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善意について アーカイブ

2007年02月09日

善意について

さんざんに迷ったあげく、書くことにする。勿論、誤解され非難されることは、承知の上である。
四月から、財政再建団体に移行する夕張市の社会福祉協議会に、全国から支援物資が届いているという。年明け以降から電話が鳴りっぱなしであり、職員は、その対応と、支援物資の作業に追われ、通常の業務に支障が出て、ついに、今後は物資を受け付けないことに決めたという。
これが善意の形だと思う気持ちが、どこから出るのか、私には理解出来ない。
ある道内の大物歌手も、100万円の買い物をしに行ったという。その他、多々ある。
夕張市の問題が何か、と考えているのかと、私は佇む。
私も道産子だから、人事ではない。夕張市だけではなく、今、今後、どれだけの町や市が財政破綻するのか、わからない状態である。
自然災害の事態ではない。神戸や新潟の場合と違う。
可哀想であるという気持ちなのか・・・
この場合は、善意であるとは思えない。気休めの善意である。そして場合によっては、善魔ということにもなる。
個人で言えば、自己破産したのである。自己破産した場合は、どうなるのか。
自己責任である。それに伴う諸々の事を受けるのである。
何年にも渡って、放漫経営をしてきた結果のことであろう。市の幹部が粉飾決算をして、誤魔化してきた。国際映画祭等々の催しを私も知っている。
市民の市政への自覚等々が問われる。
夕張は炭鉱の町としてやってきた。そして全国にも、夕張メロンで知られる。
善意の行為は、持続して始めて生きる。その時の気分で何事かを成すということは、とんでもない過ちとなる。
物資を受け付けないという決断は、実に正しい。
問題が違うのである。
これから廃墟と化す町が多くなり、その度に、支援物資を送り続けるつもりなのか。焼け石に水ということになる。夕張市民が、どこまで自分の町を愛するのか、ここで問われる。町起こしを自分たちの手でしなければならないか、もしくは、町を捨てるということになる。市の職員は大量に退職する。要するに逃げる。
私は評論家や識者でないゆえ、これ以上の言葉は避けるが、どうしても支援したいと思うならば、金を出せ。
要するに、借金で首が回らなくなったのである。
例えば、世界的に誰もが批判できないような善意の人、マザーテレサに対しても、私は思うところがある。善意とは何かという問題を、いすれ真剣に問いたい。
日本には、まだまだ本当に善意が必要なところが多くある。それは政治、行政のテーマでもあろう。
支援を受けなければならない子供たちも沢山いる。いや、皆が支援しなければならない子供たちだ。
長くなるので、以下省略する。
思いつきの善意が相手を傷つける、相手の品位を貶めることも多々あることを言う。

善意について2

藤岡とよく善意についてを話し合っていた。
ある時、心臓病の幼児の手術をするための資金に、募金とコンサートの売り上げを差し上げたいということで、そうしようということになった。ところが、その子は、亡くなってしまった。
落胆した。
今、出来ることは何か。

藤岡は、札幌の財団ヤマハにいた頃、ダウン症の子供たちのための音楽教室、療法を立ち上げた。それは善意の気持ちであるが、善意というものは、実によく計算され、実に、よく考えられなければならない。
単なる気分の善意は、善魔となる。
インドのアシュカ王は、仏の供養のために、全財産を捧げた。
主イエスも言う。あの老婦の献金は、彼女のすべてであると。
すべてを捧げる善意というものが、本当の善意であるが、そうすれば自分が成り立たなくなる。
一億を持つ人が一円の募金をする。これ、単なる気分の善意である。
ボランティアということを、考え直す時である。
欧米の人がボランティアという時は、主イエスの言葉「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」という言葉に支えられる。
さて、非難を受けること承知で言う。
インドの聖者となった、マザーテレサの行動である。
誰もが認める善意の行為を成した。しかし、私は言う。彼女は、その行為を、この世ですべて報われたのである。
そして、インドという地の環境を何一つ変えることが出来なかった。仏陀も然り。
今でも、カースト制の中で、つまり魔界の中で生きる人々である。

