Producer木村天山 告知板

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2006年9月1日(金) 九月

去る者は日々に疎し
と、言われる。確かに、生きることに精々ならば、忘れて生きることが楽なのでしょう。過去を捨てて、前に進む。それ以外の術はない。
生きるということは、次しかない。
私の前には、藤岡宣男がいます。藤岡の創造です。
あれから一年を過ぎて、藤岡は、益々私の心に満ちています。
藤岡は亡くなったが、無くなってはいない。
世の中は、猛スピードで前に進んでいるようですが、果たして、本当でしょうか。
明日という、未来という幻想に、進んでいる可能性もあります。確たるビジョンの無い未来は、危険です。
事故から、私は毎日、藤岡を思わないことはない。つまり、私は明日を藤岡と見定めて生きているのです。
生きるということは、不安定であります。しかし、人は死によって確定します。死によって確実な存在になるのが人間の本性です。
死を考えることのない哲学も思想も、学問も無益です。
ただし宗教で言うところの死は、妄想です。
自分の中にあるものしか、見えない、聞こえないのです。それを身をもって知ること。それを総称して謙虚といいます。
知らないことが多いということを知らない人は、死後、絶望的な傲慢の次元に留まります。

2006年9月1日(金) クラウンについて

一切の契約はしていません。
よって、何の拘束等々はありません。
事故の前日、藤岡は裁判にて争う旨を私に話しました。私も、それならやるといいました。藤岡が、そのようなことを言うことは、めったにありませんでした。
今も、何の関係もありません。
勝手に、向こうが売っているのだと思います。
こういうことが通る世界が、その世界なのでしょう。
仰天します。
ただし、その間に、ブローカーのような、変な事務所が入っています。
前回の沈黙を破るに書いていますが、管理人が、再度掲載することがなければ、私は、これ以上書きません。どうでもいいのです。
人で無し、人に非ずと話をすることは、私には、出来ません。
私は、真人間ですから。

2006年9月2日(土) 死ぬのが待ち遠しい

今月は、藤岡の一年祭である。
突然寂しくなる時、私は、死ねば藤岡に逢えると考えて、乗り越えます。
これ程、死ぬのを待ち遠しく、楽しく思えたことはない。
これは私が霊学を成していたからである。
毎日、顔を合わせていた藤岡を忘れることは出来ない。藤岡は、もう一人の私だった。藤岡に私を写して生きていた。
藤岡の喜びも悲しみも怒りも、私のものだった。
藤岡が恋人と会うための場所まで手配していた。
藤岡が喜ぶと、私はそれ以上に喜んだ。そして毎日のケンカである。時間を過ぎれば、また一緒に食事をしていた。
藤岡の一日をすべて把握していた。藤岡がすべて私に話すからである。
秘密も隠し事もなかった。
ああ人生である。これ程の苦しみはないと思い、何度も、この場から離れようと思ったが、矢張り、続けられるまで続けることだと。そして藤岡を創造するというところまでたどり着いた。
いよいよ私の人生の佳境に行く。一人の思い込みである。それ以外に何が人生にあるだろうか。思い込み以外にである。そして私は素人を演じ続けてゆく。

2006年9月3日(日) 理解します。

藤岡のいないコンサート、また藤岡の死を思うと、落ち込むという人が、コンサートに行けないと言う。その通りだと思う。
無理して、来ることはない。理解します。

何故コンサートをするのか。簡単です。芸人、芸術家には舞台が必要です。それを用意するのが、私の務めです。
ただし、ここ6年間で理解したことは、音楽一般を成す者は、大半が常識外れ、教養に欠けるということが解りました。
ギャラを払うと、付け上がる。チケットノルマがなければ、当日、ドタキャンする等々。信じられないの一言。
真実、お金を出してでも出たいと思う音楽家、そのもどきを餌にして、音楽事務所が成り立っていることが解るのである。
大半が、芸人気取り、芸術家気取りであるという事実。
本当に呆れる。

