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イスラム アーカイブ

2007年06月11日

イスラム2

ムハンマドは、40歳前後から、不思議な夢を見て、しばしば異様なヴィジョンを見るようになる。
その頃、彼は結婚生活15年、ごく普通のメッカの商人であった。
年に一度は、メッカ近郊のヒラー山の洞窟に籠もり禁欲生活をする。

召命、つまり神に選ばれるという意味、の年も、ムハンマドは、家族を連れてヒラー山にお籠もりに出た。
ラマダーン月のある夜のことである。
突然、彼に超自然的な、あるものが臨んできた。
天使ガブリエルである。
大天使は、ミカエル、ガブリエル、ラファエルである。
ガブリエルは、聖母マリアに、受胎告知をした天使でもある。

天使ガブリエルが、衣を手に、「読誦せよ」と命じた。
「私には読めません」ムハンマドが答える。
すると、天使は衣をムハンマドに被せて押さえつけた。
さらに、「読誦せよ」と言う。
しかし、ムハンマドは戸惑う。
ついに、「何を読誦するのでしょうか」と尋ねると、天使は答えた。

「読誦せよ、創造し給える汝の主の御名によりて
 主は人間を一滴凝血より創造し給えり
 読誦せよ、げに汝の主はこよなく
 仁慈のこころ厚くして 
 筆によりて教え給えり
 人間に、未知のことどもを教え給えり
 人間に教えてもってその蒙を解き給えり」

蒙とは、迷いである。

ムハンマドは、しかし、その体験を恐怖と驚愕に捕らわれて、真意をつかめなかった。
初めは、悪霊か、妖怪に取り付かれたのではないかと思ったのだ。
当時、妖霊、ジンというものの存在が信じられていた。ムハンマドは、それに取り付かれたのではないかと思えた。
実に、気の弱い男であった。
彼は、そういう体験をすると、がたがたと震えて、恐れ、妻の元に駆け込んだ。
しかし、妻のハディージャは、これが妖霊の仕業ではなく、神のものであることを疑わなかった。つまり、ムハンマドの最初の信者は、妻だった。

ここで、天理教の中山みきの、場合を見る。
彼女も、天の将軍という霊に、選ばれた者である。
「みきを貰い受ける」という神の言葉に、家族が動揺し、迷っている三日三晩、みきは、神罹るのである。
選ばれる、これを召命、しょうめい、という。

精神病理学から、幻覚、幻聴という病と診る場合もある。
それが、その本人の人生を、がらりと変えてしまう場合がある。
さて、彼らは、どうだったのか。

神の声が聞こえるという少年に会ったことがある。
その声ゆえに、活動が出来ない。寝たきりであるという。
その声は、常時聞こえる。
私は、病院を紹介した。
それ以来、入院を続けている。

旧約聖書の預言者も、そのようにして、選ばれた者が多い。
突然、召命されるのだ。
しかし、私の霊学からいえば、突然召命されるということは、有り得ない。
それが突然に、思えるだけであり、本人の潜在意識は知っている。または、それを望んでいたといえる。

ここで大切なことは、必ず、既成の宗教が元になるということである。
それらと、一切、切り離されたものにはならないのである。つまり、解釈の仕様がない。
故に、ムハンマドも、セム人の人格的唯一神との接触をのみ、考えた。

旧約聖書から、逃れられない。逃れられなかったのである。
天使ガブリエルというのも、最初は、聖霊であると、彼は言った。後に、天使ガブリエルと言う。

人は、在るものからしか、物事を解釈出来ない。
無いものからは、理解出来ないのである。

天理教の中山みきも、結局、神道に寄り、天理王の命という名の神の名を呼ぶ。そして、教義は、神道から借りるのである。
古事記が教義の母体にある。

勿論、神に名前は無いから、何と呼んでもいい。

インドのマザーテレサの場合も、そうである。
目の前に主イエスが現れて「私は乾く」と言う。
それが、マザーテレサの活動の発端となった。

通常は、有り得ないことである。
幻覚、幻聴である。
それが、意味深いものであることを、感じ取る。

普段の生活の中での、何気ないことからも、超自然の声を聞くこともあるはずである。
そして、それが本当である。
普段の生活の中にある、真理の声である。
しかし、今は、これに多く触れない。


2007年06月12日

イスラム3

召命、しょうめいとは、神からものであると、いわれる。
しかし、それを証明する、何物もない。

古神道では、必ずサニワという、診断する者がいる。その神からの言葉が、真実、神からのものであるのかという。
勿論、日本には、神々がいらっしゃるから、どの神であるかも見抜くことが必要である。

ムハンマドが、自分は神の使徒であると、確固たる心境に達するには、相当の時間が必要だった。
多くの旧約聖書の預言者が、そうであったように、ムハンマドも、旧約聖書の、生ける神に、捉えられる。預言者の多くが、そうであるように、彼も、戸惑い、出来れば、それから逃れたいと思った。

ムハンマドは、六世紀末に生まれ、七世紀の前半に活躍した。
資料の少ない古代の人ではない。すでに、この歴史の中で堂々と、活動した人物である。
史実としても、創作の余地はない。
しかし、召命を受けた後のことは、しっかりと記録されているが、それ以前、40歳前の彼のことは、不明である。
メッカの一市民だったものを、誰も記録などしない。
その点で言えば、ムハンマド伝に関しては、召命前のことは、想像の内である。

さて、ムハンマドが、神の使者として活動を始めても、それは、何事もなかったかの如くであった。
メッカ市民に、街角に立ち、神についてを語りだしても、何のことはない。当然のことであり、神というものが、当然のことであるから、誰も真面目に聞く者は、いない。神のことを聞くならば、聖殿に行けばよい。

最初の信者になったのは、彼の妻、ハディージャである。そして、次の信者は、矢張り、身内の者から出た。
ムハンマドの後継者になる、アブー・バクルの入信である。彼は、第一代のカリフとなる。
バルクは、当時のメッカでは、クライシュ族の中で、指折りの豪商であった。その清廉潔白な性質と、穏やかな人柄は、多くの人の尊敬を集めていた。
彼は、ムハンマドの新興宗教に、その膨大な財産を提供した。
そして、それ以来、ムハンマドと終生共に、過ごすことになる。

次に、第二代のカリフとなる、ウマルが入信する。
それにより、新教団は、基礎を築くのである。
しかし、最初は、上流階級や、金持ちより、社会の下積み、虐げられた人々が圧倒的多数、信者になった。

血筋、生まれを無視して、人間の素のままに受け入れるという、新宗教の教えが、貧困階級の人々に、喜びを与えた。

これは鎌倉仏教の中の、浄土宗、法然の活動に似る。
貴族の仏教、救われる者は、僧になるものという、差別の仏教を、念仏により誰もが救われると説いた。老若男女問わず、救われるという、一大画期的な教えを説いたのである。
その弟子には、更に、その救いを深める親鸞も集った。
阿弥陀仏が、一人でも救われなければ、私も救われないという、願を起こした。その願に、ひとえに頼る、絶対に頼り切る、つまり、絶対他力である。
その阿弥陀仏に、帰依する。
南無阿弥陀仏と、唱えることで救われる。
阿弥陀様に、帰依すると、宣言することで救われると説く。
法然の説教には、身分を超えて、人々が集った。溢れた。

勿論、今の浄土宗は、その頃の熱意はない。惰性と、組織のシステムに陥り、寝ぼけた信仰を持って、まだ、救いの妄想の中にいる。
阿弥陀というのは、観念であり、人の想像した、無いものであるから、架空のものに、帰依しても、どうしようもない。単なる、自己満足、自己陶酔である。
最後は、自己催眠であるから、気の毒である。

霊界に 阿弥陀の世界 尋ぬれば 行けども無けれ 風吹くのみて  天山

現代であれば、貧乏人と、病人ばかりと言われた、創価学会がある。
当初は、そんな中で活動を始めたが、今では、世界に広がる、堂々たる宗教団体となった。
それは、日蓮法華経に帰依する。
特徴は、題目を上げることは、折伏することと同じである。
折伏とは、説き伏せることである。
言論の暴力を持って、説き伏せる。その根拠は、法華経にある。法華経こそ、仏陀の最後の教えであるという確信である。
法華経を教えるために、仏陀は、多くの喩えを伝えた。行き着くところは、法華経にあり。

法華経の作者は、誰であろうか。仏陀は、一切の書き物を残していない。
経典といわれるものは、すべて、後々の作者がいる。
仏陀、滅後、500年を経て、経典が書かれるのである。
まして、それを、漢語に訳したものを読経しての、法華経である。漢字をすべて、音読みする。その解釈は、いかようにでも、出来る。
何が正しいのかを、誰も知らない。

日蓮も取る、天台の教え、一念三千世界というものも、単なる哲理に過ぎない。それを真理とは、言わない。一人の寝ぼけた、哲学である。その根拠は、無い。一つのものの見方、考え方である。つまり、言葉の遊びに始終するのである。