最低のカーストにいる者も、いつ最近、学業によって、地位を得られる政策を取ったが、最高位のカーストの若者が、それを阻止するデモをするという土地である。
あの国での善意は、大海に一滴を注ぐ行為である。
そして善意を、最も象徴的に成せる国である。
マザーテレサは、カトリック教会の広告塔の役割をしたに過ぎないと私は言う。
ローマ法王の許可を受けて、その修道会を設立した。何故、個人として成すことを、しなかったのか。
それは、魔界の関与である。
9割以上の人の反感をかえうであろうことを、私は言う。
捨て置かれた人に愛をとは、嘘である。捨て置かれる因縁がある故の、捨て置かれるである。
主イエスは、障害者を見た弟子が、何故あのようなことになるのかと尋ねると、彼らの上に神の栄光が下ったと言った。それは、因縁、自業自得のことである。
自己責任を言う。

だから、この世で、ただ今幸せ、溢れる程の金を持ち、施しの気持ちも持たない者は、来世、どのような試練を自分に果たすか、知れないのである。すべては、吾が、決めることである。
人は、生きられない生き方は出来ない。
生きられる生き方のみ出来る。
そのようにしか生きられないのである。
善意の人は、善意に、悪党の人は悪党に・・・
それを誰が決めたか。自らである。
この意味が解る人は、幸いである。
これを語るに、全世界の本を持っても語ることは出来ない。

あえてすべての人の非難を承知で、私は書いている。
善意については、もう語らない。私は、ただ行為することにする。それも、そうでしか生きられない私ということである。
私は、非常に苛立っている。言語は通ずるが、言の葉は通じない、この世に。

千利休の辞世の句にある、我が、この宝剣祖仏共に殺す。今このときぞ天に上げ打つ、という心境である。

新興宗教の開祖、親鸞は、父母のために念仏はしないと言う。自分が仏になれば、父母を救えると言う。嘘である。
それでは、日蓮は題目を唱えて救われると言う。嘘である。
一人でも人を幸せにすることが使命であるという教祖がいる。嘘である。
実相の世界に病は無いという教祖がいる。嘘である。
すべて、因果応報、自業自得が、この宇宙の法則であること、真実である。
それでは共産主義が救いとなるか、嘘である。
それでは民主主義が救いとなるか、嘘である。
すへで進化の段階にあるということを言って、終わりにする。
語りきれないゆえに、私は語り続けてゆく。

2008年06月07日

テラの会活動について

テラの会の活動は、戦争犠牲者追悼慰霊から、はじまった。
それは、私の潜在的な、長年の希望だった。

最初に、サイパンに出掛けた時に、日本軍の幽霊が出ると言われた、20数年前を、思い出し、その頃から、何かしら、今の活動を促す心得が、出来ていたように、思う。

今でも、まだ、日本兵の幽霊が出るという場所がある。

幽霊などは、存在しないという人には、理解出来ない話である。
だから、私の活動は、極めて個人的な、活動なのである。

悲しいではないか。
国の命令で、何も恨むことのない、他国の人を殺しに行くのである。しかし、逆に、殺されることも、多々ある。
死んで、幽霊になっているとしたら、こんな悲しいことはない。

ガダルカナルでは、戦士より、餓死の方が多かったという。
餓死して、死んで、幽霊になっているとしたら、こんな悲劇なことは、無い。
私でよければ、行きましょうと、いうことだ。

勿論、多くの人が、追悼慰霊を、行っている。しかし、それでも、漏れている人がいる。私は、その人の霊のために行く。
その人の、霊とは、肉体と、霊が、死によって、分離されてある、霊のことである。肉体は、土に返る。それでは、霊は、どうなるのか。とりあえず、想念のままにある。
悄然と佇む、霊もいるだろう。未だに、である。
以下省略。