2006年9月4日(月) うつろう季節

風の中に秋の芽生えあり。
すべては流れていると、ギリシャ哲学、仏陀は無常の相を観た。
一つとして留まるものはない。
旧約聖書伝道の書には、すべてには時がある。
抱く時、離す時がある。等々。
生きるとは呼吸の間と禅では言う。
刹那の連続。終わりは始まりであり、始まりは終わりである。生死を繰り返して生きる。道元は、完璧な実存哲学をゆく。死は死で、生は生と。だから、竿の先から飛べと言う。生きるとは飛ぶこと。飛ぶしか術が無いと知る時、開放される。
この次元は、何一つ定まったものは無い。絶対というものが無い、次元である。
高い次元の投影と観る人もいる。
我の本体は、この次元ではないと気づく時、この次元での生きることを、折り合いをつけて生きると知る。
死ぬときは 持ってゆけぬと 貯金せず
という川柳があった。刹那を生きる時の余裕を持ちたいものである。

2006年9月5日(火) 本日は「初恋」コンサート

それぞれの「初恋」を聴き、そして得意分野の歌を聴く。新しいコンサートのあり方を模索して、企画しました。
非常に楽しくて、有意義です。そこで、来年は、六月に「雨」をテーマのコンサートを企画します。世界各地の雨にまつわる音楽、歌等々を披露する。
有名でなければ人が集まらないというならば、やる者が楽しんでみる。それがお客様に伝播して、少しつづ広がればよい。
それでも受け入れられなければ、止めることだと思います。続けられるまで続ける。それでいい。
有名になるために、マスコミにと思うと、それが目的になる。手段であるものが目的になると、それは悲劇的。
あの藤岡でさえ、お客さまは少なかった。有名でないというだけで、である。
光は、いずれ飾台の上に上げられる。一般の人の手によって。そう思って続けることであると。
コンサートは練習成果の発表会ではない。しかしクラシック系のコンサートは、それに陥って久しい。歌って、演奏して、頭を下げて終わるとは、あまりに芸がない。
サービス業ならば、お笑いの一つがあってもよい。
舞台サービスを徹底的に追及したいと思います。

2006年9月5日(火) 初恋コンサート終了

ハプニングなどお客さまには見えません。
無事に終わりました。楽しく、有意義に終了です。
東京では、出演者の中に、試しで出るという者、批判を胸に秘めていた者、そういう異質な者がいると、矢張り舞台に出るのです。
本日は、心を一つにして、新しいお客さまで、有意義でした。
昔のお客さまは皆無です。
それでいいのです。新しく始まればいいのです。
いよいよ活気を持って前進です。

2006年9月6日(水) チラシについて

多くの方から意見をいただきました。
その中に、辻あやかウォーミングアップコンサートのチラシを作り、原案を出してくださった方がいて、お任せしました。今までにない、私の事務所ではです、素敵なチラシが出来ました。
勿論、今まで通り、私の原案で作るものもあります。デザインからすると、滅茶苦茶のようですが、非常にインパクトが強いと自負します。それは、チラシの常識に従っていないからです。
さて、この告知板にて、コンサートのプログラムを告知します。
また、新しく作るものには、出来る限り、その時点で決まっている、プログラムを載せます。
新しいお客さまが、コンサートなどに今まで来なかった人が多く、期待しています。
それはコンサートに対しての既成概念がなく、拘りもなく、コンサートを楽しむことのみに始終します。クラシックファンに多い、あら捜しなどしない、純粋にコンサートを楽しめる人々です。
クラシック演奏家、音楽家も、そしてそのファンも、楽しむコンサートではなく、苦痛を強いるコンサートを求めているのかと、仰天するこの頃です。
音楽教育が、いかに誤っていたかを、考えさせます。
日本人の西洋音楽に対するものは、偏見に満ちています。
私の、新沈黙を破るを読み、西洋音楽を学んでいただきたいと思います。
ピアノ演奏は、人間が聴くような音ではないと言い、私はピアノコンサートも開催しています。これを矛盾として考える偏狭な人もいますが、私はピアノコンサートを変容させたいだけです。ですから、ピアノ演奏の合間に、他の楽器の音を入れて、耳を洗います。この意味が解れば、幸いです。
何故、ミュージカルが楽しいか。それは、歌と踊りと、ストーリィーがあり、それぞれ独立しても、聴かせられ、見せられ程に、完成に近いからです。
以下省略。

2006年9月6日(水) 14日一年祭のプログラム

後半の藤岡宣男コーナーでは、初期の頃の、リュートソングを中心にします。
また、オリジナル曲「逢いたくて」は、色々なバージョンがありますが、今回は、シンセによる伴奏によるものにします。
オルガン伴奏の、アメージンググレイスは絶品です。

