないことを、書く。

霊能という、能力がある。
霊感と、然り。
それを、主にして、教えを伝える人や、宗教団体がある。

多くの、宗教の創立者は、大半が、一度は、霊能や、霊感に、触れている。そのうちに、それが必要なくなり、教えのみに、移行して、物を書く。

伝え続けて、30年という、ベンジャミン・クレームという、イギリス人に関して、少し書く。

大いなる接近という、タイトルで、出した本が、反響を呼んだ。
それに、共感した人々が、伝道瞑想なる、集会を持っている。

私は、否定はしないが、批判する。

何でも、彼は、ヒマラヤ山脈の霊界からの、キリスト・マイトレーヤーとか、大師と言われる霊からの、メッセージを伝えているという。

土台は、キリスト教と、仏教系の、混合した、教えであるが、きわめて言えば、キリスト教に母体を置く。

愛と、分配の法則云々とは、まさに、キリスト・イエスの、教えに順ずる。

彼は、多くの世界の状況を、予言して、その通りに、世界が、動いているという、信じる人が言う。

世界を、予言して、当てている人は、世界に大勢いる。
何も特別なことではない。
しかし、彼が、霊とか、神に近い者から、メッセージを受けているということが、ポイントである。

世界の貧困や、経済格差などの、解決を求める人々に、メッセージをいう、傲慢極まりない、発言は、単なる、妄想の瞑想を、冗長させるだけであるとは、考えていない。
つまり、祈りは、聞かれると、発信する。

更に、神人が、世界の人に、直接的に、メッセージを送ると、言い続けて、今も、それが、成されない。つまり、彼が、その、神人なのであろう。

それか、彼は、夢を見ているのかもしれない。

幼児期の、脳のままであることも、考えられる。

先進国の人に対する、分かち合いの精神により、云々というが、それは、多分に政治的行為にある。

それを、瞑想により、つまり、祈りにより、成すというのは、単なる、気休めである。

人類は、地球という、ひとつの惑星に住む、兄弟姉妹であり、云々とは、アシジのフランシスコの言葉である。

何も、特別なことではない。

世界全体が、相互に深く関わっているという事実に、気づくべきである、云々も、当たり前のことである。
それが、彼に、メッセージを与える霊的存在の、云々となると、人は、信じるという、不思議である。

結果、メッセージを、発信しているのは、彼自身なのである。

目新しい、メッセージは、何も無い。
更に、オリジナルは、何も無い。

覚者方との、協力により、温暖化や、大気汚染、放射能の影響も中和できる、テクノロジーの出現を可能にするとの示唆であるが、そんなことは、当たり前のことであり、どこに、覚者方が、出てくるのか。

更に、温暖化、大気汚染というが、もし、地球が、それを、避けるとするならば、地球は、自ら、そのように、働くのである。

彼が、大師たちの、メッセージを、受け取っているとしたら、あまりに、ポーズの付け過ぎである。

それなら、仏陀が、集う弟子たちに、生活指導をした方が、実際的である。

大袈裟すぎる。
つまり、ヒマラヤ山脈の霊界は、いつも、大袈裟に、メッセージなるものを、与えるのである。

信じる人は、偉大なる、霊に、そして、瞑想という、よく解らない、祈りの、方法に、取り入れられているだけである。

更に、奇跡の水などという、愚かな真似は、レベルの低さに、笑う。

新しい、社会運動という方が、すんなりくるのである。

キリスト教世界や、日本のように、宗教感覚曖昧な場所に、受け入れられるものであり、到底、全世界に、メッセージを、送るという、代物ではない。

瞑想は、祈りである。
祈りは、行為である。

ユリゲラーという、超能力者という、者が、その能力で、世界の核を消滅させ得ると、言っていたが、その後は、何も無い。
単なる山師であったと、思える。

ベンジャミン・クレームの、小粒な活動をしている人は、大勢いる。
日本でも、山のようにいて、出来れば、大きな集団になりたいと、目指している。

気功と、瞑想によって、世の中を良くするとか。

すでに、神人は、イギリスに、日本にも姿を持って、現れているという。
是非とも、全世界に向けて、メッセージを発してもらいたいものだと、思う。

すでに、世界の中で、それらの神人は、活動しているという。
そいう、言葉も、単なる、戯言に、聞こえる、彼の、メッセージである。

何故なら、今までに、そういう、予言や、メッセージを発した人は、実に多い。

ちなみに、ヒマラヤ山脈の霊界は、あまり、良い霊的存在を有していない。
こけおどしが、多いのである。

一応、大いなる接近、に期待しておく。

2009年06月26日

最後の沈黙を破る。10

カウンターテナー藤岡宣男という、天才声楽家と、私は、毎日過ごしていた。
その私は、彼を知る、唯一の人間である。

何故なら、私たちは、ほぼ、毎日のように、喧嘩をしていた。
ことごとく、合わないのである。

しかし、何故、私と一緒にいるのかと、尋くと、藤岡宣男は、必ず、楽しいから、と、言った。
それには、絶句した。

疲れると、私に寄り添うのである。
そう、彼は、私が、磁石のように、人の気を取ることを、知っていた。

二人で、鉢植えを買って、疲れを取るために、両手をあてていると、その鉢植えは、一週間も持たずに、枯れた。

つまり、藤岡宣男も、霊媒体質だったのである。

そして、彼は、実に男気のある男だった。

藤岡宣男の、歌を、部屋で聴くのは、私には、大変なことである。
それを聴けば、様々と思い出し、今でも、聴くことが、出来ない。
だから、ホールにて、彼の歌を流し、無造作に聴くことにしている。

更に、記録録音の、原盤を、時間と、お金をかけて行っている。
最初から、藤岡の、録音を担当としくれた、プロの方である。

いずれ、しっかりとした、藤岡宣男の生きた証として、公開するためである。

今は、だが、まだ、その時ではない。
色々な、法律的問題もある。
すべてが、収まるには、死後、10年ほど経てからである。

私は、一年祭に向けて、どのように、するのかという提言を行った。しかし、誰からも、何の反応も無かった。
それで、去る者は、日々に疎し、という言葉を思い出した。

ところが、である。
ある日、私は、藤岡の、想念を感じた。

私の妄想であると、言ってもよい。
藤岡は、私に、木村さん、僕のために、何もしなくていいよ、と、言うのである。

その意味を、私のみが、理解できる。
つまり、藤岡の潔さである。

あの、バッハでさえ、自分の作曲したものを、次から次と、捨てていた。
残ったのは、それを、拾い集めた、奥さんの、労である。
死後、50年後に、それが、公開され、演奏されて、注目を集めた。

