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   <title>木村天山　告知版（ブログ）</title>
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   <updated>2010-03-21T22:05:35Z</updated>
   <subtitle>藤岡宣男のプロデューサーでもある、音楽事務所オフィスＴＷ２代表の木村天山による、手記です。

告知版の過去ログは、こちらのブログへ逐次移行して行きます。

リンク集
		告知版過去ログ（2006年9～2007年1月）
		藤岡宣男ホームページ　　木村天山ホームページ
		オフィスＴＷ２/日本カウンターテナー協会</subtitle>
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   <title>性について。１０１</title>
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   <published>2010-03-21T22:05:04Z</published>
   <updated>2010-03-21T22:05:35Z</updated>
   
   <summary>同性愛の病因をめぐる今日の科学理論で、社会的寛容がその発生を決定することを示唆す...</summary>
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         <category term="性について４" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      同性愛の病因をめぐる今日の科学理論で、社会的寛容がその発生を決定することを示唆するものは皆無である。純粋に生物学的な理論でさえ、「同性愛はいかなる条件においても、またいかに好条件を得ても、少数派の嗜好にすぎないであろう」とする点で軌を一にしている。
ジョン

性的特異行動とは、色々ある。
禁欲や、自己犠牲なとも、そうだ。
しかし、それらは、特異行動だが、社会に害を、もたらすことはなく、逆に、賞賛されることもある。

また、同性愛を、認めると、社会は、衰退する。つまり、生殖を伴わないからと、いう者もいるが、全く、それは、誤りである。

ジョンは、
さらに、同性愛の欲望のために個人またはもろもろの集団が生殖にあずからぬようになると推測する強固な理由はない。
と、言う。


同性愛の行動と異性愛の行動は排除し合うとする一般の考えを支持する証拠はなく、多くのデータはその逆を示唆している。

ゲイ・ピープルが結婚し子供を作る率はゲイではないひとびとの場合よりも低いと期待されるのは、近代産業国家のようにエロスのエネルギーは一生にわたる合法的配偶者にもっぱら向けられるべきだとする社会においてのみであろう。そして、そうした文化社会においてすらゲイ・ピープル人口のかなりの割合がーーーことによると大多数がーーー事実結婚し子供を作っている。
ジョン

オスカー・ワイルドが、ゲイであり、男の恋人がいたことは、知られているが、彼が、夫であり、父であったことに、気づいているものは、稀である。

ゲイ、同性愛ということの、事実が、彼ら、同性愛者を、特異な存在にするという、社会的、認識である。

ジョンの、反論は、ただ、同性愛であるということで、他の、多くの、多数派と同じ、側面を無視することは、できないという。

この、膨大な論文は、ゲイ擁護の立場にたって、論評している。

次に、
同性愛に対する不寛容さを説明するためにもと出されるかもしれぬ第二の脅威はその「不自然さ」に関連する。
と、言う。

だが、人間社会が、ゲイに対して、敵意ある反応を示すのは、彼らの、好みが、本来、不自然だからであろうか、となる。

ジョンは、この、自然、不自然ということについても、多くの、論評を行っている。

「自然な」「不自然な」という言葉の意味は、それらの言葉が関連する、自然の概念に応じて、変化するものだと、提案している。

そして、
自然のいくつかの概念は主として「現実的」ということである。
と、言う。

自然界、およびそれを観察することに関連するのである。

自然は、あるものの、特性ないし本質といってもよい。例えば、愛の自然、人間の自然など、である。

不自然なという言葉は、この概念に対立するものとして、そうしない者は、不自然である、となるのである。

更に、広い意味で、観察できる世界の、すべての自然である。
その意味の反対語として、不自然である、というのは、科学的に観察できる、世界の一部をなさないもの、つまり、幽霊や奇跡に当てはまる。

「自然」および「不自然」の「現実的」カテゴリーはひどくあいまいに使用されているが、比較的「現実的な」「自然」観から見ても同性愛は「不自然」であるとする確信の底流をなす主要な仮説に触れてよいと思う。そのなかで新しいほうの仮説、つまり、本来生殖に関わらない行動は進化論的な意味で「不自然」であるという考えをゲイ・ピープルに適応するのはおそらく不正確である。ともあれ、禁欲を理想化した古代社会にあって、あるいはマスターベーションを完全に「自然」であると考える現代社会にあって、生殖に関わらぬということがゲイ・ピープルに対する反感を誘発するとはまず考えられない。そもそもこうしたひとびとが結局は生殖に成功しているという点は同性愛の行動と変わらないのだから。この反対論は明らかに偏見の原因というよりむしろその正当化である。
ジョン

更に、同性愛は、動物には、見られないという、仮設である。

しかし、それは、誤りである。
動物の、同性愛行動は、野生状態かどうかを問わず、種々の動物について、観察されている。

更に、多くの動物の同性愛行動が、不自然だと、考える者は、いない。逆に、それが、自然の一部と、みなされているのである。

だから、
人間が同性愛の欲望や行動を示す唯一の種であるとしても、そのことはそうした欲望や行動を「不自然」として分類する理由とはならぬであろう。
ということになる。

同性愛が、自然に、反する行為ということは、全く、お門違いの話である。
更に、特異行動でもなく、それは、ある意味、自然な行為でもある。

人間のエロスは、百人百様である。

成人した人間の、性行動に関しては、その本人の、責任の範囲にあるものであり、他の誰もが、介入できないものである。

人の、ベッドを覗き見するという、下品な行為は、宗教の、得意とするところである。

更に、ジョンの、自然についての、論述を見ることにする。


      
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   <title>性について。１００</title>
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   <published>2010-03-21T08:11:22Z</published>
   <updated>2010-03-21T08:15:32Z</updated>
   
   <summary>ここで、少し、特に、ヨーロッパにおける、歴史的見地から、同性愛というものを、眺め...</summary>
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      ここで、少し、特に、ヨーロッパにおける、歴史的見地から、同性愛というものを、眺めてみる。

その、手引きは、キリスト教と同性愛、ジョン・ボズエル著である。
副題は、１世紀から１４世紀のゲイ・ピープルである。

キリスト紀元の始めから中世の終わりまでのあいだに若干の少数者に対するヨーロッパ人の態度には大きな変化があった。はじめのうちは、目立たないとはいえ社会の本流の一部を形成していたのだが、しまいには差別され、軽蔑され、ときには過酷に抑圧される周辺集団を構成するに至ったのである。
ジョン・ボズエル

ゲイ・ピープルのことである。
当然の如くに、存在した、ゲイたちのことである。

中世ヨーロッパとその諸制度を異常に不寛容であるとか、不寛容を特徴として描くのは正確とも有効ともいえない。さらに、とはいわぬまでも、同じくらい社会的不寛容に傾きがちな時代がほかに多く存在した。
ヨーロッパの少数派の大多数は、「暗黒時代」よりも「ルネッサンス」のあいだのほうが生活水準が低かったし、他のいかなる世紀も２０世紀のそれと同じほど破壊的な毒をもつ反ユダヤ主義を目撃したことがないのである。さらに、この二つのテーマーーー不寛容および中世ヨーロッパーーーを、あたかも互いに一方がある意味で他方の歴史的説明であるかのように扱うと、どちらのテーマを理解することもまず不可能になる。中世ヨーロッパの社会史、およびおそらくそれ以上に、社会的現象としての不寛容の歴史的起源とその影響といった問題ははるかに精密な分析が必要なのである。
ジョン・ボズエル

彼は、不寛容は、２０世紀の良心の重圧となって、のしかかるという。
だが、歴史の流れの中での、不寛容の本質、広がり、起源、その影響については、ほとんど知られていないとの、論説である。

同性愛の、差別、つまり、社会の、不寛容について、学者として、大いに、分析を進めてゆくのである。

何故、同性愛が、差別の対象とされるようになったのか。更に、社会が、不寛容に、彼ら、ゲイ・ピープルを、差別し、抑圧するようになったのか。

勿論、キリスト教の、教義に発するものが、大きいのであるが、更に、それを、グローバルに、捉える研究をしている。

単に、旧約聖書の神、ヤハァウエが、同性愛行為は、異教徒の行為であり、許されないと、断定したことから、のみ、始まるのではないということ。

更には、教会が、性的快楽を、罪とする、判断をしたことにより、生殖を伴わない、男女間の性交も、更に、生殖を全く伴わず、快楽のみを求めた、同性愛行為を、罪と、定めたということは、大きい。

ヨーロッパ中世を通じて不寛容の対象となったもろもろの集団のなかでも、ゲイ・ピープルがこの研究のために役立つことには多くの理由がある。
ジョン

ユダヤ教徒とイスラム教徒と違い、ゲイ・ピープルは、ヨーロッパの至るところで、あらゆる階層の人々の間に、散らばっていたという。

彼らは、異端者や、魔女のようではなく、どの時代でも、少数者として、存在していたのである。

更に、ゲイ・ピープルに対する、敵意は、庶民の偏見と宗教的確信の混同を、他に例がないほど、明確にする。

特殊な、偏見を支えている、宗教的確信を、一般の人々が、抱いている限り、両者を分離することは、事実上不可能である。しかし、いったん、宗教的確信が、放棄されると、分離が完全なものとなって、元の結びつきは、大半が理解し難いものとなるのである。

例えば、ジョンは、一例を挙げて、ヨーロッパの、大半の国では、今日「ユダヤ人をその信仰のために虐げてはならない」というのが一信仰箇条であるが、１４世紀には、「虐げなければならない」というのが、同様に、一信仰箇条であったという。

それは、前近代ヨーロッパの、多くのキリスト教徒に、極めて、重要な宗教的義務だったことである。

１４世紀の、キリスト教は、ユダヤ人を改宗させること、というのが、宗教上の、信条だったこと。
ユダヤ人に対する、偏見の混同が、あまりに、完璧だったという。

だが、２０世紀に入り、現代キリスト教徒の大半が、中世の、宗教的信念に、基づいて、加えられた、虐待の真剣さに、疑念を持つほどになった。

ジョンは、
宗教と偏見の混同が根強く残っているものの、それがまれで疑問視されるようになった時代のみ、両者の有機的関係を納得のゆくわかりやすい方法で分析することができるといえよう。
と、言う。

