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新沈黙を破る アーカイブ

2007年05月12日

みたび沈黙を破る

みたび沈黙を破る。
藤岡崩一年半を過ぎた。
ただ今も、私は、喪中にある。

まだ、藤岡を私から切り離そうとした多くの人々である。
何故、私と切り離したかったのかは、明白である。
心、正しくないからである。
つまり、自分の心の様を、私に写すのである。
その姿を持って、私であると、思う。それは、自分の姿なのであるが・・・

生前の藤岡は、よく言っていた。
木村さんに、自分の心の有様を写すから、木村さんを敬遠する人は、心にやましいものがある。木村さんに対する態度を見れば、その人が解ると。

さて、札幌の自称陶芸家は、カトリック作家と銘打っていた。
藤岡のファンを任じていた。
私も、彼女の陶芸品に、書を書いて売った。残りもあった。それも、売るはずだったが、何が気に入らないのか、突然の宣戦布告である。木村に対して信用を失ったというものである。
新潟で販売する計画を、私が中止しにたことが、気に入らなかったのか・・・
よく解らない。
そして、言う。作品を返してくれと。
自分の権利は主張するが、人の権利は認めない。
書は、私のものである。
しかし、それには触れない。
私は、即座に、縁切りの、清め祓いをして、送った。それで終わり。
しかし、藤岡には、私と縁を切れとのアドバイスである。

カトリックとは、あの悪名高いキリスト教である。
汝の敵を愛さない、キリスト教徒である。
私も、洗礼を受けた、カトリックである。言うなれば、魂の兄弟と言う。
同じ、カトリック同士でも、こうであるから、他は、押して知るべし。

そして、自分のホームページに、勝手な解釈を堂々と載せる。
七ヶ月、私は、放置していた。しかし、多くの人から、問われる。どういうことなのですかと。私が、彼女に非礼をしているようなイメージである。
まず、県警に通報し、彼女に、削除の依頼をした。すると、即座に、木村から脅されていると藤岡に電話が入った。
藤岡から、それを聞いて、私も驚く。

自分が、そうだから、人もそうだと思う証拠である。

何度かのやり取りの後で、事はすべて済んだ。
私が訴えを起こせば、どうなったのかを考える頭の程度がない。
自分の作品には、権利があり、私の書には権利がないと考える程度の、アホである。

この程度の者が、藤岡に、私と縁を切れと言う。
藤岡は、自分の事務所を持ちますと、答えた。穏便を好む藤岡であるから、FAX専用の電話を、自分の事務所の電話にして、対処した。

乗り越えられない苦難を神は与えないと、彼女は言う。
私は言う。
すべては、自業自得のこと。苦難も、自分で蒔いた種である。
どうして、そこに神が出てくるのか解らない。
しかし、クリスチャンの多くが、そんなアホなことを言う。

お前が、神と同じレベルの世界にあるか・・・と、私は言う。
まあ、旧約聖書の神ならば、神もどきの、魔神であるから、レベルは合うだろうが、主イエスは、違う。
苦難も苦痛も与えるはずがない。
こうして、勘違いの信仰を信仰と思い込む辺りは、救いようがない。

ミサでは、私の思い、行い、等々の罪を許したまえと祈り、主の平和と皆々、声を掛け合う。教会にいる間だけは、善人であり、教会から出ると、鬼になる。
それを、彼らは、知らない。
知らないから、クリスチャンを、やっていられる。

私は、最後に彼女にFAXを送った。
キリスト教教理を学ぶ前に、仏教と、儒教を学び、人間としてのあり方を身に着けてくださいと。

藤岡の対応は、波風立てないものである。
実に見事であった。

藤岡亡き後、お悔やみの言葉も無い。
信じられないのである。

そして、不幸、苦難、苦悩が押し寄せると、神を持ち出すのであろう。
地に足がついていない者が、いくら信仰しても駄目。
そして、馬鹿は、死んでも馬鹿である。
きっと、死後、素晴らしいキリスト教霊界に行くのであろう。

