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時事日記 アーカイブ

2006年08月15日

終戦記念

藤岡が歌った「帰り来ぬ風」という私の作詞の歌があります。116万人の遺骨が、未だ南方の島々に置き去りされているという哀しみの歌です。
横浜、札幌、知床斜里にて歌いました。その後、様々な人々が歌っています。
今回の平和祈念コンサートでも、ソプラノ辻友子が歌いました。藤岡の歌声を聴きつつ歌ったと思います。
難しい日本語の発音が多く、切々として、しかも慰霊の思い万感にての藤岡の歌は絶品でした。
歌い終わった藤岡の目に涙を観た時、藤岡の思い入れの凄まじさを感じました。
本日、深く戦没者の霊位に哀悼の意をもって・・・

2006年08月16日

愚昧なマスコミ

捕らえるべきものを捕らえないマスコミ、テレビのアホどもである。靖国、靖国と騒いでいるのは、誰か。
藤岡を捕らえたのは、NHKのみ。
民放は、世界的声楽家である藤岡を捉えられなかった。
絶叫や調子はずれの歌い手のゴシップを得意になって宣伝する。私がテレビを見ないのは、そういうことだ。
テレビ万能の時代を作ったこの時代は、後に検証される。芸能のかけらもない芸能界の太鼓もちでしかなかったと。
最も大切な政治までも愚妹にしたのはマスコミである。

追伸
私が目にするテレビは、すべて安食堂とか、外で見る。薬を貰う場所で多く見る。見たくなくても、テレビをつけている。

2006年08月18日

残暑お見舞い

暑さが続きます。

藤岡は暑い日、涼しく過ごしましたが、例えばエアコン、扇風機を使用しましたが、体を冷やすことはしませんでした。特に喉です。
冷たいものより温かい飲み物を好みました。

夏の夜も、ぬるま湯に浸かっていました。

私は銭湯に誘うのですが、藤岡の感性は銭湯より現代的スパを好んで、よく気分転換に出かけていました。

懐かしく思い出します。

2006年08月19日

音楽史

私のホームページ、新沈黙を破るに連載しています、音楽史が好評です。ありがとうございます。

藤岡についても触れています。
音楽関係以外の方でも、楽しめると思います。
歴史、哲学史等を鑑みて、書いています。
次のようなお便りを頂きました。
__________

役に立っています。 

投稿者:音楽大学学生 投稿日:08月19日 19時45分

バラバラの音楽用語や知識が、木村様のエッセイの音楽史を読むことによって、有機的に結びついています。体系的な理解をするのに役立ちました。
ありがとうございます。

2006年08月22日

その没後、益々名声を高めるという藤岡の歌声です。新しいファンの出現に期待します。
一年祭後は、藤岡のリサイタル、コンサートゲストとして、藤岡の歌声を皆様にお届けします。
多くの録音のマスタリングを続行中です。
コンサート会場にて聴くことができます。
この一年の様々なことを振り返り、先に進もうと思います。勇猛果敢に行きたいと思います。

2006年08月25日

本日は、藤岡命上がり330日

私には、昨日の出来事です。

全く古い思い出ではありません。

来月の一年祭に向けて、また進みます。

330日祭

ギタリスト千葉君、藤岡の友人二名、辻友子、あやかの親子と、そして野中と私で、この命上がりの日を、終えました。
来月の一年祭は、時間を区切っての御祭りになります。
忘れたい人は忘れてよし。それでいいのです。
私は死ぬまで藤岡と一緒であり、死後藤岡と逢うことが目的です。
ああこの人生とは。
霊学を成している私でも、死による別れは辛い。
藤岡に逢いたい。
死ぬことが楽しくなる。死ぬまで生きる。当たり前のことが輝いてくる。
霊界と接触している私でも、である。知らない人は、どれ程の辛さか・・・

2006年08月30日

年をとらない

どうも私は極めつけのアホのようで、年を取っていない感じがするのだ。
藤岡と出会った頃と、変わらない気がする。ただ変わったことは、クラシック音楽を聴いて益々アホになったような・・・
ピアノの音など聴いていると、耳がやられて、頭もやられてアホになる。
クラシックの世界の知恵をつけられて、ずるくて、情けの無い人間に少しなったようだが、それでも、年を取った気がしない。
音楽については、沈黙を破るに書くが、音楽を哲学すること多々あり。
西洋音楽は芸を習うというより、学を学ぶといった感じがして、私の芸感覚に遠い。
ともあれ、私は年を取らないというアホになったようだ。
実年齢より、実に若い。政治や舞踊の世界では、確かに若造である。
益々、怒り心頭に達するのだから、始末に終えない。
今日は、この辺で。