だが、この法華経を経典として、立ち上がる新興宗教は多い。
立正佼成会、霊友会等々、小さなものを入れても、膨大な数の宗教がある。

宗教も進化すると考えると、確かに、既成の聖典に乗り、そこから始めると楽である。
全くのオリジナルは、大変な労力を使う。
必ず、その前身があるのだ。

霊能か、思い込みか、はたまた詐欺か、それを鑑定するには、大変である。
神懸かる、神に憑かれると言っても、その神の種類を見極めるのも、大変である。

人の見えない世界のことであるから、正しいとか、誤っているとかを、簡単に言うことが出来ない。

ムハンマドに懸かった霊は、一体、どのような霊だったのか。つまり、それは、イスラムというものが、どのようなものであるかを知ることになる。

2007年06月18日

イスラム4

アッラーの御目よりすれば、真の宗教はただ一つイスラームあるのみ。

そして、神が語る。
今日この日、ここにわしは汝らのために汝らの宗教を建立し終わった。わしは汝らの上にわが恩寵をそそぎ、かつ汝らのための宗教としてイスラームを承認した。

アッラーと呼ばれる神は、いかなるものか。
そのためには、ムハンマド以前の騎士道華やかなアラビアの歴史を観なければならない。
後世のイスラム教徒は、その時代を、ジヤーヒリーヤと読んだ。無道時代である。
つまり、騎士道という名の無明の時代である。単なる人の作ったモラルに生きた時代である。それは、無軌道なのである。よって、無道時代という。

その無道時代からの信仰の対象は、三女神、マナート、アッラート、アル・ウッザーであった。
この神々は、絶対神アッラーへの取り次ぎ役、仲介者であった。
その他、数多くの神々を信仰していた。多神教といってもよい。

アッラーは、砂漠の古い神である。
その他の、多くの神々を超越する存在だった。
メッカの市民も、無条件で、アッラーの神の絶対性を認めていた。しかし、現実は、それよりも格の低い神々を信仰していた。
偉大なるアッラーより、身近な存在の神々に、願いをかけたのである。

日本で言えば、仏陀ではなく、観音様や阿弥陀様という観念の仏様、またインド魔界の弁天様、帝釈天、毘沙門天等々である。

さて、今日でも、メッカは巡礼の地である。
その聖殿カアバの起源は、解らない。
無道時代から、アラビアの民族的な聖殿であった。
アラビアの伝説では、アダムが神の命を受けて、天にある原型を模して建てたといわれる。有名な黒石の由来も解らない。古代のセム人は、石を聖なるものと考えていた。旧約のイスラエル人も、神に犠牲を捧げる際に、石を台にしていた。伝説では、天使ガブリエルが運んできたものと言われる。
カアバは単純な立方型の建物である。

カアバには、あらゆるアラビア部族の神々が共同で、奉られていた。
イスラムが起こる、一世紀ほど前から、クライシュ族が治めていた。この種族だけが、カアバの守護者であるということも解っていない。

カアバは、宗教的聖地のみならず、全アラビア民族の集合所であり、政治的、経済的な場所でもあった。
年に一度の巡礼の時期には、一切の戦闘行為が禁止されていた。
生活の糧を得る、唯一の行為である、略奪も完全に禁止されたのである。

アラビア、イスラムを理解するには、容易ではないことが解るだろう。
略奪は当たり前、戦闘行為は、日常茶飯事である。
部族中心のアラビア人が、民族を感じるとしたなら、このカアバの存在しかなかったのである。
部族中心とは、血の繋がりである。血の繋がり程、重要なものは無かった。
部族の中では、平和的なアラビア人が、ひとたび、他部族との関わりでは、排他的、戦闘的になった。
日本人が、北海道から沖縄まで、日本人であるという意識を持つが、アラビア人は、そんな意識はない。
例えば、北海道と、沖縄であれば、それだけで敵になる。
ただ、メッカ巡礼の時だけは、統一した民族意識を持つという不思議である。

イスラムの派閥の争いを見ても、理解出来ないのは、そういうことである。
血が違えば、敵なのである。

さて、ムハンマドは、本来の神、アッラーをのみ信奉するべく、説教を始めた。それについて、何の問題もなかった。当然のことだった。
しかし、何故、ムハンマドが迫害されるようになったかは、その純粋な、セム人的な唯一絶対の神を徹底して説いたからであり、他の神々を、排斥したからである。

カアバの神々を「これらはただ、汝らならびに汝らの祖父が徒らに名づけたる虚名にすぎぬ」と、喝破したからである。

メッカの人は、聖殿により、政治、経済を保っていた。そのままであれば、平穏無事であった。しかし、ムハンマドによって、それらを否定された。これは、由々しきこと、許されないことであった。
最も力を持つ、クライシュ族は、この変な男に「大うそつき」「うぬぼれ詩人」と呼び、「じじばばの昔話」と決め付けた。

これに対して、ムハンマドは声高に言う。
説け、アッラーは唯一神
永遠の神
子もなく父もなく
また双ぶべきもの一つだになし、と。

ユダヤ教、キリスト教、共に、セム人的唯一神は、一切の妥協を断固として拒絶する。
実に、激烈な教えになるのである。
それを、ムハンマドは成した。
純粋な人といえば、いえるが、単に純粋ではなかった。実に、戦闘的だった。

それは、イエスキリストも同じである。
実に、攻撃的、戦闘的だった。
しかし、違うことは、キリストは武器を取らなかった。
ムハンマドは武器を取った。
もう一つは、キリストは奇跡によって、人を目覚めさせた。
ムハンマドは、戦いによって、捻じ伏せた。

イスラム5

ムハンマドは、当初は、既存の信仰の改革であり、アッラーに対する目覚めを促すものだった。
メッカを支配する、クライシュ族に対して、アッラーのみが拝む対象であると言いたかった。
アッラーのみが、聖殿の主であることを。

「されば人々はこの聖殿の主アッラーをおがみ拝すべし。アッラーこそ彼らを飢餓より救い、彼らを恐怖より安泰に導き給える者なれば」

だが、しかし、私は言う。
略奪を善しとする、アラビア人の、飢餓とか、安泰とかという言葉は、不自然であると、思うのだが・・・

時が経つにつれて、ムハンマドは、純粋セム人の唯一絶対人格神の峻厳な性格を説くようになる。それが、メッカの有力者たちの、目障りになり始めた。
今までの、伝統の信仰を否定することになると、彼らは気づき始めた。
これは、由々しきことである。

既存の価値を否定されるようになると、誰もが、反感を持ち、それが批判になり、そして、迫害を生む。
ムハンマドの行為も、そのようになっていった。
そうすると、信者とクライシュ族との間に、対立と緊張が生まれる。

そうして、ムハンマド派は、クライシュ族と、完全に絶縁状態になるのである。
なお、戦闘的な人々である。当然、ムハンマドの宗教活動に入信する者を、暴力によって、圧力をかけることになる。
結果、ムハンマドに集う人が、次第に、その行為によって、離れることになる。
また、ムハンマドにとって、最大の理解者だった、妻ハディージャが亡くなってしまうのだ。また、叔父のアブー・ターリブにも死なれて、孤立無援の状態に陥るのである。

窮地に追い込まれたムハンマドは、メッカを去り、メディナ市に逃れることになる。
そこで、異なる部族の間に、同士を募ろうと思った。

だが、この行為は、想像を絶する行為である。
つまり、アラビア社会では、それは、考えられない行為だからだ。
別の部族に入るということは、絶対に無い。神聖犯すべからざる「血のつながり」である。そのような行為を成した者は、未だかっていなかったのである。

西暦622年、ムハンマドに従う少数の信徒は、何もかも捨てて、見知らぬ異郷に出発した。
その後で、ムハンマドは、クライシュ族の監視を抜けて、無二の伴侶であるアブー・バクルと二人で、メッカを落ち延びた。

イスラムの史家は、これを、ヒジュラと呼び、これによって、アラビアの無道時代が完全に終わったとする。

歴史は、イスラムの時代に入るのである。
この年から、イスラム暦が始まる。

2007年06月19日

イスラム6

同じ血を持つ部族を捨てて、異部族に味方を求めたムハンマドは、古アラビア社会から、完全に離脱したのである。
それは、考えられない行動だからだ。

当然、メッカのクライシュ族は、怒り狂うのである。

ムハンマドは、メディナで、預言者として活動を始めた。
セム人の預言者は、政治と関わり無くしては、成らない。
アラビアでは、政治と切り離した宗教は無い。ゆえに、今でも、政治に宗教が介入する。政治家より、宗教指導者が、強い発言力を持つのである。
政教分離などは、考えられない世界である。

メディナにおいてムハンマドは、政治家としての手腕を揮った。
メディナは、ユダヤ色の濃い都市であり、ユダヤ人が多く住む。また、住民は、ヘブライ的な人格神、唯一神に慣れていた。また、付近には、キリスト教を奉じるアラブ部族もいたのである。
また、アラビア古来の多神教、偶像崇拝も廃れていた。
カアバのような聖殿も無い。
メッカのように、それによる商売上の利益なども関係なかった。
つまり、ムハンマドにとって、理想的な布教の都市であった。
先にも言うように、宗教は政治である。政教一致である。