ちなみに言う。
九州全域で行われた、キリシタン迫害で死んだ多くの、キリシタンの霊は、次元移動せずに、浮遊している。
キリシタンで、救われると思い込んだが、まだ、この世に浮遊する。
誰も、彼らを霊界に上げることが出来ない。
長崎の巡礼の地に行き、具合が悪くなる人、多々あり。

雲仙の地では、世界最悪最強の拷問が行われた。
私は、その拷問の様をすべて調べた。
阿鼻叫喚の拷問に死んだキリシタンたち。彼らの拷問は、まだ終わらない。しかし、誰も、それを終わらせてしまう者はいない。

イエズス会は、当時のプロテスタントの隆盛に、カトリックの巻き返しを図るために、生まれた。
イグナチオ・ヨロラは、若いとき、さんざんの放蕩を繰り返して、結果的に、神への信仰を強固にし、神のために立ち上がる。
この若い時に、放蕩するというところが、味噌である。
遊びつくしたから、神に改心するかという体たらくである。
立派な人である。今では、聖人である。
そして、フランシスコ・ザビエルである。
日本を、ローマ法王直轄の地にするべく、布教に来る。
要するに、侵略である。
それに乗せられた、キリシタンたち。憐れである。

秀吉が、法王の計画を知り、手を打ったから良かった。
そうでなければ、今頃は、日本も、ローマ法王を主として、国教キリスト教になっていたかも・・・
家光も、正しい。徹底的迫害をした。いや、迫害ではない。国を守った。
それで得をしたのが、偽の仏教団体である。
徳川家光から、全国民、仏教徒になった。そして、現在まで、僧たちは、のうのうとして、何代にも渡り、嘘八百の仏教なるもので、国民を騙している。

誤解されないように言うが、私は、信徒たちに対して、何の批判も非難もない。
信徒は、それでよろしい。
ただ、宗派宗団に言うのである。

現在、ローマ法王は、その本性を現し、アジア系の枢機卿を解任させて、白人支配を始めている。
あの人相を見れば、どんなことか解るが、カトリック教徒には、解らない。
これ以上は、命の危険があるので言わない。

キリスト教神学に、主イエスは、いない。
だから、クリスチャンの多くは、偽者である。
上記の、自称陶芸家も、然り。

今、あの当時の、ナザレのイエスが現れたら、まず、キリスト教徒に殺される。
そしてもう一つ、キリスト教徒のために言う。
新約聖書のイエスの言葉を本当に理解することは至難の業である。
あの当時のユダヤ社会にあっても、仰天する説教を繰り返したのである。
ムードではない。命掛けの説教を繰り返した。
「信仰薄い者たちよ、神の国と、その義を求めよ」
これを実行する、キリスト教徒に、まだ会ったことはない。
まだまだ、言いたいが、以下省略する。

2007年05月15日

みたび沈黙を破る2

藤岡は、ベランダから転落して、死亡した。
変死であろうか。事故である。

多くの人は、自殺ではないかと言う。
人は、人のことを勝手に想像する。人の不幸は、蜜の味ともいう。
そういう者が、藤岡の死を詮索した。憐れである。哀れとも言う。

例えば、自殺なら、どうだと言うのか。

多く、藤岡に縁した者がいたが、お別れの会にも出席せずに、噂のみを、撒き散らしていた。
いつか、私と、どの面下げて会うのかと思う。
いや、私になど、会わないと思っているのであろう。それが、愚かである。
いつ、いかなる時に、会うのか、誰も知らないのである。
人生とは、そういうものである。
さて、私に、どの面下げて会うのか、楽しみである。

女というものは、実に、愚かである。
そのような噂を好むのは、圧倒的に女に多い。
そして、女に準じた者、オカマとか、ホモである。
自分の鼻糞を見ずに、人の鼻糞を笑う。そして、尻糞をつけていることを忘れる。哀れである。それ以外の何物でもない。

