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      <title>木村天山　告知版（ブログ）</title>
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      <description>藤岡宣男のプロデューサーでもある、音楽事務所オフィスＴＷ２代表の木村天山による、手記です。

告知版の過去ログは、こちらのブログへ逐次移行して行きます。

リンク集
		告知版過去ログ（2006年9～2007年1月）
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		オフィスＴＷ２/日本カウンターテナー協会</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
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         <title>もののあわれについて229</title>
         <description>少将・中将と名のある人々の、同じ細殿に住みて、少将の君を夜な夜なあひつつ語らふを聞きて、隣りの中将

三笠山　おなじ麓を　さしわきて　霞に谷の　へだつなるかな
みかさやま　おなじふもとを　さしわきて　かすみにたにの　へだつなるかな

少将、中将と、呼び名がついている人々である。
殿舎の側面、背面などの、細い庇の間で、私が、少将と、語り合うのを聞いて。
少将とは、作者の親しくしていた、小少将のことである。
隣の、局に住む中将が、詠む。

三笠の山の、同じ麓にいるのに、区別して、霞に谷が隔てられてあるようです。
中将も、少将も、同じ場所の、仲間なのに、あなたに、分け隔てされました。

返し

さしこえて　入ることかたみ　三笠山　霞ふきとく　風をこそ待て

三笠山とは、奈良、春日神社のある、山のこと。

霞の覆う谷を越えて行くのは、大変なことです。風が、霞を吹き払い、あなたが、打ち解けてくださるのを、私の方こそ、待っています。

あなたの心が、打ち解けてくれたら、私は親しくなれるという。

女房たちの、呼び名が、少将、中将、大将と、言われていたのである。


紅梅を折りて、里よりまいらすとて

むもれ木の　下にやつるる　梅の花　香をだに散らせ　雲の上まで

雲の上まで、とは、中宮に、紅梅を、献上したのである。

人目に触れず、みすぼらしい梅の花よ、せめて、香りを、宮中の中に、散らしておくれ。

むもれ木の、とは、下にかかる、枕詞。
やつるる、とは、やつれる、と、使う。やつれたものである。みすぼらしいもの。

梅の花を、卑下している。
つまり、自分の里を卑下しているのである。

雲の上は、宮中である。それは、敷居の高い場所なのである。

卯月に八重咲ける桜の花を、内裏わたりにて見る
うづきにやえさけるさくらのはなを、うちわたりにてみる

九重の　にほふを見れば　桜狩り　かさねてきたる　春のさかりか

寛弘四年、1007年の四月のこと。

今、美しく咲く、八重桜を見ると、桜見物の、春の盛りが、再びやってきたのかと、思われる。

宮中で咲く、桜を見ての、歌である。
桜の花は、華やかに、見える様が、伺える。

にほふを見れば
この、にほふ、とは、美しいという意味である。

にほふ、を、美しいと、解釈した、言葉の、美しさである。

これが、後に、匂うとなり、匂いとなる。
実は、美しさは、匂うものなのである。

香道という世界がある。
それは、香を嗅ぐのではない。
香を、聴くという。

香を嗅ぐ行為を、ものを聴く行為に見立てたのである。

この、見立てる心とは、もののあわれ、である。
また、これを、間合いともいう。
間合いの、確かさが、日本の心である。

すべての、芸術、芸能に、この、間合いというものを、置く。
こり、間合いこそ、もののあわれ、の、真骨頂である。

後に、世阿弥の、花伝書を、読む時に、じっくりと、考えてみる。

上記の歌、伊勢大輔が、宮中に対して詠んだ歌の返歌の、代作といわれる。

いにしえの　奈良の都の　八重桜　けふ九重に　にほひぬるかな

古の、奈良の都に咲いた、桜を、本日、九重の美しい桜として、見ることです。

八重桜は、遅咲きである。
春の盛りが、再びきたというほどに、美しい桜であろう。

卯月の祭の日まで散り残りたる、使の少将のカザシにたまわすとて、葉に書く

神代には　ありもやしけむ　山桜　今日のかざしに　折れるためしは

カザシとは、簪であろう。この、文字がないゆえに、仮名にした。
カザシは、桂と、葵で作る。中宮から、賜るものである。
カザシは、冠につける。

祭りの、勅使となった、少将のカザシを見て、葉に書き付ける。

神代にも、あったのでしょうか。山桜を、簪につけるという、珍しいことが。

つまり、山桜を、冠につけたのである。
そんな、粋な行為が、神代にあったのかという。

桂と葵と、山桜を、冠に取り付けた、派手やかなものだったと、思える。

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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">もののあわれについて第三弾</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 02 Jul 2008 12:39:30 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>神仏は妄想である109</title>
         <description>真宗には智者も学者も輩出しているけれども、ああ言えば異安心、こう言えばお聖教に抵触すると、小さい凡智の神経を尖らして蝸牛角上の闘争をつづけているけれども、それは御教化を敷き写しをしているにすぎない、不思議の仏智と一体になっていないから、如来聖人の真意を読破することができない。
大沼法龍　昭和歎異抄

真宗に限らず、宗派の教学学者という者がいる。
実際、学問には、程遠いものであるが、学問の一つだと、思い込んでいるのが、実に、不思議である。
キリスト教神学にしても、学問の一つだと、信じて疑わないのである。

教学は、学問の分野に入れて、語るものではない。
何故なら、それらは、すべて、妄想の産物、創作想像の産物だからだ。
しち面倒な、言葉の数々を覚えて、教学試験などとやっている、宗教もあるが、笑いものである。

それらを、覚えても、何一つ、人生の役には立たない。いやいや、役に立つ者がいる。それを、生活の糧にしている輩である。

各宗教の大学などでは、堂々と、学問として、仏教学などを、講じているという、仰天である。

曹洞宗系の、ある大学に行っている、一般の学生から、聞くと、僧侶になるために、入学してきている者、多数。しかし、あれらの行状を見ていると、寺に金を出す者たちが、本当に、可愛そうである、いや、哀れであるという。
寺の住職を継ぐ者なのであるのか、低能と思えるほどの、頭でも、入学しているというから、呆れる。

要するに、惰性である。
血脈に継がせるということ、自体、すでに、崩壊である。

だから、と、大沼氏は書く。
新興宗教の荒波に巻き込まれている真宗の御門徒を、傍観するのみであって、救済することができない。信仰の悩みを開化するのではなく、絢爛たる儀式に眼を剥けさすことに腐心しているから、儀式が終われば淋しいから低級の物欲の宗教に狂わされてゆくのであります。

これは、昭和歎異抄の、はしがき、である。
それ以降の、内容については、甚だしく、真宗の専門的な、教義になるので、書くことができない。
それを、説明するだけでも、とんでもない、分量になる。

上記、冷静に判断すれば、実は、浄土真宗というものも、新興宗教である。
親鸞が起こしてから、どれくらいの、時間を経ているのか。
低級の物欲の、宗教に狂わされているというが、それは、お互い様である。

何の根拠も無い、戒名などをつけて、暴利を貪る。
ご供養と称しての、寄付や、献金からはじまり、何かにつけて、金を集める。
他の、新興宗教と、何ら変わらないのである。

ただ、このように、宗旨の教えに、憂いを持ち、宗派に、反省を促す者を、追放するという、浄土真宗の、その様が理解できるというものだ。

真宗の御門徒を、傍観するだけで、救済しないと言う。
ここで言う、救済とは、親鸞の、教えに対するものであり、救済観というものは、その、宗派によるものである。

実に、宗教家は、救うという言葉が、好きなようである。

門内にいては長いものに巻かれよで、体験を語ることさえもできない不自由さで、
気迫もなければ発展もない、ただ他力無力で安逸を貪り、死後の夢を見ているにすぎない。不思議の仏智に目覚め批判をし、鉄槌を加えても、無明の酒に酔いつぶれているものには悪口としか聞こえないのだから、どうせ弥勒の出世を待つまでは流転をつづけなければなりますまい。
と、言う。

禅宗の、真っ当に住職をしていた僧が、檀家ために、金のかからない、納骨堂の建設を始めると、まさに、金にならないと、住職を追放するという。
私は、実際、その住職が、貧しい人のために、葬儀の導師を務めたのを、見ていたことがある。

宗派にとっては、救いとなるような、僧侶を、宗門に従わないと、追放する、その根性は、どこからのものか。

組織になると、手のつけられない、団体になるのが、宗教団体である。

既成宗教も、新興宗教も、変わりない。

鎌倉時代は、真宗も、新興宗教であった。
さらに、道元の曹洞宗、日蓮宗も、そうだ。
実際、大乗仏教からして、新興宗教である。

大乗仏典を、検証して、その誤りを正すという者がいないのは、既得権益の旨味である。
安穏としても、檀家がいる限り、生活は、豊かで、何の心配もない。
信徒が、年金生活で、あくせくしていても、自分たちは、何の問題も無いのである。

信徒たちの、生活と、大きく掛け離れたところにいて、のうのうと、仏の教え、救いの教えという、大嘘を説いているという様である。
更に、自分たちも、極楽に往生するか否かも、定かではない。

勿論、霊界に、極楽という世界は無いから、どうしようもないのだが。

大乗仏典の、大御所、竜樹などの著作を読めば、仏教で言う天上界とは、魔界であるとの、説を、知らないという、愚かさである。

第六天の魔王が支配する世界が、仏教の天上界である。

阿弥陀様のいる、極楽という、世界は無いのである。

観仏という、行法によって、極楽の様を、観るという、念仏行があるが、お経に書かれた、その様子を、目の前に、まざまざと見るという、修行である。
話にならない。
妄想の世界に浸れということである。

死んだら、そこに生まれると、信じよと言う。
あまりに、哀れで、ならない。

この方は、
死んで生まれるなら浄土宗、いま生まれた平生業成の浄土真宗であります。
と言う。

明らかに、法然の念仏と、親鸞の念仏を、区分けしている。

そして、延々として、親鸞の教え、浄土真宗の教義を、語る。
それは、それとして、善し。

私は、次に移ることにする。

ただ、要するに、教義の中の七転八倒であり、そこから、抜けていないのである。
親鸞が、作り出した、妄想、それを、信仰の深さと、解釈するのは、勝手なことだが、その中での、議論なのである。
議論のための、議論としか、思えないのである。

仏とは自覚覚他窮満、宇宙の真理を諦得し、無著無碍の境地、神通自在を得たから、常楽我浄の迷夢で我執をつづけ、流転をつづけている一切郡生を開覚せしめ、自分と衆生とが一体になろうと活動をつづけておられる方を、仏というのであります。