この、ムハンマドの布教が、後々に、現代まで続く、イスラムの性格を物語る。
ムハンマドは、無垢な宗教家ではなく、狡猾な為政者と化したのである。
そしてそれによって、単なる部族宗教から、世界的宗教へと羽ばたくことにもなる。

メディナにおいて、血ではなく、共通の信仰によって、人が結ばれるという、共同体が可能になった。
ムハンマドは、メディナの行政改革に乗り出す。
これが、アラビア民族にとっては、根本的改革となるものであった。
それによって、何と、伝統であった血族を無にし、部族に変わって、信仰と政治が渾然一体のものになるのである。
それは、イスラムの成立であり、もっと言えば、国家の誕生である。サラセン帝国である。

現在のイスラム過激派によるテロ行為の真意は、ここにある。要するに、新しいサラセン帝国を創るべく、敵を粉砕するという行為なのだ。
この、敵を粉砕し、破滅させるというのは、ムハンマドから始まる。
テロリストは、何も新しいのではない。ムハンマド自体が、テロリストなのである。

世に言う、聖戦、ジハードとは、ムハンマドの言葉にある。
「汝らに歯向かう者あらば、神の途において彼ら撃退せよ。何処にてもそのような者どもを見つけ次第、これに戦いを挑み、また彼らが汝らを追い出したる所より逆に彼らを駆逐せよ」
「反乱が根絶し尽くされるまで、また全ての宗教がただ一つアッラーの宗教となるその時まで、あくまでも敵と戦い続けよ」

世界の数ある宗教の教祖で、このような言葉を吐く者がいただろうか。

イスラムを理解するということは、ムハンマドの言葉を理解するということである。

この一神教の思想は、驚愕するものである。
しかし、ユダヤ教、キリスト教も同じである。
要するに、神の他に神は無し。その神の名を、云々というのである。
これでは、話し合いなど出来ないばかりか、敵と見なされて殺される。

自爆テロというのは、自分も死ぬというテロ行為である。それを平気で成すことが出来るという神経は、ただ事ではない。
しかし、日本にもあった。特攻隊である。
自滅を善しとして、敵に突っ込むのである。
思慮の深い者には、到底出来る行為ではない。だから、若者に、それを負わせた。
だが、しかし、戦争という非常時である。思考停止は、若者だけではなかったのは、当然である。

面白いことがある。
メッカでのコーランは、警告であったが、メディナでは、導きとなったのである。
当初は、現世の儚さを言うムハンマドが、メディナでは、現世の悪を言わず、政教一致を説くのである。
それによる、国家の建設を謳う。
それは、崇高な目的だった。彼の目から見ればである。

ドイツのヒットラーを思い出す。
彼もまた、統一国家を思い描いた。それも、世界である。世界を独裁で塗り潰すのである。ユダヤ人虐殺は、手始めだった。その次、その次と、続いていたはずである。要するに、目障りな存在は、消すのである。
だが、ヒットラーの後ろには、神は無かった。ただ、彼は、愚かな人間であった。しかし、ムハンマドは違う。後ろに神がいる。唯一絶対の神、アッラーがいる。

革命を目指した、新興宗教のO教があった。サリン事件等々、戦後最大の犯罪を犯した。
独裁国家を目指したのであろうが、あまりにも愚かであった。風土が違う。
自我意識拡大の妄想であった。
それに加担した哀れな信者たちである。今でも、その彼を信奉するというから、その神経と、感覚に驚く。
ポアすることも必要であると、殺人を肯定する教えに、よくぞ人が、着いて行くものだと思うが、実は、信じる者が必要な人間がいるのである。そして、一度信じると、その心理的捕らわれから開放されない。それを、世の中では、マインドコントロールという。

実は、このマインドコントロールというのも、因縁なのである。
成るべくして成った。縁すべくして、縁するのである。だから、今でも信奉する者がいる。

新興宗教の事件が立て続けにあった。
足相を見て修行を勧めるという教祖や、淫行に落ちる教祖等々である。生き返ると、死人をそのままにしていた教祖もいる。
しまいに、電磁波から、身を守るという教祖もいた。

通常の常識からしても、考えられないことを言うのである。が、信じる人がいるのである。
その大半が、霊能力という曲者を持つという者である。
霊能力とは、その人自身にしか解らないものである。霊能力を語れば語る程、嘘になると知らないのである。

偉大なる教祖、仏陀を上げる。
彼は、一度も霊能力に関して語ることがなかった。後の経典に、そのような記述があっても、不思議は、起こさなかった。起こす必要が無かった。
その証拠に、目連という弟子が、神通力を得た時に、彼は仏陀に、死後の母の姿を見てもよいかと問う。しかし、仏陀は、駄目だと言う。しかし、三度目に、ようやく許されるのである。
実は、その行為から、今のお盆の由来がある。

牛となって、地獄で苦しむ母を見て、目連は仏陀に、何か出来ないかと問う。仏陀、それでは、死者に声援を送ろうと、回向という行為を教える。

仏陀当時、読経などない。瞑想があった。
今は、読経により、供養するという言い方をするが、完全に誤っている。
死者には、回向という瞑想が必要である。

以下、省略する。

2007年06月28日

イスラム7

メディナに移行したムハンマドに、メッカのクライシュ族が、繰り返し攻め寄せる。
それは、八年間続いた。

西暦630年、一月、ムハンマドは、メッカに勝利した。
メッカ市民は、降服し市の門を開いて、ムハンマドを迎えた。

部族衝突は、当然であり、それがアラビアだった。しかし、今回の戦いは、今までとは、全く性格が違う。
部族と、信仰集団との衝突であり、メッカ市民は、ムハンマドに抵抗することに、意味を見出し得なくなっていた。何も得るものがないのである。一体、何ゆえに、戦いを続けるのかと、無意識に不安になったであろう。
生活の糧を、略奪によって得るという風土である。
ムハンマドとの戦いで勝利しても、一体何を得るのか・・・
ついに、その先が見えずに、メッカは降服したのである。

勝利したムハンマドは、完全武装したまま、最も信頼を寄せるアブー・バルクを伴い、聖殿カアバに行く。
聖殿に着き、手にしていた杖を黒石に触れて、大声で「アッラー・アクバル」神は至大なりと、唱える。
黒石に触れるという行為は、呪術である。
聖殿を取り巻いていた軍隊も、それに呼応し、アッラー・アクバルと叫ぶ。それが、地響きとなって、メッカに轟いた。
そしてムハンマドは、駱駝に乗りカアバを一巡し、駱駝を降りて、聖殿の鍵を求めて、カアバの内外に祀られていた数百の偶像を叩き壊した。
更に、聖殿正面に鎮座する、人々の信仰を集めていたホバルの神の像を、粉砕する。

アフガニスタンにて、仏像粉砕したイスラム過激派の比ではない。
当時の信仰の対象を粉砕するのであるから、その行為は、尋常ではない。しかし、それが必要であった。
アッラーのみを拝め。
アッラーのみが神である。

この激しさを信仰というのか・・・政治というのか・・・
兎に角、ムハンマドの支配が、そこから始まるのである。
「今や異教徒時代は完全に終わりを告げた」
ムハンマドが言う。
つまり、異教が続いては駄目なのである。それが、今現在まで続く、イスラムの姿勢である。
イスラムを理解するということは、ムハンマドの、この言葉を理解するということである。
アッラー以外に神は無し。そこに、取り入る隙は無し。
異教は、すべて偶像崇拝なのである。

「異教時代の一切の「血」の負目も貸借関係も、その他諸般の権利義務も今や全く清算された。又同様に、一切の階級的特権も消滅した。地位と血筋を誇ることは何人も許されない。諸君はすべてアダムの末裔として平等であり、もし諸君の間に優劣の差があるとすれば、それは敬神の念の深さによってのみ決まるのである。」
これを、平等主義ということが出来るのかは、解らない。
仏陀が説いた平等と、ムハンマドが説いた平等は、違う。
仏陀の平等主義は、命あるすべてのものが、仏の前では、平等である。
しかし、ムハンマドの平等は、アッラーを信じることによって得る平等である。

敬神の念の深さを持てば、他のあらゆる物を支配することが出来るのである。
それは、旧約聖書に神が言う。
全てのものを支配させよう、と。

イスラムを理解するならば、それを知るべきである。
アッラーを信じている者が、平等であり、異教を信じる者は、平等にはならない。
完全、選民意識である。

聖都であるメッカを手に入れたということは、全アラビアを手にしたということである。

アラビア砂漠の全土から、新しい王である、ムハンマドに恭順を示すために、続々と、メディナに人が集った。
アラビアには、王と呼ばれる者は、いなかった。ムハンマドが最初で、最後の王となる。

その二年後、632年1月8日、ムハンマドハは、天使の幻を見つつ、波乱に満ちた生涯を閉じた。
およそ60年の生涯である。

ムハンマドに現れる幻、天使というものの正体が、何であるかが、霊学の域である。
それは、省略する。

イスラム8

聖都メッカの降伏により、全アラビアを手に入れたムハンマドは、その二年後、生涯を閉じる。

さて、ここで、イスラムという言葉について言う。
Islamとは、何を意味するのか。
イスラームという語の基本的な意味は、無条件に自己委託をするという意味である。
自己を完全に放棄して、すべて相手の意のままに任せること、である。
この場合は、アッラーへの絶対無条件の依存である。