2006年09月01日

九月

去る者は日々に疎し
と、言われる。確かに、生きることに精々ならば、忘れて生きることが楽なのでしょう。過去を捨てて、前に進む。それ以外の術はない。
生きるということは、次しかない。
私の前には、藤岡宣男がいます。藤岡の創造です。
あれから一年を過ぎて、藤岡は、益々私の心に満ちています。
藤岡は亡くなったが、無くなってはいない。
世の中は、猛スピードで前に進んでいるようですが、果たして、本当でしょうか。
明日という、未来という幻想に、進んでいる可能性もあります。確たるビジョンの無い未来は、危険です。
事故から、私は毎日、藤岡を思わないことはない。つまり、私は明日を藤岡と見定めて生きているのです。
生きるということは、不安定であります。しかし、人は死によって確定します。死によって確実な存在になるのが人間の本性です。
死を考えることのない哲学も思想も、学問も無益です。
ただし宗教で言うところの死は、妄想です。
自分の中にあるものしか、見えない、聞こえないのです。それを身をもって知ること。それを総称して謙虚といいます。
知らないことが多いということを知らない人は、死後、絶望的な傲慢の次元に留まります。

クラウンについて

一切の契約はしていません。
よって、何の拘束等々はありません。
事故の前日、藤岡は裁判にて争う旨を私に話しました。私も、それならやるといいました。藤岡が、そのようなことを言うことは、めったにありませんでした。
今も、何の関係もありません。
勝手に、向こうが売っているのだと思います。
こういうことが通る世界が、その世界なのでしょう。
仰天します。
ただし、その間に、ブローカーのような、変な事務所が入っています。
前回の沈黙を破るに書いていますが、管理人が、再度掲載することがなければ、私は、これ以上書きません。どうでもいいのです。
人で無し、人に非ずと話をすることは、私には、出来ません。
私は、真人間ですから。

2006年09月02日

死ぬのが待ち遠しい

今月は、藤岡の一年祭である。
突然寂しくなる時、私は、死ねば藤岡に逢えると考えて、乗り越えます。
これ程、死ぬのを待ち遠しく、楽しく思えたことはない。
これは私が霊学を成していたからである。
毎日、顔を合わせていた藤岡を忘れることは出来ない。藤岡は、もう一人の私だった。藤岡に私を写して生きていた。
藤岡の喜びも悲しみも怒りも、私のものだった。
藤岡が恋人と会うための場所まで手配していた。
藤岡が喜ぶと、私はそれ以上に喜んだ。そして毎日のケンカである。時間を過ぎれば、また一緒に食事をしていた。
藤岡の一日をすべて把握していた。藤岡がすべて私に話すからである。
秘密も隠し事もなかった。
ああ人生である。これ程の苦しみはないと思い、何度も、この場から離れようと思ったが、矢張り、続けられるまで続けることだと。そして藤岡を創造するというところまでたどり着いた。
いよいよ私の人生の佳境に行く。一人の思い込みである。それ以外に何が人生にあるだろうか。思い込み以外にである。そして私は素人を演じ続けてゆく。

2006年09月03日

理解します。

藤岡のいないコンサート、また藤岡の死を思うと、落ち込むという人が、コンサートに行けないと言う。その通りだと思う。
無理して、来ることはない。理解します。

何故コンサートをするのか。簡単です。芸人、芸術家には舞台が必要です。それを用意するのが、私の務めです。
ただし、ここ6年間で理解したことは、音楽一般を成す者は、大半が常識外れ、教養に欠けるということが解りました。
ギャラを払うと、付け上がる。チケットノルマがなければ、当日、ドタキャンする等々。信じられないの一言。
真実、お金を出してでも出たいと思う音楽家、そのもどきを餌にして、音楽事務所が成り立っていることが解るのである。
大半が、芸人気取り、芸術家気取りであるという事実。
本当に呆れる。

2006年09月04日

うつろう季節

風の中に秋の芽生えあり。
すべては流れていると、ギリシャ哲学、仏陀は無常の相を観た。
一つとして留まるものはない。
旧約聖書伝道の書には、すべてには時がある。
抱く時、離す時がある。等々。
生きるとは呼吸の間と禅では言う。
刹那の連続。終わりは始まりであり、始まりは終わりである。生死を繰り返して生きる。道元は、完璧な実存哲学をゆく。死は死で、生は生と。だから、竿の先から飛べと言う。生きるとは飛ぶこと。飛ぶしか術が無いと知る時、開放される。
この次元は、何一つ定まったものは無い。絶対というものが無い、次元である。
高い次元の投影と観る人もいる。
我の本体は、この次元ではないと気づく時、この次元での生きることを、折り合いをつけて生きると知る。
死ぬときは 持ってゆけぬと 貯金せず
という川柳があった。刹那を生きる時の余裕を持ちたいものである。