2006年9月7日(木) 一年祭に向けて

過ぎてしまえば、あっという間。時間というのは、瞬時にワープするようです。
確かにあったはずの365日という日々を一瞬のうちに、射抜いたように・・・
地球が太陽を一周して24時間を経たという、時間というものを、哲学してみたいと思いつつ、こうして日を過ごし、まだ観ぬ明日へ向こうとしている。明日が確実にあると信じて。
私は、藤岡の死を日に幾たびも反芻すること多々あった。
その度に、決心をした。
藤岡を通して、観たもの、聞いたもの、考えたこと、それらを表現すること。
私の表現は、書くこと、踊ること、花を活けること、そして歌うこと。歌は、朗詠から、本格的に歌手として活動を始めた。
手本はある。藤岡である。影を慕いて、行く。
それらは、すべて芸術である。芸の術である。美学にある芸術ではない。術は技である。技は心である。
世阿弥は、花は心、種は技なるべし、と言う。私は言う。技は心である。
私には、花などない。技のみが勝負である。つまり、歌は命として歌う。いのちがけの歌である。それでなければ、藤岡の歌に追いつかない。
歌は誰でも歌う。そして誰でも上手になる。それを舞台で成すということは、とてつもない体力と、心力を使う。普通ならば、死ぬ。死なずに歌えるのは、まだ序の口である。私は、歌で死ぬことにした。
藤岡は、大いに笑うであろう。年甲斐もなく、少年のように、情熱に燃えているのだから。自分でも、呆れている。
一年祭は、私のスタートの年である。そう思うことにした。

2006年9月8日(金) 藤岡の母

ただ今、お母さんは、藤岡の子供の頃に戻っています。
その凄まじい二人の関係を、彷彿とさせます。
「お父さんがいなくても、駄目になったら、いかんよ。ほれ、見たことかと言われる」
そして、世の中の様々な母子家庭に対する、いじめである。
あの当時、いや今でも、世の中は非情である。
藤岡は、人に後ろ指を指されないようにと、努力したという。いつも成績は、良かった。生徒会長も続けた。全校生徒に、即興で話をする。優等生を演じていた。
相当に疲れたであろう。
その頃の話は、私も度々聞いていた。
母親の教育の凄まじさは、二人で生きるという覚悟の元であろう。
母は、いまでも、世の中と戦っている。心の休まる時無く、そうして人生を終える。
それでよし。この世は、修行の世なのである。
一つの救いは、下手な宗教に入信して、妄想の人生を作らなかったことである。
ただし、信仰心には篤い人であったと聞く。藤岡を連れて、信者参拝をしていたと聞く。藤岡が、私の古神道に縁した訳である。

2006年9月9日(土) 初恋コンサートの評

私の歌、辻友子の歌が絶賛されました。
と、嬉しいのですが、単純に喜べません。つまり、言う人は、誉める人です。
言わない人もいます。ここが問題です。
切々として、心に沁みるという人がいますが、心に沁みずに帰る人もいたことでしょう。これを見逃せません。すべての人に良しとされる歌は、あり得ません。
ここに至ると、謙虚にならざるを得ないのです。
誉められて、逆上せるのは素人です。プロになると、それが何であるのかを考えます。私は舞台に慣れ過ぎているため、それが恐ろしいのです。
舞台の中央で歌うことは少ない。舞台全体を使います。
舞台が、もう一人の先生になります。それでは、もう一人の先生は我がうちにあります。決して、妥協しない厳しい先生です。つまり、私の内の先生が、看破します。
この私との戦いが芸術の別名でしょう。歌うことによって、益々歌が難しくなります。

2006年9月9日(土) 君の歌声(藤岡宣男に捧げて)

君がいた日のぬくもりは
春の朝日の清らかさ
君が歌った歌声は
秋の愛(かな)しき空のごと
天上高く立ち昇る
君の歌声天使のごとく
ふりそそぎ ふりそそぎ ふりそそぎ