現代西欧社会は性的に特異なさまざまな集団について、まさにそのような移行期にあると思われ、ゲイ・ピープルはそうした偏見の歴史を研究する上で、またとない好個の機会を提供してくれるのである。
ジョン

ゲイは、今尚、厳しい禁止法、公衆の敵意、種々の儀礼的抑圧を、受けている。
そして、それは、すべて、宗教の、正当性を持つのである。

ジョン・ボズウェルの研究は、キリスト教であれ、他の宗教であれ、信仰が、ゲイに対する、不寛容の、原因であったとする、一般的な、見解を反駁することに、当てられている。

何故、ゲイが、宗教及び、それによる、不寛容の対象にされるのか。
更に、それは、時代と共に、変化し、ゲイの存在に対しての、寛容を見出す研究ともいえる。

注意深く分析してみればほとんどつねに、宗教道徳を良心的に応用することと、私的悪意や偏見を正当化するために宗教の教えを利用することとの区別は付くものである。
ジョン

そして、実に、興味深いことを提言する。

もし、虐待を正当化するために宗教の規制を用いるひとびとが、同じ宗教法典に含まれる同様に厳格な教えを常日ごろ無視しているならば、あるいは忌み嫌われる少数派を規制する禁止条項が絶対不可侵のものとして一語一句の疎漏もなく厳守されている一方で、多数派に影響のある同様の教えが緩和されたり解釈し直されているとすれば、虐待を動機付ける理由としてなにか別のものがあることを疑わねばならないのである。
ジョン


      
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   <title>性について。９９</title>
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   <published>2010-03-20T15:08:12Z</published>
   <updated>2010-03-20T15:12:37Z</updated>
   
   <summary>アラブやアジアの多くの国では、同性愛行為はごくありふれたものであり、たいていの人...</summary>
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      アラブやアジアの多くの国では、同性愛行為はごくありふれたものであり、たいていの人から気楽な無関心で見過ごされるため、大きな問題が生じること殆どない。しかし世界全体がアメリカの影響を蒙るようになった現在、事情は急速に変わりつつある。発展途上国の進歩的思想の持ち主たちは、原始的と解釈されそうな行動に関して大いに神経質になってきている。そしておそらくそういうことが原因で、アメリカの知識人の動きは法的規制廃止の方向をたどっているにもかかわらず、レバノンやモロッコなどの国々の近代刑法典には、同性愛を犯罪視する規制が取り入れられているのであろう。
同性愛　ウェスト

この、著作は、３０年前のものである。

同性愛行為が極めて一般的な習性であることは昔も今も変わらないが、それに対する人々の考え方が西洋化するに従い、数々の社会問題が出現するようになった、というのがより正確な説明といえそうである。
ウェスト

上記は、すでに、加速して、変化している。

英米文明の、同性愛者に対する、極端で、不合理な敵視は、多くの社会悪を引き起こす、原因となっているというのである。

彼らに重くのしかかる罪の意識や疎外感がなければ、彼らの多くは社会にもっとよく適応し、より有能な仕事をすることができるであろうし、敗北的な行動や神経衰弱、意気消沈、自殺などに走ることもずっと少ないであろう。
ウェスト

だが、時代は、変わった。
イギリスでは、ゲイの存在を無視して、商売が成り立たなくなるほどの、勢いである。
更に、世界的に、行われる、ゲイパレードである。

それは、後戻りできないほど、ゲイの存在を、認知させる力になった。

兎に角、中世から、少し前の、現代に至るまで、同性愛というものは、タブーであり、敵視され、社会から、排除されていたのである。

そして、差別は、甚だしい。
だが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教社会においては、未だに、同性愛に対する、態度は、旧態依然としてある。

それはそれ、という、対応をしつつあるが、宗教的には、未だに、解決されない問題であり、罪の裁きを受けなければならないという、教義がある。

宗教的、観念の支配する、国の社会では、ゲイ解放といえども、まだ、それには、激しい抵抗があるのである。

ゲイ解放に至る道には、まだ、強い、困難があった。

倒錯者の実情が以前より世間に知れ渡るようになってきたことが、ある意味では事態を一層悪化させている。というのは、自己の立場に対して確固とした認識をもたぬ若い同性愛者は、ある程度の寛容さを期待させるような風潮をまともに受け取り、そのためにより強い疎外感を味わわされることが多いからである。また正常人の側の知識が増すにつれ、倒錯癖を隠すことはますます困難となり、詮索好きな親類縁者の目を逃れることは特に難しくなっている。自然な成り行きからほんの数回同性愛経験をもったというような若者たちは、倒錯者の陥る恐ろしい問題の数々を耳にし、自分のことを永久に無能で堕落した存在と思いこむかもしれないのである。
ウェスト

ウェストも、この程度の、理解なのである。

同性愛は、倒錯者である。

だが、３０年前から、多くのゲイ小説が、世に登場するのである。

同性愛者の、反撃が、激しく展開される。

まず、倒錯という、言葉に対する、反撃である。

正常とは、何か・・・
正常とは、男女の性行為のみに言えることなのか。
同性愛行為は、正常ではないというのは、単に少数派だからであろう。

多い民族も、少ない民族も存在する。
少ない民族は、正常ではないのか。

更に、障害を持つ人たちは、どうか。正常ではないのか。

様々な、議論のうちに、ゲイのパワーが、増していった、経緯がある。

だが、Ｒ・Ｅ・Ｌ・マスターズは、同性愛擁護者たちの運動を評して、
彼ら同性愛者は正常な人間より優れているというような素振りをみせたり、適度の寛容さの枠を越える大幅な自由を要求したりする点において、世間の同情を失っている。
と、言う。

同性愛者たちは、社会の不当な、糾弾に対して、反撃を試みる。
ウェストは、それは、敗北者に特有の反動にすぎないと、言う。
そして、
結果的に、彼らが政治的な危険分子であるという、印象を広めると。

この、政治的危険分子というのが、ポイントである。
同性愛者が、政治的発言を得ることは、同性愛者以外の人たちからは、脅威なのである。

何とか、同性愛者たちの、政治的活動や、運動を阻止して、おかなければならない。
為政者も、同じく。更に、宗教家、その指導者たちも、である。

同性愛者は、支配し難い、という、イメージを、強く抱かせるのである。
これが、恐怖を呼ぶのである。

同性愛者が、団体となり、多数派を攻撃し始めたら、収集がつかなくなるという、恐怖である。

国家の、最小の単位は、家庭である。
家庭は、父と母という、男女によって、成り立つものである。
これが、強迫観念のように、為政者や、宗教家、その指導者たちを、同性愛者を否定させる、大きな要因なのである。

同性愛結婚などと、権利を主張されては、たまらないと、思うのである。
しかし、同性愛結婚を、認める国や、アメリカでは、州も、出来たのである。
更に、アメリカ軍は、軍隊における、同性愛者の入隊を、認めるという、段階に入ったと、
発表した。

時代は、どこかへと、流れてゆくものである。

      
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   <title>伝統について。２８</title>
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   <published>2010-03-19T21:53:58Z</published>
   <updated>2010-03-19T21:58:06Z</updated>
   
   <summary>山菅の　乱れ恋ひのみ　為しめつつ　逢はぬ妹かも　年は経につつ やますげの　みだれ...</summary>
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      山菅の　乱れ恋ひのみ　為しめつつ　逢はぬ妹かも　年は経につつ

やますげの　みだれこひのみ　せしめつつ　あはぬいもかも　としはへにつつ

山菅のように、心乱れて、恋する苦しさばかりを、させて、逢うこともない、妹よ。何年も、経っているのに。

片恋、つまり、片思いの歌である。
これは、辛い。
恋しても、会わないのであるから、辛さは、激しい。
乱れ恋のみ、とは、恋の苦しみに、心が乱れ、悶えているのである。


わが屋戸の　軒のしだ草　生ひたれど　恋忘草　見るに生ひなく

わがやどの　のきのしだくさ　おひたれど　こいわすれぐさ　みるにおひなく

わが家の、軒の、しだ草は、はえるばかりなのに、恋の忘れ草は、見ていても、はえる気配がない。

これも、片思いの歌。
恋忘れ草というものが、あるのか、どうか。
カンゾウという花との、解釈である。
黄色で、儚げに咲く花である。

打つ田にも　稗は数多に　ありといへど　えらえしわれの　夜をひとり寝る

うつたにも　ひえはあまたに　ありといへど　えられしわれの　よをひとりねる

耕す田に、稗は、沢山あるのに、選び、捨てられた私は、夜を、一人寝るのだ。

失恋である。
選ばれなかった。
えられしわれの
選ばれなかった私は、である。

万葉の時代も、今の時代も、同じである。

あしひきの　名に負ふ山菅　押しふせて　君し結ばば　逢はざらめやも

あしひきの　なにおふやまげ　おしふせて　きみしむすばば　あはざらめやも

あしひきの、山を名に持つ、山菅を、押しふせるように、契りを結ぶというなら、どうして、逢わないわけはないでしょう。

押しふせて、という、強い気持ちがあれば、私は、会いますというのである。

ここでは、あなたが、そうであるならば、ということである。
つまり、自分は、その用意が、いつでもあるということ。

実に、激しい恋である。


秋柏　潤和川辺の　小竹の目の　他人にはしのべ　君にあへなく

あきかしは　うるわかはへの　しののめの　ひとにはしのべ　きみにあへなく

秋の、柏が潤う、潤和川辺の、小竹で編んだ、目のように、他人には、思いを隠していられるが、あなたには、隠せないのだ。

一人、静かに、熱い思いを抱いている、その心は、あなたには、隠せないという。
目が合えば、隠せるものではない。

小竹で、編んだ目のように、という、比喩である。
その目のように、思いを隠しているという。

何一つをも、彼らには、喩えにする。・・・のように、である。
恋する心は、すべてが、新しく見える。
すべてが、新鮮に見える。

恋心、大和心である。
それが、普遍的になると、おおいなる、やわらぎの、こころ、となる。

      
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   <title>伝統について。２７</title>
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   <published>2010-03-07T23:27:06Z</published>
   <updated>2010-03-07T23:31:30Z</updated>
   
