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性について アーカイブ

2008年09月04日

性について

性について、書くと、決めてから、一週間を経て、書き始めることにした。

戸惑いがあめのは、終わりのないものになるのではないか、という、不安である。
これで、お終いという、お話ではない。
延々と続くのが、性であろう。

古来から、性については、多くの人々が、書いてきた。今も、そうである。
私の、少ない書籍の中にも、性について、扱ったものが、多々ある。
生物学、心理学は、ともかく、様々なタイプの、性についてが、ある。

どれを、取り上げて、性を、書き始めても、いいと、思われる。
私は、素人だから、ランダムに、気の向くままに、書くことにする。

何故、性を書くのかと、言われれば、性は、死と共に、人間の、最大のテーマである。

ただし、性を書くのであり、性行為についてを、書くのではないということである。
性行為に、関して書いても、それは、性を、語るためのものである。

性とは、何か。
終りの無い旅を始める。

性の歴史は、人間の歴史である。

最初に、旧約聖書の、レビ記から、引用する。
「女と寝るように男と寝る者は・・・
必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰するであろう」
故に、今でも、同性愛者を、死刑にする国がある。

特に、アラビア・イスラム圏である。
西洋も、キリスト教により、死刑を、行っていた時期もある。

新約聖書、パウロの、ローマ人への手紙には
「女との自然な関係を捨てて、互いに情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなす」
と、書かれている。

つまり、それは、こういう行為、同性愛行為が、実に、多かったことを言うのである。

ユダヤ、キリスト、イスラム教では、何故、それほどまでに、執拗に、同性愛というものを、排除しようとしたのか。

矢張り、それが、多かったためである。
そして、もう一つは、教義である。

それらの、宗教以前に、何が行われていたのか。
同性愛というものを、その、恐るべき、生殖能力を、神に捧げるという、古代信仰によるものである。
つまり、神のみ使いいである、神官に、それを、捧げたことから、始まると、思われる。

それは、聖書の教義、同族の結束を砕くものになった。
その、結束の元とは、偶像崇拝という、言葉に置き換えられる。

それほど、聖書の中に、禁止項目として、載ることは、それが、広く行われて、さらに、流行していたと、いうことである。

人類が、宗教の芽生えを、感じはじめた頃である。
神々は、自分たちと、近い存在であり、しかし、自分たちより、力の強いものであるという、単純な意識である。
そして、その神たちは、男女両性であった。
男も女も、両性の神を崇めていた。
しかし、そのうちに、両性の神が、それぞれに、分かれて、それぞれの、性の偶像となり、男は、男神を、女は、女神を、拝むのである。

神の住まいと、される、神殿にて、同性の神が、礼拝され、巫女と、神官が、神を引き寄せる役目を、帯びる。
更に、巫女も、神官も、神と、近いものという意識が、芽生え、彼らに、捧げるもの、それが、性となった。

世界の至るところに、見られる、男性器、女性器の、崇拝が、行われる。
それは、しかし、偶像なのであり、聖書の神は、偶像を嫌った。
純粋な、一神教の信仰とは、相容れないものとなった。

聖書は、子を、もうけるためだけの、性を、正当化する。
他の目的の、性は、乱用であり、罪悪であるとの、意識を、持つことになる。

非宗教である、政治の法律でも、聖書の解釈に、則り、同性愛を、禁止するということで、それは、確定した、罪になった経緯がある。

さて、何故、私が、これを、最初に取り上げるのかは、性、というものの、本来の姿を、見るためである。

性は、性行為にのみ、あらず、ということを、言うために、これを、最初に取り上げた。

最初、人は、性と、生殖を、結び付けては、考えなかった。
全く、別物であった。

そこから、性について、が、はじまる。

更に、突飛だが、単細胞動物の、ゾウリムシを、言う。
一番下等な、動物といわれる。
分裂による、生殖を、行うものである。

しかし、時に、有性動物のように、二匹が、結びつくことがあるという。
その時、ゾウリムシは、水の中に、ホルモンのような液体を出し、互いに相手を、引き寄せる。
それが、生殖行為である。

ウニ、ヒトデのような、無脊椎動物は、どうか。
性の区別は、ある。
その生殖は、植物のようである。
雄と、雌が、接触しない。
成熟すると、それぞれが、生殖液を、放ち、それが偶然に、結びつくのみである。

魚は、どうか。
雌の、卵の上に、雄が、精液を、振り掛ける。
接触は、しない。

雄と、雌が、接触して、生殖行為を、行うのは、ミミズのような、環形動物から、はじまる。
ミミズは、雄雌の同体であり、二匹が、互いに逆方向に、接触して、それぞれが、精子を交換するというものである。


2008年09月05日

性について2

水棲動物には、挿入器官としての、ペニスは、無い。
故に、接触することはない、のである。

陸上の高等動物になって、昆虫でも、ペニスがある。
そして、雄と雌の、複雑な、接触が行われる。

空気中では、生殖液が、乾燥してしまうため、雌の体内に、精子を送り込むという、作業が必要になる。
これが、人間に続く、基本的な、性行為に、至るのである。

それでは、雄と雌を、強烈に曳き付けるものは、何か。
そのままでは、接触は、行われない。
人間以外の、動物は、性行為を、快適なものと、認識しているのか、どうか、解らないし、また、快適な、状態を維持しない、動物もいる。

人間だけが、明確に、性行為に、快楽が、付くのである。

これが、性の、正体なのであるが、話を続ける。

雄と、雌を、強力に、曳き付けるものは、匂いである。
すべての、動物の、性的欲求を、刺激するのは、匂いであるということ。

蛾や、蝶などの仲間は、何十キロ離れた場所からでも、雌の匂いを、知る。
雌犬の、膣にある、分泌腺からも、何マイルという遠くの犬に、それを、知らせるものがある。
この、匂いを、雄犬が、嗅ぐと、狂うように、興奮する。
だが、人間は違う。

ここである。
他の動物との、大きな違いである。
それを、進化というのか、私には、解らない。

人間は、臭覚でも、触覚でも、聴覚でもないのである。
人間の、最大の、性的興奮は、視覚である。

つまり、人間の性の、刺激は、視覚によるといえる。

ということは、性というものは、視覚によると、言えるのである。
性の前に、視覚という、働きがある。

しかし、それを、語る前に、再度、原始のヒトに、戻らなければならない。

性というものを、認識する以前の、ヒトの、歴史である。

それの、手掛かりは、未開部族にある。

これから、暫く、人類学者、性科学者の、論文を、見ることにする。

ポリネシアのトロブリアンド諸島の、原住民たちは、性交と、妊娠の間に、因果関係があることを、全く知らなかった。
性の欲望が、種族保存の本能であるという、説は崩れる。

原住民は立派な婚姻制度をもってはいるが、子供の出生に男があずかることを全くしらない。彼らにとって父という言葉は明瞭な定義があるけれど、その定義は全く社会的なものにすぎない。父は母と結婚し、母と同じ家に住み家族の一員となる男を意味する。
未開人の性生活 マリノウスキー

更に、驚くのは、
父はトマカバすなわち「見知らぬ者」より正確には「よそ者」の意味で呼ばれたりしている。この表現は、相続の問題を論じたり、あの種の行為に筋をとおそうとする時や、あるいは争いごとで父の地位が下がってしまった場合などにさいしての会話に、しばしば用いられる。

私は、暫し考え込んでしまった。

生殖が、妊娠と関係ないと、考えた場合は、関係あると、考える人たちとは、その、性に関する考えたから、あらゆる秩序が、全く違う、常識で、考えられ、行為されることになる。

これは、性というものを、考える上で、実に、参考になる、考え方である。

性と、生殖を別にすると、性行為の、乱れが起こるなどという、考えは、起こらないのである。
もし、今、文明社会という中に、性は、生殖と、別ものだとすると、どのようなことになるであろうか。
性の乱れ、甚だしく、収拾がつかなくなるであろう。
性が、生殖、妊娠と、結びつくから、抑制が、働くのである。

ここで、考え方を、実に、柔軟にしなければ、いけないことが、解る。

父が、こちらの、観念では、測れないとして、彼らの生活を見ると、今までにない、新しい、社会が、見えてくる。

これは、私には、開眼というようなものである。

性というものの、捉え方で、父や、母に対する観念が違うということ、当たり前であるが、驚きになる。

私がここで用いる「父」という言葉は、われわれの場合と異なって、法的、道徳的、生物的などの各種の意味内容をもっているのではなく、トロブリアンド社会での特殊な意味にとらなければならない。混乱を避けるために、父という単語のかわりに原住民の「タマ」を使い、また「父関係」のかわりに「タマ関係」といった方がよいと思われるが、実際にはあまりに不便である。そこで以後「父」という単語にぶつかった場合には、英語の字引にあるものとしてではなくて、原住民の生活の諸事情に照らして解釈すべきであるということを忘れてはならない。
マリノウスキー

ここで、私は、思考の柔軟性というものを、事実知った。
違うモノを、理解する時、その言葉自体の観念も、柔軟にして、切り替えることであると。

これは、異質なモノ、例えば、イスラム社会などを、理解する時にも、必要である。

私の常識は、私のモノであり、他者のモノではない、という、当たり前のことに、気付くのである。

故に、実に、学ぶべきなのである。
知らないことは、無いことであるから、出来る限り、学ぶことにより、異質なモノ、違うモノを、理解し、柔軟な姿勢に、立って、理解というものを、必要とするということ。
これは、国際化といわれる、世界に対処するためには、必要不可欠である、心構えとなる。

性について3

トロブリアンド島の、父という観念が、全く違うということを、書いた。

性と、生殖が、結びつかないというだけで、このように、異質なものになるという、例である。

島の、結婚は、嫁入り婚である。
女は、夫の村に入り、夫の家に住む。
そこで、父は、子供たちにとって、親しい仲間であり、男は、進んで子供たちの面倒を見る。子供たちの、教育にも、携る。
同一家庭内での、子供たちと、円熟した慈悲深い男との情操関係を持ち、他方社会的には、母と、密接な関係をもち、家庭の主人たる、男である。

上記、性と、生殖が結びつくという、社会の父も、そのようである、が、子供が、成長すると、それが、生殖と結びつくという、社会とは、大幅に違ってくる。

父は、自分と同じ氏族に属する者ではなく、トーテム名称も異なる。
自分と、同じなのは、母であると、明確になる。
あらゆる、義務も、拘束も、プライドまでが、母との間に、結ばれて、父とは、分離していることを、知る。

更に、子供は、父とは、別な男、それは、母の兄弟に向けられる。
その、母の兄弟が住む村が、自分の村であり、そこの、財産や、権利が将来待っていることを、知る。

子供は、生まれた村で、よそ者扱いされることがあるが、母の兄弟のいる村では、自分の村であり、父が、そこでは、よそ者、扱いされる。

更に、進むと、父は、その権威と、助言などが、無視されるようになる。
父は、単なる男として、認識される、というのだ。

この、部族については、何度も、これから、このエッセイに登場することになる。

さて、性というものが、人間には、快感を伴うものであると、当たり前に信じているし、また、そのために、性を楽しむのが、当たり前である。
妊娠を、求める人より、性の快楽を、求める人の方が、圧倒的、多数である。

しかし、動物は、どうか。
皆、性の快感を、感じているのか。

全然、逆である。

命懸けの行為の場合もあり、とんでもない、苦痛を伴う種類もいる。

身近な例でいうと、犬の場合は、交尾の際は、肛門筋の痙攣による、生理現象が起こり、15から30分程に、わたり、雄雌が、つながっていなければならない。
人間は、その程度、楽しまなければ、早漏などといって、悩みになるが、犬は、苦痛である。

それでは、猫はどうか。
ペニスに、剛毛がはえているので、交尾後に、雄が、ペニスを引き抜こうとすると、雌は、苦痛を感じないわけにはいかない。

生殖本能で、快適気分を、味わう人間には、信じられない、動物の世界があるのである。

モグラは、膣に、厚い膜があり、塞がれている。
鋭いペニスでなければ、その膜を、破れない。
雄は、逃げ回る、雌を追い、雌の、膣の膜を、破って、ようやく、目的が達せられる。

ある種の、クモや、カマキリなどは、交尾の後で、雄が、雌に頭から、食べられるという、壮絶な性交渉である。

人間が、性交渉を、長引かせて、より、性を楽しむなどということは、他の動物には、見られないことである。

もし、動物たちに、知性が、あれば、人間の性交渉の、あり方を、笑うだろう。
何故、それほど、性行為に、拘るのかと。

結果、言えることは、人間の愛の行為、つまり、セックスをするという行為は、生殖本能とは、別なのである。
快楽の、欲求に、動かされているのである。

この、性行為を、愛の行為という、言葉に、私は、欺瞞を感じている。
誰の、策略か。
雄が、性を楽しむために、雌に、性の快楽とは、別に、心的満足感を、与えるように見せる、愛という言葉である。
嘘、でしょう。
ただ、セックスして、射精したい、だけでしょうとは、雌は、言えない。
雌も、それを、望むからである。

更に、複雑なのは、自分を、道具として扱っていると、思えても、相手に、好意、これが、曲者であるが、抱いていれば、雌は、体を、差し出すという、蒙昧。

私は、大人のオモチャの、製造元から、カタログを、取り寄せて、それらを、見渡すと、素晴らしい、マスターベーションの世界が、広がっているのである。
しかし、それでも、生身の相手を、求めるという、人間の性、この場合は、サガと、読む。
人間の、サガというものを、感じる。

人間は、性なるものである。
それほど、性は、脳に、何か特別な、分野を、作ったとしか、言いようが無い。

だから、優れたマスターベーションの、道具があっても、それで足りないと、欲求する、そのモノを、見ることで、性を、より深く理解できると、思っている。

例えば、金で、手に入る、雌というモノがいる。
売春である。
しかし、中々手に入りにくい、雌を、手に入れようとする、その雄の行動は、何から、発するものなのかを、追求すれば、一つの手掛かりになる。

そして、もう一つは、同性愛の、性行為である。
それを、解明すれば、性というものの、姿が、現れると、思うのだ。

どうしても、人間という、相手を、必要とする、人間の性である。

更に、性衝動を、別のモノ、特殊性行為と、私は呼ぶ。
覗きや、露出、更に、大便小便、アナルへの、興味等々の、欲望を、解明すれば、性というものの、姿が、見えるだろう。

そして、それは、最期に、脳の働きに、行き着くのである。
性は、脳なのである。

2008年09月11日

性について4

性欲の、脳の働きというものを、見る前に、心の動きについて、言う。

性欲と、恋愛を、一緒に出来ないのが、人間である。
単純に、あの人と、セックスをしたいという、恋愛というものがある。勿論、本人は、そんなことを、考えていないと、信じている。しかし、セックスをした、途端に、熱が醒めるということ、多々あり。

ある青年は、初めての体験の時に、相手の、膣に、ペニスを入れて、愕然としたと言う。その、あまりの、味気なさにである。
マスターベーションの、味わいに比べたら、何ほどのものはないと。
しかし、その後、彼は、女にモテた。
要するに、膣では、中々射精をしないのである。故に、長い時間を、要するのである。女には、それが、気に入られたという、変な話。

また、その逆も、ある。
ほとんど、受験勉強に終われ、性欲なども、失せる程の、お勉強をして、大学を卒業し、そうして就職し、落ち着いたところで、先輩に連れられ、ソープに初めて行き、こんな、快感があったのかと、のめり込んで、遂には、仕事を、辞めて、女の部屋で、セックス三昧に、陥った者である。

ただし、男の場合は、女と、違い、時間の差はあるが、一度、冷静に、立ち戻ることが、出来るので、暫くの無駄な、時間を、セックスに明け暮れたが、結局は、ごく普通の、欲望に戻った。

余計な、話が、続いたが、私の書きたいことは、人間の精神は、性欲と、比例するものではないということを、言いたいのだ。

人間だけは、他の動物と、違い、恋に恋するという、芸当が出来るのである。

性を、考える時、この、精神状態というものが、実に、良い、手掛かりになる。

つまり、人間の性は、単に性欲のみで、測れないものなのだということだ。

手に入れられないモノを、手に入れた時の、性の快楽は、言いようも無いものである。
性欲が、主たる意味ではないが、そのモノを、手にいれたことによる、優越意識に、似たような、意識が、性欲よりも、別な欲望を、満たすのである。

例えば、浮気や、不倫であり、兄の嫁を、寝取る、弟の行状などに、それを、見る。

それは、性欲ではない。

このようにして、色々と、性欲にまつわる行動を、見ることによって、性というものを、純粋に見つめることができるのである。

エロスの運動は、ふしぎな道程をたどるもので、出発点では幸福を望んでいながら、終点では幸福を拒否するという結果になることがある。快楽を拒否し、苦悩を求めるという結果になることがある。
澁澤龍彦 エロスの運動

このような、複雑な、心境を持てるのは、人間のみである。
他の、動物には無い。

更に、複雑化するのは、
肉の愛が精神的な愛に高まって行くのが、プラトン的な意味におけるエロスの運動だとすれば、逆に精神的な愛が肉の愛に下降するというような場合も、当然、考えられるだろう。これを哲学上の言葉で「逆プラトニズム」と称することがある。
澁澤龍彦

と、いうのである。
しかし、何故、精神的な愛が肉の愛に、下降、するというのだろうか。
それは、上昇かもしれない、のに。

無意識的に、精神が、肉よりも、何かしら、価値のあるものだとの、意識があるようである。
そういうことを、考えられるのも、人間だからである。
私は、前頭葉の、働きだと、思う。

ただし、澁澤龍彦は、逆プラトニズムも、情熱恋愛という、精神的なものと、同じ方向ではないとか、言う。
澁澤龍彦は、いつも、冷静である。

その、澁澤が、存在の不安という、エッセイで、存在の孤独というものを、考えるのに、以下のような、考え方をしている。

アメーバーは、分裂によって、増殖する。
分裂後は、個体として、また、分裂を繰り返し、増殖してゆく。
彼らには、死というものがない。

進化して、有性動物になると、つまり、雄と雌になると、たちまち自己保存の本能、個体維持の本能が、表れる。
個体維持というのも、本能と、私は、思わなかった。
自己を、保存しようとする、本能があるというのが、不思議である。
確かに、種族保存は、本能であると、言われる。

本能については、また、いずれ、書く。

さて、雄と雌が、生殖のために、一時的に結合して、離れて別々に死ぬという、現実がある。
澁澤は、存在の孤独とは、たぶん、ここから由来するという。

欠けているものを満たすために、分離によって生じた不安を逃れるために、男女は互いに結合するわけであるが、束の間のオルガスムが過ぎれば、ふたたび独立した別の個体として、互いに離れなければならない。そうして、自分の意志に反して死ななければならない。もちろん動物も死ぬが、死ぬことを知っている動物は人間だけである。
澁澤龍彦

少し、訂正すると、動物でも、死ぬことを、知っているのである。
ただ、人間のように、恐怖が無い。

人間が、誕生して、成長するというのは、色々なモノから、分離してゆく過程であると、澁澤は、言う。
その通りである。
分離することによって、他者を認識し、世界を認識し、実存の意識に、目覚めるという、悲しい存在の、宿命であるとも、言う。

さて、この、事実に、目を背けて、妄想に生きるのが、宗教という、化け物である。が、それについては、神仏は妄想である、を、読んで下さい。

2008年09月12日

性について5

実は、当たり前のことであるが、本能といわれる、性は、本能というより、生命と言った方が、正しい。
これは、欲望というより、生命、そのものである。
当然、食欲も、生命、そのものである。

欲望は、生命欲なのである。

それがなければ、人類は、無い。
この当然のことを、有耶無耶にしては、ならないのである。

つまり、欲望は、恵みであると、考えることが、真っ当な考え方である。

原始時代、兎に角、人が、自然という厳しい世界で、生き延びるには、考えられないほどの、アドレナリンを必要とした。
つまり、いつも、興奮しているのである。
それは、身を守るためである。
いつも、緊張を強いられる生活環境に、置かれていたのである。

人は、頭脳以外に、強いものは、持たないのである。
強い動物に、襲われれば、ひとたまりもない。
夜は、夜で、いつも不安に、眠らなければならない。
現代人が、眠るという行為と、彼が、眠るという行為は、基本的に違う。

戦時にある、兵士は、寝ているが、眠っては、いない。
いつ、敵が攻めてきても、対応出来るように、心は、緊張している。

寝ても、眠らないという、訓練をすると、それが、当たり前になり、眠るこというを、忘れる人もいる。

さて、古代人は、一つだけ、その不安と、恐怖から、逃れる事があった。
セックスである。
ほんの少しの、セックスの時、すべての、不安から解放され、ほんの少しの、その時間で、今までの、不安と、恐怖を、克服した。
だから、人類の歴史がある。