これを聞くと、思い出すのが、法然、親鸞の絶対他力である。
阿弥陀の誓願にある救いに、自己を投げ捨てて、救われるというものである。
実に、よく似ているが、実態は、全く違う。

法然の救いは、誰もが救われるということである。易行という。難行ではない。難行は、自力であるから、それでは、救われない、自力の計らいが、弥陀の本願を拒否するのである。
救われ難い者である。どうしても、弥陀の本願に頼る以外にないという他力である。

イスラムの場合は、弥陀ではなく、アッラーという神である。
そこには、救済の思想は、一切無い。
救われるという言葉が無い。
ただ、断固として、自我を切り捨て、すべてを神の御心に任せる。その結果が、どうなろうが、問うことはない。それが、イスラムの主体性である。

要するに、アッラーに従い救いなど、求めない。そんなことは、どうでもよい。

ある宗教学者は、宗教の根源的意味合いを、依属感情と呼んだ。
だが、この定義は、セム的一神教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教には、概念として、当てはまるが、他の宗教には、無効である場合多々ある。

イスラムは、その名称通り、絶対依属、絶対依存である。
それは、絶対他力を超える。

イスラムという言葉は、ムハンマド以前は、対人関係に使われた。
貴重な所有物を、他人の手に渡して、自由に任せるという意味である。しかし、ムハンマドから、その相手が、アッラーという神になったのである。
貴重な所有物とは、人の心である。それを神に差し上げるのである。
それが、イスラムという意味になった。
そして、それを成す人を、ムスリムと呼ぶ。
muslimとは、islamとは、同じ語源からなる。形容詞と、名詞の違いである。
イスラームは、名詞である。

イエスの教えと、親鸞の教えが似ているようなことを云々していた識者がいたが、全く事の次第を知らないといえる。
神の愛と、阿弥陀の慈悲が、似ていると。
神は、人格神である。阿弥陀は、観念である。
他力本願は、非常に情緒的である。しかし、一神教の信仰は、峻厳である。

一神教は、排他的で、非寛容である。
そして、武力を持ってしても、よい。神のために、戦うことを、つまり、相手に信仰を強要させるべく、武力を用いてもよい。
聖戦、ジハードとは、そういうことである。

アラビアの風土と、日本の風土は、相容れない。ゆえに、彼らを理解するには、至難の業である。

2007年07月03日

イスラム9

そこで、もっと深く、アッラーの神とは、何かと問う。

万物を無から作り出した創造主。
一切を意のままにする絶対意志を持つもの。
あらゆるものが奴隷として仕え、主として崇められる超越的支配者。

コーランを読まずとも、旧約聖書に親しんだ私には、よく理解できる。
旧約の神、ヤウエの神である。セム的人格神である。

しかし、それだけではなかった。
アッラーには、アラビア地域に、また、別の一面を持つのである。
それは、イスラム以前のジャーヒリーヤ時代、無道時代と言われるアラブの宗教生活における神の特別の存在感があった。

このジャーヒリーヤ時代のアッラーの神を見なければ、イスラムのアッラーも、見えない。
それでは、その頃のアッラーの神とは、如何なる神だったのか。

ムハンマドは、新しい宗教を興したのではない。
イスラムの神、アッラーは、新しい神ではない。
誰もが知る、当たり前の神の名であった。
そして、ジャーヒリーヤ時代のアッラーの神は、旧約聖書のヤウエの神より、慈愛の神の意志も強いのである。
アラブのベトゥインといわれる彼らも、普段は、アッラーの神を意識しないが、何か事があると、その偉大な神、アッラーを思い出し。その名を呼んだ。
いよいよ切羽詰まったときに呼ぶ神の名が、アッラーであった。

コーランには、その彼らの様を描写する箇所が多くある。
「舟に乗っている間は、盛んにアッラーの神に祈り、信仰ただ一筋に誠を尽くすくせに、一旦岸まで無事に送り届けていただくと、とたんに変心して、ほかの神々を拝み出し、せっかくの我等の恩寵を感謝もせず、いい気になってうかれ廻る。いまに見よ。必ず思い知る時が来よう」
我等の恩寵とは、神の言葉である。神的一人称の複数と言われる。旧約の神も、我々という言葉を使う。

ジャーヒリーヤ時代は、諸部族、遊牧民、定住民であれ、それぞれの神を持ち、その神の祭祀を通して特定の地域の宗教に結びつけられていた。
しかし、その地域の神の上に、それらを統括する一大中心地として、メッカの神殿が君臨した。
「神聖月」が来ると、部族間の一切の戦闘行為が止み、人々は、メッカに参集して、盛大な宗教行事を、神殿で執り行うのである。
そして、神殿には、それぞれの部族の神々が、数百を超えて祀られていた。そして、それらの主神として、アッラーは君臨していたのである。

この点では、ジャーヒリーヤ時代も、イスラムも変わらないが、唯一の違いは、ジャーヒリーヤは、多神教である。アッラーは、主神といえど、神々の一人である。しかし、イスラムは、アッラーのみである。
同じく、主としても、両者の間には、全く違う感覚があった。
イスラム、ムハンマドから見れば、アッラーも、偶像の一つになる。これは、許せないことである。

いくらアッラーを最高としても、その下に神々がいるということは、アッラーの高さも相対的なものになる。それでは、意味が違う。
ムハンマドは、アッラーの絶対的な存在を言う。
他の神々の存在により、アッラーが相対としての存在にされることに徹底抗戦する。それが、イスラムである。
アッラーに対峙するものは無い。
アッラーに対峙するものがあることは、許せないのである。だから、イエスキリストの存在を許すことが出来ない。アッラーと対峙するとは、とんでもないことである。
神に、父も子も無い。
神の子とは、何事か。ムハンマドが怒る。
イスラムの大罪は、それである。
アッラーに対峙させるものがあることが、大罪であるから、キリスト教は、イスラムから見れば、大罪を犯しているのである。

「アッラーは他のいかなるものとでも一緒にならべられたら絶対にお赦しにならなぬ。そこまで行かない罪なら、気がお向きになれば、赦しても下さろう。だが、アッラーにならぶものを認めることだけは、赦すべからざる大罪である。」

イスラムの絶対的一神教は、多神教を大罪とする。

ある時、ムスリムの留学生と話をしていて、言われた。
「あなたは、クレージーです」と。そう、私の多神教の考え方である。
その時、私は、キリスト教で、仏教、ブディストで、古神道、日本の神道を信奉するのであると言ったのである。
彼には、それは、全く理解できないことだった。

アラビア語で、神を意味する言葉を、「イラーハ」と言う。
その複数形を「アーリハ」と言う。イスラムでは、それらを、単なる空虚な言葉だと断定する。
ジャーヒリーヤの信仰する神の名も、神の被造物でもなく、単なる空虚な名称だとするのである。

神々は、実体の無い、ただの言葉であり、単なる妄想である。神聖な空間には、唯一の実在として、アッラーのみが存在する。絶対一神教である。

どの宗教を信仰する人でも、それが一番正しいと、思い込む。当然である。
私の神、私の仏が、一番正しいと。
この信じる行為は、実は、単なる偏りであることを知らない。いや、偏れば偏る程、強い信仰であると言う。
日蓮は、迫害されれば、される程、正しい信仰であると信じきった。
拷問を受け、殉教することを善しとした、キリシタンもである。
実に、観念とは、恐ろしいものである。

しかし、霊学から言う。
神を創造するのは、自然である。
風吹けば風に、雨降れば雨に、日が照れば、日に、ただ、淡々として、自然は、それを写す。自らの存在を何一つ、変化させることなく、あるべきように在る。
あらゆるものは、自然の被造物である。
この人間もそうである。
そして、何も説くことがない。
ゆえに、私も説くことを、しない。
霊学といえども、説けば、嘘になる。

2007年07月04日

イスラム10

神々は、ことごとく実体の無いただの言葉のみである。
それらの妄想を取り去った時、神聖な実在の神、アッラーが在る。
これが、ムハンマドのイスラムの言う、絶対一神教である。

だが、この当時、アラビアには、ユダヤ教徒、そして、キリスト教徒も存在していた。
ムハンマドが、メディナの預言者となった時も、その町には、ユダヤ民族がいた。
ムハンマドは、彼らに最初、期待した。
自分に啓示を与える神は、彼らの神であるという思いである。しかし、それは、実に甘い考えであった。

ユダヤ人は、旧約聖書に精通している。
それは、父の、祖父の、そして、その前の先祖たちの長い長い信仰の歴史がある。
磐石な信仰である。
その神の名を借りて、啓示を説く、ムハンマドに、彼らは、俄然として攻撃してきた。
公衆の面前にて、ムハンマノドに、旧約聖書に関する質問を浴びせた。
それに答えられないムハンマドを、彼らは、嘲笑した。

ユダヤ人たちは、ムハンマドが、最初の妻を亡くしてから、次々と妻を抱えたことが、特に弱点になった。九人の妻の存在が、ユダヤ人たちの、嘲笑をかった。
「色好みが、神の使者とは、聞いて呆れる」という言葉である。