   <summary>湖葦に　交れる草の　知草の　人みな知りぬ　わが下思 みなとあし　まじれるくさの　...</summary>
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      湖葦に　交れる草の　知草の　人みな知りぬ　わが下思

みなとあし　まじれるくさの　しりくさの　ひとみなしりぬ　わがしたおもひ

湖の、葦に混じってはえる、草の、知草のように、私の思いを、人は皆知ってしまった。
つまり、私の恋の思いを、知られたのである。

隠せようにも、隠せないのが、恋心である。

下思い、とは、心の中の思いである。

山ぢさの　白露しげみ　うらぶれて　心も深く　わが恋ひ止まず

やまぢさの　しらつゆしげみ　うらぶれて　こころもふかく　わがこひやまず

山ぢさという木が、白露で、しとどに濡れるように、心の深くで、私は、恋し続ける。

うらぶれて、は、しおれて、という意味である。
恋に、うちしおれて、という意味になり、恋する心の、切ないさを歌う。

湖にさ　根延ふ小菅　しのびずて　君に恋ひつつ　ありかてぬかも

みなとにさ　ねはふこすげ　しのびずて　きみにこひつつ　ありかてぬかも

湖に、盛んに根を張る、小菅のように、堪えずに、君に恋して、過ごしたい。

恋を思う、その相手を思う。それが、楽しい。
恋する事が、切ないことばかりではない。
切ない中に、楽しくてしようがない、気持ちがある。

それは、生きていることが、楽しいのだ。
生きていればこそ、恋することが、楽しいのだ。

山城の　泉の小菅　なみなみに　妹が心を　わが思はなくに

やましろの　いずみのこすげ　なみなみに　いもがこころを　わがおもはなくに

山城の、泉の小菅が、靡くように、なみなみに、妻のことを、思わないことはない。

思はなくに
思うわけはないのだ、が、それは、思うからなのだ。
思いに溢れる心なのだ。

見渡しに　三室の山の　巌菅　ねもころわれは　片恋そする

みわたしに　みむろのやまの　いはほすげ　ねもころわれは　かたこひそする

見渡せる、三室の山の岩にはえる菅が、根を張るように、私も、根を張るように、片思いをする。

一方的に好きだと、思い続けるという。
その心が、生きることになる、という、万葉人の恋に対する思いである。

菅の根の　ねもころ君が　結びてし　わが紐の緒を　解く人はあらじ

すがのねの　ねもころきみが　むすびてし　わがひものをを　とくひとあらじ

菅の根のように、心から、あなたが結んだ、私の紐を、解く人はいないだろう。

愛する人に、結んでもらった、紐は、その人でなければ、解けないのである。
つまり、相思相愛だからである。

妻が、結んだ紐は、妻の思いに結ばれている。

単なる、結びという行為に、思いを乗せたのである。
これが、生かされて、伝統が出来る。
逆に、囚われすぎると、迷信になる。

その、結びが、解けると、二人の間が、解けるなどという、迷信である。

万葉は、日本人の心の、原風景である。
祖先たちは、そのように、生きていた。

      
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   <title>最後の沈黙を破る。３５</title>
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   <published>2010-03-06T21:26:25Z</published>
   <updated>2010-03-06T21:30:27Z</updated>
   
   <summary>公立学校の、教師たちが、国歌斉唱の際に、起立しないのは、良心であり、強制されるの...</summary>
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         <category term="沈黙を破る" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      公立学校の、教師たちが、国歌斉唱の際に、起立しないのは、良心であり、強制されるのは、良心の侵害であると、言う。

いつまでも、こんなことを、やっていられるのか。
それは、日本が、実によい国だからである。

国歌斉唱の際に、起立することを、教育するのは、子供たちに、世界の常識を教えるということである。

日本にいて、どこの国にも、行かないというならば、それでいい。
しかし、国際社会と、関わらずに生きることの出来ない時代である。

国歌斉唱の際に、起立するのは、世界の常識であるということを、教えるものであること、重々言っておく。

どこの国に、行っても、その国の、国旗や、国歌に対しての、礼儀があり、更に、その国独自の、貴いとされるものがある。

日本の若者は、外国に出掛けて、非常に恥ずかしい真似をする。
例えば、タイに行き、仏像の上に全裸で乗るという。
タイは、上座部仏教の国である。
知らないとして、許されることではない。

更に、戦争犠牲者の、メモリーパークなどでの、行為等々。
イタリアの大聖堂に、落書きしたという、アホもいる。

これ、すべて、教育の成果である。

言論の自由であるから、校舎を離れれば、自由であるが、校舎の中にいて、教師である以上は、公人である。

その立場というものを、考えての、良心の自由だろうか。
サヨク系といわれる人たちに、多い。

そのサヨク系の人たちが、好きな中国では、どうか。
そんな真似をすれば、どんなことになるのか。

また、イスラムの国に行けば、どんなことになるのか。
甚だしい場合は、その場で、射殺されても、文句は、言えない。

強迫神経症である。

国旗や、国歌に対して、あらかじめ、特殊な観念を植え付けられたのである。
洗脳である。

国旗掲揚に際しても、起立するのが、常識である。
世界の常識でもある。

日教組が幅を利かせる地域では、先生が、子供たちに、国歌を教えず、更に、国歌斉唱の際に、歌いたくなければ、歌わなくてもいいと、言う。

それ以前に、子供たちが、国歌を知らないという、例が多々ある。

良心という言葉を、出す前に、礼儀作法というものが、優先される場が多々あるということである。

日教組、労働組合などの、組合組織というのは、サヨク系であり、礼儀作法を知らないことでも、有名である。
自分たちの、作法は、人に求めるが、全体の作法は、無視する。

とんでもない、組織であり、それが、教育の現場にいるという、事実は、いかなることか。

日教組は、日教組で、学校を作り、日教組の教育をすれば、いい。
と、私は思う。

更に言う。
教師の、隠微極まる事件が多い。
少女売春などは、実に教師に多い。

まさか、それも、良心の自由とは、言わないだろう。

日本は、法治国家であるから、法に則って、裁かれる。

自由があれば、義務がある。

義務は、礼儀作法にも、関わってくる。

どうしても、国歌斉唱に、起立できないというなら、私立学校の、教師になるべきである。

天皇陛下でさえ、強制の無いように、と、仰せられた。
実によい国、日本である。


      
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   <title>もののあわれについて。４３０</title>
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   <published>2010-03-06T01:50:23Z</published>
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   <summary>かの御住まひには、ひさしくなるままに、え念じすぐすまじう覚え給へど、わが身だにあ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://countertenor-nobuo.com/tenzan-blog/">
      かの御住まひには、ひさしくなるままに、え念じすぐすまじう覚え給へど、わが身だにあさましき宿世と覚ゆる住まひに、いかでかは。うち具してはつきなからむさまを思ひかへし給ふ。所につけて、よろづの事さまかわり、見給へ知らぬ下人のうへをも見給ひならはぬ御ここちに、めざましう、かたじけなう、みづから思さる。煙のいと近く時々たちくるを、これや海女の塩やくならむと思しわたるは、おはします後の山に柴といふものふすぶるなりけり。めづらかにて、

源氏
山賎の　いほりにたける　しばしばも　こととひこなむ　恋ふる里人
やまがつの　いほりにたける　しばしばも　こととひこなむ　こひふるさとびと




須磨の、住まいでは、久しくなるにつれて、とても、我慢しきれないように、思われるが、わが身でさえ、驚くほかはない、運命だと思う、住まいに、どうしているのか。一緒になっては、不都合なことだろうと、思うのである。
場所柄のせいか、すべてのものの、様子が、違う。まるで、君のことなど、知らない、下人の暮らしなど、ご覧もされなかった、お方のこととて、自分ながら、心外にも、もったいなく、思うのである。
煙が、すぐ傍で、時々立ち上るのを、これが、海女の塩焼く煙かと、思っていたが、住まいの後の山で、柴というものを、燃やすのであった。
珍しく、
源氏
山がつが、あばら家に、焚く柴のように、しばしば、私を、尋ねて来ては、くれないだろうか、恋しい、京の人よ。

これは、作者が、下賎のものとして、源氏の生活を、描くのである。




冬になりて雪ふりあれたる頃、空のけしきもことにすごくながめ給ひて、琴を弾きすさび給ひて、良清にうたうたはせ、大輔笛ふきて、遊び給ふ。心とどめて、あはれなる手など弾き給へるに、ことものの声どもはやめて、涙をのごひあへり。



冬になり、雪の降り荒れる日、空の有様も、凄いものだと、ご覧になり、琴を弾きすさび、良清に、歌をうたわせ、大輔は、横笛を吹いて、お遊びになる。
君が心を込めて、しんみりとした曲を弾くと、ほかの楽器は、やめて、皆、涙をぬぐうのである。

あはれなる手など弾く、とは、表現できない気分の、様子を言う。あはれ、としか、書きようがないのである。





むかし胡の国に遣はしけむ女を思しやりて、「ましていかなりけむ、この世にわが思ひ聞ゆる人などをさやうに放ちやりたらむ事」など思ふも、あらむ事のやうにゆゆしうて、源氏「霜ののちの夢」と誦じ給ふ。月いとあかうさし入りて、はかなき旅の御座所は奥までくまなし。ゆかりの上に夜ふかき空も見ゆ。いりかたの月影すごく見ゆるに、源氏「ただこれ西に行くなり」とひとりごち給ひて、

源氏
いづかたの　雲路にわれも　迷ひなむ　月の見るらむ　事も恥づかし

とひとりごち給ひて、例のまどろまれぬ暁の空に、千鳥いとあはれに鳴く。

源氏
友千鳥　もろ声に鳴く　あかつきは　ひとりねざめの　床もたのもし

また起きたる人もなければ、かへすがへすひとりごちて臥し給へり。夜ふかくお手水まいり、念誦などし給ふも、めづらしき事のやうにめでたうのみおぼえ給へば、え見奉り捨てず、家にあからさまにもえいでざりけり。