セックスは、すべての、魅惑の最初である。
ちなみに、魅惑のラテン語は、男性器という語源である。
いかに、ペニスが、魅惑的だったか。
それは、男も女も、である。
ペニスは、外に出て、見えるからである。
それは、実に、魅惑的だった。
更に、それを、信仰の対象ともした。

性行為と、生殖が、曖昧だった時、それは、古代人の救いとなる、行為だったといえる。
そして、今でも、である。

自然破壊された今、自然を求めるとは、人の中にある、性という自然を求めるのが、真っ当な感覚である。

性とは、人の不安と、恐怖を、鎮める、方法だった。
さらに、精神という働きを、作る原動力になるのである。

人間は、発情するから、セックスをするのではない。
必要な時に、いつもで、セックスが出来る。

人類に、農耕という意識が、起こった時、セックスは、即座に、豊穣の行為と、考えられた。当然である。
豊穣の喜びは、まさに、性行為の喜びと、同じだった。

満ち足りる思いは、両方とも、同じだった。

種まきの時期に、畑で、交合するという、風習は、至るところにある。

アフリカの、民族では、土に穴を掘り、その中にペニスを入れて、射精するという、儀式まである。

性というものの、認識が、飛躍的に、広がる人類の歴史がある。

それは、聖書以前であるから、おおよそ、五千年以前のことである。

更に、雄、雌の意識曖昧な、時期も、考える必要がある。
異性愛という言葉が、出来た過程には、同性愛という言葉があった。
同性愛があり、異性愛を、認識したという、経緯がある。
それを、確認すれば、性というものの、姿が、また、別に見えてくる。

生活に、直接必要の無い行為、後に、芸といわれる行為は、多く、同性愛の皆々が、起こしたことである。
星の観測や、土器製作、織物、描くことなどなど、今でいう、同性愛の、貢献である。

文字の、想像、創作も、同性愛の皆々の、故かもしれない。

少し、別な感覚を、必要とするものは、少し別な、性的感覚を持つ者によって、為された。
故に、彼らは、特別な、地位を得るのである。

フロイトの説は、未熟であるが、根本的な、人間の様を、捉まえた。
口腔期、肛門期、男根期である。

唇の、喜びの時期、肛門の快感を感じる時期、そして、成長して、男根の快感を、感じる時期。
その成長過程を、掲げて、精神分析というもの、立ち上げた。
ユングになり、更に、それが、進み、精神意識というものを、掲げた。

しかし、肉体としての、人間の、成長過程を、フロイトは、おおよその、枠で、完成させた。
非常に理解しやすいのである。

性行為の、前に行う、前行為は、まさに、口腔期の、名残である。
触れる。
唇に、触れる。
匂いを嗅ぐ。
そして、交合に至るのである。

最初は、精神活動など、考えてはいけない。
それは、不安と、恐怖を鎮める、儀式のようなものであったと、理解することである。

乱交期という、時期が、人類の歴史には、ある。
今でも、その名残で、行きずりの関係というものがある。
それは、実に、原始的な感覚である。
特別な意味は、無い。
それに、意味を見出そうとするのは、嘘の得意な、文学の分野である。

今でも、女を口説くのに、女が理解出来ない、小難しい小理屈で、セックスまで、持ち込もうとする、男がいる。
それが、文学の手である。
勿論、嘘八百である。

2008年09月18日

性について6

原始時代、未開種族は、セックスと、妊娠を別に考えていた。
それでは、どうして、子供が出来るのかといえば、おおまかなところ、太陽によるものだと、信じられた。

太陽光線が、子種を作るという。
それは、太陽の熱によって、自然界のすべのものが、養育される姿を見るからである。
また、月の光である。
古代は、月が人格化されていたという、報告もある。
月が、女を妊娠させる。

また、面白いのは、霊や、精霊、あるいは、神、悪魔の干渉も信じられた。
そして、母親の食べ物も、である。

トロブリアンド島の、妊娠に関する考え方は、実に興味深い。

妊娠についての考えにみられる神話的形相と生理学的形相との相互関係―――すなわち子供がトウマで生まれてトロブリアンドに旅行してくるということと、それに続く母体での過程として、血液が腹から頭に噴き上って再び腹にもどってくるということとの関係は、必ずしも首尾一貫してはいないが、人間の生命の起源に関する完結した一理論を示している。それはまた母系制にたいする立派な理論的基礎づけでもある。なぜなら村に新しい生命をもたらす過程は、すべて霊的世界との女性器官との関係であって、そこに生理学上の父子関係が入り込む余地はない。
マリノウスキー

であるから、処女膜の開いていない、女は、妊娠しないのである。
妊娠するには、処女膜を、破る必要がある。
つまり、処女膜を破りさえすれば、いいのである。
そこから、霊が、子宮に入り、妊娠するのである。

現代人と、古代、原始の人とでは、性に関する、考え方、知性というものは、全く違っている。しかし、それを、見ることで、性というものの、姿が見えるのである。

上記の説は、聖書の、マリア処女降誕に、取り入れられたようである。
男が、いなくても、妊娠するのである。
それは、霊による。
これで、完璧に、処女降誕の謎が解ける。

いずれ、性交により、妊娠と結びつくと、知ることになるが、それはまた、素晴らしい未来を、人類に与えた。
つまり、性交は、喜びだけではなく、未来へと続く意味ある行為になったのだ。

性交は、誕生を伴うという、認識である。

夫婦、家族という意識の、曖昧だった頃、明確だったのは、母と子である。
つまり、母系という考え方は、自然発生である。
それだけは、揺ぎ無い、確かなものだった。

トロブリアンド島では、女がいれば、子供は、生まれるのである。
処女膜さえ、何らかのことにより、開けられれば、である。
女が先なのである。

母なるもの、という時、それは、原始の頃の、母のイメージである。

性は、まず女から、はじまるとでも、言う。

受精卵は、まず、女である。
そこから、男への道がはじまる。
女の母体があって、男に変じてゆくのである。
たった一つの、染色体で、男に変容する。
変化するのではない。
女が、変容して、男となる。

つまり、男の性には、女の性的なるものが、宿るのである。
これが、後に、心理学で言われる、女性性、男性性という、知性の深みに至る。
精神活動が複雑になると、それが、益々複雑化するのである。

性、というものが、単なる、生物学的な性に、終わらない理由が、ここにある。
フロイトもそうだが、人間の精神に与える影響は、絶大である。
性とは、精神であるともいえることになる。

敬虔なクリスチャンで、マスターベーションを罪と教えられていた青年が、ノイローゼになった。
その解決策は、マスターベーション解禁だった。

宗教の蒙昧は、限りないが、人間の欲望を、罪に定めるという、とてつもない、大罪を犯すのが、宗教である。

溢れるほどの、性的欲求を、抑え付ければ、人は、狂うしかなくなる。
性は、生命だと、言った。
性の欲求は、セックスでなくとも、マスターベーションでも、十分に満たされるならば、マスターベーションを大いに楽しむこと、なのである。
それは、生命力の、強化になる。

性の満たしが、精神の満たしになる時、性というものが、輝く。

体と、心と、相対して、分ける考えがあるが、体を離れて、心が、単独にある訳が無い。
体は、心の現われである。
体が、病めば、心も病むのである。

体の癒しは、心の癒しにもなる。
優れた治療家は、それを知っている。故に、まず、体を、整えることから、はじめる。

悩み多き人の体は、凝りが多い。その凝りを、取り除くだけで、悩みが、半減するのである。

女の場合の、体調の不調は、性的満足の、有無に左右される。
体が、そのように、作られている。
いずれ、それについても書くことにする。

知性が、複雑になるにつれて、性に対する、精神性も、複雑になってゆく。
精神の複雑化は、通常の性交では、満足出来ないという、新しい、性行為を求めることになもなる。

マスターベーションで、死ぬことがあるのも、それである。
刺激を求めると、更に刺激を求め、ペニスに電極をつないで、次第に、電圧を高くして、射精と、共に、死亡するなどの、行為に至るという、性の秘密である。

精神の深い闇が、実は、性にあるということ。
実に、興味深い問題である。

2008年09月19日

性について7

ここで、突然であるが、ある方から、こういう情報を得た。

僕が診断を受けたのは、無性欲者(英:asexual)で、かつ性嫌悪(英:Sexual
Aversion)と言われる症状です。
性に目覚めると、脳の前頭葉の発達が停止する(つまり、記憶力や知能等々の発達が停止する)と疫学的に云われているようです。
ですので、asexualの人は、そういうことが無く、精神的にも肉体的にも衰えることが相対的に小さいのではないかという研究者もいるようです。

上記である。

今まで、多くの著作の、性に関しては、上記のような、状態にある者を、取り上げなかった。
上記の、状態を、深めることで、性というものの、姿が、また、深まる。

無性欲者、あるいは、性嫌悪を、起こす者とは。
それを、どのように、理解出来るのか。
それ自身にならなければ、理解し得ないという、前提で、考える。

つまり、脳である。
脳の前頭葉が、停止することを、脳自体が、拒むというのである。
故に、性を、また性欲を、嫌悪するということ。

性に、潔癖な時期というものは、誰にもあると、いわれる。
特に、女性の場合は、甚だしい。
思春期前後から、二十歳を過ぎるまで、女性は、性欲というものを、感じない場合が、多々ある。

それの、確信は、ジェンダーで、悩む、18歳の男の子に、逢った時である。
彼の、急務は、美しくなりたいのであり、女になりたいのではない。更に、男に愛されたいのではなく、女になりたいのである。
つまり、性欲としての、ジェンダーではない、ということである。

上記、矛盾していると、思われるが、以下、説明する。

女になりたいのではない。しかし、女になりたいのである。
つまり、美しさを、特に、体に美しさを、求める意識は、女性のものであるという、観念が、強くあり、女になりたくないのではあるが、美しくなるのであれば、女にでも、なりたいのである。

実に、複雑な、心境である。
これは、社会の観念に、左右される、悩みである。

それは、国柄や、風土の問題でもある。
タイなどでは、幼い頃から、男の子に、女らしさを感じた場合の親は、男の子でも、女の子のようにして、育てる。
そして、成長して、本人が、レディボーイを目指すなら、それを応援するという。
比較的、自由な空気の中で、ゲイにも、レディボーイにも、なれる。
ただし、差別がないかと言われれば、差別は、ある。

日本の場合は、今も、偏見と差別がある。
ただし、マスコミ等で、彼らの存在を認知するゆえに、やや緩和されている感はあるが、それでも、一般社会では、根強い、差別があり、差別的発言がある。

余計なことだが、ゲイを差別する人に、潜在性のゲイ志向があるから、面白い。
ノーマルといわれ男には、本当のノーマルの場合であるが、彼らは、ゲイを、容認する。つまり、理解できないからだ。妄想逞しく、ゲイセックスを想像しないからである。

潜在性ゲイ志向のある者は、ゲイセックスを想像するゆえに、嫌悪するという、不思議な心のカラクリである。

さて、横道に逸れたついでに、女の子の場合、性欲を感じない時期に、なんらかの要素で、性欲と、快感を感じた場合は、そこから、抜けることが、出来なくなる。
男の場合は、一時的に、性行為にのめり込んでも、そこから、這い出すことは、出来る。しかし、女の場合は、無理である。

何故か。
女の業が深いと言われる、所以である。

性欲を満たされない場合は、狂う。
知らなければ、問題なかったのであるが、知ってしまい、それが、絶たれると、狂うのである。

中年男性と、性行為を持ち、性の快楽を覚えた、女子高校生が、男の方から、別れを言い出して、自殺するケースが多い。
勿論、世間の人は、それを、知らない故に、自殺の原因が解らないこと、多々あり。

性欲に、執着するのは、圧倒的に、女に多い。
世に、聖人と言われる者、多くは、男である。
この、聖人の生涯を、調べると、一時期、必ず、性行為に、のめり込んでいる。
例えば、ガンジーといえば、知らない人はいない程、世界的に有名聖人である。
彼は、父親の死に際しても、女の子との、セックスを続けていたという。

宗教的、聖人も、然りである。

良寛なども、遊郭で、遊び続けて、飽きて、出家した。
キリスト教の聖人も、多くは、実に、淫乱、退廃の生活を送り、突然にして、神の信仰に、目覚めて、聖人の道、まっしぐらであるから、面白い。

単純に言っておけば、男は、飽きるが、女は、飽きないのである。
何故か。
きっと、脳が、解決してくれると、思う。

さて、性嫌悪者の場合、特に苦痛なのが、射精感覚である。
本来は、その射精の快感を求めて、とてつもなく、努力して、セックスを求めるのだが、彼らは、それが、身震いする程、苦痛なのである。

それにより、前立腺肥大になりやすい。
医者が、マスターベーションを、促しても、それを拒むため、止む無く、薬を処方されるという、お話である。

そういう、男も、いるのである。
そして、女もである。
一生、性欲の満たしを求めず、一切の、性的欲求ももたない、女である。
勿論、独身を通すが、昔は、無理やりに、結婚させられて、地獄の日々を、送った。私は、何人も、そういう、女性を知っている。

それでは、レズなのかと思えば、違う。
要するに、性欲を覚えないのである。

人間の、性とは、本当に、面白い。

2008年09月20日

性について8

性を、考える上で、どうしても、脳を考えて、それを、前提にしなければ、ならない。

少し、脳の性に関する分野と、働きをみることにする。

一番、理解しやすいところから、見ると、まず、食欲と、性欲についてである。
女性の場合、性欲が、満たされない場合は、ひたすら食欲に走る女がいる。
愛の喪失、欲求不満で、肥満体になる女は、多い。

また、逆に、性欲が亢進し、ストレスが高じて、食欲の失せる女。それは、恋のとりこになったという。
神経性食欲不振症である。つまり、拒食症である。

女性の食欲の中枢が、簡単に崩壊するのは、脳のせいである。
食欲、性欲の中枢が、脳の中にあり、数ミリの間隔で、隣接しているためである。

空腹を起こす部位は、視床下部の外側にある。
そこを、摂食中枢と呼ぶ。
これと、隣接して、内側に満腹中枢がある。ここが、壊れると、満腹感が起こらないために、いくら食べても、満足しない。故に、肥満になる。

血液中の、ブドウ糖の濃度の変化と、性ホルモンのバランスが、刺激になり、機能的に、壊れた状態になると、思えばよい。

この、満腹中枢が、女の場合、性欲中枢の役目もはたしているので、女は、食欲と、性欲と、混合するのである。

ただ、これは、実に、女は、男と違い、原始に近いということが、解る。原始に近いということは、新しい命を生むものだということ、である。

さて、もう一つ、孤束核という、延髄にある食欲中枢がある。
空腹、満腹中枢の、出先機関のようなものである。
食べたという情報を、得ると、処理された信号が、すい臓に行き、インスリンやグルカゴンを出させる。

また、大脳辺縁系の扁桃体の核にも、摂食を促す食欲中枢の出先機関がある。
ここでは、ブドウ糖や、性ホルモンを感受する、ニューロンがあり、雌の場合、エストロゲンが働いて、食欲に抑制をかける。

雄の場合は、テストステロンだが、雌のエストロゲンの方が、効果が大きい。
雌は、月のめぐりで、血中エストロゲンのレベルが、変動する。
それは、つまり、食欲にも、変動を与えるということだ。

食欲中枢が、刺激されて、空腹感や、満腹感が生じるのは、情報が、更に、大脳辺縁系の皮膚部分である、辺縁皮質に送られるからである。
この、指令皮質は、更に高次の、大脳新皮質から、興奮と、抑制の支配を受けるという、複雑さである。

心因性ストレスを受けると、空腹中枢が刺激を受けて、腹が空いても、辺縁皮質が抑制を受けていると、空腹感がうまく醸成されずに、空腹を感じないという、状態になる。

恋に、やられた時などは、同じように、なるのである。

面白いのは、女は、腹内側核、つまり満腹中枢が、性交中に興奮する。
男と、比べて、女の方が、ホルモンと、食欲、性欲中枢の共有が、男と比べると、実に多いのである。

さて、性的感心の、センターが、前頭葉辺りにあることが、解ってきた。
食欲と、性欲の接点の、最初の受け皿は、視床下部である。

さて、もう少し、脳をみる。

視覚、聴覚というのは、高等感覚である。更に、原始感覚の、味覚、皮膚感覚というものは、大脳新皮質下核である、視床下部を通り、それぞれの、感覚野に送られる。
例えば、視覚は、感覚野の第一視覚野であり、皮膚感覚ならば、脳の中央の、中心溝の手前、体性感覚野である。

抹消の感覚受信により送られた情報は、新皮質の感覚野に、それから、脳の各部に送られる。
分析したり、記憶の整理をする。
そういう仕組みの一つに、大脳辺縁系の扁桃核があり、海馬や、視床下部がある。

大脳辺縁系は、脳室の周りを取り囲み、新皮質の、辺縁部を形成しているゆえに、その名がある。
扁桃核は、情動を主体とする個体維持に、海馬は、記憶、学習を主体とする、種族維持に関わる。
視床下部は、これらと共に、情報交換を行い、食欲と、性欲を生み出す源流である。

そして、人間たる所以は、それらが、前頭葉に存在する、前頭連合野の、干渉を受けることである。

つまり、性的欲望を感じるということは、正常な脳の働きがあるということである。
その、性欲を、人間の欲望として、裁く、何物も無い。
それに、罪意識を持たせる、宗教というもの、実に、大罪であること、明々白日である。

前頭連合野は、全大脳新皮質の三分の一を占める。
人間としての、高等な精神を司る部分である。
あるいは、心の働きと、いってもよい。

動物は、持って生まれた、遺伝子のプランによって、人間の場合は、体験と、学習によって、記憶された、行動で、判断する。

性欲の場合は、あの快感を再びと、求めるのである。

視覚、聴覚、臭覚、触覚、そこからの、総称した感覚という、五感の刺激が、性欲中枢を刺激して、興奮させ、性欲中枢の、そばにある、快感神経維を含む、内側前脳束が、そこを貫き、快感を作り出すものである。

情動と、性欲中枢が揺すぶられ、神経の興奮は、下降して、仙髄の性中枢を刺激し、女の陰部神経に、興奮を伝え、膣の血流を促して、濡らす。

その点、雄、男の場合は、単純ともいえる。

性的感覚刺激で、視覚、聴覚が反応し、興奮が、視床下部に伝わり、体性感覚野、前頭葉、運動領に、及ぶ。

勃起は、血管の拡張する、副交感神経反応により、大脳辺縁系の活性で起こる。

睡眠時、90分ごとに訪れる、夢睡眠時、レム睡眠と呼ばれる時間帯に、勃起するのは、これである。

ちなみに、夢を見る時間でもあり、この夢見る時間は、ストレスを解消するものでもある。
ここで見る夢によって、嫌な記憶を消したりする。

人間の下半身には、女は、三個、男は、二個の穴を、持つ。
生殖と、排泄のための、ものである。
そして、その部分は、他の部位よりも、多くの、感覚容器が、配されている。
人呼んで、性感帯という。

それでは、性感とは、何か。
脳科学では、温、冷、痛、触感覚の、受容器があり、性感とは、それの、複合したものであると、判断する。

東京新宿歌舞伎町の、次の快楽街と言えば、札幌のすすきの、である。
その、すすきの、に、とんでもない、ピンク系の店が、現れたことがある。
その名も、尻舐めである。
なんでも、尻を舐めたら、天下一品という、尻舐め嬢がいて、男は、それで、イクという。
要するに、全ての穴は、使いようで、快感を得られるのである。

排泄の穴が、性器にもなるという、人間の前頭葉の、発達は、何を意味するのか。
じっくりと、見つめてゆく。

2008年09月24日

性について9

大脳辺縁系は、かつて哺乳類時代は、臭脳と呼ばれていた。
原始感覚の脳であり、女は、ここが、実にしたたかに出来ているという。
それは、命を生むからである。

視覚、聴覚、味覚、触覚の、四感は、視床下部という中継点を通るが、臭覚だけは、別行動をする。
直接、大脳辺縁系の梨状葉に達する。ここは、扁桃核の皮質にあたる。
臭覚情報の最終地点は、前頭葉なのである。
そして、不思議なことに、臭覚は、他の感覚が休んでいても、ずっと活動している。さらに、臭覚記憶は、何年にわたっても、保存される。