要するに、表現者は、その時、なのである。
その時の、表現で、終わる。
実に、潔い。

踊りの名手は、踊り終えると、すぐに、次の踊りはと、考える。
終わったものは、過ぎたもので、捉われることがない。

だから、芸術活動は、素晴らしい。
勿論、自然に残るものもある。
文芸などは、書き物であるから、残る。
しかし、それが、千年も、二千年も、読まれるか、である。

もう、僕は、この世に、捉われていない、という、藤岡のメッセージである。

どうでも、いいことなのである。
生きたという、ことだけで、足りる。

だが、まだ、生きている私は、そうは、言われても、残すべくの、努力をする。
それは、私のもう一つの、表現だからだ。

生きているということは、我が生きているのであり、他が生きているのではない。

何かのためにという、大義があっても、それは、私のためなのである。
誰のためでもない、私のためである。

それは、私という、存在から、私が、遊離することがないからである。

結果は、わが身のためである。
だから、藤岡宣男の、歌を残すという行為も、藤岡のためではなく、私のために、行うことなのである。

僕のためにすることは、ないよ、と言う藤岡は、もっともで、もう、すでに、終わったからである。
終わったことに、ぐずぐす、捉われていない。すっぱりと、捨てている。

だから、いい。

後は、私が私のために、藤岡の歌を、残すという、段取りである。
それが、私の生きる意味になる。

余裕、ぶっこいて、悠々として、それを、実行する。

もう、あれこれと、言わない。
ただ、実行するのみである。

膨大な、記録録音がある。
几帳面な藤岡は、すべてを、録音していた。
その、練習までも、である。

私は、書いた小説を、平気で、捨てていた。
それは、私のために書いたものであり、他のために書いたものではないし、価値のあるものとも、思わない。
すべて、自己完結しているのである。

そして、それは、私には、潔いのである。

多次元の世界から、この次元の世界を見たら。
それは、想像も出来ない世界である。
しかし、確実に、死ぬから、確実に、それを、見ることが出来る。

多次元の世界から、この次元を見れば、あまりの、不完全さに、愕然とするであろうことは、解る。

また、不完全であるから、面白いともいえる。

ああ、藤岡宣男に逢いたいと、思う。
もう、随分と、逢っていない。

慰め、励まし、喧嘩し、怒り、様々な、感情を二人で、爆発させた。そんな関係を、築くのは、大変なことである。
どうでもいい人には、そんな感覚も、起きない。

どうでもいい人は、どうでもいいのである。

目の前に、多くの人がいても、どうでもいい人だと、それは、無いものと、同じである。

ああ、藤岡宣男に逢いたいと、思う。

もののあわれについて373

御法事など過ぎぬれど、正日まではなほ籠りおはす。ならぬ御つれづれを心苦しがり給ひて、三位の中将は常に参り給ひつつ、世の中の御物語など、まめやかなるも、又例のみだりがはしき事をも、聞え出でつつ慰め聞こえ給ふに、かの内侍ぞ、うち笑ひ給ふくさはひにはなるめる。大将の君は、「あないとほしや。おばおとどの上ないたう軽め給ひそ」と、いさめ給ふものから、常にをかしとおぼしたり。かのいざよひのさやかならざりし、秋の事など、さらぬも、様々のすきごとどもを、かたみにくまなく言ひあらはし給ふはてはては、あはれなる世を言ひ言ひて、うち泣きなどもし給ひけり。


ご法事などは、すんだけれど、正日までは、まだ、お籠りになる。
生まれてはじめての、所在無い、生活を、心に留めて、三位の中将が、常に、参上する。
世間の話などをして、また、いつもの、女の話などを、されて、慰められるのだが、あの、典侍が、笑いの種になるようである。
大将の君は、ああ、可哀想に。おばあさまのことを、馬鹿になさるなと、話を止めるが、いつものように、面白がる。
あの、十五夜の月の清かでなかった折や、秋のことなど、そうではない事も、色々な浮気心の数々を、互いに打ち明ける。
あげくは、儚い、浮世のことを、言い合い、泣いたりするのである。

かたみにくまなく
何もかも、打ち明ける。


しぐれうちして、ものあはれなる暮つ方、中将の君、鈍色の直衣指貫、うすらかに衣がへして、いとををしうあざやかに、心は恥づかしきさまして参り給へり。君は、西の妻戸の高欄におしかかりて、霜枯の前裁見給ふ程なりけり。


時雨が降り、なんとなく、しんみりとした、夕暮れである。
中将の君が、鈍色の直衣と、指貫とを、薄い色のものに、衣替えして、大変男らしく、すっきりと、こちらが、恥ずかしくなるような、姿をして、参上された。
源氏は、西の妻戸の、高欄にもたれて、霜枯れの、庭を、見ていらっしゃるところであった。

風荒らかに吹き、しぐれさとしたる程、涙もあらそう心地して、源氏「雨となり雲とやなりにけむ。今は知らず」と、うちひとりごちて、つらづえつき給へる御さま、「女にては、見捨ててなくならむ魂、必ずとまりなむかし」と、色めかしきここちに、うちまもられつつ、近うつい居給へれば、しどけなくうち乱れ給へるさまながら、紐ばかりをさし直し給ふ。これは、今少しこまやかなる夏の御直衣に紅のつややかなる引きかさねて、やつれ給へるしも、見ても飽かぬここちぞする。中将も、いとあはれなるまみにながめ給へり。


風が、荒々しく吹きつけ、時雨が降った風情は、涙も、競うかの如くである。
源氏は、雨となり、雲となりけり。今は、知らずと、独り言を言う。
頬杖をついている様子は、もし、自分が、女の身であり、先立って死んでゆくとしたら、魂は、きっと、この世に、留まるだろうと、色気ある心地で、じっと一点を見つめつつ、近くに、座られた。
君は、しどけなく、つくろぐ姿で、紐だけを、直す。
源氏は、中将より、少し色の濃い、夏の直衣に、紅のつやつやとした、下襲をさ重ねて、地味にしているが、見ても、飽きないのである。
中将も、しんみりとした、目つきで、空の風情を見つめている。

どうも、この部分は、同性愛的、雰囲気を、醸し出す。


中将
雨となり しぐるる空の うき雲を いづれの方と わきてながめむ

ゆくへなしや」と、ひとり言のやうなるを、
源氏
見し人の 雨となりにし 雲居さへ いとどしぐれに かきくらす頃

と宣ふ御気色も、浅からぬ程しるく見ゆれば、「あやしう、年頃はいとしもあらぬ御志を、院など居立ちて宣はせ、大臣の御もてなしも心苦しう、大宮の御方ざまに、もて離るまじきなど、かたがたにさしあひたれば、えしもふり捨て給はで、ものうげなる御気色ながら、ありへ給ふなめりかしと、いとほしう見ゆる折々ありつるを、まことにやむごとなく重き方は、ことに思ひ聞こえ給ひけるなめり」と、見知るに、いよいよ口惜しう覚ゆ。よろづにつけて光失せぬるここちして、くんじいたかりけり。


中将
雨となり、時雨れる空の浮雲は、そのどれを、亡き妹の雲と、見分けるのかと、眺める。

行くへが、解らないことだと、独り言のように言う。

源氏
亡き妻の、雲となり、雨となってしまった空までも、時雨で、いっそう、暗くなる、今日のこの時。

と、仰る様子は、深い追憶の程が、伺える。
妙なことだ。長年、大して、深くない愛情ゆえに、院などから、仰せがあり、父大臣の、もてなしも気にして、大宮は、離れられない、血縁関係があるので、方々に、差し障りが、あり、可哀想に思われることもあったが、本当に、頑として、動かぬ地位の妻として、特別扱いだった、と分かると、いよいよ、残念に思われる。
万事につけて、光が、消えうせた感じがすると、中将は、妹の死を悼む。