昔、漢の元帝が、胡の国に、おやりになったという、女のことを、考えて、帝の胸中は、これ以上、どのようなものだったろうか。この世で、自分が思う女を、そのように、遠くへやるとは、などと、思うにつけ、我がことのように、不吉で、霜の後の夢と、吟じる。
月が、実に、明るく差し込んで、かりそめの、旅の住まいでは、奥まで、素通りである。
床の上からでも、夜の深い空が見える。
入り際の月の光が、凄く見えるので、ただ、これより、西に行くなりと、独り言を言い、
源氏
どの方角の、雲路に、私は、迷って行くのか。月の見ている手前も、恥ずかしいことだ。

と、独り言を言い、いつものように、うとうとともされない、暁の空に、千鳥が悲しく鳴くのである。

源氏
友千鳥が、声を合わせて鳴く。この暁は、一人寝覚めている、私も頼もしい感じがする。鳴くのは、一人ではないのだ。

ほかに、起きている者もなく、繰り返し繰り返し、一人口ずさんで、横になっている。
深夜、手を洗い、念仏読経などされるのも、このような方は、二人とないとまで、ご立派に見えるので、帰京する気も起こらず、我が家に少し、退出する気にも、ならないのであった。

おぼえ給へば
思われるという、源氏に対する敬語であるから、作者の気持ちである。

時に、このように、作者の思いが、入るので、物語が、難しく思われる。
主語というものが、必要ない、時代性、時代精神という。

現代の日本語も、日常会話では、主語が、使われないことが、多い。

これで、当時の、そして、日本人の心性というもの、実に、他者と、我とが、曖昧に、つながるのである。

この、微妙曖昧さというものを、たゆたふ、という、言葉で、表す。
明確にしない、精神世界は、自然、風土によるものである。

季節の、境目が、曖昧であるように、人の心も、曖昧に、捉えるのである。
それは、良い悪いの問題ではない。
それが、性質なのである。

      
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   <title>もののあわれについて。４２９</title>
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   <published>2010-03-05T09:55:41Z</published>
   <updated>2010-03-05T09:56:54Z</updated>
   
   <summary>五節はとかくして聞えたり、 五節 琴の音に　ひきとめらるる　綱手縄　たゆたふ心　...</summary>
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      五節はとかくして聞えたり、
五節
琴の音に　ひきとめらるる　綱手縄　たゆたふ心　君しるらめや

すきずきしさも人なとがめそ」と聞えたり、ほほえみて見給ふ、いとはづかしげなり。

源氏
心ありて　ひきての綱の　たゆたはば　うちすぎましや　須磨の浦波

いさりせむとは思はざりしはや」とあり。うまやの長に句詩とらする人もありけるを、ましておちとまりぬべくなむ覚えける。




五節は、何とか工夫して、お便りを差し上げた。
五節
ことのねに　ひきとめらるる　つなてなは　たゆたふこころ　きみしるらめや
琴の音に、引き止められた、綱手縄の、たゆたふ心を、あなたは、ご存知ないでしょう。

出すぎた振る舞い、お見逃しください。と、申し上げた。
にっこりして、ご覧になる。全く恐れ入る、美しさである。

源氏
まことに、真心あって、引く縄のたゆたふならば、素通りするだろうか。この須磨の浦を。

漁師になろうとは、思いも寄らないことだった、と、ある。
宿場の長に、詩を与えた方もあったが、五節は、それ以上の思いで、このまま、留まりたいと、思うのである。





都には、月日すぐままに、帝をはじめ奉りて、恋ひ聞ゆる折節おほかり。東宮はまして常に思しいでつつ忍びて泣き給ふを、見奉る御めのと、まして命婦の君はいみじうあはれに見奉る。入道の宮は東宮の御事をゆゆしうのみ思ししに、大将もかくさすらへ給ひぬるをいみじう思し嘆かる。御はらからの親王たち、むつまじう聞え給ひし上部達など、はじめつかたは、とぶらひ聞え給ふなどありき。あはれなる文を作りかはし、それにつけても世の中にのみめでられ給へば、后の宮聞しめしていみじう宣ひけり。大后「おほやけの勘事なる人は、心にまかせて、この世のあぢはひをだに知る事かたうこそあなれ。おもしろき家居して、世の中をそしりもどきて、かの鹿を馬といひけむ人のひがめるやうに追従する」など、あしきことども聞えければ、「わづらはし」とて、たえて消息きこえ給ふ人なし。





都では、月日が経つにつれ、陛下をはじめ奉り、お慕い申す折節が、多かった。
東宮は、それ以上に、思い出し、一人泣いていた。拝する、乳母、命婦の君は、それ以上に、あはれに思うのである。可愛そうに思う。
入道の宮は、東宮の事を、空恐ろしく思いだったが、大将までが、流浪なさってしまったことを、大変に嘆くのである。
兄弟の、親王たちも、親しくお話していた、上部達など、初めの頃は、お見舞いをすることもあった。
しみじみとした、文を作り交わし、それにつけても、世間から、褒められてばかりいるので、后の宮が、それを、聞きつけて、酷いことを言う。
朝廷のお叱りを受けている者は、気ままに、日々の食べ物を味わうことさえ、難しいという。凝った屋敷を構えて、世の中を悪く言ったり、非難したりするとは。あの、鹿を馬と、言ったという人の間違いに、同じく追従する。など、良くない噂が立つので、面倒だと、便りを差し上げる方も、なくなったのである。

東宮が、源氏の子であるとは、乳母以上に、命婦の君は、いみじうあはれに、思うのである。

勘事
かんじ、とは、勘当であり、罪を考え、法にあてるという意味。
大后は、源氏とっては、義理の母になるが、源氏を嫌う者である。




二条の院の姫君は、程ふるままに思しなぐさむ折なし。東の対にさぶらひし人々も、みな渡り参りし初めは、「などかさしもあらむ」と思ひしかど、見奉りなるるままに、なつかしうをかしき御ありさま、まめやかなる御こころばへも、思ひやり深うあはれなれば、まかで散るもなし。なべてならぬきはの人々には、ほの見えなどし給ふ。「そこらの中にすぐれたる御こころざしもことわりなりけり」と見奉る。




二条の姫君は、紫の上である。
時が経つにつれて、お心の安らぐときが無い。
東の対に、お仕えしていた、女房たちも、皆、こちらに、参上した頃は、まさか、それほどでもあるまいと、思っていたが、お仕えし、慣れるにしたがって、やさしく立派な様子も、日ごろの、お心づかいも、思いやり深く、心打たれるので、暇を取って、出てゆく者もない。
それなりの、身分の女房たちは、ちらりと、姿を見せたりもする。
大勢の中で、とりわけの、ご寵愛も、当然だと、思うのである。

思ひやり深くあはれなれば
やさしく、深いあはれを、持つという。
あはれ、の、風景が、実に広がっているのである。

慈悲深い心を、また、あはれ、として、皆、心打たれる。


須磨の物語も、後半である。
源氏の、須磨での、生活が、描かれる。
更に、源氏を、取り巻く人々の姿である。

それぞれの、やり取りが、細やかで、緩やかに、たゆたふ、のである。
源氏という、架空の人間の中に、すべての、人間の、有り様を、込めた物語である。

平安期の、朝廷、貴族の世界だからこそ、描けたのである。
庶民の生活の中では、描けない。
現代の社会は、平安期の、朝廷のような、社会である。
つまり、源氏物語は、未来の、人間の、日本人の、有り様を描いたといっても、よい。

      
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   <title>もののあわれについて。４２８</title>
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   <published>2010-03-04T12:23:06Z</published>
   <updated>2010-03-04T12:27:28Z</updated>
   
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      月のいとはなやかにさしいでたるに、「こよひは十五夜なりけり」と思しいでて、殿上の御遊び恋しく、「所々ながめ給ふらむかし」と、思ひやり給ふにつけても、月の顔のみまもられ給ふ。
源氏「二千里の外の故人の心」と誦し給へる、例の、涙もとどめられず、入道の宮の「霧やへだつる」と宣はせしほどはむかたなく恋しく、折々のことと思ひいで給ふに、よよと泣かれ給ふ。
家臣「夜ふけ侍りぬ」と聞ゆれど、なほ入り給はず。

源氏
見る程ぞ　しばし慰む　めぐりあはむ　月の都は　はるかなれども




月が、大変美しく、差し昇ったので、今夜は、十五夜であると、源氏は思い出し、宮中での、清涼殿の管弦などの、遊びが恋しくなる。そして、今頃は、都に残した、あちこちの、恋人も、物思いに沈んで、この月を眺めてたるのだろうと、思うのである。
更に、月の顔を、見るのである。
二千里の外、古人の心、と、口ずさむのを、例の如く、お傍の人々は、涙も、止める事が出来ないでいる。
入道の宮、つまり、藤壺が、霧や隔つると、御詠みになったことが、言いようも無く、恋しく、あのときのこと、このときのことなどと、思い出して、おいおいと、泣く。
家臣が、夜も更けてまいりましたと、言うが、なお、奥には、入らない。

源氏
月を見ている間は、少し心が、慰められる。都の恋しく思う人々に、再会するであろう月の都は、遥かに遠い。




その夜、上のいとなつかしう昔物語などし給ひし御さまの院に似奉り給へりしも、恋しく思ひいで聞え給ひて、源氏「恩賜の御衣はいまここにあり」と誦しつつ入り給ひぬ。御衣はまことに身になたず、かたはらに置き給へり。

源氏
うしのとのみ　ひとへにものは　思ほえで　ひだりみぎにも　ぬるる袖かな



あの夜、兄の、朱雀帝が、たいそう親しみ深く、昔の話などをされた姿が、今は亡き父の、桐壺院に、似ていたのも、源氏は、恋しく思い出して、申し上げる。
恩師の御衣は、今ここにあり、と、口ずさみ、奥へ入った。
帝から、頂いた御衣は、本当に、身に離さず、お傍に置いてある。