頑固明朗である。
頑固さが、明朗であるという。
ここまで、迷いを教えられ、仕込まれたら、元に戻らないだろう。

あくまでも、仏と、衆生を対立させ、その、一体を願うことが、救いだと、信じている。
それを、涅槃を願うとも言う。

宇宙の真理を、体得し、神通力を得て、自分と衆生が一体と、なるべく活動を続ける存在が、仏だと言うのである。

インドで、生まれた一人の人間の、物思いに、ここまで、酔うという、哀れは、ただ事ではない。これを、迷いと言う。

仏陀は、生まれて死んだのである。
そう、仏陀も、人間である。
超越した者ではない。
人生を思索し続けた人である。ただの、人である。だから、慕わしいのである。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">神仏は妄想である。第三弾</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 02 Jul 2008 02:04:28 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>神仏は妄想である108</title>
         <description>浄土真宗では読経、儀式に偏重して、実地の求道を軽視してはいませんか。僧侶が色衣を着て葬式をすれば、極楽往生をさしてあげるように自惚れ、遺族のものもそれで浄土往生をしたものと安心しているのは、自他ともに間違いいではありませんか。聖人の真意は、歎異抄に「親鸞は父母孝養のためとて一遍にても念仏まをしたること未だ候はず」と、改邪抄には「某親鸞閉眼せば加茂川にいれて魚にあたうべし」とありますが、今真宗では実地の求道は指導せず、流れを汲むものはすべて信後のものと看做して、読経、儀式が真宗の全部のように誤認してはいませんか。
大沼法龍　昭和歎異抄

浄土真宗の僧侶が、自らの教団に、徹底批判する最初である。

上記を、読むと、何も浄土真宗に限らない。
日本の仏教は、今、皆、そのようである。
開祖の心意気などは、皆無である。

これは、江戸時代の三代将軍、家光のキリシタン禁止のための、すべの国民を、寺に登録させる、つまり、寺の檀家にするという、政策の御蔭である。
それから、仏教の堕落が、はじまった。勿論、それ以前からも、堕落していた。

要するに、将軍が、寺の金集めを指定してくれたのである。
僧侶たちの、堕落は、計り知れないものがある。

僧侶も、妻を娶り、家族を持ち、更に、子孫のために、財産を残すべく、セッセと金集めに奔走するという。
仏陀が、聞けば、泡を吹くような、行状である。

在家と、出家の区別も無いのである。
どこに、仏陀の仏教があるのか。

大乗仏典が、いかに、嘘まみれなのかは、彼らを見れば、よく解る。

上記の、文は、誰が読んでも納得するものである。

読経と、儀式に、堕して、今も、平然として、仏教と名乗り、平然として、暮らしを立てているという、仰天である。

あまりに、平穏無事であるから、最早、宗派の教えも、何も、忘れているようである。

勿論、ごくごく一部には、少しは、真ともな僧もいるが、それとて、少しは、真ともに見える程、日本の僧侶たちは、堕落している。

信長ならば、一まとめにして、火を放つだろう。
私も、そうする。

大沼法龍氏は、真宗だけではなく、すべての宗派に対しても、同じように考えていただろう。

聖人は法然上人の膝元で、たのむ一念の時、立ちどころに他力摂生の趣旨を受得したと書いてありますが、一念をはっきり語るものがいない。聖人が「一念といふは信楽開発の時こくの極意を顕し、広大難思の慶心を彰す」といわれたのは、実時でも仮時でもない、開発したときの味である。溺れていたものなら、助かったという自覚がある、後生の苦になったものなら、開発したという体験がある。後生の一大事になっていないものが、読書して了解しているのだから、いつとはなしに獲信したというのは、話がわかっただけで調熟と摂取の分際がわからないのだから、摂取されてはいません。

後生の一大事になってないいものが、読書して了解しているのだから・・・

正に、今の仏教は、読書の仏教であり、ハウツー物の、仏教書を読んで、了解している者、多数であり、更に、それらを、書くのは、仏教家ではなく、様々な分野の人が書いているという、有様。
皆々、言葉の遊び程度で、それを呼んで、感動しました等々の、言葉は、単に、読んで了解したという、程度で、何も、開発したものではない。

少しは、解ったというだけで、得心していないというのである。
調熟と、摂取の分際がわからないのだから、摂取されていません、とは、専門的、浄土真宗の教義にあるから、これを、説明しても、どうしようもない。

面白いのは、法然を上人とし、親鸞を聖人としていることだ。
真宗は、親鸞が開祖であるから、当然、親鸞に重きを置く。

聖人は第十八願の成就文の聞即信の一念で、無量永劫の解決がつく、唯信独達の法門を発揮しておらるるに、真宗では十劫の昔に助かっていることを喜べと、十劫秘事の異安心を鼓吹しているのは、聖人の真意を知らないのではありませんか。

この、十劫の昔に、助かっているというのは、すでに、弥陀の本願が発揮されて、救われているということなのだろう。
素人の私にでも、解ることである。
要するに、理屈である。

ここで、少しばかり注目する部分がある。

聖人はあれだけ難信の法を説いておらるるのに、真宗の道俗は誰一人として語るもののいないのは実地の求道がなく、実地の体験がないから語り得ないのではないでしょうか。難信易行が宗の根基で、易信易行の宗旨はありません。

易行道というが、実は、難信だという。
難信であり、易行なのである。

信ずるのは、難なのである。しかし、方法は、易い。

次第に、専門的になるので、このくらいにして、おく。

大沼氏の言いたいことは、現在の浄土真宗の堕落である。
その、堕落をそのままにして、寺を我が子に継がせ、宗旨の理などは、度外視し、安穏としている組織に、渇を入れているのだ。
しかし、その渇も、効き目が無い。
全く、無関心を装っても、いいのである。それは、檀家がいるからである。何の心配もいらない。十分、生活してゆかれる。
金が必要になれば、何とかカントかと、名目をつけて、集金するのである。

それは、今では、すべての仏教団体に言えるのである。

こんな、いい商売は、ありませんと、平然として、料亭で、宴会をする僧侶たちである。
どこに、仏陀の伝えたものがあるのか。
仏教という、宗教の更に、宗派の、軌道に乗っていれば、いい。
教団上層部、指導者が、決めた教義を、唯々諾々と承知し、ただ、それを、猿真似のように、伝えていればいいのである。

ホント、こんな良い商売はない。

末法というのは、仏教家たちに言えることで、一般の人には、全く関係無い。
これほど、救われない集団も、いないが、救われていると、信じているから、終わっている。

その、救われているとは、単なる、妄想であることに、気付かない。

兎に角、阿弥陀如来というのは、架空の存在であり、人の創作したものであることは、明々白日である。
その、本願云々という、お話も、いつまで、続くものか。

最早、時代は、その妄想を抜けて進んでいる。
もっと、マシな、妄想が、闊歩しているのである。

愛と調和のエネルギーとか、ね。

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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">神仏は妄想である。第三弾</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 01 Jul 2008 19:33:37 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>神仏は妄想である107</title>
         <description>信仰の最も重要な面は罪の意識の自覚にあることは言うまでもない。同時に隠れた自力性といったものが、ここに微妙に作用するのではなかろうか。たとえば罪の告白懺悔は尊いことかもしれないが、このときほど人間の「はからい」が巧妙にはたらくときはないのかもしれない。親鸞はそこに生ずる虚構をおそれたのだ。
亀井勝一郎

罪の自覚は、当然だと言う。
親鸞は、告白懺悔の虚構を恐れたと言うが、私は、それ以前に、罪の意識のあるのが、当然だということに、注目する。

宗教の救いというものは、人間の罪意識あればこそだと、暗黙の内に、了承されていることである。
おかしい。

我が身が、救いようのないほど、罪人であるという意識は、如何なるものか。
罪意識があるから、救われたいと思う。

何度も言うが、この自虐性が、問題である。

更に、
自己の計量したあらゆる救済観念を破壊すること、これが親鸞の戦いである。換言すれば、罪の自覚の深さに応じて、そういう救済観念の空しさを身に沁みて経験してきたということでもある。

自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。
歎異抄

自力の人は、他力の心が、欠ける。ゆえに、弥陀の本願には、適わないのである。

これは、観念の中の観念である。
確かに、親鸞の思索の深さというものが、表現されるというが、何ゆえに、ここまで、自己を追い詰めるのかといえば、罪意識である。

罪人意識に、陥り、抜け出せないでいる。しかし、これも、自業自得である。

歎異抄は、名文であり、日本文学の中でも、一際、冴える書である。
しかし、それと、宗教の云々とは、別問題である。
確かに、宗教的、云々があればこその、名文であろうが、そうだとすれば、これは、あまりに、無用な、悩みを、多くの人に与えた。
更に、現代までも、この親鸞の迷いに、導かれて、さすらう人がいる。

愛欲の大海に、沈む、つまり、セックスの欲求が、何故、罪の意識と、結びつくのか。
それを、罪意識だと、当然として、今までの解釈は、成り立つていた。
根本からして、それは、誤りである。

名利の山に、迷う。
何故、名声を求めてはいけないのか。
そのために、努力奮闘することに、人生の一つの道があるのだろう。

何をしても、人は、生きられるようにしか、生きられないのである。

救いを説く、仏教がもたらしたものは、救われないという、罪意識であり、それは、単に、その世界の中での、お遊びであるという。
つまり、観念遊びである。

罪意識という、迷いを与えて、そして、そこからの救いを説くという、ゲームである。

どんな救済観念も崩壊した極限を設定することによって、言わば自己のはからいの微塵も入る余地のない、絶対帰依の心をあらわそうとしたのである。悪人への同情でもあこがれでもない。崩壊しつくした人間と、弥陀の本願との、どん底における出会いに、信仰の純粋性を見ようとしたのである。
亀井勝一郎

上人の常の仰せには、弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり
歎異抄

親鸞一人のために、あの大願が発せられたということである。だが何がこのことをいわせるに至ったのか。まさに天地の間「唯我独悪」の切なる体験が、この言葉となったのである。一切の悪がこの自分一人の中に渦巻いているのである。だがそれは何を意味しているのか。一切の慈悲が自分一人の上に降り注がれているということではないか。・・・・
こんな驚きこんな感激が他にあうか。もう自分の往生に露塵ほどの疑いも残らぬ。誰を差し置くとも、この自分が浄土に生まれるのである。こんな歓喜が世にあろうか。地獄必定と分からせて貰えた者のみの味わい得る歓喜である。
柳宗悦

一体、誰が、こんな、妄想を、与えたのであろうか。
大乗仏典は、すべて、創作であると、今では、知られている。
当時は、そうではなく、すべてが、本当であると、考えた。
つまり、極楽も、地獄もあるものだと。

今では、仏典の多くが、検証されて、その有様が、解られてある。
妄想の、観念が、妄想の観念を生み、更に、誇大妄想が、加えられて、とんでもない、極楽往生の、思索の深さが、善しとされている。