枯れたる下草の中に、竜胆、撫子などの、咲き出でたるを折らせ給ひて、中将の立ち給ひぬる後に、若君の御乳母の宰相の君して、

源氏
草がれの まがきに残る なでしこを わかれし秋の かたみとぞ見る

におひ劣りてや御覧ぜらるらむ」と、聞え給へり。げに何心なき御えみがほぞ、いみじう美しき。宮は吹く風につけてだに木の葉よりけにもろき御涙は、ましてとりあへ給はず。

大宮
今も見て なかなか袖を くたすかな 垣ほ荒れにし やまとなでしこ


枯れた、下草の中に、リンドウや、撫子、などが、咲いている。
それを、折らせて、中将が、立ち去った後、若君の、乳母が、宰相の君を、使いにして、

草枯れの、垣根に残る、撫子は、母を亡くして寂しくする幼児を、死に別れた、形見と思って見ています。

母親より、色が色が劣っていると、思いですかと、大宮に、申し上げる。
無心の、笑顔は、大そう可愛らしい。
大宮は、吹く風につけてさえも、木の葉よりも、ひとしお、もろい涙で、君のお手紙を、開いて、いっそう、悲しく、お手紙を、手にすることもできない。

大宮
垣根の荒れ果てた、大和撫子、母を失った幼児である。それを、形見として、心を慰めるどころか、かえって、袖を涙で濡らします。

なほいみじうつれづれなれば、朝顔の宮に、今日のあはれはさりとも見知り給ふらむと、おしはからるる御心ばへなれば、暗き程なれど聞え給ふ。絶え間遠けれど、さのものとなりにたる御文なれば、とがなくて御覧ぜさす。空の色したる唐の紙に、

源氏
わきてこの くれこそ袖は 露けけれ 物思ふ秋は あまたへぬれど

いつもしぐれは」と、あり。御手などの心とどめて書き給へる、常よりも見所ありて、人々「過ぐしがたき程なり」と、人人も聞え、自らもおぼされければ、朝顔「大内山を思ひやりきこえながら、えやは」とて、

朝顔
秋霧に 立ちおくれぬと 聞きより しぐるる空も いかがとぞ思ふ

とのみ、ほのかなる墨つきにて、思ひなし心にくし。何事につけても、見まさりはかたき世なめるを、つらき人しもぞ、あはれに覚え給ふ、人の御心ざまなる。「つれなながらさるべき折々のあはれを過ぐし給はぬ、これこそかたみに情も見はつべきわざなれ、なほゆえづきよしすぎて、人目に見ゆばかりなるは、あまりの難も出で来けり。対の姫君を、さはおほし立てじ」とおぼす。「つれづれにて恋しと思ふらむかし」と、忘るる折なけれど、ただ女親なき子を置きたらむここちして、「見ぬ程うしろめたく、いかが思ふらむ」と覚えぬぞ心安きわざなりける。

いつまでも、やるせなく、朝顔の君に、今日の空の、あはれさは、いくらなんでも、解ってくださるだろうと、推し量る気質なので、すでに、暗い時分ではあるが、お手紙を、差し上げる。
絶え間は、久しくとも、そういう習慣になる、二人であるから、お傍の女房も、咎めずに、手紙を、お見せになる。
今日の空の色をしている、唐の紙に、

源氏
もの悲しく、思うこの秋は、長年経てきましたが、とりわけ、今日の、この夕暮れは、袖が、涙でいっぱいです。

毎年、時雨は、降りますがと、ある。
筆跡など、気をつけて、書かれている。
いつもより、見事で、このままには、出来ないと、女房も申し、姫も、思う。
朝顔は、お籠もりの、ご様子は、お察しいたしておりますが、こちらからの、お便りは、とても、と、書いて

朝顔
秋の頃、秋霧に先立たれて、奥様が、と、伺い、時雨れる空を見ても、お心、いかがと、推察いたします。

とだけ、ほのかに、墨色で、それは、奥ゆかしい。
何事も、思う以上ということはない、世の中であるが、つれない人を、かえって、慕わしく思うのが、君の、性格である。
打ち解けずにいるものの、しかるべき、折々、風情を見逃さない。
だからこそ、互いに、情を掛け続けることが出来る。
教養高く、風流が過ぎて、人目につく程だと、行過ぎることもある。
対の姫君を、そのように、育てることはしないと、思われる。
寂しがり、恋しがっているだろうと、忘れることはないが、母のない子を置いているような気持ちがする。
逢わずにいる間、気がかりである。どう、思っているのかと、心配がないのは、気楽なことであった。


交々に、源氏の、感情を、その相手により、表現する。
突然、別の人物のことが、出てきて、現代文に慣れた、私たちは、戸惑う。

源氏物語の、難しさは、それである。
これは、誰の心境であるのか、誰のことであるのか。

中には、文脈では、理解できない言葉も、出で来る。

更に、当時の感覚との、相違である。

しかし、それも、大和言葉により、耐えられる。

2009年06月27日

もののあわれについて374

暮れはてぬれば、大殿油近く参らせ給ひて、さるべき限りの人々、おまへにて物語などせさせ給ふ。中納言の君といふは、年頃忍びおぼししかど、この御思ひの程は、なかなかさやうなる筋にもかけ給はず。「あはれなる御心かな」と見奉る。

日が暮れ果てたので、灯を近くに灯し、それなりの女房たちを相手に、御前で、話をさせる。
中納言の君という者は、年来、こっそりと、寵愛したのだが、この喪服の間は、そんなことを、考えもしない。
あはれなる御心かな、優しい、心だと、思うのである。

大方にはなつかしううち語らひ給ひて、源氏「かう、この日頃、ありしよりけに、誰も誰も紛るる方なく見なれ見なれて、えしも常にかからずは、恋しからじや。いみじき事をばさるものにて、ただうち思ひめぐらすこそ堪え難きこと多かりけれ」と宣へば、いとどみな泣きて、人々「いふかひなき御事は、ただかきくらすここちし侍ればさるものにて、名残なきさまにあくがれはてさせ給はむ程、思ひ給ぬるこそ」と、聞えもやらず。「あはれ」と見渡し給ひて、源氏「名残なくは、心浅くも取りなし給ふかな。心長き人だにあらば、見はて給ひなむものを。命こそはかなけれ」とて、灯をうち眺め給へるまみのうち濡れ給へる程ぞめでたき。

色恋を離れて、優しく語りかけて、このように、幾日もの間、以前にも増して、誰にも誰にも、すっかりと、馴染んできたが、しょっちゅう、こんなようにして、居られないことになれば、恋しくてなるまい。あれが、死んだのは、仕方ないとして、ただ、今後のことを考えると、堪らない気がすることが、多い。と、おっしゃる。
すると、皆は、いっそう泣いて、言っても、詮無いこと。真っ暗な気持ちがしますので、申し上げいたしません。
すっかりと、見限り、どこかへ行ってしまわれると、考えますと、と、それから、後は、言葉が出ない。
心を打たれて、一同を、見回し、源氏は、見限るなどとは、どうして、出来ようぞ。薄情と、思うのか。気の長い人なら、いつか、分かるだろうが。しかし、命は、あてにならない。と、燈火を眺めて、涙を浮かべるのである。
それが、素晴らしく見えるのである。