源氏
辛いと、一途に思うことが出来ずに、ああも、こうもと、左の袖も、右の袖も、涙で、濡れることだ。



源氏の、切なさは、誰にも、知られてはいけない、藤壺との関係と、その子、東宮、後の、冷泉帝の、地位の死守のため、ひたすら、流人の如き日々に、耐えているのである。

現在の、帝の、母、皇太后から、源氏は、嫌われている。
それで、身を潜めて、東宮の将来のためにと、耐えるのである。





そのころ大弐はのぼりける。いかめしく類ひろく、女がちにて所せかりければ、北の方は船にてのぼる。浦づたひに逍遥しつつ来るに、ほかよりもおもしろきわたりなれば、心とまるに、大将かくておはすと聞けば、あいなう、すいたる若き女たちは、舟のうちさへ恥づかしう、心げさうせらる。




大弐とは、大宰府の次官である。
その頃、大弐が、上京した。
ものものしいほど、縁者が多く、娘も大勢で、大変だったので、北の方は、船で上る。
浦づたいに、ぶらぶら遊びつつ来たところ、ここは、他よりも、景色が良いので、心惹かれ、更に、大将も、おいでになるということで、何にもならないのに、気取りやの娘たちは、船の中でも、気になり、衣紋を繕うのである。




まして五節の君は、綱手ひき過ぐるもくちをしきに、琴の声風につきてはるかに聞ゆるに、所のさま、人の御ほど、ものの音の心ぼそさ、とり集め、心あるかぎりみな泣きにけり。



まして、五節の君は、綱手をひき通り過ぎるのも、残念なのに、琴の音が、遥かに聞こえてくると、ここの様子、君のお人柄、事の音の、心細さなど、すべてが揃って、心あるものは、皆、泣いてしまうのである。




そち、御消息聞えたり。そち「いとはるかなる程よりまかり上りては、まづいつしか侍ひて、都の御物語もとこそ思ひ給へ侍りつれ。思ひのほかに、かくておはしましける遠やどをまかり過ぎ侍る、かたじけなうかなしうも侍るかな。あひ知りて侍る人々、さるべきこれかれまで、来むかひて、あまた侍れば、所せさを思ひ給へはばかり侍る事ども侍りて、えさぶらはぬこと。ことさらに参り侍らむ」など聞えたり。




そち、が、ご挨拶を申し上げた。
遥か、遠方から、上京いたしました上は、何よりも、先に、早速お伺いして、都の、お噂をも、伺おうと、存じました。驚きましたことは、このような、所に、お住まい遊ばします前を通り過ぎますとは、もったいなく、悲しいことです。
知り合いの者どもや、縁ある誰彼までが、出迎えて、大勢おりますので、窮屈に存知、ご遠慮いたしますことが、あれこれと、ありまして、お伺いできませんので。
また、改めて、参上いたします。などと、申し上げる。

所せさを思ひ給へはばかり侍る事ども侍りて
出迎えが、源氏であることで、都で、評判になると、源氏に迷惑をかけるというのである。




子の筑前の守ぞ参れる。この殿の、蔵人になし、かへりみ給ひし人なれば、いとも悲し。「いみじ」と思へども、また見る人々のあれば、聞えを思ひて、しばしもえ立ちとまらず。
源氏「都はなれてのち、昔したしかりし人々あひ見る事難うのみなりにたるに、かくわざと立ちよりものしたること」と宣ふ。御返りもさやうになむ。
守泣く泣くかへりて、おはする御ありさま語るに、そちよりはじめ、迎への人々、まがまがしう泣きみちたり。




子の、筑前の守が、参った。
こちらの、殿様が、蔵人にして、目をかけてくださった人なので、何とも言えず、悲しく辛いと、思うが、他に、見ている者どももいるので、人の口を、憚り、しばらの間も、留まることができない。
源氏は、都を離れて、以来、昔から、親しかった人々と、逢い見ることも、難しくなるばかりだった。このように、わざわざ、立ち寄っていれたとは、と、仰る。ご返書も、同様である。
守は、泣く泣く帰り、お住まいの様子を語ると、そちをはじめ、迎えの者たちも、不吉なほどに、泣いたのである。

源氏が、筑前の守、ちくぜんのかみ、に、目をかけて、六位の身でありながら、殿上の間に、出入りしたのである。
人は、それを、うらやましく思ったという。

旅の涙は、不吉なことだった。
ゆえに、不吉なほど泣くと、訳す。

      
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   <title>もののあわれについて。４２７</title>
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   <published>2010-03-03T12:00:38Z</published>
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   <summary>前裁の花いろいろ咲きみだれ、おもしろき夕暮れに、海見やらるる廊にいで給ひて、たた...</summary>
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      前裁の花いろいろ咲きみだれ、おもしろき夕暮れに、海見やらるる廊にいで給ひて、たたずみ給ふ御さまの、ゆゆしう清らなる事、所がらはましてこの世のものと見え給はず。




庭の、植え込みの花が、色とりどりに、咲き乱れ、趣深い、夕暮れに、海が見渡せる、渡り廊下に、お出になり、じっと、立っている様子が、ゆゆしう清らなる、不気味なほどに、美しいことは、場所柄ゆえに、まして、この世のものとは、見えないのである。

ゆゆしう清らなる事
不吉なほどに、美しい。
何故、こうまでして、源氏の美しさというものを、描くのか。
その美しさの、描写も、すべて、周囲の状況の中で描く。
決して、気具体的に、源氏の美しい様を、描くことはない。

それは、作家の手である。
作家の面目。
読み手の想像を期待するのである。





白き綾のなよよかなる、紫苑色など奉りて、こまやかなる御直衣、帯しどけなくうち乱れ給へる御さまにて、源氏「釈迦牟尼仏弟子」と名のりて、ゆるるかによみ給へる、また世に知らず聞ゆ。




白の綾の、手触りの柔らかいものを、下着に着て、紫苑色の、衣をお召しになって、色の濃い紫の直衣に、帯を、ゆったりと、しどけなく結び、くつろいだ姿で、釈迦牟尼仏の弟子と、名乗りを上げて、ゆっくりと、お経を、読む声が、また、この世のものとは、思えないほど、素晴らしく聞こえるのである。




沖より舟どものうたひののしりて漕ぎゆくなども聞ゆ。ほのかに、ただちひさき鳥の浮かべると見やらるるも、こころぼそげなるに、雁のつらねて鳴く声梶の音にまがへるを、うちながめ給ひて、涙こぼるるをかき払い給へる御手つき、御数珠に映え給へるは、ふるさとの女恋しき人々の心みななぐさみにけり。

源氏
はつかりは　恋しき人の　つらなれや　旅の空とぶ　声のかなしき

と宣へば、良清、
かきつらね　昔のことぞ　思ほゆる　かりはそのよの　友ならねども

民部大輔、
こころから　とこよをすてて　なくかりを　雲のよそにも　思ひけるかな

前の右近の丞
とこよいでて　旅の空なる　かりがねも　つらにおくれぬ　ほどぞなぐさむ

友まどはしては、いかに侍らまし」と言ふ。
親の常陸になりてくだりしにもさそはれで、参れるなりけり。下には思ひくだくべかめれど、ほこりかにもてなして、つれなきさまにしありく。




沖を通り、何艘もの、漁師の船が、大声で、歌いながら、漕いでゆくものも、聞こえてくる。
その船が、かすかに、ただ、小さな鳥が、浮かんでいるように見えているのも、心細い有様である。更に、雁が、列を作って、鳴く声が、船の、梶の音に、間違いそうなほど、似ているのを、源氏は、物思いに、耽って、ご覧になり、涙が、こぼれ落ちるのを、払いのけている、手つきが、数珠に、美しく映えているのを、拝見すると、都に残してきた、妻や、恋人を恋しく思う、人々の心も、みな、慰められるのである。

源氏
初雁は、恋しい人の、仲間なのだろうか。旅の空を飛ぶ声が、悲しく聞こえるものだ。

と、詠まれると、良清は、
次々と、昔のことが思い出される。雁は、その時の、友ではないが。

民部大輔は
心から、常世を捨てて、鳴いている雁を、雲の彼方の、無縁のものと、思っていたことだ。

前右近丞は
常世の国を出て、旅の空にいる雁も、仲間と一緒にいる間は、慰むことだ。

友に、はぐれたら、どんなんでしょうか、と、言う。
右近丞は、親が、常陸介になって、任国に下っていったにも、着いてゆかず、源氏の、お供に来ているのである。心の中では、思い悩んでいるに違いないが、快活に振舞うのである。

つれなきさまにしありく
さり気ない様子でいる

源氏を慕うのである。
我がことよりも、源氏のことを、思う人々である。

誰もが、源氏の方が、辛い境遇にあると、思う。

その証拠は、歌である。

心から　とこ世を捨てて　なくかりを　雲のよそにも　思ひけるかな
故郷である、常世を捨てて、鳴いている雁を、今までは、無縁のものと、思っていたというのである。
しかし、
常世いでて　旅の空なる　かりがねも　つらにおくれぬ　ほどぞなぐさむ
常世の国を出て、旅の空にいる、雁も、仲間と一緒にいる間は、心が慰む、のである。

      
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   <title>神仏は妄想である。２６３</title>
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   <published>2010-03-02T15:56:31Z</published>
   <updated>2010-03-02T16:01:28Z</updated>
   
   <summary>仏教において、タントラの思想は、単色、または、彩色した図形によって、表現される。...</summary>
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      仏教において、タントラの思想は、単色、または、彩色した図形によって、表現される。

ヒンドゥー教では、ヤントラと、言われ、仏教では、曼荼羅と呼ばれる。

ヒンドゥー教のヤントラは、三角形が基調で、上向きの三角形は、男性原理を、下向きの三角形は、女性原理を象徴し、複数の、三角形を交互に組み合わせたものが、基本である。