ある女性が、相談に来た。
時々、眩暈がして、突然、動けなくなるというのである。
勿論、精神科にも、通っていた。
原因が解らないという。

何か言葉を交わしているうちに、私は、過去の記憶に、何か問題があるのでしょうということを、話した。
複雑な家庭環境である。
彼女は、養子である。

突然ではなく、何かそれには、訳がある。
昔の嫌な思い出を、突然、何かで、思い出すのでしょう。
すると、人に、初めて言いますと、家庭内、性的暴力のことを、話し出した。
聞くことに、耐えられないような、話だった。

養父に犯され、兄に犯され、更に、弟にも、犯されていたという、話である。

高校を卒業して、すぐに、家を出た。

彼女の最初の、相談内容は、彼氏が部屋から出て行くと、不安で堪らなくなるというものだったが、根本に、そのような問題があった。

思春期を、とんでもない環境の中で、過ごしたのである。

そして、最後に、匂いに至った。
思い出の匂いを、嗅ぐと、突然の眩暈がはじまる。
匂いを、思い出すと、という言い方もできる。

女性は、原始感覚が、生まれつき、強靭であるが、別なことで、狂うと、それは、精神的苦痛になるというものである。

臭覚は、性欲の、キーポイントである。
男の場合、前回も書いたが、視覚である。

性的関心を司るのは、前頭葉であると、言える。

コンピューターが登場して、その技術者が、テクノストレスというものに、晒されるようになり、それは、前頭葉のストレスであるが、ここが、ボロボロに疲労することで、とんでもない状態になる。

食欲も、性欲も、狂うのである。
前頭葉が、スピードと、正確さ、そのコントロールに振り回されるのである。

食欲、性欲が、あることは、実にありがたいことなのである。

さて、男である。
視覚により、性的感覚を、呼び覚ます脳の働きとは、何か。

見るという行為は、目である。
目には、網膜がある。
網膜には、光を感じる細胞が、一億以上もあるといわれる。
細胞が処理した情報は、100万個もある、神経節細胞によって、視床下部の中の、外側膝状体を介して、新皮質の視覚領に伝達される。

しかし、そこが、終点ではない。
視覚領からの情報は、性欲中枢のある、大脳辺縁系に送られて、性的情動となり、興奮させ、脳裏に、留め置く。

大脳辺縁系とは、脳の中心にある髄液で満たされた、脳室をとりかこみ、新皮質との境界を形成している、海馬、扁桃体などの組織である。

この、大脳辺縁系は、視覚のみならず、感覚情報を、すべて、処理する中心的機構である。

また、そこは、体と、心のつなぎ目である。

ストレス、マイナスイメージの、情報が、送られると、つなぎ目が、混乱し、ストレス症候群とか、心身症、神経症に陥る。
つまり、性欲も、食欲も、おかしくなる。

さて、男は、見て刺激を受ける。
女は臭覚、男は視覚である。

人間が、他の動物と、違うところは、性欲が、甚だしく拡大し、歪曲してゆくということである。
生まれ、育ち、習慣、教育などにより、性欲の表情が違う。
本能としての、性欲は、同じだが、文化を抜きにして、性欲の表現、行為は、語れないのである。

ヌード写真を見て行うという、実に基本的な、マスターベーションの行為がある。
視覚に訴えて、興奮する。
ところが、それに、飽き足らなくなり、色々と、考案する。
涙ぐましい、マスターベーションの歴史が、一人一人の男にはある。

ところが、ある頃から、マスターベーションを知らないという、世代も出た。

十年程前、私の知り合いが、ある大学の、講師として、講義をしていた頃である。
性についてを、語り始めて、一人の男子学生が、部屋に尋ねて来て言うには、マスターベーションの仕方を教えてくれというものだったと、言う。
彼は、知らなかったのである。
受験、受験に明け暮れて生活しているうちに、自然発露の、性欲を、忘れた。

以前に書いた、性欲嫌悪のことではない。

講師は、丁寧に、マスターベーションの仕方を伝授したという。

男の子の、マスターベーションは、想像力を鍛えるものである。
いかに、楽しむか。楽しめるか。
いずれ、文化的、マスターベーションというものを、見ることにする。
要するに、マスターベーションも、その背景には、文化がある。

2008年09月25日

性について10

女は、臭覚、男は、視覚だと、書いた。
それでは、女の臭覚について、もう少しみてみる。

臭覚は、視覚、聴覚、触覚、味覚とは、別に、匂い分子が、鼻の嗅上皮細胞に入ると、電気信号に変化して、臭神経を通り、臭球核という臭覚の、第一次中枢へゆく。
そこから、大脳辺縁系の扁桃核に対する、皮質である、梨状葉という、第二次中枢へゆく。
そして、前頭葉の外側の、後へ行き、そこではじめて匂いを、識別する。

匂い情報は、人間の、最も高度な働きをする、前頭葉に達するのである。
つまり、原始的感覚である匂いと、大脳辺縁系という、最高級の脳の、働きに至るのである。

そして、以前書いたが、性的関心は、前頭葉にあるということも、書いた。

非常に、興味深いところである。

女は、臭覚で、性的興奮を得るということは、原始感覚と、最新の脳の働きによるということである。

ただし、男にも、臭覚はあり、時に、視覚より、甚だしく、性的刺激を受ける場合がある。

極端な例であるが、結婚して、性生活がない男が、いた。
原因は、妻の腋臭であった。
強烈に匂う腋臭が、彼の性欲を、奪った。
結婚する前は、それほどでもないと、思えた腋臭が、強烈なものだと、ベッドで、知ったのだ。

勃起することが、出来なくなった。

その逆も、ある。
強烈な、腋臭で、性的興奮を得る男もいる。
その、好みの、問題は、胎児期から、幼児期にかけて、作られるものである。

つまり、人間の、最も人間といわれる、大脳の前頭葉の基本的神経回路が、出来上がるのは、九歳なのである。
生まれてから、九歳までの、心の風景を、私は、原風景と呼ぶ。
この、原風景が、以後の人生を、すべて、左右するのである。

性欲、性的刺激、性なるものも、すべて、である。

とすると、男、女というもの、その、感覚も、それまでに、出来上がるということである。

つまり、男と、女とは、何かという、問題になる。

子供が大好きだという、男の大人の中には、潜在的、幼児性愛がある。
誤解されないように言う。
子供は、中性である。

およそ、九歳までの、子供は、中性と、認識するべきである。
まだ、男、女の地図が、脳の中で、定まっていないのである。

ジョンズ・ホプキン大学精神ホルモン研究所長、ジョン・マネーという人の、性倒錯に悩む人々の研究成果が、九歳までに、作られた脳の性地図によるものとの、報告がある。

世の中には、様々な性の姿がある。
男と、女だけではない。
男と女しかいないという、認識は、おそらく、能天気なアホであろう。
人間は、そんな単純なものではないことは、脳の働きを、見ても解る。

つまり、100パーセントの、男や、女は、いないのである。

脳だけではない。体も、稀に、性器が男と女という、場合も有る。

百人百様の、性があると、認識することから、性というものの、姿を知るのである。

もう一度、セックスという、語源を尋ねると、ラテン語の、分割された部分という意味から、転じて、分断するという意味の言葉から、生まれた。
性という、言葉の意味である。

それでは、日本の場合は、性という言葉は、男は、ギ、であり、女は、ミ、である。共に、母音が、イである。
イ音は、受け入れるという、音霊の意味がある。
共に、相手を受け入れるという意味である。
そこには、男、女の区別はない。
受け入れる相手がいれば、男でも、女でも、受け入れる。

同性、異性に、関わらず、である。
同性を受け入れるから、同性愛というわけではない。
武士道に見られる、男同士の関係は、精神的同性愛、プラトニックとしての、同性愛という、認識である。
勿論、肉体関係が、伴っても、構わないのである。
それが、重大なことではない。

要するに、相手のために、命を投げ出す覚悟の、問題である。

ここから、同性愛、ホモ、そして、バイセクシャル、更に、ジェンダーというものを、考える。
しかし、ジェンダーという言葉は、日本語にないものであり、まだ、誰も訳語を提唱していない。一応、性差ということになっている、が。

動物の世界では、雄と雌という、セックス、性が、一致している。
ジェンダーが、セックス、性と、分離するのは、脳が発達した、人間のみである。

動物の世界でも、同性愛行為は、あるが、人間の場合とは、意味合いが違う。

ジェンダーとは、男の体でありながら、女として、生きたいという者である。
その逆も、また、同じく。
そして、男の体で、愛する相手が、男であるという、同性愛。その、逆も、あり。

そして、問題は、ジェンダー、ホモセクシャル共に、自分で、選択できるものではないということ。

昔は、倒錯といったが、現代では、通常にあるものと、認識される。
それは、胎児期から、九歳までの、間に作られる性向である。

人間であるが、故に、性という、セックスを、超えた、ジェンダー、及び、ホモセクシュアルがあると、言っても、よい。

そして、それこそ、人間存在の、根源的な、カテゴリーとなるものである。

人間的なもの、それが、ジェンダーであり、ホモセクシュアルである。故に、それを、理解し、包括しなければ、性というものの、姿は、見えないのである。

ちなみに、ジェンダーの語源は、ラテン語の、ゲヌス、フランス語にある、ジャンルに当たる。
一つの、分類された、グループという意味である。
実に、彼らを差別する、何物も無いのである。
彼らも、一つのグループである。

もう一つ、オマケに、フランス語では、男性、中性、女性名詞と、分けている。

ちなみに、もう一つ、オマケに言う。
バイセクシャルである。両刀使いと、言われる。
これも、一つのグループである。
アメリカでは、バイセクシャルを承知で、結婚する、カップルが、実に多い。

日本では、江戸時代まで、結婚と、恋の遊びは、別物だった。
恋は、玄人の遊郭の、遊女と、遊び、結婚は、別である。
そして、更に、男色という関係も、また、結婚とは、別である。

妻がいても、男の相手がいて当たり前である。
井原西鶴、好色一代男に、すべて、描かれている。

火付けで、磔にされた、八百屋のお七の相手も、あれほど、お七が、慕った男には、男色の相手がいたのである。
それが、当然のことだったという、時代もあるのである。

2008年10月09日

性について11

もう少し、脳を見る。

脳下垂体は、頭部の真ん中にある。眼の奥である。
大脳の前面に、付着している、小さなものである。
やや、前頭よりに、下方に垂れている。

前葉、中葉、後葉と、茎がある。

後葉は、神経下垂体ともいい、茎を通って、間脳視床下部に、つながる。
それは、視床下部から、神経を受け取るということ。

後葉には、多くの、無髄神経線維が集まる。
その、神経は、有髄神経と、無髄神経に分けられる。

有髄の方は、髄鞘という物質があり、無髄には、それが無い。

髄鞘は、脂肪質の物質で、保護するためにある。

後葉は、内分泌液を分泌するという説だったが、そうではなく、視床下部の神経細胞が分泌して、それを、神経線維が運んでくるという、しくみが、解った。
神経分泌現象と、呼ばれる。
それは、神経線維と、神経線維の間を、運ばれてくるのである。

さて、前葉は、胎児が発生してくるとき、本来は、口を形成する細胞からくるが、それが、腺となり、後葉、つまり神経からきた部分と一緒に、脳下垂体となったのである。

中葉は、色素の出来かたで、三種の細胞は、分かれる。
後葉を、ニューロ下垂体、前葉は、アデノ下垂体と、呼ぶ。

ニューロ下垂体は、働きとして、いくつかの、ホルモンを分泌して、血液に送り、臓器の働きを、促す。

一つに、抗尿ホルモンADHを出す。これは、腎臓にいって、尿量を調節する。あまり、尿を作らないように、作用する。

もう一つは、ADHが、ワゾレッシン、オキシトチンという、物質を含んでいる。
ワゾフレッシンは、抗尿に、オキシトチンは、乳腺に作用する。

アデノ下垂体は、二つの細胞群を含んでいる。
一つは、クロモフォーデ細胞で、染色性のないもの、もう一つは、クロフィル細胞で、色素に染まる細胞である。

この細胞は、酸性色素エオジンや、酸性フクシンに、よく染まる細胞と、塩基性色素であるヘマトキシリンによく染まる細胞との、二つに分かれる。
この、酸性細胞が、成長ホルモンを出し、泌乳ホルモンと名づけられていた、プロラクチンを、出す。

塩基性色素に染まる、細胞は、向性腺ホルモン、向甲状腺ホルモン、向副腎皮質ホルモンを出す。

アデノ下垂体の働きは、諸ホルモンの働きのことである。

次に、向性腺ホルモンの、ゴナドトローピンという総括名で、二種類あり、一つは、卵細胞刺激ホルモンFSHで、もう一つは、黄体形成ホルモンLHである。

これらは、女性のもつものだが、男性では、FSHとLHをかねた間質細胞刺激ホルモンICSHである。

LHとICSHは、化学的には、同一物質であり、男性も、女性でも、LH、ICSHと、呼ばれる。

これ以上になると、専門的になるので、省略して、次に続ける。

脳下垂体から出る、ゴナドトローピンは、男性では、睾丸の成熟と、その機能や活動を調節している。

卵胞刺激ホルモンである、FSHは、脳下垂体から、直接、精子の生成を促す。
脳下垂体は、また、逆に、睾丸からの、影響を受けている。

前葉ホルモンは、睾丸が外に出るのを、促進する。
睾丸は、最初、卵巣と同じように、腹腔の中にあったものだが、それが下がり、陰嚢の中に入った。これは、自然の発育で、外に出る。

男らしさ、女らしさを作るものは、脳下垂体の、ゴナドトローピンが元だ。
ゴナドトローピンは、男では、睾丸のテストステローンを、女では、卵巣のエストラジオールと、プロジェステローンを分泌させ、それが、全身に回り、男、女らしさを、作る。

ところが、副腎皮質の内分泌により、男らしさ、女らしさに、変化することが、わかった。

副腎皮質とは、左右の腎臓の上についている、小さな臓器である。

腎臓は、尿をつくるが、副腎は、それとは、何の関係もない。

副腎皮質は、二層に分かれ、外側を、副腎皮質、内側を、副腎髄質と名づけている。

この、副腎髄質の出す、内分泌物質は、アドレナリン、ノンアドレナリンである。
性の問題には、関係ない。
性に関係があるのは、副腎皮質である。

副腎皮質の、出すホルモンは、性ホルモンと、よく似ている。
すべて、ステロイドで、八つホルモンがあり、それらを、一括して、コルチコイドと、名づけている。

更に、コルチコイドは、五十種にも、及ぶのであり、その働きは、三種に、分けられる。

オキシコルチコイドといわれ、三大よう素の新陳代謝に関係するホルモンである。
デスオキシルコルチコイドは、体内のミネラルの新陳代謝に関係する。
副腎皮質の性ホルモン。性腺の作用がある物質である。

いかに、複雑な構造で、性が、成り立つかということである。
それは、脳と、密接に関係しているのである。
性が脳であるという、理由を書いている。

そこから、見えるものは、結果的に、人間の性のあり様である。
脳科学、大脳生理学、心理学、文化人類学、哲学、思想、宗教、民俗学等々、様々な分野を見渡して、性というものを、見るという、試みをしているのである。

勿論、私は、素人であるから、気が楽である。
勝手、気ままに、性を探るのである。

性について12

性と脳のことに関しては、また、追々と書くことにする。

その前に、一つ、私は、提案する。
性というものは、本能かということである。
性欲というものは、本能であるかというのは、今は、誰も疑わないようである。それは、性欲本能説である。

自然に、持って生まれたもので、それにより、子孫を作り、それは、自己保存の本能とも、言われる。
性欲に、関わるすべてのことは、本能である。
これは、一つの観念であるという、提案である。

私は、性欲即本能とは、考えられなくなっていると、思っている。
それは、人間の進化である。

後々で、また脳について書く時に、それを、説明するが、単なる本能であると、考えている人は、大きな間違いを起こしている。
子孫を作るから、自己保存だというが、子孫を生めない人もいる。
どうしても、子孫を作らなければならないとしたなら、一夫多妻でなけばならない。
一夫一婦制で、子孫が出来ない人もいるからだ。

本能とは、何か。
生まれつき自然に体に備わった、生理的反応のことである。
意思に反して、起こるものである。
それでは、男が性的に興奮して、勃起するのは、本能であると言える。
だが、それで、性交を求めるとは、ならない。
マスターベーションという、最高の方法がある。

もし、性欲が本能だとすれば、それを、罪と考えた、宗教の多くは、実に誤りである。
完全に、誤っている。
本能ではなく、人間の何かによって、なるものだという、考え方があって、性欲抑制を、心の修行のように、考えたのである。

実に、狭い考え方を持って、性欲を本能だと、観念してきた、長い年月がある。

自然科学、文化人類学の検討が、実に必要になってきた。
性欲とは、本能であるが、人間の性行動は、本能ではないと、いえるのである。

人間の性行動は、作られてゆくものである。
それが、脳の発達によるものであるということ。

私は、バーチャルセックスという言葉が出来た時に、いよいよ、人間の性が、変容すると、思った。

例えば、インターネットの画面を見て、その接続に、本物そっくりの、女性器を取り付けて、バーチャルセックスが可能になる。
あるいは、セックスロボットが、現れて、セックスの相手をしてくれる。
時代は、そのように、向かっている。
それは、また、人間だけが、出来ることである。

子孫を作るための、性から解放される時代が、来たのである。
更に、子孫は、別に、セックスが、無くても、作られる技術は、十分に発達した。
試験管ベービーなどは、当然になってゆく。
甚だしいものは、男同士、女同士でも、子供が、作られる時代になる。

生物学的のみに、進化しているのではない。
人間は、その脳と、精神も、進化しているのである。

再度言えば、性欲は、最早、本能ではなく、文化と進歩と共に、新しく拓かれるものなのである。

性教育の、あり方も変わってくる。といいうより、今まで、正しい性教育が、為されていたかという、問題もある。

今までの、性教育は、生理学的、機能的、性の教育であり、人間の総合性としての、性教育が為されていないのである。

つまり、教える者たちが、性というものの、本来の姿を知らないのである。
すべては、古い観念により、それを、信じたものである。
何ら、創意工夫がなく、また、人間性の、性ということも知らないのである。

食の栄養については、溢れる程の情報がありながら、性の情報は、実に、少ない。
極端に、医学的、極端に、エログロ的、極端に、宗教、道徳的。更に、極端に、差別的なのである。

四十代の男が、若い女と、付き合い、妊娠すると、子供はいらない、堕胎せよと言う。そして、結婚はしない。女は、泣く泣く子供を堕ろし、男との、別れを決意する。しかし、男は、少し熱が冷めると、また、女に、二人で楽しもうと、誘う。

これは、実際に、私が相談を受けたものである。
その、男の親も、男と、同じ考えであるというから、驚いた。
私は、激怒したが、道徳的な人なら、皆、激怒するであろう。

何故、激怒するのか。
女を道具、セックスの道具のように、扱うからである。
更に、無意味な堕胎を促す、という無謀である。

しかし、このような、男が、非常に多くなっている、現実がある。
果たして、既成の観念で、何か、導くことが、出来るのか。

もう一つ言う。
結婚する相手はいる。しかし、別にセックスだけの関係の女が、妊娠し、生むといわれたと、悩んだ男がいる。
友人には、一ダース程、女に、堕胎させた男もいる。一人位ならば、堕胎させても、というのである。

上記、道徳なるもの、何の影響も、いや、道徳などは、何もないのである。

果たして、このような、時代性に、今までの性の観念で、考えていいのだろうか。

そして、更に、ジェンダーの問題から、ゲイ、レズビアンの問題から、性に関しては、今までにない問題が、持ち上がっている。

一夫一婦制の、結婚制度に関しても、更に、検証しなければならない。

結論的に言うと、人間は、性欲大脳化が、完全に出来上がっている。
生物学的に言えば、性行動は、本能ではなく、実に、人間の文化的行動であるといえるのである。

人間の性のあり様は、文化というものを、抜きにして語れないのである。
それでは、文化とは、何かといえば、伝統、文明、その他諸々の、要因によってなるものの、総称である。

性は、文化なのである。

ちなみに、性活動は、成人した、男女であれば、例え、去勢されたにしろ、障害があるにしろ、性活動は、行われるのである。

実は、一夫一婦制というのも、性の大脳化によるものなのである。

ますます、性というものの、世界が、広がってくるのである。

2008年10月10日

性について13

これから、雄の体、男の性感、雌の体、女の性感ということについて書くが、その前に、性、というものを、考える上で、現代、避けられない問題であり、性、というものを、根元から、考える、テーマが、出て来た。
それを、提言する。