取りわきてらうたく給ひし小さき童の、親どもなくいと心細げに思へる、ことわりに見給ひて、源氏「あてきは、今は我をこそは思ふべき人なめれ」と宣へば、いみじう泣く。ほどなきあこめ、人よりは黒う染めて、黒きかざみ、かんぞうの袴など着たるも、をかしき姿なり。


姫が、格別に、可愛がっていた、幼い童女が、両親もいず、大変心細く思っているのを見て、無理もないと、ご覧になる。
源氏は、あてきは、今は、私を頼りにするんだよ、と、おっしゃると、ひどく泣く。
小さい、あめこを、人よりは、黒く染めて、黒い、かざみや、カンゾウ色の袴を着ているのも、可愛らしい。

あてき、とは、童女の名前。

源氏「昔を忘れざらむ人は、つれづれを忍びても、幼き人を見捨てずものし給へ。見し世の名残なく、人々さへかれなれば、たづきなさもまさりぬべくなむ」など、みな心長かるべき事どもを宣へど、人々「いでや。いとど待遠にぞなり給はむ」と思ふに、いとど心細し。

源氏は、昔を忘れない人は、寂しさを辛抱し、小さな人を、見捨てずに、居てください。
今までと、違う様子になって、あなたたちも、出て行ったら、来ることも、難しい。などと、皆が、気長にしているようにと、繰り返しおっしゃる。
人々は、どうやら、いっそう、足が遠のくと思うと、いっそう、心細いのである。


大殿は人々に、きはぎはほど置きつつ、はかなきもてあそびものども、また、まことにかの御形見なるべき物など、わざとならぬさまに取りなしつつ、みな配らせ給ひけり。

左大臣は、女房たちに、身分に合わせて、少しの、品々、また、形見となるものを、ことさらにならぬように、一同に、配った。


君は、「かくてのみもいかでかはつくづくと過ぐし給はむ」とて、院へ参り給ふ。御車さし出でて、御前など参り集まる程、折知り顔なる時雨うちそそぎて、木の葉誘う風、あわただしう吹き払ひたるに、お前に侍ふ人々、ものいと心細くて、少しひまありつる袖どもうるひわたりぬ。「夜さりは、やがて二条の院に泊り給ふべし」とて、さぶらひの人々も、かしこにて待ち聞えむとなるべし、各々立ち出づるに、今日にしもとぢまじき事なれど、またなくもの悲し。大臣も宮も、今日の気色に、又悲しさあらためておぼさる。

君は、源氏は、このように、ふさぎこんでばかりは、いられない。と、院へ、参上した。
お車を、引き出して、ご前駆などが、集まる中、この時の、あはれを知るような、時雨が、はらはらと降り、木の葉を誘う風が、あわただしく、吹き散らす。
御前に、控えていた人々も、なんとも心細くなり、少し乾く間のあった、袖を、誰も濡れてしまった。
夜は、二条の院に、泊まられるだろうということで、お傍の人々も、あちらで、お待ち申し上げようと、各々出て行く。今日で、最後というわけではないが、この上なく、悲しい。
左大臣も、宮も、今日の様子に、また、悲しみを、改めて、感じるのである。
今日のしもとぢまじき事
今日で、最後ではないが。

悲しさあらためておぼさる
悲しみが、新たに、深まるのである。

2009年06月28日

もののあわれについて375

宮のお前に御消息聞え給へり。源氏「院におぼつかながり宣はするにより、今日なむ参り侍る。あからさまに立ち出で侍るにつけても、今日までながらへ侍りにけるよと、乱りごこちのみ動きてなむ。聞えさせむもなかなかに侍るべければ、そなたにも参り侍らぬ」とあれば、いとどしく宮は目も見え給はず沈み入りて、御返りも聞え給はず。大臣ぞやがて渡り給へる。いと堪へ難げにおぼして御袖も引き放ち給はず。見奉る人々もいと悲し。


大宮のお前に、お手紙を差し上げた。
源氏は、上皇様が、会いたいと仰せられるので、今日、参上いたします。
少し出るとあっても、よくも、今日まで、生きながらえていたことと、悲しみが湧いて、ご挨拶を申し上げるのも、かえって、悲しいことでしょうから、そちらへは、参上いたしません、と、あるので、いっそう、大宮は、涙で目も見えず、泣き沈み、お返事も、申し上げない。
大臣が、急ぎ、お越しになった。
こらえきれない思いで、袖も顔から、離さない。
それを、見る人々も、たいそう悲しい思いである。

大宮とは、源氏の妻の、母。

大将の君は、世をおぼし続くる事いとさまざまにて、泣き給ふさま、あはれに心深きものから、いとさまよくなまめき給へり。大臣久しうためらひ給ひて、大臣「よはひのつもりには、さしもあるまじき事につけてだに、涙もろなるわざに侍るを、ましてひる世なう思ひ給へ惑はれ侍る心を、えのどめ侍らねば、人目も、いと乱りがましく、心弱きさまに侍るべければ、院などにもえ参り侍らぬなり。ことのついでには、さやうにおもむけ奏せさせ給へ。いくばくも侍るまじき老いの末に、うち捨てられたるが、つらうも侍るかな」と、せめて思ひ静めて宣ふ気色、いとわりなし。


大将の君は、亡くなった方の思いに溢れて、あれこれと思い出が、湧き上がり、泣かれる様子は、あはれに心深き、真実、心に深いものがある
それが、また、見た目美しく、優雅である。
と、それは、作者の言葉である。
大臣は、長い間、気を静められて、年を取りますと、それほどではないことでも、涙が出ます。その上に、涙の乾く暇もなく、悲しみます、この心を、慰めることができません。人の目にも、取り乱した、姿でございます。
院などへも、参上できませんので、何かのついでに、そのようなことで、申し上げてください。
余命の少ない、この老いの身に、子に先立たれたことが、辛いことです。
強いて、心を静めて、おっしゃる。
実に、切なそうである。

君も度々鼻うちかみて、源氏「後れ先立つ程の定めなさは、世のさがと見給へ知りながら、さしあたりておぼえ侍る心惑ひは、たぐひあるまじきわざになむ。院にも、有様奏し侍らむに、おしはからせ給ひてむ」と、聞え給ふ。大臣「さらば、時雨もひまなく侍るめるを、暮れぬ程に」と、そそのかし聞え給ふ。


君も、たびたび、鼻をかんで、生き残るのか、先立つのか、定めは、分からないという、この世の中の習いです。
しかし、事に、接して、知った悲しみは、例えようもないことです。
院にも、この様子を、奏上しましたら、ご推量くださるでしょう。
と、おっしゃる。
大臣は、では、時雨も、止むことがないようです。暮れないうちにと、促すのである。


うち見まはし給ふに、御凡帳のうしろ、障子のあなたなどのあき通りたるなどに、女房三十人ばかりおしこりて、濃き薄きにび色どもを着つつ、皆いみじう心細げにて、うちしほたれつつ居集りたるを、いとあはれと見給ふ。