人は、生きられるようにしか、生きられない。

つまり、時代性であり、時代精神である。
彼らを、責める訳にはゆかない。
その時代に、徹底して、生きたのである。

さて、それから、親鸞を支持した者たちが、浄土真宗という、集団を作る。
そして、現在までに至る。
その、宗教団体は、如何なるものか。

あの、時代に、宗祖が、悩み抜いた境地に、立って、信仰と成しているのか。それとも、既得権益のみに、汲々としているのか。

堕落の一言である。

更に、内の中に、反省を促す声も、聞かず、ただ、諾々として、伽藍と、形式に陥り、すでに、その心意気を失い。ついには、葬式のみに、生きる宗教となり、唾棄すべき、僧侶たちの、安穏とした様は、世の中の害毒である。
無きもしない、地獄、極楽を、説いて、信者を騙し、更に、脅迫して、強迫神経症を、引き起こさせるという、お粗末さである。

次に、宗門から、宗門を批判した、昭和歎異抄を書いた、大沼法龍氏の、文を、見ることにする。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">神仏は妄想である。第三弾</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 01 Jul 2008 09:53:40 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>もののあわれについて228</title>
         <description>侍従の宰相の五節の局、宮の御前いと近きに、弘薇殿の右京が、一夜しるきさまにてありしことなど、人々言ひ出でて、日蔭やる。さしまぎらはすべき扇などそえて

おほかりし　豊の宮人　さしわけて　しるき日かげを　あはれとぞ見し

一条院の東の対に置かれた、藤原実成が献上した、五節の舞姫の控え所。
宮の御前とは、中宮彰子の御座所。
弘薇殿とは、一条天皇女御の女房の右京。
先日の夜、日蔭の、鬘、かずら、が、目立つ有様であること、人々が言う。
さしまぎらはすべき扇、とは、顔を隠すための扇である。それを、添えている。

宴、とよのあかり
宴会を、豊明節会、とよのあかりのせちえ、と読む。

宴に、奉仕した大勢の人々の中で、ひときわ目立つ、日陰の鬘の、あなたを、感慨深く、拝見しました。

寛弘五年、十一月の豊明節会の日の歌である。
その頃は、源氏物語の作者として、知られていた頃である.

宮仕えも、その才能を買われてのものである。
さしわけて　あはれとぞ見し
格別に、感慨深くである。

この、あはれ、は、また格別であるという、あはれであり、心の許容範囲を超える、思いを、あはれ、と言うのである。

あはれ、という言葉が、いかに、多くの意味を持ち、また、多くの表情を、持っているかが、解る。
あはれ、という言葉を、限定して、定義できない故である。

はじめて内裏わたりを見るに、もののあはれなれば

身のうさは　心のうちに　したひきて　いま九重ぞ　思ひ乱るる

始めて、宮仕えに出た頃の歌である。
歌の題が
宮仕えを、もののあはれなれば、という。

感激、感動、そして、不安と、期待など、様々な思いの乱れ、入り交じった情緒である。

宮仕えに出ても、我が身の嘆きは、心の中に湧いて、宮中で、あれこれと、心が幾重にも、乱れることだ。

身のうき、とは、身の憂き、である。
不運な、身の上を、憂きことと思う。辛く思うのである。
宮仕えが、辛いのではない。彼女の、身の上の辛さである。
夫を亡くし、一人子を抱えての、不安や、動揺でもある。
九重とは、宮中を指し、また、幾重にもという意味でもある。

心のうちに　したいきて
心の内に　慕いくる
その思いが、ついてくるのである。

この歌を、彼女の生きてきた、道のりを考えて、様々に、書き表すことが出来る。それをこの一首に、凝縮するのである。

まだ、いとうひうひしきさまにて、ふるさとに帰りて後、ほのかに語らひける人に

閉じたりし　岩間の氷　うち解けば　をだえの水も　影見えじやは

宮仕えに出て、まだ新米で、故郷に帰り、その後で、少し話し合った同僚であろうか、人に。

岩間を閉ざしていた、氷が、解け始めたら、途絶えていた、水も流れ出ます。
そこに、影が映らないことが、ありましょうか。

つまり、それは、相手に対して、言うのである。
あなたが、打ち解けてくださるならば、どうして、内裏に出ないことが、ありましょうか。

宮仕えに出たのは、十二月二十九日のこと。
間もなく、里に帰り、春になっての、出仕である。
春になり、氷の解けることを、比喩にしている。

返し

みやまべの　花吹きまがふ　谷風に　結びし水も　解けざらめやは

返しが、きた。

山辺の花を、散り乱す谷風に、固く閉ざしていた氷も、解けないことが、ありましょうか。

それは、また、中宮の御心によって、あなたの心も、解けるでしょうと、言うのである。


正月十日のほどに、「春の歌たてまつれ」とありければ、まだ出で立ちもせぬかくれがにて

みよしのは　春のけしきに　霞めども　結ぼほれたる　雪の下草
みよしのは　はるのけしきに　かすめども　むすぼほれたる　ゆきのしたくさ

正月十日のこと。
「春の歌を、詠みたまえ」と言われて。
里に戻ったまま、出仕せず、身をひそめている家で。

吉野山も、今は、春らしく、霞がかかっています。しかし、私は、雪に埋もれて、芽も出せない、下草のようです。

吉野に、み、という接頭語をつける。
吉野山は、雪深く、春になっても、雪の降る場所として、歌に詠まれる。

この、私に、光を当てて、雪を解かし、芽を出させるものは、中宮の、信頼と愛情であろう。

宮仕えとは、中宮彰子に、仕えることであり、紫の、役目は、中宮の教養を高めることである。
多くの、女房たちが、集っている。
そんな中で、紫は、人に顔をみせることを、特に、避けたという。

結ぼほれたる　雪の下草
源氏物語を、書いた後の、彼女は、この言葉のような、生き方をしていた、また、好んでいたといえる。

芽も出せない、雪の下草という、心境である。

あの、世紀を超えて残る、物語を書いた者とは、思えない、謙虚さである。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">もののあわれについて第三弾</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 01 Jul 2008 00:02:48 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>もののあわれについて227</title>
         <description>六月ばかり、なでしこの花を見て

垣ほ荒れ　さびしさまさる　とこなつに　露おきそはむ　秋までは見じ

六月の、撫子の花を見て。

垣根が荒れて、寂しさが募る、我が家の撫子に、秋には、涙をそそる露が、更に加わるのである。そんな秋まで、私は、生きていないであろう。

病にある時の歌である。
夫を亡くして、手入れもしていない、庭を見て、心細く思った心の様が、歌われる。

とこなつ、とは、撫子のこと。

実は、私は、この頃から、紫は、物語を書き始めたと、考える。

研究では、源氏物語の、原作は、長保三年、1001年から、三四年の寡婦時代に、書かれたといわれる。
すべての原稿が、原作として完成したのは、寛弘二年、1005年とされる。

病に、ありながらも、筆を執っていたのであろうか。

「物や思ふ」と、人の問ひたまへる返り事に、九月つごものに

花すすき　葉わけの露や　なににかく　枯れ行く野べに　消えとまるらむ

「何か心配ごとでもありますか」と、人に問われた、九月のつごもりに。

すすきの葉の、間を分けて下の葉に、置かれた露が、草木の枯れた、野辺に消えずに残っています。その露のような私が、どうして、今日まで、生き残っているのでしょう。

消えつまるらむ
消えずに残る
それが、我が身の存在である。
一度、死というものを、みつめたようである。
末期の目という。
生きることと、死ぬことが、朧になってゆく。
何ゆえ、消えとまるらむ、のか。

ここで、下手な宗教家は、それには意味があり、云々かんぬんと、理屈を言うだろう。しかし、その、朧な感覚を、持ち続けて、更に、生きる時、もののあわれ、といいものの、姿が、また、朧に浮かび上がる。

この、感覚は、何であろう。
この、思いは、何であろう。
心狂おしく、湧き上がる思い。
創作の思いに、それが、昇華される。
ついに、物語に、手を染める。もののあわれ、というものを、見つめるために。

それは、我が心の内にある、もの、である。
その心の内にある、もの、から、私は、逃れられないのである。
もののあわれ、というものである。

和づらふことあるところなりけり。「かひ沼の池といふ所なむある」と、人のあやしき歌語りするを聞ききて、「こころみに詠まむ」といふ

世にふるに　などかひ沼の　いけらじと　思ひぞ沈む　そこは知らねど

病にある頃。陸奥の新田郡にある、貝沼郷という所の池。不思議な歌語りがあるという。歌語りは、歌にまつわる話である。その話を、聞いて、詠む。

この世に、生きていて、何の甲斐がありましょう。生きているまいと思い、貝沼の池に、私なら、身を沈めるでしょう。その池は、どこにあり、池の底は、どんなところでしょう。

随分と、厭世的である。
これは、つまり、死にたいと思っているのである。
生きていたくない。
人生に、一度や二度、そのように思う時がある。
実は、心の健康な証拠である。

生きていたくない、しかし、生きたい、死にたい、しかし、死にたくない。
その、ブレの中で、弾けるものがある。
創意工夫である。
オリジナルである。

茶の湯の千利休が、茶の湯の奥義として、創意工夫を言う。
いつも、オリジナルであれ、ということである。そして、それが、生きるということ。
芭蕉の、俳句も、そうである。

守ることを、伝統と解釈するのは、間違いである。
守ることは、創意工夫することなのである。
型を学んで、形に、至る文化が、日本の文化と言われるものである。

今の言葉で、言えば、クリエイティブな創作作業こそ、生きるということなのである。
それは、どんな場所にあっても、出来ることである。

あの店は、一味違うラーメン屋だと、言われるラーメン屋にするために、どれ程の試行錯誤を繰り返して、ラーメンに取り組むか。
創意工夫を、ラーメンというものに、賭けるのである。
何に対しても、それが、出来る。
生きるということは、実に面白い。

また、心地よげにいひなさむとて

心ゆく　水のけしきは　今日ぞ見る　こや世にかへる　かひ沼の池

今度は、気持ちよさそうに、歌を詠んでみようと、思う。

心の、晴れ晴れする池の景色を、今日は、見ました。これが、捨てた世に、立ち返る、甲斐のある、貝沼の池でしょうか。

そうそう、それでは、一つ、気分を変えましてという、ことだ。
死ぬまで、生きるしかないのである。

そして、死は、必ず訪れる。
それまでの、暇つぶしに、物語でも、書きましょうか。
これである。
生きるという、心境が、最大限に高まる時。
ここには、理屈も、観念も、悲壮感も無い。

心に風が吹くのである。
どんな、風か。
もののあわれ、という風である。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">もののあわれについて第三弾</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 30 Jun 2008 19:18:04 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>もののあわれについて226</title>
         <description>たまさかに返り事したりける後、またも書かざりけるに