最初、ムハンマドは、ユダヤ教も、キリスト教も、自分たちも、同じ神を崇める者との意識があり、それらとの対立を考えてはいなかったのである。
しかし、ここにきて、完全に違うものであると悟る。

ムハンマドは、ユダヤ教に対して、徹底抗戦するのである。
要するに、唯一の神は、原理上のことであり、彼らは、律法、トーラというものを持って、聖書を歪曲すると。
原文を至る所、歪曲し、それでも足りずに偽造さえする。まして、歴史は、彼らの狡猾、醜悪を伝え、罪人である。折角の、神の啓示が、彼らによって汚されると。

ムハンマドは、ユダヤ人のために、礼拝する方角を決める、キブラといわれるものも、エルサレムに決めたが、それも逆効果であり、最終的に、メッカの神殿に決定した。

味方と信じたものが、敵に回る。
ムハンマドは、ユダヤ人の歴史的なあり方を、徹底的に攻撃することになる。
世界のどこへ行っても、住民の恨みをかうような行為行動を取る、現実生活での、あくどさをコーランの中に記すのである。

さて、次はキリスト教である。
ムハンマドは、彼らに対して、最初は、大変に友好的だった。
コーランの啓示でも、キリスト教との関係は、親縁関係のように書かれた。
ムハンマドは、自分の存在がイエスによって、予言されているとまで言ったのである。

ユダヤ人に絶望しても、キリスト教には期待した。
「人の種類は多けれども、信仰ある人々に対して最も敵意はげしきはユダヤ人、次に多神教徒にして、信仰ある人々に対して最も愛情こまやかなるは「ナザレ人なり」と称する人々なることを汝らは知るべし。そはナザレ人の間にはあまたの聖職者及び修道士ある故にして、また彼らの天性もはなはだ謙虚なる故なり」

しかし、である。
キリスト教も、また、期待を裏切った。
イエスを預言者というムハンマドと、イエスを神の子であるとする、キリスト教徒が、合うことはない。

「おお信仰ある人々よ、ユダヤ人もキリスト教徒をも友と思うなかれ。彼らは互いの友なるのみ。汝らのうちもし彼らを友とする者あらば、そは彼らの一味なり。げに神は邪悪を為す人々を導き給うことなし」

当時、異端論争で内輪もめしていた、ローマカトリック教会を、鋭く批判し、三位一体の教義を一神教の、腐敗堕落と罵倒した。
そして、尊敬していた修道士に対しても、攻撃を開始した。
「人民の財をもっぱらに食潰し、人々を神の道からおびき出して迷わせる」

ここにおいて、ムハンマドは、イスラムを新しい宗教と認識した。

イスラエルの宗教につながる人格神の正統を継ぐものであること。
しかも、ユダヤ教でも、キリスト教でもない。
それらの歴史的宗教より、最も本質的、最も、本源的な宗教であるとの意識である。
永遠の宗教である。

そこで、見出したのが、象徴として、旧約の人、アブラハムだった。
アブラハムの宗教の復活である。
ユダヤ教でも、キリスト教でもない、永遠の宗教、それは、アブラハムの宗教であるとの結論に達した。

「汝、ニハーフとなりて顔をあげ、この宗教に向かえ。これ人間を創造し給える時と同じ働きにて神の創造し給いしものなり。神の創造には時空転変あることなし。されば、これこそ永遠の宗教なるに、それを知る人は極めて稀なり」
ニハーフとは、本当の古い宗教の信徒を言う。

ムハンマドは、歴史によって、堕落し、原型を失った永遠の宗教を、アブラハムの昔に戻し、純粋無垢な本来の宗教として、取り戻そうとした。
イスラムは、それで決定的になった。

イスラム、それは、神の奴隷である。絶対服従する者、それをイスラムという。

ムハンマドは、一切の妥協を止めて、徹底的に、イスラムとして生きることを、そして、自分は、最後の預言者であることを、宣言する。
神の前には、皆、平等であり、自分についても、特別視することのないようにと、信徒に言う。

これで見るとおり、イスラムには、一切の妥協は無い。
宗教の多くは、排他的、非寛容であるが、イスラムは、特にそれが強いのである。
基本的に司祭や、指導者はいない。それぞれが、それぞれで皆、神に祈りを捧げる。一人一人が独立している。

欧米の、そして、アラブの宗教は、こうして、日本人には、理解出来ない程の、観念がある。
それらの、人格神である、一神教が、世界の大半を占めている。
つまり、戦いが絶えない訳である。
排他的で、非寛容で、妥協しないのである。

イスラム11

神の絶対的奴隷である、イスラムを唱えたムハンマドの、重大な問題がある。

それは、啓示である。神の啓示を受けたとある。
それが、私の問題である。

神道では、神懸かると、それを判定するサニワという役割がある。
神と名乗っても、その神なるものが、何者であるのかということだ。

神という言葉は、方便である。
例えば、人霊が神と名乗る場合は、よほどのメッセージがある場合である。
神が、我は神なりと現れるのは、旧約聖書の、神もどき、または、魔物である。悪霊といってもよい。魔神である。

神には、名が無いからである。
大和言葉の神という言霊は、音霊が、かアみイである。
母音、アとイである。
カミを上とも、守とも書く。
母音の意味は、開いて受け入れるという意味である。
アイである。漢字の愛の意味も、このように考えてよい。
つまり、大和言葉のカミは、尊称である。
それを私は、何度も書いている。
私が死ねば、木村天山命、きむらてんざんのみこと、と呼ばれる。この命も、尊称である。そして、神として、神道では、祀られる。

ムハンマドは、どのようにして、神懸かったのか。
イスラムの伝承を読む。
突然、鈴の音が耳の底に鳴り響き、顔は激痛に歪むという。
喉が締め付けられて、窒息しそうになる。
妻アーイシャが言う。「ある凍てつく寒い日のことだった。啓示がやってきた。預言者の額には、玉なす汗が流れていたのを、見た」

大本教の出口ナオも、天理教の中山みきも、同じように、神懸かった。
そして、お筆先というものを書いた。
霊媒体質である。
出口ナオは、丑寅の艮神が懸かった。中山みきは、天の将軍が懸かった。
それぞれ、国立尊と、天理王命となる。
実際、神が懸かるということはないから、人霊、または、霊が懸かるのである。
とんでもないのは、天照大神と名乗る霊もある。
人霊ならば、まだ良いが、魔物や、魔神だと、言葉も無い。

ムハンマドに懸かった霊は、何者か。

啓示に襲われると、ムハンマドの顔は、みるみる暗く翳り、酔いつぶれた人のようであったともある。また、失神する人のように、地面に、どっと倒れた。
子牛の鳴き声のような異様な呻き声をあげる。
我を失ったムハンマドの口から、不思議な言葉が、途切れ途切れに漏れたという。
それがイスラムの立場から言うと、アッラーの神の言葉となる。

ここで、この地方、アラブでは、このような霊懸かる人は多くいた。
特に詩人たちは、ジンという妖霊に懸かられると言われた。
これをアラビア語では、タンジュニーンという。ジンが憑くことを言う。つまり、憑き物である。
ムハンマドの啓示は、単にこの憑き物であると、ジャーヒリーヤの人々は考えた。

何処の国でも、最初は、シャーマニズムがある。
そのシャーマンが宣託して、集いを仕切っていた時期がある。
アラブも同じである。
しかし、その頃になると、もはや、それらのシャーマンは、無碍にされ始めていた。
ジンが憑くと言われた詩人たちも、最初は、最高位にあったが、次第に、その地位が低くなり、疎まれるようになる。

一人の人間に懸かった、あるモノによって、多くの人が迷わせられるという現象は、新興宗教に多い。
単なる、ヒステリーの場合もある。
また、分裂気質の人である。

幻聴、幻覚等々、もある。

コーランには、ジャーヒリーヤたちが「こいつは妖術師、さもなくばもの憑きにちがいない」と言ったとある。
アッラーの神は言う。
「人間どもやジンたちを、みんな一緒にこきまぜて、地獄を一杯にしてやろうぞ」
この言葉で、ムハンマドに憑いた神の正体が解る。

旧約聖書の神も、脅し、怒り、後悔し、試す行為をする。
それはそのまま、人間と同じである。
人格神と言うが、それは、人間もどきであり、また、神もどきであるといえる。

人間にも、神にも成れないモノとは、何者か。

三次元には、一次元、二次元が含まれてある。二次元から、三次元を理解することは出来ない。それは、三次元から、四次元を理解出来ないのと、同じである。
その上、五次元や、六次元を理解することなど出来ない。

目に見えない世界のモノが、人間に憑く。
それをそのまま、特別な存在であるとは、言えない。

神にも、様々なレベルの神がいるということである。
目に見えない世界のモノは、この次元の人間に、何とでも言うことが出来る。それをそのまま信じてしまうと、信仰になるが、その信仰は、一体、どのようなものになるのか。
実に、恐ろしいことである。