2006年09月07日

一年祭に向けて

過ぎてしまえば、あっという間。時間というのは、瞬時にワープするようです。
確かにあったはずの365日という日々を一瞬のうちに、射抜いたように・・・
地球が太陽を一周して24時間を経たという、時間というものを、哲学してみたいと思いつつ、こうして日を過ごし、まだ観ぬ明日へ向こうとしている。明日が確実にあると信じて。
私は、藤岡の死を日に幾たびも反芻すること多々あった。
その度に、決心をした。
藤岡を通して、観たもの、聞いたもの、考えたこと、それらを表現すること。
私の表現は、書くこと、踊ること、花を活けること、そして歌うこと。歌は、朗詠から、本格的に歌手として活動を始めた。
手本はある。藤岡である。影を慕いて、行く。
それらは、すべて芸術である。芸の術である。美学にある芸術ではない。術は技である。技は心である。
世阿弥は、花は心、種は技なるべし、と言う。私は言う。技は心である。
私には、花などない。技のみが勝負である。つまり、歌は命として歌う。いのちがけの歌である。それでなければ、藤岡の歌に追いつかない。
歌は誰でも歌う。そして誰でも上手になる。それを舞台で成すということは、とてつもない体力と、心力を使う。普通ならば、死ぬ。死なずに歌えるのは、まだ序の口である。私は、歌で死ぬことにした。
藤岡は、大いに笑うであろう。年甲斐もなく、少年のように、情熱に燃えているのだから。自分でも、呆れている。
一年祭は、私のスタートの年である。そう思うことにした。

2006年09月08日

藤岡の母

ただ今、お母さんは、藤岡の子供の頃に戻っています。
その凄まじい二人の関係を、彷彿とさせます。
「お父さんがいなくても、駄目になったら、いかんよ。ほれ、見たことかと言われる」
そして、世の中の様々な母子家庭に対する、いじめである。
あの当時、いや今でも、世の中は非情である。
藤岡は、人に後ろ指を指されないようにと、努力したという。いつも成績は、良かった。生徒会長も続けた。全校生徒に、即興で話をする。優等生を演じていた。
相当に疲れたであろう。
その頃の話は、私も度々聞いていた。
母親の教育の凄まじさは、二人で生きるという覚悟の元であろう。
母は、いまでも、世の中と戦っている。心の休まる時無く、そうして人生を終える。
それでよし。この世は、修行の世なのである。
一つの救いは、下手な宗教に入信して、妄想の人生を作らなかったことである。
ただし、信仰心には篤い人であったと聞く。藤岡を連れて、信者参拝をしていたと聞く。藤岡が、私の古神道に縁した訳である。

2006年09月11日

一年祭

14日、一年祭を行ないます。
コンサート情報を参照下さい。当日券はあります。
告知の通り、藤岡の歌声を流します。
来年からは、藤岡のリサイタルも開催します。単に音楽鑑賞ではなく、色々な企画を考えています。
故人のリサイタルというものも、前代未聞ということです。
いよいよ藤岡の評価が確実なものになるでしょう。

2006年09月12日

西洋音楽史

私の新沈黙を破るに、西洋音楽史を掲載しています。
西洋音楽を語るのに、必要と考え独自に調べて書いています。素人ですから、多くの専門的用語を理解するのに苦労しています。勿論、歴史、哲学史、美学等を鑑みて、書いています。
一読下されば、幸いです。
批判する前に、学ぶこと。それが鉄則です。
どなたでしょうか。何も知らずに、批判や非難をする人は。
私に、西洋音楽史を講義できる人が、クラシック音楽について語ることが出来ます。