曼荼羅は、九世紀のはじめ、空海よって、金剛界と、胎蔵界が、一対になった、両部曼荼羅が、もたらされた。

曼荼羅は、仏や、菩薩の集合図のように、思われているが、もともとは、インドで、神々を招いて、祭祀を行う際に、土壇を築き、その儀礼を仏教が、取り入れたものである。

仏教が取り入れたというが、それは、大乗仏教である。

仏教の曼荼羅は、ジャイナ教のような人体宇宙図や、ヒンドゥー教のような、人体、蓮花、チャクラ、鳥獣、さらには、三角形と四角形の組み合わせはない。
すべて、仏、菩薩、明王などの、具体的な姿をとって、表現される。

両部曼荼羅という、考え方は、中国独特の考え方で、インドに起源を求めることは、できない。

胎蔵曼荼羅は、行タントラの代表経典とされる、大日経に基づいて、描かれたもので、中央の大日如来の周囲を、四仏、四菩薩を並べた、八葉の蓮弁が、取り囲む。

中央八葉院と名づけられる、中心部の四方を方形に囲む十一のセクションからなる。

内側には、釈迦、文殊、観音、金剛手など、仏や菩薩が、グループごとにまとめられ、一番外側の四方の囲いは、ヒンドゥー教の神々で、埋められている。

この、曼荼羅の意味は、母親が、胎児の成長のために、限りない慈しみと、愛情を注ぐというように、仏陀が、生きとし、生けるものに、無限の大慈悲を及ぼすという姿を、図形にした。

金剛界曼荼羅は、ヨーガタントラの代表とされる、金剛頂経に拠って、描かれたもの。
金剛とは、堅固で、壊れることのない、悟りの心、すなわち、菩提心をダイヤモンドにたとえて、それを、本体、すなわち界とする、曼荼羅という意味である。

全体を縦横三種の、枠によって、区切った、九個の囲いからなる。
中央が、成身会といわれ、全体の核となる、部分で、大日如来を中心に、三十七尊よりなっている。

胎蔵曼荼羅には、大乗仏教により、取り込まれた、膨大な数にのぼる、仏、菩薩、明王から、星宿、鬼神にいたるまで、整理されている。

金剛界曼荼羅は、大日如来を中尊とする、四仏を核に、合計三十七尊からなる。
大日如来以外の、諸尊は、金剛の名を持つ、密教独特の菩薩に生まれ変わっている。

つまり、胎蔵の方は、仏、菩薩、ヒンドゥーの神々をそのまま、取り込んだもの。
金剛の方は、それに、仏教独特の、考え方を、付け加えたものということになる。

後期のインド密教、チベット密教では、金剛曼荼羅のみを、生成発展させた。
胎蔵曼荼羅の必要性が、無くなったといえる。

曼荼羅というもの、タントラ美術である。
美術以外の、何物でもない。

一体、それに、つまり、タントラ美術に対して、信仰という、対応が、如何なるものか。

現代に、それが、美術として、理解されるが、宗教的な、意味づけは、もはや、意味を成さないのである。

さらに、仏教という宗教、釈迦仏陀の、仏教という意味では、全く関係が無い。

そのような、方法、修行などを、徹底して否定したのが、釈迦仏陀であるから、どう、見積もっても、空海の密教というもの、仏教とは、認められないし、また、甚だしく、空海の野心による、誇大妄想といえる。

インドタントラというのは、インドの伝統として、認めることは、できる。
それぞれの、民族の、持つものである。

それを、日本に輸入し、さらに、宗教の位にまで、上げて、さらには、空海は、天皇まで、取り込んで、我が世の春を生きたのである。

空海を、一人の天才と、認めることは、出来るが、彼の、創作、妄想した、想像の産物、大日如来の存在などは、妄想以外の何物でもない。
大日如来は、空海の妄想ではないが・・・大日経による。

大乗により、堕落した、仏法が、更に、堕落して、密教まで、生んだこと、嘆かわしい。

大乗とは、詭弁の何物でもない。
在家信者を中心にした、仏教復興運動とは、聞えはいいが、単なる、新興宗教の域である。

更に、日本の、仏教、特に、鎌倉に代表される、仏教は、釈迦仏陀の、仏法とは、全く関係無いものである。

ということは、すなちわ、それから、出る、すべての、仏教系の新興宗教は、仏法とは、全く関係ないものである。

以前に書いた、法然、親鸞、道元、日蓮などは、ただ、迷っただけである。
いや、それぞれが、新しい宗教を拓いたというならば、理解するが、彼らは、仏教と、名乗り、仏法を語るのであるから、実に、浅ましく、愚かである。

ただ、許せるのは、彼らの時代は、情報が、少なく、それが、事実だと、信じたことである。
現在では、それらの、成立過程が調べられ、どのように、出来たのかが、分るようになった。

騙されないのである。

それでは、例えば、日本の神道の場合などは、宗教ではなく、伝統としてあり、誰も、神道布教などはしない。
生活の中に、インド人が、タントラを有するように、日本人は、神道を有するのである。

それを、インド人に、布教するものなどいない。
それと、同じである。

いくら、天竺に憧れたとはいえ、それはないであろう。
更に、中国を通して、伝えられたものである。
中国人の理解を、通して、伝えられたのである。

更にいえば、生成発展した、チベット密教などと、比べると、大人と子供の差であろう。

密教に限っていえば、である。
私は、チベット密教にも、怪しさを観るものである。

もし、チベット密教に力があるならば、中国から、ダライ・ラマが、インドに亡命する必要は無い。
その、呪術に力が無いのである。

更に、即身成仏を果たしたならば、この世の国など、無くても、いいだろう。

チベット民族に対する、問題ではない。
私は、チベット民族の、理想的な、中国における、自治を願っている。


      
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   <title>神仏は妄想である。２６２</title>
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   <published>2010-03-01T21:29:55Z</published>
   <updated>2010-03-01T21:34:17Z</updated>
   
   <summary>インド文化の、根底には、タントリズムがあり、それは、インド人の、様々な領域に生か...</summary>
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      インド文化の、根底には、タントリズムがあり、それは、インド人の、様々な領域に生かされ、包括されている。
そして、ヒンドゥー社会の基盤ともなる。
更に、それは、仏教、ジャイナ教も、その影響から、逃れることは、できなかったといえる。

仏教の経典に、従来のスートラに、かわって、タントラという名があらわれたのは、七世紀の後半である。

タントリズムと呼ぶ傾向が、仏教の中に、取り入れられたのは、大乗仏教の中にである。

在家仏教の教団の中に、民衆の日常生活の、規範が、知らず知らずのうちに、侵入したともいえる。

仏像の造り方、礼拝の仕方、供養の仕方などが、次第に、仏教経典の中に、現れ始め、バラモン教の、宗教儀礼や、呪法なども、仏教に取り入れられた。

更に、アーリア起源、非アーリア起源の、神々が、仏教の中に取り込まれて、仏教の諸仏、菩薩、明王、諸天として、生まれ変わるのである。
純粋仏陀の、仏法というものから、どんどんと、遠のいたといえる。

釈迦仏陀は、それらの、迷い、迷信から、逃れることを、解いたはずである。

仏教タントラは、四種類がある。
所作タントラ、行タントラ、ヨーガタントラ、無上ヨーガタントラである。

所作タントラは、諸仏を供養したり、礼拝する儀式、及び、それを行うための、必要な、真言とか、讃、印契という、外面的な所作を中心にする。

行タントラは、その上に、内面的な瞑想の作法を加えたもので、特に、日本の、密教、空海が、重要視した、大日経である。

ヨーガタントラは、内面的なヨーガ、瞑想法を中心に、行者と、仏、菩薩との、合一をはかる、行法を解いた、金剛頂経などの、経典にあたる。

無上ヨーガタントラは、ヨーガタントラの行法を、より高度に、体系化する。
人間の呼吸、気管、脈管などの、生理作用を応用して、仏と、人の、一体化をはかる。
これは、方便・父タントラ、般若・母タントラに、分けられる。

方便・父タントラの代表とされる「秘密集会タントラ」は、俗説にいわれるように、禁欲的な秩序が崩壊したさいに生まれた秘密会議の産物という意味ではない。秘密集会という言葉からこういったイメージが抱かれがちであるが、人間の身体的な活動、言語活動、精神活動の三種の働きを「三業」と呼び、それらがもともと仏の三種の働きと同じであるところから「三秘密」ともいわれるわけで、この三秘密がタントラ名の「秘密」の本当の意味なのである。タントラ行者の「身語心」という三秘密を一体化することが「集会」であって、それによって究極の悟りが得られるとされるのである。
ムケルジー

ある、新興宗教の、密教系のＳ苑では、こともあろうに、この三秘密を、三密と言い、それが、真言密、天台密、そして、Ｓ苑密だと、馬鹿なことを言う。
子供騙しも、いい気なもので、教祖一家を奉り、信者に拝ませているという、仰天である。

更に、馬鹿なのは、信者であり、全く、仏教というもの、密教というものを、知らないでいる。
恐ろしいのは、霊能者養成である。
霊能者の、免許を与えるというもの。
つまり、密教的に、怪しさを演出するものである。
死んだ、信者たちが、どこに行っているのかも、知らない、霊能者であるから、終わっている。

父・タントラのヨーガの方法には、多少とも左道的な傾向が含まれているが、基本的には真理が曼荼羅諸尊として展開するプロセスを行者が観想するわけである。その場合曼荼羅の中心となる五仏だけが妃をともなっているけれども、その他に女性的な要素はない。
ムケルジー

般若・母タントラの代表の「ヘーヴァジラ・タントラ」や「サンヴァラ・タントラ」に説かれるヨーガには、ヒンドゥー教的な色彩が濃厚で、曼荼羅の主尊も少なくない。行者の呼吸とか生理を利用して、真理の世界に融合していくプロセスが説かれている。
ムケルジー

インド密教の、最後期の産物としては、「カーラチャクラ・タントラ」という、ヨーガの面でも、父タントラと母タントラの両方の要素を、一元化しようとした形跡が見える。
十一世紀頃に、出来たもので、その頃に、インドに侵入して、仏教を破滅に追いやった、一つの原因となった、イスラムにも、言及している。