うち見回すと、御凡帳の後ろや、襖の向こう、その他の、開いて、見通しになっている処などに、女房たちが、三十人ほど集まり、濃い色や、薄い色の、様々のにび色の、喪服を着て、皆、心細く、涙を流して座っているのを、あはれと、ご覧になる。


大臣「おぼし捨つまじき人もとまり給へれば、ひとへに、思ひやりなき女房などは、今日を限りに思し捨てつるふるさとと思ひくんじて、長く別れぬる悲しびよりも、ただ、時々慣れつかうまつる年月の名残なかるべきを、嘆き侍るめるなむことわりなる。うちとけおはします事は侍らざりつれど、さりともつひにはと、あいな頼めし侍りつるを、げにこそ心細きゆふべに侍れ」とても、泣き給ひぬ。

大臣は、お見捨てされないはずの、御子も、ここにいますので、いくらなんでも、ついでの際には、お立ち寄り、くださらないはずはないと、心を慰めています。
考えの浅い、女房たちは、この場所は、今日を限りに、お見捨てになるのだと、ひたすら、悲観して、永久の別れの悲しみよりも、今まで、お仕えしていた年月が、跡形も無くなくなるのであろうと、嘆いているようです。無理も、ありません。
ごゆっくりと、してくださることは、ございませんでしが、でもいずれはと、あてにならない事を、頼みにしていました。まことに、心細い、今宵ですと、言いつつ、涙が流れるのである。


源氏「いと浅はかなる人々の嘆きにも侍るなるかな。まことに、いかなりともと、のどかに思ひ給へつる程は、おのづから御目かるる折も侍りつらむを、なかなか今は何を頼みにてかは怠り侍らむ。今、御覧じてむ」とて出で給ふを、大臣見送り聞え給ひて入り給へるに、御しつらひよりはじめ、ありしに変わる事もなけれど、うつせみの空しきここちぞし給ふ。

源氏は、なんとも、浅はかな、皆様の嘆きです。
たとえ、どんなことがあろうとも、後々には、呑気に考えていた頃には、自然、ご無沙汰することもありましょうが、かえって、今は、何を頼みに、なまけましょうか。
今に、きっと、お分かりになります。
と、言いつつ、お出かけになるのを、大臣は、見送られて、部屋に入ったところ、室内の装飾などは、今までと、何も変わることはないが、何か、抜け殻のように、空しい気持ちになるのである。

源氏のいなくなった、空虚さというものを、描く。
亡き娘の死と、源氏のいなくなるという、無いということの、虚しさを、大臣を通して描く。

二重の、空虚というものを、描く。
それも、あはれ、というものの、風景である。
人生には、このような場面が、幾度かあるものである。

もののあわれについて376

御帳の前に御硯などうち散らして、手習ひ捨て給へるを取りて、目をおししぼりつつ見給ふを、若き人々は、悲しき中にも、ほほえむあるべし。あはれなるふるさとごとども、からのもやまとのも書きけがしつつ、草にもまなにも、さまざま珍しき様に書きまぜ給へり。大臣「かしこの御手や」と、空を仰ぎて眺め給ふ。よそ人に見奉りなさむが惜しきなるべし。「古き枕古き衾、誰と共にか」とある所に

源氏
なきたまぞ いとど悲しき 寝し床の あくがれ難き 心ならひに

又、「霜の花白し」とある所に、

源氏
君なくて 塵積もりぬる とこなつの 露うち払ひ いく夜寝ぬらむ

一日の花なるべし、枯れて交れり。

御帳台の前に、硯などを置いたままになっていて、お書きになって、落ちたものを、取り上げて、目を、おししぼめて、ご覧になる。
若い女房たちの中には、それを、微笑んで見る者もいる。
哀れの深い数々の、言葉を、唐のもの、和のものも、書き流して、仮名書きや、漢字と、色々な書体で、書かれている。
大臣は、見事な、筆跡だと、空を仰いで、思いに耽る。
今後、他人として、接することが、残念である。
古き枕古き衾、誰と共にか、とある、所に

源氏
二人で寝た床から、離れにくいのが常となり、亡き魂も同じかと、思えば、更に悲しい

また、霜の花白し、とある所に

源氏
そなたが見えなくなってから、塵が積もってしまった、この床、涙の露を払いながら、幾夜、一人で、ねたことか

先日の、あの花なのであろう。枯れて、反古の中に、交じっている。


宮に御覧ぜさせ給ひて、大臣「いふかひな事をばさるものにて、かかる悲しきたぐひ世になくやはと思ひなしつつ、契り長からで、かく心を惑はすべくてこそはありけめと、かへりてはつらく先の世を思ひやりつつなむさまと侍るを、ただ日頃に添へて、恋しさの堪え難きと、この大将の君の、今はとよそになり給はむなむ、飽かず胸いたく思ひ侍りしを、朝夕の光り失ひては、いかでかながらふべからむ」と、御声もえ忍びあへ給はず泣い給ふに、お前なるおとなおとなしき人など、いと悲しくて、さとうち泣きたる、そぞろ寒き夕べのけしきなり。

大臣は、大宮、つまり、葵上の母親に、それを、見せて、言っても始まらない不幸は、置いておくとして、こんな悲しい話も、世間にはないでもない、強いて思い、親子の縁が長くなく、こんなに、心を悲しませるように、生まれてきたのだと、今は、死別のことより、前世の因縁を、恨めしく思うことにして、諦める。
ただ、日が経つにつれて、恋しさが堪え難いことと、この、大将の君が、これっきり、他人になってしまわれると思うと、たまらなく、悲しいことと、思われる。
一日、二日と、お見えにならないと、途絶えがちでいらしたことも、たまらなく胸苦しいと思ったことだが、朝夕の光なくしては、どうして、生きていけるだろう、と、声も抑えず、泣くのである。
御前にいる、年かさの女房などは、泣き出してしまい、なんとも、寒々とした、今宵である。

若き人々は、所々に群れいつつ、おのがどちあはれなる事どもうち語らひて、人々「殿のおぼし宣はするやうに、若君を見奉りてこそは慰むべかめれと思ふも、いとはかなき程の御かたみにこそ」とて、おのおの、人々「あからさまにまかでて、参らむ」と言ふもあれば、かたみに別れ惜しむ程、おのがじしあはれなる事ども多かり。

若い女房たちは、所々に、かたまり、お互いに、心を打つ話をする。
殿の、お考えの通り、若君のお世話をして、心を紛らわせるのがよいと思うが、それにしても、心細い、御形見ですと、言う。
それぞれに、少し里に、下りますという者もいて、互いに、別れを惜しみ、それぞれが、涙を流すのである。

源氏が、去った後の、大臣宅の様子である。
亡き人により、源氏も、家を出たのである。

他人といえば、他人である。

生まれた子供は、妻の実家で、育てられる。

いつの世も、人の死は、悲しい。
更に、子に先立たれる親は、更に、悲しい。
世の無常の習いに、平安期の人々も、悲しみ、苦しんだ。

人が死ぬ者であること、それは、人の確実な、定めである。
死というものを、いかに、捉えるかで、文化の基底が違う。

前世、来世という、考え方は、当時の、ハイカラな仏教、特に、浄土思想によるものである。
前世のえにし、因縁などという、言い方、考え方は、そのまま、仏教を取り入れている。