をりをりに　かくと見えて　ささがにの　いかに思へば　絶ゆるなるらむ

夫の死後に、少しばかりの付き合いをしたが、深い関係にはならなかった、男からの、歌である。

時たまに、返事をしていたが、ある時からは、もう返事を書かなくなったところ。

事あるごとに、返事を下さると、思っていましたが、どうしたのでしょうか。お返事が途絶えてしまいました。

返し、九月つごもりになりにけり

霜枯れの　あさぢにまがふ　ささがにの　いかなるをりに　かくと見ゆらむ

返し。九月の末になった頃。

霜枯れの、浅茅に紛れ込んで、微かに生きている、小さな蜘蛛が、どんな時に、巣を作るというのでしょう。

つまり、未亡人の私が、どうして返事を書くというのか、という意味。

浅茅、あさじとは、茅のことである。ちがや。

男が、いかに思へばという。どういう、考えで、というのだ。
当然、返事があっていいだろうと、思っている。

紫は、自分のことを、霜枯れの、あさぢにまがふ、ささがに、と言うのである。
閉じこもっていて、物語を書いていたのであろう。
無用な、心の乱れを持ちたくないのであろう。

次は、また、夫の夜離れ、よがれ、を、嘆く歌である。

なにのをりにか、人の返り事に

入るかたは　さやかなりける　月影を　うはのそらにも　待ちし宵かな

訪れるはずの、夫が来ないのである。

入って行く、方角は、はっきりと解っている月の姿を、昨夜は、上の空で、待っていたのです。

入るかた
夫の出掛けた、女の所である。

待ちし宵かな
どれほどの、女たちが、このような気持ちを、抱いただろうか。


返し

さして行く　山の端もみな　かき曇り　心の空に　消えし月影

月の目指す、山の端も、あたりの空が曇り、心も上の空になって、月は、姿を消してしまった。

男の、言い訳である。
お前の、機嫌がよくないからと、言うのである。

月を、自分に擬したのである。

また、同じすぢ、九月、月あかき夜

おほかたの　秋のあはれを　思ひやれ　月に心は　あくがれぬとも

前の歌と、同じ気持ちである。

あなたに、飽きられた秋の頃の、悲しみを、思ってください。
今夜の月のように、美しい方に、心を奪われているのでしょう。

結婚生活が、二年余りである。
夫の、夜離れを、嘆くことがあったのである。

おほかたの　秋のあはれを　思ひやれ

深読みすると、秋に、飽きを、懸けている。

歌詠みでなければ、わからないような、歌である。

全く、別の意味に、受け取ることも出来る。

西行も、詠むような、歌である。

秋のあはれを、とは、秋という季節を、超えている。
単なる、夜離れの歌にしておくのは、もったいないのである。

おほかた、とは、大方である。大半が、秋のあはれを、思うのである。

大半の人生は、あはれ、なのである。
大半の人は、あはれ、を、生きるのである。

それを、思ひやれ、である。
月に心は　あくがれぬとも、とは、別のモノに心奪われても、いつしか、本当の姿を、知ることになるのである。

本当の姿とは、あはれ、という、人間の姿である。

夫に対する、夜離れの歌ということで、読むだけでは、解らない。

その心の底辺に、流れるもの、それは、もののあわれ、である。

想像力逞しい女は、更に、夫の行動に悩んだであろう。
あれほどの、物語を書くのである。
それは、単なる夜離れに、尽きることなく、さらなる、人生の諸相に、辿り着いたことだろう。

いつも、いつも、秋のあはれを　思ひやれ、なのである。
そうすると、見えてくるものりがある。
そのために、歌を詠み、物語も書くのである。

あくがれいずる心も、実は、そこにある。
憧れは、最後に、ものあはれ、に、行き着くのである。

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         <pubDate>Mon, 30 Jun 2008 06:14:39 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>もののあわれについて225</title>
         <description>宮の御産屋、五日の夜、月の光さへことに澄みたる水の上の橋に、上達部、殿よりはじめたてまつりて、酔ひ乱れののしりたまふ。盃のをりにさしいづ

めづらしき　光さしそふ　さかづきは　もちながらこそ　千代もめぐらめ

中宮彰子の出産である。
一条天皇第二皇子の誕生祝の儀。
上達部、かんだちめ　たちが、寝殿と東の対を結んで遣り水の上にある、渡殿の上で、酔い乱れて、大声で騒いでいる。
盃が、回ってきたてので、次の歌を、差し出した。

今夜の望月に、清新な光が加えられたような、若宮様誕生の、祝いの盃は、望月と同じように、欠けるところなく、皆様の手に渡されて、千代も、お祝い申し上げるのでしょう。

またの夜、月のくまなきに、若人たち舟に乗りて遊ぶを見やる。中島の松の根にさしめぐるほど、をかしく見ゆれば

曇りなく　千歳にすめる　水の面に　宿れる月の　影ものどけし
くもりなく　ちとせにすめる　みずのおもに　やどれるつきの　かげものどけし

次の夜。月が一点の曇りなく、美しい。若い女房たちが、舟に乗る。
中島の松の根元を舟が回る。それが、趣があり、美しい。

濁りなく、千年の長きに渡り、澄んでいる池の水に、映る月影も、穏やかである。

御五十日の夜、殿の「歌詠め」とのたまはすれば、卑下してありけれど

いかにいかが　数へやるべき　八千歳の　あまり久しき　君が御代をば
いかにいかが　かずへやるべき　やちとせの　あまりにひさしき　きみがみよをば

五十日の祝いの席で、殿の「歌詠め」という命で、お目にかける歌は、詠めむと、遠慮していたが

これからの、幾千年という、若宮様の、御歳を、どのようにして、数え尽くすことができるでしょう。

いかにいかが
感嘆である。
長寿を祈る言葉は、特別に、祝いの際に使われた。
八千歳とは、大袈裟であるが、それほど、祝いの心深いと、表すのである。

殿の御

あしたづの　よはひしあらば　君が代の　千歳も数も　数へとりてむ

殿様の御歌。道長の歌である。

あしたづ
鶴の別名

鶴のような、千年の寿命があれば、若宮の千年の御歳も、数えとり、遠い将来を、見届けることが出来る。

自分の娘が、天皇の子を産んだのである。
道長の安泰を、約束する。

誕生と、長寿は、共に、末広がりの祝いである。
それでは、逆に、死は、不幸中の不幸である。
しかし、それは、避け得ないことである。

死は、忌みことである。
誕生と死と、共に、考えるところに、もののあわれ、というものの、心象風景が、ある。

逃れられない、死というものを、いかに、受け入れるのか。
それを、その恐怖を、いかに、克服するのか。
いや、それは、克服するものではなく、受容するものであった。

人は、死ぬことによって、自然に帰ることができる。
その、自然に帰ることを、神になると言った。
自然は、神だったからだ。
神という文字に、観念がつく場合は、カミとしてよし。

何度も言った。
日本人の死生観は、死ぬことが、消滅することではなく、隠れることであったと。
自然の内に、隠れるのである。

それは、崩れることであった。
崩、神上がり、かむあがり
肉体が、崩れて、元に帰る。
その心は、山に帰る。さらに、天に帰る。

雲を見て、亡き人偲ぶ歌が多かったのは、万葉である。
自然に隠れた心は、雲や雨や雪になった。
自然のすべてになった。

風吹けば、風に。雨降れば、雨に、亡き人を偲ぶよすがとした。
それ、もののあわれ、である。

死というものを、受容する、もののあわれ、という、心象風景は、日本にしかない、考え方である。

そして、誕生も、晴れの心であるが、その心には、もののあわれ、というものが、流れている。
晴れの場である。
そして、晴れのみが、人生ではない。だから、晴れの日は、晴れを、思う存分に祝うのである。
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         <pubDate>Mon, 30 Jun 2008 00:14:13 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>タイ旅日記15</title>
         <description>今回の旅の、顛末も、これで終わる。

夜中の一時過ぎに、空港に着いた。
まだ、チェックインまで三時間ある。一階の、ロビーに降りた。

24時間体制の空港である。
煌々と明かりが、眩しい、空港内である。

野中は、疲れで、ベンチで寝ていた。
私は、一階に出来た、空港で働く人たちの、食堂に入った。
色々な店がある。屋台である。

まず、入り口で、チケットを買う。しかし、幾ら買えばいいのか、解らないので、店を見に回る。
麺類を選んで、その料金を見る。
45バーツの、ラーメンに似たものにした。
入り口に戻り、45バーツのチケットを買う。それを持って、店に行き、チケットを出して、丼を指差した。

女の店員は、すぐに、目の前で作ってくれる。
それを、持って席を探した。
深夜であるが、結構な人がいる。

味は、薄い。要するに、自分好みの味にして食べるように、調味料が、置かれてある。
しかし、私は、そのまま、食べた。
日本のラーメンの半分の量である。

食べ終わり、そのまま、外に出て、タバコをふかした。
今度は、あの、若者はいない。

野中の所に戻り、私も、椅子に横になった。
少しうとうとするが、眠られるものではない。
何度も、トイレに立った。そして、何度も、タバコを吸うために、外に出た。

警備員、職員の人と、何度も顔を遭わせているちに、挨拶するようになった。
これで、言葉が出来れば、もっと、コミニケーションが取れるのにと、思いつつ、タイ語は、難しいと、諦める。

一度は、挑戦したが、兎に角、頭が悪いので、覚えられない。暮らすと、覚えると、言い聞かせて、いずれ、暮らしてやると、思う。

3:30、掲示板を見ると、チェックインが、開始された。
私は、野中を起こして、荷物をカートに入れて、いざ、と、エレベーターに向かった。
四階が、出発ロビーである。

すでに、他のお客さんが、並んでいた。
アメリカの飛行機会社は、検査が、厳しい。
いつもと、同じことを、尋ねられる。

荷物を預けて、出国手続きをする。
そして、搭乗口に向かう。

時間があるので、アイスクリームを食べることにした。
矢張り、館内は、森閑としている。
いつもの、店に立ち寄る。
いつもの、アイスクリームを注文する。

そこで、少し時間を潰す。
それじゃあ、行くかと、立ち上がり、向かいに出来た、新しい店を見て、アラ、アイスクリームの値段、こっちが、安いよと、大声で、言う。
これ、おばんさん化である。

今度は、こっちにしようと、野中に言いつつ、歩く。

再び、手荷物検査である。
搭乗口に入る前に、再度、検査がある。
そして、更に、搭乗口の部屋に入る前に、もう一度、検査である。
だんだんと、苛立ってくる。

何度、みせりゃあいいんだと、怒鳴りたくなるのを、我慢する。

液体物云々である。
アメリカの会社は、実に、丁寧に調べる。
中には、鞄の中を、すべて曝け出して見せている人もいる。

実は、来る時、係官に、鞄の中に液体物は、ありますかと、尋ねられて、あるかもしれないし、無いかもしれないと、言った。
出して下さいと、言うので、どこにあるか、解らないと言うと、見せてくださいと、言う。
鞄を開けて、少し、洗顔用具の液体を出す。
これだけですか。
袋に入れてください。
無い。
すると、係官は、袋を持って来た。