さて、日本の密教は、このインドの、タントラを源流とし、中国で、発展した、密教の影響を受けている。
だが、所作、行、ヨーガの、三種のタントラを基盤とした、無上ヨーガ密教の伝統は、全く、受け継いでいない。
それが、インドで、起こったのは、九世紀以後のことで、空海が、中国に渡った時代には、中国仏教にも、伝えられていないのである。

それが、伝えられたところは、チベットである。
チベットは、無上ヨーガタントラを、主流にしている。

インドにおいては、１３世紀以後、仏教は、ほとんど滅亡した。

つまり、タントラ仏教の、彫刻、絵画、曼荼羅、音楽、儀礼などは、チベット仏教に残されてあるのみ、である。

空海は、最後の、タントラを知らずに、中国の真言系のタントラのみ、身につけたのである。

そして、それを、自分なりに、思想体系化した。
優れた、頭脳の持ち主であるが、また、壮大な妄想力である。

仏教タントラでは、男性原理は、方便、女性原理は、般若と呼ばれ、両者の合一を、大楽という。

般若は、智慧であり、真理の世界にぞくするもの。それは、永遠に不滅であり、活動する事が無い。
対して、方便は、般若の活動を起こさせる元になる。
般若だけで、方便の活動を伴わなければ、真理も無意味である。
また、般若に基礎を持たない、方便も、危険である。

般若と方便とが、一体化して、はじめて、真理が完全に、顕示することができるという。
それを、大楽と、称し、男女の交合した姿で、シンボリックに示している。

だから、究極を言うと、インドのタントラを、知らないで、日本密教の云々は、無意味である。

空海が、創作した、日本密教であるという、方が、すっきりする。
空海が、重要視した、大日経については、後で、検証する。

      
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   <title>殺されるよりましだ・プノンペン１８</title>
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   <published>2010-02-28T20:59:47Z</published>
   <updated>2010-02-28T21:03:56Z</updated>
   
   <summary>われわれの心を最も掻き乱していたのは、２０人の幼い子供、とりわけ、１９７５年４月...</summary>
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         <category term="旅日記６" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      われわれの心を最も掻き乱していたのは、２０人の幼い子供、とりわけ、１９７５年４月１７日の後に強制移住させられた人々の子供の運命だった。この子たちは、あまりに空腹だったので、盗みを働いたのだ。彼らは逮捕されたが、それは罰せられるためではなく、野蛮きわまるやり方で殺されるためだった。

刑務所の看守は彼らが死ぬまで叩き、蹴っていた。
看守は、子供をおもちゃにして、足をしばり、屋根からぶら下げ、揺らしておいて、また蹴って動きを止めるのだった。
刑務所の近くに沼があった。死刑執行人は幼い囚人をそこに投げ入れ、足をつかって沈めた。哀れにも子供が痙攣をおこすと、彼らは子供の頭だけを水面に浮かばせ、それからまたすぐに水中に押し込みはじめた。
われわれ囚人は、そして私自身も、かくも残酷なやり方でこの世を去っていったこの子たちの運命について涙を流した。刑務所には八人の看守兼死刑執行人がいた。リーダーのブンとローンは一番野蛮だったが、全員がこの汚らわしい仕事に貢献し、同国人を苦しめさせるために残酷さを競いあっていた。

じわじわと、殺される者、直ちに、処刑される者。

その、どちらに入るのかは、禁止事項の違反、不純な社会的出身、体制に対する、明らかな離反、陰謀加担の疑惑などなどである。

最後の三つの理由の場合は、普通、被疑者は尋問を受け、以前の「やばい」かかわりあいを白状させられるか、あるいは有罪を認めて共犯者の名を明かさざるをえなくなった。ほんの少しでも言い落としやためらいがあれば、他のいかなる共産主義体制の国よりもずっと多く、拷問が使われることになった。
黒書

クメール・ルージュの、病的で、サディスティックな想像力を、豊かに、遺憾なく発揮したのである。

最も、普通に行われた方法は、頭に、プラスチックの袋をかぶせて、窒息状態にすることだった。

多くの囚人は、すでに衰弱していて、その場を、生き延びることは、なかった。
なかでも、最悪の蛮行の被害者だった女性は、真っ先に死んだ。

最も重大な場合、あるいは、「自白」が将来の告発のためにとりわけ役立つと思われるときには、囚人は刑務所群島の一段上のレベルへ送致された。
地元の監獄から、地区の監獄へ、更には、地域の監獄、そして、最後に、ツールスレン中央刑務所に、行き着くのだ。

行き着いた場所が、どこであれ、結論は、同じことだった。
死刑。

囚人が、これ以上情報が、提供できないと、確定すると、捨てられるのである。

処刑は、鉄棒で、首を潰すという、地方的特徴もあったが、拷問を数週間、数ヶ月受けた後、銃剣によることが、最も多かった。

断末魔の叫びを、覆い隠すため、騒々しい、革命音楽が、拡声器から、流された。

囚人といっても、通常の世界で言う、囚人ではない。
政治的犯罪、社会的犯罪とあるが、社会的犯罪には、昔の職業を隠していたとか、西洋に長く滞在していたなど、である。

刑務所収容の最後の、特殊性は、無視できない、旧人民や、クメール・ルージュの兵士や、役人までも、含められたことである。

彼ら自身も、もうたくさんだという気持ちを表明したか、近親者に逢いに行くため、脱走したのだった。
中、上級の幹部については、中央と、中央が管轄する、ツールスレン刑務所の管理下に、直接送還された。

証言者
英語をしゃべれるという犯罪のかどで、私はクメール・ルージュに逮捕され、首に縄をかけられ、よろよろとびっこをひきながら、バッタンバンの近くのカイ・ロテヘ刑務所に連行された。
それはほんの序の口でしかなかった。
私は、他のすべての囚人といっしょに、肌を削るような鉄の鎖につながれた。くるぶしには今でもその跡が、残っている。
私は、何ヶ月ものあいだ、繰り返し拷問を受けた。
私にとっての、唯一の救いは、気を失っているときだけである。
毎夜、看守が突然入ってきて、一人か二人、あるいは三人の囚人の名を呼んだ。
彼らは、連れて行かれたっきり、その姿が二度と見られることはなかった。
いうまでもなく、クメール・ルージュの命令で殺害されたのだ。
私の知る限りで、私の文字通りの、拷問と、絶滅の収容所、カイ・ロテヘで生き残った、きわめて稀な囚人の一人である。
イソップ物語やクメールに伝わる、動物説話をわれわれの看守だった、若者や、子供に話して聞かせる才能のおかげで、私は、生き残る事が出来たのだ。

看守が、若者、子供である。

驚く。

さて、ツールスレンの特殊性を挙げると、「中央委員会刑務所」であり、失脚した幹部や、指導者が、入れられた。
最後の特殊性は、１９７５年から、１９７８年半ばの入所者の完全な記録と、数千にのぼる仔細な自白書と、尋問報告書が存在することである。１４０００名の名簿である。
そのいくつかは、体制の大物に関わるものだった。

囚人の、約五分の四が、クメール・ルージュ自身だったという。
更に、驚くのは、囚人のみならず、その家族までも、消されたというのである。

カンボジアにおける行過ぎた残虐さを考えるとき、今世紀の他の大量犯罪についてと同じように、特定の人間の精神錯乱の側にか、それとも人民総体が呆然とするほどまでに陥った幻惑状態の側にか、そのどちらかに究極理由を求めざるをえない誘惑にかられる。もちろんポル・ポト個人の責任を軽減することなど論外だが、カンボジアの民族史も、国際共産主義も、いくつかの国々（中国をはじめとする）の影響も、この問題と無関係なものとして葬り去るわけにはいかなのだろう。これらの競合が生み出した最悪の体質というほかないクメール・ルージュの独裁は、明確な地理的・時間的な文脈に規定されていたと同時に、以上三つの次元の合流点にこそあったのだから。
黒書

犠牲者の数は、おおよそ、２００万人である。

私は、このことについて、考え続けることにする。
まだまだ、書き足りないが、ここで、今回の旅日記を、終わる。
次回、カンボジアの旅を書くときに、再度、取り上げたいと思う。


      
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   <title>殺されるよりましだ・プノンペン１７</title>
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   <published>2010-02-27T18:22:47Z</published>
   <updated>2010-02-27T18:26:59Z</updated>
   
   <summary>「われわれが建設中の国のためには、よい革命家が１００万人いれば足りる。その他の住...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://countertenor-nobuo.com/tenzan-blog/">
      「われわれが建設中の国のためには、よい革命家が１００万人いれば足りる。その他の住民は必要ないのだ。われわれは敵を一人生かしておくくらいなら、むしろ１０人の友人を倒すほうを選ぶ」というのが、協同組合の集会でよく聞かれたクメール・ルージュの演説だった。

彼らは、こうしたジェノサイドの論理を実行した。

ポル・ポト治下では、非業の死こそ日常茶飯事だった。

当時は、病気で死ぬより、殺されて死ぬ方が、圧倒的に多かった。

三番目の殺し方とは、中央につながる部隊が、東部地域におけるように、失脚した地方幹部の集団、疑わしい村々の全村民、さには、住民全体を、現場で、大量に殺戮する。

どの場合でも、明確な告発はなかった。
「オンカーは殺すが、決してその理由を説明しない」というのが、当時の住民の新しい、諺になった。

死刑の、主たる理由を挙げると、最も適当なのは、食料ドロボーである。
コソ泥の場合でも、大量に死刑が、適用された。

果樹園で盗みを働いた少年たちは、仲間に裁かれた。
裁く仲間も、それを拒否することは、出来ないのである。
そして、死刑を宣告され、その場で、即座に頭を撃ちぬかれた。

一頭の子牛を分け合ったというだけで、一家全員が、殺されることもあった。

殺される理由は、どんな小さな、逸脱行為も、可能な限り、妄想逞しく、解釈をほどこすことは、簡単だった。

結婚以外の、性的関係は、無条件に死刑とされた。
若い恋人たちは、勿論だが、好色な幹部たちも、死に至った者は、多い。

アルコールの摂取も、死罪の一つだった。
それは、幹部と、旧人民に該当するものだった。
新人民は、食糧探しだけで、十分、命の危険に晒された。

与えられた、任務を達成できないことも、極めて危ういことだった。
些細な、間違い、事故でも、命にかかわることがあった。
更に、多くの身体障害者、精神病患者が、殺害された。
無能であり、客観的には作業の妨害者でもある、彼らは、新人民の大半より、尚一層、役立たずだからだ。