それは、今に至るまで、続く、日本は、仏教国といわれる。
仏、というものに、その人生の無常の救いを、見ようとした、平安期から、それ以後の、日本人の、無常観、死生観、そして、人生観である。

仏教伝来から、千五百年を経る。
果たして、仏教は、日本人の心象風景を、救ったのか。

心象風景である、もののあわれ、というものは、今も、厳然としてある。
言葉の、巧みさだけは、残ったが、基底にある、日本人の心情である、もののあわれ、の、心象風景は、何も、変わらない。

風吹けば、風に泣き、雨降れば、雨に泣く。

多くの別れの中でも、死別ほど、辛い、別れは無い。
この、別れを、どう、捉えるか。

それを、もののあわれ、という。

日本人の、心に響く、心象風景は、ただ、ただ、ものの、あはれ、にあるのである。

それを、表現するものを、日本では、芸という。
芸能である。
そして、それは、伝統である。

人は、伝統から、離れて、生きることは、出来ない。
無意識のうちに、伝統という、心象風景、もののあわれ、というものから、逃れることは、出来ないのである。

2009年06月29日

悲しみを飲み込んだハノイへ

キエンはこの地域をよく知っていた。1969年、彼の所属していた第27歩兵大隊は、ここで敵に包囲されて事実上全滅したのだった。残虐、凄惨、非道といった言葉を絵にしたような戦闘だった。あの不運な大隊で生き残ったものは数人だけだった。
あれは、そう、乾季の終わるころだった。太陽は容赦なく屋根屋根をこがし、風が谷間に吹き荒れていた。
敵はジャングル一面にナパーム弾を投下した。地獄の火だった。炎の海が大隊を取り囲んだ。ちゃちな野戦用の塹壕は、ナパームの火に対しては無力だった。兵士たちは塹壕から出て散り散りに逃れようとしたが、ナパーム弾は残酷に彼らを追いまわした。
大隊長は危険を承知で彼らを塹壕の一角に呼び集め、敵のヘリコプターに反撃しようとした。だが、集まろうとした兵士たちは、炎の中でたちまち方向感覚を失い、多くはコブラ「米海兵隊の攻撃用ヘリコプター」の機銃撃に身をさらして死んでいった。
コプラは木々とほとんど同じ高さで旋回し、逃げまどう兵士一人一人を撃ち殺した。彼らの背中から血が噴出し、赤土のように流れるのが見えた。
大隊長は狂乱状態になった。彼は「降伏するより死ね、お前ら、死んだ方がいいぞ」と叫び、キエンの目の前でピストルを振りまわし、あげくに銃口を耳に当てて自分の脳味噌を吹き飛ばした。キエンは喉の奥で声にならない叫びを上げたが、大隊長の死体にかまっている余裕はなかった。空からの攻撃に続いて、米軍陸上部隊の攻撃が始まっていた。

あとで知ったことだが、米軍はその戦場の一角に焼け残った草木をダイヤモンドの形に刈り取り、そこへキエンの戦友たちの死体を高く積み上げたと言う。全身ばらばらで誰のものともわからなくなった死体。四肢を吹き飛ばされた死体。焼けこげた死体。
これも戦後にキエンが聞いたことだが、その場所の空は数日間、死体を食らおうとするカラスと鷹の群で暗くなった。ナパームに焼かれてジャングルの各所にできた湿地は、二度とジャングルに戻らなかった。一本の木も生えなかった。

戦争の悲しみ バオ・ニン

ベトナム戦争経験者である作者の小説である。現実を、小説の形にして、作品にした、見事な文芸である。
戦争のすべては、事実であり、そこに、ストーリーを、作為的に取り入れた。

ハノイは、北ベトナムの、中心であり、今は、ベトナムの、首都である。

北ベトナム軍は、アメリカを、ベトナムから、追い出した。
あらゆる、悲劇を飲み込んで、戦争に勝利した。
アメリカに勝った、唯一の国である。

しかし、その代償は、大きかった。

まさに、悲しみを飲み込んだ街、ハノイなのである。

前回の、ホーチミン慰霊と、衣服支援の旅日記に、私は、ベトナムの歴史を俯瞰して書いている。
今回は、戦争というものを、見つめつつ、この旅日記を書くことにする。

私は、戦争に反対する。
それでは、戦争のない状態とは、何と言うか。平和と言う。
では、戦争がなければ、平和なのかといわれれば、解らない。

しかし、平和を望むのならば、平和を打ち破る、戦争を知らなければならない。それでは、戦争とは、何か。
私は、戦争を知らない。
では、戦争を知る方法とは、過去の戦争の、記しを見ることである。
そして、戦争後の、その場の様子を見ることである。
さらに、戦争後に、人は、どのようにして、生きるのかということを、見るべきである。

誰も、戦争は、したくない。しかし、戦争は、起きる。何故か。それも、よく解らないのである。

30年前まで、ベトナムは、戦時下にあった。
つまり、私は、ベトナム戦争終結を、二十歳前後の時に、知っているということだ。
そんな、少し前のことである。

実は、上記の、記述は、米海兵隊の手記である、ペリリュー・沖縄戦記の記述にも多く、似たようにある、悲惨な情景である。

戦争とは、人が人を殺すことである。
しかし、単に、簡単に殺すのではない。
こちらが死ぬか、相手が死ぬか、どちらが死ぬのか、皆目検討がつかない状況の中で、起こる、実に、不気味な、そして、実に、無意味な、殺し合いなのである。
そして、その人々は、顔も知らない、全くの他人である。
個人的な、恨みや、憎みも無い。

それだけでも、恐ろしい。

そして、人類は、延々として、その、戦争というものを、続けてきているのである。

人の命が、木の葉のように軽く、扱われている様。
敵兵を、殺して、喜ぶ様を、どのように、理解すれば、いいのか、私には、解らない。

更に、殺した後も、敵の死体を、蹂躙する様。
人の命の、尊厳も何も、無い状態に、ただただ、呆然とする。

殺してからも、その死体の、その人間を、屈辱するために、行う、様々な、虐待である。
人間が、ここまで、残虐になるものなのか。

日本兵が、殺したアメリカ兵の、死体を遊び、ペニスを切り取り、その口に、詰め込む様などを、記されると、絶句する。
さらに、次は、アメリカ兵が、日本兵の死体を、切り刻むという。

一体、そこまでの憎悪が、何ゆえに、芽生えるものだろうか。

つい先ほどまでは、知らなかった人間である。
ただ、敵であるというだけで、どうして、そのような感情が、湧いてくるのか。

戦争とは、何か。

平和を求めるということは、戦争に反対することなのか。
そして、反対すれば、戦争は、起こらないのか。
全く、逆である。
どんなに、平和を叫んでも、起こるべき時には、戦争が、起こる。

さらに、平和を、求めれば、求めるほど、戦争の危険性が高くなる。
つまり、平和を叫ぶということは、戦争を前提にしているからである。
平和を、求めているように見えるが、それは、戦争を引き付けているのではないのかと、私は、考えるようになった。
戦争が、前提にある、平和は、実は、平和でもなんでもない。
平和遊びである。
無意識に、人は、戦争を望んでいるゆえに、平和を、叫ぶとしか、思えなくなった。

