みたび沈黙を破る
みたび沈黙を破る。
藤岡崩一年半を過ぎた。
ただ今も、私は、喪中にある。
まだ、藤岡を私から切り離そうとした多くの人々である。
何故、私と切り離したかったのかは、明白である。
心、正しくないからである。
つまり、自分の心の様を、私に写すのである。
その姿を持って、私であると、思う。それは、自分の姿なのであるが・・・
生前の藤岡は、よく言っていた。
木村さんに、自分の心の有様を写すから、木村さんを敬遠する人は、心にやましいものがある。木村さんに対する態度を見れば、その人が解ると。
さて、札幌の自称陶芸家は、カトリック作家と銘打っていた。
藤岡のファンを任じていた。
私も、彼女の陶芸品に、書を書いて売った。残りもあった。それも、売るはずだったが、何が気に入らないのか、突然の宣戦布告である。木村に対して信用を失ったというものである。
新潟で販売する計画を、私が中止しにたことが、気に入らなかったのか・・・
よく解らない。
そして、言う。作品を返してくれと。
自分の権利は主張するが、人の権利は認めない。
書は、私のものである。
しかし、それには触れない。
私は、即座に、縁切りの、清め祓いをして、送った。それで終わり。
しかし、藤岡には、私と縁を切れとのアドバイスである。
カトリックとは、あの悪名高いキリスト教である。
汝の敵を愛さない、キリスト教徒である。
私も、洗礼を受けた、カトリックである。言うなれば、魂の兄弟と言う。
同じ、カトリック同士でも、こうであるから、他は、押して知るべし。
そして、自分のホームページに、勝手な解釈を堂々と載せる。
七ヶ月、私は、放置していた。しかし、多くの人から、問われる。どういうことなのですかと。私が、彼女に非礼をしているようなイメージである。
まず、県警に通報し、彼女に、削除の依頼をした。すると、即座に、木村から脅されていると藤岡に電話が入った。
藤岡から、それを聞いて、私も驚く。
自分が、そうだから、人もそうだと思う証拠である。
何度かのやり取りの後で、事はすべて済んだ。
私が訴えを起こせば、どうなったのかを考える頭の程度がない。
自分の作品には、権利があり、私の書には権利がないと考える程度の、アホである。
この程度の者が、藤岡に、私と縁を切れと言う。
藤岡は、自分の事務所を持ちますと、答えた。穏便を好む藤岡であるから、FAX専用の電話を、自分の事務所の電話にして、対処した。
乗り越えられない苦難を神は与えないと、彼女は言う。
私は言う。
すべては、自業自得のこと。苦難も、自分で蒔いた種である。
どうして、そこに神が出てくるのか解らない。
しかし、クリスチャンの多くが、そんなアホなことを言う。
お前が、神と同じレベルの世界にあるか・・・と、私は言う。
まあ、旧約聖書の神ならば、神もどきの、魔神であるから、レベルは合うだろうが、主イエスは、違う。
苦難も苦痛も与えるはずがない。
こうして、勘違いの信仰を信仰と思い込む辺りは、救いようがない。
ミサでは、私の思い、行い、等々の罪を許したまえと祈り、主の平和と皆々、声を掛け合う。教会にいる間だけは、善人であり、教会から出ると、鬼になる。
それを、彼らは、知らない。
知らないから、クリスチャンを、やっていられる。
私は、最後に彼女にFAXを送った。
キリスト教教理を学ぶ前に、仏教と、儒教を学び、人間としてのあり方を身に着けてくださいと。
藤岡の対応は、波風立てないものである。
実に見事であった。
藤岡亡き後、お悔やみの言葉も無い。
信じられないのである。
そして、不幸、苦難、苦悩が押し寄せると、神を持ち出すのであろう。
地に足がついていない者が、いくら信仰しても駄目。
そして、馬鹿は、死んでも馬鹿である。
きっと、死後、素晴らしいキリスト教霊界に行くのであろう。
ちなみに言う。
九州全域で行われた、キリシタン迫害で死んだ多くの、キリシタンの霊は、次元移動せずに、浮遊している。
キリシタンで、救われると思い込んだが、まだ、この世に浮遊する。
誰も、彼らを霊界に上げることが出来ない。
長崎の巡礼の地に行き、具合が悪くなる人、多々あり。
雲仙の地では、世界最悪最強の拷問が行われた。
私は、その拷問の様をすべて調べた。
阿鼻叫喚の拷問に死んだキリシタンたち。彼らの拷問は、まだ終わらない。しかし、誰も、それを終わらせてしまう者はいない。
イエズス会は、当時のプロテスタントの隆盛に、カトリックの巻き返しを図るために、生まれた。
イグナチオ・ヨロラは、若いとき、さんざんの放蕩を繰り返して、結果的に、神への信仰を強固にし、神のために立ち上がる。
この若い時に、放蕩するというところが、味噌である。
遊びつくしたから、神に改心するかという体たらくである。
立派な人である。今では、聖人である。
そして、フランシスコ・ザビエルである。
日本を、ローマ法王直轄の地にするべく、布教に来る。
要するに、侵略である。
それに乗せられた、キリシタンたち。憐れである。
秀吉が、法王の計画を知り、手を打ったから良かった。
そうでなければ、今頃は、日本も、ローマ法王を主として、国教キリスト教になっていたかも・・・
家光も、正しい。徹底的迫害をした。いや、迫害ではない。国を守った。
それで得をしたのが、偽の仏教団体である。
徳川家光から、全国民、仏教徒になった。そして、現在まで、僧たちは、のうのうとして、何代にも渡り、嘘八百の仏教なるもので、国民を騙している。
誤解されないように言うが、私は、信徒たちに対して、何の批判も非難もない。
信徒は、それでよろしい。
ただ、宗派宗団に言うのである。
現在、ローマ法王は、その本性を現し、アジア系の枢機卿を解任させて、白人支配を始めている。
あの人相を見れば、どんなことか解るが、カトリック教徒には、解らない。
これ以上は、命の危険があるので言わない。
キリスト教神学に、主イエスは、いない。
だから、クリスチャンの多くは、偽者である。
上記の、自称陶芸家も、然り。
今、あの当時の、ナザレのイエスが現れたら、まず、キリスト教徒に殺される。
そしてもう一つ、キリスト教徒のために言う。
新約聖書のイエスの言葉を本当に理解することは至難の業である。
あの当時のユダヤ社会にあっても、仰天する説教を繰り返したのである。
ムードではない。命掛けの説教を繰り返した。
「信仰薄い者たちよ、神の国と、その義を求めよ」
これを実行する、キリスト教徒に、まだ会ったことはない。
まだまだ、言いたいが、以下省略する。