私は知らないことは、知らない。
故に、ムハンマドの神の正体は、言わない。
知らないからだ。

ただし、ムハンマドは、旧約聖書の神であると言う。
そして、最初の信仰家は、アブラハムであると言う。

それでは、少しアブラハムについてを、書くことにする。

2007年07月10日

イスラム12

アブラハムについての記述は、旧約聖書、創世記12章から18章にかけてである。

その前を見ると、宇宙の創造、人類の誕生、そして、失われた楽園である。そして、カインと、その子孫の話、次にノアの大洪水の話である。
ノアの洪水の後は、バベルの塔の話で、その次に、アブラハムが登場する。

アブラハムは、約四千年ほど前、セムの子孫である、テラの長男として、ユーフラテス河畔のウールという町に生まれた。
アブラハムは、最初アブラムと呼ばれた。
後に、神なるヤーヴェのお告げを受けて、契約を結び、その信仰によって、「選民」の偉大な大祖の一人となった。
選民とは、聖書研究が言う。要するに、セム族である。
神に選ばれた民ということである。

ここで、躓く。
選民とは、何かということである。
この選民意識が、後に、とんでもない事態を引き起こすのである。
民族主義の元には、この選民意識がある。

アダムという男と、イブという女から生まれた者ならば、皆、同じではないかと思うが、いつしか、それが変質してゆくのである。
それが変節して、さらにおかしくなる。
とうとう、同じ祖を持つ者でも、民として、区分けされる。
そして、選ばれた民という、こじ付けになる。

創世記の、人類誕生の際に、神が言う。
「われわれにかたどり、われわれに似せて人を作ろう。そして、海の魚、空の鳥、野のすべの獣、地をはうすべてのものを治めさせよう」
神は、一人称ではない。これは、複数である。
われわれの一人が、ヤーヴェという神の名である。別の神の名もあるということだ。
しかし、聖書研究は、これについては、何も言わない。

「わたしのようにかたどり、わたしに似せて人を作ろう」とは、言わなかったのである。
「われわれは」である。

当時、この地は、ハムラビが王としてバビロニアに都を定めていた。
王は、北方のアリアン族の侵略に備え、独裁的、富国強兵を推し進めていた。

セム族には、このような政治が合わない。自由を求める彼らは、新天地を求めて、ユーフラテス川の上流を目指した。
アブラハムの父も、住みなれた土地を後にした。
長男のアブラハムと、その妻サライ、三男の息子ロトを連れた。
次男のナホルは、ウールに残ったが、後で父を追ってハランに移住する。
ちなみに、次男のナホルは、弟ハランの娘ミカルを妻にし、ベトエルという子をもうけて、若死にした。

聖書解釈は、いう。
この移動は、選民の大きな意義を持つと。
月や自然を拝む異教の場から連れ出されたという。連れ出したのは、神である。
父テラーが死んだ後、神自らが、アブラハムに言う。

主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷
 父の家を離れて
 わたしが示す地に行きなさい。
 わたしはあなたを大いなる国民にし 
 あなたを祝福し、あなたの名を高める 
 祝福の源となるように 
 あなたを祝福する人をわたしは祝福し
 あなたを呪うものをわたしは呪う
 地上の氏族はすべて
 あなたによって祝福にはいる。」
アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えをすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。
主はアブラムに現れて、言われた。
「あなたの子孫にこの土地を与える。」

上記は、創世記12章からである。

アブラハムは、そこに祭壇を作った。
そしてそれから、また、ベテルの東の山へ移り、そこでも祭壇を作り、更に旅を続けて、ネゲフ地方へ移る。
ネゲフ地方とは、現在の南部パレスチナである。

カナンは「約束の地」と呼ばれ、アブラハムの子孫が住むのは、八世紀後である。
聖書研究では、神が別の場所に移住を進めるのは、アブラハムの父の一家が、偶像崇拝に陥っていたゆえという。
それは、アブラハムの信仰も、揺るがせることになるゆえと、言う。

主の言葉は、すべての民は、アブラハムによって、祝福されるという。
それは、その子孫の、イエスキリストによって、成就されたという。世界人類の罪がイエスの十字架によって、あがなわれ、救われたというのが、キリスト教である。

ネゲブ地方へ移住したが、まもなく飢饉か起こる。
そこで、彼らは、しかたなく隣国、エジプトのナイル川流域に非難する。

その後、今から四千年前、再びカナンに戻り、ヘブロンに近いマンブレに住居を定めた。
そのころの死海の地方は、ソドム、ゴモラ、アダマ、セポイム、バラという五つの都市に分割されていた。

こう見てゆくと、旧約聖書の土地は、現在のイラン辺りから、パレスチナ、エジプト周辺になる。
アラビア、イスラエル、エジプトである。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の場所といえる。

聖書には、神を主と呼び、その名は、ヤーヴェである。

2007年07月11日

イスラム13

死海の五つの小国は、遠いエラムの国、現在のイラクである、その国の王に、服従していた。そのしるしとして、12年間、貢物を納めていた。しかし、13年目に、それを止めた。途端に、エラムの王は、バビロニアの王センナアルと、エラサル王、ゴイム王と、同盟を結び、ヨルダン川流域の討伐を開始した。
それは、破竹の勢いで、諸都市を占領し、シナイ半島へ南下して、エル・パラン、現在のアカバ湾に達した。
それから、北上して、カデスを占領し、アマレク族、アモル族を降伏させ、いよいよ、死海の南方に攻めてきた。

小国の五つの王たちは、連盟を結び、それを迎え撃つが、敗北する。
同盟軍は、ソドム、ゴモラの町に出て、略奪をする。物だけではなく、人々も連れ去った。
アブラハムの甥のロトの財産も略奪された。

これを知ったアブラハムは、一族300人の兵士と、マンブレの軍を加えて、同盟軍を追撃した。
カナアンの北方ダンに至り、攻撃を始めた。
不意を撃たれた同盟軍は、逃げるしかない。
アブラハムは、逃げる敵をダマスコの北方ホバまで行き、致命的な追撃を加えた。
こうして、アブラハムは、ロトの一族や、人々を救い出した。
略奪された物も、取り返して、意気揚々と凱旋したのである。

それを迎えたのは、ソドムの新王と、サレム、現在のエルザレム、のメルキセデク王だった。この、メルキセデクは、王であり、最高の司祭でもあった。
パンとぶどう酒を携えて、神に捧げ、アブラハムを祝福して言う。
「天地を創造された最高の神によって、アブラムは祝福されますように。敵をあなたの手に渡された最高の神も賛美されますように」

ソドムの王はアブラムに「人はわたしにお返しください。しかし、財産はお取りください。」と言ったが、アブラムはソドムの王に言った。
「わたしは、天地の造り主、いと高き神、主に手を上げて誓います。あなたの物は、たとえ糸一筋、靴ひも一本でも、決していただきません。「アブラムを祝福したのは、このわたしだ」と、あなたに言われたくありません。わたしは何もいりません。ただ、若い者たちが食べたものと、わたとと共に戦った人々、すなわち、アネルとエシュコルとマレルの分は別です。彼らに分け前を取らせてください。」
上記は、聖書より。

これらのことがあってから、神が幻の中で現れて、アブラハムに言う。
「恐れるな。アブラム、私はおまえのたてである。おまえの報いは大きいであろう」と。
しかし、アブラハムは、一人の子宝にも恵まれずにあった。
妻のサライは老いぼれていた。
「主ヤーヴェよ、私に何をくださるのですか。私は子供なしで過ごしています。私の家の跡継ぎは、ダマスコのエリアザルです。私に子孫をお与えくださらなかったので、私のしもべが私の跡を継ぐでしょう」
ヤーヴェが言う。
「相続人は、おまえの実子だ」と。
そして、アブラハムを外に連れ出して、夜空を見せて言う。
「天を仰いでみよ。できるなら、あの星を数えてみよ。おまえの子孫もあのようになる」
アブラハムは、それを信じた。

しかし、10年を経ても、子供が出来ないので、妻のサライが、当時の風習に従い、女中のアガルをアブラハムにあてがった。
アブラハムは、妻の進めるままに、エジプト人のアガルに子を身ごもらせた。
すると、身ごもったアガルは、それにより、慢心し、妻のサライを見下すようになる。そこで、サライがアガルを奴隷のように、虐待した。
アガルは、いたたまれず、エジプトに逃れる。
そこで、天使が現れて言う。
「おまえの女主人のもとにくだれ。私は、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす」
主の御使いは、また言った、と聖書にある。
ここでは、主ヤーヴェではない。天使である。

主は仰せられたと言うのではない。
天使が、あなたの子孫を数えきれないほど増やすと、言うのである。
そして、
「その子をイシュマエルと名づけよ。主があなたの悩みをお聞きになったから。
彼は野生のろばのような人になる。
彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので
人々は皆、彼にこぶしを振るう。
彼は兄弟すべてに敵対して暮らす」

ここが、最重要ポイントである。
イシュマエルの子孫は、アラビア人である。
荒くれた野生のろばのように自由奔放にて、荒野をさ迷い、土着民、つまり、サライの子孫を言うが、その付近にテントを張って、絶えず略奪をするようになるのである。