トランスジェンダーである。
性同一性障害と、いわれる。
体は、男だが、心は、女であり、その逆もある。
医学では、それを認定し、治療、つまり、性転換を勧める。また、法律も、それを、認めて、戸籍の変更が出来るようになった。
マスコミにも、登場して、世の中に認知されはじめたと、いえる。

だが、その、性同一性障害には、もっと、複雑なものがある。
複合性同一性障害と、私は、名づけている。

実際、私は、そういう人たちと、文通を通して、その悩みを聞いた。

どういうものか。
一人の女の子がいる。
男の体になりたいと、希望している。
そこまで、通常の、性同一性障害である。
しかし、それからが、複雑なのである。
男の体になって、男と、愛し合いたいというのである。

その逆もある。

女として、男と、愛し合いたいのではない。男として、男と、愛し合いたいのである。
今は、女の体である。
実に、複雑な、心理状態である。

男の子が嫌いではない。ただ、自分が女の子として、扱われるのが、苦痛であり、更に、男の体になって、男の子と、恋愛を希望する。
このような、問題を、今、世の中で耳にすることはないが、現実に、彼女、彼らは、いるのである。

さて、もう一つは、ニューハーフといわれる、存在である。
これは、世界的には、レディボーイと、言われる。
日本独自の言い方が、ニューハーフである。

体は、男のままでも、女装し、女のように、振舞いたいのである。
それは、また、複雑で、男の体のままに、女を、装う場合と、ジェンダーのように、女の体にする者もいる。

だが、ジェンダーと、混同しては、いけない。

レディボーイは、男が、基本である。
そこに、覆うように、女というものがある。

であるから、女の体になった、レディボーイと、男の体のままの、レディボーイがいる。
そこの、違いは、それぞれの、心情の違いである。

そして、今まで言われる、ゲイ、レズビアンという、同性愛、更に、バイセクシャルといわれる、同性異性と、関係できる者。

身の回りには、それらの人々が数多くいる。
しかし、普段は、何も、表現しない故に、解らない。

家族さえも、それを、知らないという、場合も多々ある。

更に、欄外として、女装趣味というものがある。
それは、単に、着飾ることによって、昇華しょうとするもので、上記の者には、当てはまらない。

ある美少年が、女装して、電車に乗り、男に、女として、認められて、誘われ、憤慨した様を、聞いたことがある。
彼は、自分の女装趣味を楽しんでいるのであり、女として、見られ、男に、誘われることは、望んでいない。彼は、男なのである。

私は、ここで、人間の性というものの、無限定の様を、言うのである。
観念で、性、という、有様を、決め付けると、話しは、先に進まない。
簡単に言えば、何でもありの世界が、人間の性であると、知って欲しいのである。

それは、何度も書くが、人間の性の大脳化の所以である。

さて、タイでの、レディボーイの活躍は、目覚しい。
そこから、得た情報は、実に、考えさせられるものだった。

トランスジェンダーと、複雑に絡まりあい、実に、百人百様の姿があった。

一つに、男の体のままに、レディボーイを名乗るものである。
ペニスを持った女とでもいう。
彼らには、哲学がある。

一人曰く。
どうしても、女の体には、構わない。だから、自分は、男の体のままに、女になり、男の体のままに、男と愛し合うというものである。
それでは、ゲイに近い感覚であろうと、思うが、ゲイとは、ニュアンスが違う。

セックスは、フェラチオ、アナルセックスであり、相手が、求めれば、レディボーイの方が、男の役割を演じることもある。

そして、もう、一人は、言う。
女の体にして、男と愛し合う。
性転換して、レディボーイになる者である。

それは、人口膣を持ち、よくよく、見定めなければ、男は、解らない。
現に、相手のいるレディボーイが、彼は、全く女と信じて疑わないというのである。
本気で、相手のために、性転換したと、告白しても、信じて貰えず、子供が出来ない体であると、結婚を、相手のために、拒んでも、相手は、結婚を求めるという話も聞いた。

再度言うが、世界が、混沌としているように、人間の性も、混沌としているのである。
それを前提に、性、というものを、考える時代に突入したのである。

例えば、浅草の、ベテランソープ嬢に、聞いた話である。

女遊びも過ぎれば、通常のセックスでは、最早、満足せず、何を求められるかといえば、アナルへの刺激だそうだ。
彼女は、指でも、棒でも、何でもいいから、アナルに、入れてくれと、何度も言われたという。
そうしなければ、勃起しないというのだ。
勿論、ゲイではない。女と、セックスする、男である。

ここ、ここに至った時、人の性は、逸脱するというのか、変容するというのか。そこには、異常というものはない。
あるのは、試みである。

人間の性は、いつからか、試みになってきたのである。

文明の進化と、共に、人間の性の営みが、試みの性になってきたということを、言う。

女好きの、二十代の若者が、酒に酔い、その場の、雰囲気で、男に犯されたという。
そういうことが、多々ある時代である。

少年愛、同性愛、衆道、男色の歴史は、後々触れることにするが、人類の歴史が、書かれる前から、それらの、行為は、大いにあった。

エジプトの、壁画に、男に犯される男の、絵がある。

更に、インドの性愛の歴史を見れば、百花繚乱である。

性について、の、エッセイが、手に余る程、広がり行くのである。

2008年10月18日

性について14

1976年、シェアー・ハイトが、ミリオンセラー「ハイト・レポート」を出版した。

ハイトは、この本で、女の70パーセントは、通常のセックスにおいて、ほとんど性的満足を得ていないと、書いたのである。

更に、女のオーガズム、つまり、イク感覚は、クリトリス起源であり、膣内おいて、挿入を繰り返す行為は、情緒無視の単細胞行為であると、言うのである。

女の、性器の形状は、クリトリス、尿道口、それらを守るように、大陰唇、その奥に小陰唇がある。
大陰唇を、クリトリスと、勘違いしている、男が多いのが、驚きであった。
ある男が、酒の席で、彼女のクリトリス、すげー伸びるんだと、話していたのを、聞いて、愕然としたことがある。
今は、そんなことは無いと、思うが。

クリトリスの生理的動態について、言う。
男の射精における、単純な快感に比べると、女の快感は、千差万別である。
百人百様の様がある。
更に、その日によっても、違う。

女の、オーガズムを多重型という。
数千年の間、雌から、女へと、進化するにしたがい、多重型オーガズムを獲得していったといえる。

それは、男のような、単純型から、のけぞり、失神、その他諸々、幾通りの、パターンがある。

同じ女でも、心理状態、体調によっても、それは、変化する。

「モアリポート」によっても、女の七割が、果てた振りをすることが、報告された。

まず、オーガズムの脳波を、見る。

脳波は、安らぎの、アルファ波、緊張の、ペータ波、その中間の、シータ波がある。
女の、絶頂のときに出るのが、シータ波である。
瞑想などの時も、このシータ波が出るといわれる。
実は、このシータ波が、何故出るのかということは、まだ、解明されていない。

女の場合、このシータ波というものは、頭部中央の広い範囲に、約20秒間も出る。
男の場合は、範囲が限られて、更に、シータ波を、抑制する働きがあるようである。
これは、原始の感覚が、残っているせいかと、思える。
性交中でも、油断出来ないという意識があるのだろうか。
しかし、現在は、獰猛な動物に襲われることはない。
今なら、旦那のいない時に、ベッドでセックスしていて、旦那が、いつ帰っても、すぐに対処出来るようにと、抑制する程度であろう。

クリトリスは、ペニスと、同じ器官である。
海綿体で、出来ている。
ペニスより、小さなせいで、感覚受容器の密度が、高いから、敏感である。

クリトリスを、中心にして、陰核脚という、ハの字型の脚があり、この、脚は恥骨に付いている。
オーガズムの際に、クリトリスを覆っている、包皮小体が、恥骨に引っ張られ、まわりの包皮が伸びて、クリトリスが、隠れる。
クリトリスは、多少勃起して、引っ込んでしまうのである。

女が興奮して、クリトリスが、勃起し、丸見えになるというのは、誤りである。

女のクリトリスは、通常、陰核包皮に覆われて、隠れている。
約、89パーセントの女が、そうである。
性的に興奮して、膨張し、露出するのである。
そして、オーガズムの時に、引っ込む。

クリトリスの勃起は、ペニスの勃起とは違う。
色々な触覚受容器や、圧の受容器のバチニ小体が、詰まっているので、触れたり、圧迫しりする刺激に、敏感に反応し、充血が起こる。

クリトリスは、仮性包茎のペニスのようなものである。
故に、強い刺激は、逆効果である。

男が、クリトリスに、指や、舌を這わせて、愛撫する時には、極めて、静かに、軽やかでなければ、ならない。

男は、女の体について、良く知らないゆえに、兎に角、強く刺激を与えると、感じると、勘違いする。
ある、相談を受けて、いつも、セックスが痛みで、苦痛だという、若い女がいた。
それは、相手の男の問題であるから、彼を連れてくるように言った。
そして、私は、彼女に、席を外させ、彼に、図に描いて、女性器を説明し、更に、愛撫の仕方を、教えた。

彼は、驚き、恐れた。
何も知らなかったのだ。

特に、クリトリスは、感じると思い、激しい愛撫というより、拷問のような、愛撫を、繰り返していた。
触れるか、触れないか程度の、刺激で、どんなに感じるかを、私は、彼の手のひらで、教えた。
手のひらは、強く刺激すると、何も感じない。更に強くすると、痛みを感じる。しかし、そっと、手のひらに、指を這わせると、少し、くすぐったい快感が起こる。
彼は、それで、クリトリスへの、愛撫を、悟った。
仏の悟りより、それは、実際的だった。

彼は、私に済みませんと、言い、二度と、強い刺激は、与えませんと言って、納得した。

更に、彼は、挿入の時に、どのようにしたら、相手が感じるかと、尋ねてきた。

実は、挿入によって、クリトリスは、刺激されることは、まずないのである。
すると、女は、何を快感とするのか。

膣への、圧迫感が、精神的感受性によって、ある種の快感を得る。
つまり、愛情である。
彼を受け入れているという、女の愛情である。

確かに、挿入の動き、ピストン運動によって、小陰唇に圧力を加えて、その動きが、クリトリスに、加わり、間接的に、刺激を与えて、快感を得ることもある。

そして、これは、奥伝であるが、膣壁の、上にある、Gスポットという場所がある。
指を入れて、確認すると、膣壁の上に、ザラザラとした、部分がある。
そこを、ペニスによって刺激されると、快感を得ると言われる。

膣内は、ほとんど無感覚であるが、そこだけは、感じる。
秘密の場所である。
私は、そこを、突くように、意識して、ペニスを出し入れすることだと、アドバイスした。
少し、反りぎみの、ペニスが、好まれるというのは、そういうことである。

その後、女たちから、彼氏のセックス指導を頼まれたが、断った。
五人前の仕事をしていた時期であり、到底、時間的に、無理だった。

知り合いの若者たちには、セックス本を、買って、良く学ぶようにと、アドバイスするのが、精々だった。

一番、困った相談は、私をイカせた後で、彼が、大人のオモチャで、イクのですという、相談だった。
どうしたらいいでしょう。
私の方が、どうしだんでしょう、である。

つまり、大人のオモチャ常習者で、その感覚でなければ、ペニスが、快感を感じなくなったのである。
ちなみに、大人のオモチャの膣は、本物より、凄い。
締まり、自由自在である。
ああ、と、溜息をつくしかなかった。

性について15

処女膜、ギリシア語では、ハイメン。

処女膜について、本当に知っている、男は、何人いるのだろうか。

散々遊んだ男が、結婚には、処女、乙女を、選ぶという、傲慢である。
更に、浮気は、散々するが、妻の浮気は、許さない。
男というものは、実に勝手なものである。
しかし、これを読むと、きっと、仰天するだろう。

処女膜とは、膣を、部分的に、塞いでいる、粘膜の層である。
その語源は、サンスクリット語の、縫い目という意味である。

ギリシャ語の、ハイメンは、婚姻の神の名でもある。
「すでに夜とはなりぬ。松明の輝きは彼方より揺らぎ、古えの歌、永久に若さ溢るる歌は聞こえたり。ハイメン、ハイメナス」
結婚式に歌われた、ギリシアの歌である。
しかし、実は、処女が、犯された時、神の助けを求めて、叫ぶ結婚の叫び声から、生まれたものである。
つまり、結婚初夜に、新婦が、痛みで、叫ぶのである。

何故、処女膜というものがあるのか。
実は、よく解らない。

ある学者は、未熟な男、弱い男、老いた男との、セックスを避けるためのものだという。
つまり、処女膜という、防御膜を突き破ることが、出来る男だけが、セックスできるというものだ。

基本的には、健康な子孫を残すために、あるものだというのだ。

多くの動物は、何らかの、未熟な、処女膜を持つが、それは、自然に破れる。しかし、人間だけは、妊娠が可能になるまで、体を保護するというのだ。

これは、女が、ある程度まで、成熟しなければ、妊娠してはいけないという、ことである。

実は、この処女膜とは、古代から、様々に、扱われてきた。

処女は、セックスに、血を流す。その、血が、古代人には、恐怖だったという。
故に、夫となる、男との、関係の前に、多く、儀式的に、処女膜を、破るための、行為が、行われる。

凌辱。
その、第一歩は、必ず危険が伴う。
故に、この行為は、宗教的ともいえる、感覚で、行われた事実がある。

例えば、神官や、それに、準じた、名のある人に、任せられた。
あるいは、この危険な行為は、身分の低い人、全くの他人に、任せられた。

それを行うことで、悪魔的ともいえる、処女凌辱の汚染に対処したのである。

ある部族、社会では、指や、原始的道具によって、人工的に処女膜を、破壊する女がいたという。

未来の夫を、守るという意味で、行われた事実がある。
更に、処女には、何の魅力も感じないという、部族もいた。要するに、誰も欲しがらない女は、何かが欠けていると、考えるのだ。

さて、我が国、日本では、どうか。
驚いた。

各地に、処女膜を、破る、儀式があった。

まず、結婚が決まると、ある地域では、この土地の、名士のような人に頼み、処女を、凌辱してもらう。
更に、別の地域では、新郎の、友人の幾人かに、新婦の初夜を、凌辱してもらうというものだ。

そういう、地域では、最初の子は、夫に似ないと言われる。当然である。

古代は、また、処女の持つ、魔術的超能力が、信じられていた。
我が国も、そういう時期や、地域がある。

結婚前に、処女を失えば、部落、部族全体に、その、魔的危機に陥ると、信じられた。

原始人は、ある特定の場合、種族の存続に関わるような場合、セックスを抑制することによって、願いが、叶うと、信じたようだ。

処女を大切にするという、考え方は、時代を経て、築かれてゆくことになり、最初は、その逆だったのだ。

五千年位前の、時代、つまり、旧約聖書の頃は、処女を、重大に考えていたことは、記述によって解る。
申命記によると、花婿を騙して、処女だと偽っていたことが、露見すると、花嫁は、石打の刑で、殺された。

また、逆に、花嫁が、処女であるのに、処女ではないと、非難した婿は、罰金を科せられ、離婚することが、出来なかった。
ただし、その頃は、一夫多妻である。

処女が、白い服を、着るというのは、広く、多くの民族に見られる。
私が、タイのカレン族村に、出掛けた時も、処女の女は、幾つになっても、白い民族衣装を着ていた。

そして、結婚によって、それは、着られなくなる。
つまり、白以外のものを、着ていれば、処女ではなく、誰かの妻であるという、印である。
勿論、姦淫は、タブーである。

日本の、ある地域では、明治の後半まで、嫁入りが決まると、母と娘で、処女凌辱を頼むために、村の年配の男の元に、出掛けたという、報告がある。

また、婚礼で、婿を酔わせて、初夜を、村の若者で、奪うことが、当然という、地域もある。
村特有の、結びつきの、行為であると、言われる。

処女を大切に思うあまり、膣の一部を、縫い合わせて、セックスが出来ないようにしたという、部族もある。
陰部封鎖を、性器に適用した部族もいる。
つまり、大陰唇に、リング、針を固定し、性行為が、出来ないようにした。

それとは、別に、割礼をする部族も、起こった。
聖書にある、男の割礼を、女にするというもので、それは、女に性の快楽を、教えないというものである。
実に、女性蔑視である。
それは、今も行われている地域がある。

極めつけは、貞操帯の、登場である。
旧約聖書に、その記述があり、更に、西洋では、12世紀に、それが紹介されて、用いられた。
十字軍の遠征によって、東方から、持ち帰った情報であるとされる。

それを、最初に作ったのは、イタリア人である。
当時のイタリアでは、性の放蕩三昧だった。
色恋沙汰に、明け暮れていた時代である。
そして、それが、西洋全体に広まった。

ところが、そこで、問題が起こった。
ワギナを塞ぐことは、出来ても、アナルを塞ぐことがなかった。
つまり、アナルセックスが、出来るということである。
そこで、遂に、アナルまで、塞ぐ、貞操帯が、出来たという。
女の歴史は、実に、悲しいものである。

貞操帯の呼び名である。
フロレンスの帯である。それが作られ、使用された、地域が解るというもの。
貞操の鍵、鉄の下穿き、ビーナスの帯とも、呼ばれた。

現存している、貞操帯は、1406年、ベネチア人によって、処刑された、残虐な専制君主、フランチェスコ二世の作ったものである。
ベニスのドゥカーレ宮にある、武具コレクションに混じってある。

2008年11月09日

性について16

睾丸には、二つの働きがある。
一つは、精子を作ること。
もう一つは、内分泌線として、働くこと。

精子は、細精官で作られ、精管を伝わり、体外に出される。故に、外分泌である。

内分泌物質のほうは、間質細胞が出し、対外に出ることなく、血液を通じて、全身を回り、その作用を表す。

精子は、減数分裂をして、遊離してくる細胞である。
その細胞は、まず、細精管の薄い膜を作る細胞、つまり、精子母細胞が、分裂して、精子細胞となり、それが、減数分裂をして、遊離して、精子となる。

多くの動物は、それが起こるのは、一年に、一二度の発情期のみ。
人間だけは、春動期を迎え、いったん、生成が始まると、休みなく続く。老年になって、止まる。

さて、それでは、精液は、どのように作られるのか。

副睾丸は、睾丸から出た細精管が巻き込まれた形をしている。
そして、そこが、主として、生成された、精子を貯蔵する。
そこでは、一種の分泌液を出す。

その、分泌液で精子は、運動し、成熟する。そして、受精する、力を得る。
副睾丸から、分泌する液は、精子の力を強める作用があるということだ。

そこでは、およそ、60日間運動し、30日間の、受精力があると、いわれる。

更に、副睾丸の精子の活力は、単に、副睾丸分泌液のみならず、性ホルモンが血液を介して、副睾丸に及んでいる。

副睾丸の中の精子は、適当な時に、射精されにければ、死んでゆく。
そして、自然に精嚢の中に入り、消滅し、尿の中に出るということは、ない。

射精の時、精子は、副睾丸から、その細精管のまわりにある、筋、平滑筋の運動により、精管を通り、精嚢へと、進む。
そこで、精嚢の分泌液が加わる。
それは、黄味を帯びたアルカリ性の液である。

そこから、前立腺に運ばれ、前立腺は、前立液を分泌し、運ばれた液と、まざる。

前立腺の液は、蛍光のある、薄い、一種特有の臭気がある。
栗の花のにおいに似るといわれる。

その反応は、やや酸性に傾き、カルシウム、クエン酸、リン酸に富む。
前立腺を指で押すと、前立液は、出るが、性行為の際には、盛んに出る。
それが、先走りといわれるもの。

精液には、尿道球部からの、球液も混じる。
精液は、色々な分泌液が集まって、精液と呼ばれるのである。

只今、巷で言われる、前立腺刺激ということについて、書く。
アメリカで、前立腺刺激のために、作られた、医療器具が、どういうわけか、日本では、別の目的に、使われている。
つまり、前立腺刺激による、快感を得るものというものである。

その手の、案内を見て、びっくりした。
男も、女のように、達するとか、男が、女になるという、謳い文句である。

そして、今では、その種類が、数多くある。
しまいに、女性用、オナニー道具も、男が、アナルに使うという、驚きである。

アナルの、マスターベーションを、アナニーというから、また、驚いた。
特に、ゲイの世界で、言われる。

それでは、前立腺というものを、みる。

前立腺はカルシウムや、クエン酸のほかに、リン酸酵素である、フォスファタースというものを、含んでいる。
それが、春動期から、急激に増す。
それは、睾丸内の、テストステローンの作用による。