悪いと、思いつつ、時間を引き延ばした。
しかし、さずかに、引き下がらない。
結局、液体物は、それだけである。

野中が、それを見ていて、もう、機内に持ち込まないで、預ける荷物に入れてよー、と言う。

そうすることにした。

私の好きな、ガルーダーインドネシアは、アメリカから、危ない会社に指定されていた。
だが、私は、検査が少なくて、大好きなのだ。
落ちたら、死ぬだけでしょう。
テロに遭って、落ちる。いいねー、そんな風に、死にたいよー

また、その評判があるのか、客が少ない。
それで、私は、座席を占領して、ぐっすり、眠られるのだ。

機内に入り、扉が閉まるのを、待つ。
出発準備が整いました。という、アナウンスを聞くと、すぐに、周囲を見渡し、開いている座席を探す。
四席空いていると、すぐに、そちらに移る。
そうすると、体を横にして、眠られる。

今回も、空いていた。
すぐに移り、席を確保して、安心である。

矢張り、食事の時以外は、眠っていた。
飛行機の、揺れが、眠りを誘う。

10年ほど、飛行機に乗られない時期があった。
パニック障害である。
これには、色々と説明がいるが、省略する。

入国を済ませて、荷物を引き取ると、すぐに、バスのチケットを買う。
15分ごとの、バスであるから、便利である。
それで、横浜に到着して、旅が終わる。

二週間後は、オーストラリアである。
そして、それが、終わると、10月後半まで、日本にいる。

10月後半は、再び、タイに、10日間の、旅をする。
次は、ゴールデントライアングルの、追悼慰霊をする。そして、ビルマのタチレクに入り、再び、追悼慰霊をして、子供服支援をする。

ただ、小西さんから、子供たちに、お金を上げることは、止めた方がいいと、言われた。それは、背後に、大人がいるということである。
ストリートチルドレンを使い、金を集める者もいるのである。

物乞いする、彼らに、商売を教えようと思ったが、浅はかだった。

物資が、一番である。それも、彼らが着る物である。
さらに、沢山上げても、大人に取られることもあるという。

支援というのは、大変なことである。

その背景にあるものを、把握して、考えてやらなければ、ならない。

またまた、勉強になった、旅である。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">旅日記</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 29 Jun 2008 12:46:57 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>タイ旅日記14</title>
         <description>バンコク、スクンウィットは、人種の坩堝と言われる。
私たちは、深夜を過ぎて、その街に到着した。

やはり、タクシーは、公的機関の乗り場でも、ボルのである。
結局、高速料金と、手数料という、名目で、500バーツほど、払った。
だが、声を掛けてくる、タクシーの勧誘では、これが、倍の1000バーツ以上になる。

帰りのタクシーは、メーターで、180バーツほどだった。
それでも、タクシー運転手に、声を掛けて、ハウマッチとか、タオライカップと、尋ねるのである。
野中が、もう、交渉に疲れて、私がした。

ゲストハウスは、一泊600バーツである。明日の、夜12時までだと、二日分になると言われて、とりあえず、一日分を払った。

チェンマイで、買った、パンと、水を飲んで寝た。
もう、どこにも、出掛ける気力は無い。

どうして、ここに来たか。
それは、格安航空券と、時間待ちのためである。
そして、この喧騒を、もう一度だった。

イスラム圏の人々、インドや、アフリカの人々、よく解らない人々を見るためである。

至る国の料理もある。
私が好きなのは、インドカレーの店である。
一人で頼んで、とんでもない量を出されて、驚いたが。

朝、私たちは、路地のタイ人向けの、出店に行き、お粥を食べた。
私は、エビ、野中は、魚である。
丁度よい量であり、朝の食事にぴったりである。

向かいの、出店の、オレンジジュースを買って、お粥の出来上がりを、待った。
オレンジジュースは、搾り立てである。
甘くて、美味しい。

さて、私たちの、お粥が出た。
箸もつけてくれたが、スプーンで食べる。

日本人とは解らないかと思いきや、解るのである。
隣の店のおじさんが、豚足の揚げたものを、見せて、どうだと言う。
朝から、豚足は、無理だし、私は、食べられない。
笑顔で、断る。

一杯、40バーツ、約130円程度である。
そのまま、水を買い、ホテルに戻った。

野中は、自分の取材のために、出掛ける。
私は、夜の12時まで、何をするかを、考える。

まず、199バーツの、フットマッサージをすることにする。
その辺りで、一番安い店である。
しかし、他の店も、覗いて、料金と、内容を確かめる。
前回、イサーンから来た、女の子にしてもらって、上手だったので、矢張り、安い店に行くことにした。

その子は、いなかった。辞めたのか、店を変わったのか、尋ねる言葉が、出ない。
新しい、女の子が、ついた。
何処の出身と、尋ねると、ノーンカーイという。イサーンではないか。矢張り、出稼ぎである。家族は、皆、ノーンカーイにいるという。

フットマッサージである。
巧い。
一時間コースであり、私は、昼ごはんを食べた後、その子に、タイマッサージをしてもらおうと思った。

少し、ぶっきらぼーであるが、巧いので、いい。
英語は、少し、日本語は、全然解らない。それが、いい。私の英語が、通じるのである。

帰りに、また、昼過ぎに、来ると言っうと、オッケーと答えた。
次は、タイマッサージでと言う。

一度、ゲストハウスに戻り、足を洗って、すぐに、インド料理の店に出掛けた。

店の前のケースに入っている、カレーを指差して、チキンカレーと、野菜カレーを選んだ。そして、ご飯である。

ありがとう、を繰り返す、ボーイが、相手をしてくれた。ただし、ありがとうが、喧しい。それに、イントネーションが、変なのだ。

テーブルの上にある、水のボトルから、勝手に水をコップに、注いで飲んだ。
中々、持ってこない。
漸く、カレーが運ばれて、驚いた。
二人分もあるものが、二皿である。そして、大盛りのご飯。
見るだけで、胸が、一杯になる。

まず、チキンカレーから、手を付けた。
旨い。
そして、野菜カレーである。
辛くて、旨い。
ご飯と、交互に食べる。
しかし、量が減らない。

ついに、食べるのを諦めて、持って行くことにした。
テイクアウトだったか・・・と、思いつつ、一人のボーイに声を掛けて、小さな声で、テイクアウトと言った。
ボーイが頷いて、カレーの皿を持った。
ご飯もと、私が言う。

ボーイは、それを、小さなビニール袋に詰め始めた。
その時である。
最初のボーイが、そのボーイと、何か言い合った。
私のカレーのことかと思いつつ、見ていると、別なことらしい。

二人の争う声が、響いた。
一人の、タイ人の、ボーイが、中に割ってはいる。
今にも、殴り合いになりそうなのである。
皆、汗を流して、仕事をしている。
忙しいのだ。

私のカレーを持っていったボーイが、私を見て、精一杯の、笑顔である。
その顛末を見ていたので、私は、笑顔が作れない。

清算する時も、そのボーイを呼んだ。
そして、その時、彼に、チップを渡そうと思った。

170バーツである。
おつりの出ないようにと、財布を確認しつつ、チップの額を考える。
えーと、彼が、私の紙幣を、決めてくれた。
そして、受け取り、去ろうとしたので、私は、20バーツ三枚を出して、チップと、言った。彼は、スッとそれを、受け取った。
スマートである。
これで、少しは、気が収まればいいと思った。

全部で、230バーツ、約800円程度である。

それから、一時間ほど、ベッドで、休んだ。
夜の飛行機だと思うと、眠ることが出来ない。飛行機で、眠らなければと思うのだ。
少し、うとうとした。

時計を見ると、三時である。
再度、マッサージ店に行く。
歩いて、3分程度の路地である。

先ほどの女の子がいた。
笑顔がないのは、イサーンの人の特徴である。
客は、誰もいない。私だけである。
奥のブースに案内された。
普通は、着替えを渡されるが、私は、そのままが、マッサージの姿である。
そのまま、そこに寝ろという感じである。

マットに、寝ていると、女の子が来た。
足から始める。
タイマッサージの特徴は、足である。徹底的に足を揉む。
足が楽になると、体も楽になる。
力も強い。満足である。
これなら、オイルマッサージでも良かったと、思う。

次に来た時、オイルマッサージをすると言うと、彼女は、そけっなくオッケーと答えた。
普通なら、いつ来るのとか、何とかかんとか言うが、無愛想である。
しかし、それが、また、いい。

一時間を終えて、料金を払う。
またね、と言うが、ウンと頷くのみ。
本当に、また、来てやろうと、思った。
外に出ると、酷い音である。

スコールだ。

見る見る街の中が、水で溢れる。
傘も無く、さて、どうするか。
目の前の、インターネットカフェに入ることにした。そこで、雨宿りである。

約、30分ほど、自分のホームページを見ていたが、雨が止まない。
しょうがなく、料金を払い、外に出た。
走るしかない。
私は、軒先を走って、ゲストハウスに戻った。
それでも、びしょびしょに、濡れた。

すぐに、服を脱ぎ、シャワーを浴びて、窓から外を見た。
水かさが増して、街中は、水で溢れている。
水を漕ぐように、人が歩く。

私は、そのまま、ベッドで眠った。
野中が帰る、夜の九時まで、寝ていた。

いよいよ、帰り支度である。

野中は、スコールで、足止めされて、遅くなったという。
二人とも、疲れのせいか、口数少なく、帰る準備をした。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">旅日記</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 29 Jun 2008 01:04:13 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>タイ旅日記13</title>
         <description>カレン族の村、トゥンルアン村について、少し書く。

農業を中心とした、自給自足の生活が基本である。
さらに、この村は、カレン族の、伝統が生きており、他のカレン族の村から、それを学びに来るといわれる。

自給自足の生活というものを、現代の日本人は、想像も出来ないと、思える。
唯一、文明の利器は、電気のみである。

米を主食にして、野菜、香草を採り、川では、小魚、カニなどを捕る。そして、農作物は、トウモロコシ、キャッサバ、トウガラシ、レタス、キャベツ、ナス、大豆、更に、果物では、柿、梨、梅を栽培している。
また、バナナ、マンゴーなどは、自生しているのである。

農作業は、基本的に、機械を使用しない、人手である。そのため、村人は、一致協力体制である。
労働力は、労働力で、お返しするという、相互扶助の精神に溢れる。
田植え、稲刈りは、村人総出で行う。
私も、一緒に田植えをしてみたが、30分ほどでも、腰が、大変だった。