2006年09月13日

明日、藤岡一年祭を執り行います。

コンサートであり、儀式でもあります。
この一年、多くの事を学びました。この年にして、驚くことが多く、それはまた、悲しみを深くするものでした。
百人がいれば百の価値観があるとは知っていても、共通する礼儀作法といものがあるだろうと考えていましたが、別でした。
その多くの無作法に佇み、この世に生きるということは、それらを受容しつつ生きることであると知ることが出来ました。
人に死に対する、人の想いが、実に呆気なく単純なものであることも。当事者でなければ知りえないことを、当事者以外の者が、知っているという思い込みと、勝手な解釈、いい気なものということも。
世に名のある者でも、その程度が知れるということも、よく解りました。
藤岡の敵討ちをするという気持ちは、今でも変わりません。しかしそれは、単に誰を打つということではなく、私の心のあり方であり、私の生き方です。
私は、誰にも恨みなどありません。
多くの誤解や中傷も、何ら問題はありません。私には、私の心のみがテーマなのです。
私が真実であるか否かが問題なのです。それは、私が霊界を知る者だからです。
私にとって、藤岡に逢うことが、最も幸せなことです。
そう誰一人のお客さまがいなくてもいいのです。私が問題なのです。私の納得なのです。私が藤岡にすることが正しいことなのです。そして私と藤岡が向き合うこと、それが私の重大事です。
世の中に対して、私は、求めるものがありません。何一つ、欲するものは、ありません。問題は、私の心なのです。最後に残るものは、心のあり方であることを、私は知り抜いています。
この世の物質の世界を超えると、そこは霊的世界です。
それを知る者の強みが私を支えます。
人間は、死んでも死にません。それは確実なことです。
霊的世界からは、すべてがお見通しです。その眼に耐えられる人になりたいと思います。

2006年09月15日

辻あやかリサイタル

まだ、チラシの配布を行なっていませんが、大変評判がいいようです。
初めて、私以外の人がラフ原稿を作ったものです。
リサイタルも期待できます。理性と知性の藤岡のピアノの指導を受けて、本来の天性を開花させたといえます。
私の音楽史に書きますが、ピアノは実に野蛮な楽器です。自然界に、あんな音はありません。しかし、弾く人によって、聴くに耐えるものになります。
ピアノ演奏で感動するというのは、音の組み合わせです。ただし中毒になると、頭がやられます。生まれつき頭の良い人が弾きこなすことが、出来るのでしょう。そういう意味では、私は全く駄目ですね。
頭の良い人に任せます。
ところが日本では、頭が悪いからピアノでもと思う人がいて驚きます。
それなら三味線を弾かせた方が、まだ救いようがあります。
お後がよろしいようで、本日は、この辺で。

2006年09月17日

持続は才能

気分的なことに捕らわれて、先に進めない。
嫉妬や怒り、拘り等々に縛られて、先に進めない。
前頭葉が発達したということは、自分の殻を打ち破るということ。然るに、続けられないという悲しみ。
少しの心の弱さで頓挫する。それの繰り返しをしているうちに、死んでしまう人の多いこと。
自分の心の中を、ぐるぐると回って人生を終わる。別な言葉で言えば、一人相撲をして人生を終わる。
そういう人を多く見た。
アマというのは、その弱さを抱いている。だからプロに適わない。
私は素人ですが、続けてみましょう。
批判も非難も、嫉妬もやっかみも、無視も何もかにも、馬耳東風。
裸の王様、恥知らずの恐れ知らずでいいのです。

2006年09月18日

進化する歌

藤岡の歌が、実に上手だ。聴く度に、進化する。
どういうことであろうか。
それは私の耳である。つまり私の耳が良くなってきたのである。
同じ歌のはずが、上手いと思う。何度も聴いているのに、聴く度に進化している。
そう聴こえるということは、私の耳の進化でもある。
耳の穴をかっぽじって聴けとは、本当のことだった。
眼は心の窓というが、眼は前頭葉の窓である。
耳は、脳に一番近い。聴くという行為は、実は、哲学する。思索すると同じことである。よく聴くこと、つまりそれは、よく考えることである。
思い起こせば、この10年ほど、私はクラシック音楽、特に声楽とピアノを聴き続けたのである。その大半が、生である。よほどでなければ、CDは聴かない。
思い出したように聴くのは演歌や日本の歌である。それも、一月に一度程度である。
機械を通して聴くものが、嘘のような気がするのだ。

2006年09月21日

時代の不幸

この時代は、観光旅行の如くである。
次から次と予定をこなす。この場に、しみじみと佇むことが出来ない。
風の音も、雨の音も、虫の音も、ただ、あっそうと通り過ぎるだけである。
兎に角、機械文明に使われて、どんどんと前に進む。もう人生が何であるのかという問いさえも捨てて。
そして、人生についての少しばかりの本を読み、感動するという嘘を平気でする。
一年前のことなど、太古の昔のように思う。
こういう状態を古人は、哀れであると言った。
聴くことも、観るという行為も捨てて、一体何が解るというのだろう。
解るということは、納得するということは、行為となることを知らない。
ゲスな興味のみに、大切な思考力を低下させて、実に哀れである。
そしてしまいに、妄想の宗教、霊感、霊能力を信じてしまう。
何一つ、確実なことを知らずに、生きていると思い込んで生きている。
いつの世も、無知と蒙昧にあったが、今はそれに加えて、傲慢不遜が加わり、一層、酷い状態になった。
これは、もはや救いようのない状態なのかもしれない。