男の、尿には、フォスファタースの量が、女、子供の比べて、三倍から五倍と、多い。
体から、それを捨てていると、思われる。
それが、前立腺の働きの一つ。

フォスファタースは、リンに関する代謝酵素であり、養素の一つである、含水炭素の分解、ビタミンをリン酸化するという、活性化をして、一括して、リン酸化という、活動をいたるところでしている。

血液中にある、フォスファタースは、男、女、子供でも、同じ量である。
増加した場合は、色々な腺に入り、中でも、前立腺に入って、調節されると、考えられる。

そして、前立腺の、フォスファタースは、血液には、入らない。
では、前立腺に、リン酸化合物が、蓄積されるかというと、少ない。
つまり、前立腺は、リン酸代謝に、関係しているといえる。

この、前立腺の働きが、解り、次に、勃起という、生理学的状態を、みることにする。

ペニスは、海綿体という、組織に富む。
海綿体組織は、動脈から、血液が入り、そして、その血液が、静脈から出てゆくのが、少ない時に、その容量を増す。
それは、海綿体の小動脈が、拡大し、海綿体毛細血管に、血液が増し、反対に、静脈は、常よりも、縮小するのである。
勃起である。

それでは、勃起神経はというと、亀頭刺激が、陰茎背神経を通り、脊髄の中枢まで、達する。そして、その上までゆく。
専門用語は、控えて、簡単に言う。
亀頭刺激が、神経を通り、伝達され、それが、また、戻り、海綿体の小塔脈と、毛細血管を、拡大させる。

勃起神経と、勃起中枢と呼ぶものが、働くのである。

ただし、勃起は、ペニスへの、刺激だけではなく、人間の場合は、主として、視覚と、触覚からの、刺激でも、起こる。

また、人間特有の、想像によって、生じる、性意、デザイア感覚によっても、起こる。

射精に関する、生理学的な、働きについては、また、書くことにする。

先に、前立腺刺激による、快感というものが、新しい性感として、男たちに、知られるようになったといった。
事実、大人のオモチャの世界では、一足先をゆき、百花繚乱の様子である。

私は、性というものに、ついて書いている。
この、人間の性が、今、正に、変容しようとしている。

ペニス刺激だけではなく、新しい刺激の、快感を発見したといえる。
ただし、それは、古い時代から、あったものであるが、今は、意識して、それが、行われるということで、それが正に、新しいというのである。

アナルへの目覚め。
前立腺への、目覚め。
人間の性欲というものが、本能ではないことを、証明する、発見である。
つまり、大脳化である。
それを、言いたいのだ。

性について17

勃起も、射精も、自律反射である。

骨格筋にきているのを、体制神経といい、内臓筋にきているのを、自律神経という。

自律神経とは、神経が、感覚や意志がなく働く神経という意味。
胃腸、性器のように、自律神経がきている、臓器には、すべて、二つの自律神経がきている。

副交感神経と、交感神経である。
この、神経は、互いに、反対の働きをしている。
以前にも、書いたとおり。

勃起反射、射精反射も、自律反射と、呼ばれる。

この二つの反射で、特に射精反射では、性感、オルガスムが伴う。

仙髄第三分節から、上にゆく神経、そして、亀頭、その他の、性器皮膚から上にゆく、皮膚感覚の神経を伝達し、間脳の視床と、大脳の、辺縁系へと、流れて、快感となる。

女にも、男と同じように、勃起反射、射精反射に対応する反射はあるが、それが、男のように、明確ではない。

神経の働きは、男と同じだが、陰核、つまり、クリトリス、及び、その周辺の皮膚や、粘膜からの、刺激が、陰部神経を上がってゆく。
そして、男と、同じく、仙髄第三分節までゆき、そこの勃起中枢で、切り替えられて、反射中枢として、副交感神経で下る。また、交感神経で、下る。
下腹神経叢で、両方が継続して、卵巣、子宮、膣に分布する。

子宮にも、膣、その他にも、内臓筋がある。男の場合と同じ。

上行刺激が、反復すると、腰髄第一分節にいった、伝導が重合して、射精中枢から、発火を起こす。

その、発火は、交感神経を伝わり、下腹神経叢から、卵巣や、子宮にゆき、オルガスムを起こす。
しかし、射精のように、目立った現象ではない。

更に、それが、連続して、何度も起こるというのは、男とは、全く違う。

男は、一度の射精で、オルガスムを終わる。
次は、また、時間を、置いて、である。

勿論、若い頃は、抜かずの、何とかといい、一度、二度と、短時間に、続けられることもあるが、射精時の快感は、その一度で終わる。

ペニスに対する、一種の快感はあるが、射精の快感は、一度のものである。

ここである。
他の、動物の場合は,:決して、射精を引き伸ばして、ペニスの快感を、楽しむということは、ない。人間だけが、射精に至る前の、様々な快感を、楽しむ。

また、女も、連続する、オルガスムを何度も繰り返し、求めることが出来る。
これは、つまり、性感の、大脳化でもある。

ここから、ハウツー物の、性感セックスの、出番になるのである。

時代や、国を問わず、その性感を、求める試みの多くが、記録されている。

今、どんな性の方法論を、持ってきて、それを、説明しても、面白い。
いずれ、そこにも至ることになる。

少し、繰り返すことになるが、矢張り、人間の場合は、脳の働きが、他の動物とは、違うということ。

大脳辺縁系とは、皮質辺縁系と、皮質下で、同じ辺縁系に属する、核群、すなわち、背中核、扁桃核、視床下部諸核、そして、中脳橋の諸核などを、含めた部分を言う。

性欲の働きは、この辺縁系の内にある。
そしてそれは、本能というより、進化した心の働き、私は、情緒と言う、それによって、成り立つ、人間の性である。

性は、命であり、脳であり、そして、今、情緒になった。
情緒とは、喜怒哀楽、笑い、泣く、そして、様々な心の綾である。
これが、性欲、更に、快感に、大きな影響、深い関与があるということである。

それは、また、食欲にも、影響を与え、深い関係を、持つ。

そして、忘れてはならないことは、内蔵、肺、心臓、肝臓、胃腸、内性器、それらが、協調して、働くようにするのも、辺縁系であるということ。

この、辺縁系から出る、信号によって、大脳皮質、つまり、辺縁系に対立するものとしての、大脳外表質系の、働きである、前頭回という、脳の外側、皮膚に近い部分が、行動を起こさせる。
よく考えて、断固として、行動するというのは、ここの働きである。

そして、高等動物である、人間には、複雑な、多くの欲望を持つに至るのである。

性行為、性行動一つにしても、実に、複雑な欲望を起こし、更に、行動するのである。

その、大きな一つが、マスターベーションである。
他の動物も、それに似た行為をするが、人間のように、複雑ではない。

前立腺刺激をして、男も、女のような、快感を得るというようなもことを、考えるのは、人間のみである。

また、マスターベーションの、様々な、試みをして、楽しむというのも、人間ならでは。

脳の、進化と、発展が、人間を、他の動物から、そして、本能から、解放したといえる。

現代の、マスターペショングッズから、古代のマスターベーショングッズから、眺めて見ると、驚くべき、創意工夫がある。

遠い昔、最古のマスターベーショングッズは、エジプトの神官に、行き当たる。
板を、刳り貫き、更に、直径五センチほどの、穴を作り、そこに、ペニスを出し入れして、楽しんだという。

ヒトに近い、道具を作るサルも、マスターベーションの、道具を作ることはない。
人間だけが、それを、する。
性とは、マスターベーションなのである。
マスターベーションの、豊かさが、性を突き抜けてゆき、芸術にまで、高まるという、手法である。

性の快感ではなく、より、高度な快感を、求めて、芸術活動が、成り立つのである。

更に、私は、スポーツというものも、芸術の一つであると、考えるのである。

体の限界を超えるという、快感は、性の快感を、超えることもある。

人間とは、凄いものである。

2008年11月10日

性について18

もう少し、生理学的に、性的快感というものを、俯瞰する。

皮膚感覚である。
人は、皮膚に対する意識が低いようである。
この、皮膚感覚が、実は、性感というものと、密接に関わっている。

皮膚は、絶えず成長する。
体温を調整し、防水壁となり、発汗させて、細菌の侵入を防ぐ。太陽光線を取り込んで、太陽の栄養素を、受け取る。
太陽の栄養といっても、ピンとこないかもしれないが、体に必要な、栄養は、太陽から来ると、思っても良い。
一つだれ、例を上げる。
カルシュウムを摂取しても、太陽の光がなければ、体に取り込まれないのである。つまり、ビタミンDである。それがあって、はじめて、体に、カルシュウムという、栄養素が、出来上がる。
今は、ビタミンD配合の、カルシュウムが、健康食品で、売られているが、本来は、太陽の光を、浴びた方が良いに決まっている。
ただし、紫外線というものもあり、程度である。

欧米人が、太陽の下では、兎に角、裸になるのは、日射時間が少ない地域で暮らすからだ。

皮膚は、頭髪や、腺、神経部分などの、付属器官と共に、性的調節と、密接な関係を、持っている。

皮膚の表面にある、感覚受容器の数は、100平方ミリメートルの中に、約50の受容器がある。
皮膚から、後根を経て、脊髄に入る感覚線維の数は、50万本以上である。

これに対応する、脳の、触覚領域も、広いといえる。

例えば、髪を触られて感じるのは、毛根のまわりの、皮膚感覚の、受容器・リセプターである。
この器官は、毛に刺激があったことを、知らせる働きをする。
圧感を受容する、パチニ小体は、長さが、一ミリメートルで、皮膚のかなり深いところにある。

その、皮膚感覚というものが、変形して、くすぐったさ、かゆみ感覚、そして、性感というものがある。

脇の下や、足の裏に、刺激を与えると、くすぐったくなるのは、特別なリセプターがあるわけではない。
心理的な感受性が、変動して、同じ刺激でも、気持ちのあり方によって、くすぐったくも、快感にもなるのである。

かゆみ、というものは、痛感のリセプターに対して、弱い刺激が続くと、起こる。
外傷や、炎症のときには、遊離される、ヒスタミンなどによって、神経終末を刺激するため、かゆみ、が起こる。

しかし、これが、曲者である。
かゆみ、というものの、本体が、性的不満によって、起こる場合がある。

愛情不満、欲求不満が起こると、皮膚に、かゆみ、が起こる。
触れて欲しいという、むずむずとした、欲求が涌いてくる。
酷くなると、長引く湿疹ということにも、なる。

これは、人間のみの、感覚である。
情操である。
性的情操が、満たされない時に、かゆみ、となって、現れるのである。
特に、女性である。
性欲障害とでもいう、状態になると、かゆみ、が、酷くなる。

性欲が、かゆみ、という感覚で、表現されるという、実に、面白いことである。

専門家に言わせると、大半の、長期的かゆみ患者は、そのようである。

甚だしい場合は、性器の、かゆみ、にもなる。
原因が無いのに、アソコにかゆみが生じるのであれば、欲していると、考える。

これを、深めていくと、性感覚とは、ペニス、膣、クリトリスによる、摩擦である。

愛は、摩擦の深さであると、私は言う。

リセプターは、パチニ小体と同じ構造であり、触覚系の変形である。
つまり、接触摩擦が、快感というものを、生み出すのである。

準じて、乳房、そして、体全体が、性感帯となり、触覚刺激によって、性感というものを、高める。

それは、人間だけが、持つものである。
故に、人間とは、性感という感覚を、有するモノであると、言える。

性的交わりは、皮膚が、全面的に関わりを持つのである。
オルガズムに、達するのは、男女共に、皮膚刺激、摩擦である。

性は、皮膚である、とも、いえるのだ。

性的接触の、最大の触覚感覚は、当然、粘膜である。

特に、ペニスは、それに寄り、絶大な快感を得る。
であるから、粘膜感覚に近いもの、オイルなどで、作り出すと、膣挿入でなくても、十分に性的満足感を得て、更に、射精する。
要するに、男の場合は、それを、つまり、射精商売というものが、成り立ち易いのである。

生理学的に、言うと、人間の性交は、運動筋の働き、言語、皮膚と同じ、外胚葉性の、視覚、味覚、臭覚と、深部感覚の、付随的な刺激によって、補強される。
実に、複雑になっているのである。

性交するために、出来た体であるとも、いえる。
適度な、セックスが、生きるエネルギーを、生むということである。

更に、セックスの、喜びは、人生の、喜怒哀楽を超えることもある。
どんな、辛い状況でも、セックスの喜びで生きられる。

この、刺激に対する、感受性は、胎児、乳児、幼児期の、皮膚感覚経験によって、決まる。

この時期、性感帯としての、役目を担う皮膚の表面が、子供の成長に、多様な機能を果たしているといえるのである。

接触による、コミュニケーションが、人間にとって、実に大切であるか、ということだ。

霊長類に広げると、サルの場合は、毛づくろいという、行動。それは、社会的、絆でもある。毛づくろいの他に、軽く体を叩く、鼻を擦り付ける、キスをするなど。

下等哺乳類のように、舐めることから、キツネザルのように、歯で梳き取る、指での、毛づくろい、撫でるという、愛撫まである。

接触という行為にも、進化がある。

皮膚は、脳に次いで、最も重要な、器官であるといえる。

皮膚感覚のうち、接触感覚は、すでに胎児の最初に発達する。
ヒトの新生児の、体重の全体に対する皮膚の、重さの割合は、19,7パーセントである。成人では、17,8パーセントである。
それほど、変わらないというところに、生理的な重要さがあると、いえる。

さて、動物の場合は、相手の体に対する、攻撃という行動に、一種の性行動のパターンを形成している。
それが、問題である。

ヒトの場合も、相手に苦痛を与えることによって、性的興奮を得るといえる。
それが、人間が行う場合は、サディズム、その逆の、マゾヒズムといわれるものになる。

それは、すべての人間に内在しているものであると、言い切れる。
それを、どのように、表現するかで、人間としての、質に関わってくると、思うのである。

叩くことによって、作り出される苦痛と、性的快感とのつながり、という、それも、幼児期における、条件づけになるのである。
専門的に言うと、残忍性性欲倒錯という。

さらに、それが、永続的になると、一つの病理として、対処しなければならない。

苦痛と、残忍性が、挑発的性的快感を、引き起こす、異常行動である。
マゾヒストは、苦痛、嫌悪、屈辱の体験を、身につけ、性的興奮を、導き出す。
サディストは、苦痛、不快、恐怖、屈辱を他人に課して、性的快感とする。

共に、倒錯と言われるが、その基準は、無い。
二人の間で、許される範囲での、行為であれば、それは、愛の行為であり、相手が、それを、求めることがないのに、強制すれば、倒錯であろう。

歴史上の人物を、検証すれば、政治に、その、性的感覚、性的快感を持って対処した例が多い。その、大半は、倒錯と呼べる、残忍性である。

また、そのような、事件を起こし、人を殺害する者は、残忍的性欲倒錯と、判定してもいいと、思われる。

更に、弱者に対する、性的興奮というものも、ある。
幼児、児童に対する、性的欲求である。
一般に、幼児性愛と言われる、ロリコンである。
これは、上記の、残忍性のあるものと、同じく、病理であり、治療が必要であると、言う。

幼児期から、親の性的虐待にあった、女性の相談を、多く受けたが、それは、後々まで続く、精神的苦痛となり、甚だしくは、自分の性を、投げ捨てるような、性行為を望む。

そこから、解放されるために、本人は、血の滲むような、苦労を重ねる。
しかし、それから、逃れならなかった人は、神経症を持続して持ち、或いは、抑鬱を続け、通常の性行為を、持てない者もいる。

子供の悲劇は、大人の欲望によって、成るということである。

この、性的残忍性のある、性的倒錯者を、侮ってはならない。
つまり、一度や二度の反省では、治らない。
人権の問題もあるが、治らないものは、治らないのである。

西洋の一部地域では、去勢という、刑を採択したところもある。
当然である。

2008年11月14日

性について19

快感と、快楽は、違う。
快感は、他の動物にもあるが、快楽を享受できるのは、人間だけである。

快楽とは、高等な、快適気分である。
快感とは、本能が満たされた時、まっとうされた時に感じる、快、であり、まっとうされない場合は、不快、となる。

快楽は、生理的な快感を超えて、幸福感を伴う。
これは、大脳化ゆえである。
つまり、脳が介入して、精神的快感というものに、変容するからだ。

単純であった、快感情報が、大脳化によって、情緒溢れる、快楽の世界を生み出す。
快楽主義者というものが、いるほどである。
これは、精神性の高さである。

何故、宗教が、快楽を制したか。また、罪意識を、植え付けたか。
個々人の、快楽を許すと、支配するのに、障害が出るからである。
禁欲という、掟によって、思考を停止させる。

信じきると、思考が停止し、兵隊のように、上官の命令だけに、従うようになる。
実に、恐ろしい、洗脳である。

話を続ける。

動物の脳には、神経と神経をつなぐ、シナプスが存在する。
シナプスで、情報を受け渡しするのが、神経ホルモンであり、そのホルモンが、快感を誘うものであれば、その神経を、快感系と、呼ぶ。

その、ホルモン、快感物質が、脳に現れるのは、脊柱動物である人間である。

脳が、感覚し、行動に命令を出す。
そのために、脳内の快感物質の一つに、麻薬物質がある。
これが、人間の最大の特徴であると、私は、思うのである。

自分の脳で、快感物質である、麻薬物質が、作り出されるという、驚きである。

それは、感性によって、なされる。
その、感性の、働きを、感受性という。

忍耐力、創造力を駆使する時に、脳内の麻薬物質が、威力を発揮することが、明らかにされている。

また、脳内麻薬物質と、免疫系との間にも、直接的な関係があり、免疫細胞が、DNAにより、究極的に、副腎皮質刺激ホルモンとか、ベータ・エンドルフィンを、作るということも、照明されている。

快感中枢の発見は、1954年であり、麻薬レセプターが、脳内にあることが発見されたのは、1973年のことである。

この、神経系のシナプスに介在するホルモンが、ドーパミンであることが、発見された。

快感神経には、鞘、がかぶっていない、というものも、特徴の一つ。
鞘、をかぶっていると、漏電する。そして、情報電流が、早く流れ処理が、非常に早くなる。

しかし、鞘を、持たない、快感神経の伝達速度は、毎秒、0,5メートルである。つまり、快感は、ジワーッと、込み上げるのである。
ドーンと、快感がくるのは、オーガズムの時だけである。

だから、セックスが楽しいものになる。
ジワーッとくる、快感を楽しむことが、出来るのは、人間だけである。

一変にくる快感は、交感神経性反応である。
それが、何度も繰り返されれば、命が、いくつあっても、足りない。

ゆっくりと、くる快感は、副交感神経が反応し、それは、ストレスを解消させ、やすらぎ感が、優位になる。
その時に出る、脳波は、アルファ波である。

ゆらぎ、という、大和言葉に、表される、感覚。

その時に、神経伝達をする、ホルモンである、快感物質が、爽快な感覚をもたらす。
中脳に、発した、快感神経は、性欲、食欲中枢のある、視床下部をかすめて、怒り、警戒、探索という、攻撃性と関係が深い、扁桃核と、そして、学習記憶の、海馬に、線維をのばして、上昇する。

この、視床下部、扁桃核、海馬は、古い皮質に属する。
他の動物と、同じである。つまり、大脳辺縁系の本能が満たされるという、素朴な、快感である。

だが、人間は、さらに、新しい皮質系へと、上昇し、精神活動と、関係の深い、大脳新皮質系に、快感情報を、放射状に、広範囲に、広げるのである。

豊かな、セックスは、脳内に、麻薬物質を、作り出すといえる。
その、努力をせずに、薬物の麻薬を、取り込むという、暴挙は、実に、愚かである。

それは、脳内で、作り出すことの出来る、脳内麻薬を、作り出せなくなるということになる。
脳も、適応するものであるから、他から、麻薬物質を、取り込むと、麻薬物質を、作り出すのが、難しくなる。

安易に、薬物による、麻薬物質を、取り込むと、精神が荒廃し、脳内の機能も、混乱し、果ては、機能不全に陥る。
更に、他の脳内の機能が、不全になると、人格まで、破壊することになり、そうなると、廃人同様になる。

薬物麻薬を、用いて、セックスをすると、最初は、絶大な快感を得るが、次第に、量を求めるようになる。慣れるからである。
そして、通常の、人間らしい、セックスでは、満足しなくなり、最も人間の根源的な、快感感覚を、破壊してしまうのである。