さて、回るところは、戦場となった、アジアの国が多い。
そこに行き、そこの人々との触れ合いから、子供服の支援が、始まった。自然な行為である。

ついでに、支援する。
それ以外の、大義名分は無い。
屁理屈も無い。

そうして、何度か、繰り返して、追悼慰霊を行っているうちに、どんどんと、活動の範囲が広がった。
コンサートも、その一つである。

昨年、6月のタイ・チェンマイを皮切りに、12月のバリ島での、コンサートである。
そして、ガムランとの共演は、前代未聞だった。
それは、バリ島の、歴史に残る。
大袈裟ではない。
日本の歌と、舞踊を、ガムランと共に、行ったのである。

そして、今年の5月は、更に、歴史的なコンサートであった。
ガムランと、日本の舞の、共演である。
更に、辻知子が、絽の着物の、黒留袖という、正装にて、コンサートに参加したことは、バリ島はじまって以来のことである。

異文化との、交流が、何の抵抗もなく、スムーズに行われた。
画期的と言わずして、なんと言うのか。

更にである。
辻知子の、CDが、バリ島に流れるということ。
そして、更に、藤岡宣男の歌声が、バリ島に流れるのである。

これは、私の成功である。
世界の入り口バリ島で、藤岡宣男の歌声を、流せるというほど、私の幸せはない。

来年は、バリ島の至る所で、藤岡の歌声が、流れる。

バリ島には、テラハウスという、ゲストハウスが、出来る。
活動の拠点が、出来るのである。

日本文化のセミナーと、日本語セミナー、及び、定期コンサート等々。
また、バリ島ウブドゥの芸術の村の一つ、クトゥ村の奥にて、テラハウスがあるという、行幸である。
そこから奥へは、観光客は、ほとんど入らない。

地元の人々の暮らしの中に入って、滞在出来るという、ゲストハウスになる。

さて、次に、タイである。
ただ今、チェンマイにて、コンサートを開催しているが、次は、バンコクにて、開催する予定である。
そして、タイは、バンコクを、拠点にすべく、ただ今、計画中である。

バンコクから、ベトナム、ラオス、カンボジア、そして、ミャンマー・ビルマである。

追悼慰霊だけではなく、衣服の支援を続ける。
バンコクに、衣服を運び、それを、各国に運ぶのである。
勿論、私の個人的活動である。

更に、コンサートを開催して、日本の歌を紹介する。

追悼慰霊は、昨年の、チューク諸島から、更に、ラバウル、ガダルカナルへと、続く。
そして、オーストラリア、アボリジニの犠牲者である。
ほとんど、それは、知られていない。
日本人の、犠牲者ではない。

当時、アボリジニの村に、軍事施設があったことにより、日本軍が、攻撃している。
また、当時は、原住民であった、アボリジニは、オーストラリア政府から、同化政策を取られて、瀕死の状態である。

誰も、日本軍攻撃の事実を知らない。
ダーウィンという、町のことは、戦争博物館で、知られている。

オーストラリア政府も、日本政府も、無視していたのである。

今年の一月、オーストラリア政府は、議会で、正式に、原住民族である、アボリジニに、謝罪した。

ちなみに、今年の六月、日本政府も、アイヌ民族を、原住民族であると、認めたのである。

これを、時代性という。または、時代精神という。
長かった。本当に、長かったと思う。

原住民族に対する、無礼は、極まりなかった。

アボリジニの、戦争犠牲者など、物の数ではなかったという、悲劇である。

私は、極めて個人的な活動として、追悼慰霊を、行う。

前代未聞、初めてのことである。
しかし、それは、密かに行う。

仰々しく、行うことは無い。
私の個人的、情緒である。

この世は、地獄である。
あの世に、地獄など無い。
この世が、地獄なのである。

一人の物思いなど、何ほどのものか。
歴史は、多くの人を犠牲にして、成ってきた。

決して、侵されることのない、場所にいて、云々することは、容易い。

私は、悲しむ人と共に、悲しむことを、選ぶ。いや、それは、すでに過去のものになった。私は、過去と、共感するのである。
何度も言うが、それは、私の、極めて個人的、情緒である。
他の何物も、それには、介入できない。
私は、組織を持つことなく、ただ、個人として、それを、行う。
それで、善し。
言うことも無い。

時を経て、私の行為も、無虚に帰すことを、知っている。
それで、いい。

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