アガルが子を産んだ時、アブラハムは、86歳になっていた。

エジプト人の女に生ませた子の子孫が、アラビア人であるということだ。
彼らは、略奪をして生活を立てるといわれる通りになった。
それが、後のアラブ人である。

ムハンマドが、旧約聖書を知らないと言われる訳である。
あろうことか、ムハンマドも、アブラハムがエジプト人の女に生ませた子の子孫である。
それが、アブラハムの信仰を復興しようとする。

正統な子孫は、笑う。
アブラハムの妻サライに、子供が生まれるからである。

次に続く。

イスラム14

96歳のアブラハムは、再び神の約束を受ける。
「私は全能の神である。私の前に歩み、全ったきものであれ、私はおまえと契約して、おまえの子孫を大いに増すであろう」

聖書は、旧約、新約とあるが、この約とは、契約という意味である。
実に、契約が好きである。
欧米が契約社会であるのは、ここから、もたらされた。

その際、神は、アブラハムに、その守るべき、義務について説明する。

その一、アブラハムは、多くの民族の父となるはずだから、今度は、アブラムではなく、アブラハムと改名すること。
アブラムから、アブラハムに改名である。アブラハムとは、多くの人の父という意味である。
その一、ヤウエとの契約はアブラハムとその子孫までにも、永遠に続くこと。
その一、アブラハムも、その子孫もカナアンの地を所有し、男は皆、契約のしるしとして割礼を受けるべきこと。
今で言えば、包茎手術である。これにより、多くは包茎だったということがわかる。
この割礼を意味を明確にした、神学的論評はない。

日本の自衛隊は、隊員に包茎手術を受けさせる。長い訓練や、風呂に入られない状態にある時に、不潔だからである。勿論、それで、ペニスの力が強くなり、別な意味で助かる男もいる。亀頭を強くするのだから、セックスに強くなる。つまり、亀頭を刺激に強くするということである。ああーー

その一、妻サライの名をサラに改名すること。

神はサラを祝福して、翌年サラに子を産ませる。
アブラハムは、喜び、そして、「百歳のものに子供ができる。そして九十のサラが子供を生むだろうか」と、笑ったので、生まれる子の名前は、笑うという意味の、イサクと名づけるように、神は命じた。

ついでに、神は、アブラハムの熱心な願いを聞き入れ、アガルの子のイスマエルも祝福し、その子孫を多く増やし、そのうちから、十二人の族長が出ることを約束した。前回も言うように、アラブ人である。

ここで、利己的な遺伝子を書いた、生物学者リチャード・ドーキンスの「神は妄想である」という分厚い本から、引用する。
「旧約聖書の神は、おそらくまちがいなく、あらゆるフィクションのなかでももっとも不愉快な登場人物である。嫉妬深くて、そのことを自慢にしている。けちくさく、不当で、容赦のない支配魔。執念深く、血に飢え、民族浄化をおこなった人間。女嫌い。ホモ嫌い、人種差別主義者、幼児殺し、大虐殺者、実子殺し、悪疫を引き起こし、誇大妄想で、サドマゾ趣味で、気まぐれな悪さをするいじめっ子だ。私たちのうちで、子供のときから彼のやり口を教え込まれた者は、その恐ろしさに鈍感になってしまうことがある。」

後々、このドーキンスの著作から、多くを引用する。
キリスト教国にあって、実にバランス良く、彼らの神の正体を観たのである。

創世記、出エジプト記を書いた者は誰か。その者の、性格なのであろう。いずれ、別の形で、じっくりと書く。

最初の、神は、われわれはと、複数形であることを言った。その彼らは、皆、男である。ここに、ある秘密がある。
女の創造を、男のわき腹の一本の骨から、作ったというのであるから、実に、女を嫌ったといえる。
女は、子供を生む機械。
厚生労働大臣に聞かせたい。神まで、そういう考えであること。彼は、それで、ユダヤ教に入信するかもしれない。

男は、セックスを大いに楽しむために、亀頭を鍛えるべく、割礼をする。後に、女も割礼をする部族も出るが、何と、それは、もっとも女の性感帯の重要部分である、クリトリスを切るというものである。
ここまで、女を憎むのも、たいしたものである。

男尊女卑など、ぶっ飛ぶ考え方である。

さて、上記、神がアブラハムに契約した。
その続きがある。
アガルの子イスマエルの契約もしたが、神は「しかし、わたしの契約は、来年の今頃、サラがあなたとの間に産むイサクと立てる。」と言う。

ドーキンスが言う、人種差別主義が、この時から、見えるのである。
すでに、イスマエルの子孫と、イサクの子孫の対立を、予告するのであるから、とんでもない、人である。いや神である。

人格神というが、それは、単なる人と同じであるということである。

2007年07月12日

イスラム15

アブラハムに、子を授ける約束をした後、創世記は、ソドムとゴモラの滅亡を書いている。
これは、イスラムの記述とは、関係ないので、割愛する。
別な形で、いずれ紹介する。

ちなみに、ソドムとゴモラは、罪深い故に、神が滅亡させたといわれる。
罪の一つは、同性愛行為であったというのが、定説である。勿論、性の乱れである。と、言われる。ホモ嫌いの、神様であるから、当然であるのか。
そして、考古学的に、紀元前二千年以前にあった、村落が紀元前二十世紀から、十九世紀に突然、壊滅したことが明らかになっている。
しかし、そんなことを言えば、至る所、壊滅している都市はある。
すべて、自然災害である。
それを、創世記の作者は、こじつけたのであろう。
同性愛者にとっては、いい迷惑である。
だが、それは、一面的なものである。
性の乱れは、どこにでもあった。
勿論、アブラハムの周囲も、性の乱れだらけである。
要するに、女と何人関係しても、いいのである。一夫多妻である。
以下、省略。

さて、アブラハムの子のイサクが生まれた、というところから、始める。

イサクの生まれる前に、召使の女アガルの間にイスマエルという子が生まれていることは、書いた。
このイスマエルが、折りあるごとに、イサクを嘲笑し、なぶったりするのを、妻のサラがみて、アブラハムに言う。
「この家からイスマエルと母親を出してください」と。
これを聞いたアブラハムが、考えあぐねていると、「サラの言うとおりにせよ」という神のお告げがある。
そこで、水を入れた皮袋と、パンをアガルに与えて、立ち去らせた。

創世記では、このアガルとイスマエルとの記述がある。
水を失い、その子を離れた場所に置き、しょんぼりしているアガルに、神が天使を遣わして言う。
「アガルよ、どうしたのか。恐れるな。神は子のいるところに、子の泣き声を聞かれた。たて、子供を起こしその手を取れ。わたしはかれを大きな氏族にするであろう」
こうしてイスマエルは、ネゲブの南、シナイ山の北にあたるファランの荒野で生活し、母の里であるエジプトから妻を迎えて、末永く、その子孫を伝えた。

そして、その子孫が、アラブ人であると、以前に書いた。
「彼は野生のろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手も彼に逆らう。彼はすべての兄弟と仲たがいして住むであろう」
ムハンマドは、それを知らなかったのか、読んでいなかったのか。
自分の祖先が、このアブラハムの召使の子のイスマエルだということを。

荒くれた野生のろばのように、自由奔放で、荒野をさ迷い、土着民、つまりサラの子孫の付近に天幕を張って、絶えず略奪をはかるようになるのである。
それが、アラビア人の祖である。
サラの子孫とは、つまり、イサクの子孫である。

イサクの子孫も、イスマエルの子孫も、共に、アブラハムの子孫である。
妻と、召使の子である。

さて、アブラハムは、幸福の絶頂にいたと、創世記にある。
その時、神が言う。
「おまえの息子、おまえの愛するひとり子をモリヤの山に連れて行け、そして、その子を生贄としてささげよ」と。

「おまえの子孫を星のごとくに増やす」と言った神が、言うのである。アブラハムは、苦悩するが、聖書研究では、アブラハムは、神の命令には従わなければならないと、英雄的信仰と従順の心を持って、アブラハムは、行動するとある。

私情をはさまず、話を進める。

そして、いざイサクを祭壇の上で、殺そうとして、刃物を振り上げた時、神の使いが言う。
「その子に手をくだすな。いまこそわたしは、おまえが神を敬い、おまえのひとり子さえも神のために惜しまないことがわかった」と。

そうすると、雄羊が、やぶに角をひっかけてもがいている。それを、生贄として捧げたとある。
天使は言う。
「おまえは、ひとり子さえ惜しまなかったから、神はおまえを祝福し、おまえの子孫を空の星、浜のまさごのようにおびただしく増やそう。おまえの子孫は敵の門を討ち取るであろう。おまえは神の声に従ったから、地上のすべての人もおまえから祝福されるだろう」

聖書のお話をするのではないから、一速に進む。
アブラハムは、妻サラの死後も、セツラという妻をめとり、六人の子をもうけている。
それらの子の子孫からは、後のイスラエル人を悩ます種族も出る。

さて、イサクは、現在のシリアとイラクの国境地帯にあった、ハランという地から、自分の姪に当たるレベッカを妻に迎えた。40歳である。
エウザとヤコブという、双子をもうけるのである。