自分で、脳内の麻薬物質を作るには、いくら作り出しても、いいのである。
それが、自然な麻薬効果なのである。

よりよい、セックスにより、麻薬物質を出して、有意義なセックス生活を送ること、それが、生きるということでもある。
性欲が、本能ではなくなり、実に、人間性溢れる、存在の確たるものになる。
快楽、それは、人間性の回復となるものである。

2008年11月15日

性について20

男の、エクスタシーは、射精である。
そして、それに至る、ペニスの摩擦が、快感である。
実に、簡単なもの。

しかし、マスターベーションにより、射精をいつも、遅らせている、つまり、摩擦の快感を、長い時間に渡り楽しんでいると、セックスでの、摩擦が、物足りなくなり、遅漏、ちろう、という状態になり、または、膣では、射精出来ないになることもある。

射精に至る楽しみ方も、色々あるので、実に個人差が激しい。

それでは、女の方はというと、実に、エクスタシーに達するのは、複雑である。

神経科医の、日向野春総さんという方が、エクスタシーに関する、医学的測定をしたレポートがある。それを、紹介しつつ、女のエクスタシーを見ることになする。

注目すべき、ポイントは、眼球の動きである。
女がピークに達し、脳波に、シータ波が現れると、眼球の動きが、二秒、ないし、三秒止まる。

もし、その瞬間に、女が、目を開けていると、放心して、一点を見つめる表情になる。瞳孔が開くのである。

つまり、これは、何も見ていない。二人の世界に浸りきっているということ。

眼球は、目が覚めている時も、たとえ熟睡している間も、ゆっくりと、時には早く動いている。
レム睡眠という睡眠の状態の時になると、昼間のように、目まぐるしく動く。
しかし、エクスタシーの時は、眠ってもいないのに、その動きが止まる。
興味深いのは、エクスタシーに達していない、興奮期や、単なる演技の場合は、こうした現象は、起こらない。

これは、自律神経系の麻痺、前頭葉の麻痺であろうと、いわれる。
男には、決して、そんなことはない。

二、三秒でも、神経経路がオーバーヒートして、瞬間的に、死人と同じようになっていると、考える。
つまり、快楽の中の小死である。

男の射精時には、そんなことはない。
セックスに没頭していても、意識は、ある。
瞬間の死も無い。
それは、長い間に培われた、男の性、さが、である。
この場合の、性、さがとは、そのように、仕組まれたという、性質のことである。
外敵などを、意識して行うセックスなのである。

男は、射精をしつつ、動くことも出来るのである。

さらに、女は、その間、呼吸も止まる。
死人であるから、当然である。

興奮期から、絶頂へ昇りつめると、つまり、シーター波が現れると、呼吸が止まる。
その時に声を出したのは、一割程度だという。

興奮が高まり、呼吸が大きくなる時に、自然に出る声が、よがり声である。
男は、あえぎ声や、呼吸の乱れに、気を取られて、女が感じていると、思うが、実は、一瞬の静かさに、なった時に、エクスタシーに達しているのである。

大声ばかりを上げる女は、ヒステリー体質であると、思っていい。
または、演技である。

さらに、殊更、声を上げるというのは、他に、欲求不満を抱えているとみてよい。

止まった呼吸が、そのあと反動のように、息を吹き返す。
そして、次第に普通に戻る。
その時、男は、ペニスを抜いてはならない。
男の射精に、余韻は、無いが、女は、その後の、余韻があり、それが、愛情を深くする。

男と、女の、性感の感性については、驚くほど、違いがある。
理解という言葉の意味は、それを、知る、知るように努めることである。
それぞれの、違いを、理解することが、愛情というものである。

女は、体で、愛情を感じるものである。
その一つに、汗がある。
汗は、感じた深さに比例するのである。

実は、この汗は、嘘をつかないのである。
眼球の動き、呼吸の停止は、手馴れた女になると、演技で、出来るが、汗だけは、演技で、出ないのである。

脳波と、発汗作用の、関係は、実験によって、示された。

女に、オナニーをしてもらう。
陰唇が、充血して熱く開き、分泌物も出る。つまり、濡れるのである。
呼吸も、乱れ、心拍数も多少増える。
ここまでは、セックスと同じである。
ところが、オナニーの場合は、発汗が無い。
その時、シーター波は、出ない。シーター波が現れて、エクスタシーを感じて、全身の発汗が、起きるのである。

その、汗は、薄く膜を張ったような、汗である。

発汗作用は、温熱性発汗と、精神性発汗がある。

温熱発汗は、通常の汗である。
精神性発汗は、感動、驚き、恐怖などによる。
それは、全身ではなく、手のひら、足の裏、わきの下など、局部に出るものである。

嘘発見器は、それを、利用したもの。

発汗作用について、大事なことがある。
発汗中枢は、脊髄にあり、上位中枢は、視床下部に位置して、ここで他の自律神経系と、連絡している。

エクスタシーの発汗は、実は、温熱でも、精神性でも無いのである。

エクスタシーによる、発汗は、視床下部にある性中枢と、発汗中枢が、非常に近い位置にあるため、性中枢の興奮が、発汗中枢を刺激するという。
エクスタシーの汗は、脳がかく汗なのである。

つまり、女の性は、脳による。それは、体全体によると、考える。

男の、射精は、どこかの、トレイでも、行えるが、女のエクスタシーは、そういう訳にはいかないのである。

全身に、うっすらと膜を張るように出る汗が、つまり、エクスタシーの汗が続けば、続くほど、シーター波も、ゆったりと安定した、波を見せる。
それは、エクスタシーが、深いということである。

発汗が長く続き、大量の汗をかくほどに、女のエクスタシーが深いのであり、その時、男は、しっかりと、抱きしめることである。
そして、女の体が、ひんやりと感じたならば、最高のセックスをしたということが、言える。

膣からの、液を、愛液というが、それは、膣の汗である。
それにより、感じていると、勘違いする男が多い。

それは、エクスタシーの前段階のものである。

セックスにおける、女は、演技派である。
よがり、のけぞり、わめき、爪を立て、膣を濡らしても、全身に汗をかいていないなら、演技であり、それで、女も、イッたと思うならば、勘違いである。

女も、エクスタシーを知らない者、多々あり。

更に、セックスには、全人格が、投影される。
一人の女を満足させ得ないで、多数と、交わる、俗に言う、千人斬りなどと、豪語する男は、オナニーを女の体で、しているようなものである。

一人の女に、すべての女を観る男こそ、女を愛する男と、言える。

女に飽きるという男は、潜在性、同性愛を持つ。
勿論、本人には、そんな意識は、もうとう無い。
俺は、女好きな男だと、信じている。信じる者は、騙されるのである。
つまり、自分を騙しているのである。

2008年11月23日

性について21

もう少し、女のエクスタシーについて、書く。

エクスタシーに達した時の、顔の表情は、左右対称になるというものである。
大脳の目覚めた意識で、作られる表情は、けっして、左右対称には、ならない。

筋肉の自動運動に、移行してゆく、性交中の興奮期以降の段階では、自動運動が強いる、左右対称の筋肉運動に逆らって、口を歪めたり、身をよじるという左右非対称な動作が、出来ないと、多くの実験結果で、解っている。

エクスタシーに入る直前でも、それに近づいている場合は、筋肉が自動に動き出しているゆえに、右側だけ、左側だけが、収縮するということは、無いのである。

だから、女が、体をこわばらせて、口をへの字にしても、左右のどちらかに、傾いていれば、嘘である。
体を突っ張り、爪を立てている場合も、同じである。

ただ、それは、エクスタシーに達する前の、女の表現方法であるといえる。

エクスタシーの最中に、顔を片方にしかめたり、体を捩ったり、アーと、声を上げるのは、偽物である。

矢張り、それは、エクスタシー前の、女の表現であるといえる。

エクスタシー前に、感じて、体を、エビのように、張るなどの反応は、あくまで、その手前の表現であるということ。

日向野春総氏は、性交中の、脳と、体の変化を調べるために、次の四点を、行ったという。

脳波、脈波、発汗作用を調べるGSR、そして、筋電図である。

筋電図を測定することで、興奮期から、絶頂期へと続く、女の体の状態、筋肉の緊張と弛緩の繰り返しが、もたらす、膣の締まり具合や、体の固さ、重さが、どのように変化するのかが、解る。

興奮期に入ると、全身の筋肉が緊張、弛緩を繰り返す。
そして、絶頂期に至る前には、その度合いが強くなり、爪を立てる、足に力が入るという、動きがある。

それで、解ることは、興奮期の中ほど、絶頂期、エクスタシーに近づくと、柔らかかった肌が、固くなる。首筋が、張る。膣が締まる。さらに、正常位でも、体が重く感じられるのである。

興奮期の間、筋電図は、ゆるやかな波を描きつつ、大きくふれている。
ところが、絶頂期、エクスタシーに近づくと、突然、振幅が小さくなる。つまり、筋肉の弛緩である。

この時期になると、膣も緩み、表情も、固くなく、腑抜けたようになる。

要するに、すべての、性的動作が終わるのである。

男も、射精直前なると、筋肉の緊張が解けて、射精後には、完全に脱落する。
これに、同調するように、女の筋肉も、突然弛緩する。
そして、15,6間の、エクスタシーを迎える。

これが、一緒にイクということである。

ところが、ここで、男が射精しない場合は、女の膣が緩くなった、締りが無いということになる。
もう少しのところで、膣の締り具合が、緩くなると、男は、惜しく思う。

実は、女は、エクスタシーに達していると、共に、エクスタシーを感じられる相手であるということが、証明されているのである。
膣の緩みは、男を愛している証拠なのである。

膣も、弛緩するからである。
それは、男の精液を、受け入れるプールが、子宮の入り口が広がって、出来るということである。
女の体は、セックスの後では、妊娠を求めるのである。

これが、自然なのである。

商売で、セックスをする女の体は、いつまでも、緊張しているから、膣も、締まっている。それは、愛情ではなく、商売だからである。

ここで、少し主旨を替えるが、女が男を、受け入れるということについて、言う。

女の体は、男を受け入れるように、出来ていると、思うのは、誤りである。
矢張り、異物を、体に入れるという感覚があるのである。

男が、それを理解するには、アナルに挿入されることで、少しは、理解出来る。
アナルに、挿入される痛みを感じて、また、異物を挿入されるという感覚を、感じて、女のこと、その心理的な気持ちも、理解出来るのである。

女が、股を開くということは、実は、大変な勇気なのである。
相手を本当に、信じる、信頼する、愛情を持つからこそ、股を開けるのである。

現在、当たり前のように、性行為を行う年齢が、低くなっているという。
援助交際などと、マスコミなどで、アホな報道をしているが、要するに、売春であり、成人前の、女は、子供である。

買う大人の、男の精神年齢も、低いが、それを、許す社会も、精神年齢が、低いということである。

特に、幼児、児童買春は、死刑を宣告してもいい、重罪である。

自分の性的満足を得るために、社会の宝、いずれ、子供を生むべき、母親を、壊しているのである。
重罪であろう。

刑が軽すぎる。

高校生程度の、年齢までは、女は、性欲というものを、感じないのが、普通である。
それより、精神的成長を求めるのである。
だから、良い母親になる。

しかし、お金という、化け物によって、それが、揺るがされるという、馬鹿馬鹿しい事態である。

男も、どうしても、相手が欲しいと思うならば、高校生程度までは、同性愛で、やり過ごせばいいのである。
それは、歴史を見れば、歴然として、理解するだろう。

高校生での、性体験者は、九割に達するという。
勿論、それを、悪いとは、言い切れない。個人差があるからである。

だが、重大なことを言う。
女が低年齢で、性に溺れると、そこから、一生抜けられない。
男は、一度沈み込んでも、抜けられるが、女は、抜けられない。
淫乱は、生涯続くのである。

それも、個人的嗜好であれば、いたしかたないが、それを、望まないのに、強制的に、性に溺れる事態を、他によって、引き起こされた場合は、悲劇である。

セックス依存症の、女性の相談も、多く受けたが、最早、相手が、誰であろうと、構わないという程になる。
悲劇である。

数知れない男と関係し、数知れない、堕胎をした女は、手の施しようが無い。

助けを求められたが、あまりに無残であった。

女が、性を誤ると、それが、生涯に渡って続くということである。

自由恋愛という言葉の元に、女も、男と同じように、性の自由を持つのであると、意気を上げていた時期も、あるが、結局、性の処理は、女がするのである。

性差ということを、知らない不幸である。
自由というが、何によって自由なのかを、考えない、アホ、馬鹿である。

貞操観念などは、最早無い時代であるが、無くてもいいが、男がを知る、理解するには、知識と、教養が必要である。

更に、性を、見つめてゆく。

性について22

女が、性的に興奮すると、性器への、血流量が増え、膣から汗がにじみ出る。これが、いわゆる、愛液、ラブジュースといわれるもの。
だが、それは、エクスタシーの度合いではない。
インサートの準備完了を告げるものである。

個人差は、あるが、愛液が匂うという状態になると、更に、良い。
つまり、愛液が、混濁してくるのである。
それは、膣内の、老廃物が混入するからである。
白濁してくるのである。

男が焦るあまり、濡れていない膣に、挿入することは、愚かな行為である。
濡れていない膣は、苦痛である。

南米の男たちは、相手の肛門に、軽く指を当てて、筋肉の緊張と弛緩の様子を探り、インサートのタイミングを探るという。
それくらいの、配慮があっていい。

愛液が多い女は、感じやすいとか、イキやすいというのは、俗説にすぎない。
それは、個人差が大きすぎるのである。

男も、濡れるということ、多々あり。
興奮すると、先走りと言われる、液体が、ペニスの先から出る。
それも、互いの性器を保護するための、配慮なのである。
だが、それも、個人差が大きい。

先走りが、たらたらと、垂れるという男もいる。

さて、男が勘違いする、失神という状態について言う。

セックスで、失神するというのは、別の要素がある。
つまり、ヒステリー体質なのである。

失神とは、自律神経の異常興奮により、レスポンスを停止させる。そのために、安全装置に、スイッチがおれるのである。
これは、危険な状態から、逃れるための、自己保存である。
セックス云々の問題ではない。

更に、自己顕示欲の強い女なども、失神する。

失神する女の、脳波は、セックスしなくても、出る。
例えば、熱烈な歌手のファンなどは、熱狂して、失神する。
自己中心的、ヒステリー性の失神は、エクスタシーとは、別物の、速いシータ波が出る。

この、シータ波は、前頭葉、おでこから出る。
本当の、エクスタシーは、視床下部から出る。その、本物に似せて、前頭葉の快感で、代償させるというもの。

エロ小説に書かれるような、失神するという状態には、決してならない。
単なる、ヒステリーあるいは、自己顕示欲の強い女である。
つまり、人の気を引きたいという、強い欲求がある。

オマケに言えば、こういう女に、霊感の強いタイプがいる。
勿論、自己申告である。つまり、自己顕示欲である。霊能者の女に、多いのである。

さて、性交中の、脳波をみる。
エクスタシーの前の、脳波は、アルファはと、ベータ波が、交互に出る。
また、筋肉が、緊張、弛緩を繰り返す。
女の、昇り方は、直線ではなく、曲線、更に、複雑である。

更に、その時々で、女の体が違うということである。
ということは、同じテクニックで、女が満足することはないということであり、定説は無い。

性交中に、女が腰を動かすのは、もっと、強い刺激を求めているということ。
それに対応して、動きを作る。
複雑な動きを、好むのである。

男は、摩擦の快感で、満足するので、女の複雑な希望を、知ることが、少ない。
兎に角、出し入れするという、パターンは、女を理解していないということだ。
それならば、深く差し込んで、静かに、腰を動かしてあげた方が、理想的である。

この、挿入に関することは、ただ、ただ、相手との、コミュニケーションに尽きる。
そして、それが、愛情を育てる。

ボディーランゲージとしての、セックスは、最高である。
体で、語り合うのである。
これに勝る、語り合いは無い。

セックスをせずに、エクスタシーを感じる場合がある。
その一例が、高速道路を走る際に起こる、低覚状態である。
眠ってはいないのだが、視野が狭くなり、非常に危険な状態になる。
その後で、眠気が襲う。
これが、実に気持ちいいのである。
だが、どんなベテランドライバーでも、事故を起こす。
性交以外で、エクスタシーを味わおうとするなら、これである。
しかし、勧める訳には、いかない。
死ぬ。

男の場合は、セックスでも、マスターペションでも、同じであるが、女は、それが、全く違う。
マスターペションの場合は、アルファはと、シータ波が、交互に出る。それの、入り混じったものである。
女は、セックスでなければ、シータ波を持続させられないのである。

これが、女の喜びであり、また、悲しみでもある。

一度、知った喜びは、忘れない。
それを、再びと、願う。

日本の男は、世界的に、セックスの回数が少ない。
まして、今は、セックスレスといわれる。
では、男は、射精していないのかと、言われれば、している。
マスターペションである。

女との、関係が、面倒なので、マスターベーションをする。

相談を受けた。
夜、夫が一人で、エロビデオを見て、オナニーをしているというのである。
何故か。
自分でする方が気持ちいいのですか。と、尋かれても、何とも、答えようが無い。

また、バスルームで、しているとも言う相談もあった。

更に、男側からの、相談は、妻とのセックスは、しんどい。いつも、個室ビデオで、オナニーをしているが、このままだと、妻に疑われるだろう。何とかしたいというもの。

だが、妻との、セックスでは、ビンビンに立たないという。
完全勃起しないというのである。

困ったものである。

ちなみに、タイよく行くが、タイの夫婦は、毎日するという。
更に、一日、三度、四度することもあり、日本の夫婦の、セックスレスは、理解できないというのである。

世界的に、日本の夫婦のセックスは、最低の回数である。

妻は、不満で、ついに、セックスだけの、相手を求めることになる。

夫が、セックスをしないので、他に相手を求めて、関係を続けているという、奥さんの相談は、深刻だった。
しかし、夫は、浮気などを、している様子は無いという。
職場から、家庭の往復である。

二十代後半でも、完全勃起しないという、相談が多く寄せられた時期がある。
治療すれば、治るかというものだ。
マスターベーションでも、完全勃起しないというのだ。
これは、別に何か原因があるように、思える。
食べ物ではないかと、私は、考えている。

ファストフードとか、ジャンクフードといわれるものを、毎日食べていると、基本的な、栄養が得られない。故に、基本的体の、欲求が、起きない。
不完全勃起になるのである。

そのための、サプリメントなどもあるが、本人の食に対する意識が、問題である。
色々な、サプリメントがあるが、紹介するのは、控える。
人それぞれ、体質も、足りないものも、違うと、思えるからだ。

女の満足感というものを、もう少し、検証してみる。

2008年11月30日

性について23

前戯や性交によって興奮期がうまくいき、安定したアルファ波が長く続くと、つぎにくる絶頂期のシーター波や、さらに絶頂期が終わったあとの速いベータ波も長く続く傾向がある。逆にいえば、性交後に安定したベータ波が現れず、すぐに眠気のシータ波がやってくるようなら、絶頂期のシータ波も短くかつ安定していなかった証拠になるわけだ。こんな場合はもちろん、エクスタシーを感じることもないし、深い満足感もえられない。
日向野春総

女が、エクスタシーに達したのであれば、全身発汗によって、相当の水分が失われて、喉が乾くはずである。
セックスの後で、女が、水物を摂るのは、オーガズムに達して、満足した証拠だろう。

更に、翌朝の、女の目覚めは、すっきりとした、爽やかな目覚めになる。
それは、完全な絶頂感を得て、ゆったりしたシータ波が長く続くと、その後の、脳波も安定し、熟睡することが、出来る。

実は、男も、行為の後で、実に、安定した心境になるものである。
すぐに、寝るということにはならないはず。
少しの、間をおいて、眠りに着く。
要するに、余韻である。
男にも、射精後の、そして、二人の満足感の、余韻というものがある。
それは、勿論、精神的なものである。

セックスの満足感は、生きる喜び、生きている喜びになる。

頭脳労働で、自律神経が、イカレている男は、残念ながら、性欲の処理が、ストレスのはけ口となり、女の体を使って、マスターベーションするのに、近いものがある。

それでも、女が喜んでいるのは、好意による。
ただし、好意は、いつまでも、続かない。

男は、一度目の、射精が、一番強いエクスタシーを得る。
二度目、三度目からは、それが、ガクンと落ちる。
しかし、女は、一度目から、二度目、三度目と、エクスタシーが深くなる。
逆なのである。