多くそういう者どもが、ありもしない噂を流し、果ては、詮索して、平気である。
藤岡は、それらを、すべて見ている。
死後、藤岡に対面した時に、何と言うのか、見ものである。が、しかし、彼らは、それを知らない。知らないことは無いことであるから、実に、悲劇的である。

何度も書いたが言う。
死んで無くなることはない。亡くなっても、無いならないのである。
死者を思えば、即座に背後に立つ。もし、正面に立てば、憑依するという暗示である。

死後の世界など無いという者に、在ると説得はしない。している暇は無い。
どうせ、皆、死ぬのである。その時に、知る。いやいや、死後、昏睡して、50年、100年後に目覚めて、ようやく、死を悟る人もいる。

何故、昏睡するのかは、死に移行する際に、とてつもない痛みに耐えられないからである。ただし、死後の世界を知る人は、スムーズに行く。不思議である。

一年ほど、この世と、あの世を行き来する霊もあるが、霊界の様を知れば、もう、この世に未練は無くなる。どんなに恋しい人がいても、霊界の様には、適わない。この世が一過性のものであることを知る。
それでも、この世、囚われるのは、幽霊のままに、この世に居る。
怨念、失念、執着等々である。
土地に憑く。金に憑く。名誉に憑く。家に憑く。等々である。
自縛霊というが、自縛幽霊である。
霊体になるということ、幽霊である、幽体を捨てた。消滅させたということである。
知る者は、幸いである。

死後、一年半を過ぎて、もはや藤岡の噂も消えた。
誰も言わない。その程度の噂であった。それで善し。
しかし、突然のように藤岡を意識する自体になる。それは、藤岡が本格的に活動を始めるからである。
芸術家の霊は、死後、本格的に活動を始めること多々ある。
ゴッホなどは、良い例である。
生前は、誰にも認められなかった。しかし、死後の名声は、いかばかりか。

藤岡の場合は、歌であるから、違うといえない。その歌が残っている。その評価である。
突然のように起こる。
その時、愚かな女は、私も知っていたというだろう。
実に、藤岡と親しかったと。私は笑う。大いに笑う。
私の前に出て言うがよい。

私の元には、お別れの会に出席した方々の名簿がある。
私は、まだ生身の人間だから、記憶が曖昧であるが、証拠は、すべて残してある。

2007年06月05日

みたび沈黙を破る3

藤岡の故郷、広島県の福山でリサイタルを開催した。
その際、藤岡の親戚の者も来た。
そして、解ったことは、藤岡の父親が生きているということであった。

藤岡の母親とは、親戚関係にある。
藤岡を認知せず、藤岡は母子家庭の中で育った。

藤岡の父親は、今でも、生き恥を晒して生きているのであろう。哀れである。

藤岡は、暗に父親に会いたいという意思があった。
もうどうでもいいがと、言いつつ、矢張り、会いたかったであろう。

腹違いの兄弟もいる。

広島、原爆を落とされる因縁の地である。
それを知っているのだろうかと思う。世界で、初めて原爆を落とされた。落とされたことを持って、云々という前に、落とされた因縁を考えよと言う。

あの辺り一体は、そのうよな因縁により成る。

さて、藤岡亡き後、私は、藤岡の母親の、成年後見人になるべく、家庭裁判所に出かけた。
結果は、親族が賛成しないという。審議官も、説得したらしい。遺産がある場合は、親族にゆくことになっているゆえ、木村が成っても問題ありませんと。しかし、彼らは、私を後見人としなかった。
そして、その後、誰一人も、藤岡の母親に面会に来るものはいない。