2006年09月22日

藤岡のメッセージ

人間が死んだら、すべてが無になる、無くなると思う人には、理解できないことであろうが、数少ない人に、藤岡は明確なメッセージを発している。
私は、そういう方から、情報を聞く。
当然である。藤岡は無くなってはいないからだ。
実に重大なメッセージもある。しかしそれを公開する訳には、いかない。本人の承諾がなければそれは出来ない。
霊界からの情報は、極めて冷静沈着に扱わなければならないからだ。
この世は魔界に支配されているので、大半の人は、そのエネルギーを得て生きる。知らずに、魔界の支配の元に、動かされている。それを知らないという不幸である。
藤岡から私を引き離そうとした、魔界のエネルギーを持つ者もいた。
しかし本人は、それを知らない。世の常識というものに従って、藤岡にアドバイスをしていたが、藤岡の死因も、それに多くを負う。
確かに、藤岡はもっと早く霊界に戻っても良かったのであるが・・・
今は、そのことに触れないでおく。
いすれにせよ、人が死んですべてが無くなると思っている人は、即座に改めるべきである。そうしなければ、この人生の意義を十分に知らずに無為に生きることになる。
これは宗教的教義ではない。事実であり、真実である。

2006年09月24日

命上がり祭前祭

本日は、藤岡、みことあがり祭の前祭です。
一年前の事故前日の夜、私は、藤岡から激しい程の、意欲を聞いていました。
不思議です。そして翌日は、早朝、気づいたら、私の横に寝ていました。
事故当日の朝は、私と一緒でした。
最後まで私と共にあった藤岡でした。
それを知らずに、藤岡の電話等による、私と別に行動するという言葉を聞いて、大きな誤解をし、私を大変な悪者に仕立てた多くの人、私は彼らを許しますが、彼らの守護霊や背後霊が許すか否かは別です。
さて、この世と別れる前には、少しの精神の乱れがあります。それは藤岡もそうでした。いつになく、感情の起伏が激しかったようです。以下、省略します。
今、私は藤岡によって、様々な人の本当の姿を見せられています。
その嘘、偽り、等々です。
藤岡が有名になるだろうとの予測の元に、付き合いをしていた者どもの姿を、とくと見ました。勿論、それで私が、どうする訳ではありませんが。
ここに、それを記して置きます。
本日から、明日にみかけて、私は藤岡の霊位に対して、特別な対応をしたいと思います。親しい人に多くのメッセージを発しています。
藤岡の臨在を感じます。
霊に戻った霊体には、嘘は隠せません。くれぐれも注意してください。

2006年09月25日

藤岡宣男命上がり一年祭

本日は、pm3:00よりpm10:30の間、一時間ごとに祝詞献上します。

この一年、一度たりとも藤岡のことを思い出さない日は、ありませんでした。それは長い道のりでした。藤岡の歌声を残すべくコンサート活動も続けて、これからの人生を藤岡の歌声を伝える、残すということに邁進すべくの考えでした。
これからも、そうです。

再現芸術であり、瞬間芸術が声楽です。本来は、その時で、すべてなのですが、録音技術のお蔭で、歌声を残すことが出来ました。
伝える必要があるのは、藤岡の歌の「もののあわれ」という普遍性です。
それについては、多々書いていますので、省略します。

藤岡の口癖でした。僕は、勉強したい。向上心は人一倍強かったのです。私は彼が、ドイツ語、フランス語、イタリア語を学んでいたのを、目の当たりにしました。
実に、よく学んでいました。そして人体のことです。歌うための体を作るということを、様々な形で行なっていました。
良いといわれる治療法、等々、多くの場所に通い、専門家以上の知識を得ていました。

人が死ぬのは悲しいけれど
いつか人は死んでゆく

それが早いか、遅いかの違いです。
藤岡は、よくよく生きたのです。命の讃歌を生きたのです。

本日、私は日本の伝統に従い、神呼びをし、藤岡と共に過ごし、共に食して、楽しく語らい、神祭りを行ないます。
「清く明るき、直き心」日本人の神祭りの醍醐味があります。