つまり、一晩に、何度も、射精するという、若さのあるうちはよいが、三十を過ぎると、何度も射精するということが、出来なくなる。
勿論、例外はある。

回数は、個人差である。
理想的なのは、前戯のテクニックで、女を十分に興奮させて、女がエクスタシーを、十分に満たせるようにすること、である。

長時間の勃起により、女を何度もイカせると、考える男たちも、多くいる。
確かに、それは、それで、いいが、個人差があり、一度のセックスで、一度の射精で、十分に満足するという人もいる。

長時間、勃起するという男は、実は、遅漏である。
イキたくても、イケないのである。
強ければ、いいというものではない。

遅漏の男の相談を、受けたことがあるが、実に辛いものである。
イケないのである。
時間がかかり過ぎて、疲れる。結局、射精しないで、終わる。
それは、マスターベーションも、そうである。
感覚が、鈍化している。生まれつきの場合は、どうすることも出来ない。
また、マスターベーションにより、そのようになってしまった、男もいる。

セックスは、個性である。
これが、一番良いというものは、無い。
パートナーとの、互いの満足感がいいならば、それで、問題は無い。ということは、セックスの良い相手に出会えたということは、人生の、喜びを得たということでもある。
それが、結婚後であれば、悲劇である。

だから、婚前交渉は、必要である。
ただし、何も知らない者同士が、一緒に、性生活を作り上げるという、形も、否定しない。

戦前までは、見合い結婚が、多数を占めた時代もある。
それでも、うまく夫婦関係を、築いたのである。
それは、互いに、探りつつ、性生活を築いたからである。

さて、統計的にみると、エクスタシーが、ピークに達するのは、三十代後半から、四十代である。
五十代に入ると、初老期になり、月経が止まり、脳の機能や、脳波が、子供返りをはじめる。
つまり、エクスタシーの質が低くなる。
ただし、だから、より充実した性生活も、考えられる。
別の形で、喜びの代償がある、というもの。

これで、解ることは、脳波も、年齢と共に、成長するということである。
10歳くらいの脳が、未分化な子供では、シータ波が、いつも、頭全体に出ている。
エクスタシーの、シータ波が出るというのは、特異的に出るから、いいのである。
いつも、シータ波が出ている子供は、本当の意味の、エクスタシーを感じる能力はない。

12歳くらいになると、肉体は、妊娠出来るようになる。しかし、それは、エクスタシーを伴わないセックスである。
中学生くらいから、脳波も、次第に成長する。
そして、二十歳を過ぎて、ようやく、安定した、成人の脳波が、出せるのである。

だから、脳波が、しっかりしない間の、セックスは、単なる興味であり、弊害がある。それは、本当のエクスタシーを感じない前に、ある程度の、快感で、終わるということである。

その、ある程度の快感を、エクスタシーと、思い込み、つまり、脳が思い込み、それ以上には、ならないのである。
それは、ある種の、悲劇である。

少女売春の事件を見るにつけて、その後の、少女の性生活を、思う。
少しの時間の差で、素晴らしい、エクスタシーを、体験出来なくなるのである。
簡単に体を、金に替えるという、愚かさは無い。
勿論、そこには、買う大人、男がいるのである。

一人の少女の人生に渡る、性を、破壊する行為である。
実に、罪深いものである。

更に言えば、十代、二十代の男の、セックスは、射精欲に支配されて、本当のセックスを味わう余裕は無いといえる。

何度も、射精して、めくるめくる感覚と、勘違いする様は、愚かである。
射精欲が、セックスの喜びであると、勘違いしたまま、男の人生を送ることになる。

もし、女を愛するならば、一人の女と、死ぬ程のセックスをして、女を、知り尽くすべきであると、私は、思う。

一人の女を、味わい尽くして、すべての、女を、知る。
それが、男の中の男である。

数の問題ではない。
質の問題である。

何人もの、女を通過して、これだと思う女と、出会うこともある。
それは、人それぞれである。

誰一人として、同じ人間はいない。
性の表情も、百人百様である。
実に、人生は、面白いものだ。

性について24

少し、話題を変える。

レイプについてである。
強姦した男は、通常のセックスより、深い、あるいは、強い刺激を感じるのか。

アメリカでは、実に詳しいレポートが、ある。
強姦の際、挿入した途端に、射精するというのである。

救急病院を兼ねた、産婦人科には、夜中に、強姦検査の依頼がある。
膣内に、精子が残っているか、否かを調べるためである。

また、精神科医が、強姦した男を鑑定する場合もある。
その際に、強姦の男の証言は、襲うという行為に、興奮するものの、挿入は、単なる、マスターベーションと、変わらないという。

これは、性欲を満たすための、行為ではなく、変形した、特殊性愛である。
異常性愛ということになる。
更に、それが、昂じると、殺しということになる。

一度、強姦する男は、二度、三度と、繰り返す。
隔離が、必要である.

現在は、殺人に至らない、強姦罪は、釈放されるが、必ず、再犯する。
刑務所を、出たり入ったりする。
繰り返す男は、精神鑑定により、去勢する刑しかない。


さて、もう一つの話である。
女の、性的、欲求不満ほど、たちの悪いものはない。
周囲に、その不満を、撒き散らす。
そして、更に、戦闘的になる。
誰彼構わずに、不満を、ぶつけるのである。些細なことで、いきり立つ。

時に、それを、宗教行為に、昇華させる女もいるが、手が付けられない。
それに、ヒステリーが加わると、霊感、霊能力ありと、周囲に、妄想を、撒き散らすのである。

宗教自体、妄想であるから、それに、更に妄想がかるのである。
女は、性的欲求不満によって、精神にも異常をきたす。
更に、女の不定愁訴は、九割が、性的な障害と、不満である。

更に、盗みや、放火などという、社会的事件を、起こす女も多い。
一度、男を知った女は、元に戻ることは出来ないのである。
大人のオモチャでは、結局満足せず、皮膚感覚を求めるのである。
騙される女も、性的不満にある者、多数。

一番の方法は、食べ物である。
食欲を、満足させて、代用するしか方法はない。
社会や、周囲に、迷惑をかけるより、太った方が安全である。


それでは、性感帯にゆく。

性感帯というのは、実際に、性感帯という感覚を、有する、感覚器官は無い。
単に、思い込んでいる場合が多い。
どこが、感じると、互いに探りならがしている程度である。

温覚、冷覚、圧覚、痛覚触覚を感じる、通常の感覚器官が、それに当たる。
この、感覚器官が、他の部位よりも、敏感であるということ。

では、何故、その器官が、敏感に働くのか。更に、それを、性感帯と、言わしめるのは、何かである。

股間、首筋、皮膚で、良く感じるというのは、自律神経が集中している部分である。
自律神経は、温覚、冷覚、圧覚、痛覚触覚などに反応して、自動的に、体の調節、保護作用を行う。
されゆえ、それが集中している皮膚感覚が、鋭敏になっているということである。

自立神経が、集中する理由は、動脈の保護にある。
動脈は、原則的に、静脈より、体の内側を通るように、出来ている。
動脈は、心臓からの、強いプレッシャーに耐えるため、静脈より、固く出来て、その分、伸縮性が弱い。
なるべく、動きの少ない、そして、破損し難い、より安全な体の内側を、回るのである。

しかし、それでも、構造上、動脈が、皮膚の近くを通る部位がある。そこでは、動脈が、破損する危険などを、敏感に感じる取る、自律神経が集中するという、訳である。

そこから、性感帯と、呼ぶ部位は、動脈が、皮膚の近くを通る部位を、指すことになる。

股間には、股動脈という、足に血液を送る太い動脈が走る。
脇の下には、手に血液を送る、動脈が走る。

そこは、触ると、くすぐったく感じる。この、くすぐったさが、快感に変わるのを、性感、感じると、性的に変容するのである。

耳の前には、動脈がある。ゆえに、耳の前も、性感帯となる。
首筋も、頚動脈が走る。ゆえに、性感帯と、呼ばれる。
膝の裏側、足の甲、指先の、直前なども、動脈に近い。

男は、乳首や、性器への、刺激を第一とするが、いきなり、それらを攻めても、女は、痛みを、感じるだけである。

ところが、馬鹿な男がいて、女が痛みで、声を上げるのを、感じていると、思うのがいる。

性感とは、自律神経の、お蔭である。
性は、自律神経に行き当たるということである。

正に、生命維持に必要な、自律神経が、性感を司るという、カラクリである。
性は、生命である。

不感症という、感じないタイプの女がいるが、それは、実に、生命維持活動により、体が、それ以外の刺激を受け付けないのである。
生きているだけで、十分に感じているからである。ただ、本人は、鈍化していると、思う。

ただし、精神的なものによる、不感症は、上記にあらず。
幼年期、少女期を、緊張感一杯で、過ごした女は、不感症になる。
更に、性的暴行を、受けたことによる、精神的ダメージである。

生来の、緊張性性格の女も、不感症になる。
ただでさえ、緊張しているのである。
性的にも、緊張することは、出来ない。

性行為というのは、緊張である。
性行為後が、緊張緩和なのである。

2008年12月01日

性について25

挿入して20分以上の努力は無意味である。それでも女性が達しない場合は、二人のサイクルがずれているのだ。
日向野春総


アメリカの雑誌、レッドブックスが、10万人の女性を対象にした、オーガズムにいたるまでの、時間を調査したものが、紹介されている。

1分から5分以内が、28パーセント。
6分から10以内が、37パーセント。
11分から15分が、20パーセント。
要するに、10人の女がいれば、8,9人が、挿入から15分以内で、オーガズムを得ることができる。

勿論、アメリカ人と、日本人は、違うし、人それぞれである。
だが、やみくもに、長時間の挿入が必要であるということは、無い。

女が、オーガズムにスタンバイしていない、状態で、挿入すれば、とんでもなく、時間がかかるか、オーガズムに達しないで、男だけが、射精を楽しむということになる。

持続時間の長さは、単に、体力の消耗である。

大切なことは、男と女のエクスタシーのサイクルを、一致させることである。
大切な相手ならば、それが、更に愛情を深める。

更に、同じ体位で、挿入を長時間続けても、どうしようもないのである。
つまり、膣内の、同じ箇所ばかりを刺激しても、女の方が、その刺激に慣れてしまい、最後は、感じないということにもなる。

行為の最中に、色々と体位を、替えることで、膣は、刺激される箇所が、変化して、エクスタシーを、確実に高める。
更に、興奮期の興奮が、高ければ、高いほど、その後の、エクスタシーが、高いのである。

行為中の、ペニスの挿入中断は、短いものであれば、何の問題もない。
体位を、替えるために、ペニスを抜くのは、問題無いと言うことだ。

中世の、カトリック教会の、教え、正常位のみ、許された、性行為であるという、時代は、過ぎ去った。
アホらしくて、話にならない。

実際、一番女のために、良い体位は、騎乗位であろう。
これは、女が、好きなように、ペニスの感覚を楽しめるからである。
更に、クリトリスへの刺激も、女の求めるままである。
一番、女の理想的な体位である。
しかし、女が上になるという、感覚を、日本人は、持たなかった。今は、違う。どんどんと、女が上に乗るか、乗らなければ、単に、疲れるのが、嫌なだけであろう。

どーんと、寝ていて、男だけに、セッセと、努力させるのは、女の傲慢である。

互いに作り上げる、性生活である。
または、恋人同士が、ボディーランゲージとして、色々と試す行為に、セックスの、醍醐味がある。

性を楽しむことは、生を楽しむことである。

それでは、男の、最も、悩み多い問題を、取り上げる。
早漏である。

九割は、精神的なものである。
生来の、過敏症という体質もある。
それは、方法が色々と、ある。
精神的なものは、心理的原因が、解決されれば、完治するといわれる。
それでも、駄目な時は、精神科から、精神安定剤を、処方してもらう。それで、力を付ける。要するに、セックスに、恐怖しない心を、作るのである。
あるものは、何でも、有効利用すべきである。

ある女は、夫の、早漏を治すために、努力に、努力を、重ねた。
ペニスを、冷たいタオルで、包み、次に熱いタオルで、包みと、刺激を、繰り返した。その他、ペニスへの、刺激法を取り入れて、ついに、三年かがりで、早漏を、克服させた。
ところが、何と、セックスに自信のついた、夫は、若い娘と、浮気、更に、その娘と、一緒になり、家を出て行った。
笑えない、話である。

今一度、整理すると、ペニスを挿入させて、徐々に、絶頂に至ると、脳が、シータ波を出す。それが、エクスタシーである。

このエクスタシーに、入る前には、アルファ波と、ベータ波が、交互に出される、興奮期がある。
この、興奮期は、外界に対する、感覚が、視覚、聴覚共に、鈍化する。
ただ、皮膚感覚のみが、鋭敏になるのである。
これが、ポイントである。

興奮期に、脳の、機能切り替えが、行われる。
高級感覚である、視覚、聴覚が、退けられて、皮膚感覚が上位になってゆくということである。

その時、女は、男からの、皮膚刺激で、強い、性感を覚える。
撫でつけである。
女の体を、撫で付けることで、絶頂期は、実に、充実したものになる。

日向野さんは、清朝最後の女帝、西大后の、驚くべき、話をしている。

彼女は、過酷な独裁者として、君臨したことは、知られるが、彼女が、レズビアンであることは、知られていない。

彼女は、将来、自分のレズ相手にしようとした、少女の、目を潰し、触覚だけを、鍛えさせて、自分のセックスの相手とした。
皮膚感覚の、重要さを、見るのである。

挿入をして、男は、それだけに、没頭する。
その姿は、実に滑稽である。要するに、性器セックスのみである。アホらし。

女に挿入して、それからも、皮膚刺激を与えるのである。

首筋から、乳首にかけての、唇での愛撫から、体全体への、愛撫を怠らない。興奮期の、女の体は、皮膚感覚が、鋭敏になっているから、エクスタシーに登らせる上では、必要不可欠である。

だが、それが、面倒で、女との、セックスより、大人のオモチャ、果ては、友人同士、つまり、男同士で、マスターベーションの、お手伝いを、し合うという。

何年か前に、男同士で、する、セックスという本が出て、ゲイのものかと、思ったら、ごく普通の男たちのための、ものであると、聞いて、仰天した記憶がある。

それから、女が、徐々に、優しくなくなってきた。
次第に、男が、女から、遠のくからである。

更に、一人の男を、奪い合うという、争奪戦である。
セックス好きの男を、皆で、取り合うのである。

実に、女の受難の時期到来である。

セックスに興味を、示さなくなった男たちは、どこへ行くのか、である。

更にである。
男の、美意識が、変化してきた。
セックスをしている、我が身の姿を、想像して、ぞっとするというのである。
自己愛から、自己愛美である。

女よりも、美しくなり、一切の、穢れたものを、寄せ付けないという、潔癖症である。
ゲイではない。
ごく普通の男たちである。

実は、男が、射精を、しなくなると、男性ホルモンが、減少して、女性化する。更に、美しくなってゆくのである。
それを、自覚した、自己愛美型の男たちは、射精もしなくなる。

しかし、不安は無い。
子供は、生まれる。
世界中の男が、ゲイになっても、子供は、生まれる。
心配する必要は、もうとう無い。

2008年12月08日

性について26

性行為、特に、男女における性行為とは、基本は、子作りである。
妊娠を、目的にされるもの。
そして、それが、自然なものであるといわれる。

依存は無い。
しかし、今、現在、そして、更に、性というものが、グローバル化した時代と、時代性である。
様々な、性行為の型がある。

それは、人間の大脳化ゆえのこと。

ただし、性行為において、シータ波が持続するという、エクスタシーを得る性行為といえば、矢張り、基本は、男女の、行為となる。

例えば、マスターベーションとか、オーラルセックス、つまり、局所による、射精行為、または、女に対する行為でも、シータ波の獲得は、得られていない。

感じる脳が、性行為のポイントなのである。
つまり、下半身と、脳が、完全に一致する行為でなければ、エクスタシーというものを、得ることが出来ないのである。

だから、男女の場合の、理想的な、セックスは、子作りが、前提にあって、最高のセックスとなる。

さて、しかし、この時代性である。

昔、私が受けた相談の中に、次第に増えたものが、アナルセックスだった。
要するに、彼氏が、非常に興味を持つのだが、どう対処したらいいのかというもの。

肛門性交といえば、即座に、ゲイセックスを思う人がいる。
尻を犯すというものだ。

ところが、男女の間でも、アナルセックスは、行われる。
それでは、女の場合の、アナルセックスというものは、どんなものか。

肛門も、粘膜である以上、重要な性感帯であると、いえる。
会陰部から、肛門と、愛撫に対して、非常に敏感な部分である。

肛門が、感じるのは、出入り付近であり、直腸まで入ると、何の感覚も無い。
だが、肛門の筋肉と、膣の外輪筋は、つながっていて、肛門括約筋が収縮すると、膣の周囲の、外輪筋も収縮して、あたかも、性器を刺激されているように、錯覚する。

女の中に、マスターベーションをする際に、肛門、クリトリスへの刺激をする者がいる。肛門が、性器、そして、唇に次ぐ、第三の性器になりうるのである。

相談の結果は、嫌なことは、逆効果であるから、断るべきであるとしたが、中には、それを受け入れて、試みた、者もいるが。
人それぞれ。
中には、あまりの快感に、吠えたという女もいた。が、それ以後は、怖くなって、止めたという。あまりの、快感に、死ぬ思いをした。更に、このまま行くと、とんでもない、性行為を、求める女になってしまうのではないかという、恐怖で、抑止したのである。

セックスの最中、後背位の場合、膣にペニスを挿入して、更に、指で、アナルを刺激、または、指を出し入れすることが、出来る。それにより、快感が倍化することもある。

膣とアナルの、筋肉は、8の字になっていて、両方の穴の刺激であるから、相乗効果を、生むのである。


さて、それでは、男の場合は、どうか。

男の直腸は、女と違い、前立腺というものが、ある。
出入り口と、前立腺刺激による、快感がある。
それが、女と違う。

受身の男は、終わらない快感というものを、感じることが出来る。
また、その刺激に対して、射精することもある。

いずれ、男娼の歴史にも、触れることになるが、肛門性交の、歴史は、人類の歴史と、同じほど、長い。

実に、多数の女と、性行為をしていた男が、何かのきっかけで、男娼と、関係することにより、女の膣の感覚とは、また、違った、味わいに、驚いたという、男がいる。

それは、男のアナルも、それぞれで、全く持って、名器と呼べる者もいる。
膣と、同じで、中は、見えない。
入れてみなければ、解らない。

刑務所などの、異性との、触れ合いがない、場所にいると、男が男を犯す行為ということが、発生する。
それが、男女のセックスの代用であったが、そのまま、それが、その男の、性向になる場合も、多々ある。

娑婆に出て来た男が、女では、満足しないと、ボーイバーで、ボーイを買うという。

アナルセックスを、男女のセックスの代用として、堂々と、展開する部族もいる。
アフリカの部族の中では、子供をある程度、産み終えると、膣を、閉じて、つまり、縫ってしまい、それ以後は、アナルセックスが、主になるところもある。

九州の、ある地域は、お稚児どん、という、風習があり、少年がある程度の、年齢になると、他家に擬似養子に出される。
その家の、新しい父親と、そのような関係になることは、実に多く、矢張り、アナルセックスが、主である。

実際、今でも、その風習があるというが、誤解があっては、ならないので、地名は、書かない。

ただ、その風習により、伝統を、伝え、育てているのである。
それは、また、民俗学の分野になる。

その地方の、女の出身者は、男同士の関係に対して、ある程度の認識があり、その関係を、嫌悪するということはない。それはそれ、これはこれ、と、分けて考えるのである。

ある、日本の建設会社が、未開の地に、建設作業に出た。
皆、男であるから、自然、そのような関係を結ぶ者も出たという。
擬似セックスを、行うが、矢張り、それにより、目覚める男もいて、以後、男との、関係を、続ける者もいたという。

昔、同じ新聞の、コラムに原稿を書いていた縁で、南極越冬隊に出掛けた方にお会いした時、それとなく、尋ねてみたことがある。

それなりの、用具、つまり、大人のオモチャなどの備品もあるというが、それを使用したことはないし、また、男同士の関係も、見当たらなかったという。

その人が言うには、朝目覚めて、南極の自然を、見ているだけで、通常の感覚を超えてしまうというのだ。
つまり、その場にいるだけで、脳内に、快感物質が、出るのであろうと、思う。