しかし、現金が必要にものも多い。
基本的には、お金に依存する生活ではないが、タイという国に住んでいる以上は、必要なものもある。
電気代、衣服、バイク、車、そして、教育費、最低限の農薬などである。

村では、レタスなどを、売って現金を得る。
ただし、蓄えるための、お金ではないということ。
これからの問題は、いかに、このままの生活を維持してゆくかである。
近代化の波が、寄せてこないということは、無いのだ。

私が、見た限りでは、何も必要が無いように見えた。
きっと、電気がなくても、大丈夫である。
自然にあるもので、十分に生活が出来る。つまり、最も、強い生活力を持っていると、いえる。
理屈ではない、「あるがまま」の生活を続けてゆくことは、幸せであるという以外に、無い。

さて、仏教が、約300年前に入ってきて、仏教信仰もあるが、最も基本的なものは、伝統行為である。
それを、精霊信仰と、呼ぶが、私は、あえて、伝統行為と言う。
精霊というものを、広げると、山川の神、水火の神、その他、多くの自然精霊ということになる。
これは、学術用語である。

古代から、人は、自然の恵みと、その厳しさの中で生きてきた。
当然、自然に感謝し、自然を畏怖する。そこに、また、祈りの姿勢が、現れる。当然である。
自然との、共生、共感である。
それは、伝統行為である。

すべの存在に、霊が宿る。

家代々の祈りを、伝承して、祭りの時に、それを、唱える。家々で、別の祈りの言葉が、伝えられるという。
統一された、祈りの言葉はないのである。
何と素晴らしいことか。
つまり、それを、宗教形態の団体とするような真似ではなく、自然発露としての行為に、高めるのである。

司祭は、いない。
皆、男は、司祭になる。
年老いると、長老として、務めるのである。

要するに、職業司祭はいない。

邪馬台国といわれた、一部地域の部落が、日本にもあったが、単に発見された地域のことである。
多く、そのような、部落はあった。
邪馬台国といえば、何やら、大袈裟な物言いになるが、大陸の国に、発見されたことを、単に喜んでいるだけである。

そんな、部落が、大勢あったと、考えるべきである。

カレン族の村が、沢山あるようにである。

部落が、部落同士で、影響を与え合い、更に、結婚などを通して、交流を深めたはずである。
今でも、カレン族には、夜這いの風習がある。
それは、セックスをするのではない。
親の元で、気に入った男と、娘が、話をするというものである。
そして、父親が、その男を、気に入らない場合は、何と、男が帰った後で、木の実を潰すための、鉢を棒で叩くのである。
コンコンコン、コンコンコンと、響く。
それを、聞いて男は、アア駄目だと、諦めるのである。
しかし、そんなに耳がよいのだろうか。
遠くに帰る、男の耳だけに、響くのか。
だが、父親が、それをすると、男は、二度と家に来ないという。

それとも、それを聞いた誰かが、その男に教えるということも有り得る。

さて、儀式を見た私は、その緊張感と、弛緩の、微妙な感覚に、驚いた。
単に、緊張するばかりではなく、リラックスして、儀式を行う。
祈りの間に、私語をする者もいると、言った。
あまり、儀礼に拘らないのである。しかし、儀式は、する。

酒の回し飲みというのが、最大のポイントである。
同じ盃を、酌み交わすとは、戦いの前の、武士と同じである。
命の盃とも、いえる。

それで、村の男たちは、一体になる。
そして、女たちである。
儀式の際には、遠巻きで、眺めている。
料理を作り、男たちの、儀式を、助ける。

これは、差別であろうか。
当に、区別である。
女系であると言った。女たちは、男たちを、尊重し、また、男たちは、女たちを、尊重する。

伝承の、仕来りを教えるために、山に七日間、男の子たちを連れて、籠もるという。
それも、強制ではない。希望する者にのみ、伝える。希望すれば、年齢は、関係ない。

小西さんの、義理のおとうさんが、その役目であると、聞いた。
その、おとうさんの、剣舞を見せて貰った。
結婚式の中で行うが、私たちが、見られなかったらと、おとうさんは、結婚式の前に、家の中で、見せてくれた。
無音の中で、舞う、剣の舞である。
儀式の中では、音を出す場合もあるという。

長年に渡り、伝承されてきた、剣舞である。
大振りの、舞は、しなやかで、威風堂々として、威厳に満ちたものである。

先に、お弟子さんに、見せてもらったが、矢張り、年輪である。
歳を取ることが、重んじられる。

さて、食事をする際に、テーブルなどないゆえ、床に置く。
それを、囲んで食べる。
女は、その中に入らない。

食べ残したものは、すべて、豚、鶏、犬などが、食べる。
私が、バナナの皮を、捨てると、豚に上げてくださいと、言われた。

何一つ、無駄なものはない。

豚肉を、脂で揚げていた、おばさんが、私に一つと、差し出した。熱くて、受け取れない。すると、一人のおばんが、バナナの皮を、持ってきてくれた。
そうか、皿もいらないのか。

もち米も、バナナの葉に包んで、ふかすのである。
それを、開けて食べる時の、嬉しさはない。

そろそろ、書き止める。
色々と、あった。帰国してからも、色々と、思い出した。
あの、暗闇の夜の夜。
言葉にすれば、嘘になると思いつつ、矢張り、あの闇は、貴重である。
抱かれる闇。
恐ろしくない闇。
光を神と、呼ぶが、闇というものも、神であったと、私は、深く反省している。

闇をも、神と思わせる、夜の闇の闇である。

あの、伝承を破戒しようとする者が現れれば、私は、命を賭けて戦う。

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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">旅日記</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 28 Jun 2008 12:55:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>タイ旅日記12</title>
         <description>新郎を迎えた皆は、道端で、祈りを上げて酒を飲み、そして、いよいよ、新婦の家に、新郎を連れて行く。

私たちも、その歩みに従った。
シンバルと、太鼓の音が、鳴る。
ゆっくりと、皆が新婦の家の道のりを、歩く。

新郎が、新婦の家に到着すると、舞台に、座る。
いよいよ、結婚の儀式が、始まる。

長老たちに、酒が回されて、その盃を持ったまま、祈りが、始まる。
皆、手を合わせて、それが終わるのを、待つ。

祈りが終わると、それぞれの盃の酒を、新郎新婦が、飲み交わす。
日本の三々九度のようである。
これから、新郎は、酒を、飲み続けるのである。
それが、延々と繰り返される。

今度は、注がれた酒を、飲み干すのである。次々と、人が入れ替わり立ち代りと、舞台に上がり、新郎は、盃を、交わす。

この舞台を見て、私は、古神道の、結界を思い出していた。
四本の柱は、注連縄で、囲ってあるのだ。
実に、不思議な光景である。

私たち、列島の民族も、大昔は、このように儀式を、執り行っていたのであろうと、推測した。
緊張感と、緩やかな、規制である。
祈りの時でも、お喋りしている人もいる。
誰も、何も規制しないのである。
要するに、変に真面目くさっていないのである。

新郎新婦は、酒を飲み交わすと、互いに手を洗う儀式をするという。
私は、テントの張られたテーブル席で、それを、待ったが、新郎の酒の酌み交わしが、中々終わらず、時計を見つつ、気を揉んだ。
それを、見てから、チェンマイに戻りたいと思った。

出発予定時間の、四時が近くなる。
野中が、私の側に来たので、最後の写真を、撮る。
丁度、女の子たちのグループがいて、彼女たちとの、記念撮影である。
そして、二人の男の子である。
ところが、一人の男の子が、写真撮影を、嫌がる。

野中が、言う。
あの子は、頭が良くて、何でも良く出来るという。しかし、口が利けない子だという。
私は、その子を見るために、立ち上がった。そして、彼に、近づく。すると、その子は、逃げる。
日本語で、私は、あなたの味方になりたいと、言う。

私と、野中は、その子を、追い掛けた。
その子と一緒にいた男の子も、説得している。
一緒に、写真を撮ろうと、言っている。

結局、彼が、何故写真を撮られるのが、嫌なのかが、解った。
非常に強い美意識である。
今日の、自分の姿は、みすぼらしい。そして、髪も、きちんとしていない。

女の子たちが、寄って来て、彼の髪型を直し、服を調えている。
私も野中も、彼の中にある、あるモノを見た。
洗練された、美意識である。

頭脳明晰、読み書きなどに優れて、何でも、すぐに覚える。
耳も聞こえる。
何故、話さないのか。
それが、理解出来た。

私たちとの、出会いで、彼は、生き方があることを、知るべきだと、思った。彼の生きる世界は、別の場所で、多々ある。
世界は、動いている。
カレンの村から、世界に、羽ばたいてもいいのだ。

彼と、友達が、写真に、収まった。
野中が言う。
この子、凄い美人だよ。
その通り、美人である。

匂うが如くに、少年の美しさがある。そして、彼は、それを、自覚している。
その、自覚こそ、彼を生かすものになるはずである。

自分の、みすぼらしさを、嫌悪するという、心の高まりは、彼を、いつか天才にすると、私は、思った。

さて、新郎新婦が、手を洗うという儀式が、始まらず、五時に近くなり、私は、小西さんに、そろそろと、言った。
戻る時間である。
名残惜しいが、これで、最後ではない。これが、始まりである。

私たちは、儀式の席から、離れて、家に戻った。
そして、急いで、帰り支度をした。
私は、赤い絽の着物を脱ぎ、タイパンツと、Tシャツにした。
カレンの村にいる間、私は、すべて、浴衣と、着物で過ごした。
私の、礼儀作法である。

その日の朝、少しの時間を、田圃で過ごした時、皆に混じって、田植えをした時も、浴衣を、まくって、稲の穂を植えた。
この村の人と、仲良くすることから、これからの、活動が見えてくると、思った。

次に来た時、あら、しばらくだねーと、言われたい。

最後に、私は、カレンの湧き水で、体を清めた。
清め祓いをした。
決して、日本では、水などを、かぶることはない。
いつも、銭湯に行き、そこで、清め祓いをする。お湯である。水でなければ駄目だなどとは、一言も、誰も言っていない。
お湯も、水である。
寒中に凍てつく水で、清めるという、偏狭な行為はしない。

車に乗り込み、奥さんと、お別れする。
奥さんと、娘さんだけが、見送る。

あっという間の、出来事だった。
車が、山々の中を走り、アスファルトの道に出ると、すぐに、チェンマイに着いた。

チェンマイですら、別空間に思えた。
今までの、あの風景、空間は、何だったのか。

チェンマイでの二時間あまりのうちに、元の感覚を取り戻す。
いつもの、時間感覚である。
インターネットカフェに入り、画面を見て、いつもの感覚に戻る。というか、戻す。

小西さんは、私たちを、また、迎えに来て、空港まで、送るという。最後まで、私たちの、面倒を見てくれるのだ。

次の準備のことが、早めに終わり、私たちは、オープン食堂に、向かった。
チェンマイカレーの店である。
辛いが、美味しい。そして、もち米で、カレーを食べるのが好きだ。
二人で食べても、300円程度である。