2006年09月26日

いつも新しい

一年祭を終えて、再び歩き始める。
藤岡は有名ではなかった。知名度は低い。それが幸いした。
これから藤岡の歌を新しく紹介できる。手垢のついていない声楽家として紹介するへことが出来る。

私は、毎日が新しい時との出会いをしている。
いつも新鮮でいられる。それは藤岡の歌も、そうである。

この人生の無常迅速を超えて、いよいよ人生の醍醐味である、ラストスパートである。
新しいテーマである歌が、私の前にある。
藤岡の影を慕いて行く。

生きるとは、思い出である。
日々思い出を作り出して生きる。
あらちの世界へ行く日まで、思い出創りをして生きる。

2006年09月27日

それぞれの追悼

藤岡と縁のあった皆様が、それぞれに一年祭の追悼を成していたと想像します。
ありがたいことです。

私の霊学へから、皆様に申し上げます。
心霊は、その人の心の、思い、想い、念いを受け取ります。
小手先の読経や、祈りは通じません。
霊界の人霊は、思い出せば即座に、あちらも思い出してくれます。
すべて想いの世界なのです。
多くのお花、供物等々は、必要ありません。
もし、それに捕らわれているとしたなら、その人の霊は、幽体か、三次元に近い霊的場所にいて、現世と同じように過ごしています。

すべからく、霊界入りした霊人は、人の心の想いを頂きます。
すべてを見抜いていますから、小手先での想いを即座に見抜きます。

深い哀悼の意だけでいいのです。

藤岡の霊位は自由を得ています。
即座に反応します。
皆様の心のレベルにより、その表現を変えます。
ただし、霊界は、上下という世界が非常に厳しく、藤岡がこちらのために祈ってくれること多々あります。
下からは、上に逢うことはできません。
上の者からの歩み寄りを願うためにも、涼しき、澄んだ心のあり様が必要です。

日本人は尊敬する霊人を、神と尊称をつけてお呼びしました。
霊位には礼儀作法をもって臨むということです。

私も、藤岡の霊位に対しては、藤岡宣男の命と、呼び掛けます。

2006年09月28日

言論の自由について

昨日の、告知板を読んで、私を排他的で、他を認めない。そして私の本性の心の闇に皆、気づくべきであるとの、匿名の書き込みがあった。
昨日の告知板に、排他的なことは一切書いていない。
恐れ多いが、仏陀と同じく、すべては心のあり方であるということを書いたまでであり、他の方法を認めないとか、そんなことを一切書いていない。
では、匿名の人は、何故、そのように感じたかと言えば、私の文に自分の心を写したといえる。つまり、自分の心の闇と、自分の排他的なことを、私の文から、焙り出したということである。
さて、言論の自由を成すことが出来るものは、匿名でのものではない。
どこの誰が書いたかを明確にすることが、言論の自由を遂行できる。
匿名という卑怯に方法に、言論の自由はない。それは単に、ヤジになる。
掲示板等、大半が匿名での書き込みである。
好き勝手に書き込みが出来る。これは現代の闇である。
覆面をして、何を言うのか。
よくよく考えて欲しい。
私に何故、歌うのかと問うた者も、匿名である。自分の興味のために、人に言わせてはならないことまで言わせて、それも匿名のなせる技である。
そこに言論の自由などない。
書くことに、責任が伴うこと。それが言論の自由であり、今のところ、二つの掲示板等で、言論の自由を言えるのは、私のみである。
後は、皆、覆面である。何を言っても、許されると思ったならば、それはとんでもないことである。
何故、堂々と、名を名乗らないのか。今、一度、自分に問い掛けることである。
私の前に、顔を出せる者、それのみが、書いたものの責任を負う。責任のない文は、実に、無効なのである。

2006年09月30日

宣男君へ・・・との手紙

事務所に一通の手紙が届いた。藤岡の古い友人からである。玉ぐし料が添えられてあった。
曰く、僕は君のことを忘れて、君の分まで生きます。と。
一年を経ても、なお同じように藤岡の死を悲しむ人がいる。深い想いにかられた。
もし、藤岡を忘れて生きるというならば、それを否定することはできない。
忘れるという言葉には、忘れられないという想いがついていると思われる。

私も、ある高齢の方から、忘れて生きることですと言われた。
それは人生の処世であろう。忘れた振りをして生きるということだと思う。
思い出せば、悲しいでしょうとも、言われた。その通りだ。
忘れた振りも私は出来ないので、藤岡を心に抱いて、生きると、決めた。