もし、本当に、平和を、求めるならば、戦争で亡くなった人々の追悼慰霊にしか、無いのである。

追悼慰霊が、唯一、戦争を回避させる、方法であると、私は、気づくのである。
そう、このような、慰霊を、行わなくても、いいことが、いいことなのであると。

悲しみを飲み込んだハノイへ。2

ハノイに出掛ける前に、泊まるホテルを、選び、予約していた。
私が、英語で、予約したのである。
なんとか、通じて、予約したのは、そのホテルが、一回だけ、無料にて、空港の送迎をするというからである。

だが、深夜到着する、ベトナム航空の、時間などが、伝わったのか不安で、コータに、再度電話をさせた。
それを確認しておいて、よかった。

はじめての、土地で、深夜に到着して、タクシーなどに乗るのは、実に危険である。
バンコクは、慣れているので、大丈夫だが、ハノイは、皆目検討がつかないのである。

さらに、ホテル料金は、ガイドブックの二倍の、28ドルである。
ガイドブックの情報は、古くなることが多々あるので、それで、決めた。

KIMURAと、パラカードを持つ男を、見つけて、安堵した。
迎えに来ていた。

タイと、同じく、ベトナムも、日本時間より、二時間遅い。

28ドルもするという、ミニホテルに泊まるのは、はじめてである。
バンコクでさえ、あの、スクンウィットの繁華街のゲストハウスで、500バーツ、約1500円である。

ハノイの街は、空港から遠い。
そして、夜なので、風景が見えない。
車は、次第に、田舎に向かっているように、暗い道を走る。
ホーチミンは、次第に、明るく、街に入るという、感じだが、ハノイは、違う。

ベトナムの首都である。
まさかと思いつつ、不安げに車の外を眺める。
しかし、コータは、大学時代に、一度ハノイに来ているので、平気である。

どんどん、暗くなるけど
大丈夫、街に向かっている、と言う。

車は、立派な日本車である。
運転手は、フリーのタクシーであった。ホテルからの依頼を受けて、仕事をしている。

忙しく、中々、彼女とも会えないと言った。それが、印象的だった。
つまり、仕事があるということだ。

街中に入っても、明かりは、それほどではない。
それに、高い建物は、無い。

北ベトナムの、中心であり、今は、ベトナムの首都であるが、そんな雰囲気は無い。

ホテルまでの道は、くねくねとして、中小路を通り、もう一度、通ることは出来ない、覚えられない道である。

細い通りに入り、ホテルに到着した。
後で知るが、その道も、ガイドブックに載るほど、有名な商店街であった。

フロントの男は、上半身裸でいた。
私たちが、入ると、急いで、シャツを着ようとしたが、私は、いいよ、いいよと、言ったので、そのまま、受付である。

しかし、チェックインをする前に、彼は、さて、何処に観光に行きますか、である。
ツアーの受付をするのである。

いやいや、私たちは、子供たちに、衣服を渡すために来たので、観光はしないと言うと、サンキューと言い、ようやく、パスポートを提示して、受付をする。

曰く、今部屋が、大きな部屋しかないので、そこに入ってください、そして、明日、部屋を、替わります、と言う。

本日のみ、特別扱いという、訳である。

案内された部屋は、五人が泊まれるほど、大きい部屋である。

そして、何と、私たちは、三泊、その部屋に泊まることになったという、幸運。
結局、部屋の移動はなかったのである。

エレベーターがないホテルの二階だったので、それも幸いである。

荷物を入れて、すぐに、食事に外に出た。
ホテル近くで、営業する、地元のレストランに出掛けた。

食べたのは、フォーである。
米の麺の、ベトナム名物である。
その店には、毎日、一度は、フォーを食べに行った。

そして、路上で売る、肉まんを二個買った。

ベトナム、ドンは、前回の時に、残してあったので、両替する必要はなかった。
今回、ドンは、安くなり、日本の一万円が、190万ドンである。
毎日、ドンは、安くなったから、得である。

ここで、整理しておくと、一万円が、190万ドン、千円が、19万ドン、百円が、1万9千ドン、10円が、1900ドンである。

私は、面倒なので、百円、二万ドンとして、計算した。

ペットボトルの水が、3000ドンからある。つまり、150円。
しかし、売り場によって、同じものが、3000ドンから8000ドンまであるから、迷惑である。

観光客と見れば、どこでも、ボルのである。
だから、コンビニに行き、本当の価格を知る。
だが、ハノイには、コンビニが少ない。

水は、安くはないが、他のものは、現地価格だと、安い。

チップの習慣はなかったが、次第に、チップというものの意識が芽生えていた。
チップを要求されるという、事態にも、遭遇した。

部屋に戻ると、すでに、日本時間では、深夜二時過ぎである。
だが、なかなか、眠られないのである。

2009年06月30日

悲しみを飲み込んだハノイへ。3

知らない人から、物を貰うな、である。
そして、物を貰うという判断は、親、大人の、許可がいるのである。
これは、儒教の教えである。

ベトナムは、千年に渡り、中国の支配を受けた。そして、その後は、フランスの、統治である。

戦争後、はじめて、ベトナムは、独立国家として、成った。
まだ、30年を過ぎたばかりである。

人の哀れみは、乞わない。
毅然として、姿勢を保つ。
そして、戦争に勝った国としての、誇りである。
ベトナム語の発音のゆえもあるが、背筋がまっすぐ通っている。

一時間ほど歩いて、本当に疲れた。
探りを入れつつ、手渡してみるのである。
拒否される時は、駄目だと、思う。

ハノイでは、支援をするのが、大変難しい。どんなに、欲しいと思っても、いらない、ノーという人がいるのである。
矜持、プライドである。

それを、まざまざと、見せ付けられて、私たちは、どこまで歩いたのか、解らなくなり、街の、コーヒー屋に入り、休んだ。

15000ドンのコーヒーである。
ベトナムコーヒーは、濃い、そして、苦さの中に、甘さがある。
最初、コータが、ミルク入りを注文したが、甘すぎる。
私は、コーヒーのみを、注文した。

それに、お湯を足してもらう。
兎に角、美味しい。

大勢の街の人と共に、コーヒーを飲んで、私たちも、町の人になる。
着物を着ていても、別段、騒がれないというのも、ハノイらしい。
結果的に、気が楽である。

居場所が、分からなくなったので、タクシーに乗ることにした。
タクシーに、二種類ある。
ミニタクシーと、普通タクシーである。
料金は、メーター制である。

初乗りが違うが、使い方を考えて乗るといい。
中距離は、普通タクシーがいいが、短距離は、ミニタクシーである。

ホテル近くで、降りた。

ホテル付近の様子を、何度も頭に入れた。
込み合っている街の中であり、非常に、紛らわしい道々である。

部屋に戻ると、異常な疲れである。

コータが、今までにないことを、言う。
今日、慰霊をしましょう、と、言うのである。

慰霊は、明日する予定である。

どうした
いや、何か、慰霊をした方がいいような・・・気がする、と言う。

私も、同じだった。

ベトナム戦争と、言うが、それは、実に複雑である。
アメリカとの、戦いは、第二次インドシナ戦争である。

サイゴンに、樹立した政権は、アメリカの傀儡政権であり、反共カトリック勢力指導者、ゴー・ディン・ジェムを大統領とするもので、ベトナム共和国政府を擁立した。

その結果は、北緯17度の暫定軍事境界線で、南北に分断された。

南の、ジェム政権は、ジュネーブ協定が予定していた、1956年の全国統一選挙を、拒む。
旧ベトナムの人々、反対勢力を、すべて武力で弾圧し、住民の八割を占める仏教徒を、露骨に差別する。
ベトナム労働党は、60年、平和的手段による、南北統一を諦め、ジェム政権の武力打倒を目指す、南ベトナム解放民族戦線を結成した。