君がいた日の嬉しさは
夏の浜辺のさざ波のよう
君が歌った歌声は
冬の強さの凛々と
天上高く立ち昇る
君の歌声天使のごとく
ふりそそぎ ふりそそぎ ふりそそぎ

木村天山作詞 田原奈津代作曲
一年祭コンサートで、ソプラノ辻友子が歌います。
新曲が出来ました。
この他、数々の作詞に曲がつけられます。
藤岡生前の頃に作詞したものが100曲ほどあります。
順次、曲がつき次第、コンサートにて発表します。

2006年9月9日(土) 

2006年9月10日(日) 福岡公演

夜の部のチケットが、残り少なくなりました。お早めにお求め下さい。
なお、長崎、大分、札幌に関しては残券が十分あります。
札幌では、大丸プレイガイドでも取り扱います。9月15日からです。

2006年9月11日(月) 一年祭

14日、一年祭を行ないます。
コンサート情報を参照下さい。当日券はあります。
告知の通り、藤岡の歌声を流します。
来年からは、藤岡のリサイタルも開催します。単に音楽鑑賞ではなく、色々な企画を考えています。
故人のリサイタルというものも、前代未聞ということです。
いよいよ藤岡の評価が確実なものになるでしょう。

2006年9月12日(火) 西洋音楽史

私の新沈黙を破るに、西洋音楽史を掲載しています。
西洋音楽を語るのに、必要と考え独自に調べて書いています。素人ですから、多くの専門的用語を理解するのに苦労しています。勿論、歴史、哲学史、美学等を鑑みて、書いています。
一読下されば、幸いです。
批判する前に、学ぶこと。それが鉄則です。
どなたでしょうか。何も知らずに、批判や非難をする人は。
私に、西洋音楽史を講義できる人が、クラシック音楽について語ることが出来ます。

2006年9月13日(水) 明日、藤岡一年祭を執り行います。

コンサートであり、儀式でもあります。
この一年、多くの事を学びました。この年にして、驚くことが多く、それはまた、悲しみを深くするものでした。
百人がいれば百の価値観があるとは知っていても、共通する礼儀作法といものがあるだろうと考えていましたが、別でした。
その多くの無作法に佇み、この世に生きるということは、それらを受容しつつ生きることであると知ることが出来ました。
人に死に対する、人の想いが、実に呆気なく単純なものであることも。当事者でなければ知りえないことを、当事者以外の者が、知っているという思い込みと、勝手な解釈、いい気なものということも。
世に名のある者でも、その程度が知れるということも、よく解りました。
藤岡の敵討ちをするという気持ちは、今でも変わりません。しかしそれは、単に誰を打つということではなく、私の心のあり方であり、私の生き方です。
私は、誰にも恨みなどありません。
多くの誤解や中傷も、何ら問題はありません。私には、私の心のみがテーマなのです。
私が真実であるか否かが問題なのです。それは、私が霊界を知る者だからです。
私にとって、藤岡に逢うことが、最も幸せなことです。
そう誰一人のお客さまがいなくてもいいのです。私が問題なのです。私の納得なのです。私が藤岡にすることが正しいことなのです。そして私と藤岡が向き合うこと、それが私の重大事です。
世の中に対して、私は、求めるものがありません。何一つ、欲するものは、ありません。問題は、私の心なのです。最後に残るものは、心のあり方であることを、私は知り抜いています。
この世の物質の世界を超えると、そこは霊的世界です。
それを知る者の強みが私を支えます。
人間は、死んでも死にません。それは確実なことです。
霊的世界からは、すべてがお見通しです。その眼に耐えられる人になりたいと思います。