そう遅くない時期に、私も死ぬ。
死ぬということが救いになるのである。
焦って死ぬことはない。確実に死ぬ。それでいい。

2006年10月06日

無題

2001年2月より藤岡と立ち上げた、オフィスTWにより、素人の私がクラシックコンサートを開催するという暴挙に出て、藤岡がいた頃は、ケンカをしつつ、私の行動が制御されていまたしが、今は、まさに暴走しています。
思い起こせば、利益の出ないコンサートを開催してから、秋の夜の雨の音、そして月を眺めてゆったりと酒を飲むこともなくなりました。
救いは、私は自分の作ったものが一番美味しいので、それが今は唯一救いです。
部屋は、泥棒に入られた状態。
音楽史から美学、芸術哲学、はては演奏法等々、どうしてこんなことになったのかと不思議です。
この頃は、藤岡が、再び制御をかけてくれて少し、立ち止まっていますが、それでも以前のようではありません。
私は和芸で生きるはずだったのですが・・・
そして風情を生活にしてと・・・
藤岡が残した音楽に関する書籍も読破しようとしている、この根性が何なのかと、再び佇んでいます。矢張り、藤岡は、それも制御します。
木村さん、もういいんだよという声です。
しかし、どうしても私は、それを成したいと思います。
あと少しで人生も終わります。
20年生きて、精々でしょう。無為に生きたくない、ただそれだけです。
しかし、風情を忘れては、日本人としてすたれると、間合いの中にある、存在の確かさである、ゆらぎを感じたいと思っています。
しかし暴走は、免れないことのように思います。これは私の前世の因縁でしょう。

2006年10月11日

藤岡と思念交流しました。

多くを語ることはできませんが、昨日、私は藤岡と思念で話をしました。
私は、霊能者ではありません。
その死後の時から、今の状態まで知ることが出来ました。
いずれの機会に話します。

藤岡は即座に幽体を捨てましたので、幽霊になることはありませんでした。
ただ、藤岡が枕元に立つという妄想の人がいましたが、邪念による妄想であり、全く検討違いのものです。
心にやましいものがあったのでしょう。

思念交流をするとは、亡くなっても無くなっていないということです。
藤岡は、いつも私と共にいるといいます。
互いに感謝の思いで一杯になりました。

多くを書くと、書いている間に消される可能性がありますので、これ以上は書くことができません。

追伸2

藤岡が私と一緒にいるということを誤解されている方がいますので、申し上げます。
私と一緒にいるいっても、霊体ですから、他の人、100人、1000人の人とも一緒にいられる訳です。
つまり次元が違います。物質界ではありません。純粋、思念の世界、想念の世界です。
この次元を超えていますから、一人は一人のみということはありません。
簡単に言うと、背後霊として在ると言ってもいいでしょう。
藤岡も、生前背後に、シューベルトや、マリアカラスが縁しました。
自分が弾いたことのない曲も指導できたのは、そういうことです。
背後に縁するほど、藤岡は、ある段階まで進んでいるということです。特に、宗教的毒素を受けなかったので、スムーズに霊界入りすることが出来ました。
これ以上の説明は避けます。

2006年10月19日

雑感

藤岡が亡くなって一年を過ぎる。
多くの中傷、誤解による噂も無くなった。しかし、言った者は忘れているだろうが、言われた私は忘れていない。
勿論、それの仇を取るつもりは毛頭無い。そんなことをしては地獄に落ちるだけである。しかし、私は言われたことを忘れていないということを言っておく。
物の見方考え方には、百人百様の様がある。私は、それを肯定する。
これが一番正しいなどとは言わない。
しかし、時にアホがいて、私は、他の考え方を認めない、心の闇があるという、心底のアホもいる。それが世の中であるから、放っておくが、いずれ私に逢うことになった時に、どうするのであろうかと思う。決して逢わないということはないのである。
いずれ、礼儀作法の無い者どもを名指してで書くことにするが、勿論、下々は、書かずともよい。世の中に影響力を持つアホに言う。
日本は素晴らしい国である。言論の自由がある。ただし、私は私の書いたものに、責任を負う。匿名などという卑怯な真似はしない。
ご期待ください。

2006年10月20日

クラシック界における権威喪失

いよいよ目にはさやかに見えねども既成の権威が喪失し始めている。
やはりオペラはイタリアです。といえば、日本のオペラは、どうなのかという話で、平気でそういうことを言う。猿芝居より劣るということを自らが認め始めているという不思議。それに気づくことなくである。
コンサートに行き、聴く価値があるものは何か。
何故コンサートに行くのかということになる。
時代はいつも危機に面している。いつまでも同じ状態はあり得ない。
新撰組がいなければ、明治維新は、もう少し早まったであろう。悪あがきになるのか否か。時代はいつも新しい。そして新しいものに、いつも抵抗する愚か者がいる。
歴史をもっと学ぶべきである。