このヤコブは、姉妹と、その召使二人を妻にし、四人が生んだ子が、十二人で、この十二人の息子が、後のイスラエルの十二族の祖となるのである。
ユダヤ十二支族と言われるものである。
この支族の中でも、指導的立場をユダ族が持ち、その中から、ダビデ王、ソロモン王、そして、イエスキリストが出るのである。

イスラエルという名は、ヤコブが神から改名を命じられて、はじまった名である。
ヤコブの子孫が後に、イスラエル人、また、ヘブライ人とも呼ばれる。

アブラハムは、175歳を迎えて死ぬ。
その子、イサクとイスマエルは、ヘブロンにあるマクペラの墓に、妻サラと並べて葬った。

中世期、この地を、イスラムが占領して、他宗教の巡礼を拒んだ。しかし、1929年に、墓の上のモスクの中にだけは、入れるようになった。

ムハンマドは、このアブラハムの信仰に立ち返ることを言うのである。

2007年07月20日

イスラム16

愛するわが子、イサクを神の命じるままに、生贄にしようとした、アブラハムの絶対的帰依、それは、ムハンマドが言う、イスラムであり、最初のムスリムは、アブラハムであるということになる。

アブラハムの生涯は、神への依存一筋である。

「アブラハムはユダヤ教徒でもなかった。キリスト教徒でもなかった。
 彼は純正な帰依の人、全き帰依者(ムスリム)だった。偶像崇拝者のたぐいではなかった。
あらゆる人間の中で最もアブラハムに近い者は、直接彼に従った人たち、次にこの預言者。次いで信仰深いすべての人々。アッラーはすべての信者を護り給う」
この預言者とは、ムハンマドのことである。

永遠の宗教というテーマがムハンマドにはあった。
それは、歴史を通して一貫している。
次々に預言者が現れ、使徒も使わされた。その中で、イスラムとして、絶対帰依をした者は、アブラハムが最初であり、ムハンマドは、その直系であることを意識する。
ただ、アブラハムとの違いは、この永遠の宗教を支える預言者系列の最後であるという、強烈な意識だった。

全預言者の封印である。
彼の後には、預言者と呼ばれるものはない。彼より後に現れてイスラムの共同体を指導するものは、いずれもムハンマドの代理人である。
それを、カリフと後に呼んだ。

ムハンマドの前に現れた多くの預言者たちは、それぞれの時代が、その預言者の精神に支配される。
最も強い個性を発したのは、イエスキリストであろう。
次の預言者が現れるまで、その預言者の精神によって、色づけされた宗教の時代が続く。
イスラムの宗教的歴史観では、人類の歴史は、多くの預言者的周期の連続と考える。

それでは、アブラハムの周期の精神はというと、帰依、イスラムである。ここにきて、再び、ムハンマドの帰依、イスラムの時期に入るということになる。

ムハンマドは、最後の預言者であるから、歴史は、時間は、円環運動を止め、真っ直ぐな直線的に延びて、世界の終末に向かって進むのである。

アブラハムの信仰、今の言葉で言えば、アブラハム原理主義である。
つまり、ムハンマドからみれば、ユダヤ教もキリスト教も、永遠の宗教が歪曲し、堕落したものとなったということである。

このムハンマドの行為に、非常に似ている、日本の宗教家がいる。
日蓮である。
法華経に帰依するという、題目を発明し、南無妙法蓮華経と、法華経に絶対帰依する。
そして、他の仏教宗派を、ことごとく、否定した。
これも、一つの原理主義である。
膨大な経典の中から、仏陀最高のそして最後の教えであり、仏陀、仏教の本質があるという絶対帰依である。
日蓮は、天台から出た。その天台教学を母体にしての、独自の教学を展開した。
その行為は、非寛容であり、排他的である。
実に、一神教に似る。
宗派を否定するのであるから、他宗教を否定するのは、当然である。

しかし、キリスト教神学の妄想に比べると、仏教教学の妄想は、綻びが多い。
語り尽くすことをよしとする、ギリシャ哲学母体の言葉の隙間には、入り込む余地が無い。
あちらの哲学者は、その神学にいつも対決をせまられるのである。ミイラ取りが、ミイラになってしまった例は、多すぎる。

西洋哲学は、未だに、神観念と、やりあい七転八倒している。

絶対帰依を、イスラムというならば、日蓮もイスラムである。
それを実行する人を、ムスリムと呼ぶならば、日蓮も、ムスリムである。

いずれにせよ、宗教という妄想には、手がつけられない。

先にアブラハムを紹介したが、多くの予言が成就している。その訳は、聖書は、後で書かれたからである。これを、事後予言という。

イスラムは、指導者がいるが、信徒は、皆司祭でもある。その意味では、実に真っ当である。
職業宗教家がいるということは、衣食住に不自由しないということである。
それのみか、日本の僧たちは、財産まで持ち、その子孫に寺を譲り、益々繁盛させて、口からは、仏の道という言葉が出るから、仰天する。
仏の道は、商売の道であったかと、得心するのである。
仏陀のオリジナルを、このように商売に出来るという時代に、呆れて物も言えない。

庇を借りて、商売するのである。
仏陀、哀れ。

日本人は、中々、イスラムを理解出来ないというが、日蓮宗を学べばよい。
驚くべき、強情と、傲慢満載である。

私の尊敬する神道家がいるが、仏教の涅槃の境地は、神道の魂鎮め、と同じであるというが、私は、それを支持しない。

私の妄想は、古神道の、自然共感、共生で十分である。
稲の一本も植えず、魚の一匹も、捕ることをせず、瞑想によって、涅槃の境地に達したからといって、何もならない。
何ゆえに、この三次元に生まれたのかということである。
涅槃の境地に達するのは、死んでからで、十分である。

政治が宗教を容認するのは、カタルシスである。
人民、国民が、不平不満を、宗教という妄想で、昇華するのを、善しとするからである。

人は、その宗教への信仰によって、行為行動の規範を得るが、理性的な人間を完全に狂わせるのも、宗教であること、明々白日である。

このバランスを、仏陀も古神道も、中庸、御中として、尊んだ。
それを学ぶに、誰も否定は、出来ない。

もう少し、ムハンマドの時代のアラビアを見て、このエッセイを終えることにする。

イスラム17

ムハンマドの存在は、アラブ精神史上に起こった、まさに革命的出来事といえる。

ムスリムは、神の奴隷。
奴隷、アドブは、主に対して、自我を主張してはならない。
奴隷は、独立した人格を持たないという、徹底した信仰形態をムハンマドは、作り上げた。

それ以前の、アラブのジャーヒリーヤ時代、無道時代の男たちにとって、それは、屈辱以外の何物でもなかった。

しかし、この信仰に入信する人がいる。
そして、独立した人格を捨てて、主、アッラーの神の奴隷となることを、受け入れるのだ。

イスラムの立場は、全存在の創造主であり、万有の主宰者である、絶対的神との、垂直に成立する奴隷関係を、誇るべきだと教える。

さらに、ムハンマドは、この世に主を認めなかった。
主人というものも否定した。勿論、王というものもである。
真に主と呼ばれる者は、この世には存在しない。
唯一絶対のアッラーのみである。

であるから、ムハンマドも、自分を、ともすれば崇めようとする人にも、私は預言者であり、崇められる者ではないと言った。一人の人間、ムスリムにすぎないと言う。

後で、現在のイスラムによる、紛争について書くが、このムハンマドの創設した、イスラムを見れば、彼らの行為行動が理解できる。
ここまで、徹底しているのである。

神の子イエスを戴く、キリスト教も、アブラハムを主と呼び、その指導者、聖職者をラビ、つまり我が主と呼ぶユダヤ教も、ムハンマドの徹底した批判と非難を受けた。さらに、アラブの、女神の三神を主と称える、アラブの信仰も、否定した。
何一つも、多神教に陥るものを否定した。

ムハンマド以前のアラブの男たちの、何者にも頼らず、何者にも束縛されず、我が意思を生きるという、生き方、そのものをも否定した、その独立性まで否定したムハンマドの信仰は、凄まじい。

「告げよ、「これぞアッラー、唯一なる神  
 もろ人の依りまつる神。
 子もなく親もなく
 これとならぶもの絶えてなし」

私は、このムハンマドの信仰に、現代の終末思想の宗教形態の様を見る。
というのは、最初のコーランの神は、実に、怒りと裁きの神の形相であり、終末を説くのである。
審きの日としての、終末思想がある。
アッラーに従わない者は、裁かれて、滅びるのである。

誰もが、持つ潜在的恐怖と不安は、死である。
その死に、終末思想を結びつけて、脅す。つまり、潜在的恐怖心を煽るのである。
それが、ムハンマドから始まり、今、現在にまで至る。
多くの新興宗教系は、終末思想を持ち、それを、布教の糧にする。

1999年に向かう終末思想は、多くの新興宗教を起こした。
勿論、皆々、見事に、預言は外れた。しかし、形態は残った。

私は、一つの疑問を持つ。
主の奴隷となった、ムスリムは、その主の命令を、どのような形で受けるのかということである。
皆々、ムハンマドのように、主からの啓示や、指令を受ける者ではない。
アッラーの代理者がいなければ、アッラーの