藤岡の母親は、天涯孤独になっている。
勿論、私は、最後まで面倒をみる。

それにしてもである。
これ以上は、詳しく語らないおく。
書けば、藤岡という名前の、因縁の地に住む者を自害に追い込むことを書くであろう。

藤岡の家から生まれた者で、藤岡宣男ほど、優秀な者はいなかった。しかし、藤岡を生んだ、その母は、塗炭の苦しみの中で生んだ。
あの当時である。
私生児を生むということが、どんなことか。想像に難くない。

若い男と逃げて、夫、子供を捨てた、瀬戸内何とかというアホの、作家で、僧侶がいるが、あのような無様な生き方をしても、有名になれば、世の中は許すのである。
藤岡が有名を目指した意味が解る。

私は言う。
福山にリサイタルを開催した際も、満席ではなかった。それを影アナウンス言うと、その後は、侃々諤々の議論が起こり、あろうことか、私に対して批判が湧き起こったという。
あの程度の、町であるから、今も、救われない。

子供の教育云々を言うのであろうが、実質的に何もしていない。
その町から出た者が、リサイタルを開催するというのである、大都会ではない。
あの程度の小さな町である。
その会場の大ホールでは、市長を呼んでの、選挙運動をしていた。
子供の教育など、何も考えていないのである。
あれが、市長を始め、教育関係者が来ることで、どれ程、教育効果が上がったか知れない。

その後、藤岡の母校の、霞小学校から、依頼がきた。しかし、それを目前にして、藤岡は、この世を去った。
後にも先にも、あの一度のリサイタルである。

世界的に有名になる藤岡を、あの程度のもので受け入れた。

世界的に有名になった時、どの面下げて、我らの町から生まれた藤岡であるというのか、見ものである。

さて、藤岡は、親戚縁者との縁をすべて切って、母と二人で生きたというから、私も、それにならって、対処する。
残念ながら、藤岡のすべての物は、私が引き継いでいる。億万の金が入っても、彼らには、一銭もゆかないことを言う。

藤岡の母は、何一つ、持つものがない。
亡くなれば、残るのは、遺骨のみである。

因縁深き、藤岡にまつわる親戚縁者よ。哀れである。
私は、彼らを祝福しない。

みたび沈黙を破る4

藤岡の葬儀は、密葬で行った。
私一人で十分だったが、弟子、どうしても参加したいという方々、10名程度で行った。

葬儀という意味を知る人は少ない。

特に、私は古神道の形で、行う。意味の解らない者が出席しても詮無いことである。
なんとなれば、古神道の場合は、皇祖皇宗の臨在を願い、天津神、国津神、産土神、そして、藤岡家の御守護神、そして藤岡の守護霊の臨在を願う。

要するに、恐れ多くもである。

単に、仏式の葬儀に慣れている者に、その重大な意味が理解されるはずもない。
勿論、神などいない。また、死んだら終わり、霊など、いないと思う者が臨席することは、タブーである。

藤岡とのお別れするなら、別の方法がある。
神聖な古神道の葬儀の場に出られる人は、限られる。

何様のつもりと思うなかれ。
日本人でありながら、皇祖皇宗の天照御大神を知る者は少ない。単なる、神話の神であると考えている。
とんでもない、誤りである。
死んでも、逢うことは出来ない。

その降臨を願い奉りの、葬儀である。
気休めの儀式ではない。

私は、藤岡を高天原霊界の直系として、送った。
暴挙である。その時、藤岡の家系からも、切り離した。
藤岡宣男が単独で、自分の霊界を開けるようにした。藤岡霊界である。

信じる必要は無い。
信じてもらうために、書いているのではない。
密葬の意味を書いている。
葬儀に参加する者の、邪念は、実に愚昧であるから、多くの人の、参加を求めない。

勝手に藤岡の冥福を祈る人も多々いたはずである。
しかし、その彼らの思い、霊界に通ずるのは、至難の業である。
霊界に思いを通じさせるということが、どんなことかを知らない。
単なる、レベルの低い霊界に入るならばともかく、私は、藤岡をある霊界に押し上げるべく、祝詞を上げた。
どこの宗教の霊界でもない。まして、藤岡の家系からの離脱を促した。