第二次インドシナ戦争である。

これを、多くの人、ベトナム戦争と呼ぶ。
対米戦争である。

解放戦線は、多くの住民の共感を得て、ジェム政権を窮地に、追い込む。
さらに、63年、ジェム政権は、軍上層部のクーデターで、崩壊する。

すると、アメリカは、サイゴンに、次々と、無能な、軍事独裁政権を擁立し、それでも、敗北が必至とみると、65年に、直接軍事介入に、踏み切るのである。

南への、地上軍派遣と、北への継続爆撃である。

さらに、である。
タイ、フィリピン、オーストラリアなどの、アジア、太平洋地域の、米同盟国がアメリカ側に立って参戦する。
日本も、非参戦の西側諸国も、物心両面で、アメリカを、全面的に、支援した。

この戦争で、米軍の使用した、弾薬は、第二次大戦の、2,5倍の、爆弾だけでも、住民六人に、一トンが、投下されたという。

ベトナム全土は、枯葉剤を含む最新兵器の実験場となり、地形が変わるほど、焦土と化した。

南の農村と、海岸都市は、おおかた壊滅した。
南北住民の半数以上は、戦争難民となり、軍民の死者は、推定300万人、別の調査では、400万人以上である。
行くへ不明は、今なお、30万人。
アメラシアン、つまり、米越混血児は、30万人。
韓越混血児は、1万人。
売春婦は、サイゴンと、その周辺だけで、人口の一割を超える、40数万人である。

それだれではない、悲劇は、続く。
その後、米ソ、中ソの、二重冷戦を背景とする、第三次インドシナ戦争、ベトナム・カンボジア戦争、中越戦争、カンボジア武力紛争が、待ち受けていたのである。

悲しみを飲み込んだハノイへ。4

こいつは若い。カトリック右派が、どういういきさつでアメリカの傀儡政権の前衛集団になったかなんてことは知るまい。そういう役割がいかに売国的であるかということもわかるまい。こいつは何も知らんのだ。歴史を知らんのだ。知らぬままに、つまりだまされて、コマンドーなんかになって・・・三人もの娘殺しを手伝って・・・馬鹿! 哀れな奴!
歴史の中に住む人間に、歴史をあるがままに認識することはむずかしい。歴史生成の現場を見なかった人間には、それはますますむずかしい。嘘の歴史を教えられればなおさらのこと。こいつも、まあ、言ってみれば歴史の犠牲者には違いないが・・・・
だがキエンは、この若者も許す気にはなれなかった。若者の無知に、むしろ最大限の怒りを覚えていた。彼はその若いカトリックの男を冷たくつき放した。
戦争の悲しみ バオ・ニン

ハノイでの、支援物資の手渡しが、大変であるということを知り、部屋に戻って、今までにない、疲れを感じた。
後で、受け取らない意味を知るが、それが、まだ、解らない時であるであるから、疲れが倍増する。

更に、重たい気分である。

計画、変更。
よし、今日、追悼慰霊をしよう。
その場所は、日本で、決めていた。

ホン川にかかる、ロンビエン橋の上である。
ハノイと、ロンビエン地区を結ぶ橋は、北ベトナム軍の補給路だった。爆撃のたびに、補修を繰り返し、最後まで、橋は、生かされた。ベトナム戦争を勝利へ導いた、陰の立役者である。しかし、その被害も、甚大である。

下に川が流れるのは、慰霊に最適である。

更に、衣服を持って行く。
慰霊を終えて、差し上げる人がいれば、それを、実行する。

その日は、雨模様であり、曇り空である。
雨の上がるのを、待ちつつ、用意する。

これも、偶然であるが、実は、雨が降る前に、とんでもない、雷が、何度も落ちた。
最初は、その音に、ベッドから、飛び起きた。

どこかで、爆弾が破裂したのかという、大音響である。
それから、しばらく、雷が、響いた。

一度、朝早く、ハノイの街に、出てよかった。

雨は昼過ぎまで、続いた。

雷の音を聞いて、更に、今日の慰霊が、良いということを、感じた。
そのためな、来たのである。

三つのバッグを用意し、慰霊の準備をして、外に出た時は、雨が上がり、空には、しかし厚い雲が覆う。

タクシーを拾い、ロンビエン橋へと向かう。
そこには、バスターミナルもあり、市場もありと、人の流れかが、すさまじいばかりの、場所である。

10分ほどで、到着したが、今度は、橋の上に向かって、歩かなければならない。
更に、橋の上を、また、歩いて、慰霊に相応しい場所まで、歩く。

勿論、だらだらと、汗が流れる。
浴衣が、汗に浸る。

ロンビエン橋は、鉄道が通り、その両側を、バイク、自転車、人が通る。
しかし、いつ、落下してもおかしくない、恐ろしい、橋である。

丁度、中間に、慰霊すべくの、広い場所があった。
木の枝の一本を折り、御幣を作る。

そして、太陽を拝する。
と、薄日が差した。
まさに、ここにいる、というべく、太陽が姿を現す。

言霊、音霊による、清め祓いを、執り行う。
更に、御幣で、四方を祓う。

最後に、多くの死者の霊位に、私の慰霊の意志を伝える。
つまり、黙祷である。

更に、僭越ながら、引き上げたまえと、この地に、囚われる霊位を、引き上げて頂く。

おおよそ、20分程度の時間である。

すべてが、終わると、何と、太陽には、薄雲が、幾重にも、かかり、その姿を隠すのである。

執り行っている最中に、バイクが、接触して、転倒した。
私の行為を、見て走っていたのだろう。
怪我はなかったから、良かった。

浴衣を着た、日本人が、一体、何をしているのかと、疑問に思うのは、当たり前である。

さて、私たちは、元来た道を、戻った。

その途中である。
下を見ると、橋の、下に、長屋建ての、住宅のような建物があり、その真ん中あたりに、親子三人がいた。

手を振ると、手を振る。
そこで、私は、ぬいぐるみを取り出して見せ、今、そちらに行くと、身振りで、示した。
彼らの、笑い声が聞えた。

そこまで、行くのが、また、大変である。
橋を降りて、広い道路に出て、市場の中を越えて行くのである。

私たちの出掛けた時間は、市場が終わって、皆、休憩をしていた。
さて、どの方向なのかと、歩く。
迷いつつ、歩く。
行き止まり。
また、戻って、あの、建物のある場所に向かう。

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