共和国軍の、傷痍軍人は、消滅させられるのに、最適な存在だった。

民主カンプチアにおける暴力の全体水準は恐るべきものだった。しかし、大部分のカンボジア人を恐怖に陥れたのは、死の光景そのものよりも、絶えず人が消え去ることをめぐる謎と、その予見不可能とだった。死はほとんど常に、目立たぬように隠されていた。
黒書

「彼らの言葉遣いは、最悪の瞬間でも心がこもっていて、とても優しかった。彼らはこの丁寧さを捨てることなしに、殺人まで行ったのだった。彼らは愛想のよい言葉を用いて死を投与した。・・・彼らは、われわれの疑念を眠り込ませるために、われわれが聞きたいと望むどんな約束でもすることができた。私は、彼らの優しい言葉が犯罪にともなうか、あるいはそれに先行することを知っていた。クメール・ルージュはどんな場合にも、たとえわれわれを家畜のように屠殺する前であっても、礼儀正しかったのである。」

カンボジアでは、ある午後遅く、あるいはある夜、兵士が「尋問」のために、「学習する」ために、あるいはお定まりの「森での当番」といった理由で、ある人を連れに来たものである。外に出るや、しばしば腕をうしろに回させてしばのりあげると、それで一巻の終わりだった。


今日では、非常に多くの死体投棄穴がーーーその数は、徹底的に調査された州の各々に、１０００箇所以上あり、そうした州は、合計20州にのぼる。

「男も女もこやしにするため絶えず殺されていた。その死体は、耕作用の畑、主としてキャッサバ畑のいたるところにあった。死体のための共同溝に埋められた、キャッサバの根茎を引き抜くと、しばしば、人の全頭骨が掘り出されたものだ。その眼窟のところを通って、この食用の根が張っていた」

スリヴィンスキの調査によれば、
犠牲者の２９パーセントが、銃殺によるもの。
頭蓋骨を潰された者は、５３パーセント。
吊るされて、窒息死させられた者は、６パーセント。
喉を掻き切られた者、及び撲殺された者、５パーセント。
である。

すべての証言が一致しているのは、公開で行われた処刑は、わずか、２パーセントである。

公開処刑の、かなりの数を占めるのは、失脚幹部の、見せしめ処刑がある。
熾き火を満たした、穴の中に、胸まで、埋めるという。または、頭に、石油をかけて、焼くというもの。

しかし、瞬時に、殺された者は、幸運だったといえる。

例えば、刑務所の事実である。

最も控え目に言っても、そこでは、囚人の生活を楽にするどころか、いや彼らをただ生存させるだけのためにも、何の処置もとられていなかった。
黒書

飢餓線上の食料の配給、医療が施されることなく、過密状態、恒常的な鎖による、拘束である。

女性因と、軽罪の男性因は、片方の足首を一般的には、男性は、両足に鎖がつけられる、さらに、時には、両腕を背中で縛られたまま、床に固定された鉄の棒に、手錠で、並んでつながれた。
トイレに行くことも、体を洗うこともなかった。

そのような、状況では、新入りの囚人の、平均余命は、三ヶ月と、見積もられた。

収監を、学習会などと、呼んでいたのは、中国、ベトナムの、再教育という、真似からはじまったようである。

だが、それは、全く意味が無い。

外国から、帰国した、多くは、学生たちであるが、彼らは、その親と、共に、収監された。
それは、他でもない。
一度に、全員を厄介払いできるようにである。

「一本の草を引き抜く時には、すべての根を残らず引き去らなければならない」というスローガンの具体化で、このスローガン自体、極端な毛沢東主義者にとって親しい「階級の遺伝性」をラジカルに表現したものだった。
黒書

だが、更に
それにもまして酷かったのは、最低年齢の条件なしに収監されたきわめて年若い「非行者」の運命だった。

      
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   <title>殺されるよりましだ・プノンペン１６</title>
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   <published>2010-02-27T00:47:24Z</published>
   <updated>2010-02-27T00:51:41Z</updated>
   
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      タイの、格安航空会社で、何度か、痛い経験をしている、私たちは、帰国日の、前日に、タイ・バンコクに戻ることにしていた。

何せ、突然、時間が変更したりして、日本への、帰国便に乗れなければ、大変だからだ。

余裕を持っていた方が、安心である。

さて、私たちは、トゥクトゥクを利用したが、一人のおじさんに、すべて御願いした。
最初に、おじさんは、私に話し掛けてきた。

プノンペンでは、トゥクトゥク、バイクタクシーの運転手の、勧誘が、激しい。煩い。
だが、夜間などは、バイクタクシーは、非常に危険である。
道を知らない者が、乗るものではない。
とすると、夜間の出歩きは、歩ける範囲である。

私は、児童買春の宿があれば、見たいと、思ったが、それは、非常に危険であり、更に、幾人かの、バイクタクシーの運転手に尋ねたが、知らないと、言われた。

政府の、法規制もあり、本当に、闇に潜んだのかもしれない。

インドの児童買春宿に、踏み込んだという、レポートを読んだが、それは、命に関わるような、行動である。

お客として行ったとしても、万が一、偵察だと、知られると、その場で、殺されることも、ありえるのだ。

さて、私たちが、孤児たちの家に、連れて行ってもらった後で、トゥクトゥクのおじさんは、突然、実は、弟が、あなたたちに、逢いたいと言っているので、家に向かってもいいかと、言う。

弟さんは、日本語が、少し話せるというのだ。

私たちは喜んで、行くことにした。

孤児の家から、それほど、離れた場所でなかった。

長屋建ての、家に、兄弟四家族が住んでいた。

それは、おじさんの、弟さんが、建てたもので、田舎にいた兄弟たちが、弟さんを、頼って、プノンペンに出てきたという。

その、弟さんは、公務員だった。
その、給与は、月、およそ、２３万円である。帰国して、ある人から、それを聞いた。

普通の人の、給与が、八千円から、一万円と少しであるから、破格の給与である。

家族の誰か一人が、公務員になれば、皆々、頼れるのである。

私たちは、大歓迎を受けた。
弟さんは、千葉県に、一年間、研修に来ていたという。
ある程度は、日本語が、話せた。

兎に角、喋るのである。
日本が大好きだと言う。
そして、日本に関して書かれた本を見せてくれた。

私が、着物姿なので、おそらく、相当、感激したのだと、思う。

しばし、歓談したが、あまり話すので、聞いているのが、疲れた。
まだ、てにをは、が、曖昧なので、理解するのに、英語より苦労するのである。

更に、明日は、子供の誕生日なので、五時に一緒に食事をしましょうと、誘われた。
すぐに、断るわけにもいかず、曖昧にしていた。

ようやく、立ち上がる事が、出来て、皆さんで、写真を撮る。
四人の兄弟の、家族も出てきて、皆さん、大歓迎してくれた。

トゥクトゥクのおじさんの、子供も、姉と、弟と、二人いた。
姉の方は、少し、英語が話せた。

ようやく、開放されて、ホテルに向かった。

おじさんには、タイへ行く日の、空港までの、送迎を御願いした。

明日は、どうしますかと、尋ねるので、ホテルをチェンジするので、連絡しますと、答えた。
結局は、連絡せず、有耶無耶にした。

歓迎されるのは、嬉しいが、あまりに、気を使うので、疲れるのだ。
誕生日の食事会には、出なかった。
おじさんからも、電話が来なかったので、安心した。

そして、タイへ行く日の、前日に、電話が来た。
空港まで、送迎するためだった。

変更した、ゲストハウスの場所を教えて、来てもらうことにした。

この、おじさんは、最初から、ボルことなく、通常料金を示したので、安心して、利用させてもらった。

空港までも、７ドルである。

次回も、御願いした。
次回は、プノンペンから、４０分ほどの、町に行く予定である。
そこには、寺院の有名な建物があるが、私は、一万人以上殺されたという、場所に出掛けて、追悼慰霊を行いたいと思った。

カンボジアでは、至る所で、人が殺されたので、全国を回らなければならないほどだ。
処刑、虐殺が、日常的だった、ポル・ポト政権の、三年八ヶ月である。

３５年前であるから、おじさんの、記憶にもあると、思うが、それについてを、尋ねる、勇気は、なかった。

おじさんが、５０近くであれば、その頃は、少年時代である。

おじさんとは、電話番号を交換し合っている。
空港では、次回も、お世話になりますと、別れた。

私も、コータも、携帯電話を持っている。
それは、アジアの国であれば、内部のチップを、取り替えると、どこの国でも、使用できるものである。
ちなみに、プノンペンでは、電話番号を売る商売が盛んだ。
何故、番号によって、値段が違うのかは、謎である。

私は、インドネシア、フィリピン、タイと、番号を持っている。
ただし、あまり長い間使用しないと、停止されることもある。

さて、タイ・バンコクに着いて、私たちは、いつものスクンウィット通りではなく、コータの取材のために、一泊を、有名な、パッポン通りにした。

日本人向けの、飲み屋街が多い場所である。

そこで、私は、久しぶりに、居酒屋に入り、日本酒を飲んだ。
珍しく、とても、美味しく感じられた。

また、その店の経営者が、東北地方、イサーン出身の女性だった。

コータが、タイ語で、色々と話している。
内容は、私たちの活動だった。
その話が、彼女の心を、動かしたようだ。

彼女も、時々、故郷に戻る際に、冬物の衣類を持参して、寄付するというのだ。
是非、私たちに、ウドンタニという、町にも出掛けてくれと言う。

ウドンタニとは、懐かしい。
バンコクから、飛行機に乗り、ウドンタニに行き、ラオス国境の、町、ノンカーイに出掛けたのである。
二年前である。
私は、一週間、その町で、過ごした。
コータが、一人で、ラオスに入り、衣服支援をしたのである。

その旅日記も、掲載してあります。

      
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