簡単に言う。
宗教の霊界のような迷いの霊界ではない。
仏教、キリスト教、その他諸々の霊界は、実に、レベルが低く、話にならない。
極楽だの、天国だの、弥陀の世界だの、皆々、妄想である。
そんな世界は、霊界には無い。

日本仏教の霊界などは、話にならない。勿論、キリスト教霊界などもである。
そして浮遊する霊、幽霊である。
皆々、霊界などに行かない。今、この次元にいる。
そして、それらは、どこにいるのかも、知らないというから、呆れる。
新興宗教などは、哀れである。

以下省略する。
兎に角、密葬の意味を言う。

藤岡は、自分の遺骨をも、見ていた。
その後の様子も見ていた。
一人一人の心の中まで、お見通しである。
死人に口無しであるから、何も言わないが、すべてを見通している。

いくら宗教の教義、教学を学んでも、死後何の役にも立たない。
それから言っておく。
祈りの意味の知らないものが、いくら念仏しても、題目を上げても、主の祈りを唱えても、それは、自己暗示、自己催眠であり、自分を巻くのみ。それを自念という。そうして、精神を病む。
プロテスタントの、寝ぼけたような言葉の祈りは、害毒である。
神よ、今日ここに云々かんぬんと祈る。全く、祈りというものを知らない者の、戯言である。
神よと呼びかけて、はいと答える神ならば、それは、神ではなく、魔物である。
葬儀の帰りに事故に遭うなど、霊障害である。
宗教の集いの後で、事故に遭いやすいのも、そういうことである。

藤岡の遺骨は、今、私の机の傍にある。
墓に入れる、納骨堂に入れるというアホなことは、考えない。
邪霊、悪霊の跋扈する場所に、置ける訳が無い。

遺骨の扱いについては、後日書くことにする。

2007年06月14日

みたび沈黙を破る5

2001年、藤岡初リサイタルの年から、私は、クラシック音楽なるものと、関わった。
それから、藤岡によって、それらを聴かされるようになる。
音楽は、嫌いではない。当然である。

タイ・チェンマイに出かけた時に、ある喫茶店で、懐かしい音を聴いた。クラシック音楽である。
他の店では、アメリカンミュージック、タイ民族音楽が多数を占める。しかし、その店には、クラシック音楽が流れていた。バッハだったと思う。何とも懐かしい気持ちだった。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということを、私はクラシック音楽に感じていたことを知った。
演奏する人間を見るのではなく、彼らの演奏を聴くのであるという、当たり前のことに気づいた。
勿論、やみくもに、嫌いなのではない。
一つ一つの、事柄が積み重なって、嫌いになったのである。

しかし、考えてみれば、関係ないものは、関係ないので、批判などしないが、批判をする、ということは、意識するということで、私は、音楽家が好きなのである。と、これも気づいた。

実に、音楽家は、アホ、馬鹿、間抜け、糞ったれ、クルクルパーが多いが、それとて、愛するべき、存在なのである。

それを語れば長くなるので、省略する。

感情的な私であるから、はらわた煮えくり返ること多々あった。
何様の気になっている音楽家であるから、腹も立つ。しかし、よくよく考えれば、子供の頃から、音楽三昧、いや、親に強制的に、音楽の世界に縛り付けられたりと、大変な人生を送っている。また、頭が悪いゆえに、音楽だけは、何とかと、頑張った者もいる。

東大に入るより、芸大に入る方が、難しいとも言われる。
そんな中を、潜り抜けて、世の中に出たが、生活するほど、稼ぐことが出来ない。頼まれる仕事も、予算が無いからと、平気で、交通費程度で、仕事をしたりする。