射精をしなければ、精液は、自然消滅する。
目の前の、自然の様に、感動して、我が身の、性欲も、忘れるという、体験を、一度は、してみたいものである。

これが、宗教などの世界で、言われる、シータ波の出る、悟りの境地と、考えてもよいと思う。

脳が、満足すれば、体も、満足するということである。

脳が、満足しななければ、いつまでも、繰り返し、行為を続けるということである。

つまり、性行為の代用は、別のものでも、あるということだ。

性について27

快感の、脳の仕組みを、整理してみる。

快楽物質、あるいは、快感物質が、脳に現れたのは、脊柱動物である。
脳は、感覚して、行動命令を出すところである。
そのため、脳内の快感物質の一つである、麻薬物質は、強い痛みや、過酷なストレスに耐えるために、特に感性の強くなった、人間で作られるようになる。

それが、また、忍耐力や、創造力を駆使するときも、脳内の麻薬物質が、威力を発揮することが、明らかになっている。

脳内麻薬物質と、免疫系との間にも、直接的な関係がある。
免疫細胞が、DNAにより、究極的に、副腎皮質刺激ホルモンや、ベータ・エンドルフィンを作ることも、照明された。

麻薬レセプターが脳内にあり、この神経系のシナプスに、介在するホルモンが、ドーパミンであることも、発見された。

さて、そこで、大麻や、覚醒剤による、弊害を、言う。

覚醒剤を、使用している時の、脳波は、セックスの絶頂期と同じく、シータ波が出ている。
覚醒剤や、大麻、シンナーなどもそうであるが、幻視、幻聴、幻覚に襲われる。
更に、時間感覚が、麻痺する。
つまりそれは、感覚が、加速されるということである。
時間の流れが、通常より、速く感じられる。

もし、薬物を使用して、セックスをした場合は、エクスタシーが、より早く感じられ、しかも、何度となく、訪れるような、錯覚を起こす。

男の場合は、持続力が、長くなり、エクスタシーに達しても、射精に至らない。
つまり、快感が、いつまでも、続くということになる。

アメリカで、中毒者が多い、覚醒剤アンフェタミンなどは、セックスがスピードアップするために、スピードと名付けられている。
これは、日本でも敗戦直後に、ヒロポンと言って、科学組織が少し違うものが、出回った。

実は、これは、戦時中に、軍が、特攻隊に、支給していたものである。
ヒロポンの力を、借りて、恐怖心などを、エクスタシーに替えて、死を恐れないためである。

このように、覚醒剤は、セックス時の、エクスタシーと同じシータ波を出すことが、可能である。
しかし、である。

本来、脳内で、作られるべきものが、他から、得るということは、脳内の働きを、退化させ、脳内物質を、更に抑制させるとしたら。
脳内で、作られるはずものが、簡単に、体に取り込まれるということは、人間の体と、脳の破壊である。

薬によって、強制的に、エクスタシーを作り出すということが、実に恐ろしいものであるということ。

薬物の力なくしては、エクスタシーに至れないという、体質になり、中毒に陥る。
そして心身共に、朽ち果てるのである。

非常時に麻薬を使用するのは、病気闘病の、痛みを和らげたり、死の苦痛を、和らげるために、使用されるべきなのである。

芸術、特に、音楽関係者に、覚醒剤の使用者が、多い。
それらの、作り出す音楽を聴いて、癒されたと、思い込む方も、アホだが、使用して、音楽なるものを、作り出す方も、アホである。

勿論、そういう音楽や、歌は、一年持って良いほうである。

さて、次に、媚薬や、強精剤である。

性欲亢進、性感度を、高めるというもの。
媚薬の多くは、ペニスや、クリトリスの、鬱血を引き起こすものが、大半である。

男の精髄にある、勃起中枢を、過度に刺激して、一度服用すると、15時間から、20時間の勃起が、可能である。
ただし、快感は、得られない。
射精に至らない。
持続力はあるが、一二時間を、経ると、後は、痛みだけになる。

精力剤は、信じる者は救われるという、宗教の妄想と、同じで、妄想である。

セックスの後に、どっと、疲れるというのは、体が、疲れるのではない。疲れるのは、脳である。

一回のセックスにおける、エネルギー消費は、70カロリー前後である。
体力の消耗ではない。

ちなみに、マスターベーションの方が、疲労度が高いはずである。
つまり、脳内の、創造力を総動員しての、イメージセックスであるから。

イメージ力というものは、凄まじいもので、それだけで、射精に至ることもある。

マスターベーションは、害にも、薬にもならないものである。
ただし、マスターベーションにより、多くのイメージトレーニングが出来て、それが、創作活動へと、つながることも多い。

ただし、マスターベーションによって、シータ波は、得られないといわれる。
この、マスターベーションに関しては、後で、徹底的に、その歴史から取り組んで、更に、マスターベーションによる、私が私を愛するという、極地まで、高まるものだということを、書くつもりである。

大脳化した人間の、最大の性的能力は、マスターベーションにあると、私は、考えている。

マスターベーションにより、人間は、地球とも、宇宙とも、一体になるという、壮大なイメージを、生み出すことが、出来たのである。

そしてその、現場が、性と、切り離されたかに見える、宗教の世界に、実に多い。
神や、仏と、結ばれるという、恍惚感は、まさに、シータ波のゆえであり、セックス無しでも、そこに行き着けるという、驚き。

人間を支配するものは、脳の快楽物資による、エクスタシーと、その脳に発生する、シータ波を、抑えてしまえば、簡単なのである。

2008年12月21日

性について28

人間の性の大脳化に関して、書き続けてきた。
まだ、それは、足りないが、またの機会に、それを、書きつつ進める。

さて、もう一つの、性の見方は、進化の過程である。

祖先たちは、地球環境の厳しい中を、種の保存を図るために、様々な繁殖の過程を、経てきている。

例えば、350万年前の、女である、ルーシーは、身長一メートル、体重27キロ、二十歳。
月経の血を垂れ流していたであろう。
衣服をまとい、排卵を隠蔽するようになるには、数百万年を要したはずである。
進化は、緩やかに、行われた。

その、350万年間に、50パーセント、アップするという、進化である。
それは、厳しい冬を、生き残るために、体積を大きくしたといえるのである。
体積が大きければ、体表面積対、体積の比は、小さくなる。
耐熱放射や、放散を小さくすることができる。

そして、厳しい環境で、一番弱いのは、子供である。
そうして、母と子が、生き延びるためには、オスとの、共同生活である。
それも、特定のオスとの、関係が、重要になる。

オスに取り入れられるということは、生存する確率が高くなるということ。
子供が、生まれた後で、特定のオスを、引き止めておく必要を、感じた、メスは、どうするのか。
更に、外敵から、子供と、身を守るために。

食べ物を得るためにも、オスは、必要だった。
メスは、生存するために、オスよりも、試行錯誤を繰り返したというのが、私の考えである。

要するに、メスは、賢いのである。
賢くなければ、生きられなかった。それが、今も、メス、女たちに、遺伝によって、受継がれていると、考える。

女が、アホなら、子供は、育てられないのである。

オスが、狩りに出掛けた時に、他のメスのところに、立ち寄られて、そこに、いついてしまえば、元もこもない。
オスが、戻ってくるためには、今の言葉で、言えば、性的魅力が、なければならないのだ。

媚を売る。
メスは、最初、オスに媚を売ることで、その子供と、我が身を、生存させてきた。

オスとは、メスさえその気なら、いつもで、交尾が出来るという、不思議な、体質になっていた。

他の、動物にはない、性交の欲望である。
何故、そのように、進化したのかを、どんな学者も、言わないのである。

精子は、常時作られている。
いくら交尾をしても、枯れることはない。
何故か。

これが、メスに悲劇になったと、私は言う。

つまり、いつでも、交尾が出来るオスに対処しなければならなくなったのである。
排卵期とは、別に、季節も、問わず、子育て中でも、メスは、オスが、求めれば、それに、応じなければならない。
メスの、不運である。

オスは、いつも、精子をばら撒くチャンスを、狙う。
この生理的欲求を、何故、オスは、身につけるようになったのか。
大脳化である。

サルの場合は、大脳化の発達が、遅れて、オスが、その気でも、メスは、撥ね付けることが出来る。人間だけが、撥ね付けることが、出来なくなった。

大脳化は、進化の過程でも、重要である。

メスが、オスを、常時、受け入れるという事態になると、それに対応した、脳の発達が必要となった。

後で、男の脳と、女の脳の違いについて、検証するが、脳が、巨大化するにつれて、快感という、感覚も、発達したといえる。

単に、生理的欲望を、満足させるというだけではなく、幻想的、欲望というものが、芽生えてきたと、思える。
大脳化、脳の巨大化ゆえである。

更に、進化は、今まで、背面にあった、性器が、前面に移動したということである。
これは、実に、大きな進化である。
性器を、互いに、見ることができるという、状態である。
その、性器を、見るという行為に、人は、オスとメスは、欲望を燃やすことになったといえる。

更にである。
体が、巨大化すると共に、性器も、巨大化してきたのである。

オスは、ペンシルタイプのペニスを支えるために、必要だった、小さな、陰茎骨、バクラムが、消滅する。
それゆえ、ペニスが、膨れるようになったのである。

この過程で、直立二足歩行が、定着し、性器が巨大化して、対面性交が可能になり、単純だった、オーガズムが、複雑に多様化していった。
そして、オスの性感にも、影響が、現れた。というより、性感を、高めていったといえる。

繁殖戦略の、要に、メスがオスを、選ぶことにより、オスとの間に、血縁関係を作るということである。
番、つがい、という関係である。
母と子のように、純粋に、生物的絆で、結ばれてはいないが、子供の父としての、文化的意識の芽生えが、生ずる。

実際は、オスとメスは、他人であるが、子供を通して、血縁という意識と、親という意識、それは、文化的意識であるといえる。それが、芽生えてきた。
ただし、以前、紹介した、トリブリアンド島の、原住民のように、性交と、妊娠出産に、因果関係を、認めなかった民族もいるということである。

父と、子供は、他人であるという、実に面白い、報告だった。

現代日本社会も一時期、父親の復権などと、言われていたが、さて、どうなったのか。
父と子供の、付き合いが、著しく低下し、父親不在の家庭が、当たり前になっていた時期がある。

特に、都会では、それが顕著である。
つまり、いよいよ、家庭というものが、新しい時代に適応する、新しい家庭の、あり方を模索する時期に入ったということである。

例えば、父子家庭というのが、多くなったことは、あまり知られてない。
女性の自主独立の求めから、母親が、子供を夫の元において、家を出るというもの。

連れ子を持った同士の、結婚、更に離婚から、友人同士が、子連れで一緒に生活する、更に、父子家庭の、父親が、子連れで、一緒に生活するなど、あらゆる、家庭の形が、表れる時代になってきた。
もう一つ、オマケに、同性婚のような、家庭。
何でも、ありである。

2008年12月22日

性について29

オスが、人間の男という、概念、また、メスが、人間の女という概念を、持つに至るには、長い年月が、必要だった。

オスが、男に、メスが、女に限りなく近づくのである。
それは、つまり、性差というものを、獲得してゆくことなのである。

この問題を、真っ当に論じたものは、実に少ない。
男や女が、はじめから、男や女ではなかったということである。
これが、現代の、トランスジェンダーの問題や、同性愛の問題に、つながってくる。

それは、いずれ、徹底的に書くことにする。
面白い、論文が出た。
福岡伸一 できそこないの男たち、である。
この方は、理工学部化学・生命科学の教授であり、専攻が、分子生物学である。
実に、有意義な、男女についての、考察をしている。いずれ、取り上げる。

さて、体型の性差が、顕著ではない、霊長類は、乱交型である。
人間も、例外ではない。
古代史を見ても、乱交が行われていたことは、事実である。

精子をばら撒く男は、いつも、姦通の危険性というか、チャンスを、狙っている。
そのために、生きているといってもいいような、男もいる。

女の方も、母性と共に、男を、曳き付けようとする、娼婦性のような、媚が必要になった。

女が、子供を育てる時、母性が先行するで、娼婦性が、退く。
かつては、月経血を流していたメスは、女へと進化するに従って、排卵を、隠蔽するようになる。

排卵期が、わからないと、今、女の腹にいる子が、誰の精子によるものなのかが、解らない。
隠蔽排卵は、実に、父性の不確実性という、不確実さを、男に与えた。

それで、男となった、オスが、考えたことが、女とペアになり、強固な絆、関係軸を作るということになっていった。
端的に言えば、女を、育児と、食事の世話などの、内向きの事柄に、閉じ込めようとするのである。

更に、観念というものを、創作するようになると、母性というものに、神話性を与えた。つまり、女を、支配するための、観念を創作してゆくのである。

今でも、それが、残り、女を男の支配下に置くというような、手段を取る。
勿論、そこに、宗教という魔物が、関わる。

女にとっての、娼婦性というものが、男によって、隠蔽、封鎖された歴史がある。
一部の女を、省いて、女を、男の支配の観念に、閉じ込めたのである。

貞操という、拘束である。
貞操観念という言葉が、男にとって、実に心地よいものになった。

更に、この貞操観念というもの、男には、当て嵌まらないのである。
男は、逆に、多妻である。
一夫多妻という観念は、如何なるものか。

更に、旧約聖書などによると、完全に女を男の支配下に置き、家畜のように、扱うという、極めて、異常な、女に対する観念を、作り上げる。
今でも、イスラム圏では、そのようである。

そこには、単純な動機がある。
つまり、自分の精子、種だけを持って、子孫を作るという、民族の根本原理のような、観念がある。
種族を増やすという、繁殖戦略である。

女も、長年そのように、扱われると、家庭のことさえ、してくれればいいと思う男の意識に支配され、男の不貞は、許されると、考えるようになる。というか、考えざるを得ない状況に、追い込まれた。
つまり、女に社会参加を認めないという、男社会が、現れた。

だが、である。
産児数が、減り、女が社会進出をはじめた、現代では、女が、本来の能力を発揮するようになった。
内向きにされていた、多くの能力を、全開に出来る時代になったのである。

これには、男も、参る、困る、戸惑う。
何故なら、女の能力は、実に高いからである。

女は「月」から再び「太陽」となって自らが輝きはじめ、今度は男に貞操を求め、そうでなければ不倫をむさぼるようになった。
性は生なり 大島清

である。

私の住む、マンションの線路を越えると、新宿歌舞伎町に次ぐ、歓楽街がある。
そして、いわゆる、ラブホテル、ファッションホテル街である。

朝昼夜と、私、自転車で、用を足す。
その時に、見る光景である。

女に引かれて、男の子が、ホテルに入る。また、女に、引かれて、ホテルから、出る光景である。

出て来る時は、ホント気の毒な程、男は、しょんぼりして、女は、化粧もしっかり、堂々として出て来る。
そして、男の腕に、腕を、まわす。
いつからか、この光景が普通になった。

だが、驚くのは早い。
人妻の、乱交は、凄まじいものがある。
若い男の、精をしゃぶり尽くす勢いであるから、時代は、変わった。

私も、夫以外の男と、関係している、女たちの、多くの相談を受けた。
その、夫のいない暇な時間は、女たちの、セックス三昧の時間となるのである。
女は、性の快楽は、男以上にタフである。

社会進出した女に、傅き、妻は、若い男と、セックス三昧であれば、男は、男に愛情を、求めることになる。
それが、今、実証されはじめている。

女の、ソープランド、あるいは、性処理の楽園にも、男が、寄りつかないが、何と、男子を、売る、通常、売り専と、呼ばれる、商売が、上々の繁盛である。
更にである。
場所は、書けないが、レディボーイを買う男たちが、一気に増えているという。

日系ブラジル人、韓国人、中国人の、レディボーイたちが、荒稼ぎしているのである。
一日の、売り上げが、10万前後というから、驚く。
本当に、男、おじさんたちが、買うのかと、私は、疑問に思ったが、男であると、解って、買うのである。

具体的な内容まで、調べているが、今は、書かない。

更に、男の方がいいとも、言う。
女装している、男を買う程、男たちの、意識が、混濁してきたのである。
これも、進化であろうか。

しかし、分子生物学という、視点からみると、それが、理解できるのである。

2008年12月27日

性について30

それでは、男と、女のルーツを、探る。

男が運ぶY染色体である。
一度に、数億個放出される、精子のうちの、半数には、Y染色体の写本が含まれる。
その精子が、卵子に飛び込んで、その受精卵は、男としての、発生の道を歩む。

そして、男は、成熟し、Y染色体の写本を、繰り返して、作り続けるのである。

Y染色体の、複製は、厳密に行われる。

だが、ごく稀に、異同が生じて、その校正の目を、すり抜けるものもある。
生じた異同、多型性は、Y染色体の、刻印として、父から息子に引き継がれる。

現在存在する、Y染色体の多型性の由来を、辿ると、男の系列と、その移動を再現するこが、出来るという。

写本に生じる多型性の出現頻度から、それがどの程度のタイムスパンで起こったことなのかを計算することができるようにもなった。つまり何千年あるいは何万年前にその写本の分岐が成立したのか、誤差を含むものの、おおよその推計が可能となった。
福岡伸一 できそこないの男たち

さて、女たちの方はというと、卵子から卵子に、母系でのみ、受継がれるミトコンドリアDNAの刻印を解析することで、得ることができるという。

ミトコンドリアDNAの分析は、80年代に、解った。
現在の世界にいる女性の、ルーツが、十数万年前の、アフリカで生まれた一人の女性であることが、解ったのである。

そして、Y染色体の多型分析も、解った。
世界に生存する、男性のルーツが、十数万年前の、アフリカで生まれた、一人の男性に由来すると。

だが、両者の関係性については、何も決定的なことを、示していない。
つまり、その男女が、人類の親であるというような、ことである。

女性の、ミトコンドリアと、男性のY染色体は、複数のパターンがあったはずであるが、その後、ほとんどの系譜は、途絶えた。現存していないのである。

女性の集団から、一つ、男性の集団から、一つと、ある系統だけが、生き残ったのである。

人類の、最初の集団は、家族、親族を中心とした、限られた、コロニーだったといわれる。
規模は、数十人程度。
環境に適応して、徐々に、人口を増やしていった。
それが、アフリカ人たちである。

そして、いよいよ、彼らの子孫が、世界に広がるのである。

遺伝子学から、人類の、発生を見ることで、それが、確実に解るようになった。

ここでは、専門的な、用語を使用しないで、その流れだけを、書くことにする。

一つの集団は、アラビア半島を経て、インドに到達した。しかし、定住は、しなかった。
その後、インドネシア、パプアニューギニア、オセアニアに、展開する。

更に、その集団から、分派して、インドシナ半島から、アジア大陸を北上し、バイカル湖付近に、達する。現在の、シベリア、東北アジア、トゥングース、モンゴルである。

それから、中央、東、東南アジアにも、広がる。
約2万8000年前のことと、推測される。
旧石器時代といわれる、時代区分になる。

シベリアに達した一部が、サハリン、カムチャッカ半島を経て、日本列島に入ってきた。

一方、朝鮮半島を経て入った者たちもいる。
旧石器時代、最も、早く、日本列島にやってきたといわれる。

また、その集団の一部は、ベーリング海峡を渡り、アラスカから、アメリカ大陸に達した。その人たちは、アメリカの原住民となる。

さて、もう一つの、集団である。
彼らは、アフリカに留まった者と、ヨーロッパ南部に向かい、定住した者たちがいる。

更に、一部の者たちは、立ち止まることをせず、東を目指した者たちがいる。
インドシナ半島に達した後、北上して、一部は、モンゴル、別の一部は、チベットへ、そして、最後の一部は、朝鮮半島から、日本の南部に到達した。
この、集団が、日本固有のタイプとされる。

この、タイプは、特に、アイヌ、東北、日本海、沖縄に多いといわれる。
彼らが、縄文時代の主要メンバーだと、言われている。


アフリカから、出た、三つの、集団のうちで、最後に分類される者たちは、世界に散らばり、最も多くの分派を生み出した。

それらは、主に、中東と、西アジアに展開する。

更に、東南アジア、中国に広がる。
そして、分派した者たちは、現在のヨーロッパ人となる。

アジアに展開した、男たちは、更に分派し、台湾、フィリピン、ジャワに住み着いた。
この遺伝子を持つ者は、朝鮮半島で多く、日本では、南琉球、八重山諸島に多い。
また、漢民族、チベット、満州、モンゴル、朝鮮と多い。
漢民族では、三分の二が、その遺伝子であるといわれる。

更に、その一部は、3300年前に、分岐し、移動を開始したのは、2800年前であり、渡来系弥生人として、日本列島に入ってきた。

遺伝子で、見る限り、日本は、人種の坩堝であるといえる。

この後、福岡伸一氏は、実に、面白い、議論を展開している。
次に、続ける。

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