2006年9月14日(木) 感無量

一年祭を終えて、感無量です。
この一年を藤岡の追悼コンサートにという思いを実行できたということは、私が私を信じられるということです。
私が私を信じられる。この人生で自分を信じることが出来た。藤岡のお蔭です。
批判や非難を受け、誰に頼まれもせず、私が思ったことを成した。そして、ここまで私に協力してくれた、藤岡のお弟子さんたち。残ったのは、ソプラノ辻友子、ピアノ辻あやかです。
私は、この二人のために命懸けで、舞台を掛けるという意欲に燃えています。
そして、ギターの千葉真康の無言の励まし。お客さま。
即座にマスコミに取り上げられて、即駄目になることがなかったことが救いです。
これからはマスコミが来ても、平気で成すことでしょう。
無名でも有名でも、やることは同じです。
そして、やり続けること。自分が決めたことさえ続けられないという不幸を、私は経ずにやることが出来ました。
霊的世界の眼は誤魔化すことが出来ません。
藤岡の眼を誤魔化すことは出来ません。
いよいよ、私は進むでしよう。
もののあわれを知り、大和魂を知り、日本の伝統を生きる。
知っているからこそ、出来るということです。
藤岡の歌の「もののあわれ」を私は行為できるのです。伝統は、万葉集、万葉集は日本の言葉、つまり精神です。
歌の道とは和歌の道です。
歌とは声楽ではありません。歌とは、言葉の世界であり、日本の伝統の聖典は、万葉集にあります。
藤岡の歌と、万葉集をつなげて、私は哲学を書くでしょう。
本日、藤岡の歌を聴いて、上手いと真実思い感じました。
藤岡の上手い歌を、どのようにして皆様に伝えるか、それが私の役目です。それは日本の伝統を伝えることと同じであるということ。
私は、また腹をくくり、この思いを天に投げ打ちます。
利休のように、私も切腹の構えで、行きます。
信長のように、小細工した者を斬りつけます。
そして天照のように、大和魂を持って生きる、所存です。

2006年9月15日(金) 辻あやかリサイタル

まだ、チラシの配布を行なっていませんが、大変評判がいいようです。
初めて、私以外の人がラフ原稿を作ったものです。
リサイタルも期待できます。理性と知性の藤岡のピアノの指導を受けて、本来の天性を開花させたといえます。
私の音楽史に書きますが、ピアノは実に野蛮な楽器です。自然界に、あんな音はありません。しかし、弾く人によって、聴くに耐えるものになります。
ピアノ演奏で感動するというのは、音の組み合わせです。ただし中毒になると、頭がやられます。生まれつき頭の良い人が弾きこなすことが、出来るのでしょう。そういう意味では、私は全く駄目ですね。
頭の良い人に任せます。
ところが日本では、頭が悪いからピアノでもと思う人がいて驚きます。
それなら三味線を弾かせた方が、まだ救いようがあります。
お後がよろしいようで、本日は、この辺で。

2006年9月16日(土) ピアノコンサートについて

藤岡の博士課程での研究は、ピアノ初期の頃のピアノ教育でした。それは、私の新沈黙を破るの、音楽史に書きます。
ピアノコンサートについて、少しいいます。
ピアノ弾きは、数学が出来て、哲学思想を学んで、音楽史を鑑み、そして曲作りをする。小細工としたピアノ弾きが、堂々と有名ピアニストになっている現状は、音楽界の不幸である。また、マスコミ等が取り上げるピアノ弾きで、優れた者はない。
上手と思えるピアノ弾きは、単にこずるいだけで、小手先で弾く。皆、それに騙される。マスコミは、聴く耳を持たないので、少し話題性があれば取り上げる。
プロが良いという演奏をアマが良いとは思わない。
全体的に、何が良い悪いの問題ではないが、権威ある者が言えば、皆、尻馬にのって、良い良いという。
カンパネラだけは少し聴けるピアノ弾きのばあさんがいるが、あれに多くの人が集うのが不思議でしょうがない。そしてコマーシャルにも出る、おばさんのピアノ弾き。あのピアノの音で
聴く耳を低下させていることを知らない。
ねこふんじゃったでのネズミ男のピアノも、冷酷に響くだけである。しかるに、それに感動するというクラシックファンである。
誰も、本当のことを知らない世界なのであること、重々理解した。
日本のではブスな男のピアノ弾きがうまいという不思議である。大半がブタ顔である。正面から叩いたような顔が印象的である。
それに比例するように、海外から来るピアノ弾きは、ハンサムであるが、ピアノ演奏より、その顔と体を披露するようなコンサートで、仰天する。
日本のクラシックファンの程度とは、実に、淫靡卑猥である。
私は、決して席を同じくしない。

2006年9月17日(日) 持続は才能

気分的なことに捕らわれて、先に進めない。
嫉妬や怒り、拘り等々に縛られて、先に進めない。
前頭葉が発達したということは、自分の殻を打ち破るということ。然るに、続けられないという悲しみ。
少しの心の弱さで頓挫する。それの繰り返しをしているうちに、死んでしまう人の多いこと。
自分の心の中を、ぐるぐると回って人生を終わる。別な言葉で言えば、一人相撲をして人生を終わる。
そういう人を多く見た。
アマというのは、その弱さを抱いている。だからプロに適わない。
私は素人ですが、続けてみましょう。
批判も非難も、嫉妬もやっかみも、無視も何もかにも、馬耳東風。
裸の王様、恥知らずの恐れ知らずでいいのです。