食べ終えて、待ち合わせの場所に行くと、小西さんも、少し早めに来ていた。
いよいよ、帰路である。
バンコクに一泊して、都会の喧騒に入り、そして、日本に戻る。

ここでは、おとうさんと、色々話し合ったことなどを、省略している。
実は、おとうさんと、日本の農業について、話し合ったのである。
日本の農業を説明すると、おとうさんは、例え話で、私たちに、話してくれた。
世の中と、隔絶されていようと、物事の本質が解る人には、現代の先端の文明化が、理解出来るのである。

自分たちの村で、食べる分だけ、米を作るという、考え方をする。そして、自然を大切にする農法である。
少し、彼らの、信仰や、農法について、書いて終わることにする。

空港で、チェックインをして、小西さんと、レストランで、話した。
名残惜しく思えども、また、再会するのである。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">旅日記</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 28 Jun 2008 05:27:27 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>タイ旅日記11</title>
         <description>昼近くになり、私たちは、結婚する妻の家に、向かった。
その家は、おじいさんの家のすぐ側である。

すでに、人が集い、婿のお兄さんが、舞台で、酒を酌み交わしていた。
舞台といっても、地面に、蓆を敷いたものである。

その、四隅に、柱をつけて、その柱に、豚の首を下げている。
丁度、私たちが、言った時に、豚の解体が、行われていた。

私は、普段見ることが、出来ないものだから、じっと、それを、見ていた。

頭を取られた豚は、胴体である。それを、どんどん、細かく、切り刻んで、一つの袋に入れる。
それを、女たちが、また、小さくして、揚げ物や、生肉を刻んで、野菜と混ぜて、料理を作る。
その、混ぜ合わせたものを、食べようとした時、小西さんに、止められた。
生肉の、豚は、危ないのである。

小西さんは、それを食べて、中毒を起こしたと言う。
それで、私と、野中は、食べるのを、止めた。

新婦はいるが、新郎は、まだ、いない。
新郎を待つ。

その間に、私は、例のおじさんに、連れられて、耳の聞こえなくなった、おじさいんの家に、連れて行かれた。
そして、私に、耳を見てくれというのである。

耳が遠くなった、おじいさんである。
もう、しょうがいないと、思いつつ、私は、手当てをした。
耳と、頭の後ろに、手を当てた。
おじいさんは、それを、温かいと言う。
言葉が、解らないが、そう言っているのである。

私は、日本語で、少しつづ、良くなりますよと、言った。
気休めである。
しかし、おじいさんは、真剣に、聞いた。

少しして、また、おじさんが、今度は、また私の手を取り、自分の家に、連れてゆくのである。

少し歩いて、そのおじさんの家に行った。
その、おじさんの家であることは、すぐに解った。
二人の子供に、私に、ご馳走するために、マンゴーと、梨を木に登らせて、取っていた。
それを、私は、窓から、見ていた。

おじさんは、私のために、マンゴーの皮を剥き、小さく斬って、皿にのせて、私の前に置いた。

熟した、マンゴーは、美味しかった。

そして、昨夜、手当てをした、右足を出して、やはり、痛むという。
私は、再度、右足に手を置いた。
リンパが瘤のように、張っている。

これは、リンパ癌の、疑いがあると、思った。
しかし、言わない。

その時、小西さん夫婦が、やって来た。

私は、それを、小西さんに話した。
この痛みは、単なる疲労の痛みではない。リンパが腫れていると。

私は、痛み止めと、抗生物質を持っているので、それを、差し上げようと、思った。
眠られないほど、痛いと言うのである。

昨夜は、確かに、痛みが、治まったが、それは、一時的なことだった。

私は、この村にも、医療が必要だと、思った。

昔なら、癌でも、そのまま、亡くなる。
そして、原因不明である。
それで、良かった。しかし、今、現在の状態では、治る見込みがある。

後で、小西さんの家に、薬を取りに来るようにと、告げて、貰った。

何とも、不思議な、縁である。
おじさんは、私を、全く信じているのである。

小西夫婦と、私は、また、結婚式の場に戻った。
しかし、中々、新郎が来ない。

そんな中で、一人のイギリス人の女性と、会った。彼女も、この村に滞在していた。
彼女は、少数部族を研究し、それを、保護する仕事をしている。
野中の英語を通して、話した。

以下、その内容である。

彼女は、ケルト民族の子孫である。
お祖父さんの、そのお祖父さんの代に、ケルトの文化が、キリスト教、カトリックによって、禁止された。言葉も、禁止されたという。
私は、日本の古代の文化と、ケルト文化は、共通していると、言った。
彼女は、どんなところですかと、尋ねる。

言葉です。
文字が、無かったと、言われていますが、話し言葉があったということは、文字もあったのです。
そして、文字は、神であるから、多く使わなかったと言うと、彼女は、涙を流さぬばかりに、感動していた。

結果、彼女は、私に、あなたに師事して、日本の文化を、学びたいと言った。
お互いに、連絡先を、交換した。

メールにての、やり取りで、付き合うことになった。

これも、出会いである。

シンバルと、太鼓が鳴った。いよいよ、新郎の登場かと、思ったが、これから、新郎を皆で、迎えに行くという。

私たちは、皆の後に続いて、新郎を迎えに行くことにした。
しかし、時間は、迫っていた。
もうすぐ、三時になるのである。
あと、一時間しかない。

誕生と、結婚と、葬儀が、大切な行事であると、小西さんが言った。
一生に、二度とないのである。

結婚式は、三日続くと言う。
豚、四頭を使うのである。そして、牛、一頭である。
男たちは、皆、飲み続ける。

私たちは、皆の後ろについて、新郎を迎えに出た。
道の真ん中で、新郎を迎える。
シンバルと、太鼓が、派手に大きな音を立てた。
新郎が、車で来た。そして、降りて、皆の前に姿を、現した。

実に、大袈裟である。
だが、大袈裟であって、いい。彼は、これで、一生、妻の家に入るのである。
シンバルと、太鼓が、大きな音を立てた。

私たちは、道端に、敷かれた舞台を、見ていた。
そこで、祈りが、行われた。
長老たちが、ぶつぶつと、伝来の祈りを、唱える。

そして、酒の回し飲みである。
私たちは、それを、見ているだけである。その中には、入れない。

ただ、私の前にも、盃が、差し出された。
彼らの好意である。
それを、一気に飲む。

御目出度い席に、参加して、私は、ただただ、感激である。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">旅日記</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 27 Jun 2008 20:40:29 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>神仏は妄想である106</title>
         <description>なにごとも、心にまかせたることならば、往生のために千人殺せといはんに、すなわち殺すべし。しかれども一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて害せざるなり。わが心のよくて殺さぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人、千人を殺すこともあるべし。
唯円　歎異抄

何事も、心の思うがままに、出来るならば、往生のために、千人を殺せといわれれば、殺すが、しかし、一人も、殺す因縁がなければ、殺すことは出来ない。それは、我の心が善であるからではない。殺せといわれなくても、百人、千人殺すこともある。
と言う。
つまり、人殺しも、因縁なのだという。

親鸞の教えを、書き綴った、名文である。

何故、このような言葉が出るのかは、親鸞の生きた時代を見ることである。

親鸞が出家して、比叡山に入ったのは、９歳の時、養和元年、１１８１年。
平家が壇ノ浦で、滅亡した時、１３歳。
衣川で、藤原三代が滅亡したのは、１７歳。
鎌倉幕府が成立し、頼朝を経て、実朝の暗殺された時は、４７歳。
承久の変の時は、４９歳。
内乱を見続けてきたのである。
更に、天変地異もあった。

人間とは何か。すべての宗教はこの問いを根本にもつが、とくに内乱とひきつづく乱世は、この問いを強く迫ったにちがいない。社会と人間のあらゆる矛盾が露呈するからである。そのなかでも最大の矛盾は、殺生をきびしく戒めた釈尊の教えを信じながら、陰謀や殺人や内乱のくりかへされてきたことであろう。こういう存在にとっても、救いはありうるのか。それとも末法の世と言われるとおり、人間にはただ絶望だけがあるのか。これが親鸞の抱かせられた精神の主題である。
亀井勝一郎　日本の精神史

時代は、いつも、激動の只中にある。
危機意識をもてば、いつの時代も、激動である。
平和ボケといわれる、現代の日本も、激動の時代の只中にある。

宗教は、その中にあって、何を提供できるのだろうか。
法然を、見て、親鸞を見るが、結論から言う。
彼らの、思想は、その後、見るも無残に変節した。

既成の、仏教団体の、伽藍と、形式を廃して、ただ、信心のみに、焦点をあてたのだが、それが、今では、既成仏教団と、同じく、伽藍と、形式に堕して、平然としている。

時代は、いつも、激動だと言った。
宗教家は、いつも、開祖の心を、思い、いつも、新鮮でなければならないが、浄土宗も、浄土真宗も、御覧の通りに、形骸化した。

後に、昭和歎異抄という、本を書いた、元浄土真宗の僧侶を紹介するが、内側から、徹底的に、宗門を批判している。

あらゆる、新興宗教も、必ず、伽藍を作り、要するに、立派な建物を作り、形式を作り、信者を、雁字搦めに、縛り、金を平然として、集める。

その、建物が立派であれば、あるほど、アホな人々は、納得して、金を教団に運ぶ。
そして、本部の地を、聖地というから、笑う。

要するに、人は、目に見える形で、安心するのである。
人は、見た目が九割であるというように、見た目からしか、入ることが出来ない。

ある教団の本部を見て、実に立派な建物であるが、その雰囲気、専門用語で言えば、波動の寒々としたものを、感じて、ゾッとしたものである。
その先は、信者でなければ、入られませんと、言われて、引き返したが、その中に、入る意欲は、なかった。

仏教とは、名ばかりで、教祖一家を、神のように崇めている。
驚いたのは、天狐が、教団をお守りしていると言う。
狐が、気の遠くなる年月、修行して、天狐になるという。あまりに、馬鹿馬鹿しくて、話にならない。狐に、守られていると、言うのであるから、狐の霊が、主導している、教団なのだろう。

その本部の建物の、上空に、教祖一家が、霊界なるものを、作り上げているのであろう。そこが、極楽だと、信じ切って。死んでも、救われないとは、このことである。
教団の信者は、死んで皆、教団本部の上空の幽界に入るのである。
哀れなり。

さて、親鸞の考えたところのものを、見渡す。

信仰にとっての最大の敵は、信仰する者同士の内部にある。或いは自己の内部にある。そこに生ずる破戒、あるいは自己崩壊はくりかへされていきた。それだけではない。仏教徒が仏教徒とが血を流しあい、迫害し、裁いてきたではないか。法然とともに流刑に処せられた親鸞は、この事実を忘れることが出来なかった。
亀井勝一郎