私が見たところ、妻子を養うまでに稼ぐことが出来る音楽家は、実に少ない。

国会の質問で、音楽家の収入の少ないことを首相に問う議員がいた。
その時も、日本の音楽家の置かれている状況を、考えさせられた。

私も、あれ以来、すべての資金を使い果たした。
勿論、無名の藤岡のコンサートであるから、当然である。
しかし、素晴らしいものは、世に出ると思ったが、違った。素晴らしくても、マスコミに出なければ、大衆は認めないのであると、知った。

ある、作曲、ピアノ弾きが、兎に角、何でも有名になりたいと言った時、愕然とした。良い音楽をというのかと、思いきや、単に有名になりたいと言った。今は、それを理解できる。有名にならなければ、努力が報われないのである。

これらの原因を探ると、行き着くところは、西洋音楽を教えた、面々である。
手探りで教えて、それだけで、善しとしたのである。教えて、生活が立つから、それで安穏としていた。音楽家が、世に立つことを考えなかった。単に、よく解らないが、教えたのである。そして、虚の権威である。

指導者が最低最悪であった。
それが、今も続いている。
クラシック音楽が、とても格式が高く、普通の人は、無理解できませんと、本気で信じている者もいる。
今も、そういう者がいるから、驚く。

他の音楽を侮蔑するのである。
だから、その反動で、ジャズでなければ音楽ではないという集団も現れる。そして、互いに排他的になり、音楽にとって、悲劇的なことになっている。

アマの人程、音楽を楽しんでいるという現状である。
プロは、大半が性格を歪めている。その理由も、省略する。

何年も、何十年も、報われなければ、性格も歪む。

ここまでに至った経緯が長いので、これを変更するにも、時間を要する。
日本人の世界の中に、クラシック音楽が根付かないということもある。また、今は、ホールで聴くほどのことはない。部屋で、良質な音楽を聴くことが出来る。
ホールにまで行って聴く意味を見出すのは、難しい。

色々な企画のコンサートを開催したが、中に、必ず、藤岡さんの歌は、聴く価値があるが、他の出演者は、なんですか、と批判があった。あれに、あの料金ならば、映画を見た方がよという人もいた。
料金を貰うなら、貰えるステージをというものである。
しかし、歌になっていない者でも、どこの言葉か解らない言葉で歌っても、マスコミに出れば、許されるという不思議である。

結論を避けて、以下、省略する。

2007年06月24日

みたび沈黙を破る6

下手糞なヴァイオリン弾きの女がいた。
私も藤岡も、その積極性に同調して、多くのコンサートでゲストとして呼んだ。勿論、お礼をした。
最初の頃の私は、チケットノルマを持たせるという考え方をしなかった。
何とか、音楽家を引き立てたいと思った。
しかし、藤岡の亡き後で、すべての事の真相を知る。

リサイタルも、私が企画して、何度か行った。最初は、大変な客である。
良かった良かったである。
利益も上げた。
そのうちに、次第に客数が減った。それでも、私は開催することに意味があると、開催した。赤字は、私が補填するようになった。
しかし、アホは矢張りアホで、そのうちに、自分で企画して、リサイタルをする。赤字である。
実に甘い考えであった。

一度、大きな赤字を経験すると、二度と出来なくなる。

下手糞と言ったが、彼女は、脱クラシックを目指していた。クラシックでは、対決出来ないことを知っていた。それは、賢い。
ポップスや、歌謡曲等の演奏もした。
それは正しい。
自分の世界を広げてゆくことだと思った。

そして、藤岡の死である。
彼女も、少なからず、何ならの方法で、それを知ったはずである。
しかし、全く、音沙汰がない。
藤岡のお陰で、私を動かしたのである。
藤岡が亡くなったら、即座に、駆けつけるか、出来なければ、電報でも、花でも贈ることが出来たはずだ。
しかし、それも、しなかった。
今も、何の音沙汰が無い。
いくら、性格が良くても、それでは、世の中が通らない。
いつか、私と会う時、どんな顔をして会うというのだろうか。