2006年9月18日(月) 進化する歌

藤岡の歌が、実に上手だ。聴く度に、進化する。
どういうことであろうか。
それは私の耳である。つまり私の耳が良くなってきたのである。
同じ歌のはずが、上手いと思う。何度も聴いているのに、聴く度に進化している。
そう聴こえるということは、私の耳の進化でもある。
耳の穴をかっぽじって聴けとは、本当のことだった。
眼は心の窓というが、眼は前頭葉の窓である。
耳は、脳に一番近い。聴くという行為は、実は、哲学する。思索すると同じことである。よく聴くこと、つまりそれは、よく考えることである。
思い起こせば、この10年ほど、私はクラシック音楽、特に声楽とピアノを聴き続けたのである。その大半が、生である。よほどでなければ、CDは聴かない。
思い出したように聴くのは演歌や日本の歌である。それも、一月に一度程度である。
機械を通して聴くものが、嘘のような気がするのだ。

2006年9月19日(火) ディジュルドゥーリサイタル

アボリジニ民族楽器である。オーストラリアの原住民である。
一本のユーカリの木を吹くのみ。これが凄い、素晴らしい。言葉で表現するのは難しい。まず聴いてみまければ解らない。
24日日曜日の夜の公演である。私も舞い、朗詠する。それが、実に合うのである。
単純素朴さの中にある、複雑奇怪さ、そして心の昇華。祈りの楽器であり、治療の楽器であるという。
コンサート情報を参照下さい。
生で聴いて、その波動を受けなければ、批判できません。

2006年9月20日(水) 26日命上がり一年祭のプログラム

藤岡が歌った日本の歌、君の名は、影を慕いて、白月、初恋、逢いたくて。
宵待ち草、惜別の歌、祈り。
辻友子のcome again、流れは広く、アルハンプラ宮殿、星影のワルツ、黄昏ビギン、月の砂漠。
ギターソロ。
藤岡の歌は、アメージンググレイス、行く春、うぐひす。

当日券はあります。

2006年9月21日(木) 時代の不幸

この時代は、観光旅行の如くである。
次から次と予定をこなす。この場に、しみじみと佇むことが出来ない。
風の音も、雨の音も、虫の音も、ただ、あっそうと通り過ぎるだけである。
兎に角、機械文明に使われて、どんどんと前に進む。もう人生が何であるのかという問いさえも捨てて。
そして、人生についての少しばかりの本を読み、感動するという嘘を平気でする。
一年前のことなど、太古の昔のように思う。
こういう状態を古人は、哀れであると言った。
聴くことも、観るという行為も捨てて、一体何が解るというのだろう。
解るということは、納得するということは、行為となることを知らない。
ゲスな興味のみに、大切な思考力を低下させて、実に哀れである。
そしてしまいに、妄想の宗教、霊感、霊能力を信じてしまう。
何一つ、確実なことを知らずに、生きていると思い込んで生きている。
いつの世も、無知と蒙昧にあったが、今はそれに加えて、傲慢不遜が加わり、一層、酷い状態になった。
これは、もはや救いようのない状態なのかもしれない。

2006年9月22日(金) 藤岡のメッセージ

人間が死んだら、すべてが無になる、無くなると思う人には、理解できないことであろうが、数少ない人に、藤岡は明確なメッセージを発している。
私は、そういう方から、情報を聞く。
当然である。藤岡は無くなってはいないからだ。
実に重大なメッセージもある。しかしそれを公開する訳には、いかない。本人の承諾がなければそれは出来ない。
霊界からの情報は、極めて冷静沈着に扱わなければならないからだ。
この世は魔界に支配されているので、大半の人は、そのエネルギーを得て生きる。知らずに、魔界の支配の元に、動かされている。それを知らないという不幸である。
藤岡から私を引き離そうとした、魔界のエネルギーを持つ者もいた。
しかし本人は、それを知らない。世の常識というものに従って、藤岡にアドバイスをしていたが、藤岡の死因も、それに多くを負う。
確かに、藤岡はもっと早く霊界に戻っても良かったのであるが・・・
今は、そのことに触れないでおく。
いすれにせよ、人が死んですべてが無くなると思っている人は、即座に改めるべきである。そうしなければ、この人生の意義を十分に知らずに無為に生きることになる。
これは宗教的教義ではない。事実であり、真実である。