親鸞は、法然の教えを信じて、地獄に落ちてもいいという。何故なら、地獄こそ、一定住みかであるという。
これ程の、罪の意識、罪悪感というものを、親鸞は、何故、持つに至ったのか。

僧侶で始めて、妻を娶る親鸞である。
既成仏教団の、僧たちは、激しく攻撃したであろう。
ただし、彼らは、女犯を犯さなかったのではない。秘密裏に、女を囲う者、多数。
表向きは、独身を通すが、裏では、やりたい放題である。
その点から言えば、親鸞は、真っ当であった。

愛欲の大海に、沈みと、告白しているのである。
ただし、その自白に、酔うことが、なければ、良いのだが。

ここで、歴史を、逆戻りして、罪悪感、罪の意識というものが、仏教とともに、入ってきた、観念だということである。

日本の古神道には、清き、明るき、直き心のみがあった。
更に、ツミという言葉は、恵みの言葉だった。
海神、山神、わだつみ、やまつみとは、自然の恵みである。

ところが、漢語の罪という言葉は、全く、予想外の意味があった。

その罪は、仏教で規定されていた。
例えば、五逆といわれる罪は、殺生、盗み、邪淫、妄語、飲酒である。
出家者になれば、膨大な罪がある。

上記の、五つの罪さえも、誰もが犯す危険のあるものである。
乱世の世で、殺生などは、当たり前である。
邪淫を犯さない者はいないだろう。
そして、飲酒となれば。
在家信者にも、それは、要求された。

その、記された、罪から、罪意識が、更に、深まる。
そして、親鸞のように、罪人、罪人と、繰り返し言うことになる。

キリスト教も、兎に角、罪意識を抱かせる。
意識していなかった、ものまで、罪の意識を抱かせる。
そして、懺悔である。
ありもしない、原罪という、罪が、主イエスの十字架によって、赦されたという、誇大妄想を、展開し、信じる者を、雁字搦めにして、支配するという、手である。

更にあくどいことは、密室で行われる、人のセックスというものを、罪の意識に、育て上げるという、巧妙な手である。
人間の、真っ当な欲望を、罪と定めるという、狂いは、如何ともし難い。

古神道を、はじめ、多くの民族宗教、あるいは、伝統は、欲望を、恵みと、捉える。
それが、真っ当な感覚である。

宗教は、人間が犯すであろう、罪を、これでもかという具合に、探し出すのである。
それは、凡ての信者を、徹底支配するために、利用される。

親鸞は、
念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。
と言う。歎異抄

念仏するのではない。
念仏しようと思う心に、すでに、弥陀の本願である救いが、あるというのだ。

そして、もうひとつは、賜りたる信心である。
こちらが、信仰する、信心するのではない。
その、信心さえも、あちらから、与えられるものであると、言う。

人間が抱く様々な妄想のなかで、最も惑はしにみちたものは何か。妄想は煩悩に発するにちがいないが、煩悩から離れようとする信仰自体のうちに、実は最も深い妄想がひそんでいるのである。
亀井勝一郎

信仰という、ゲームと、考えうるとよい。
自分の心を、弄ぶという、実に愚かな、思考や、思索を、繰り返す。

例えば、罪の意識を、持って繰り返す、セックスほど、すこぶる快感なものはない。
何も、道具は、いらない。ただ、罪の意識さえあれば、通常のセックスの、何倍もの効果のある、性を楽しめる。

思索も、ある一線を超えると、堕落になるのである。

前頭葉の発達した、人間が考え出した、最も面白い遊び、それが、宗教である。

スポーツの楽しさは、ルールの中にある。
ルールのない、スポーツはあり得ない。

人間を、ある枠に収めて、そこでの、七転八倒を、楽しむという、実に、複雑怪奇な、遊びを、考えたものである。

それを、思索と呼ぶのか、私には、解らない。

言葉の遊びというものを、考え出した人間の性になったようである。
哲学とか思想も、然り。

私見である。
死ぬまでの、暇を潰すに、まあまあ、手頃なのかもしれない。

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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">神仏は妄想である。第三弾</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 27 Jun 2008 14:40:54 +0900</pubDate>
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         <title>神仏は妄想である105</title>
         <description>鎌倉時代に、法然は、男女平等を念仏によって、掲げた。

さらに、驚くべくことは、男女の差だけではない。
上下、貴賎の別なく、人は平等だと、説くのである。
これはまた、画期的である。

当時の、身分差別の激しい時代に、人は皆、平等であると、説くのである。

法然の元には、多くの、罪人が、集った。
罪人とは、ドロボーを始めとして、卑しい者たちである。

さて、実は、ここで、人間の平等というものが、いつから、日本の歴史の上で、成されたかということである。

それは、万葉集である。
上は、天皇から、下は、庶民に至るまで、すべての人を歌の前に、平等であるとしたのである。
日本の、平等主義の歴史は、実に古いものである。
しかし、それが、忘れられた。
鎌倉時代に、万葉集を知る人も少ないのである。

法然は、元の日本の平等主義を、念仏を通して、伝えたといえる。

法然が、現代に生きていれば、宗門ではなく、確実に思想家として、人間平等説を唱えていたであろう。

更に、救いは、誰もが、平等であるという、思想である。

陰陽師の、阿波之介という者が、自分の怪しげな占いや祈祷により、多くの女を囲い、酒池肉林の生活をしていた時の、ある日、人生の無常を感じて、法然の説法を聞くようになる。

法然が、弟子たちに、尋ねた。
阿波之介の念仏と、私の念仏とでは、どちらが、尊いのかと、すると、皆、お上人の念仏ですと、答える。それに対して、法然は、
「日頃、申していることが、まだ解らないのか。唱える念仏に尊いも、卑しいもない。念仏とは、阿弥陀様、お助けくださいという、その、一念しかないのだ。」
と、答えるのである。

どんな者でも、平等に救われる。それは、人間平等説の、高らかな、宣言であった。法然を慕うもの、その、法然の思想に、共感するのである。

そして、それは、悪人正機という、教えに結実してゆく。
それは、悪人こそ、救われなければならないのであるという、画期的な思想である。

この、考え方は、親鸞によると、思われる人がいるが、それは、親鸞ではなく、法然の考え方である。それを、親鸞が、継いだ。というより、師の教えとして、伝えた。

親鸞の弟子の、唯円による、歎異抄という、書は、名文である。
私は、この書を、高く高く、評価する。
世阿弥の花伝書と、共に、漢字かな混じり文では、傑作中の傑作である。

それにより、親鸞の思想のように、考えられるが、それは、法然のものであった。

何度も言うが、法然は、３０数年間仏法を学び、智慧第一と、言われた程の者である。
つまり、仏法とは、彼自身であり、それを、離れて、彼の思想は、成り立たないのである。

人間は、決して、客観的というものの見方は、出来ない。
あくまでも、主観の内にある、客観である。
自分の内にあるもの以外の、いかなる、考え方も、考えることは、出来ない。
法然に、神学の考え方をせよと、言うことは、出来ないのである。

さらに、私は、それを、時代性とか、時代精神と言っている。
その時、のみだから、また、その人だから、考えられた思想である。

弥陀の本願にまで、疑いを持ちつつ、弥陀に縋るという、考え方を、選択した、その法然の心の内に、私は、共感する。

男女平等、更に、人間平等、そして、更に、悪人も、善人も、同じく、弥陀の救いにあるという、当時としては、大変な思想を、展開したといえる。

織田信長によって、近代というものが、拓かれたというならば、法然によって、２０世紀後半の、平等主義が、すでに、拓かれたという。

しかし、だからといって、弥陀の救い云々が、現実的であるかということは、別物である。

当時の救いの観念が、いつの時代にも、普遍的なものであるかといえば、違う。

私は、空也などの、ひじり、聖たちの、多く、一遍に至る、念仏行者の、活動や、行為は、念仏という、方便を通して、つまり、定義としての、ものだと、考える。

一つの、定義なくして、行動行為は、成り立たない。
念仏が、方便であるということは、弥陀の本願というものも、方便である。

方便とは、とりあえず、ということである。
弥陀の救いが、確実であるということを、前提にして、置く。

我なるものを、見つめる、一つの手立てとして、念仏を、方便とする。
法然は、信じた。それは、法然の長きに渡る、仏法という世界が、法然自身となっていたからである。

しかし、法然の思想を、取り入れるが、念仏により、救われるという、思想は、取り入れずともよい。

何故なら、方便だからだ。

何々と、仮定しての、思想であり、哲学であり、更に、主義であり、主張である。

この世に、確定したものは、何一つ無い。
科学で実証されたものも、確定しているのではない。それは、進化しているのである。
すべて、とりあえず、なのである。

人生は、その、とりあえず、の中を、生きるということである。

法然が、行き着いた、念仏は、生きている時の、念仏は、どんなに信心が、深くても、どうしても、「飾りがある」ということだった。

自己を観察することから、自己を、徹底して、観照するという、もの。
限りなく、客観というものに、近づけてゆくが、我を失う我など無いのである。
我という、主観にある、我のみが、我を認識する。

無我の境地というが、無我の境地を得れば、精神疾患である。
我を失わず、我というものを、ぎりぎりのところまで、突き放すという、心的状態を、無我というなら、理解する。

仏法というもの、実に、思索的であるが、魔境に陥るのである。
悟りとは、悟らないことである。

悟らずに、弥陀の本願に救われるという、教えは、ぎりぎりの、客観性である。
それ以上になると、アホになる。

悟りとは、理想的境地であり、決して、辿り着けない境地である。
そんな、悟りの境地というものは、無いからだ。

歎異抄で、唯円が、親鸞の独白を書く。
煩悩具足のわれらは、いずれの行にても生死を離るる事あるべからざるを、哀れみ給いて願をおこし給う本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみ奉る悪人、もともと往生の生因なり。よて善人だにこそ往生すれ、まして悪人は、とおおせ候いき。

悪人は、成仏など出来ない。そして、その悪人とは、すべての人間のことである。すべての人間は、弥陀の願を頼み、往生するしか、ないのだという。

私は、そこまで、自分を悪人だと、意識するという、病理を突き止めたいが、それを、深みとして、受け取る仏教家たちである。

何度も言うが、何故、罪の意識を持ち、何故、弥陀に救われなければならないのか。
何故、往生しなければならないのか。

人類の歴史の中で、救済観というもの、いつから、持つようになったのか。
何ゆえに、それが、必要だったのか。

それは、きっと、この世を認識する言葉、厭離穢土であろう。
キリスト教などは、原罪という、妄想の罪意識である。
実に、宗教とは、救われないものである。
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         <pubDate>Fri, 27 Jun 2008 02:45:17 +0900</pubDate>
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