辻あやかのピアノ指導について

指導しているのは、藤岡宣男です。そう、故人です。
信じられないでしょうね。でも、本当です。
歌も指導されている人もいますよ。
辻あやかの場合は、忍者さんと呼んでいる方が、付き添っています。勿論、才能があります。しかし、その方は、あくまでもお手伝いであるといいます。というのは、藤岡がコンタクトして、指導の様を指導するからです。

信じられないでしょうね。
信じる人は騙されますから、私も、これ以上は説明しません。

歌を指導されている方も、生前の藤岡の言葉通りに、練習しています。
ただし、私が、それを認めない場合は、そうではありません。
空想、妄想の人もいるからです。
霊的なことを知る人は少なく、また、霊的なことも、その段階があります。
ご病気の場合もあります。非常に鑑定が難しいことです。
宗教的な意味での霊的ではありません。宗教の霊界は、非常に低い段階にあります。

これ以上は、またあらぬ噂、私が宗教をやっている等々、色々詮索されますから、止めます。私は、霊能者ではありません。また妄想たくましい宗教家でもありません。

2006年10月23日

音楽史

私のホームページの新沈黙を破るの音楽史が、単独に読めるようになります。
新しい音楽史のアプローチということで、管理人が決定しました。
ただいま、バロック期に入るところです。是非、一読下さい。素人の書くものですから、非常に理解しやすいと思います。
勿論、多くの文献から示唆を受けています。特に、藤岡宣男所有の書籍が主です。
まさか、音楽史を書くとは思いませんでした。余計な話も多く、飽きずに読めます。

2006年10月24日

ピアノに関しての雑感と指導、レッスンに思う

ピアノの音は、非常に野蛮な音であり、通常あれを引き続けるということは、人格破壊を招くことにもなりかねないと考えています。
あの民族にしての、あの楽器です。私の音楽史を参考にしてください。
あれほど許容範囲のない音を求めるピアノです。音には、許容範囲があって、音の素晴らしさがあると、考えています。ですから、ピアノを弾く、プロとして弾く場合に、心の許容範囲が必要だと思います。
ピアノ弾きの大半が、通常の神経でないことは、ピアノの曲を創作した人の生活、性格をみれば理解できます。
さて、辻あやかの指導ですが、今は、子供に指導することは許していますが、物理的に、教えることは出来ない状況です。自分のテーマのソロ練習の他に、事務所主催のコンサートの伴奏があり、来年は木村天山との日本の歌の伴奏をしなければなりません。
時間がありません。
どうしても、辻あやかに師事したいという場合は、オーディションを受けてもらいます。レッスンの時間も限られます。
ピアノは楽しみで弾いていることが理想です。あれは人間がマジになって取り組むものではありません。
例えば、10時間練習するなどの話を聞くと、狂っているとしか思えませんし、長く練習すればいいものでもないと思います。才能が無い場合は、即座に諦めるか、楽しみ、趣味で弾く程度が理想です。
日本人の感性を持っていれば、あれは別感性のものです。
私が嫌いなピアノを辻あやかが、私の好きな、好きになるであろうピアノの音にしてくれているので、かろうじて聴くことが出来るのです。
ピアノ演奏で感動しているというのは、音に対して根本から、ある狂いがあるのです。
それは、またいずれの時に。
私は、虫の音を長く聴いて楽しめますが、ピアノの音では長く楽しめません。しかし、欧米人は、虫の音を雑音として聞きます。この感性の違いです。

2006年10月25日

本日は、藤岡命上がり395日です。

私は藤岡に何も返すことが出来ませんから、本日、藤岡の遺志に添って、コンサート活動を続け、演奏のチャンスを多く作ることにより、音楽家を育てさせて頂かせたいと思います。
全国に音楽が心にやさしいものであることを訴えたいと思います。それはまた、一つの平和運動であると考えます。

藤岡宣男の霊位に、栄はえたまえ、守りたまえと申す。

2006年10月27日

今日も気づきの日

今日が結縁の日、今日が神の恩寵の日、今日が悟りの日、今日が目覚めの日、そして今日が最後の日と思えば、今日を最高に生きるしかない。
世阿弥が初心忘するべからずと言う。それは、最初の日のことではない。今日の初心である。一年生の初心と二年生の初心は違うのである。
これを別の言葉にすると、