2006年9月23日(土) 出演者募集

来年より
ぴあの・ピアノ・Piano
ピアノ祭りを再開します。
また、心の音楽会、歌祭り
音楽は心にやさしいコンサート
出演者を募集します。オーディションの必要なものもあります。
すべて参加費、またはチケットノルマがあります。
お問い合わせ下さい。

2006年9月24日(日) 命上がり祭前祭

本日は、藤岡、みことあがり祭の前祭です。
一年前の事故前日の夜、私は、藤岡から激しい程の、意欲を聞いていました。
不思議です。そして翌日は、早朝、気づいたら、私の横に寝ていました。
事故当日の朝は、私と一緒でした。
最後まで私と共にあった藤岡でした。
それを知らずに、藤岡の電話等による、私と別に行動するという言葉を聞いて、大きな誤解をし、私を大変な悪者に仕立てた多くの人、私は彼らを許しますが、彼らの守護霊や背後霊が許すか否かは別です。
さて、この世と別れる前には、少しの精神の乱れがあります。それは藤岡もそうでした。いつになく、感情の起伏が激しかったようです。以下、省略します。
今、私は藤岡によって、様々な人の本当の姿を見せられています。
その嘘、偽り、等々です。
藤岡が有名になるだろうとの予測の元に、付き合いをしていた者どもの姿を、とくと見ました。勿論、それで私が、どうする訳ではありませんが。
ここに、それを記して置きます。
本日から、明日にみかけて、私は藤岡の霊位に対して、特別な対応をしたいと思います。親しい人に多くのメッセージを発しています。
藤岡の臨在を感じます。
霊に戻った霊体には、嘘は隠せません。くれぐれも注意してください。

2006年9月25日(月) 藤岡宣男命上がり一年祭

本日は、pm3:00よりpm10:30の間、一時間ごとに祝詞献上します。

この一年、一度たりとも藤岡のことを思い出さない日は、ありませんでした。それは長い道のりでした。藤岡の歌声を残すべくコンサート活動も続けて、これからの人生を藤岡の歌声を伝える、残すということに邁進すべくの考えでした。
これからも、そうです。

再現芸術であり、瞬間芸術が声楽です。本来は、その時で、すべてなのですが、録音技術のお蔭で、歌声を残すことが出来ました。
伝える必要があるのは、藤岡の歌の「もののあわれ」という普遍性です。
それについては、多々書いていますので、省略します。

藤岡の口癖でした。僕は、勉強したい。向上心は人一倍強かったのです。私は彼が、ドイツ語、フランス語、イタリア語を学んでいたのを、目の当たりにしました。
実に、よく学んでいました。そして人体のことです。歌うための体を作るということを、様々な形で行なっていました。
良いといわれる治療法、等々、多くの場所に通い、専門家以上の知識を得ていました。

人が死ぬのは悲しいけれど
いつか人は死んでゆく

それが早いか、遅いかの違いです。
藤岡は、よくよく生きたのです。命の讃歌を生きたのです。

本日、私は日本の伝統に従い、神呼びをし、藤岡と共に過ごし、共に食して、楽しく語らい、神祭りを行ないます。
「清く明るき、直き心」日本人の神祭りの醍醐味があります。

2006年9月26日(火) いつも新しい

一年祭を終えて、再び歩き始める。
藤岡は有名ではなかった。知名度は低い。それが幸いした。
これから藤岡の歌を新しく紹介できる。手垢のついていない声楽家として紹介するへことが出来る。