下手糞な演奏に、意味を見出したのは、私である。
私の企画により、仕事も得た。
こうして、自分の運を閉鎖する。
自業自得である。

哀れと言うほか無い。
勿論、私は、彼女に恨みも辛みもない。
ただ、哀れと言うしかない。
あの程度の演奏で、騙せるのは、素人である。それも、音楽など知らない素人である。
続く訳が無い。

彼女は、ある時、今、有名になった、秋川というテノール歌手を連れてきたことがある。そして、突然、飛び入りで歌わせた。
同じ大学の仲間だと言う。
今頃は、少し、得意になっているだろうが、長くは続かない。

世は、無常である。
それを理解する程、賢くはない。それが、哀れである。

老いの坂を下るので、これからはお仕舞いになる。
私が開催した、リサイタルが、絶好調、最盛期だった。
実に、哀れである。

まだまだ、哀れな、音楽家の話を続けてゆく。

みたび沈黙を破る7

人間というものは、愚かなものである。
自分の意識以外のことを知らない。そして、なお、それを知らないということである。

自分より才能のある人がいても、それを理解する能力が無い。
例え、それを認めたとしても、矢張り、理解しているのではなく、何となく、そう思うのである。

藤岡に発声や、歌を習っていた者も、そうである。

頭の出来というものは、生まれつき備わったものなので、変更することは出来ない。
どうしても、理解の枠というものに、捕らわれる。
つまり、理解出来ないものは、理解できないのである。

発声を腹筋によるものだと信じきる人がいる。
何度、藤岡が、背筋と、横隔膜であると言っても、理解出来ない。つまり、頭が、動かなくなっているのである。

腹筋を鍛えて、歌が、声が出るという信仰を持っている。

声の響きは、横隔膜の柔軟で決まる。
私は、朗詠をする。ゆえに、腹筋で歌う。しかし、藤岡によって、始めて、横隔膜の力を知る。

私は、北海道の寒村で育ち、海のある場所で、声を鍛えた。
大声が出る。また、声が大きい。話し声が大きい。

これは、民謡を歌う時に、生きる。
だが、響きというものは、大きな声であればいいというもみのではない。

響きは、小さな声でも、可能であることを、横隔膜で知るのである。

この、素人の私が、それを知った。
だから、スラバのように、高音域を歌う時、反り返るという形にはならないのである。
反り返る形が誤りだと解る。
しかし、スラバは、マイクを使用するから、どうしたっていい。小さな声でも、拡張して、響かせることが出来る。
私は、スラバのリサイタルを聴いて、それを知った。
私の横に来て、歌う、スラバの声は、実に小さいものだった。

スラバとは、日本の女が好むカウンターテナーである。
しかし、私は、彼を声楽家とは、言わない。あれは、演歌歌手と同じである。
以下、省略。

さて、藤岡の弟子の中にも、アホがいて、藤岡亡き後、別の先生について、声を台無しにした、ソプラノがいる。
お化けのような、暗い声質になった。勿論、本人は、気づいていない。
哀れであった。

しかし、普通ならば、私は、許すが、藤岡の追悼コンサートの出演を、あんに、断ったことから、私は、捨てた。
チラシに、名前も載せている。それなのにである。
出るのが難しいと私に言う。
しかし、他の者には、何よりも歌を優先して活動すると言った。
つまり、私の事務所の主催で歌っても、詮無いことであると考えたのである。

私は、彼女を藤岡の弟子と認めることが出来なくなった。
二期会にでも、出ればいいのである。
そこで、さんざん金をつぎ込んで、老いる。それで、善し。

多く、舞台を与えたカウンターテナーは、ギャラも無く歌ったと言った。
私は、それも、捨てた。
舞台で、成長するということを、知っての、私の行為である。それを、理解出来なかった。
哀れである。
彼も、老いる。そして、何事も無く、この世を去る。
哀れである。

以下省略。

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