私は、毎日が新しい時との出会いをしている。
いつも新鮮でいられる。それは藤岡の歌も、そうである。

この人生の無常迅速を超えて、いよいよ人生の醍醐味である、ラストスパートである。
新しいテーマである歌が、私の前にある。
藤岡の影を慕いて行く。

生きるとは、思い出である。
日々思い出を作り出して生きる。
あらちの世界へ行く日まで、思い出創りをして生きる。

2006年9月27日(水) それぞれの追悼

藤岡と縁のあった皆様が、それぞれに一年祭の追悼を成していたと想像します。
ありがたいことです。

私の霊学へから、皆様に申し上げます。
心霊は、その人の心の、思い、想い、念いを受け取ります。
小手先の読経や、祈りは通じません。
霊界の人霊は、思い出せば即座に、あちらも思い出してくれます。
すべて想いの世界なのです。
多くのお花、供物等々は、必要ありません。
もし、それに捕らわれているとしたなら、その人の霊は、幽体か、三次元に近い霊的場所にいて、現世と同じように過ごしています。

すべからく、霊界入りした霊人は、人の心の想いを頂きます。
すべてを見抜いていますから、小手先での想いを即座に見抜きます。

深い哀悼の意だけでいいのです。

藤岡の霊位は自由を得ています。
即座に反応します。
皆様の心のレベルにより、その表現を変えます。
ただし、霊界は、上下という世界が非常に厳しく、藤岡がこちらのために祈ってくれること多々あります。
下からは、上に逢うことはできません。
上の者からの歩み寄りを願うためにも、涼しき、澄んだ心のあり様が必要です。

日本人は尊敬する霊人を、神と尊称をつけてお呼びしました。
霊位には礼儀作法をもって臨むということです。

私も、藤岡の霊位に対しては、藤岡宣男の命と、呼び掛けます。

2006年9月28日(木) 言論の自由について

昨日の、告知板を読んで、私を排他的で、他を認めない。そして私の本性の心の闇に皆、気づくべきであるとの、匿名の書き込みがあった。
昨日の告知板に、排他的なことは一切書いていない。
恐れ多いが、仏陀と同じく、すべては心のあり方であるということを書いたまでであり、他の方法を認めないとか、そんなことを一切書いていない。
では、匿名の人は、何故、そのように感じたかと言えば、私の文に自分の心を写したといえる。つまり、自分の心の闇と、自分の排他的なことを、私の文から、焙り出したということである。
さて、言論の自由を成すことが出来るものは、匿名でのものではない。
どこの誰が書いたかを明確にすることが、言論の自由を遂行できる。
匿名という卑怯に方法に、言論の自由はない。それは単に、ヤジになる。
掲示板等、大半が匿名での書き込みである。
好き勝手に書き込みが出来る。これは現代の闇である。
覆面をして、何を言うのか。
よくよく考えて欲しい。
私に何故、歌うのかと問うた者も、匿名である。自分の興味のために、人に言わせてはならないことまで言わせて、それも匿名のなせる技である。
そこに言論の自由などない。
書くことに、責任が伴うこと。それが言論の自由であり、今のところ、二つの掲示板等で、言論の自由を言えるのは、私のみである。
後は、皆、覆面である。何を言っても、許されると思ったならば、それはとんでもないことである。
何故、堂々と、名を名乗らないのか。今、一度、自分に問い掛けることである。
私の前に、顔を出せる者、それのみが、書いたものの責任を負う。責任のない文は、実に、無効なのである。

2006年9月29日(金) 出演者募集

来年、3月4日、第5回ぴあの・ピアノ・Pianoを原宿、アコスタディオで開催します。
pm7:00開演。
出演者を募集します。ただし、オーディションを受けてからです。
オーディション料は、一万円。
合格の場合の参加費は、二万円です。
2000円のチケットを15枚差し上げます。

2006年9月30日(土) 宣男君へ・・・との手紙

事務所に一通の手紙が届いた。藤岡の古い友人からである。玉ぐし料が添えられてあった。
曰く、僕は君のことを忘れて、君の分まで生きます。と。
一年を経ても、なお同じように藤岡の死を悲しむ人がいる。深い想いにかられた。
もし、藤岡を忘れて生きるというならば、それを否定することはできない。
忘れるという言葉には、忘れられないという想いがついていると思われる。

私も、ある高齢の方から、忘れて生きることですと言われた。
それは人生の処世であろう。忘れた振りをして生きるということだと思う。
思い出せば、悲しいでしょうとも、言われた。その通りだ。
忘れた振りも私は出来ないので、藤岡を心に抱いて、生きると、決めた。

そう遅くない時期に、私も死ぬ。
死ぬということが救いになるのである。
焦って死ぬことはない。確実に死ぬ。それでいい。

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